海島冒険奇譚 海底軍艦 Author:押川 春浪← Back

海島冒険奇譚 海底軍艦




        はしがき
一。太平洋の波に浮べる、この船にも似たる我日本の國人は、今や徒らに、富士山の明麗なる風光にのみ恍惚たるべき時にはあらざるべし。
光譽ある桂の冠と、富と權力との優勝旗は、すでに陸を離れて、世界の海上に移されたり。
この冠を戴き、この優勝旗を握らむものは誰ぞ。
他なし、海の勇者なり。海の勇者は即ち世界の勇者たるべし。
一。天長節の佳日に際し
  子爵  伊東海軍大將
      肝付海軍少將
  伯爵  吉井海軍少佐
  子爵  小笠原海軍少佐
      上村海軍少佐
各位の清福を賀※[#変体仮名し、はしがき-14]、つたなき本書のために、題字及び序文を賜はりし高意にむかつて、誠實なる感謝の意を表す。
一。上村海軍少佐の懇切なる教示と、嚴密なる校閲とを受けたるは、啻に著者の幸福のみにはあらず、讀者諸君若し此書によりて、幾分にても、海上の智識を得らるゝあらば、そは全く少佐の賜なり。
一。遙かに、獨京伯林なる、巖谷小波先生の健勝を祈る。
著者※[#変体仮名し、はしがき-20]るす
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(海島冐檢奇譚)海底軍艦目次
 第一回 海外(かいぐわい)の日本人(につぽんじん)
子ープルス港の奇遇――大商館――濱島武文[#「濱島武文」は底本では「濱鳥武文」]――春枝夫人――日出雄少年――松島海軍大佐の待命
 第二回 魔(ま)の日(ひ)魔(ま)の刻(こく)
送別會――老女亞尼――ウルピノ山の聖人――十月の祟の日――黄金と眞珠――月夜の出港
 第三回 怪(あやし)の船(ふね)
銅鑼の響――ビール樽の船長――白色檣燈――古風な英國人――海賊島の奇聞――海蛇丸
 第四回 反古(ほご)の新聞(しんぶん)
葉卷煙草――櫻木海軍大佐の行衞――大帆走船と三十七名の水兵――奇妙な新體詩――秘密の發明――二點鐘カーンカン
 第五回 ピアノと拳鬪(けんとう)
船中の音樂會――鵞鳥聲の婦人――春枝夫人の名譽――甲板の競走――相撲――私の閉口――曲馬師の虎
 第六回 星火榴彈(せいくわりうだん)
難破船の信號――イヤ、流星の飛ぶのでせう――無稽な――三個の舷燈――船幽靈め――其眼が怪しい
 第七回 印度洋(インドやう)の海賊船(かいぞくせん)
水雷驅逐艦か巡洋艦か――往昔の海賊と今の海賊――潜水器――探海電燈――白馬の如き立浪――海底淺き處――大衝突
 第八回 人間(にんげん)の運命(うんめい)
弦月丸の最後――ひ、ひ、卑怯者め――日本人の子――二つの浮標――春枝夫人の行衞――あら、黒い物が!
 第九回 大海原(おほうなはら)の小端艇(せうたんてい)
亞尼の豫言――日出雄少年の夢――印度洋の大潮流――にはか雨――昔の御馳走――巨大な魚群
 第十回 沙魚(ふか)の水葬(すゐさう)
天の賜――反對潮流――私は黒奴、少年は炭團屋の忰――おや/\變な味になりました――またも斷食
 第十一回 無人島(むじんとう)の響(ひゞき)
人の住む島か魔の棲む島か――あら、あの音は――奇麗な泉――ゴリラの襲來――水兵ヒラリと身を躱はした――海軍士官の顏
 第十二回 海軍(かいぐん)の家(いへ)
南方の無人島――快活な武村兵曹――おぼろな想像――前は絶海の波、後は椰子の林――何處ともなく立去つた
 第十三回 星影(ほしかげ)がちら/\
歡迎――春枝夫人は屹度死にません――此新八が先鋒ぢや――浪の江丸の沈沒――此島もなか/\面白いよ――三年の後
 第十四回 海底(かいてい)の造船所(ざうせんじよ)
大佐の後姿がチラリと見えた――獅子狩は眞平御免だ――猛犬稻妻――秘密の話――屏風岩――物凄い跫音――鐵門の文字
 第十五回 電光艇(でんくわうてい)
鼕々たる浪の音――投鎗に似た形――三尖衝角――新式魚形水雷――明鏡に映る海上海底の光景――空氣製造器――鐵舟先生の詩
 第十六回 朝日島(あさひじま)
日出雄少年は椰子の木蔭に立つて居つた――國際法――占領の證據――三尖形の紀念塔――成程妙案々々――其處だよ
 第十七回 冐險鐵車(ぼうけんてつしや)
自動の器械――斬頭刄形の鉞――ポンと小胸を叩いた――威張れません――君が代の國歌――いざ帝國の萬歳を唱へませう
 第十八回 野球競技(ベースボールマツチ)
九種の魔球――無邪氣な紛着――胴上げ――西と東に別れた――獅子の友呼び――手頃の鎗を捻つて――私は殘念です――駄目だんべい
 第十九回 猛獸隊(まうじうたい)
自然の殿堂――爆裂彈――エンヤ/\の掛聲――片足の靴――好事魔多し――砂滑りの谷、一名死の谷――深夜の猛獸――かゞり火
 第二十回 猛犬(まうけん)の使者(ししや)
山又山を越えて三十里――一封の書面――あの世でか、此世でか――此犬尋常でない――眞黒になつて其後を追ふた――水樽は空になつた
 第二十一回 空中(くうちう)の救(すく)ひ
何者にか愕いた樣子――誰かの半身が現はれて――八日前の晩――三百反の白絹――お祝の拳骨――稻妻と少年と武村兵曹
 第二十二回 海(うみ)の禍(わざわい)
孤島の紀元節――海軍大佐の盛裝――海岸の夜會――少年の劍舞――人間の幸福を嫉む惡魔の手――海底の地滑り――電光艇の夜間信號
 第二十三回 十二の樽(たる)
海底戰鬪艇の生命――人煙の稀な橄欖島――鐵の扉は微塵――天上から地獄の底――其樣な無謀な事は出來ません――無念の涙
 第二十四回 輕氣球(けいききう)の飛行(ひかう)
絶島の鬼とならねばならぬ――非常手段――私が參ります――無言のわかれ――心で泣いたよ――住馴れた朝日島は遠く/\
 第二十五回 白色巡洋艦(はくしよくじゆんやうかん)
大陸の影――矢の如く空中を飛走した――ポツンと白い物――海鳥の群――「ガーフ」の軍艦旗――や、や、あの旗は! あの船は!
 第二十六回 顏(かほ)と顏(かほ)と顏(かほ)
帝國軍艦旗――虎髯大尉、本名轟大尉――端艇諸共引揚げられた――全速力――賣れた顏――誰かに似た顏――懷かしき顏
 第二十七回 艦長室(かんちやうしつ)
鼻髯を捻つた――夢ではありますまいか――私は何より嬉しい――大分色は黒くなりましたよ、はい――今度は貴女の順番――四年前の話
 第二十八回 紀念軍艦(きねんぐんかん)
帝國軍艦「日の出」――此虎髯が御話申す――テームス造船所の製造――「明石」に髣髴たる巡洋艦――人間の萬事は天意の儘です
 第二十九回 薩摩琵琶(さつまびは)
春枝夫人の物語――不屆な悴――風清き甲板――國船の曲――腕押し脛押と參りませう――道塲破りめ――奇怪の少尉
 第三十回 月夜(げつや)の大海戰(だいかいせん)
印度國コロンボの港――滿艦の電光――戰鬪喇叭――惡魔印の海賊旗大軍刀をブン/\と振廻した――大佐來! 電光艇來!―朝日輝く印度洋

目次終
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    第一回 海外(かいぐわい)の日本人(につぽんじん)
ネープルス港の奇遇――大商館――濱島武文[#「濱島武文」は底本では「※(「さんずい+(宀/(「眉」の「目」に代えて「貝」))」、第3水準1-87-27)島武文」]――春枝夫人――日出雄少年――松島海軍大佐の待命
 私(わたくし)が世界(せかい)漫遊(まんゆう)の目的(もくてき)をもつて、横濱(よこはま)の港(みなと)を出帆(ふなで)したのは、既(すで)に六年(ろくねん)以前(いぜん)の事(こと)で、はじめ亞米利加(アメリカ)に渡(わた)り、それから大西洋(たいせいよう)の[#「大西洋(たいせいよう)の」は底本では「太西洋(たいせいよう)の」]荒浪(あらなみ)を横斷(よこぎ)つて歐羅巴(エウロツパ)に遊(あそ)び、英吉利(イギリス)、佛蘭西(フランス)、獨逸等(ドイツとう)音(おと)に名高(なだか)き國々(くに/″\)の名所(めいしよ)古跡(こせき)を遍歴(へんれき)して、其間(そのあひだ)に月(つき)を閲(けみ)すること二十有餘箇月(いうよかげつ)、大約(おほよそ)一萬(まん)五千里(せんり)の長途(ながたび)を後(あと)にして、終(つひ)に伊太利(イタリー)に入(ゐ)り、往昔(むかし)から美術國(びじゆつこく)の光譽(ほまれ)高(たか)き、其(その)さま/″\の奇觀(きくわん)をも足(た)る程(ほど)眺(なが)めたれば、之(これ)より我(わ)が懷(なつ)かしき日本(ふるさと)へ歸(かへ)らんと、當夜(そのよ)十一時(じ)半(はん)拔錨(ばつべう)の弦月丸(げんげつまる)とて、東洋(とうよう)行(ゆき)の※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)船(きせん)に乘組(のりく)まんがため、國(くに)の名港(めいかう)ネープルスまで來(き)たのは、今(いま)から丁度(ちやうど)四年(ねん)前(まへ)、季節(せつ)は櫻(さくら)散(ち)る五月(ごぐわつ)中旬(なかば)の或(ある)晴朗(うらゝか)な日(ひ)の正午(せうご)時分(じぶん)であつた。
市街(まち)はづれの停車塲(ステーシヨン)から客待(きやくまち)の馬車(ばしや)で、海岸(かいがん)附近(まぢか)の或(ある)旅亭(はたごや)に着(つ)き、部室(へや)も定(さだ)まり軈(やが)て晝餉(ひるげ)もすむと最早(もはや)何(なに)も爲(す)る事(こと)がない、船(ふね)の出港(しゆつこう)までは未(ま)だ十時間(じかん)以上(いじやう)。長(なが)い旅行(りよかう)を行(や)つた諸君(しよくん)はお察(さつ)しでもあらうが、知(し)る人(ひと)もなき異境(ゐきやう)の地(ち)で、※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)車(きしや)や※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)船(きせん)の出發(しゆつぱつ)を待(ま)ち暮(くら)すほど徒然(つまら)ぬものはない、立(た)つて見(み)つ、居(ゐ)て見(み)つ、新聞(しんぶん)や雜誌等(ざつしなど)を繰廣(くりひろ)げて見(み)たが何(なに)も手(て)に着(つ)かない、寧(いつ)そ晝寢(ひるね)せんか、市街(まち)でも散歩(さんぽ)せんかと、思案(しあん)とり/″\窓(まど)に倚(よ)つて眺(なが)めると、眼下(がんか)に瞰(み)おろす子ープルス灣(わん)、鏡(かゞみ)のやうな海面(かいめん)に泛(うか)んで、出(で)る船(ふね)、入(い)る船(ふね)[#「船(ふね)」は底本では「般(ふね)」]停泊(とゞま)つて居(ゐ)る船(ふね)、其(その)船々(ふね/″\)の甲板(かんぱん)の模樣(もやう)や、檣上(しやうじやう)に飜(ひるがへ)る旗章(はたじるし)や、また彼方(かなた)の波止塲(はとば)から此方(こなた)へかけて奇妙(きめう)な風(ふう)の商舘(しやうくわん)の屋根(やね)などを眺(なが)め廻(まわ)しつゝ、たゞ譯(わけ)もなく考想(かんが)へて居(を)る内(うち)にふと思(おも)ひ浮(うか)んだ一事(こと)がある。それは濱島武文(はまじまたけぶみ)といふ人(ひと)の事(こと)で。
濱島武文(はまじまたけぶみ)とは私(わたくし)がまだ高等學校(かうとうがくかう)に居(を)つた時分(じぶん)、左樣(さやう)かれこれ十二三年(ねん)も前(まへ)の事(こと)であるが、同(おな)じ學(まな)びの友(とも)であつた。彼(かれ)は私(わたくし)よりは四つ五つの年長者(としかさ)で、從(したがつ)て級(くみ)も異(ちが)つて居(を)つたので、始終(しじう)交(まぢは)るでもなかつたが、其頃(そのころ)校内(かうない)で運動(うんどう)の妙手(じやうず)なのと無暗(むやみ)に冐險的旅行(ぼうけんてきりよかう)の嗜好(すき)なのとで、彼(かれ)と私(わたくし)とは指(ゆび)を折(を)られ、從(したがつ)て何(なに)ゆゑとなく睦(むつ)ましく離(はな)れがたく思(おも)はれたが、其後(そのゝち)彼(かれ)は學校(がくかう)を卒業(そつぎやう)して、元來(ぐわんらい)ならば大學(だいがく)に入(い)る可(べ)きを、他(た)に大望(たいもう)ありと稱(しよう)して、幾何(いくばく)もなく日本(ほんごく)を去(さ)り、はじめは支那(シナ)に遊(あそ)び、それから歐洲(をうしう)を渡(わた)つて、六七年(ねん)以前(いぜん)の事(こと)、或(ある)人(ひと)が佛京巴里(フランスパリ)の大博覽會(だいはくらんくわい)で、彼(かれ)に面會(めんくわい)したとまでは明瞭(あきらか)だが、私(わたくし)も南船北馬(なんせんほくば)の身(み)の其後(そのゝち)の詳(つまびらか)なる消息(せうそく)を耳(みゝ)にせず、たゞ風(かぜ)のたよりに、此頃(このごろ)では、伊太利(イタリー)のさる繁華(はんくわ)なる港(みなと)に宏大(りつぱ)な商會(しやうくわい)を立(た)てゝ、專(もつぱ)ら貿易事業(ぼうえきじげふ)に身(み)を委(ゆだ)ねて居(を)る由(よし)、おぼろながらに傳(つた)へ聞(き)くのみ。
伊太利(イタリー)の繁華(はんくわ)なる港(みなと)といへば、此處(こゝ)は國中(こくちう)隨一(ずゐいち)の名港(めいかう)子ープルス、埠頭(はとば)から海岸通(かいがんどう)りへかけて商館(しやうくわん)の數(かず)も幾百千(いくひやくせん)、もしや濱島(はまじま)は此(この)港(みなと)で、其(その)商會(しやうくわい)とやらを營(いとな)んで居(を)るのではあるまいかと思(おも)ひ浮(うか)んだので、實(じつ)に雲(くも)を掴(つか)むやうな話(はなし)だが、萬(まん)が一もと旅亭(やどや)の主人(しゆじん)を呼(よ)んで聽(き)いて見(み)ると、果然(くわぜん)! 主人(しゆじん)は私(わたくし)の問(とひ)を終(みな)まで言(い)はせず、ポンと禿頭(はげあたま)を叩(たゝ)いて、
『オヽ、濱島(はまじま)さん※(疑問符感嘆符、1-8-77) よく存(ぞん)じて居(をり)ますよ、雇人(やとひにん)が一千人(にん)もあつて、支店(してん)の數(かず)も十の指(ゆび)――ホー、其(その)お宅(たく)ですか、それは斯(か)う行(い)つて、あゝ行(い)つて。』と口(くち)と手眞似(てまね)で窓(まど)から首(くび)を突出(つきだ)して
『あれ/\、あそこに見(み)へる宏壯(りつぱ)な三階(がい)の家(いへ)!』
天外(てんぐわい)萬里(ばんり)の異邦(ゐほう)では、初對面(しよたいめん)の人(ひと)でも、同(おな)じ山河(やまかは)の生(うま)れと聞(き)けば懷(なつ)かしきに、まして昔馴染(むかしなじみ)の其人(そのひと)が、現在(げんざい)此(この)地(ち)にありと聞(き)いては矢(や)も楯(たて)も堪(たま)らない、私(わたくし)は直(す)ぐと身仕度(みじたく)を整(とゝの)へて旅亭(やどや)を出(で)た。
旅亭(やどや)の禿頭(はげあたま)に教(をし)へられた樣(やう)に、人馬(じんば)の徃來(ゆきゝ)繁(しげ)き街道(かいだう)を西(にし)へ/\と凡(およ)そ四五町(ちやう)、唯(と)ある十字街(よつかど)を左(ひだり)へ曲(まが)つて、三軒目(げんめ)の立派(りつぱ)な煉瓦造(れんぐわづく)りの一構(ひとかまへ)、門(かど)に T. Hamashima(はまじまたけぶみ), と記(しる)してあるのは此處(こゝ)と案内(あんない)を乞(こ)ふと、直(す)ぐ見晴(みはら)しのよい一室(ひとま)に通(とう)されて、待(ま)つ程(ほど)もなく靴音(くつおと)高(たか)く入(い)つて來(き)たのはまさしく濱島(はまじま)! 十年(ねん)相(あひ)見(み)ぬ間(ま)に彼(かれ)には立派(りつぱ)な八字髯(はちじひげ)も生(は)へ、其(その)風采(ふうさい)も餘程(よほど)變(ちが)つて居(を)るが相變(あひかは)らず洒々落々(しや/\らく/\)の男(おとこ)『ヤァ、柳川君(やながはくん)か、これは珍(めづ)らしい、珍(めづ)らしい。』と下(した)にも置(お)かぬ待遇(もてなし)、私(わたくし)は心(しん)から※(「りっしんべん+喜」、第4水準2-12-73)(うれ)しかつたよ。髯(ひげ)は生(は)へても友達(ともだち)同士(どうし)の間(あひだ)は無邪氣(むじやき)なもので、いろ/\の話(はなし)の間(あひだ)には、昔(むかし)倶(とも)に山野(さんや)に獵暮(かりくら)して、※(あやまつ)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、6-5]て農家(ひやくしやうや)の家鴨(あひる)を射殺(ゐころ)して、辛(から)き目(め)に出逢(であ)つた話(はなし)や、春季(はる)の大運動會(だいうんどうくわい)に、彼(かれ)と私(わたくし)とはおの/\級(くみ)の撰手(チヤンピオン)となつて、必死(ひつし)に優勝旗(チヤンピオンフラグ)を爭(あらそ)つた事(こと)や、其他(そのほか)さま/″\の懷舊談(くわいきうだん)も出(で)て、時(とき)の移(うつ)るのも知(し)らなかつたが、ふと氣付(きづ)くと、當家(このや)の模樣(もやう)が何(なに)となく忙(いそ)がし相(さう)で、四邊(あたり)の部室(へや)では甲乙(たれかれ)の語(かた)り合(あ)ふ聲(こゑ)喧(かまびす)しく、廊下(ろうか)を走(はし)る人(ひと)の足音(あしおと)もたゞならず速(はや)い、濱島(はまじま)は昔(むかし)から極(ご)く沈着(ちんちやく)な人(ひと)で、何事(なにごと)にも平然(へいぜん)と構(かま)へて居(を)るから夫(それ)とは分(わか)らぬが、今(いま)珈琲(カツヒー)を運(はこ)んで來(き)た小間使(こまづかひ)の顏(かほ)にも其(その)忙(いそ)がしさが見(み)へるので、若(も)しや、今日(けふ)は不時(ふじ)の混雜中(こんざつちう)ではあるまいかと氣付(きづ)いたから、私(わたくし)は急(きふ)に顏(かほ)を上(あ)げ
『何(なに)かお急(いそ)がしいのではありませんか。』と問(と)ひかけた。
『イヤ、イヤ、决(けつ)して御心配(ごしんぱい)なく。』と彼(かれ)は此時(このとき)珈琲(カツヒー)を一口(ひとくち)飮(の)んだが、悠々(ゆう/\)と鼻髯(びぜん)を捻(ひね)りながら
『何(なに)ね、實(じつ)は旅立(たびだ)つ者(もの)があるので。』
オヤ、何人(どなた)が何處(どこ)へと、私(わたくし)が問(と)はんとするより先(さき)に彼(かれ)は口(くち)を開(ひら)いた。
『時(とき)に柳川君(やながはくん)、君(きみ)は當分(たうぶん)此(この)港(みなと)に御滯在(おとまり)でせうねえ、それから、西班牙(イスパニヤ)の方(はう)へでもお廻(まは)りですか、それとも、更(さら)に歩(ほ)を進(すゝ)めて、亞弗利加(アフリカ)探險(たんけん)とでもお出掛(でか)けですか。』
『アハヽヽヽ。』と私(わたくし)は頭(つむり)を掻(か)いた。
『つい昔話(むかしばなし)の面白(おもしろ)さに申遲(まうしおく)れたが、實(じつ)は早急(さつきふ)なのですよ、今夜(こんや)十一時(じ)半(はん)の※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)船(きせん)で日本(くに)へ皈(かへ)る一方(いつぱう)なんです。』
『えい、君(きみ)も?。』と彼(かれ)は眼(め)を見張(みは)つて。
『矢張(やはり)今夜(こんや)十一時(じ)半(はん)出帆(しゆつぱん)の弦月丸(げんげつまる)で?。』
『左樣(さやう)、殘念(ざんねん)ながら、西班牙(イスパニヤ)や、亞弗利加(アフリカ)の方(はう)は今度(こんど)は斷念(だんねん)しました。』と、私(わたくし)がキツパリと答(こた)へると、彼(かれ)はポンと膝(ひざ)を叩(たゝ)いて
『やあ、奇妙(きめう)々々。』
何(なに)が奇妙(きめう)なのだと私(わたくし)の審(いぶか)る顏(かほ)を眺(なが)めつゝ、彼(かれ)は言(ことば)をつゞけた。
『何(な)んと奇妙(きめう)ではありませんか、これ等(ら)が天(てん)の紹介(ひきあはせ)とでも云(い)ふものでせう、實(じつ)は私(わたくし)の妻子(さいし)も、今夜(こんや)の弦月丸(げんげつまる)で日本(につぽん)へ皈國(かへり)ますので。』
『え、君(きみ)の細君(さいくん)と御子息(ごしそく)※(疑問符感嘆符、1-8-77)』と私(わたくし)は意外(いぐわい)に※(さけ)[#「口+斗」、8-11]んだ。十年(ねん)も相(あひ)見(み)ぬ間(あひだ)に、彼(かれ)に妻子(さいし)の出來(でき)た事(こと)は何(なに)も不思議(ふしぎ)はないが、實(じつ)は今(いま)の今(いま)まで知(し)らなんだ、况(いは)んや其人(そのひと)が今(いま)本國(ほんごく)へ皈(かへ)るなどゝは全(まつた)く寢耳(ねみゝ)に水(みづ)だ。
濱島(はまじま)は聲(こゑ)高(たか)く笑(わら)つて
『はゝゝゝゝ。君(きみ)はまだ私(わたくし)の妻子(さいし)を御存(ごぞん)じなかつたのでしたね。これは失敬(しつけい)々々。』と急(いそが)はしく呼鈴(よびりん)を鳴(な)らして、入(いり)來(きた)つた小間使(こまづかひ)に
『あのね、奧(おく)さんに珍(めづ)らしいお客樣(きやくさま)が……。』と言(い)つたまゝ私(わたくし)の方(はう)に向直(むきなほ)り
『實(じつ)は斯(か)うなんですよ。』と小膝(こひざ)を進(すゝ)めた。
『私(わたくし)が此(この)港(みなと)へ貿易商會(ぼうえきしやうくわい)を設立(たて)た翌々年(よく/\とし)の夏(なつ)、鳥渡(ちよつと)日本(につぽん)へ皈(かへ)りました。其頃(そのころ)君(きみ)は暹羅(サイアム)漫遊中(まんゆうちゆう)と承(うけたまは)つたが、皈國中(きこくちゆう)、或(ある)人(ひと)の媒介(なかだち)で、同郷(どうきやう)の松島海軍大佐(まつしまかいぐんたいさ)の妹(いもと)を妻(つま)に娶(めと)つて來(き)たのです。これは既(すで)に十年(ねん)から前(まへ)の事(こと)で、其後(そのゝち)に生(うま)れた兒(こ)も最早(もはや)八歳(はつさい)になりますが、さて、私(わたくし)の日頃(ひごろ)の望(のぞみ)は、自分(じぶん)は斯(か)うして、海外(かいぐわい)に一商人(いつしやうにん)として世(よ)に立(た)つて居(を)るものゝ、小兒(せうに)丈(だ)けはどうか日本帝國(につぽんていこく)の干城(まもり)となる有爲(りつぱ)な海軍々人(かいぐん/″\じん)にして見(み)たい、夫(それ)につけても、日本人(にほんじん)の子(こ)は日本(にほん)の國土(こくど)で教育(けういく)しなければ從(したがつ)て愛國心(あいこくしん)も薄(うす)くなるとは私(わたくし)の深(ふか)く感(かん)ずる所(ところ)で、幸(さいは)ひ妻(つま)の兄(あに)は本國(ほんこく)で相當(さうたう)の軍人(ぐんじん)であれば、其人(そのひと)の手許(てもと)に送(おく)つて、教育(けういく)萬端(ばんたん)の世話(せわ)を頼(たの)まうと、餘程(よほど)以前(いぜん)から考(かんが)へて居(を)つたのですが、どうも然(しか)る可(べ)き機會(きくわい)を得(え)なかつた。然(しか)るに今月(こんげつ)の初旬(はじめ)、本國(ほんごく)から届(とゞ)いた郵便(ゆうびん)によると、妻(つま)の令兄(あに)なる松島海軍大佐(まつしまかいぐんたいさ)は、兼(かね)て帝國軍艦高雄(ていこくぐんかんたかを)の艦長(かんちやう)であつたが、近頃(ちかごろ)病氣(びやうき)の爲(た)めに待命中(たいめいちゆう)の由(よし)、勿論(もちろん)危篤(きとく)といふ程(ほど)の病氣(びやうき)ではあるまいが、妻(つま)も唯(たゞ)一人(ひとり)の兄(あに)であれば、能(あた)ふ事(こと)なら自(みづか)ら見舞(みまひ)もし、久(ひさし)ぶりに故山(こざん)の月(つき)をも眺(なが)めたいとの願望(ねがひ)、丁度(ちやうど)小兒(せうに)のこともあるので、然(しか)らば此(この)機會(をり)にといふので、二人(ふたり)は今夜(こんや)の十一時(じ)半(はん)の弦月丸(げんげつまる)で出發(しゆつぱつ)といふ事(こと)になつたのです。無論(むろん)、妻(つま)は大佐(たいさ)の病氣(びやうき)次第(しだい)で早(はや)かれ遲(おそ)かれ歸(かへ)つて來(き)ますが、兒(こ)は永(なが)く/\――日本帝國(につぽんていこく)の天晴(あつぱ)れ軍人(ぐんじん)として世(よ)に立(た)つまでは、芙蓉(ふよう)の峯(みね)の麓(ふもと)を去(さ)らせぬ積(つもり)です。』と、語(かた)り終(をは)つて、彼(かれ)は靜(しづ)かに私(わたくし)の顏(かほ)を眺(なが)め
『で、君(きみ)も今夜(こんや)の御出帆(ごしゆつぱん)ならば、船(ふね)の中(なか)でも、日本(につぽん)へ皈(かへ)つて後(のち)も、何呉(なにく)れ御面倒(ごめんどう)を願(ねが)ひますよ。』
此(この)話(はなし)で何事(なにごと)も分明(ぶんめい)になつた。それに就(つ)けても濱島武文(はまじまたけぶみ)は昔(むかし)ながら壯快(おもしろ)い氣象(きしやう)だ、たゞ一人(ひとり)の兒(こ)を帝國(ていこく)の軍人(ぐんじん)に養成(ようせい)せんが爲(た)めに恩愛(おんあい)の覊(きづな)を斷切(たちき)つて、本國(ほんごく)へ送(おく)つてやるとは隨分(ずゐぶん)思(おも)ひ切(き)つた事(こと)だ。また松島海軍大佐(まつしまかいぐんたいさ)の令妹(れいまい)なる彼(かれ)の夫人(ふじん)にはまだ面會(めんくわい)はせぬが、兄君(あにぎみ)の病床(やまひ)を見舞(みま)はんが爲(た)めに、暫時(しばし)でも其(その)良君(おつと)に別(わかれ)を告(つ)げ、幼(いとけな)き兒(こ)を携(たづさ)へて、浪風(なみかぜ)荒(あら)き萬里(ばんり)の旅(たび)に赴(おもむ)くとは仲々(なか/\)殊勝(しゆしよう)なる振舞(ふるまひ)よと、心(こゝろ)竊(ひそ)かに感服(かんぷく)するのである。更(さら)に想(おも)ひめぐらすと此度(このたび)の事件(こと)は、何(なに)から何(なに)まで小説(せうせつ)のやうだ。海外(かいぐわい)萬里(ばんり)の地(ち)で、ふとした事(こと)から昔馴染(むかしなじみ)の朋友(ともだち)に出逢(であ)つた事(こと)、それから私(わたくし)は此(この)港(みなと)へ來(き)た時(とき)は、恰(あだか)も彼(かれ)の夫人(ふじん)と令息(れいそく)とが此處(こゝ)を出發(しゆつぱつ)しやうといふ時(とき)で、申合(まうしあは)せたでもなく、同(おな)じ時(とき)に、同(おな)じ船(ふね)に乘(の)つて、之(これ)から數(すう)ヶ月(げつ)の航海(かうかい)を倶(とも)にするやうな運命(うんめい)に立到(たちいた)つたのは、實(じつ)に濱島(はまじま)の云(い)ふが如(ごと)く、之(これ)が不思議(ふしぎ)なる天(てん)の紹介(ひきあはせ)とでもいふものであらう、斯(か)う思(おも)つて、暫時(しばし)或(ある)想像(さうざう)に耽(ふけ)つて居(ゐ)る時(とき)、忽(たちま)ち部室(へや)の戸(と)を靜(しづ)かに開(ひら)いて入(いり)來(きた)つた二個(ふたり)の人(ひと)がある。言(い)ふ迄(まで)もない、夫人(ふじん)と其(その)愛兒(あいじ)だ。濱島(はまじま)は立(た)つて
『これが私(わたくし)の妻(つま)春枝(はるえ)。』と私(わたくし)に紹介(ひきあは)せ、更(さら)に夫人(ふじん)に向(むか)つて、私(わたくし)と彼(かれ)とが昔(むかし)おなじ學(まな)びの友(とも)であつた事(こと)、私(わたくし)が今回(こんくわい)の旅行(りよかう)の次第(しだい)、また之(これ)から日本(につぽん)まで夫人等(ふじんら)と航海(かうかい)を共(とも)にするやうになつた不思議(ふしぎ)の縁(ゆかり)を言葉(ことば)短(みじか)に語(かた)ると、夫人(ふじん)は『おや。』と言(い)つたまゝいと懷(なつ)かし氣(げ)に進(すゝ)み寄(よ)る。年(とし)の頃(ころ)廿六七、眉(まゆ)の麗(うる)はしい口元(くちもと)の優(やさ)しい丁度(ちやうど)天女(てんによ)の樣(やう)な美人(びじん)、私(わたくし)は一目(ひとめ)見(み)て、此(この)夫人(ふじん)は其(その)容姿(すがた)の如(ごと)く、心(こゝろ)も美(うる)はしく、世(よ)にも高貴(けだか)き婦人(ふじん)と思(おも)つた。
一通(ひとゝほ)りの挨拶(あいさつ)終(をは)つて後(のち)、夫人(ふじん)は愛兒(あいじ)を麾(さしまね)くと、招(まね)かれて臆(をく)する色(いろ)もなく私(わたくし)の膝許(ひざもと)近(ちか)く進(すゝ)み寄(よ)つた少年(せうねん)、年齡(とし)は八歳(さい)、名(な)は日出雄(ひでを)と呼(よ)ぶ由(よし)、清楚(さつぱり)とした水兵(すいへい)風(ふう)の洋服(ようふく)姿(すがた)で、髮(かみ)の房々(ふさ/″\)とした、色(いろ)のくつきりと白(しろ)い、口元(くちもと)は父君(ちゝぎみ)の凛々(りゝ)しきに似(に)、眼元(めもと)は母君(はゝぎみ)の清(すゞ)しきを其儘(そのまゝ)に、見(み)るから可憐(かれん)の少年(せうねん)。私(わたくし)は端(はし)なくも、昨夜(ゆふべ)ローマ府(ふ)からの※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)車(きしや)の中(なか)で讀(よ)んだ『小公子(リツトルロー、トフオントルローイ)』といふ小説(せうせつ)中(ちう)の、あの愛(あい)らしい/\小主人公(せうしゆじんこう)を聯想(れんさう)した。
日出雄少年(ひでをせうねん)は海外(かいぐわい)萬里(ばんり)の地(ち)に生(うま)れて、父母(ちゝはゝ)の外(ほか)には本國人(ほんこくじん)を見(み)る事(こと)も稀(まれ)なる事(こと)とて、幼(いとけな)き心(こゝろ)にも懷(なつ)かしとか、※(「りっしんべん+喜」、第4水準2-12-73)(うれ)しとか思(おも)つたのであらう、其(その)清(すゞ)しい眼(め)で、しげ/\と私(わたくし)の顏(かほ)を見上(みあ)げて居(を)つたが
『おや、叔父(おぢ)さんは日本人(につぽんじん)!。』と言(い)つた。
『私(わたくし)は日本人(につぽんじん)ですよ、日出雄(ひでを)さんと同(おな)じお國(くに)の人(ひと)ですよ。』と私(わたくし)は抱(いだ)き寄(よ)せて
『日出雄(ひでを)さんは日本人(につぽんじん)が好(す)きなの、日本(につぽん)のお國(くに)を愛(あい)しますか。』と問(と)ふと少年(せうねん)は元氣(げんき)よく
『あ、私(わたくし)は日本(につぽん)が大好(だいす)きなんですよ、日本(につぽん)へ皈(かへ)りたくつてなりませんの[#「なりませんの」は底本では「なりせまんの」]、でねえ、毎日(まいにち)/\日(ひ)の丸(まる)の旗(はた)を立(た)てゝ、街(まち)で[#「街(まち)で」は底本では「街(まち)て」]戰爭事(いくさごつこ)をしますの、爾(そ)してねえ、日(ひ)の丸(まる)の旗(はた)は強(つよ)いのですよ、何時(いつ)でも勝(か)つてばつかり居(ゐ)ますの。』
『おゝ、左樣(さう)でせうとも/\。』と私(わたくし)は餘(あま)りの可愛(かあい)さに少年(せうねん)を頭上(づじやう)高(たか)く差(さ)し上(あ)げて、大日本帝國(だいにつぽんていこく)萬歳(ばんざい)と※(さけ)[#「口+斗」、8-11]ぶと、少年(せうねん)も私(わたくし)の頭(つむり)の上(うへ)で萬歳々々(ばんざい/″\)と小躍(こをどり)をする。濱島(はまじま)は浩然(かうぜん)大笑(たいせう)した、春枝夫人(はるえふじん)は眼(め)を細(ほそ)うして
『あら、日出雄(ひでを)は、ま、どんなに※(「りっしんべん+喜」、第4水準2-12-73)(うれ)しいんでせう。』と言(い)つて、紅(くれない)のハンカチーフに笑顏(えかほ)を蔽(お)ふた。

    第二回 魔(ま)の日(ひ)魔(ま)の刻(こく)
送別會――老女亞尼(アンニー)――ウルピノ山の聖人――十月の祟の日――黄金と眞珠――月夜の出港
 それから談話(はなし)にはまた一段(いちだん)の花(はな)が咲(さ)いて、日永(ひなが)の五月(ぐわつ)の空(そら)もいつか夕陽(ゆうひ)が斜(なゝめ)に射(さ)すやうにあつたので、私(わたくし)は一先(ひとま)づ暇乞(いとまごひ)せんと折(をり)を見(み)て『いづれ今夜(こんや)弦月丸(げんげつまる)にて――。』と立(た)ちかけると、濱島(はまじま)は周章(あはて)て押止(おしとゞ)め
『ま、ま、お待(ま)ちなさい、お待(ま)ちなさい、今(いま)から旅亭(やどや)へ皈(かへ)つたとて何(なに)になります。久(ひさし)ぶりの面會(めんくわい)なるを今日(けふ)は足(た)る程(ほど)語(かた)つて今夜(こんや)の御出發(ごしゆつぱつ)も是非(ぜひ)に私(わたくし)の家(いへ)より。』と夫人(ふじん)とも/″\切(せつ)に勸(すゝ)めるので、元來(ぐわんらい)無遠慮勝(ぶゑんりよがち)の私(わたくし)は、然(さ)らば御意(ぎよゐ)の儘(まゝ)にと、旅亭(やどや)の手荷物(てにもつ)は當家(たうけ)の馬丁(べつとう)を取(と)りに使(つか)はし、此處(こゝ)から三人(みたり)打揃(うちそろ)つて出發(しゆつぱつ)する事(こと)になつた。
いろ/\の厚(あつ)き待遇(もてなし)を受(う)けた後(のち)、夜(よる)の八時(じ)頃(ごろ)になると、當家(たうけ)の番頭(ばんとう)手代(てだい)をはじめ下婢(かひ)下僕(げぼく)に至(いた)るまで、一同(いちどう)が集(あつま)つて送別(そうべつ)の催(もようし)をする相(さう)で、私(わたくし)も招(まね)かれて其(その)席(せき)へ連(つら)なつた。春枝夫人(はるえふじん)は世(よ)にすぐれて慈愛(じひ)に富(と)める人(ひと)、日出雄少年(ひでをせうねん)は彼等(かれら)の間(あひだ)に此上(こよ)なく愛(めで)重(おもん)せられて居(を)つたので、誰(たれ)とて袂別(わかれ)を惜(をし)まぬものはない、然(しか)し主人(しゆじん)の濱島(はまじま)は東洋(とうやう)の豪傑(がうけつ)風(ふう)で、泣(な)く事(こと)などは大厭(だいきらひ)の性質(たち)であるから一同(いちどう)は其(その)心(こゝろ)を酌(く)んで、表面(うはべ)に涙(なみだ)を流(なが)す者(もの)などは一人(ひとり)も無(な)かつた。イヤ、茲(こゝ)に只(たゞ)一人(いちにん)特別(とくべつ)に私(わたくし)の眼(め)に止(とゞま)つた者(もの)があつた。それは席(せき)の末座(まつざ)に列(つらな)つて居(を)つた一個(ひとり)の年老(としをい)たる伊太利(イタリー)の婦人(ふじん)で、此(この)女(をんな)は日出雄少年(ひでをせうねん)の保姆(うば)にと、久(ひさ)しき以前(いぜん)に、遠(とほ)き田舍(ゐなか)から雇入(やとひい)れた女(をんな)の相(さう)で、背(せ)の低(ひく)い、白髮(しらがあたま)の、極(ご)く正直(しやうじき)相(さう)な老女(らうぢよ)であるが、前(さき)の程(ほど)より愁然(しゆうぜん)と頭(かうべ)を埀(た)れて、丁度(ちやうど)死出(しで)の旅路(たびぢ)に行(ゆ)く人(ひと)を送(おく)るかの如(ごと)く、頻(しき)りに涙(なみだ)を流(なが)して居(を)る。
私(わたくし)は何故(なぜ)ともなく異樣(ゐやう)に感(かん)じた。
『オヤ、亞尼(アンニー)がまた詰(つま)らぬ事(こと)を考(かんが)へて泣(な)いて居(を)りますよ。』と、春枝夫人(はるえふじん)は良人(おつと)の顏(かほ)を眺(なが)めた。
頓(やが)て、此(この)集會(つどひ)も終(をは)ると、十時(じ)間近(まぢか)で、いよ/\弦月丸(げんげつまる)へ乘船(のりくみ)の時刻(じこく)とはなつたので、濱島(はまじま)の一家族(いつかぞく)と、私(わたくし)とは同(おな)じ馬車(ばしや)で、多(おほく)の人(ひと)に見送(みおく)られながら波止塲(はとば)に來(きた)り、其邊(そのへん)の或(ある)茶亭(ちやてい)に休憇(きうけい)した、此處(こゝ)で彼等(かれら)の間(あひだ)には、それ/\袂別(わかれ)の言(ことば)もあらうと思(おも)つたので、私(わたくし)は氣轉(きてん)よく一人(ひとり)離(はな)れて波打際(なみうちぎは)へと歩(あゆ)み出(だ)した。
此時(このとき)にふと心付(こゝろつ)くと、何者(なにもの)か私(わたくし)の後(うしろ)にこそ/\と尾行(びかう)して來(く)る樣子(やうす)、オヤ變(へん)だと振返(ふりかへ)る、途端(とたん)に其(その)影(かげ)は轉(まろ)ぶが如(ごと)く私(わたくし)の足許(あしもと)へ走(はし)り寄(よ)つた。見(み)ると、こは先刻(せんこく)送別(そうべつ)の席(せき)で、只(たゞ)一人(ひとり)で泣(な)いて居(を)つた亞尼(アンニー)と呼(よ)べる老女(らうぢよ)であつた。
『おや、お前(まへ)は。』と私(わたくし)は歩行(あゆみ)を止(と)めると、老女(らうぢよ)は今(いま)も猶(な)ほ泣(な)きながら
『賓人(まれびと)よ、お願(ねが)ひで厶(ござ)ります。』と兩手(りやうて)を合(あは)せて私(わたくし)を仰(あほ)ぎ見(み)た。
『お前(まへ)は亞尼(アンニー)とか云(い)つたねえ、何(なん)の用(よう)かね。』と私(わたくし)は靜(しづ)かに問(と)ふた。老女(らうぢよ)は虫(むし)のやうな聲(こゑ)で『賓人(まれびと)よ。』と暫時(しばし)私(わたくし)の顏(かほ)を眺(なが)めて居(を)つたが
『あの、妾(わたくし)の奧樣(おくさま)と日出雄樣(ひでをさま)とは今夜(こんや)の弦月丸(げんげつまる)で、貴方(あなた)と御同道(ごどうだう)に日本(につぽん)へ御出發(ごしゆつぱつ)になる相(さう)ですが、それを御延(の)べになる事(こと)は出來(でき)ますまいか。』と恐(おそ)る/\口(くち)を開(ひら)いたのである。ハテ、妙(めう)な事(こと)を言(い)ふ女(をんな)だと私(わたくし)は眉(まゆ)を顰(ひそ)めたが、よく見(み)ると、老女(らうぢよ)は、何事(なにごと)にか痛(いた)く心(こゝろ)を惱(なや)まして居(を)る樣子(やうす)なので、私(わたくし)は逆(さか)らはない
『左樣(さう)さねえ、もう延(の)ばす事(こと)は出來(でき)まいよ。』と輕(かろ)く言(い)つて
『然(しか)し、お前(まへ)は何故(なぜ)其樣(そんな)に嘆(なげ)くのかね。』と言葉(ことば)やさしく問(と)ひかけると、此(この)一言(いちごん)に老女(らうぢよ)は少(すこ)しく顏(かほ)を擡(もた)げ
『實(じつ)に賓人(まれびと)よ、私(わたくし)はこれ程(ほど)悲(かな)しい事(こと)はありません。はじめて奧樣(おくさま)や日出雄樣(ひでをさま)が、日本(にほん)へお皈(かへ)りになると承(うけたまは)つた時(とき)は本當(ほんたう)に魂消(たまぎ)えましたよ、然(しか)しそれは致方(いたしかた)もありませんが、其後(そのゝち)よく承(うけたまは)ると、御出帆(ごしゆつぱん)の時日(じじつ)は時(とき)もあらうに、今夜(こんや)の十一時(じ)半(はん)……。』といひかけて唇(くちびる)をふるはし
『あの、あの、今夜(こんや)十一時(じ)半(はん)に御出帆(ごしゆつぱん)になつては――。』
『何(なに)、今夜(こんや)の※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)船(きせん)で出發(しゆつぱつ)すると如何(どう)したのだ。』と私(わたくし)は眼(まなこ)を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)(みは)つた。亞尼(アンニー)は胸(むね)の鏡(かゞみ)に手(て)を當(あ)てゝ
『私(わたくし)は神樣(かみさま)に誓(ちか)つて申(まう)しますよ、貴方(あなた)はまだ御存(ごぞん)じはありますまいが、大變(たいへん)な事(こと)があります。此事(このこと)は旦那樣(だんなさま)にも奧樣(おくさま)にも毎度(いくたび)か申上(まうしあ)げて、何卒(どうか)今夜(こんや)の御出帆(ごしゆつぱん)丈(だ)けは御見合(おみあは)せ下(くだ)さいと御願(おねが)ひ申(まう)したのですが、御兩方(おふたり)共(とも)たゞ笑(わら)つて「亞尼(アンニー)や其樣(そんな)に心配(しんぱい)するには及(およ)ばないよ。」と仰(おほ)せあるばかり、少(すこ)しも御聽許(おきゝ)にはならないのです。けれど賓人(まれびと)よ、私(わたくし)はよく存(ぞん)じて居(を)ります、今夜(こんや)の弦月丸(げんげつまる)とかで御出發(ごしゆつぱつ)になつては、奧樣(おくさま)も、日出雄樣(ひでをさま)も、决(けつ)して御無事(ごぶじ)では濟(す)みませんよ。』
『無事(ぶじ)で濟(す)まんとは――。』と私(わたくし)は思(おも)はず釣込(つりこ)まれた。
『はい、决(けつ)して御無事(ごぶじ)には濟(す)みません。』と、亞尼(アンニー)は眞面目(まじめ)になつた、私(わたくし)の顏(かほ)を頼母(たのも)し氣(げ)に見上(みあ)げて
『私(わたくし)は貴方(あなた)を信(しん)じますよ、貴方(あなた)は决(けつ)してお笑(わら)ひになりますまいねえ。』と前置(まへおき)をして斯(か)う言(い)つた。
『ウルピノ山(さん)の聖人(ひじり)の仰(おつしや)つた樣(やう)に、昔(むかし)から色々(いろ/\)の口碑(くちつたへ)のある中(なか)で、船旅(ふなたび)程(ほど)時日(とき)を選(えら)ばねばならぬものはありません、凶日(わるいひ)に旅立(たびだ)つた人(ひと)は屹度(きつと)災難(わざはひ)に出逢(であ)ひますよ。これは本當(ほんたう)です、現(げん)に私(わたくし)の一人(ひとり)の悴(せがれ)も、七八年(ねん)以前(いぜん)の事(こと)、私(わたくし)が切(せつ)に止(と)めるのも聽(き)かで、十月(ぐわつ)の祟(たゝり)の日(ひ)に家出(いへで)をしたばかりに、終(つひ)に世(よ)に恐(おそ)ろしい海蛇(うみへび)に捕(と)られてしまいました。私(わたくし)にはよく分(わか)つて居(ゐ)ますよ。奧樣(おくさま)とて日出雄樣(ひでをさま)とて今夜(こんや)御出帆(ごしゆつぱん)になつたら决(けつ)して御無事(ごぶじ)では濟(す)みません、はい、其(その)理由(わけ)は、今日(けふ)は五月(ぐわつ)の十六日(にち)で魔(ま)の日(ひ)でせう、爾(そ)して、今夜(こんや)の十一時(じ)半(はん)といふは、何(な)んと恐(おそ)ろしいでは御座(ござ)いませんか、魔(ま)の刻限(こくげん)ですもの。』
私(わたくし)は聽(き)きながらプツと吹(ふ)き出(だ)す處(ところ)であつた。けれど老女(らうぢよ)は少(すこ)しも構(かま)はず
『賓人(まれびと)よ、笑(わら)ひ事(ごと)ではありませぬ、魔(ま)の日(ひ)魔(ま)の刻(こく)といふのは、一年中(いちねんちゆう)でも一番(いちばん)に不吉(ふきつ)な時(とき)なのです、他(ほか)の日(ひ)の澤山(たくさん)あるのに、此(この)日(ひ)、此(この)刻限(こくげん)に御出帆(ごしゆつぱん)になるといふのは何(な)んの因果(いんぐわ)でせう、私(わたくし)は考(かんが)へると居(ゐ)ても立(た)つても居(を)られませぬ。其上(そのうへ)、私(わたくし)は懇意(こんい)の船乘(せんどう)さんに聞(き)いて見(み)ますと、今度(こんど)の航海(かうかい)には、弦月丸(げんげつまる)に澤山(たくさん)の黄金(わうごん)と眞珠(しんじゆ)とが積入(つみい)れてあります相(さう)な、黄金(わうごん)と眞珠(しんじゆ)とが波(なみ)の荒(あら)い海上(かいじやう)で集(あつま)ると、屹度(きつと)恐(おそ)ろしい祟(たゝり)を致(いた)します。あゝ、不吉(ふきつ)の上(うへ)にも不吉(ふきつ)。賓人(まれびと)よ、私(わたくし)の心(こゝろ)の千分(せんぶん)の一(いち)でもお察(さつ)しになつたら、どうか奧樣(おくさま)と日出雄樣(ひでをさま)を助(たす)けると思(おも)つて、今夜(こんや)の御出帆(ごしゆつぱん)をお延(の)べ下(くだ)さい。』と拜(おが)まぬばかりに手(て)を合(あは)せた。聽(き)いて見(み)るとイヤハヤ無※(ばか)[#「(禾+尤)/上/日」、22-10]な話(はなし)! 西洋(せいよう)でもいろ/\と縁起(えんぎ)を語(かた)る人(ひと)はあるが、此(この)老女(らうぢよ)のやうなのはまア珍(めづ)らしからう。私(わたくし)は大笑(おほわら)ひに笑(わら)つてやらうと考(かんが)へたが、待(ま)てよ、たとへ迷信(めいしん)でも、其(その)主人(しゆじん)の身(み)の上(うへ)を慮(おも)ふこと斯(か)くまで深(ふか)く、かくも眞面目(まじめ)で居(を)る者(もの)を、無下(むげ)に嘲笑(けな)すでもあるまいと氣付(きづ)いたので、込(こ)み上(あ)げて來(く)る可笑(をかし)さを無理(むり)に怺(こら)えて
『亞尼(アンニー)!。』と一聲(いつせい)呼(よ)びかけた。
『亞尼(アンニー)! お前(まへ)の言(い)ふ事(こと)はよく分(わか)つたよ、其(その)忠實(ちうじつ)なる心(こゝろ)をば御主人樣(ごしゆじんさま)も奧樣(おくさま)もどんなにかお悦(よろこ)びだらう、けれど――。』と彼女(かのぢよ)の顏(かほ)を眺(なが)め
『けれどお前(まへ)の言(い)ふ事(こと)は、みんな昔(むかし)の話(はなし)で、今(いま)では魔(ま)の日(ひ)も祟(たゝり)の日(ひ)も無(な)くなつたよ。』
『あゝ、貴方(あなた)も矢張(やはり)お笑(わら)ひなさるのですか。』と亞尼(アンニー)はいと情(なさけ)なき顏(かほ)に眼(まなこ)を閉(と)ぢた。
『いや、决(けつ)して笑(わら)ふのではないが、其事(そのこと)は心配(しんぱい)するには及(およ)ばぬよ、奧樣(おくさま)も日出雄少年(ひでをせうねん)も、私(わたし)が生命(いのち)にかけて保護(ほご)して上(あ)げる。』と言(い)つたが、亞尼(アンニー)は殆(ほと)んど絶望(ぜつぼう)極(きはま)りなき顏(かほ)で
『あゝ、もう無益(だめ)だよ/\。』とすゝり泣(な)きしながら、むつくと立上(たちあが)り
『神樣(かみさま)、佛樣(ほとけさま)、奧樣(おくさま)と日出雄樣(ひでをさま)の御身(おんみ)をお助(たす)け下(くだ)さい。』と叫(さけ)んだ儘(まゝ)、狂氣(きやうき)の如(ごと)くに走(はし)り去(さ)つた。
丁度(ちやうど)此時(このとき)、休憩所(きうけいしよ)では乘船(のりくみ)の仕度(したく)も整(とゝの)つたと見(み)へ、濱島(はまじま)の頻(しき)りに私(わたくし)を呼(よ)ぶ聲(こゑ)が聽(きこ)えた。

    第三回 怪(あやし)の船(ふね)
銅鑼の響――ビール樽の船長――白色の檣燈――古風な英國人――海賊島の奇聞――海蛇丸
 春枝夫人(はるえふじん)と、日出雄少年(ひでをせうねん)と、私(わたくし)とが、多(おほく)の身送人(みおくりにん)に袂別(わかれ)を告(つ)げて、波止塲(はとば)から凖備(ようい)の小蒸※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)船(こじようきせん)で、遙(はる)かの沖合(おきあひ)に停泊(ていはく)して居(を)る弦月丸(げんげつまる)に乘組(のりく)んだのは其(その)夜(よ)十時(じ)※(す)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、25-2]ぎ三十分(ぷん)。濱島武文(はまじまたけぶみ)と、他(ほか)に三人(みたり)の人(ひと)は本船(ほんせん)まで見送(みおく)つて來(き)た。
此(この)弦月丸(げんげつまる)といふのは、伊太利(イタリー)の東方※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)船會社(とうはうきせんくわいしや)の持船(もちふね)で、噸數(とんすう)六千四百。二本(ほん)の煙筒(えんとう)に四本(ほん)檣(マスト)の頗(すこぶ)る巨大(きよだい)な船(ふね)である、此度(このたび)支那(シナ)及(およ)び日本(につぽん)の各港(かくかう)へ向(むか)つての航海(こうかい)には、夥(おびたゞ)しき鐵材(てつざい)と、黄金(わうごん)眞珠等(しんじゆなど)少(すく)なからざる貴重品(きちやうひん)を搭載(たうさい)して居(を)る相(さう)で、其(その)船脚(ふなあし)も餘程(よほど)深(ふか)く沈(しづ)んで見(み)えた。
弦月丸(げんげつまる)の舷梯(げんてい)へ達(たつ)すると、私共(わたくしども)の乘船(じやうせん)の事(こと)は既(すで)に乘客(じやうきやく)名簿(めいぼ)で分(わか)つて居(を)つたので、船丁(ボーイ)は走(はし)つて來(き)て、急(いそが)はしく荷物(にもつ)を運(はこ)ぶやら、接待員(せつたいゐん)は恭(うや/\)しく帽(ぼう)を脱(だつ)して、甲板(かんぱん)に混雜(こんざつ)せる夥多(あまた)の人(ひと)を押分(おしわけ)るやらして、吾等(われら)は導(みちび)かれて船(ふね)の中部(ちゆうぶ)に近(ちか)き一等(とう)船室(せんしつ)に入(い)つた。どの※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)船(きせん)でも左樣(さう)だが、同(おな)じ等級(とうきふ)の船室(キヤビン)の中(うち)でも、中部(ちゆうぶ)の船室(キヤビン)は最(もつと)も多(おほ)く人(ひと)の望(のぞ)む所(ところ)である。何故(なぜ)かと言(い)へば航海中(かうかいちゆう)船(ふね)の動搖(どうえう)を感(かん)ずる事(こと)が比較的(ひかくてき)に少(すく)ない爲(ため)で、此(この)室(へや)を占領(せんりやう)する爲(ため)には虎鬚(とらひげ)の獨逸人(ドイツじん)や、羅馬風(ローマンスタイル)の鼻(はな)の高(たか)い佛蘭西人等(フランスじんとう)に隨分(ずゐぶん)競爭者(きようそうしや)が澤山(たくさん)あつたが、幸(さいはひ)にもネープルス市(し)中(ちゆう)で「富貴(ふうき)なる日本人(につぽんじん)。」と盛名(せいめい)隆々(りう/\)たる濱島武文(はまじまたけぶみ)の特別(とくべつ)なる盡力(じんりよく)があつたので、吾等(われら)は遂(つひ)に此(この)最上(さいじやう)の船室(キヤビン)を占領(せんりやう)する事(こと)になつた。加(くわ)ふるに春枝夫人(はるえふじん)、日出雄少年(ひでをせうねん)の部室(へや)と私(わたくし)の部室(へや)とは直(す)ぐ隣合(となりあ)つて居(を)つたので萬事(ばんじ)に就(つ)いて都合(つがう)が宜(よ)からうと思(おも)はるゝ。
私(わたくし)は元來(ぐわんらい)膝栗毛的(ひざくりげてき)の旅行(りよかう)であるから、何(なに)も面倒(めんだう)はない、手提革包(てさげかばん)一個(ひとつ)を船室(キヤビン)の中(なか)へ投込(なげこ)んだまゝ直(す)ぐ春枝夫人等(はるえふじんら)の船室(キヤビン)へ訪(おと)づれた。此時(このとき)夫人(ふじん)は少年(せうねん)を膝(ひざ)に上(の)せて、其(その)良君(をつと)や他(ほか)の三人(みたり)を相手(あひて)に談話(はなし)をして居(を)つたが、私(わたくし)の姿(すがた)を見(み)るより
『おや、もうお片附(かたづき)になりましたの。』といつて嬋娟(せんけん)たる姿(すがた)は急(いそ)ぎ立(た)ち迎(むか)へた。
『なあに、柳川君(やながはくん)には片附(かたづ)けるやうな荷物(にもつ)もないのさ。』と濱島(はまじま)は聲(こゑ)高(たか)く笑(わら)つて『さあ。』とすゝめた倚子(ゐす)によつて、私(わたくし)も此(この)仲間(なかま)入(いり)。最早(もはや)袂別(わかれ)の時刻(じこく)も迫(せま)つて來(き)たので、いろ/\の談話(はなし)はそれからそれと盡(つ)くる間(ま)も無(な)かつたが、兎角(とかく)する程(ほど)に、ガラン、ガラ、ガラン、ガラ、と船中(せんちゆう)に布(ふ)れ廻(まは)る銅鑼(どら)の響(ひゞき)が囂(かまびす)しく聽(きこ)えた。
『あら、あら、あの音(おと)は――。』と日出雄少年(ひでをせうねん)は眼(め)をまん丸(まる)にして母君(はゝぎみ)の優(やさ)しき顏(かほ)を仰(あふ)ぐと、春枝夫人(はるえふじん)は默然(もくねん)として、其(その)良君(をつと)を見(み)る。濱島武文(はまじまたけぶみ)は靜(しづ)かに立上(たちあが)つて
『もう、袂別(おわかれ)の時刻(じこく)になつたよ。』と他(た)の三人(みたり)を顧見(かへりみ)た。
すべて、海上(かいじやう)の規則(きそく)では、船(ふね)の出港(しゆつかう)の十分(ぷん)乃至(ないし)十五分(ふん)前(まへ)に、船中(せんちう)を布(ふ)れ廻(まは)る銅鑼(どら)の響(ひゞき)の聽(きこ)ゆると共(とも)に本船(ほんせん)を立去(たちさ)らねばならぬのである。で、濱島(はまじま)は此時(このとき)最早(もはや)此(この)船(ふね)を去(さ)らんとて私(わたくし)の手(て)を握(にぎ)りて袂別(わかれ)の言葉(ことば)厚(あつ)く、夫人(ふじん)にも二言(ふたこと)三言(みこと)云(い)つた後(のち)、その愛兒(あいじ)をば右手(めて)に抱(いだ)き寄(よ)せて、其(その)房々(ふさ/″\)とした頭髮(かみのけ)を撫(な)でながら
『日出雄(ひでを)や、汝(おまへ)と父(ちゝ)とは、之(これ)から長時(しばらく)の間(あひだ)別(わか)れるのだが、汝(おまへ)は兼々(かね/″\)父(ちゝ)の言(い)ふやうに、世(よ)に俊(すぐ)れた人(ひと)となつて――有爲(りつぱ)な海軍士官(かいぐんしくわん)となつて、日本帝國(につぽんていこく)の干城(まもり)となる志(こゝろ)を忘(わす)れてはなりませんよ。』と言(い)ひ終(をは)つて、少年(せうねん)が默(だま)つて點頭(うなづ)くのを笑(え)まし氣(げ)に打(う)ち見(み)やりつゝ、他(た)の三人(みたり)を促(うなが)して船室(キヤビン)を出(で)た。
先刻(せんこく)は見送(みおく)られた吾等(われら)は今(いま)は彼等(かれら)を此(この)船(ふね)より送(おく)り出(いだ)さんと、私(わたくし)は右手(めて)に少年(せうねん)を導(みちび)き、流石(さすが)に悄然(せうぜん)たる春枝夫人(はるえふじん)を扶(たす)けて甲板(かんぱん)に出(で)ると、今宵(こよひ)は陰暦(いんれき)十三夜(や)、深碧(しんぺき)の空(そら)には一片(ぺん)の雲(くも)もなく、月(つき)は浩々(かう/\)と冴(さ)え渡(わた)りて、加(くは)ふるに遙(はる)かの沖(おき)に停泊(ていはく)して居(を)る三四艘(そう)の某(ぼう)國(こく)軍艦(ぐんかん)からは、始終(しじゆう)探海電燈(サーチライト)をもつて海面(かいめん)を照(てら)して居(を)るので、其(その)明(あきらか)なる事(こと)は白晝(まひる)を欺(あざむ)くばかりで、波(なみ)のまに/\浮沈(うきしづ)んで居(を)る浮標(ブイ)の形(かたち)さへいと明(あきらか)に見(み)える程(ほど)だ。
濱島(はまじま)は船(ふね)の舷梯(げんてい)まで到(いた)つた時(とき)、今(いま)一度(ど)此方(こなた)を振返(ふりかへ)つて、夫人(ふじん)とその愛兒(あいじ)との顏(かほ)を打眺(うちなが)めたが、何(なに)か心(こゝろ)にかゝる事(こと)のあるが如(ごと)く私(わたくし)に瞳(ひとみ)を轉(てん)じて
『柳川君(やながはくん)、然(さ)らば之(これ)にてお別(わか)れ申(まう)すが、春枝(はるえ)と日出雄(ひでを)の事(こと)は何分(なにぶん)にも――。』と彼(かれ)は日頃(ひごろ)の豪壯(がうさう)なる性質(せいしつ)には似合(にあ)はぬ迄(まで)、氣遣(きづか)はし氣(げ)に、恰(あだか)も何者(なにもの)か空中(くうちゆう)に力強(ちからつよ)き腕(うで)のありて、彼(かれ)を此(この)塲(ば)に捕(とら)へ居(を)るが如(ごと)くいとゞ立去(たちさ)り兼(か)ねて見(み)へた。之(これ)が俗(ぞく)に謂(い)ふ虫(むし)の知(し)らせとでもいふものであらうかと、後(のち)に思(おも)ひ當(あた)つたが、此時(このとき)はたゞ離別(りべつ)の情(じやう)さこそと思(おも)ひ遣(や)るばかりで、私(わたくし)は打點頭(うちうなづ)き『濱島君(はまじまくん)よ、心豐(こゝろゆた)かにいよ/\榮(さか)え玉(たま)へ、君(きみ)が夫人(ふじん)と愛兒(あいじ)の御身(おんみ)は、此(この)柳川(やながは)の生命(いのち)にかけても守護(しゆご)しまいらすべし。』と答(こた)へると彼(かれ)は莞爾(につこ)と打笑(うちえ)み、こも/″\三人(みたり)と握手(あくしゆ)して、其儘(そのまゝ)舷梯(げんてい)を降(くだ)り、先刻(せんこく)から待受(まちう)けて居(を)つた小蒸※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)船(こじやうきせん)に身(み)を移(うつ)すと、小蒸※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)船(こじやうきせん)は忽(たちま)ち波(なみ)を蹴立(けた)てゝ、波止塲(はとば)の方(かた)へと歸(かへ)つて行(ゆ)く、其(その)仇浪(あだなみ)の立騷(たちさわ)ぐ邊(ほとり)海鳥(かいてう)二三羽(ば)夢(ゆめ)に鳴(な)いて、うたゝ旅客(たびゞと)の膓(はらわた)を斷(た)つばかり、日出雄少年(ひでをせうねん)は無邪氣(むじやき)である
『あら、父君(おとつさん)は單獨(ひとり)で何處(どこ)へいらつしやつたの、もうお皈(かへ)りにはならないのですか。』と母君(はゝぎみ)の纎手(て)に依(よ)りすがると春枝夫人(はるえふじん)は凛々(りゝ)しとはいひ、女心(をんなごゝろ)のそゞろに哀(あはれ)を催(もよほ)して、愁然(しゆうぜん)と見送(みおく)る良人(をつと)の行方(ゆくかた)、月(つき)は白晝(まひる)のやうに明(あきらか)だが、小蒸※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)船(こじようきせん)の形(かたち)は次第々々(しだい/\)に朧(おぼろ)になつて、殘(のこ)る煙(けむり)のみぞ長(なが)き名殘(なごり)を留(とゞ)めた。
『夫人(おくさん)、すこし、甲板(デツキ)の上(うへ)でも逍遙(さんぽ)して見(み)ませうか。』と私(わたくし)は二人(ふたり)を誘(いざな)つた。かく氣(き)の沈(しづ)んで居(を)る時(とき)には、賑(にぎ)はしき光景(くわうけい)にても眺(なが)めなば、幾分(いくぶん)か心(こゝろ)を慰(なぐさ)むる因(よすが)ともならんと考(かんが)へたので、私(わたくし)は兩人(ふたり)を引連(ひきつ)れて、此時(このとき)一番(ばん)に賑(にぎ)はしく見(み)えた船首(せんしゆ)の方(かた)へ歩(ほ)を移(うつ)した。
最早(もはや)、出港(しゆつかう)の時刻(じこく)も迫(せま)つて居(を)る事(こと)とて、此邊(このへん)は仲々(なか/\)の混雜(こんざつ)であつた。輕(かろ)き服裝(ふくさう)せる船丁等(ボーイら)は宙(ちう)になつて驅(か)けめぐり、逞(たく)ましき骨格(こつかく)せる夥多(あまた)の船員等(せんゐんら)は自己(おの)が持塲(もちば)/\に列(れつ)を作(つく)りて、後部(こうぶ)の舷梯(げんてい)は既(すで)に引揚(ひきあ)げられたり。今(いま)しも船首甲板(せんしゆかんぱん)に於(お)ける一等運轉手(チーフメート)の指揮(しき)の下(した)に、はや一團(だん)の水夫等(すいふら)は捲揚機(ウインチ)の周圍(しゆうゐ)に走(は)せ集(あつま)つて、次(つぎ)の一令(れい)と共(とも)に錨鎖(べうさ)を卷揚(まきあ)げん身構(みがまへ)。船橋(せんけう)の上(うへ)にはビール樽(だる)のやうに肥滿(ひまん)した船長(せんちやう)が、赤(あか)き頬髯(ほゝひげ)を捻(ひね)りつゝ傲然(がうぜん)と四方(はう)を睥睨(へいげい)して居(を)る。私(わたくし)は三々五々(さん/\ごゞ)群(むれ)をなして、其處此處(そここゝ)に立(た)つて居(を)る、顏色(いろ)の際立(きはだ)つて白(しろ)い白耳義人(ベルギーじん)や、「コスメチツク」で鼻髯(ひげ)を劍(けん)のやうに塗(ぬ)り固(かた)めた佛蘭西(フランス)の若紳士(わかしんし)や、あまりに酒(さけ)を飮(の)んで酒(さけ)のために鼻(はな)の赤(あか)くなつた獨逸(ドイツ)の陸軍士官(りくぐんしくわん)や、其他(そのほか)美人(びじん)の標本(へうほん)ともいふ可(べ)き伊太利(イタリー)の女俳優(をんなはいゆう)や、色(いろ)の無暗(むやみ)に黒(くろ)い印度(インド)邊(へん)の大富豪(おほがねもち)の船客等(せんきやくら)の間(あひだ)に立交(たちまじら)つて、此(この)目醒(めざ)ましき光景(くわうけい)を見廻(みまは)しつゝ、春枝夫人(はるえふじん)とくさ/″\の物語(ものがたり)をして居(を)つたが、此時(このとき)不意(ふい)にだ、實(じつ)に不意(ふい)に私(わたくし)の背部(うしろ)で、『や、や、や、しまつたゾ。』と一度(いちど)に※(さけ)[#「口+斗」、32-5]ぶ水夫(すゐふ)の聲(こゑ)、同時(どうじ)に物(もの)あり、甲板(かんぱん)に落(お)ちて微塵(みじん)に碎(くだ)けた物音(ものおと)のしたので、私(わたくし)は急(いそ)ぎ振返(ふりかへ)つて見(み)ると、其處(そこ)では今(いま)しも、二三の水夫(すゐふ)が滑車(くわつしや)をもつて前檣(ぜんしやう)高(たか)く掲(かゝ)げんとした一個(いつこ)の白色燈(はくしよくとう)――それは船(ふね)が航海中(かうかいちゆう)、安全(あんぜん)進航(しんかう)の表章(ひやうしよう)となるべき球形(きゆうけい)の檣燈(しやうとう)が、何(なに)かの機會(はづみ)で糸(いと)の縁(えん)を離(はな)れて、檣上(しやうじやう)二十呎(フヒート)ばかりの所(ところ)から流星(りうせい)の如(ごと)く落下(らくか)して、あはやと言(い)ふ間(ま)に船長(せんちやう)が立(た)てる船橋(せんけう)に衝(あた)つて、燈(とう)は微塵(みじん)に碎(くだ)け、燈光(とうくわう)はパツと消(き)える、船長(せんちやう)驚(おどろ)いて身(み)を躱(かわ)す拍子(へうし)に足(あし)踏滑(ふみすべ)らして、船橋(せんけう)の階段(かいだん)を二三段(だん)眞逆(まつさかさま)に落(お)ちた。水夫(すゐふ)共(ども)は『あツ』とばかり顏(かほ)の色(いろ)を變(かへ)た。船長(せんちやう)は周章(あは)てゝ起上(おきあが)つたが、怒氣(どき)滿面(まんめん)、けれど自己(おの)が醜態(しゆうたい)に怒(おこ)る事(こと)も出來(でき)ず、ビール樽(だる)のやうな腹(はら)に手(て)を當(あ)てゝ、物凄(ものすご)い眼(まなこ)に水夫(すゐふ)共(ども)を睨(にら)み付(つ)けると、此時(このとき)私(わたくし)の傍(かたはら)には鬚(ひげ)の長(なが)い、頭(あたま)の禿(はげ)た、如何(いか)にも古風(こふう)らしい一個(ひとり)の英國人(エイこくじん)が立(た)つて居(を)つたが、此(この)活劇(ありさま)を見(み)るより、ぶるぶると身慄(みぶるひ)して
『あゝ、あゝ、縁起(えんぎ)でもない、南無阿彌陀佛(なむあみだぶつ)! 此(この)船(ふね)に惡魔(あくま)が魅(みいつ)て居(ゐ)なければよいが。』と呟(つぶや)いた。
えい。また御幣(ごへい)擔(かつ)ぎ! 今日(けふ)は何(な)んといふ日(ひ)だらう。
勿論(もちろん)、此樣(こんな)事(こと)には何(なに)も深(ふか)い仔細(しさい)のあらう筈(はづ)はない。つまり偶然(ぐうぜん)の出來事(できごと)には相違(さうゐ)ないのだが、私(わたくし)は何(なん)となく異樣(ゐやう)に感(かん)じたよ。誰(たれ)でも左樣(さう)だが、戰爭(いくさ)の首途(かどで)とか、旅行(たび)の首途(かどで)に少(すこ)しでも變(へん)な事(こと)があれば、多少(たせう)氣(き)に懸(か)けずには居(を)られぬのである。特(こと)に我(わが)弦月丸(げんげつまる)は今(いま)や萬里(ばんり)の波濤(はたう)を志(こゝろざ)して、音(おと)に名高(なだか)き地中海(ちちゆうかい)、紅海(こうかい)、印度洋等(インドやうとう)の難所(なんしよ)に進(すゝ)み入(い)らんとする其(その)首途(かどで)に、※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)船(きせん)が安全(あんぜん)航行(かうかう)の表章(しるし)となるべき白色檣燈(はくしよくしやうとう)が微塵(みじん)に碎(くだ)けて、其(その)燈光(ともしび)は消(き)え、同時(どうじ)に、此(この)船(ふね)の主長(しゆちやう)ともいふべき船長(せんちやう)が船橋(せんけう)より墮落(ついらく)して、心(こゝろ)の不快(ふくわい)を抱(いだ)き、顏(かほ)に憤怒(ふんぬ)の相(さう)を現(あら)はしたなど、或(ある)意味(いみ)からいふと、何(なに)か此(この)弦月丸(げんげつまる)に禍(わざはひ)の起(おこ)る其(その)前兆(ぜんてう)ではあるまいかと、どうも好(よ)い心持(こゝち)はしなかつたのである。無論(むろん)此樣(こん)な妄想(もうざう)は、平生(いつも)ならば苦(く)もなく打消(うちけ)されるのだが、今日(けふ)は先刻(せんこく)から亞尼(アンニー)が、魔(ま)の日(ひ)だの魔(ま)の刻(こく)だのと言(い)つた言葉(ことば)や、濱島(はまじま)が日頃(ひごろ)に似(に)ぬ氣遣(きづか)はし氣(げ)なりし樣子(やうす)までが、一時(いちじ)に心(こゝろ)に浮(うか)んで來(き)て、非常(ひじやう)に變(へん)な心地(こゝち)がしたので、寧(むし)ろ此(この)塲(ば)を立去(たちさ)らんと、春枝夫人(はるえふじん)を見返(みか)へると、夫人(ふじん)も今(いま)の有樣(ありさま)と古風(こふう)なる英國人(エイこくじん)の獨言(ひとりごと)には幾分(いくぶん)か不快(ふくわい)を感(かん)じたと見(み)へ
『あの艫(とも)の方(はう)へでもいらつしやいませんか。』と私(わたくし)を促(うなが)しつゝ蓮歩(れんぽ)を彼方(かなた)へ移(うつ)した。
頓(やが)て船尾(せんび)の方(かた)へ來(き)て見(み)ると、此處(こゝ)は人影(ひとかげ)も稀(まれ)で、既(すで)に洗淨(せんじよう)を終(をは)つて、幾分(いくぶん)の水氣(すゐき)を帶(お)びて居(を)る甲板(かんぱん)の上(うへ)には、月(つき)の色(ひかり)も一段(いちだん)と冴渡(さへわた)つて居(を)る。
『矢張(やはり)靜(しづ)かな所(ところ)が宜(よ)う厶(ござ)いますねえ。』と春枝夫人(はるえふじん)は此時(このとき)淋(さび)しき笑(えみ)を浮(うか)べて、日出雄少年(ひでをせうねん)と共(とも)にずつと船端(せんたん)へ行(い)つて、鐵欄(てすり)に凭(もた)れて遙(はる)かなる埠頭(はとば)の方(はう)を眺(なが)めつゝ
『日出雄(ひでを)や、あの向(むか)ふに見(み)える高(たか)い山(やま)を覺(おぼ)えておいでかえ。』と住馴(すみな)れし子ープルス市街(まち)の東南(とうなん)に聳(そび)ゆる山(やま)を指(ゆびざ)すと、日出雄少年(ひでをせうねん)は
『モリス山(ざん)でせう、私(わたくし)はよつく覺(おぼ)えて居(ゐ)ますよ。』とパツチリとした眼(め)で母君(はゝぎみ)の顏(かほ)を見上(みあ)げた。
『おゝ、それなら、あの電氣燈(でんきとう)が澤山(たくさん)に輝(かゞや)いて、大(おほ)きな煙筒(けむりだし)が五本(ほん)も六本(ぽん)も並(なら)んで居(を)る處(ところ)は――。』
『サンガロー街(まち)――おつかさん、私(わたくし)の家(いへ)も彼處(あそこ)にあるんですねえ。』と少年(せうねん)は兩手(りようて)を鐵欄(てすり)の上(うへ)に載(の)せて
『父君(おとつさん)はもう家(うち)へお皈(かへ)りになつたでせうか。』
『おゝ、お皈(かへ)りになりましたとも、そして今頃(いまごろ)は、あの保姆(ばあや)や、番頭(ばんとう)のスミスさんなんかに、お前(まへ)が温順(おとな)しくお船(ふね)に乘(の)つて居(を)る事(こと)を話(はな)していらつしやるでせう。』と言葉(ことば)やさしく愛兒(あいじ)の房々(ふさ/″\)せる頭髮(かみのけ)に玉(たま)のやうなる頬(ほゝ)をすり寄(よ)せて、餘念(よねん)もなく物語(ものがた)る、これが夫人(ふじん)の爲(た)めには、唯一(ゆいいつ)の慰(なぐさみ)であらう。かゝる優(やさ)しき振舞(ふるまひ)を妨(さまた)ぐるは、心(こゝろ)なき業(わざ)と思(おも)つたから、私(わたくし)は態(わざ)と其處(そこ)へは行(ゆ)かず、少(すこ)し離(はな)れてたゞ一人(ひとり)安樂倚子(アームチエヤー)の上(うへ)へ身(み)を横(よこた)へて、四方(よも)の風景(けしき)を見渡(みわた)すと、今宵(こよひ)は月(つき)明(あきら)かなれば、さしもに廣(ひろ)きネープルス灣(わん)も眼界(がんかい)到(いた)らぬ隈(くま)はなく、おぼろ/\に見(み)ゆるイスチヤの岬(みさき)には廻轉燈明臺(くわいてんとうめうだい)の見(み)えつ、隱(かく)れつ、天(てん)に聳(そび)ゆるモリス山(ざん)の頂(いたゞき)にはまだ殘(のこん)の雪(ゆき)の眞白(ましろ)なるに、月(つき)の光(ひかり)のきら/\と反射(はんしや)して居(を)るなど得(え)も言(い)はれず、港内(かうない)は電燈(でんとう)の光(ひかり)煌々(くわう/\)たる波止塲(はとば)の附近(ほとり)からずつと此方(こなた)まで、金龍(きんりう)走(わし)る波(なみ)の上(うへ)には、船艦(せんかん)浮(うか)ぶ事(こと)幾百艘(いくひやくさう)、出(で)る船(ふね)、入(い)る船(ふね)は前檣(ぜんしやう)に白燈(はくとう)、右舷(うげん)に緑燈(りよくとう)、左舷(さげん)に紅燈(こうとう)の海上法(かいじやうはふ)を守(まも)り、停泊(とゞ)まれる船(ふね)は大鳥(おほとり)の波上(はじやう)に眠(ねむ)るに似(に)て、丁度(ちやうど)夢(ゆめ)にでもあり相(さう)な景色(けしき)! 私(わたくし)は此樣(こん)な風景(ふうけい)は今迄(いまゝで)に幾回(いくくわい)ともなく眺(なが)めたが、今宵(こよひ)はわけて趣味(しゆみ)ある樣(やう)に覺(おぼ)えたので眼(まなこ)も放(はな)たず、それからそれと眺(なが)めて行(ゆ)く内(うち)、ふと眼(め)に止(とま)つた一つの有樣(ありさま)――それは此處(こゝ)から五百米突(メートル)ばかりの距離(きより)に停泊(ていはく)して居(を)る一艘(そう)の蒸※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)船(じようきせん)で、今(いま)某(ぼう)國(こく)軍艦(ぐんかん)からの探海燈(たんかいとう)は其邊(そのへん)を隈(くま)なく照(てら)して居(を)るので、其(その)甲板(かんぱん)の裝置(さうち)なども手(て)に取(と)るやうに見(み)える、此(この)船(ふね)噸數(とんすう)一千噸(とん)位(くらゐ)、船體(せんたい)は黒色(こくしよく)に塗(ぬ)られて、二本(にほん)煙筒(チム子ー)に二本(にほん)檣(マスト)、軍艦(ぐんかん)でない事(こと)は分(わか)つて居(を)るが、商船(しやうせん)か、郵便船(ゆうびんせん)か、或(あるひ)は他(た)に何等(なにら)かの目的(もくてき)を有(いう)して居(を)る船(ふね)か夫(それ)は分(わか)らない。勿論(もちろん)、外形(ぐわいけい)に現(あらは)れても何(なに)も審(いぶか)しい點(てん)はないが、少(すこ)しく私(わたくし)の眼(め)に異樣(ゐやう)に覺(おぼ)えたのは、總(さう)噸數(とんすう)一千噸(とん)位(くらゐ)にしては其(その)構造(かうざう)の餘(あま)りに堅固(けんご)らしいのと、また其(その)甲板(かんぱん)の下部(した)には數門(すもん)の大砲等(たいほうなど)の搭載(つみこまれ)て居(を)るのではあるまいか、其(その)船脚(ふなあし)は尋常(じんじやう)ならず深(ふか)く沈(しづ)んで見(み)える。今(いま)や其(その)二本(にほん)の烟筒(えんとう)から盛(さか)んに黒煙(こくえん)を吐(は)いて居(を)るのは既(すで)に出港(しゆつかう)の時刻(じこく)に達(たつ)したのであらう、見(み)る/\船首(せんしゆ)の錨(いかり)は卷揚(まきあ)げられて、徐々(じよ/\)として進航(しんかう)を始(はじ)めた。私(わたくし)は何氣(なにげ)なく衣袋(ポツケツト)を探(さぐ)つて、双眼鏡(さうがんきやう)を取出(とりいだ)し、度(ど)を合(あは)せて猶(な)ほよく其(その)甲板(かんぱん)の工合(ぐあひ)を見(み)やうとする、丁度(ちやうど)此時(このとき)先方(むかふ)の船(ふね)でも、一個(ひとり)の船員(せんゐん)らしい男(をとこ)が、船橋(せんけう)の上(うへ)から一心(いつしん)に双眼鏡(そうがんきやう)を我(わ)が船(ふね)に向(む)けて居(を)つたが、不思議(ふしぎ)だ、私(わたくし)の視線(しせん)と彼方(かなた)の視線(しせん)とが端(はし)なくも衝突(しようとつ)すると、忽(たちま)ち彼男(かなた)は双眼鏡(そうがんきやう)をかなぐり捨(す)てゝ、乾顏(そしらぬかほ)に横(よこ)を向(む)いた。其(その)擧動(ふるまひ)のあまりに奇怪(きくわい)なので私(わたくし)は思(おも)はず小首(こくび)を傾(かたむ)けたが、此時(このとき)何故(なにゆゑ)とも知(し)れず偶然(ぐうぜん)にも胸(むね)に浮(うか)んで來(き)た一(ひと)つの物語(ものがたり)がある。それは忘(わす)れもせぬ去年(きよねん)の秋(あき)の事(こと)で、私(わたくし)が米國(ベイこく)から歐羅巴(エウロツパ)へ渡(わた)る航海中(かうかいちう)で、ふと一人(ひとり)の英國(イギリス)の老水夫(らうすゐふ)と懇意(こんい)になつた。其(その)[#ルビの「その」は底本では「たの」]老水夫(らうすゐふ)がいろ/\の興味(けうみ)ある話(はなし)の中(なか)で、最(もつと)も深(ふか)く私(わたくし)の心(こゝろ)に刻(きざ)まれて居(を)るのは、世(よ)に一番(いちばん)に恐(おそ)ろしい航路(かうろ)は印度洋(インドやう)だとうふ物語(ものがたり)、亞弗利加洲(アフリカしう)の東方(ひがしのかた)、マダカッスル島(たう)からも餘程(よほど)離(はな)れて、世(よ)の人(ひと)は夢(ゆめ)にも知(し)らない海賊島(かいぞくたう)といふのがある相(さう)だ、無論(むろん)世界地圖(せかいちづ)には見(み)る事(こと)の出來(でき)ぬ孤島(こたう)であるが、其處(そこ)には獰猛(どうまう)鬼神(きじん)を欺(あざむ)く數百(すうひやく)の海賊(かいぞく)が一團體(いちだんたい)をなして、迅速(じんそく)堅固(けんご)なる七艘(さう)の海賊船(かいぞくせん)を浮(うか)べて、絶(た)えず其邊(そのへん)の航路(かうろ)を徘徊(はいくわい)し、時(とき)には遠(とほ)く大西洋(たいせいやう)の[#「大西洋(たいせいやう)の」は底本では「太西洋(たいせいやう)の」]沿岸(えんがん)までも船(ふね)を乘出(のりだ)して、非常(ひじやう)に貴重(きちやう)な貨物(くわぶつ)を搭載(とうさい)した船(ふね)と見(み)ると、忽(たちま)ち之(これ)を撃沈(げきちん)して、惡(にく)む可(べ)き慾(よく)を逞(たく)ましうして居(を)るとの話(はなし)。而(そ)して歐米(をうべい)の海員(かいゐん)仲間(なかま)では、此事(このこと)を知(し)らぬでもないが、如何(いか)にせん、此(この)海賊(かいぞく)團體(だんたい)の狡猾(かうくわつ)なる事(こと)は言語(げんご)に絶(た)えて、其(その)來(きた)るや風(かぜ)の如(ごと)く、其(その)去(さ)るも亦(ま)た風(かぜ)の如(ごと)く。海賊(かいぞく)共(ども)は如何(いか)にして探知(たんち)するものかは知(し)らぬが其(その)覬(ねら)ひ定(さだ)める船(ふね)は、常(つね)に第(だい)一等(とう)の貴重(きちやう)貨物(くわぶつ)を搭載(とうさい)して居(を)る船(ふね)に限(かぎ)る代(かわ)りに、滅多(めつた)に其(その)形(かたち)を現(あら)はさぬ爲(ため)と、今(いま)一つには此(この)海賊(かいぞく)輩(はい)は何時(いつ)の頃(ころ)よりか、利(り)をもつて歐洲(をうしう)の某(ぼう)強國(きやうこく)と結托(けつたく)して、年々(ねん/\)五千萬弗(まんどる)に近(ちか)い賄賂(わいろ)を納(をさ)めて居(を)る爲(ため)に、却(かへ)つて隱然(いんぜん)たる保護(ほご)を受(う)け、折(をり)ふし其(その)船(ふね)が貿易港(ぼうえきかう)に停泊(ていはく)する塲合(ばあひ)には立派(りつぱ)な國籍(こくせき)を有(いう)する船(ふね)として、其(その)甲板(かんぱん)には該(その)強國(きやうこく)の商船旗(しようせんき)を飜(ひるがへ)して、傍若無人(ぼうじやくむじん)に振舞(ふるま)つて居(を)る由(よし)、實(じつ)に怪(け)しからぬ話(はなし)である。
私(わたくし)は今(いま)、二本(にほん)煙筒(えんとう)二本(にほん)檣(マスト)の不思議(ふしぎ)なる船(ふね)を見(み)て、神經(しんけい)の作用(さよう)かは知(し)らぬがふと思(おも)ひ浮(うか)んだ此(この)話(はなし)、若(も)しかの老水夫(らうすゐふ)の言(げん)が眞實(まこと)ならば、此樣(こん)な船(ふね)ではあるまいか、其(その)海賊船(かいぞくせん)といふのは、兎(と)に角(かく)氣味(きみ)の惡(わる)い事(こと)だと思(おも)つて居(を)る内(うち)に、怪(あやし)の船(ふね)はだん/\と速力(そくりよく)を増(ま)して、我(わが)弦月丸(げんげつまる)の左方(さはう)を掠(かす)めるやうに※去(すぎさ)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、41-4]る時(とき)、本船(ほんせん)より射出(しやしゆつ)する船燈(せんとう)の光(ひかり)でチラと認(みと)めたのは其(その)船尾(せんび)に記(しる)されてあつた「海蛇丸(かいだまる)」の三字(じ)、「海蛇丸(かいだまる)」とはたしかにかの船(ふね)の名稱(めいしやう)である。見(み)る/\内(うち)に波(なみ)を蹴立(けた)てゝ、蒼渺(そうびやう)の彼方(かなた)に消(き)え去(うせ)た。
『あゝ、妙(めう)だ/\、今日(けふ)は何故(なぜ)此樣(こんな)に不思議(ふしぎ)な事(こと)が續(つゞ)くのだらう。』と私(わたくし)は思(おも)はず叫(さけ)んだ。
『おや、貴方(あなた)如何(どう)かなすつて。』と春枝夫人(はるえふじん)は日出雄少年(ひでをせうねん)と共(とも)に驚(おどろ)いて振向(ふりむ)いた。
『夫人(ふじん)!』と私(わたくし)は口(くち)を切(き)つたが、待(ま)てよ、今(いま)の塲合(ばあひ)に此樣(こん)な話(はなし)――寧(むし)ろ私(わたくし)一個人(いつこじん)の想像(さうざう)に※(す)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、42-1]ぎない事(こと)を輕々(かろ/″\)しく語(かた)つて、此(この)美(うる)はしき人(ひと)の、優(やさ)しき心(こゝろ)を痛(いた)めるでもあるまい、と心付(こゝろづ)いたので
『いや、何(なん)でもありませんよ、あはゝゝゝ。』と態(わざ)と聲(こゑ)高(たか)く笑(わら)つた。丁度(ちやうど)此時(このとき)、甲板(かんぱん)には十一時(じ)半(はん)を報(ほう)ずる七點鐘(てんしよう)が響(ひゞ)いて、同時(どうじ)にボー、ボー、ボーツと恰(あだか)も獅子(しゝ)の吼(ほ)ゆるやうな※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)笛(きてき)の響(ひゞき)、それは出港(しゆつかう)の相圖(あひづ)で、吾等(われら)の運命(うんめい)を托(たく)する弦月丸(げんげつまる)は、遂(つひ)に徐々(じよ/″\)として進航(しんかう)をはじめた。

    第四回 反古(ほご)の新聞(しんぶん)
葉卷烟草(シーガレツト)――櫻木海軍大佐の行衞――大帆走船と三十七名の水夫――奇妙な新體詩――秘密の大發明――二點鐘カヽン々々
 灣口(わんこう)を出(い)づるまで、私(わたくし)は春枝夫人(はるえふじん)と日出雄少年(ひでをせうねん)とを相手(あひて)に甲板上(かんぱんじやう)に佇(たゞず)んで、四方(よも)の景色(けしき)を眺(なが)めて居(を)つたが、其内(そのうち)にネープルス港(かう)の燈光(ともしび)も微(かす)かになり、夜寒(よざむ)の風(かぜ)の身(み)に染(し)むやうに覺(おぼ)えたので、遂(つひ)に甲板(かんぱん)を降(くだ)つた。
夫人(ふじん)と少年(せうねん)とを其(その)船室(キヤビン)に送(おく)つて、明朝(めうてう)を契(ちぎ)つて自分(じぶん)の船室(へや)に歸(かへ)つた時(とき)、八點鐘(はつてんしよう)の號鐘(がうしよう)はいと澄渡(すみわた)つて甲板(かんぱん)に聽(きこ)えた。
『おや、もう十二時(じ)!』と私(わたくし)は獨語(どくご)した。既(すで)に夜(よる)深(ふか)く、加(くわ)ふるに當夜(このよ)は浪(なみ)穩(おだやか)にして、船(ふね)に些(いさゝか)の動搖(ゆるぎ)もなければ、船客(せんきやく)の多數(おほかた)は既(すで)に安(やす)き夢(ゆめ)に入(い)つたのであらう、たゞ蒸※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)機關(じようききくわん)の響(ひゞき)のかまびすしきと、折々(をり/\)當番(たうばん)の船員(せんゐん)が靴音(くつおと)高(たか)く甲板(かんぱん)に往來(わうらい)するのが聽(きこ)ゆるのみである。
私(わたくし)は衣服(ゐふく)を更(あらた)めて寢臺(ねだい)に横(よこたわ)つたが、何故(なぜ)か少(すこ)しも眠(ねぶ)られなかつた。船室(キヤビン)の中央(ちゆうわう)に吊(つる)してある球燈(きゆうとう)の光(ひかり)は煌々(くわう/\)と輝(かゞや)いて居(を)るが、どうも其邊(そのへん)に何(なに)か魔性(ませう)でも居(を)るやうで、空氣(くうき)は頭(あたま)を壓(おさ)へるやうに重(おも)く、實(じつ)に寢苦(ねぐる)しかつた。諸君(しよくん)も御經驗(ごけいけん)であらうが此樣(こん)な時(とき)にはとても眠(ねむ)られるものではない、氣(き)を焦(いらだ)てば焦(いらだ)つ程(ほど)眼(まなこ)は冴(さ)えて胸(むね)にはさま/″\の妄想(もうざう)が往來(わうらい)する。
私(わたくし)は思(おも)ひ切(き)つて再(ふたゝ)び起上(おきあが)つた。喫烟室(スモーキングルーム)へ行(ゆ)くも面倒(めんだう)なり、少(すこ)し船(ふね)の規則(きそく)の違反(ゐはん)ではあるが、此室(こゝ)で葉卷(シユーガー)でも燻(くゆ)らさうと思(おも)つて洋服(やうふく)の衣袋(ポツケツト)を探(さぐ)りて見(み)たが一本(ぽん)も無(な)い、不圖(ふと)思(おも)ひ出(だ)したのは先刻(せんこく)ネープルス港(かう)を出發(しゆつぱつ)のみぎり、濱島(はまじま)の贈(おく)つて呉(く)れた數(かず)ある贈物(おくりもの)の中(うち)、四角(かく)な新聞(しんぶん)包(つゝみ)は、若(も)しや煙草(たばこ)の箱(はこ)ではあるまいかと考(かんが)へたので、急(いそ)ぎ開(ひら)いて見(み)ると果然(くわぜん)最上(さいじやう)の葉卷(はまき)! 『しめたり。』と火(ひ)を點(てん)じて、スパスパやりながら餘念(よねん)もなく其邊(そのへん)を見廻(みまわ)して居(を)る内(うち)、見(み)ると今(いま)葉卷(はまき)の箱(はこ)の包(つゝ)んであつた新聞紙(しんぶんし)。
『オヤ、日本(につぽん)の新聞(しんぶん)だよ。』と私(わたくし)は思(おも)はず取上(とりあ)げた。
本國(ほんごく)を出(い)でゝから二年間(ねんかん)、旅(たび)から旅(たび)へと遍歴(へんれき)して歩(ある)く身(み)は、折々(をり/\)日本(につぽん)の公使館(こうしくわん)や領事館(りようじくわん)で、本國(ほんこく)の珍(めづ)らしき事件(こと)を耳(みゝ)にする外(ほか)は、日本(につぽん)の新聞(しんぶん)などを見(み)る事(こと)は極(きは)めて稀(まれ)であるから、私(わたくし)は實(じつ)に懷(なつ)かしく感(かん)じた。急(いそ)ぎ皺(しわ)を延(のば)して見(み)ると、これは既(すで)に一年(ねん)半(はん)も前(まへ)の東京(とうけい)の某(ぼう)新聞(しんぶん)であつた。一年(ねん)半(はん)も前(まへ)といへば私(わたくし)がまだ亞米利加(アメリカ)の大陸(たいりく)に滯在(たいざい)して居(を)つた時分(じぶん)の事(こと)で、隨分(ずいぶん)古(ふる)い新聞(しんぶん)ではあるが、古(ふる)くつても何(な)んでもよい、故郷(こきやう)懷(なつ)かしと思(おも)ふ一念(ねん)に、眼(め)も放(はな)たず讀(よ)んでゆく内(うち)、忽(たちま)ち眼(め)に着(つ)いた一段(だん)の記事(きじ)があつた。それは本紙(ほんし)第(だい)二面(めん)の左(さ)の如(ごと)き雜報(ざつぽう)であつた。
◎櫻木豫備海軍大佐の行衞==讀者(どくしや)は記臆(きおく)せらる可(べ)し、先年(せんねん)一種(しゆ)の強力(きやうりよく)なる爆發藥(ばくはつやく)を發明(はつめい)し、つゞいて浮標水雷(ふへうすゐらい)、花環榴彈等(くわくわんりうだんとう)二三の軍器(ぐんき)に有功(いうこう)なる改良(かいりよう)を施(ほどこ)したるを以(もつ)て、海軍部内(かいぐんぶない)に其人(そのひと)ありと知(し)られたる豫備海軍大佐櫻木重雄氏(よびかいぐんたいささぐらぎしげをし)は一昨年(さくねん)英國(エイこく)に遊(あそ)び歸朝(きてう)以來(いらい)深(ふか)く企(くわだ)つる所(ところ)あり、驚(おどろ)く可(べ)き軍事上(ぐんじじやう)の大發明(だいはつめい)をなして、我國々防上(わがくにこくぼうじやう)に貢獻(こうけん)する處(ところ)あらんと、兼(かね)て工夫(くふう)慘憺(さんたん)の由(よし)仄(ほのか)に耳(みゝ)にせしが、此度(このたび)いよ/\機(き)熟(じゆく)しけん、或(あるひ)は他(た)に慮(おもんぱか)る處(ところ)ありてにや、本月(ほんげつ)初旬(しよじゆん)横濱(よこはま)の某(ぼう)商船會社(しやうせんくわいしや)より浪(なみ)の江丸(えまる)といへる一大(だい)帆走船(ほまへせん)を購(あがな)ひ、密(ひそ)かに糧食(りようしよく)、石炭(せきたん)、氣發油(きはつゆう)、※卷蝋(くわけんらう)[#「渦」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、46-5]、鋼索(こうさく)、化學用(くわがくよう)の諸(しよ)劇藥(げきやく)、其他(そのほか)世人(せじん)の到底(たうてい)豫想(よさう)し難(がた)き幾多(いくた)の材料(ざいりよう)を蒐集中(しうしふちう)なりしが、何時(いつ)とも吾人(われら)の氣付(きづ)かぬ間(ま)に其(その)姿(すがた)を隱(かく)しぬ。櫻木大佐(さくらぎたいさ)が其(その)姿(すがた)を隱(かく)すと共(とも)にかの帆走船(ほまへせん)も其(その)停泊港(ていはくかう)に在(あ)らずなり、併(あは)せて大佐(たいさ)が年來(ねんらい)の部下(ぶか)として神(かみ)の如(ごと)く親(おや)の如(ごと)くに氏(し)に服從(ふくじゆう)せる三十七名(めい)の水兵(すゐへい)も其(その)姿(すがた)を失(うしな)ひたりといへば、想(おも)ふに大佐(たいさ)は暗夜(あんや)に乘(じよう)じて、竊(ひそ)かに其(その)部下(ぶか)を引連(ひきつ)れ本邦(ほんぽう)をば立去(たちさ)りしものならん、此事(このこと)は海軍部内(かいぐんぶない)に於(おい)ても極(きは)めて秘密(ひみつ)とする處(ところ)にして、何人(なんぴと)も其(その)行衞(ゆくえ)を知(し)る者(もの)なし、只(たゞ)心當(こゝろあた)りとも云(い)ふ可(べ)きは、昨夕(さくゆう)横濱(よこはま)に入港(にふかう)せし英國(エイこく)の某(ぼう)郵船(ゆうせん)は四五日(にち)前(ぜん)の夜半(やはん)、北(きた)ボル子ヲ島(たう)附近(ふきん)にて日本(につぽん)の國旗(こくき)を掲(かゝ)げし一大(だい)帆走船(ほまへせん)を認(みと)めし由(よし)にて、其(その)船(ふね)の形状等(けいじようとう)恰(あだか)も大佐(たいさ)の帆走船(ほまへせん)に似寄(によ)りたる處(ところ)あれば、氏(し)は其(その)航路(かうろ)を取(と)りて支那海(シナかい)を※(す)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、47-3]ぎ印度洋(インドやう)の方面(はうめん)に進(すゝ)みしにあらずやとの疑(うたがひ)あり、元(もと)より氏(し)が今回(こんくわい)の企圖(くわだて)は秘中(ひちう)の秘事(ひじ)にして、到底(たうてい)測知(そくち)し得(う)可(べ)きにあらざれども、兎(と)にも角(かく)にも非凡(ひぼん)の智能(ちのう)と遠大(えんだい)の目的(もくてき)とを有(いう)する氏(し)の事(こと)なれば、何時(いつ)意外(いぐわい)の方面(はうめん)より意外(いぐわい)の大功績(だいこうせき)を齎(もた)らして再(ふたゝ)び吾人(ごじん)の眼前(がんぜん)に現(あら)はれ來(きた)るやも知(し)る可(べ)からず、刮目(くわつもく)して待(ま)つ可(べ)きなり。== 云々(うんぬん)。
何等(なにら)の關係(くわんけい)はなくとも、斯(か)かる記事(きじ)を讀(よ)んだ人(ひと)は多少(たせう)心(こゝろ)を動(うご)かすであらう。殊(こと)に私(わたくし)は櫻木海軍大佐(さくらぎかいぐんたいさ)とは面識(めんしき)の間柄(あひだがら)で、數年(すねん)前(ぜん)の事(こと)、私(わたくし)がまだ今回(こんくわい)の漫遊(まんゆう)に上(のぼ)らぬ以前(いぜん)、ある夏(なつ)、北海道旅行(ほくかいだうりよかう)を企(くわだ)てた時(とき)、横濱(よこはま)から凾館(はこだて)へ赴(おもむ)く※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)船(きせん)の中(なか)で、圖(はか)らずも大佐(たいさ)と對面(たいめん)した事(こと)がある。其頃(そのころ)大佐(たいさ)は年輩(としごろ)三十二三、威風(ゐふう)凛々(りん/\)たる快男子(くわいだんし)で、其(その)眼光(がんくわう)の烱々(けい/\)たると、其(その)音聲(おんせい)の朗々(ろう/\)たるとは、如何(いか)にも有爲(いうゐ)の氣象(きしやう)と果斷(くわだん)の性質(せいしつ)に富(と)んで居(を)るかを想(おも)はしめた。其人(そのひと)今(いま)や新聞(しんぶん)の題目(だいもく)となつて世人(よのひと)の審(いぶか)る旅路(たびぢ)に志(こゝろざ)したといふ、其(その)行先(ゆくさき)は何地(いづこ)であらう、其(その)目的(もくてき)は何(なん)であらう。軍事上(ぐんじじやう)の大發明(だいはつめい)――一大(だい)帆走船(ほまへせん)――三十七名(めい)の水兵(すゐへい)――化學用(くわがくよう)藥品(やくひん)、是等(これら)から思(おも)ひ合(あは)せると朧(おぼろ)ながらも想像(さうぞう)の出來(でき)ぬ事(こと)はない。今(いま)や世界(せかい)の各國(かくこく)は互(たがひ)に兵(へい)を練(ね)り武(ぶ)を磨(みが)き、特(こと)に海軍力(かいぐんりよく)には全力(ぜんりよく)を盡(つく)して英佛露獨(エイフツロドク)、我(われ)劣(をと)らじと權勢(けんせい)を爭(あらそ)つて居(を)る、而(しか)して目今(もくこん)其(その)權力(けんりよく)爭議(さふぎ)の中心點(ちゆうしんてん)は多(おほ)く東洋(とうやう)の天地(てんち)で、支那(シナ)の如(ごと)き朝鮮(テウセン)の如(ごと)きは絶(た)えず其(その)侵害(しんがい)を蒙(かふむ)りつゝある、此時(このとき)に當(あた)つて、東洋(とうやう)の覇國(はこく)ともいふ可(べ)き我(わが)大日本帝國(だいにつぽんていこく)は其(その)負(お)ふ處(ところ)實(じつ)に重(おも)く一方(ぱう)東洋(とうやう)の平和(へいわ)を保(たも)たんが爲(た)め、他方(たはう)少(すくな)くとも我國(わがくに)の威信(ゐしん)を存(そん)せんが爲(た)めには非常(ひじやう)の决心(けつしん)と實力(じつりよく)とを要(えう)するのである。然(しか)るも我國(わがくに)の財源(ざいげん)には限(かぎり)あり、兵船(へいせん)の増加(ぞうか)にも限度(げんど)あり、國(くに)を思(おも)ふの士(し)は日夜(にちや)此事(このこと)に憂慮(ゆうりよ)し、絶(た)えず此點(このてん)に向(むか)つて策(さく)を講(こう)じて居(を)る。櫻木海軍大佐(さくらぎかいぐんたいさ)は元來(ぐわんらい)愛國(あいこく)慷慨(かうがい)の人(ひと)、甞(かつ)て北海(ほくかい)の※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)船(きせん)で面會(めんくわい)した時(とき)も、談話(だんわ)爰(こゝ)に及(およ)んだ時(とき)、彼(かれ)はふと衣袋(ポツケツト)の底(そこ)を探(さぐ)つて、昨夜(さくや)旅亭(りよてい)の徒然(つれ/″\)に作(つく)つたのだと言(い)つて、一篇(ぺん)の不思議(ふしぎ)な新體詩(しんたいし)を示(しめ)された。猛(たけ)き武人(ものゝふ)の風流(ふうりう)の道(みち)は、また格別(かくべつ)に可笑(をか)しいではないか。
其(その)詩(し)は斯(か)うだ。
月(つき)高(たか)く、風(かぜ)は寢(ねむ)れる印度洋(インドやう)。 鏡(かゞみ)の如(ごと)き海(うみ)の面(おも)に。
 俄(にはか)に起(おこ)る水(みづ)けぶり。 鯨※(「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1-94-55)(げいがく)は吼(ほ)え、龍(りよう)跳(をど)る※[#感嘆符三つ、49-9]

見(み)よ、巨浪(なみ)は怒(いか)りて天(てん)を※(「如/手」、第4水準2-13-8)(さ)き。 黒雲(こくうん)低(ひく)く海(うみ)に埀(た)る。
 閃(きらめ)くは電(いなづま)か、轟(とゞろ)くは雷(いかづち)か。 砲火(ほうくわ)閃々(せん/\)、砲聲(ほうせい)殷々(いん/\)。
見(み)よ、硝煙(せうえん)の裡(うち)をぬけ。 月(つき)の光(ひかり)を耻(は)ぢ顏(がほ)に。
 波濤(はたう)を蹴(け)りて數百(すうひやく)の。 艨艟(まうしやう)旗(はた)を捲(ま)きて北(に)ぐ。
逃(のが)るゝ鯨※(「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1-94-55)(げいがく)、追(お)ひ行(ゆ)く飛龍(ひりう)!。 飛龍(ひりう)は勇(いさ)み鯨※(「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1-94-55)(げいがく)は。
 青息(あほいき)ならぬ黒烟(こくえん)を。 吐(は)きて影(かげ)をば隱(かく)しけり。

かの鯨※(「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1-94-55)(げいがく)ぞ、天(てん)の涯(はて)。 はた地(ち)の角(かく)に至(いた)る迄(まで)。
 凡(およ)そ波濤(はたう)の打(う)つところ。 凡(およ)そ珍寳(ちんぽう)の在(あ)るところ。
山(やま)なす浪(なみ)を船(ふね)となし。 千里(せんり)の風(かぜ)を帆(ほ)となして。
 跳梁跋扈(てうりやうばつこ)厭(あ)き足(た)らぬ。 かの歐洲(をうしう)の聯合艦隊(れんがふかんたい)※[#感嘆符三つ、50-8]

飛龍(ひりう)[#ルビの「ひりう」は底本では「ひりよう」]は何(なに)ぞ、東洋(とうやう)の。 鎖鑰(さやく)を握(にぎ)る日出(につしゆつ)の。
 光(ひかり)を海(うみ)に輝(かゞや)かす。 其(その)名(な)も高(たか)き日本艦隊(につぽんかんたい)※[#感嘆符三つ、50-10]

それ日本(につぽん)は東洋(とうやう)の。 飛龍(ひりう)に似(に)たる一小邦(いつせうはう)。
 それ歐洲(をうしう)は、鯨(げい)よりも。 はた※(「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1-94-55)(がく)よりも最(いと)猛(たけ)き。
     宇内(うだい)を睥睨(にら)む。 一大(いちだい)洲(しう)。

いぶかしや。
 大(だい)は破(やぶ)れて、小(せう)は勝(か)つ。 何故(なにゆゑ)ぞ※(疑問符感嘆符、1-8-77)

聽(き)け。 敗將(はいしやう)の言(い)ふところ。
 彼(か)れ艦橋(かんけう)に昇(のぼ)り行(ゆ)き。 星(ほし)を仰(あほ)ぎて嘆(たん)ずらく。
  我(われ)に百萬(ひやくまん)の巨艦(きよかん)あり。 雲霞(うんか)の如(ごと)き將士(しやうし)あり。
   砲(ほう)あり。 劔(けん)あり。 火藥(くわやく)あり。
何(なん)ぞ恐(おそ)れむ日本海軍(につぽんかいぐん)。 秋(あき)の木(こ)の葉(は)の散(ち)る如(ごと)く。
 海屑(もくづ)となさん勢(いきほひ)に。 進(すゝ)むや、英(エイ)、佛(フツ)、獨(ドク)、露(ロ)艦(かん)。

思(おも)ひきや。  日本(につぽん)に不思議(ふしぎ)の魔力(まりよく)あり。
 これ。 俄砲(ガツトリングほう)か。 あらず。
 シエルブルの水雷艇(すゐらいてい)か。 あらず。
未(いま)だ見(み)ず。 未(いま)だ聞(き)かざる大軍器(だいぐんき)※[#感嘆符三つ、52-6]
 風(かぜ)のごとく來(きた)り。 風(かぜ)のごとく去(さ)り。
鯱(しやち)の魚群(ぎよぐん)を追(お)ふ如(ごと)く。 エレキの物(もの)を打(う)つごとく。
 見(み)よ、我(わが)艦隊(かんたい)を粉韲(うちくだ)く、 電光石火(でんくわうせきくわ)の大魔力(だいまりよく)※[#感嘆符三つ、52-9]

あゝ、 恐(おそ)るべし。 恐(おそ)るべし。
 龍(りう)は眠(ねむ)れる日本海(につぽんかい)。 黒雲(こくうん)飛(と)べる東洋(とうやう)の。
  空(そら)を劈(つんざ)く日(ひ)の光(ひかり)。 海(うみ)に潜(ひそ)める大軍器(だいぐんき)※[#感嘆符三つ、53-2]

と言(い)ふ樣(やう)な文句(もんく)で、隨分(ずゐぶん)奇妙(きめう)な、恐(おそ)らくは新派(しんぱ)先生(せんせい)一派(いつぱ)から税金(ぜいきん)を徴收(とり)に來(き)さうな詩(し)ではあつたが、月(つき)明(あきらか)に、風(かぜ)清(きよ)き※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)船(きせん)の甲板(かんぱん)にて、大佐(たいさ)軍刀(ぐんたう)の柄(つか)を後部(うしろ)に廻(まは)し、其(その)朗々(らう/\)たる音聲(おんせい)にて、誦(しよう)じ來(きた)り誦(しよう)し去(さ)つた時(とき)には、私(わたくし)は思(おも)はず快哉(くわいさい)を※(さけ)[#「口+斗」、53-6]んだよ。勿論(もちろん)、其時(そのとき)は別(べつ)に心(こゝろ)にも留(と)めなかつたが、今(いま)になつて初(はじ)めてそれと思(おも)ひ當(あた)る節(ふし)の無(な)いでもない。
何(なに)は兎(と)もあれ此(この)反古(ほご)新聞(しんぶん)の記事(きじ)によると、櫻木海軍大佐(さくらぎかいぐんたいさ)が此(この)秘密(ひみつ)なる旅行(りよかう)を企(くはだ)てたのは既(すで)に一年(ねん)半(はん)も以前(いぜん)の事(こと)で、前(まへ)にもいふ通(とう)り私(わたくし)がまだ亞米利加(アメリカ)の[#「亞米利加(アメリカ)の」は底本では「亞利利加(アメリカ)の」]大陸(たいりく)を漫遊(まんゆう)して居(を)つた時分(じぶん)の事(こと)で、其後(そのゝち)、私(わたくし)は絶(た)えず旅(たび)から旅(たび)へと遍歴(へんれき)して居(を)つたので、此(この)珍聞(ちんぶん)を知(し)つたのも今(いま)が初(はじめ)てであるが、あゝ、大佐(たいさ)は其後(そのゝち)如何(いか)にしたであらう、遂(つひ)に其(その)目的(もくてき)を達(たつ)して再(ふたゝ)び日本(につほん)へ歸(かへ)つたであらうか。櫻木海軍大佐(さくらぎかいぐんたいさ)は其(その)性質(せいしつ)からいつても、かゝる擧動(きよどう)に出(い)でたのは大(おほい)に期(き)する所(ところ)があつたに相違(さうゐ)ない。爾(そ)してかれは一度(ど)企(くわだ)てた事(こと)は其(その)目的(もくてき)を達(たつ)するまでは止(や)まぬ人(ひと)であるから、大佐(たいさ)が再(ふたゝ)び此世(このよ)に現(あら)はれて來(く)る時(とき)には必(かなら)ず絶大(ぜつだい)の功績(こうせき)を齎(もた)らして來(く)る事(こと)は疑(うたがひ)もない、されば櫻木大佐(さくらぎたいさ)が再(ふたゝ)び日本(につぽん)へ皈(かへ)つたものとすれば、其(その)勳功(くんこう)は日月(じつげつ)よりも明(あきら)かに輝(かゞや)きて、如何(いか)に私(わたくし)が旅(たび)から旅(たび)へと經廻(へめぐ)つて居(を)るにしても其(その)風聞(ふうぶん)の耳(みゝ)に達(たつ)せぬ事(こと)はあるまい、然(しか)るに今日(こんにち)まで幾度(いくたび)か各國市府(かくこくしふ)の日本公使館(につぽんこうしくわん)や領事館(りやうじくわん)を訪(おと)づれたが、一度(ど)もそれと覺(おぼ)しき消息(せうそく)を耳(みゝ)にせぬのは、大佐(たいさ)は其(その)行衞(ゆくゑ)を晦(くら)ましたまゝ未(ま)だ世(よ)に現(あら)はれて來(こ)ぬ何(なに)よりの證據(しようこ)。あゝ、大佐(たいさ)は其後(そのご)何處(いづこ)に如何(どう)して居(を)るだらうと考(かんが)へるとまた種々(さま/″\)の想像(さうざう)も沸(わ)いて來(く)る。
此時(このとき)第(だい)二點鐘(てんしよう)カン、カンと鳴(な)る。((船中の號鐘は一點鐘より八點鐘まで四時間交代なり))
『おや、とう/\一時(じ)になつた。』と私(わたくし)は欠伸(あくび)した。何時(いつ)まで考(かんが)へて居(を)つたとて際限(さいげん)のない事(こと)、且(か)つは此樣(こんな)に夜(よ)を更(ふ)かすのは衞生上(ゑいせいじやう)にも極(きわ)めて愼(つゝし)む可(べ)き事(こと)と思(おも)つたので私(わたくし)は現(げん)に想像(さうぞう)の材料(ざいりよう)となつて居(を)る古新聞(ふるしんぶん)をば押丸(おしまろ)めて部室(へや)の片隅(かたすみ)へ押遣(おしや)り、強(し)いて寢臺(ねだい)に横(よこたは)つた。初(はじめ)の間(あひだ)は矢張(やはり)頭(あたま)が妙(めう)で、先刻(せんこく)と同(おな)じ樣(やう)にいろ/\の妄想(まうざう)が消(け)しても消(け)しても胸(むね)に浮(うか)んで來(き)て、魔(ま)の日(ひ)魔(ま)の刻(こく)――亞尼(アンニー)の顏(かほ)――微塵(みじん)に碎(くだ)けた白色檣燈(はくしよくしようとう)――怪(あやし)の船(ふね)――双眼鏡(さうがんきやう)などが更(かは)る/\夢(ゆめ)まぼろしと腦中(のうちゆう)にちらついて來(き)たが、何時(いつ)か晝間(ひる)の疲勞(つかれ)に二時(じ)の號鐘(がうしよう)を聽(き)かぬ内(うち)に有耶無耶(うやむや)の夢(ゆめ)に落(お)ちた。

    第五回 「ピアノ」と拳鬪(けんとう)
船中の音樂會――鵞鳥聲の婦人――春枝夫人の名譽――甲板の競走――相撲――私の大閉口――曲馬師の虎
 翌朝(よくあさ)、銅鑼(どら)の鳴(な)る音(ね)に驚(おどろ)き目醒(めさ)めたのは八時(じ)三十分(ぷん)で、海上(かいじやう)の旭光(あさひ)は舷窓(げんさう)を透(たう)して鮮明(あざやか)に室内(しつない)を照(てら)して居(を)つた。船中(せんちゆう)八時(じ)三十分(ぷん)の銅鑼(どら)は通常(つうじやう)朝食(サツパー)の報知(しらせ)である。
『や、寢※(ねす)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、56-7]ぎたぞ。』と急(いそ)ぎ飛起(とびお)き、衣服(ゐふく)を更(あらた)め、櫛髮(くしけづり)を終(をは)つて、急足(いそぎあし)に食堂(しよくどう)へ出(で)て見(み)ると、壯麗(さうれい)なる食卓(しよくたく)の正面(しようめん)には船(ふね)の規則(きそく)として例(れい)のビール樽(だる)船長(せんちやう)は威儀(ゐぎ)を正(たゞ)して着席(ちやくせき)し、それより左右(さゆう)の兩側(りやうがわ)に、英(エイ)、佛(フツ)、獨(ドク)、露(ロ)、白(ハク)、伊等(イとう)各國(かくこく)の上等(じやうとう)船客(せんきやく)は何(いづ)れも美々(びゞ)しき服裝(ふくさう)して着席(ちやくせき)せる其中(そのなか)に交(まじ)つて、美(うる)はしき春枝夫人(はるえふじん)と可憐(かれん)の日出雄少年(ひでをせうねん)との姿(すがた)も見(み)えた。少年(せうねん)は私(わたくし)を見(み)るよりいと懷(なつ)かし氣(げ)に倚子(ゐす)から立(た)つて『おはよう。』とばかり可愛(かあい)らしき頭(かうべ)を垂(た)れた。『好朝(おはよう)。』と私(わたくし)も輕(かろ)く會釋(えしやく)して其(その)傍(かたはら)[#ルビの「かたはら」は底本では「からはら」]に進(すゝ)み寄(よ)り、何(なに)となく物淋(ものさび)し氣(げ)に見(み)えた春枝夫人(はるえふじん)に眼(まなこ)を轉(てん)じ
『夫人(おくさん)、昨夜(ゆふべ)は御安眠(ごあんみん)になりましたか。』と問(と)ふと、夫人(ふじん)は微(かす)かな笑(えみ)を浮(うか)べ
『イエ、此(この)兒(こ)はよく眠(ねむ)りましたが、私(わたくし)は船(ふね)に馴(な)れませんので。』と答(こた)ふ。さもありぬべし、雪(ゆき)を欺(あざむ)く頬(ほう)の邊(へん)、幾分(いくぶん)の蒼色(あをみ)を帶(お)びたるは、たしかに睡眠(ねむり)の足(た)らぬ事(こと)を證(しよう)して居(を)る。船中(せんちゆう)朝(あさ)の食事(しよくじ)は「スープ」の他(ほか)冷肉(れいにく)、「ライスカレー」、「カフヒー」それに香料(にほひ)の入(い)つた美麗(うるは)しき菓子(くわし)、其他(そのほか)「パインアツプル」等(とう)極(きは)めて淡泊(たんぱく)な食事(しよくじ)で、それが濟(す)むと、日出雄少年(ひでをせうねん)は何(なに)より前(さき)に甲板(かんぱん)を目指(めざ)して走(はし)つて行(ゆ)くので、夫人(ふじん)も私(わたくし)も其(その)後(あと)に續(つゞ)いた。
甲板(かんぱん)へ出(で)て見(み)ると、弦月丸(げんげつまる)は昨夜(ゆふべ)の間(あひだ)にカプリ島(とう)の沖(おき)を※(す)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、58-1]ぎ、今(いま)はリコシアの岬(みさき)を斜(なゝめ)に見(み)て進航(しんかう)して居(を)る、季節(せつ)は五月(ぐわつ)の中旬(なかば)、暑(あつ)からず寒(さむ)からぬ時※(じこう)[#「候」の「ユ」に代えて「工」、58-3]、加(くは)ふるに此邊(このへん)一帶(たい)の風光(ふうくわう)は宛然(えんぜん)たる畫中(ぐわちゆう)の景(けい)で、すでに水平線上(すゐへいせんじやう)に高(たか)く昇(のぼ)つた太陽(たいよう)は燦爛(さんらん)たる光(ひかり)を水(みづ)に落(おと)して金波(きんぱ)洋々(やう/\)たる海(うみ)の面(おも)には白帆(はくはん)の影(かげ)一點(てん)二點(てん)、其(その)間(あひだ)を海鴎(かいおう)の長閑(のどか)に群(むらが)り飛(と)んで居(を)る有樣(ありさま)などは自然(しぜん)に氣(き)も心(こゝろ)も爽(さはや)かになる程(ほど)で、私(わたくし)は昨夕(ゆふべ)以來(いらい)のさま/″\の不快(ふくわい)の出來事(できごと)をば洗(あら)ひ去(さ)つた樣(やう)に忘(わす)れてしまつた。春枝夫人(はるえふじん)もいと晴々(はれ/″\)しき顏色(がんしよく)で、そよ/\と吹(ふ)く南(みなみ)の風(かぜ)に鬢(びん)のほつれ毛(げ)を拂(はら)はせながら餘念(よねん)もなく海上(かいじやう)を眺(なが)めて居(を)る。日出雄少年(ひでをせうねん)は特更(ことさら)に子供心(こどもごゝろ)の愉快(ゆくわい)で愉快(ゆくわい)で堪(たま)らない、丁度(ちやうど)牧塲(まきば)に遊(あそ)ぶ小羊(こひつじ)のやうに其處此處(そここゝ)となく飛(と)んで歩(ある)いて、折々(をり/\)私(わたくし)の側(そば)へ走(はし)つて來(き)ては甲板(かんぱん)の上(うへ)に裝置(さうち)された樣々(さま/″\)の船具(せんぐ)について疑問(ぎもん)を起(おこ)し、又(また)は母君(はゝぎみ)の腕(うで)にすがつて遙(はる)かに見(み)ゆる島々(しま/″\)を指(ゆびざ)し『あれは子ープルスの家(いへ)の三階(がい)から見(み)へるエリノ島(しま)にその儘(まんま)です事(こと)、此方(こなた)のは頭(あたま)の禿(は)げた老爺(おぢい)さんが魚(さかな)を釣(つ)つて居(を)る形(かたち)によく似(に)て居(ゐ)ますねえ。』などゝいと樂(たの)し氣(げ)に見(み)えた。
日(ひ)は漸(やうや)く高(たか)く、風(かぜ)は凉(すゞ)しく、船(ふね)の進行(すゝみ)は矢(や)のやうである。私(わたくし)は甲板(かんぱん)の安樂倚子(あんらくゐす)に身(み)をよせて倩々(つら/\)と考(かんが)へた。昨日(きのふ)までは經廻(へめぐ)る旅路(たび)の幾(いく)千里(り)、憂(う)き時(とき)も樂(たの)しき時(とき)も語(かた)らふ人(ひと)とては一人(ひとり)もなく、晨(あした)に明星(めうぜう)の清(すゞ)しき光(ひかり)を望(のぞ)み、夕(ゆふべ)に晩照(ゆふやけ)の華美(はなやか)なる景色(けしき)を眺(なが)むるにも只(たゞ)一人(ひとり)、吾(われ)と吾心(わがこゝろ)を慰(なぐさ)むるのみであつたが、昨日(きのふ)は圖(はか)らずも天外(てんぐわい)萬里(ばんり)の地(ち)で我(わが)同胞(どうほう)にめぐり逢(あ)ひ、恰(あだか)も天(てん)のなせるが如(ごと)き奇縁(きえん)にて今(いま)は優美(やさし)き春枝夫人(はるえふじん)、可憐(かれん)なる日出雄少年等(ひでをせうねんら)と同(おな)じ船(ふね)に乘(の)り同(おな)じ故國(ふるさと)に皈(かへ)るとは何(なに)たる幸福(しあはせ)であらう。今度(こんど)此(この)弦月丸(げんげつまる)の航海(かうかい)には乘客(じやうきやく)の數(かず)は五百人(にん)に近(ちか)く船員(せんゐん)を合(あは)せると七百人(にん)以上(いじやう)の乘組(のりくみ)であるが、其中(そのなか)で日本人(につぽんじん)といふのは夫人(ふじん)と少年(せうねん)と私(わたくし)との三名(めい)のみ、此(この)不思議(ふしぎ)なる縁(えん)に結(むす)ばれし三人(みたり)は之(これ)から海原(うなばら)遠(とほ)く幾千里(いくせんり)、ひとしく此(この)船(ふね)に運命(うんめい)を托(たく)して居(を)るのであるが、若(も)し天(てん)に冥加(めうが)といふものが在(あ)るならば近(ちか)きに印度洋(インドやう)を※(すぐ)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、60-3]る時(とき)も支那海(シナかい)を行(ゆ)く時(とき)にも、今日(けふ)の如(ごと)く浪路(なみぢ)穩(おだや)かに、頓(やが)て相(あひ)共(とも)に※去(くわこ)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、60-4]の平安(へいあん)を祝(いは)ひつゝ芙蓉(ふよう)の峯(みね)を仰(あふ)ぐ事(こと)が出來(でき)るやうにと只管(ひたすら)天(てん)に祈(いの)るの他(ほか)はないのである。
ネープルス港(かう)から海路(かいろ)數(すう)千里(り)、多島海(たたうかい)を※(す)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、60-7]ぎ、地中海(ちちゆうかい)に入(い)り、ポートセツトにて石炭(せきたん)及(およ)び飮料水(ゐんりようすゐ)を補充(ほじう)して、それより水先案内(みづさきあんない)をとつてスエスの地峽(ちけう)を※(す)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、60-9]ぎ、往昔(むかし)から世界(せかい)第(だい)一の難所(なんしよ)と航海者(かうかいしや)の膽(きも)を寒(さむ)からしめた、紅海(こうかい)一名(めい)死海(しかい)と呼(よ)ばれたる荒海(あらうみ)の血汐(ちしほ)の如(ごと)き波濤(なみ)の上(うへ)を駛(はし)つて、右舷(うげん)左舷(さげん)より眺(なが)むる海上(かいじやう)には、此邊(このへん)空氣(くうき)の不思議(ふしぎ)なる作用(さよう)にて、遠(とほ)き島(しま)は近(ちか)く見(み)え、近(ちか)き船(ふね)は却(かへつ)て遠(とほ)く見(み)え、其爲(そのため)に數知(かずし)[#ルビの「かずし」は底本では「かずす」]れず不測(ふそく)の禍(わざはひ)を釀(かも)して、此(この)洋中(やうちゆう)に難破(なんぱ)せる沈沒船(ちんぼつせん)の船體(せんたい)は既(すで)に海底(かいてい)に朽(く)ちて、名殘(なごり)の檣頭(しやうとう)のみ波間(はかん)に隱見(いんけん)せる其(その)物凄(ものすご)き光景(くわうけい)を吊(とふら)ひつゝ、進(すゝ)み進(すゝ)んで遂(つひ)に印度洋(インドやう)の海口(かいこう)ともいふ可(べ)きアデン灣(わん)に達(たつ)し、遙(はる)かにソコトラ島(じま)を煙波(えんぱ)縹茫(へうぼう)たる沖(おき)に望(のぞ)むまで、大約(たいやく)二週間(しうかん)の航路(かうろ)は毎日(まいにち)毎日(まいにち)天氣(てんき)晴朗(せいらう)で、海波(かいは)平穩(おだやか)で、十數年(すうねん)來(らい)浪(なみ)を枕(まくら)に世(よ)を渡(わた)る水夫(すゐふ)共(ども)も未曾有(みそういう)の好(かう)航海(かうかい)だと語(かた)つた程(ほど)で、從(したがつ)て其間(そのあひだ)には格別(かくべつ)に記(しる)す程(ほど)の事(こと)もない。たゞ二つ三つ記臆(きおく)に留(とゞま)つて居(を)るのは斯(かゝ)る平和(へいわ)の間(あひだ)にも不運(ふうん)の神(かみ)は此(この)船(ふね)の何處(いづこ)にか潜伏(ひそ)んで居(を)つたと見(み)え、船(ふね)のメシナ海峽(かいけう)を出(いで)んとする時(とき)、一人(ひとり)の船客(せんきやく)は海中(かいちゆう)に身(み)を投(な)げて無殘(むざん)の最後(さいご)を遂(と)げた事(こと)と、下等船客(かとうせんきやく)の一(いち)支那人(シナじん)はまだ伊太利(イタリー)の領海(りやうかい)を離(はなれ)ぬ、頃(ころ)より苦(くる)しき病(やまひ)に犯(おか)されて遂(つひ)にカンデイア島(じま)とセリゴ島(じま)との間(あひだ)で死亡(しぼう)した爲(ため)に、海上(かいじやう)の規則(きそく)で船長(せんちやう)以下(いか)澤山(たくさん)の船員(せんゐん)が甲板(かんぱん)に集(あつま)つて英國(エイこく)の一宣教師(せんけうし)の引導(いんだう)の下(もと)に其(その)死骸(しがい)をば海底(かいてい)に葬(はうむ)つてしまつた事(こと)と、是等(これら)は極(きは)めて悲慘(ひざん)な出來事(できごと)であるが、他(ほか)に愉快(ゆくわい)な事(こと)も二つ三つ無(な)いでもない。
何處(どこ)でも長(なが)い航海(かうかい)では船中(せんちゆう)の散鬱(うさばらし)にと、茶番(ちやばん)や演劇(えんげき)や舞踏(ぶたう)の催(もようし)がある。殊(こと)に歐洲(をうしう)と東洋(とうやう)との間(あひだ)は全世界(ぜんせかい)で最(もつと)も長(なが)い航路(かうろ)であれば斯(かゝ)る凖備(じゆんび)は一層(そう)よく整(とゝな)つて居(を)る。此(この)弦月丸(げんげつまる)にも屡(しば/\)其(その)催(もようし)があつて私等(わたくしら)も折々(をり/\)臨席(りんせき)したが、或(ある)夜(よ)の事(こと)、電燈(でんとう)の光(ひかり)眩(まば)ゆき舞踏室(ぶたうしつ)では今夜(こんや)は珍(めづ)らしく音樂會(おんがくくわい)の催(もよう)さるゝ由(よし)で、幾百人(いくひやくにん)の歐米人(をうべいじん)は老(おい)も若(わか)きも其處(そこ)に集(あつま)つて、狂氣(きやうき)のやうに騷(さは)いで居(を)る。禿頭(はげあたま)の佛蘭西(フランス)の老紳士(らうしんし)が昔日(むかし)の腕前(うでまへ)を見(み)せて呉(く)れんとバイオリンを採(と)つて彈(ひ)くか彈(ひ)かぬに歌(うた)の曲(きよく)をハツタと忘(わす)れて、頭(あたま)撫(な)で/\罷退(まかりさが)るなど隨分(ずゐぶん)滑※的(こつけいてき)[#「(禾+尤)/上/日」、62-10]な事(こと)もあるが、大概(たいがい)は腕(うで)に覺(おぼ)えの歐米人(をうべいじん)の事(こと)とて、いづれも得意(とくい)の曲(きよく)を調(しら)べては互(たがひ)に天狗(てんぐ)の鼻(はな)を高(たか)めて居(を)る。私(わたくし)が春枝夫人(はるえふじん)と此(この)席(せき)に列(つらな)つた時(とき)には丁度(ちやうど)ある年増(としま)の獨逸(ドイツ)婦人(ふじん)がピアノの彈奏中(だんそうちゆう)であつたが、此(この)婦人(ふじん)は極(きは)めて驕慢(けうまん)なる性質(せいしつ)と見(み)えて、彈奏(だんそう)の間(あひだ)始終(しゞう)ピアノ臺(だい)の上(うへ)から聽集(きゝて)の顏(かほ)を流盻(ながしめ)に見(み)て、折(をり)ふし鵞鳥(がてう)のやうな聲(こゑ)で唱(うた)ひ出(だ)す歌(うた)の調(しら)べは左迄(さまで)妙手(じやうず)とも思(おも)はれぬのに、唱(うた)ふ當人(たうにん)は非常(ひじやう)の得色(とくしよく)で、やがて彈奏(だんそう)が終(をは)ると小鼻(こばな)を蠢(うごめ)かし、孔雀(くじやく)のやうに裳(もすそ)を飜(ひるが)へして席(せき)に歸(かへ)つた。此(この)次(つぎ)は如何(いか)なる人(ひと)が出(で)るだらうと、私(わたくし)は春枝夫人(はるえふじん)と語(かた)りながら一方(ぽう)の倚子(ゐす)に倚(よ)りて眺(なが)めて居(を)つたが、暫時(しばらく)は何人(たれ)も出(で)ない、大方(おほかた)今(いま)の鵞鳥聲(がてうごゑ)の婦人(ふじん)の爲(た)めに荒膽(あらぎも)を※(ぬ)[#「抜」の「友」に代えて「ノ/友」、63-8]かれたのであらう。忽(たちま)ち見(み)る一個(こ)の英國人(エイこくじん)はつか/\と私共(わたくしども)の前(まへ)へ進(すゝ)み寄(よ)つて。大聲(おほごゑ)に
『サア、今度(こんど)は貴方等(あなたがた)の順番(じゆんばん)です、日本(につぽん)の代表者(だいひやうしや)として何(なに)かおやりなさい。』と喚(わめ)く、滿塲(まんじやう)は一度(いちど)に拍手(はくしゆ)した。
「南無三(なむさん)。」と私(わたくし)は逡巡(しりごみ)した。多(おほく)の白晢(はくせき)人種(じんしゆ)の間(あひだ)に人種(じんしゆ)の異(ちが)つた吾等(われら)は不運(ふうん)にも彼等(かれら)の眼(め)に留(とま)つたのである。私(わたくし)は元來(ぐわんらい)無風流(ぶふうりう)極(きは)まる男(をとこ)なので此(この)不意打(ふいうち)にはほと/\閉口(へいこう)せざるを得(え)ない。春枝夫人(はるえふじん)も頻(しき)りに辭退(じたい)して居(を)つたが彼男(かのをとこ)も一旦(たん)言(い)ひ出(だ)した事(こと)とて仲々(なか/\)後(あと)へは退(ひ)かぬ。幾百(いくひやく)の人(ひと)は益々(ます/\)拍手(はくしゆ)する。此時(このとき)忽(たちま)ち私(わたくし)の横側(よこがは)の倚子(ゐす)で頻(しき)りに嘲笑(あざわら)つて居(を)る聲(こゑ)、それは例(れい)の鷲鳥聲(がてうごゑ)の婦人(ふじん)だ。
『何(なに)ね、いくら言(い)つたつて無益(だめ)でせうよ、琴(こと)とか三味線(さみせん)とか私共(わたくしども)は見(み)た事(こと)もない野蠻的(やばんてき)な樂器(がくき)の他(ほか)は手(て)にした事(こと)も無(な)い日本人(につぽんじん)などに、如何(どう)して西洋(せいやう)の高尚(かうしよう)な歌(うた)が唱(うた)はれませう。』などゝ態(わざ)と聽(きこ)えよがしに並(なら)んで腰掛(こしか)けて居(を)る年(とし)の若(わか)い男(をとこ)と耳語(さゝや)いて居(を)るのだ。
「不埓(ふらち)な女(をんな)めツ」と私(わたくし)は唇(くちびる)を噛(か)んだ、が、悲哉(かなしや)、私(わたくし)は其道(そのみち)には全(まつた)くの無藝(むげい)の太夫(たゆう)。あゝ此樣(こん)な事(こと)と知(し)つたら何故(なぜ)倫敦(ロンドン)邊(へん)の流行歌(はやりうた)の一節(ひとふし)位(ぐら)いは覺(おぼ)えて置(お)かなかつたらうと悔(くや)んだが追付(おひつ)かない、餘(あま)りの殘念(くやし)さに春枝夫人(はるえふじん)の顏(かほ)を見(み)ると、夫人(ふじん)も今(いま)の嘲罵(あざけり)を耳(みゝ)にして多少(たせう)心(こゝろ)に激(げき)したと見(み)へ、柳(やなぎ)の眉(まゆ)微(かす)かに動(うご)いて、そつと私(わたくし)に向(むか)ひ『何(なに)かやつて見(み)ませうか。』といふのは腕(うで)に覺(おぼえ)のあるのであらう、私(わたくし)は默(だま)つて點頭(うなづ)くと夫人(ふじん)は靜(しづか)に立上(たちあが)り『皆樣(みなさま)のお耳(みゝ)を汚(けが)す程(ほど)ではありませんが。』と伴(ともな)はれてピアノ臺(だい)の上(うへ)へ登(のぼ)つた。忽(たちま)ち聽(き)く盤上(ばんじやう)玉(たま)を轉(まろ)ばすが如(ごと)き響(ひゞき)、ピアノに神(かみ)宿(やど)るかと疑(うたが)はるゝ、其(その)妙(たへ)なる調(しら)べにつれて唱(うた)ひ出(いだ)したる一曲(ひとふし)は、これぞ當時(たうじ)巴里(パリー)の交際(かうさい)境裡(じやうり)で大流行(だいりうかう)の『菊(きく)の國(くに)の乙女(おとめ)』とて、筋(すぢ)は日本(につぽん)の美(うる)はしき乙女(おとめ)の舞衣(まひぎぬ)の姿(すがた)が、月夜(げつや)にセイヌ河(かは)の水上(みなか)に彷徨(さまよ)ふて居(を)るといふ、極(きは)めて優美(ゆうび)な、また極(きは)めて巧妙(こうめう)な名曲(めいきよく)の一節(ひとふし)、一句(く)は一句(く)より華(はなや)かに、一段(だん)は一段(だん)よりおもしろく、天女(てんによ)御空(みそら)に舞(ま)ふが如(ごと)き美音(びおん)は、心(こゝろ)なき壇上(だんじやう)の花(はな)さへ葉(は)さへ搖(ゆる)ぐばかりで、滿塲(まんじやう)はあつと言(い)つたまゝ水(みづ)を打(う)つた樣(やう)に靜(しづ)まり返(かへ)つた。
其(その)調(しら)べがすむと、忽(たちま)ち崩(くづ)るゝ如(ごと)き拍手(はくしゆ)のひゞき、一團(だん)の貴女(きぢよ)神士(しんし)ははやピアノ臺(だい)の側(そば)に走(はし)り寄(よ)つて、今(いま)や靜(しづ)かに其處(そこ)を降(くだ)らんとする春枝夫人(はるえふじん)を取卷(とりま)いて、あらゆる讃美(さんび)の言(ことば)をもつて、此(この)珍(めづ)らしき音樂(おんがく)の妙手(めうしゆ)に握手(あくしゆ)の譽(ほまれ)を得(え)んと※(「口+曹」、第3水準1-15-16)(ひし)めくのである。かの鵞鳥(がてう)の聲(こゑ)の婦人(ふじん)は口(くち)あんぐり、眞赤(まつか)になつて眼(め)を白黒(しろくろ)にして居(を)る、定(さだ)めて先刻(せんこく)の失言(しつげん)をば後悔(こうくわい)して居(を)るのであらう。此(この)夜(よ)のピアノの響(ひゞき)は、今(いま)も猶(な)ほ私(わたくし)の耳(みゝ)に殘(のこ)つて、※去(くわこ)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、66-7]の出來事(できごと)の中(うち)で最(もつと)も壯快(さうくわい)な事(こと)の一つに數(かぞ)へられて居(を)るのである。
其他(そのほか)面白(おもしろ)い事(こと)も隨分(ずゐぶん)あつた。音樂會(おんがくくわい)の翌々日(よく/\じつ)の事(こと)で、船(ふね)は多島海(たたうかい)の沖(おき)にさしかゝつた時(とき)、多(おほく)の船客(せんきやく)は甲板(かんぱん)に集合(あつま)つて種々(いろ/\)の遊戯(あそび)に耽(ふけ)つて居(を)つたが、其内(そのうち)に誰(たれ)かの發起(はつき)で徒競走(フートレース)が始(はじま)つた。今日(こんにち)、世界(せかい)で最大(さいだい)な船(ふね)は長(なが)さ二百三十ヤード、即(すなは)ち町(ちやう)にして二町(ちやう)を超(こ)ゆるものもある、本船(ほんせん)の如(ごと)きも其(その)一で、競走(レース)は前部甲板(ぜんぶかんぱん)から後部甲板(こうぶかんぱん)へと、大約(おほよそ)三百ヤード許(ばかり)の距離(きより)を四回(くわい)往復(わうふく)するのであるが優勝者(チヤンピオン)には乘組(のりくみ)の貴婦人連(レデイれん)から美(うる)はしき贈物(おくりもの)があるとの事(こと)で、英人(エイじん)、佛人(フツじん)、獨逸人(ドイツじん)、其他(そのほか)伊太利(イタリー)、瑞西(スイツツル)、露西亞等(ロシヤとう)の元氣(げんき)盛(さか)んなる人々(ひと/″\)は脛(すね)を叩(たゝ)いて跳(をど)り出(で)たので、私(わたくし)もツイ其(その)仲間(なかま)に釣込(つりこ)まれて、一發(ぱつ)の銃聲(じうせい)と共(とも)に無(む)二無(む)三に驅(かけ)つたが、殘念(ざんねん)なるかな、第(だい)一着(ちやく)に决勝點(けつしようてん)に躍込(をどりこ)んだのは、佛蘭西(フランス)の豫備海軍士官(よびかいぐんしくわん)とか云(い)へる悽(すさ)まじく速(はや)い男(をとこ)、第(だい)二着(ちやく)は勤務(きんむ)のため我(わが)日本(につぽん)へ向(むか)はんとて此(この)船(ふね)に乘組(のりく)んだ伊太利(イタリー)の公使館(こうしくわん)附(づき)武官(ぶくわん)の海軍士官(かいぐんしくわん)、私(わたくし)は辛(からう)じて第(だい)三着(ちやく)、あまり面白(おもしろ)くないので、今度(こんど)は一つ日本男兒(につぽんだんじ)の腕前(うでまへ)を見(み)せて呉(く)れんと、うまく相撲(すまう)の事(こと)を發議(はつぎ)すると、忽(たちま)ち彌次連(やじれん)は集(あつ)まつて來(き)た。彌次連(やじれん)の其中(そのなか)から第(だい)一に私(わたくし)に飛掛(とびかゝ)つて來(き)た一人(にん)は、獨逸(ドイツ)の法學士(はふがくし)とかいふ男(をとこ)、隨分(ずゐぶん)腕力(わんりよく)の逞(たく)ましい人間(にんげん)であつたが、此方(こなた)は多少(たせう)柔道(じうだう)の心得(こゝろえ)があるので、拂腰(こしはらひ)見事(みごと)に極(きま)つて私(わたくし)の勝(かち)、つゞいて來(く)る奴(やつ)、四人(よにん)まで投(な)げ倒(たふ)したが、第(だい)五番目(ばんめ)にのつそりと現(あら)はれて來(き)た露西亞(ロシヤ)の陸軍士官(りくぐんしくわん)、身(み)の丈(た)け六尺(しやく)に近(ちか)く阿修羅王(あしゆらわう)の荒(あ)れたるやうな男(をとこ)、力任(ちからまか)せに私(わたくし)の兩腕(りよううで)を握(にぎ)つて一振(ひとふり)に振(ふ)り飛(と)ばさんず勢(いきほひ)、私(わたくし)も之(これ)には頗(すこぶ)る閉口(へいこう)したが、どつこひ待(ま)てよ、と踏止(ふみとゞま)つて命掛(いのちが)けに揉合(もみあ)ふ事(こと)半時(はんとき)ばかり、漸(やうやく)の事(こと)で片膝(かたひざ)を着(つ)かしてやつたので、此(この)評判(へうばん)は忽(たちま)ち船中(せんちゆう)に廣(ひろ)まつて、感服(かんぷく)する老人(らうじん)もある、切齒(はがみ)する若者(わかもの)もあるといふ騷(さは)ぎ、誰(たれ)いふとなく『日本人(につぽんじん)は鐵(てつ)の一種(しゆ)である、如何(いかん)となれば黒(くろ)く且(か)つ堅固(けんご)なる故(ゆゑ)に。』などゝ不思議(ふしぎ)なる賞讃(しようさん)をすら博(はく)して、一時(じ)は私(わたくし)の鼻(はな)も餘程(よほど)高(たか)かつたが、茲(こゝ)に一大(だい)事件(じけん)が出來(しゆつたい)した、それは他(ほか)でもない、丁度(ちやうど)此(この)船(ふね)に米國(ベイこく)の拳鬪(けんとう)の達人(たつじん)とかいふ男(をとこ)が乘合(のりあは)せて居(を)つたが、此(この)噂(うわさ)を耳(みゝ)にして先生(せんせい)心安(こゝろやす)からず、『左程(さほど)腕力(わんりよく)の強(つよ)い日本人(につぽんじん)なら、一番(ばん)拳鬪(けんとう)の立(たち)合ひをせぬか。』と申込(まうしこ)んで來(き)た。
私(わたくし)は拳鬪(けんとう)の仕合(しあ)ひは見(み)た事(こと)はあるが、まだやつた事(こと)は一度(ど)もない、然(しか)し斯(か)く申込(まうしこ)まれては男(をとこ)の意地(いぢ)、どうなるものかと一番(ばん)立合(たちあ)つて見(み)たが馴(な)れぬ業(わざ)は仕方(しかた)がない、散々(さん/″\)な目(め)に逢(あ)つて、氣絶(きぜつ)する程(ほど)甲板(かんぱん)の上(うへ)に投倒(なげたふ)されて、折角(せつかく)高(たか)まつた私(わたくし)の鼻(はな)も無殘(むざん)に拗折(へしを)られてしまつた。春枝夫人(はるえふじん)は痛(いた)く心配(しんぱい)して『あまりに御身(おんみ)を輕(かろ)んじ玉(たま)ふな。』と明眸(めいぼう)に露(つゆ)を帶(お)びての諫言(いさめごと)、私(わたくし)は實(じつ)に殘念(ざんねん)であつたが其儘(そのまゝ)思(おも)ひ止(とゞま)つた。一時(じ)は拳鬪(けんとう)のお禮(れい)に眞劍勝負(しんけんしやうぶ)でも申込(まうしこ)んで呉(く)れんかとまで腹立(はらた)つたのだが。
拳鬪(けんとう)の翌日(よくじつ)また一(ひと)騷動(さうどう)が持上(もちあが)つた。それは興行(こうげう)のためにと香港(ホンコン)へ赴(おもむ)かんとて、此(この)船(ふね)に乘組(のりく)んで居(を)つた伊太利(イタリー)の曲馬師(きよくばし)の虎(とら)が檻(おり)を破(やぶ)つて飛(と)び出(だ)した事(こと)で、船中(せんちう)鼎(かなへ)の沸(わ)くが如(ごと)く、怒(いか)る水夫(すゐふ)、叫(さけ)ぶ支那人(シナじん)、目(め)を暈(まは)す婦人(ふじん)もあるといふ騷(さは)ぎで、弦月丸(げんげつまる)出港(しゆつかう)のみぎりに檣燈(しやうとう)の微塵(みじん)に碎(くだ)けたのを見(み)て『南無阿彌陀佛(なむあみだぶつ)、此(この)船(ふね)には魔(ま)が魅(みい)つて居(を)るぜ。』と呟(つぶや)いた英國(エイこく)の古風(こふう)な紳士(しんし)は甲板(かんぱん)から自分(じぶん)の船室(へや)へ逃(に)げ込(こ)まんとて昇降口(しようかうぐち)から眞逆(まつさかさま)に滑落(すべりお)ちて腰(こし)を※(ぬ)[#「抜」の「友」に代えて「ノ/友」、70-4]かした、偶然(ぐうぜん)にも船(ふね)の惡魔(あくま)が御自分(ごじぶん)に祟(たゝ)つたものであらうか。虎(とら)は漸(やうやく)の事(こと)で捕押(とりおさ)へたが其爲(そのため)に怪我人(けがにん)が七八人(にん)も出來(でき)た。
かゝる樣々(さま/″\)の出來事(できごと)の間(あひだ)、吾等(われら)の可憐(かれん)なる日出雄少年(ひでをせうねん)は、相變(あひかは)らず元氣(げんき)よく始終(しじゆう)甲板(かんぱん)を飛廻(とびまは)つて居(を)る内(うち)に、ふとリツプとか云(い)ふ、英吉利(イギリス)の極(きは)めて剽輕(へうきん)な老爺(をやぢさん)と懇意(こんい)になつて、毎日々々(まいにち/\)面白(おもしろ)く可笑(をかし)く遊(あそ)んで居(を)る内(うち)、或(ある)日(ひ)の事(こと)其(その)老爺(をやぢさん)が作(こしら)へて呉(く)れた菱形(ひしがた)の紙鳶(たこ)を甲板(かんぱん)に飛(と)ばさんとて、頻(しきり)に騷(さは)いで居(を)つたが、丁度(ちやうど)其時(そのとき)船橋(せんけう)の上(うへ)で、無法(むはふ)に水夫等(すゐふら)を叱付(しかりつ)けて居(を)つた人相(にんさう)の惡(わる)い船長(せんちやう)の帽子(ぼうし)を、其(その)鳶糸(たこいと)で跳飛(はねと)ばしたので、船長(せんちやう)は元來(ぐわんらい)非常(ひじやう)に小八釜(こやかま)しい男(をとこ)、眞赤(まつか)になつて此方(こなた)に向直(むきなほ)つたが、あまりに無邪氣(むじやき)なる日出雄少年(ひでをせうねん)の姿(すがた)を見(み)ては流石(さすが)に怒鳴(どな)る事(こと)も出來(でき)ず、ぐと/″\口(くち)の中(うち)で呟(つぶや)きながら、其(その)ビール樽(だる)のやうな身體(からだ)を轉(まろ)ばして、帽子(ぼうし)の後(あと)を追(お)ひかけた話(はなし)など、いろ/\變(かは)つた事(こと)もあるが、餘(あま)り管々(くだ/″\)しくは記(しる)すまい。
かくて吾等(われら)の運命(うんめい)を托(たく)する弦月丸(げんげつまる)は、アデン灣(わん)を出(い)でゝ印度洋(インドやう)の荒浪(あらなみ)へと進入(すゝみい)つた。

    第六回 星火榴彈(せいくわりうだん)
難破船の信號――イヤ、流星の飛ぶのでせう――無稽な三個の船燈――海幽靈め――其眼が怪しい
 荒浪(あらなみ)高(たか)き印度洋(インドやう)に進航(すゝみい)つてからも、一日(いちにち)、二日(ふつか)、三日(みつか)、四日(よつか)、と日(ひ)は暮(く)れ、夜(よ)は明(あ)けて、五日目(いつかめ)までは何事(なにごと)もなく※去(すぎさ)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、71-12]つたが、其(その)六日目(むいかめ)の夜(よる)とはなつた。私(わたくし)は夕食後(ゆふしよくご)例(いつも)のやうに食堂(しよくだう)上部(じやうぶ)の美麗(びれい)なる談話室(だんわしつ)に出(い)でゝ、春枝夫人(はるえふじん)に面會(めんくわい)し、日出雄少年(ひでをせうねん)には甲比丹(カピテン)クツクの冐瞼旅行譚(ぼうけんりよかうだん)や、加藤清正(かとうきよまさ)の武勇傳(ぶゆうでん)や、また私(わたくし)がこれ迄(まで)の漫遊中(まんゆうちう)の失策談(しつさくばなし)などを語(かた)つて聽(き)かせて、相變(あひかは)らず夜(よ)を更(ふ)かしたので、夫人(ふじん)と少年(せうねん)をば其(その)船室(ケビン)に送(おく)り込(こ)み、明朝(めうてう)を約(やく)して其處(そこ)を去(さ)つた。
印度洋(インドやう)中(ちう)の氣※(きかう)[#「候」の「ユ」に代えて「工」、72-6]程(ほど)變化(へんくわ)の激(はげ)しいものはない、今(いま)は五月(ぐわつ)の中旬(ちうじゆん)、凉(すゞ)しい時(とき)は實(じつ)に心地(こゝち)よき程(ほど)凉(すゞ)しいが、暑(あつ)い時(とき)は日本(につぽん)の暑中(しよちう)よりも一層(そう)暑(あつ)いのである。殊(こと)に今宵(こよひ)は密雲(みつうん)厚(あつ)く天(てん)を蔽(おほ)ひ、四邊(へん)の空氣(くうき)は變(へん)に重々(おも/\)しく、丁度(ちやうど)釜中(ふちう)にあつて蒸(む)されるやうに感(かん)じたので、此儘(このまゝ)船室(ケビン)に歸(かへ)つたとて、迚(とて)も安眠(あんみん)は出來(でき)まいと考(かんが)へたので、喫煙室(スモーキングルーム)に行(ゆ)かんか、其處(そこ)も暑(あつ)し、寧(むし)ろ好奇(ものずき)ではあるが暗夜(あんや)の甲板(かんぱん)に出(い)でゝ、暫時(しばし)新鮮(しんせん)の風(かぜ)に吹(ふ)かれんと私(わたくし)は唯(たゞ)一人(ひとり)で後部甲板(こうぶかんぱん)に出(で)た。此時(このとき)時計(とけい)の針(はり)は既(すで)に十一時(じ)を廻(めぐ)つて居(を)つたので、廣漠(くわうばく)たる甲板(かんぱん)の上(うへ)には、當番(たうばん)水夫(すゐふ)の他(ほか)は一個(こ)の人影(ひとかげ)も無(な)かつた、船(ふね)は今(いま)、右舷(うげん)左舷(さげん)に印度洋(インドやう)の狂瀾(きやうらん)怒濤(どたう)を分(わ)けて北緯(ほくゐ)十度(ど)の邊(へん)を進航(しんかう)して居(を)るのである。ネープルス港(かう)を出(い)づる時(とき)には笑(え)めるが如(ごと)き月(つき)の光(ひかり)は鮮明(あざやか)に此(この)甲板(かんぱん)を照(てら)して居(を)つたが、今(いま)は日數(ひかず)も二週(ふためぐり)あまりを※(す)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、73-5]ぎて眞(しん)の闇(やみ)――勿論(もちろん)先刻(せんこく)までは新月(しんげつ)の微(かす)かな光(ひかり)は天(てん)の奈邊(いづく)にか認(みと)められたのであらうが、今(いま)はそれさへ天涯(でんがい)の彼方(かなた)に落(お)ちて、見渡(みわた)す限(かぎ)り黒暗々(こくあん/\)たる海(うみ)の面(おも)、たゞ密雲(みつうん)の絶間(たへま)を洩(も)れたる星(ほし)の光(ひかり)の一二點(てん)が覺束(おぼつか)なくも浪(なみ)に反射(はんしや)して居(を)るのみである。
實(じつ)に物淋(ものさび)しい景色(けしき)※[#感嘆符三つ、73-10] 私(わたくし)は何故(なにゆゑ)ともなく悲哀(あはれ)を感(かん)じて來(き)た。すべて人(ひと)は感情(かんじやう)の動物(どうぶつ)で、樂(た)しき時(とき)には何事(なにごと)も樂(たの)しく見(み)え、悲(かな)しき時(とき)には何事(なにごと)も悲(かな)しく思(おも)はるゝもので、私(わたくし)は今(いま)、不圖(ふと)此(この)悽愴(せいさう)たる光景(くわうけい)に對(たい)して物凄(ものすご)いと感(かん)じて來(き)たら、忽然(たちまち)樣々(さま/″\)な妄想(まうぞう)が胸裡(こゝろ)に蟠(わだかま)つて來(き)た、今日(こんにち)までは左程(さほど)迄(まで)には心(こゝろ)に留(と)めなかつた、魔(ま)の日(ひ)、魔(ま)の刻(こく)の怪談(くわいだん)。白色檣燈(はくしよくしやうとう)の落下(らくか)、船長(せんちやう)の憤怒(ふんぬ)の顏(かほ)。怪(あやし)の船(ふね)の双眼鏡(さうがんきやう)。さては先日(せんじつ)反古(ほご)の新聞(しんぶん)に記(しる)されてあつた櫻木海軍大佐(さくらぎかいぐんたいさ)と其(その)帆走船(ほまへせん)との行衞(ゆくゑ)などが恰(あだか)も今夜(こんや)の此(この)物凄(ものすご)い景色(けしき)と何等(なにら)かの因縁(いんねん)を有(いう)するかのごとく、ありありと私(わたくし)の腦裡(のうり)に浮(うか)んで來(き)た。
『無※(ばか)[#「(禾+尤)/上/日」、74-7]なッ、無※(ばか)[#「(禾+尤)/上/日」、74-7]なッ。」と私(わたくし)は單獨(ひとり)で叫(さけ)んで見(み)た。強(し)いて斯(かゝ)る妄念(まうねん)を打消(うちけ)さんとて態(わざ)と大手(おほて)を振(ふ)つて甲板(かんぱん)を歩(あゆ)み出(だ)した。前檣(ぜんしやう)と後檣(こうしやう)との間(あひだ)を四五回(くわい)も往復(わうふく)する内(うち)に其(その)惡感(あくかん)も次第(しだい)/\に薄(うす)らいで來(き)たので、最早(もはや)船室(ケビン)に歸(かへ)つて睡眠(すいみん)せんと、歩(あゆ)む足(あし)は今(いま)や昇降口(しようかうぐち)を一段(だん)降(くだ)つた時(とき)、私(わたくし)は不意(ふい)に一種(しゆ)異樣(ゐやう)の響(ひゞき)を聽(き)いた。
響(ひゞき)は遙(はる)かの海上(かいじやう)に當(あた)つて、極(きは)めて微(かす)かに――實(じつ)に審(いぶ)かしきまで微(かすか)ではあるが、たしかに砲(ほう)又(また)は爆裂(ばくれつ)發火(はつくは)信號(しんがう)の響(ひゞき)※[#感嘆符三つ、75-1]
私(わたくし)はふいと頭(かうべ)を左方(さはう)に廻(めぐ)らしたが、忽(たちま)ち『キヤツ』と叫(さけ)んで再(ふたゝ)び甲板(かんぱん)に跳出(をどりで)た。今迄(いまゝで)は少(すこ)しも心付(こゝろづ)かなかつたが、唯(たゞ)見(み)る、我(わが)弦月丸(げんげつまる)の左舷船尾(さげんせんび)の方向(はうかう)二三海里(かいり)距(へだゝ)つた海上(かいじやう)に當(あた)つて、また一度(ど)微(かすか)な砲聲(ほうせい)の響(ひゞき)と共(とも)に、タール桶(おけ)、油樽等(あぶらだるとう)を燃燒(もや)すにやあらん、※(「火+稲のつくり」、第4水準2-79-87)々(えん/\)たる猛火(まうくわ)海(うみ)を照(てら)して、同時(どうじ)に星火(せいくわ)を發(はつ)する榴彈(りうだん)二發(はつ)三發(ぱつ)空(くう)に飛(と)び、つゞいて流星(りうせい)の如(ごと)き火箭(くわせん)は一次(じ)一發(ぱつ)右方(うはう)左方(さはう)に流(なが)れた。
私(わたくし)は實(じつ)に驚愕(おどろ)いたよ。
此邊(このへん)は印度洋(インドやう)の眞中(たゞなか)で、眼界(がんかい)の達(たつ)する限(かぎ)り島嶼(たうしよ)などのあらう筈(はづ)はない、まして約(やく)一分(ぷん)の間隙(かんげき)をもつて發射(はつしや)する火箭(くわぜん)及(およ)び星火榴彈(せいくわりうだん)は危急存亡(きゝふそんぼう)を告(つ)ぐる難破船(なんぱせん)の夜間信號(やかんしんがう)※[#感嘆符三つ、75-11]
『やア、大變(たいへん)だ/\。』と叫(さけ)びつゝ私(わたくし)は本船(ほんせん)の右舷(うげん)左舷(さげん)を眺(なが)めた。船(ふね)には當番(たうばん)水夫(すゐふ)あり。海上(かいじやう)に起(おこ)る千差萬別(さばんべつ)の事變(じへん)をば一も見遁(みのが)すまじき筈(はづ)の其(その)見張番(みはりばん)は今(いま)や何(なに)をか爲(な)すと見廻(みま)はすと、此時(このとき)右舷(うげん)の當番(たうばん)水夫(すゐふ)は木像(もくざう)の如(ごと)く船首(せんしゆ)の方(かた)に向(むか)つたまゝ、今(いま)の微(かすか)な砲聲(ほうせい)は耳(みゝ)にも入(い)らぬ樣子(やうす)、あらぬ方(かた)を眺(なが)めて居(を)る。左舷(さげん)の當番(たうばん)水夫(すゐふ)は今(いま)や確(たしか)に星火(せいくわ)迸(ほとばし)り、火箭(くわせん)飛(と)ぶ慘憺(さんたん)たる難破船(なんぱせん)の信號(しんがう)を認(みと)めて居(を)るには相違(さうゐ)ないのだが、何故(なぜ)か平然(へいぜん)として動(どう)ずる色(いろ)もなく、籠手(こて)を翳(かざ)して其方(そなた)を眺(なが)めて居(を)るのみ。
『當番(たうばん)水夫(すゐふ)! 何(なに)を茫然(ぼんやり)して居(を)るかツ※[#感嘆符三つ、76-8]』と叫(さけ)んだまゝ、私(わたくし)は身(み)を飜(ひるがへ)して船長室(せんちやうしつ)の方(かた)へ走(はし)つた。勿論(もちろん)、船(ふね)に嚴然(げんぜん)たる規律(きりつ)のある事(こと)は誰(たれ)も知(し)つて居(を)る、たとへ霹靂(へきれき)天空(てんくう)に碎(くだ)けやうとも、數萬(すうまん)の魔神(まじん)が一時(じ)に海上(かいじやう)に現出(あらは)れやうとも、船員(せんゐん)ならぬ者(もの)が船員(せんゐん)の職權(しよくけん)を侵(おか)して、之(これ)を船長(せんちやう)に報告(ほうこく)するなどは海上(かいじやう)の法則(はふそく)から言(い)つて、到底(たうてい)許(ゆる)す可(べ)からざる事(こと)である。私(わたくし)も其(それ)を知(し)らぬではない、けれど今(いま)は容易(ようゐ)ならざる急變(きふへん)の塲合(ばあひ)である、一分(ぷん)一秒(びやう)の遲速(ちそく)は彼方(かなた)難破船(なんぱせん)のためには生死(せいし)の堺界(わかれめ)かも知(し)れぬ、加(くは)ふるに本船(ほんせん)右舷(うげん)の當番(たうばん)水夫(すゐふ)は眼(め)あれども眼無(めな)きが如(ごと)く、左舷(さげん)の當番(たうばん)水夫(すゐふ)は鬼(おに)か蛇(じや)か、知(し)つて知(し)らぬ顏(かほ)の其(その)心(こゝろ)は分(わか)らぬが、今(いま)は瞬間(しゆんかん)も躊躇(ちうちよ)すべき塲合(ばあい)でないと考(かんが)へたので、私(わたくし)は一散(いつさん)に走(はし)つて、船橋(せんけう)の下部(した)なる船長室(せんちやうしつ)の扉(ドーア)を叩(たゝ)いた。
『船長閣下(せんちやうかくか)、起(お)き玉(たま)へ、難破船(なんぱせん)がある! 難破船(なんぱせん)がある!』と叫(さけ)ぶと、此時(このとき)船長(せんちやう)は既(すで)に寢臺(ベツド)の上(うへ)に横(よこたは)つて居(を)つたが、『何(な)んですか。』とばかり澁々(しぶ/\)起上(おきあが)つて扉(ドーア)を開(ひら)いた。私(わたくし)はツト進(すゝ)み入(ゐ)り
『船長閣下(せんちやうかくか)、越權(えつけん)ながら報告(ほうこく)します、本船(ほんせん)左舷(さげん)後方(こうほう)、三海里(かいり)許(ばかり)距(へだゝ)つた海上(かいじやう)に當(あた)つて一個(いつこ)の難破船(なんぱせん)がありますぞ。』
『難破船(なんぱせん)※(疑問符感嘆符、1-8-77) あはゝゝゝゝ。』と船長(せんちやう)は大聲(おほごえ)に笑(わら)つた。驚愕(おどろ)くと思(おも)ひきや、彼(かれ)はいと腹立(はらだ)たし氣(げ)に顏(かほ)を顰(しか)めて
『難船(なんせん)? それは何(なん)ですか、本船(ほんせん)には絶(た)えず[#「絶(た)えず」は底本では「絶(た)えす」]海上(かいじやう)を警戒(みは)る當番(たうばん)水夫(すゐふ)があるです、敢(あへ)て貴下(きか)を煩(はずら)はす筈(はづ)も無(な)いです。』
『無論(むろん)です、けれど本船(ほんせん)の當番(たうばん)水夫(すゐふ)は眼(め)の無(な)い奴(やつ)に、情(こゝろ)の無(な)い奴(やつ)です、一人(ひとり)は茫然(ぼんやり)して居(ゐ)ます、一人(ひとり)は知(し)つて知(し)らぬ顏(かほ)をして居(ゐ)ます。船長閣下(せんちやうかくか)、早(はや)く、早(はや)く、難破船(なんぱせん)の運命(うんめい)は一分(ぷん)一秒(びやう)の遲速(ちそく)をも爭(あらそ)ひますぞ。』
『いけません!』と船長(せんちやう)は冷(ひやゝ)かに笑(わら)つた。
『貴下(あなた)は海上(かいじやう)の法則(ほうそく)を知(し)りませんか、たとへ如何(どん)な事(こと)があらうとも船員(せんゐん)以外(いぐわい)の者(もの)が其(それ)に嘴(くちばし)を容(ゐ)れる權利(けんり)が無(な)いです、また私(わたくし)は貴下(あなた)から其樣(そん)な報告(ほうこく)を受(う)ける義務(ぎむ)が無(な)いです。』と彼(かれ)は右手(ゆんで)を延(のば)して卓上(たくじやう)の葉卷(シユーガー)を取上(とりあげ)た。私(わたくし)は迫込(せきこ)み
『理屈(りくつ)を申(まう)すぢやありません、私(わたくし)の越權(えつけん)は私(わたくし)が責任(せきにん)を負(お)ひます。貴下(あなた)は信(しん)じませんか、今(いま)現(げん)に難破船(なんぱせん)が救助(きゆうじよ)を求(もとめ)て居(を)るのを。』
『信(しん)じません、信(しん)ぜられません。』と船長(せんちやう)は今(いま)取上(とりあ)げた葉卷(シユーガー)を腹立(はらた)たし氣(げ)に卓上(たくじやう)に投(な)げ返(かへ)して
『當番(たうばん)水夫(すゐふ)からは何等(なにら)の報告(ほうこく)の無(な)い内(うち)は决(けつ)して信じません。况(いわ)んや此樣(こんな)平穩(おだやか)な海上(かいじやう)に難破船(なんぱせん)などのあらう筈(はづ)は無(な)い、無※(ばか)[#「(禾+尤)/上/日」、79-6]なツ。』
『無※(ばか)[#「(禾+尤)/上/日」、79-7]なツ。』と私(わたくし)は勃然(むつ)としてしまつた。日頃(ひごろ)から短氣(たんき)は私(わたくし)の持病(やまひ)、疳癪玉(かんしやくだま)が一時(いちじ)に破裂(はれつ)したよ。
『無(な)い、無(な)い、無(な)いとは何(なん)です、私(わたくし)は今(いま)現(げん)に目撃(もくげき)して來(き)たのです。』
『はゝゝゝゝ。何(なに)を目撃(もくげき)しましたか。はゝゝゝゝ。』と彼(かれ)は空惚(そらとぼ)けて大聲(おほごえ)に笑(わら)つた。私(わたくし)は實(じつ)に腹(はら)の中(なか)から※(「睹のつくり/火」、第3水準1-87-52)返(にへかへ)つたよ。序(ついで)だから言(い)つて置(お)くが、私(わたくし)は初(はじ)め此(この)船(ふね)に乘組(のりく)んだ時(とき)から一見(いつけん)して此(この)船長(せんちやう)はどうも正直(しようじき)な人物(じんぶつ)では無(な)いと思(おも)つて居(を)つたが果(はた)して然(しか)り、彼(かれ)は今(いま)、多少(たせう)の勞(らう)を厭(いと)ふて他船(たせん)の危難(きなん)をば見殺(みころ)しにする積(つもり)だなと心付(こゝろつ)いたから、私(わたくし)は激昂(げきこう)のあまり
『何(なに)を見(み)たもありません、本船(ほんせん)左舷(さげん)後方(こうほう)の海上(かいじやう)に當(あた)つて星火榴彈(せいくわりうだん)に一次(いちじ)一發(いつぱつ)の火箭(くわせん)、それが難破船(なんぱせん)の信號(しんがう)である位(くらゐ)を知(し)りませんか。』
『其樣(そんな)事(こと)は承(うけたまは)る必要(ひつえう)もありません。』と船長(せんちやう)は鼻(はな)で笑(わら)ひつゝ
『それは大方(おほかた)貴下(あなた)の眼(め)の誤(あやま)りでせうよ。うふゝゝゝ。』
『眼(め)の誤(あやま)り※(疑問符感嘆符、1-8-77) 之(これ)は怪(け)しからん、私(わたくし)にはちやんと二個(ふたつ)の眼(め)がありますぞ。』
『其(その)眼(め)が怪(あや)しい、海(うみ)の上(うへ)ではよく眩惑(ごまか)されます、貴下(あなた)は屹度(きつと)流星(りうせい)の飛(と)ぶのでも見(み)たのでせう。』とビール樽(だる)のやうな腹(はら)を突出(つきだ)して
『いや、よしんば其(それ)が眞個(ほんたう)の難破信號(なんぱしんがう)であつたにしろ、此樣(こんな)平穩(おだやか)な海上(かいじやう)で難破(なんぱ)するやうな船(ふね)は全(まつた)く我等(われ/\)海員(かいゐん)の仲間以外(なかまはづれ)です、何(なに)も面倒(めんだう)な目(め)を見(み)て救助(きうじよ)に赴(おもむ)く義務(ぎむ)は無(な)いのです。』と言(い)つて空嘯(そらぶ)き笑(わら)つた
最早(もはや)問答(もんだう)も無益(むえき)と思(おも)つたから、私(わたくし)は突然(ゐきなり)船長(せんちやう)を船室(ケビン)の外(そと)へ引出(ひきだ)した
『あれが見(み)えませんか、あれが、あの悲慘(ひさん)なる信號(しんがう)の光(ひかり)を見(み)て何(なに)とも感(かん)じませんか。』とばかり、遙(はる)かに指(ゆびさ)す左舷船尾(さげんせんび)の海上(かいじやう)。私(わたくし)は『あツ。』と叫(さけ)んだまゝ暫時(しばらく)開(あ)いた[#「開(あ)いた」は底本では「開(あ)たい」]口(くち)も塞(ふさ)がらなかつたよ。審(いぶ)かしや。今(いま)から二分(にふん)三分(さんぷん)前(まへ)までは確(たしか)に閃々(せん/\)と空中(くうちう)に飛(と)んで居(を)つた難破信號(なんぱしんがう)の火光(ひかり)は何時(いつ)の間(ま)にか消(き)え失(う)せて、其處(そこ)には海面(かいめん)より數(すう)十尺(しやく)高(たか)く白色球燈(はくしよくきうとう)輝(かゞや)き、船(ふね)の右舷(うげん)左舷(さげん)と覺(お)ぼしき處(ところ)に緑燈(りよくとう)、紅燈(こうとう)の光(ひかり)がぼんやりと見(み)ゆるのみである。前檣(ぜんしやう)に白燈(はくとう)、右舷(うげん)に緑燈(りよくとう)、左舷(さげん)に紅燈(こうとう)は言(い)ふ迄(まで)もない、安全航行(あんぜんかうかう)の信號(しんがう)※[#感嘆符三つ、81-11]
『はゝあ、或程(なるほど)、星火榴彈(せいくわりうだん)に一次(いちじ)一發(いつぱつ)の火箭(くわせん)、救助(きゆうじよ)を求(もと)むる難破船(なんぱせん)の信號(しんがう)がよく見(み)えます、貴下(あなた)の眼は仲々(なか/\)結構(けつこう)な眼(め)です。』と意地惡(ゐぢわる)き船長(せんちやう)はぢろりッと私(わたくし)の顏(かほ)を睨(にら)んだか、私(わたくし)は一言(いちごん)も無(な)いのである。然(しか)し實(じつ)に奇怪(きくわい)な事(こと)ではないか、今(いま)安全信號燈(あんぜんしんがうとう)の輝(かゞや)いて居(を)る邊(へん)の海上(かいじやう)には、確實(たしか)に悲慘(ひさん)なる難破船(なんぱせん)の信號(しんがう)が見(み)えて居(を)つたのに。さては船長(せんちやう)の言(い)ふがごとく私(わたくし)の眼(め)の誤(あやま)りであつたらうか。否(いや)、否(いや)、如何(どう)考(かんが)へても私(わたくし)は白(しろ)、緑(みどり)、紅(あか)の燈光(とうくわう)を星火榴彈(せいくわりうだん)や火箭(くわぜん)と間違(まちが)へる程(ほど)惡(わる)い眼(まなこ)は持(も)つて居(を)らぬ筈(はづ)。して見(み)ると先刻(せんこく)の難破船信號(なんぱせんしんがう)は、何時(いつ)の間(ま)にか安全航行(あんぜんかうかう)の信號(しんがう)に變(かは)つたに相違(さうゐ)ない。さて/\奇妙(きめう)な事(こと)だと、私(わたくし)は暫時(しばらく)五里霧中(ごりむちう)に彷徨(さまよ)ふた。
船長(せんちやう)は一時(いちじ)は毒々(どく/\)しく私(わたくし)の顏(かほ)を眺(なが)めて嘲笑(あざわら)つて居(を)つたが此時(このとき)稍(や)や眞面目(まじめ)になつて其(その)光(ひかり)の方(かた)を眺(なが)めつゝ
『然(しか)し妙(めう)だぞ、今月(こんげつ)の航海表(かうかいへう)によると、今頃(いまごろ)此(この)航路(かうろ)を本船(ほんせん)の後(あと)を追(お)ふて斯(か)く進航(しんかう)して來(く)る船(ふね)は無(な)い筈(はづ)だが。』と小首(こくび)を傾(かたむ)けたが忽(たちま)ちカラ/\と笑(わら)つて
『あゝ分(わか)つた/\、畜生(ちくしやう)巧(うま)くやつてるな、此前(このまへ)あの邊(へん)で沈沒(ちんぼつ)したトルコ丸(まる)の船幽靈(ふないうれい)めが、まだ浮(うか)び切(き)れないで難破船(なんぱせん)の眞似(まね)なんかして此(この)船(ふね)を暗礁(あんせう)へでも僞引寄(おびきよ)せやうとかゝつて居(い)るんだな、どつこい、其手(そのて)は喰(く)はんぞ。』と呟(つぶや)きながら私(わたくし)に向(むか)ひ
『だが[#「だが」は底本では「だか」]先刻(せんこく)は確實(たしか)に救助(きゆうじよ)を求(もと)むる難破船(なんぱせん)の信號(しんがう)が見(み)えましたか。』と眉(まゆ)に唾(つばき)した。可笑(をか)しい樣(やう)だが船乘人(ふなのり)にはかゝる迷信(めいしん)を抱(いだ)いて居(を)る者(もの)が澤山(たくさん)ある、私(わたくし)は相手(あいて)にせず簡單(かんたん)に
『左樣(さやう)、確(たしか)に救助(きうじよ)を求(もと)むる難破(なんぱ)の信號(しんがう)!。」と答(こた)へて、彼(かれ)が『うむ、いよ/\違(ちがひ)ない、船幽靈(ふなゆうれい)メー。』と單獨(ひとり)でぐと/\何事(なにごと)をか言(い)つて居(を)るのを聽(き)き流(なが)しながら、猶(なほ)よく其(その)海上(かいじやう)を見渡(みわた)すと、今(いま)眼(め)に見(み)ゆる三個(さんこ)の燈光(とうくわう)は、决(けつ)して愚(おろか)なる船長(せんちやう)の言(い)ふが如(ごと)き、怨靈(おんれう)とか海(うみ)の怪物(ばけもの)とかいふ樣(やう)な世(よ)に在(あ)り得可(うべ)からざる者(もの)の光(ひかり)ではなく、緑(りよく)、紅(こう)の兩燈(りようとう)は確(たしか)に船(ふね)の舷燈(げんとう)で、海面(かいめん)より高(たか)き白色(はくしよく)の光(ひかり)は海上法(かいじやうほふ)に從(したが)ひ甲板(かんぱん)より二十尺(しやく)以上(いじやう)高(たか)く掲(かゝ)げられたる檣燈(しやうとう)にて、今(いま)や、何等(なにら)かの船(ふね)は、我(わ)が弦月丸(げんげつまる)の後(あと)を追(お)ふて進航(しんかう)しつゝ來(きた)るのであつた。

    第七回 印度洋(インドやう)の海賊(かいぞく)
水雷驅逐艦か巡洋艦か――昔の海賊と今の海賊――海底潜水器――探海電燈(サアチライト)――白馬の如き立浪――海底淺き處――大衝突
 私(わたくし)が一心(いつしん)に見詰(みつ)めて居(を)る間(あひだ)に、右舷(うげん)に緑燈(りよくとう)、左舷(さげん)に紅燈(こうとう)、甲板(かんぱん)より二十尺(しやく)以上(いじやう)高(たか)き前檣(ぜんしやう)に閃々(せん/\)たる白色燈(はくしよくとう)を掲(かゝ)げたる一隻(いつさう)の船(ふね)は、印度洋(インドやう)の闇黒(やみ)を縫(ぬ)ふてだん/″\と接近(せつきん)して來(き)た。今(いま)、我(わ)が弦月丸(げんげつまる)は一時間(じかん)に十二三海里(ノツト)の速力(そくりよく)をもつて進航(しんかう)して居(を)るのに、其(その)後(あと)を追(お)ふて斯(か)くも迅速(じんそく)に接近(せつきん)して來(く)るとは、實(じつ)に非常(ひじやう)の速力(そくりよく)でなければならぬ。今(いま)の世(よ)に、かくも驚(おどろ)く可(べ)き速力(そくりよく)をもつて居(を)る船(ふね)は、水雷驅逐艦(すゐらいくちくかん)か、水雷巡洋艦(すゐらいじゆんやうかん)の他(ほか)はあるまい、あの燈光(とうくわう)の主體(しゆたい)は果(はた)して軍艦(ぐんかん)の種類(しゆるい)であらうか。軍艦(ぐんかん)の種類(しゆるい)ならば何(なに)も配慮(しんぱい)するには及(およ)ばないが――若(も)しや――若(も)しや――と私(わたくし)はふと或(ある)事(こと)を想起(おもひおこ)した時(とき)、思(おも)はずも戰慄(せんりつ)したよ。
未(いま)だ其(そ)の船(ふね)の船體(せんたい)も認(みと)めぬ内(うち)から、斯(かゝ)る心配(しんぱい)をするのは全(まつた)く馬鹿氣(ばかげ)て居(を)るかも知(し)れぬが、先刻(せんこく)からの奇怪(きくわい)の振舞(ふるまひ)を見(み)ては、どうも心(こゝろ)が安(やす)くないのである、第一(だいゝち)に遙(はる)か/\の闇黒(あんこく)なる海上(かいじやう)に於(おい)て、星火榴彈(せいくわりうだん)を揚(あ)げ、火箭(くわぜん)を飛(と)ばして難破船(なんぱせん)の風體(ふうてい)を摸擬(よそを)つたなど、船長(せんちやう)は單(たん)に船幽靈(ふないうれい)の仕業(しわざ)で御坐(ござ)るなどゝ、無※(ばか)[#「(禾+尤)/上/日」、85-11]な事(こと)を言(い)つて居(を)るが其實(そのじつ)、かの不思議(ふしぎ)なる難破船(なんぱせん)の信號(しんがう)は、現世(このよ)に存在得(ありう)べからざる海魔(かいま)とか船幽靈(ふなゆうれい)とかよりは百倍(ひやくばい)も千倍(せんばい)も恐怖(おそ)るべき或(ある)者(もの)の仕業(しわざ)で、何(なに)か企圖(くわだ)つる所(ところ)があつて、我(わ)が弦月丸(げんげつまる)を彼處(かしこ)の海上(かいじやう)へ誘引(おび)き寄(よ)せやうとしたのではあるまいか、實(じつ)に印度洋(インドやう)の航海(かうかい)程(ほど)世(よ)に恐(おそ)るべき航海(かうかい)はない、颶風(タイフン)や、大強風(ストロング、ゲー)や、咫尺(しせき)を辨(べん)ぜぬ海霧(シーフ、オツグ)や、其他(そのほか)、破浪(はらう)、逆潮浪(ぎやくてうらう)の悽(すざ)まじき、亂雲(らんうん)、積雲(せきうん)の物凄(ものすご)き、何處(いづく)の航海(かうかい)にも免(まぬ)かれ難(がた)き海員(かいゐん)の苦難(くなん)ではあるが、特(こと)に此(この)印度洋(インドやう)では是等(これら)の苦難(くなん)の外(ほか)に、今一個(いまひとつ)最(もつと)も恐怖(おそ)る可(べ)き『海賊船(かいぞくせん)の襲撃(しゆうげき)』といふ禍(わざわい)がある。往昔(むかし)から此(この)洋中(やうちう)で、海賊船(かいぞくせん)の襲撃(しゆうげき)を蒙(こうむ)つて、悲慘(ひさん)なる最後(さいご)を遂(と)げた船(ふね)は幾百千艘(いくひやくせんざう)あるかも分(わか)らぬ。人(ひと)の談話(はなし)では今(いま)は往昔(むかし)程(ほど)海賊船(かいぞくせん)の横行(わうかう)ははげしくは無(な)いが、其代(そのかは)り往昔(むかし)の海賊船(かいぞくせん)は一撃(いちげき)の下(もと)に目指(めざ)[#ルビの「めざ」は底本では「あざ」]す貨物船(くわぶつせん)を撃沈(げきちん)するやうな事(こと)はなく、必(かなら)ず其(その)船(ふね)をもつて此方(こなた)に乘掛(のりか)け來(きた)り、武裝(ぶさう)せる幾多(いくた)の海賊(かいぞく)輩(ども)は手(て)に/\劔戟(けんげき)を振翳(ふりかざ)しつゝ、彼方(かなた)の甲板(かんぱん)から此方(こなた)へ乘移(のりうつ)り、互(たがひ)に血汐(ちしほ)を流(なが)して勝敗(しようはい)を爭(あらそ)ふのであるから、海賊(かいぞく)勝(か)てば其後(そのゝち)の悲慘(ひさん)なる光景(くわうけい)は言(い)ふ迄(まで)もないが、若(も)し此方(こなた)強(つよ)ければ其(その)賊(ぞく)輩(ども)を鏖殺(みなごろし)にする事(こと)も出來(でき)るのである。けれど今日(こんにち)に於(おい)ては、海賊(かいぞく)も餘程(よほど)狡猾(かうかつ)になつて、かゝる手段(しゆだん)に出(い)づる事(こと)は稀(まれ)で、加(くわ)ふるに海底潜水器(かいていせんすいき)の發明(はつめい)があつて以來(いらい)、海賊船(かいぞくせん)は多(おほ)く其(その)發明(はつめい)を應用(おうよう)して、若(も)し漫々(まん/\)たる海洋(かいやう)の上(うへ)に金銀(きんぎん)財寳(ざいほう)を滿載(まんさい)せる船(ふね)を認(みと)めた時(とき)には、先(ま)づ砲(ほう)又(また)は衝角(しようかく)をもつて一撃(いちげき)の下(もと)に其(その)船(ふね)を撃沈(げきちん)し、後(のち)に潜水器(せんすいき)を沈(しづ)めて其(その)財寳(ざいほう)を引揚(ひきあ)げる相(さう)である。勿論(もちろん)、今日(こんにち)に於(おい)ても潜水器(せんすいき)の發明(はつめい)は未(いま)だ充分(じゆうぶん)完全(くわんぜん)の度(ど)には進(すゝ)んで居(を)らぬから、此(この)手段(しゆだん)とて絶對的(ぜつたいてき)に應用(おうよう)する事(こと)の出來(でき)ぬのは言(い)ふ迄(まで)もない。即(すなは)ち現今(げんこん)に於(おい)て最(もつと)も精巧(せいこう)なる潜水器(せんすいき)でも、海底(かいてい)五十米突(メートル)以下(いか)に沈(しづ)んでは水(みづ)の壓力(あつりよく)の爲(た)めと空氣喞筒(くうきポンプ)の不完全(ふくわんぜん)なる爲(ため)に、到底(たうてい)其(その)用(よう)を爲(な)さぬのであるから、潜水器(せんすいき)を用(もち)ゆる海賊船(かいぞくせん)は、常(つね)に此點(このてん)に向(むか)つて深(ふか)く意(こゝろ)を用(もち)ゐ、狂瀾(きやうらん)逆卷(さかま)く太洋(たいやう)の面(めん)に於(おい)て、目指(めざ)す貨物船(くわぶつせん)を撃沈(げきちん)する塲所(ばしよ)は必(かなら)ず海底(かいてい)の深(ふか)さ五十米突(メートル)に足(た)らぬ島嶼(たうしよ)の附近(ふきん)か、大暗礁(だいあんせう)又(また)は海礁(かいせう)の横(よこたは)つて居(を)る塲所(ばしよ)に限(かぎ)つて居(を)る相(さう)だ。
 今(いま)、私(わたくし)は黒暗々(こくあん/\)たる印度洋(インドやう)の眞中(まんなか)に於(おい)て、わが弦月丸(げんげつまる)の後(あと)を追(お)ふかの奇怪(きくわい)なる船(ふね)を見(み)てふと此樣(こんな)事(こと)を想(おも)ひ出(だ)した。讀者(どくしや)諸君(しよくん)よ笑(わら)ひ玉(たま)ふな、私(わたくし)の配慮(しんぱい)は餘(あま)りに神經的(しんけいてき)かも知(し)れぬが、然(しか)し以上(いじやう)の物語(ものがたり)と、今(いま)から數分(すうふん)以前(いぜん)にかの船(ふね)が本船(ほんせん)右舷(うげん)後方(こうほう)の海上(かいじやう)に於(おい)て不思議(ふしぎ)にも難破信號(なんぱしんがう)を揚(あ)げた事(こと)とで考(かんが)へ合(あは)せると斯(かゝ)る配慮(しんぱい)の起(おこ)るのも無理(むり)はあるまい。私(わたくし)は印度洋(インドやう)の海底(かいてい)の有樣(ありさま)は精密(くわし)くは知(し)らぬが此(この)洋(やう)全面積(ぜんめんせき)は二千五百※方哩(にせんごひやくまんほうマイル)[#「一/力」、88-10]、深(ふか)き所(ところ)は底知(そこし)れぬが、處々(ところ/\)に大暗礁(だいあんせう)又(また)は海礁(かいせう)が横(よこたは)つて居(を)つて、水深(すいしん)五十米突(メートル)に足(た)らぬ所(ところ)もある相(さう)な。して見(み)ると私(わたくし)でなくとも、此樣(こん)な想像(さうざう)は起(おこ)るであらう、今(いま)、本船(ほんせん)の後(あと)を追(お)ふかの奇怪(あやし)の船(ふね)は或(あるひ)は印度洋(インドやう)の大惡魔(だいあくま)と世(よ)に隱(かく)れなき海賊船(かいぞくせん)で、先刻(せんこく)遙(はる)か/\の海上(かいじよう)で、星火榴彈(せいくわりうだん)を揚(あ)げ、火箭(くわぜん)を飛(とば)して、救助(きうじよ)を求(もと)むる難破船(なんぱせん)の眞似(まね)をしたのは、あの邊(へん)の海底(かいてい)は何(なに)かの理由(りいう)で水深(すいしん)左程(さまで)深(ふか)からず、我(わ)が弦月丸(げんげつまる)を撃沈(げきちん)して後(のち)に潜水器(せんすいき)を沈(しづ)めるに便利(べんり)の宜(よ)かつた爲(ため)ではあるまいか、本船(ほんせん)の愚昧(おろか)[#ルビの「おろか」は底本では「おろな」]なる船長(せんちやう)は『船幽靈(ふないうれい)めが、難破船(なんぱせん)の眞似(まね)なんかして、此(この)船(ふね)を暗礁(あんせう)へでも誘引(おび)き寄(よ)せやうとかゝつて居(を)るのだな。』と延氣(のんき)な事(こと)を言(い)つて居(を)つたが、其實(そのじつ)船幽靈(ふないうれい)ならぬ海賊船(かいぞくせん)が、あの邊(へん)の暗礁(あんせう)へ我(わが)船(ふね)を誘引(おび)き寄(よ)せやうと企圖(くわだ)て居(を)つたのかも知(し)れぬ。偶然(ぐうぜん)にも我(わ)が弦月丸(げんげつまる)は斯(かゝ)る信號(しんがう)には頓着(とんちやく)なく、ずん/″\と其(その)進航(しんかう)を續(つゞ)けた爲(た)め、策略(はかりごと)破(やぶ)れた海賊船(かいぞくせん)は、今(いま)や他(た)の手段(しゆだん)を廻(めぐ)らしつゝ、頻(しき)りに我(わが)船(ふね)の後(あと)を追及(ついきふ)するのではあるまいか、不幸(ふこう)にして私(わたくし)の想像(さうざう)が誤(あやま)らなければ夫(それ)こそ大變(たいへん)、今(いま)本船(ほんせん)とかの奇怪(きくわい)なる船(ふね)との間(あひだ)は未(ま)だ一海里(かいり)以上(いじやう)は確(たしか)に距(へだゝ)つて居(を)るが、あの燈光(ともしび)のだん/\と明亮(あかる)くなる工合(ぐあひ)で見(み)ても、其(その)船脚(ふなあし)の悽(すざ)まじく速(はや)い事(こと)が分(わか)るから、頓(やが)て本船(ほんせん)に切迫(せつぱく)するのも十分(ぷん)か十五分(ふん)の後(のち)であらう。あゝ、海賊船(かいぞくせん)か、海賊船(かいぞくせん)か、若(も)しもあの船(ふね)が世界(せかい)に名高(なだか)き印度洋(インドやう)の海賊船(かいぞくせん)ならば、其(その)船(ふね)に睨(にら)まれたる我(わが)弦月丸(げんげつまる)の運命(うんめい)は最早(もはや)是迄(これまで)である。たとへ我(わが)船(ふね)が全檣(ぜんしやう)に帆(ほ)を張(は)り蒸※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)機關(じようききくわん)の破裂(はれつ)するまで石炭(せきたん)を焚(た)いて逃(に)げやうとも如何(いか)で逃(に)げ終(を)うする事(こと)が出來(でき)やう。勿論(もちろん)、かの船(ふね)は私(わたくし)の想像(さうざう)するが如(ごと)き海賊船(かいぞくせん)であつたにしろ、左樣(さう)無謀(むぼう)には本船(ほんせん)を撃沈(げきちん)するやうな事(こと)はあるまい、印度洋(インドやう)の平均水深(へいきんすいしん)は一千(せん)八百(ひやく)三十尋(ひろ)、其樣(そん)な深(ふか)い所(ところ)で輕々(かろ/″\)しく本船(ほんせん)を撃沈(げきちん)した處(ところ)で、到底(たうてい)かの船(ふね)の目的(もくてき)を達(たつ)する事(こと)は出來(でき)まいから。けれど、彼方(かなた)天魔(てんま)鬼神(きじん)を欺(あざむ)く海賊船(かいぞくせん)ならば一度(ひとたび)睨(にら)んだ船(ふね)をば如何(いか)でか其儘(そのまゝ)に見遁(みのが)すべき。事(こと)面倒(めんだう)と思(おも)はゞ、昔話(むかしばなし)に聞(き)く海賊船(かいぞくせん)の戰術(せんじゆつ)を其儘(そのまゝ)に、鋭(するど)き船首(せんしゆ)は眞一文字(まいちもんじ)に此方(こなた)に突進(とつしん)し來(きた)つて、手(て)に/\劍戟(けんげき)を振翳(ふりかざ)せる異形(ゐげう)の海賊(かいぞく)輩(ども)は亂雲(らんうん)の如(ごと)く我(わ)が甲板(かんぱん)に飛込(とびこ)んで來(く)るかも知(し)れぬ。若(も)し然(さ)なくば隱見(ゐんけん)出沒(しゆつぼつ)、氣長(きなが)く我(わが)船(ふね)の後(あと)を追(お)ふ内(うち)、本船(ほんせん)が何時(いつ)か海水(かいすい)淺(あさ)き島嶼(たうしよ)の附近(ふきん)か、底(そこ)に大海礁(だいかいせう)の横(よこたは)る波上(はじやう)にでも差懸(さしか)かつた時(とき)、風(かぜ)の如(ごと)く來(きた)り、雲(くも)の如(ごと)く現(あら)はれ出(い)でゝ、一撃(げき)の下(もと)に其處(そこ)に我(わ)が船(ふね)を撃沈(げきちん)する積(つもり)かも知(し)れぬ。
斯(か)う考(かんが)へると實(じつ)に底氣味(そこきみ)の惡(わる)いも/\、私(わたくし)は心(こゝろ)の底(そこ)から寒(さむ)くなつて來(き)た。
兎角(とかく)する程(ほど)に怪(あやし)の船(ふね)はます/\接近(せつきん)し來(きた)つて、白(しろ)、紅(あか)、緑(みどり)の燈光(とうくわう)は闇夜(やみ)に閃(きら)めく魔神(まじん)の巨眼(まなこ)のごとく、本船(ほんせん)の左舷(さげん)後方(こうほう)約(やく)四五百米突(メートル)の所(ところ)に輝(かゞや)いて居(を)る。
私(わたくし)は胸(むね)を跳(をど)らせつゝ我(わ)が甲板(かんぱん)の前後(ぜんご)左右(さいう)を眺(なが)めた。例(れい)のビール樽(だる)船長(せんちやう)は此時(このとき)私(わたくし)の頭上(づじやう)に當(あた)る船橋(せんけう)の上(うへ)に立(た)つて、頻(しき)りに怪(あやし)の船(ふね)の方向(ほうかう)を見詰(みつ)めて居(を)つたが、先刻(せんこく)遙(はる)か/\の海上(かいじやう)に朦乎(ぼんやり)と三個(さんこ)の燈光(ともしび)を認(みと)めた間(あひだ)こそ、途方(とほう)も無(な)い事(こと)を言(い)つて居(を)つたものゝ、最早(もはや)斯(か)うなつては其樣(そん)な無※(ばか)[#「(禾+尤)/上/日」、92-4]な事(こと)は言(い)つて居(を)られぬ。
『はてさて、妙(めう)だぞ、あれは矢(や)ツ張(ぱり)※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)船(きせん)だわい、して見(み)ると今月(こんげつ)の航海表(かうかいへう)に錯誤(まちがい)があつたのかしらん。』と言(い)ひつゝ、仰(あほ)いで星影(ほしかげ)淡(あは)き大空(おほぞら)を眺(なが)めたが
『いや、いや、如何(どう)考(かんが)へても今時分(いまじぶん)あんな船(ふね)に此(この)航路(かうろ)で追越(おひこ)される筈(はづ)はないのだ。』と見(み)る/\内(うち)に不安(ふあん)の顏色(いろ)が現(あら)はれて來(き)た。
此時(このとき)はすでに澤山(たくさん)の船員等(せんゐんら)は此處彼處(こゝかしこ)から船橋(せんけう)の邊(ほとり)を指(さ)して集(あつま)つて來(き)た。いづれも愕(おどろ)いた樣(やう)な、審(いぶか)るやうな顏(かほ)で、今(いま)やます/\接近(せつきん)し來(きた)る怪(あやし)の船(ふね)の燈光(とうくわう)を眺(なが)めて居(を)る。
『實(じつ)に不思議(ふしぎ)だ――あの船脚(ふなあし)の速(はや)い事(こと)は――』と右手(ゆんで)の時辰器(じしんき)を船燈(せんとう)の光(ひかり)に照(てら)して打眺(うちなが)めつゝ、眤(じつ)と考(かんが)へて居(を)るのは本船(ほんせん)の一等運轉手(チーフメート)である。つゞいて
『何會社(どこ)の※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)船(ふね)だらう。』
『商船(しようせん)だらうか、郵便船(ゆうびんせん)だらうか。』
『いや、軍艦(ぐんかん)に相違(さうゐ)ない。』
『軍艦(ぐんかん)にしても、あんなに速(はや)い船脚(ふなあし)は新式(しんしき)巡洋艦(じゆんやうかん)か、水雷驅逐艦(すいらいくちくかん)の他(ほか)はあるまい。』と二等(とう)運轉手(うんてんしゆ)、非番(ひばん)舵手(だしゆ)、水夫(すゐふ)、火夫(くわふ)、船丁(ボーイ)に至(いた)るまで、互(たがひ)に眼(め)と眼(め)を見合(みあは)せつゝ口々(くち/″\)に罵(のゝし)り騷(さは)いで居(を)る。彼等(かれら)の中(うち)には、先刻(せんこく)の不思議(ふしぎ)な信號(しんがう)を見(み)た者(もの)もあらう、また見(み)ぬ者(もの)もあらう。
怪(あやし)の船(ふね)は遂(つひ)に我(わ)が弦月丸(げんげつまる)と雁行(がんかう)になつた。船橋(せんけう)の船長(せんちやう)は右顧左顧(うこさこ)、頻(しき)りに心安(こゝろやす)からず見(み)えた。我(わ)が一等運轉手(チーフメート)は急(いそが)はしく後部甲板(こうぶかんぱん)に走(はし)つたが、忽(たちま)ち一令(いちれい)を掛(か)けると、一個(いつこ)の信號水夫(しんがうすゐふ)は、右手(ゆんで)に高(たか)く白色球燈(はくしよくきうとう)を掲(かゝ)げて、左舷船尾(さげんせんび)の「デツキ」に立(た)つた。之(こ)れは海上法(かいじやうほふ)に從(したが)つて、船(ふね)の將(まさ)に他船(たせん)に追越(おひこ)されんとする時(とき)に表示(へうし)する夜間信號(やかんしんがう)である。然(しか)るに彼方(かなた)怪(あやし)の船(ふね)は敢(あへ)て此(この)信號(しんがう)には應答(こた)へんともせず、忽(たちま)ち見(み)る其(その)甲板(かんぱん)からは、一導(いちだう)の探海電燈(サーチライト)の光(ひかり)閃々(せん/\)と天空(てんくう)を照(てら)し、つゞいてサツとばかり、其(その)眩(まば)ゆき光(ひかり)を我(わ)が甲板(かんぱん)に放(な)げると共(とも)に、※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)笛(きてき)一二聲(せい)、波(なみ)を蹴立(けた)てゝます/\進航(しんかう)の速力(そくりよく)を速(はや)めた。
見(み)る/\内(うち)に怪(あやし)の船(ふね)の白色檣燈(はくしよくしやうとう)は我(わ)が弦月丸(げんげつまる)の檣燈(しやうとう)と並行(へいかう)になつた――早(は)や、彼方(かなた)の右舷(うげん)の緑燈(りよくとう)は我(わ)が左舷(さげん)の紅燈(こうとう)を尻眼(しりめ)にかけて、一米突(メートル)――二米突(メートル)――三米突(メートル)――端艇(ボート)ならば少(すくな)くも半艇身(はんていしん)以上(いじやう)我(わ)が船(ふね)を乘越(のりこ)した。
此時(このとき)!
私(わたくし)は如何(いか)にもして、かの怪(あやし)の船(ふね)の正體(しやうたい)を見屆(みとゞ)けんものをと、身(み)を飜(ひるがへ)して左舷船首(さげんせんしゆ)に走(はし)り、眼(まなこ)を皿(さら)のやうにして其(その)船(ふね)の方(かた)を見詰(みつ)めたが、月無(つきな)く、星影(ほしかげ)も稀(まれ)なる海(うみ)の面(おもて)は、百米突(メートル)――二百米突(メートル)とは距(へだ)たらぬのに黒暗々(こくあん/\)として咫尺(しせき)を辨(べん)じない。加(くは)ふるに前檣々頭(ぜんしやうしやうとう)に一點(いつてん)の白燈(はくとう)と、左舷(さげん)の紅燈(こうとう)は見(み)えで、右舷(うげん)に毒蛇(どくじや)の巨眼(まなこ)の如(ごと)き緑色(りよくしよく)の舷燈(げんとう)を現(あらは)せる他(ほか)は、船橋(せんけう)にも、甲板(かんぱん)にも、舷窓(げんさう)からも、一個(いつこ)の火影(ほかげ)を見(み)せぬかの船(ふね)は、殆(ほと)んど闇黒(やみ)に全體(ぜんたい)を包(つゝ)まれて居(を)つたが、私(わたくし)の一念(いちねん)の屆(とゞ)いて幾分(いくぶ)か神經(しんけい)の鋭(するど)くなつた爲(ため)か、それとも瞳(ひとみ)の漸(やうや)く闇黒(あんこく)に馴(な)れた爲(ため)か、私(わたくし)は辛(からう)じて其(その)燈光(ひかり)の主體(ぬし)を認(みと)め得(え)た途端(とたん)、またもや射出(ゐいだ)す彼船(かのふね)の探海電燈(サーチライト)、其邊(そのへん)は。パツと明(あか)るくなる、私(わたくし)は一見(いつけん)して卒倒(そつたう)するばかりに愕(おどろ)き叫(さけ)んだよ
『海蛇丸(かいだまる)※[#感嘆符三つ、95-12] 海蛇丸(かいだまる)※[#感嘆符三つ、95-12]』と。
讀者(どくしや)諸君(しよくん)は未(ま)だ御記臆(ごきおく)だらう。我(わ)が弦月丸(げんげつまる)が將(まさ)に子ープルス港(かう)を出發(しゆつぱつ)せんとした時(とき)、何故(なにゆゑ)ともなく深(ふか)く私(わたくし)の眼(まなこ)に留(とゞま)つた一隻(いつさう)の怪(あやし)の船(ふね)を。噸數(とんすう)一千噸(とん)位(くらゐ)、二本(にほん)烟筒(えんとつ)に二本(にほん)檣(マスト)、其(その)下甲板(げかんぱん)には大砲(たいほう)小銃等(せうじうとう)を積(つ)めるにやあらん。審(いぶ)かしき迄(まで)船脚(ふなあし)の深(ふか)く沈(しづ)んで見(み)えた其(その)船(ふね)が、今(いま)や闇黒(あんこく)なる波浪(なみ)の上(うへ)に朦朧(ぼんやり)と認(みと)められたのである。
『紛(まぎら)ふ方(かた)なき海蛇丸(かいだまる)※[#感嘆符三つ、96-6]』と私(わたくし)は再(ふたゝ)び叫(さけ)んだ。あゝ、海蛇丸(かいだまる)は前(さき)には子ープルス港(かう)にていと奇怪(あや)しき擧動(ふるまひ)をなし、其時(そのとき)、我(わ)が弦月丸(げんげつまる)よりは數分(すうふん)前(まへ)に港(みなと)を發(はつ)して、かくも迅速(じんそく)なる速力(そくりよく)を有(も)てるにも拘(かゝは)らず、今(いま)や却(かへつ)て我(わ)が船(ふね)の後(あと)を追(お)ふて來(く)るとは、之(これ)が單(たん)に、偶然(ぐうぜん)の出來事(できごと)とのみ言(い)はれやうか? ? ?
然(しか)るに此時(このとき)まで、海蛇丸(かいだまる)は別(べつ)に害意(がいゐ)ありとも見(み)えず、たゞ其(その)甲板(かんぱん)からは絶(た)えず[#「絶(た)えず」は底本では「絶(た)えす」]探海電燈(サーチライト)の閃光(ひかり)を射出(しやしゆつ)して、或(あるひ)は天空(てんくう)を照(てら)し、或(あるひ)は其(その)光(ひかり)を此方(こなた)に向(む)け、又(また)は海上(かいじやう)の地理(ちり)形况等(けいけうとう)を探(さぐ)るにやあらん、我(わ)が弦月丸(げんげつまる)が指(さ)して行(ゆ)く航路(かうろ)の海波(なみ)を照(てら)しつゝ、ずん/″\と前方(かなた)に駛(はし)り去(さ)つた。本船(ほんせん)は今(いま)は却(かへつ)て其(その)後(あと)を追(お)ふのである。
稍(や)や十分(ぷん)も※(す)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、97-4]ぎたと思(おも)ふ頃(ころ)二船(にせん)の間(あひだ)は餘程(よほど)距(へだ)たつた。私(わたくし)は思(おも)はず一息(ひといき)ついた、『矢張(やはり)無益(むえき)の心配(しんぱい)であつたか』と少(すこ)しく胸(むね)撫(な)でおろす、其時(そのとき)、私(わたくし)はふと心付(こゝろつ)いたよ、先刻(せんこく)までは極(きは)めて動搖(ゆるぎ)平穩(おだやか)であつた我(わ)が弦月丸(げんげつまる)は何時(いつ)の間(ま)にか甲板(かんぱん)も傾(かたむ)くばかり激(はげ)しき動搖(ゆるぎ)を感(かん)じて居(を)るのであつた。眺(なが)めると闇黒(あんこく)なる右舷(うげん)左舷(さげん)の海上(かいじやう)は尋常(たゞ)ならず浪(なみ)荒(あら)く、白馬(はくば)の如(ごと)き立浪(たつなみ)の跳(をど)るのも見(み)える。印度洋(インドやう)とて千尋(せんじん)の水深(ふかさ)ばかりではない、斯(か)く立浪(たつなみ)の騷(さわ)いで居(を)るのは、確(たしか)に其邊(そのへん)に大暗礁(だいあんせう)の横(よこたは)つて居(を)るとか、今(いま)しも我(わ)が弦月丸(げんげつまる)の進航(しんかう)しつゝある航路(かうろ)の底(そこ)は一面(いちめん)の大海礁(だいかいせう)で蔽(おほ)はれて居(お)るのであらう。
大暗礁(だいあんせう)! 大海礁(だいかいせう)! たとへ船(ふね)を坐礁(のりあげ)る程(ほど)でなくとも、此邊(このへん)の海底(かいてい)の淺(あさ)い事(こと)は分(わか)つて居る※[#感嘆符三つ、98-2]
はツと思(おも)つたが、此時(このとき)忽(たちま)ち我(わ)が弦月丸(げんげつまる)の前甲板(ぜんかんぱん)に尋常(たゞ)ならぬ叫聲(さけびごゑ)が聽(きこ)えた。私(わたくし)は跳上(をどりあが)つて眼(まなこ)を放(はな)つと、唯(たゞ)見(み)る、本船々首(ほんせんせんしゆ)正面(しやうめん)の海上(かいじやう)に、此時(このとき)まで閃々(せん/\)たる光(ひかり)は絶(た)えず海(うみ)の八方(はつぱう)を照(てら)しつゝ既(すで)に一海里(いつかいり)ばかり駛(はし)り去(さ)つた海蛇丸(かいだまる)は、此時(このとき)何故(なにゆゑ)か探海電燈(サーチライト)の光(ひかり)パツと消(き)えて、突然(とつぜん)船首(せんしゆ)を轉廻(めぐら)すよと見(み)る間(ま)に、さながら疾風(しつぷう)電雷(でんらい)の如(ごと)く此方(こなた)に突進(とつしん)して來(き)た。
『や、や、や、や、や。』と私(わたくし)の胸(むね)は警鐘(けいしやう)を亂打(らんだ)するやうである。更(さら)に驚愕(おどろ)いたのは、船橋(せんけう)の船長(せんちやう)、後甲板(こうかんぱん)の一等運轉手(いつとううんてんしゆ)、二等運轉手(にとううんてんしゆ)、三等運轉手(さんとううんてんしゆ)[#「三等運轉手(さんとううんてんしゆ)」は底本では「三運等轉手(さんとううんてんしゆ)」]、水夫(すゐふ)、火夫(くわふ)、見張番(みはりばん)、一同(いちどう)顏色(がんしよく)を失(うしな)つて、船首甲板(せんしゆかんぱん)の方(かた)へ走(はし)つて來(き)た。
眞正面(まつせうめん)から突進(とつしん)して來(く)る海蛇丸(かいだまる)と、我(わ)が弦月丸(げんげつまる)との距離(きより)は最早(もはや)一千米突(メートル)に※(す)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、99-2]ぎない。廣(ひろ)い樣(やう)でも狹(せま)いのは※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)船(きせん)の航路(かうろ)で、千島艦(ちしまかん)とラーヴエンナ號(がう)事件(じけん)の實例(じつれい)を引(ひ)く迄(まで)もなく、少(すこ)しく舵機(かぢ)の取方(とりかた)を※(あやま)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、99-3]つても、屡々(しば/\)驚怖(きやうふ)すべき衝突(しようとつ)を釀(かも)すのに、底事(なにごと)ぞ、怪(あやし)の船(ふね)海蛇丸(かいだまる)は、今(いま)や我(わ)が弦月丸(げんげつまる)の指(さ)して行(ゆ)く同(おな)じ鍼路(しんろ)をば故意(わざ)と此方(こなた)に向(むかつ)て猛進(まうしん)して來(く)るのである、一分(ぷん)、二分(ふん)、三分(ぷん)の後(のち)は一大(いちだい)衝突(しようとつ)を免(まぬ)かれぬ運命(うんめい)※[#感嘆符三つ、99-6]
船長(せんちやう)も一等運轉手(チーフメート)も度(ど)を失(うしな)つて、船橋(せんけう)を驅(か)け上(あが)り、驅(か)け降(くだ)り、後甲板(こうかんぱん)に馳(は)せ、前甲板(ぜんかんぱん)に跳(おど)り狂(くる)ふて、聲(こゑ)を限(かぎ)りに絶叫(ぜつけう)した。水夫(すゐふ)。火夫(くわふ)、船丁等(ボーイら)の周章狼狽(しうしようらうばい)は言(い)ふ迄(まで)もない、其内(そのうち)に乘客(じやうきやく)も※半(くわはん)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、99-9]睡眠(ねむり)より醒(さ)めて、何事(なにごと)ぞと甲板(かんぱん)に走(はし)り出(い)でんとするを、邪魔(じやま)だ/\と昇降口(しようかうぐち)の邊(へん)より追返(おひかへ)さんと※(「口+曹」、第3水準1-15-16)(ひしめ)く二三船員(せんゐん)の聲(こゑ)も聽(きこ)える。本船(ほんせん)は連續(つゞけさま)に爆裂信號(ばくれつしんがう)を揚(あ)げ、非常※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)笛(ひじやうきてき)を鳴(な)らし、危難(きなん)を告(つ)ぐる號鐘(がうしやう)は割(わ)るゝばかりに響(ひゞ)き渡(わた)つたけれど、海蛇丸(かいだまる)は音(おと)もなく、ずん/\と接近(せつきん)して來(く)るばかりである。本船(ほんせん)の舵手(だしゆ)は狂氣(きようき)の如(ごと)くなつて、鍼路(しんろ)を右(みぎ)に左(ひだり)に廻轉(くわいてん)したが何(なん)の甲斐(かひ)も無(な)い。此方(こなた)※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)角(きかく)短聲(たんせい)一發(いつぱつ)、鍼路(しんろ)を右舷(うげん)に取(と)れば、彼方(かなた)海蛇丸(かいだまる)も左舷(さげん)の紅燈(こうとう)隱(かく)れて鍼路(しんろ)を右(みぎ)に取(と)り、此方(こなた)短聲(たんせい)二發(にぱつ)鍼路(しんろ)を左舷(さげん)に廻(めぐ)らせば、彼方(かなた)も亦(ま)た左舷(さげん)の紅燈(こうとう)現(あら)はれて鍼路(しんろ)を左(ひだり)に取(と)る。最早(もはや)疑(うたが)ふ事(こと)は出來(でき)ぬ、海蛇丸(かいだまる)は今(いま)や立浪(たつなみ)跳(をど)つて海水(かいすい)淺(あさ)き、此(この)海上(かいじやう)で我(わ)が弦月丸(げんげつまる)を一撃(いちげき)の下(もと)に撃沈(げきちん)せんと企圖(くわだ)てゝ居(を)るのだ。
『衝突(しようとつ)だ! 衝突(しようとつ)だ! 衝突(しようとつ)だ!』と百數十(ひやくすふじふ)の船員等(せんゐんら)は夢中(むちう)になつて甲板上(かんぱんじやう)を狂奔(きやうほん)した。
此時(このとき)既(すで)に本船(ほんせん)を去(さ)る海蛇丸(かいだまる)の距離(きより)は僅(わず)かに二百(ひやく)二三十米突(メートル)以内(いない)※[#感嘆符三つ、100-10]
一等運轉手(チーフメート)と船長(せんちやう)とは血眼(ちまなこ)になつて一度(いちど)に叫(さけ)んだ
『全速力(ぜんそくりよく)後退(こうたい)! 後退(こうたい)! 後退(こうたい)!』
同時(どうじ)に※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)角(きかく)短聲(たんせい)三發(さんぱつ)、蒸※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)機關(じようききくわん)の響(ひゞき)ハッタと更(あらた)まつて、逆(ぎやく)に廻旋(くわいせん)する推進螺旋(スクルー)の邊(ほとり)、泡立(あはだ)つ波(なみ)は飛雪(ふゞき)の如(ごと)く、本船(ほんせん)忽(たちま)ち二十米突(メートル)――三十米突(メートル)も後退(こうたい)したと思(おも)つたが、此時(このとき)すでに遲(おそ)かつた、今(いま)や我(わ)が弦月丸(げんげつまる)の側面前方(そくめんぜんぱう)、約(やく)百米突(メートル)以内(いない)に接迫(せつぱく)し來(きた)つた海蛇丸(かいだまる)は、忽然(こつぜん)[#ルビの「こつぜん」は底本では「こぜん」]其(その)船首(せんしゆ)を左方(さほう)に廻轉(くわいてん)するよと見(み)る間(ま)に、其(その)鋭(するど)き衝角(しようかく)は恰(あたか)も電光石火(でんくわうせきくわ)の如(ごと)く、本船(ほんせん)の中腹(ちうふく)目撃(めが)けてドシン※[#感嘆符三つ、101-6]
弦月丸(げんげつまる)は萬山(ばんざん)の崩(くづ)るゝが如(ごと)き響(ひゞき)と共(とも)に左舷(さげん)に傾斜(かたむ)いた。途端(とたん)に起(おこ)る大叫喚(だいけうくわん)。二百(にひやく)の船員(せんゐん)が狂(くる)へる甲板(かんぱん)へ、數百(すうひやく)の乘客(じやうきやく)が一時(いちじ)に黒雲(くろくも)の如(ごと)く飛出(とびだ)したのである。
風(かぜ)の如(ごと)く、電光(いなづま)の如(ごと)く來(きた)りし海蛇丸(かいだまる)[#ルビの「かいだまる」は底本では「かいたまる」]は、また、風(かぜ)の如(ごと)く、電光(いなづま)の如(ごと)く、黒暗々(こくあん/\)たる波間(はかん)に隱(かく)れてしまつた。
天空(そら)には星影(ほしかげ)一點(てん)、二點(てん)、又(ま)た三點(てん)、風(かぜ)死(し)して浪(なみ)黒(くろ)く、船(ふね)は秒一秒(べういちべう)と、阿鼻叫喚(あびけうくわん)の響(ひゞき)を載(の)せて、印度洋(インドやう)の海底(かいてい)に沈(しづ)んで行(ゆ)くのである。

    第八回 人間(にんげん)の運命(うんめい)
弦月丸の最後――ひ、ひ、卑怯者め――日本人の子――二つの浮標(ブイ)――春枝夫人の行衞――あら、黒い物が!
 あゝ人間(にんげん)の運命(うんめい)程(ほど)不思議(ふしぎ)な者(もの)はない。此(この)珍事(ちんじ)のあつた翌日(よくじつ)は私(わたくし)は、日出雄少年(ひでをせうねん)と唯(たゞ)二人(ふたり)で、長(なが)さ卅呎(フヒート)にも足(た)らぬ小端艇(せうたんてい)に身(み)を委(ゆだ)ねて、水(みづ)や空(そら)なる大海原(おほうなばら)を浪(なみ)のまに/\漂(たゞよ)[#ルビの「たゞよ」は底本では「たゝよ」]つて居(を)るのであつた。言(い)ふ迄(まで)も無(な)く、弦月丸(げんげつまる)は其時(そのとき)無限(むげん)の恨(うらみ)を飮(の)んで、印度洋(インドやう)の海底(かいてい)に沈沒(ちんぼつ)せしめられたのである。
風(かぜ)軟(やはら)かに、草(くさ)みどりなる陸上(りくじやう)の人(ひと)は、船(ふね)の沈沒(ちんぼつ)などゝ聞(き)けば、恰(あだか)も趣味(しゆみ)ある出來事(できごと)の樣(やう)に思(おも)はれて、或(あるひ)は演劇(えんげき)に、或(あるひ)は油繪(あぶらゑ)に、樣々(さま/″\)なる事(こと)をして其(その)悲壯(ひさう)なる光景(ありさま)を胸裡(むね)に描(ゑが)かんとして居(を)るが、私(わたくし)の如(ごと)く現在(げんざい)其(その)難(なん)に臨(のぞ)んで、弦月丸(げんげつまる)が悲慘(ひさん)なる最後(さいご)を遂(と)ぐるまで、其(その)甲板(かんぱん)に殘(のこ)つて居(を)つた身(み)は、今更(いまさら)其(その)始終(しじゆう)を懷想(くわいさう)しても身(み)の毛(け)の彌立(よだ)つ程(ほど)で、とても詳(くわ)しい事(こと)を述立(のべた)てるに忍(しの)びぬが、是非(ぜひ)に語(かた)らねばならぬ其(その)大略(あらまし)だけを茲(こゝ)に記(しる)して置(お)かう。
海蛇丸(かいだまる)が我(わが)弦月丸(げんげつまる)の右舷(うげん)に衝突(しやうとつ)して、風(かぜ)の如(ごと)く其(その)形(かたち)を闇中(やみ)に沒(ぼつ)し去(さ)つた後(のち)は、船中(せんちゆう)は鼎(かなえ)の沸(わ)くが樣(やう)な騷(さわぎ)[#ルビの「さわぎ」は底本では「さわき」]であつた。泣(な)く聲(こゑ)、喚(わめ)く聲(こえ)、哀(あはれ)に救助(たすけ)を求(もと)むる聲(こゑ)は、悽(すさ)まじき怒濤(どとう)の音(おと)と打交(うちまじ)つて、地獄(ぢごく)の光景(ありさま)もかくやと思(おも)はるゝばかり。あらゆる防水(ぼうすい)の方便(てだて)は盡(つく)されたが、微塵(みぢん)に打碎(うちくだ)かれたる屹水下(きつすいか)からは海潮(かいてう)瀧(たき)の如(ごと)く迸(ほとばしり)入(い)つて、其(その)近傍(きんぼう)には寄(よ)り附(つ)く事(こと)も出來(でき)ない。十臺(だい)の喞筒(ポンプ)は、全力(ぜんりよく)で水(みづ)を吐出(はきだ)して居(を)るが何(なん)の效能(こうのう)もない。六千四百噸(とん)の巨船(きよせん)もすでに半(なかば)は傾(かたむ)き、二本(にほん)の煙筒(えんとう)から眞黒(まつくろ)に吐出(はきだ)す烟(けぶり)は、恰(あたか)も斷末魔(だんまつま)[#ルビの「だんまつま」は底本では「たんまつま」]の苦悶(くもん)を訴(うつた)へて居(を)るかのやうである。
『もう無益(だめ)だ/\、とても沈沒(ちんぼつ)は免(まぬ)かれない。』と船員(せんゐん)一同(いちどう)はすでに本船(ほんせん)の運命(うんめい)を見捨(みす)てたのである。
私(わたくし)は此時(このとき)まで殆(ほと)んど喪心(そうしん)の有樣(ありさま)で、甲板(かんぱん)の一端(いつたん)に屹立(つゝた)つた儘(まゝ)、此(この)慘憺(さんたん)たる光景(ありさま)に眼(まなこ)を注(そゝ)いで居(を)つたが、ハツと心付(こゝろつ)いたよ。
『春枝夫人(はるえふじん)、日出雄少年(ひでをせうねん)は如何(どう)して居(を)るだらう。』と
私(わたくし)は宙(ちう)を飛(と)んで船室(せんしつ)の方(かた)に向(むか)つた。昇降口(しようかうぐち)のほとり、出逢(であ)ひがしらに、下方(した)から昇(のぼ)つて來(き)たのは、夫人(ふじん)と少年(せうねん)とであつた。不時(ふじ)の大騷動(だいさうどう)に、愕(おどろ)き目醒(めさ)めたる春枝夫人(はるえふじん)は、かゝる焦眉(せうび)の急(きふ)にも其(その)省愼(たしなみ)を忘(わす)れず、寢衣(しんい)を常服(じやうふく)に着更(きか)へて居(を)つた爲(た)めに、今(いま)漸(やうや)く此處(こゝ)まで來(き)たのである。見(み)るより私(わたくし)は
『夫人(おくさん)、大事變(だいじへん)が/\。』
『何(なに)か起(おこ)りましたか、暗礁(あんせう)へでも?』と夫人(ふじん)の聲(こゑ)は沈(しづ)んで居(を)つた。
『暗礁(あんせう)どころか、ま、早(はや)く/\。』と私(わたくし)は引立(ひきた)てるやうにして夫人(ふじん)を伴(ともな)ひ、喫驚(びつくり)して眼(め)を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)(みは)つて居(を)る少年(せうねん)をば、ヒシと腕(うで)に抱(かゝ)へて甲板(かんぱん)を走(はし)つた、餘(あま)りに人(ひと)の立騷(たちさわ)いで居(を)る邊(へん)は、却(かへつ)て危險(きけん)の多(おほ)いので、吾等(われら)三人(みたり)は全(まつた)く離(はな)れて、ずつと船首(せんしゆ)の海圖室(かいづしつ)の側(ほとり)に身(み)を寄(よ)せた。此(この)塲合(ばあひ)に第(だい)一に私(わたくし)の胸(むね)をうつたのは、此(この)航海(かうかい)のはじめネープルス港(かう)を出(い)づる時(とき)、濱島(はまじま)に堅(かた)く約(やく)して、夫人(ふじん)と其(その)愛兒(あいじ)との身(み)の上(うへ)は、私(わたくし)の生命(いのち)に懸(か)けてもと堅(かた)く請合(うけあ)つた事(こと)、今(いま)、此(この)危急(ききふ)の塲合(ばあひ)に臨(のぞ)んで、私(わたくし)の身命(しんめい)は兎(と)もあれ、此(この)二人(ふたり)丈(だ)[#ルビの「だ」は底本では「た」]けは如何(どう)しても救(すく)はねばならぬのだ。
船(ふね)は秒一秒(べういちべう)に沈(しづ)んで行(ゆ)く、甲板(かんぱん)の叫喚(けうくわん)はます/\激(はげ)しくなつた。終(つひ)に「端艇(たんてい)下(おろ)せい。」の號令(がうれい)は響(ひゞ)いて、第(だい)一の端艇(たんてい)は波上(はじやう)に降下(くだ)つた。此時(このとき)私(わたくし)は春枝夫人(はるえふじん)を見返(みかへ)つたのである。
『いざ、夫人(おくさん)、避難(ひなん)の用意(ようゐ)を。』と。すべて海上(かいじやう)の規則(きそく)として、斯(かゝ)る塲合(ばあひ)に第(だい)一に下(くだ)されたる端艇(たんてい)は一等船客(いつとうせんきやく)のため、第(だい)二が二等船客(にとうせんきやく)、第(だい)三が三等船客(さんとうせんきやく)、總(すべ)ての船客(せんきやく)の免(のが)れ去(さ)つた後(あと)に、猶殘(なほのこ)る端艇(たんてい)があれば、其時(そのとき)はじめて船員等(せんゐんら)の避難(ひなん)の用(よう)に供(けう)せらるゝのである。で私(わたくし)は今(いま)第(だい)一端艇(たんてい)の下(くだ)ると共(とも)に、吾等(われら)一等船客(いつとうせんきやく)たるの權利(けんり)をもつて、春枝夫人(はるえふじん)と日出雄少年(ひでをせうねん)とを誘(いざな)つたのである。勿論(もちろん)私(わたくし)は不束(ふつゝか)ながらも一個(いつこ)の日本男子(につぽんだんし)であれば、其(その)國(くに)の名(な)に對(たい)しても、斯(かゝ)る[#「斯(かゝ)る」は底本では「斯(かゝ)か」]塲合(ばあひ)に第(だい)一に逃出(にげだ)す事(こと)は出來(でき)ぬのである。然(しか)し、春枝夫人(はるえふじん)と日出雄少年(ひでをせうねん)とは私(わたくし)が[#「私(わたくし)が」は底本では「私(わたくし)か」]堅(かた)く友(とも)に保證(ほしやう)して居(お)る人(ひと)、且(かつ)は纎弱(かよわ)き女性(によせう)と、無邪氣(むじやき)なる少年(せうねん)の身(み)であれば、先(ま)づ此(この)二人(ふたり)をば避難(ひなん)せしめんと頻(しきり)に心(こゝろ)を焦(いらだ)てたのである。
然(しか)るに私(わたくし)の苦心(くしん)は全(まつた)く無益(むえき)であつた。第一端艇(だいいちたんてい)の波上(はじやう)[#ルビの「はじやう」は底本では「はしやう」]に浮(うか)ぶや否(い)なや、忽(たちま)ち數百(すうひやく)の人(ひと)は、雪崩(なだれ)の如(ごと)く其處(そこ)へ崩(くづ)れかゝつた。我先(われさき)に其(その)端艇(たんてい)に乘移(のりうつ)らんと、人波(ひとなみ)うつて※(「口+曹」、第3水準1-15-16)閙(ひしめ)く樣(さま)は、黒雲(くろくも)の風(かぜ)に吹(ふ)かれて卷返(まきかへ)すやうである。
『夫人(おくさん)、とてもいけません。』と二三歩(ぽ)進(すゝ)んだ私(わたくし)は振返(ふりかへ)つた。とても/\、あの狂氣(きちがひ)のやうに立騷(たちさわ)いで居(を)る多人數(たにんずう)の間(あひだ)を分(わ)けて、此(この)柔弱(かよわ)き夫人(ふじん)と少年(せうねん)とを安全(あんぜん)に端艇(たんてい)に送込(おくりこ)む事(こと)が出來(でき)やう? あゝ人間(にんげん)はいざと云(い)ふ塲合(ばあひ)には、恥辱(はぢ)も名譽(めいよ)もなく、斯(か)く迄(まで)生命(いのち)の惜(を)しい者(もの)かと、嘆息(たんそく)と共(とも)に眺(なが)めて居(を)ると、更(さら)に奇怪(きくわい)なるは、其(その)端艇(たんてい)に身(み)を投(とう)じたる一群(いちぐん)の人(ひと)、それは一等船客(いつとうせんきやく)でもなく、二等船客(にとうせんきやく)でもなく、實(じつ)に此(この)船(ふね)の最後(さいご)まで踏止(ふみとゞま)る可(べ)き筈(はづ)の水夫(すいふ)、火夫(くわふ)、舵手(かぢとり)、機關手(きくわんしゆ)、其他(そのほか)一團(いちだん)の賤劣(せんれつ)なる下等船客(かとうせんきやく)で、自己(おのれ)の腕力(わんりよく)に任(まか)せて、他(た)を突除(つきの)け蹴倒(けたを)して、我先(われさき)にと艇中(ていちう)に乘移(のりうつ)つたのである。
『あゝ、何(なん)たる醜態(しうたい)ぞ。」と私(わたくし)はあまりの事(こと)に撫然(ぶぜん)とした。春枝夫人(はるえふじん)は私(わたくし)の後方(うしろ)に、愛兒(あいじ)をしかと抱(いだ)きたる儘(まゝ)、默然(もくねん)として言(ことば)もない、けれど流石(さすが)に豪壯(がうさう)なる濱島武文(はまじまたけぶみ)の妻(つま)、帝國軍人松島海軍大佐(ていこくぐんじんまつしまかいぐんたいさ)の妹君(いもとぎみ)程(ほど)あつて、些(ちつと)も取亂(とりみだ)したる姿(すがた)のなきは、既(すで)に其(その)運命(うんめい)をば天(てん)に任(まか)せて居(を)るのであらう。かゝる殊勝(けなげ)なる振舞(ふるまひ)を見(み)ては、私(わたくし)は猶(なほ)默(だま)つては居(を)られぬ。
『えゝ、無責任(むせきにん)なる船員(せんいん)! 卑劣(ひれつ)なる外人(くわいじん)! 海上(かいじやう)の規則(きそく)は何(なん)の爲(ため)ぞ。』と悲憤(ひふん)の腕(うで)を扼(やく)すと、夫人(ふじん)の淋(さび)しき顏(かほ)は私(わたくし)に向(むか)つた、沈(しづ)んだ聲(こゑ)で
『いえ、誰人(どなた)も命(いのち)の助(たす)かりたいのは同(おな)じ事(こと)でせう。』と言(い)つて、瞳(ひとみ)を轉(てん)じ
『でも、あの樣(やう)に澤山(たくさん)乘(の)つては端艇(たんてい)も沈(しづ)みませうに。』といふ、我身(わがみ)の危急(あやうき)をも忘(わす)れて、却(かへ)つて仇(あだ)し人(ひと)の身(み)の上(うへ)を氣遣(きづか)ふ心(こゝろ)の優(やさ)しさ、私(わたくし)は聲(こゑ)を勵(はげ)まして
『夫人(おくさん)、其樣(そん)な事處(ことどころ)でありません、貴女(あなた)と少年(せうねん)とは如何(どう)しても助(たすか)らねばなりません、私(わたくし)が濟(す)まない/\。』と叫(さけ)んで見渡(みわた)すと此時(このとき)第二(だいに)の端艇(たんてい)も下(お)りた、第三(だいさん)の端艇(たんてい)も下(お)りた、けれど其(その)附近(ふきん)は以前(いぜん)にも増(ま)す混雜(こんざつ)で、私(わたくし)は[#「私(わたくし)は」は底本では「私(わたくし)ば」]たゞ地團太(ぢだんだ)を踏(ふ)むばかり。ふと眼(まなこ)に入(い)つたのは、今(いま)、此(この)船(ふね)の責任(せきにん)を双肩(さうけん)に擔(にな)へる船長(せんちやう)が、卑劣(ひれつ)にも此時(このとき)、舷燈(げんとう)の光(ひかり)朦朧(もうろう)たるほとりより、天(てん)に叫(さけ)び、地(ち)に泣(な)ける、幾百(いくひやく)の乘組人(のりくみにん)をば此處(ここ)に見捨(みす)てゝ、第三(だいさん)の端艇(たんてい)に乘移(のりうつ)らんとする處(ところ)。
『ひ、ひ、卑怯者(ひけふもの)!。』と私(わたくし)は躍起(やつき)になつた、此處(こゝ)には春枝夫人(はるえふじん)の如(ごと)き殊勝(けなげ)なる女性(によせう)もあるに、彼(かれ)船長(せんちやう)の醜態(しうたい)は何事(なにごと)ぞと思(おも)ふと、もう默(だま)つては居(を)られぬ、元(もと)より無益(むえき)の業(わざ)ではあるが、せめての腹愈(はらいや)しには、吾(わが)鐵拳(てつけん)をもつて彼(かれ)の頭(かしら)に引導(いんどう)渡(わた)して呉(く)れんと、驅出(かけだ)す袂(たもと)を夫人(ふじん)は靜(しづか)に留(とゞ)めた。
『もう何事(なにごと)も爲(な)さりますな。妾(わたくし)も、日出雄(ひでを)も、此儘(このまゝ)海(うみ)の藻屑(もくづ)と消(き)えても、决(けつ)して未練(みれん)に助(たす)からうとは思(おも)ひませぬ。』と白※薇(はくさうび)[#「薔」の「回」に代えて「面から一、二画目をとったもの」、110-1]のたとへば雨(あめ)に惱(なや)めるが如(ごと)く、しみ/″\と愛兒(あいじ)の顏(かほ)を眺(なが)めつゝ
『けれど、天(てん)の惠(めぐみ)があるならば、波(なみ)の底(そこ)に沈(しづ)んでも或(あるひ)は助(たす)かる事(こと)もありませう。」と明眸(めいぼう)に露(つゆ)を湛(たゝ)えて天(てん)を仰(あほ)いだ。
忽(たちま)ち、暗澹(あんたん)たる海上(かいじやう)に、不意(ふい)に大叫喚(だいけうくわん)の起(おこ)つたのは、本船(ほんせん)を遁(のが)れ去(さ)つた端艇(たんてい)の餘(あま)りに多人數(たにんずう)[#ルビの「たにんずう」は底本では「たにんず」]を載(の)せたため一二艘(そう)波(なみ)を被(かぶ)つて沈沒(ちんぼつ)したのであらう。
『オー、無殘(むざん)に。』と春枝夫人(はるえふじん)は手巾(ハンカチーフ)に面(おもて)を蔽(おほ)ふた。
『あれは自業自得(じがふじとく)です。』と私(わたくし)は冷笑(れいせう)を禁(きん)じ得(え)なかつた。
弦月丸(げんげつまる)の運命(うんめい)は最早(もはや)一分(ぷん)、二分(ふん)、甲板(かんぱん)には殘(のこ)る一艘(いつそう)の端艇(たんてい)も無(な)い、斯(か)くなりては今更(いまさら)何(なに)をか思(おも)はん、せめては殊勝(けなげ)なる最後(さいご)こそ吾等(われら)の望(のぞみ)である。
『夫人(おくさん)!。』と私(わたくし)は靜(しづか)に夫人(ふじん)を呼(よび)かけた。
『何事(なにごと)も天命(てんめい)です、然(しか)し吾等(われら)は此(この)急難(きふなん)に臨(のぞ)んでも、我(わが)日本(につぽん)の譽(ほまれ)を傷(きづゝ)けなかつたのがせめてもの滿足(まんぞく)です。』と語(かた)ると、夫人(ふじん)も微(かす)かにうち點頭(うなづ)き、俯伏(ひれふ)して愛兒(あいじ)の紅(くれない)なる頬(ほう)に最後(さいご)の接吻(せつぷん)を與(あた)へ、言葉(ことば)やさしく
『日出雄(ひでを)や、お前(まへ)は今(いま)此(この)災難(さいなん)に遭(あ)つても、ネープルスで袂別(わかれ)の時(とき)に父君(おとつさん)の仰(お)つしやつたお言葉(ことば)を忘(わす)れはしますまいねえ。』と言(い)へば、日出雄少年(ひでをせうねん)は此時(このとき)凛乎(りんこ)たる面(かほ)を擧(あ)げ
『覺(おぼ)えて居(ゐ)ます。父樣(おとつさん)が私(わたくし)の頭(あたま)を撫(な)でゝ、お前(まへ)は日本人(につぽんじん)の子(こ)といふ事(こと)をばどんな時(とき)にも忘(わす)れてはなりませんよ、と仰(おつ)しやつた事(こと)でせう。』
夫人(ふじん)は思(おも)はず涙(なみだ)をはら/\と流(なが)し
『其事(そのこと)、お前(まへ)と母(はゝ)とは、之(これ)が永遠(えいゑん)の別(わかれ)となるかも知(し)れませんが、幸(さひは)ひにお前(まへ)の生命(いのち)が助(たすか)つたなら、之(これ)から世(よ)に立(た)つ時(とき)に、始終(しじう)其(その)言葉(ことば)を忘(わす)れず、誠實(まこと)の人(ひと)とならねばなりませんよ。』と言終(いひをは)つた時(とき)、怒濤(どたう)は早(は)や船尾(せんび)の方(ほう)から打上(うちあ)げて來(き)た。
最早(もはや)最後(さいご)と、私(わたくし)は眼(め)を放(はな)つて四邊(あたり)を眺(なが)めたが、此時(このとき)ふと眼(め)に止(とま)つたのは、左舷(さげん)の方(ほう)に取亂(とりみだ)されてあつた二三個(こ)の浮標(ブイ)、端艇(たんてい)に急(いそ)いだ人々(ひと/″\)は、かゝる物(もの)には眼(まなこ)を留(と)めなかつたのであらう。私(わたくし)は急(いそ)ぎ取上(とりあ)げた。素早(すばや)く一個(いつこ)を夫人(ふじん)に渡(わた)し、今一個(いまいつこ)を右手(めて)に捕(とら)へて『日出雄(ひでを)さん。』とばかり左手(ひだり)に少年(せうねん)の首筋(くびすぢ)を抱(かゝ)へた時(とき)、船(ふね)は忽(たちま)ち、天地(てんち)の碎(くだ)くるが如(ごと)き響(ひゞき)と共(とも)に海底(かいてい)に沒(ぼつ)し去(さ)つた。
泡立(あはだ)つ波(なみ)、逆卷(さかま)く潮(うしほ)、一時(いちじ)は狂瀾(きやうらん)千尋(せんじん)の底(そこ)に卷込(まきこ)まれたが、稍(やゝ)暫(しばらく)して再(ふたゝ)び海面(かいめん)に浮上(うかびあが)つた時(とき)は黒暗々(こくあん/\)たる波上(はじやう)には六千四百噸(とん)の弦月丸(げんげつまる)は影(かげ)も形(かたち)もなく、其處此處(そここゝ)には救助(すくひ)を求(もと)むる聲(こゑ)たえ/″\に聽(きこ)ゆるのみ、私(わたくし)は幸(さひはひ)に浮標(ブイ)を失(うしな)はで、日出雄少年(ひでをせうねん)をば右手(めて)にシカと抱(いだ)いて居(を)つた。けれど夫人(ふじん)の姿(すがた)は見(み)えない『春枝夫人(はるえふじん)、々々。』と聲(こゑ)を限(かぎ)りに呼(よ)んで見(み)たが應(こたへ)がない、只(たゞ)一度(いちど)遙(はる)か/\の波間(なみま)から、微(かす)かに答(こたへ)のあつた樣(やう)にも思(おも)はれたが、それも浪(なみ)の音(おと)やら、心(こゝろ)の迷(まよ)ひやら、夫人(ふじん)の姿(すがた)は遂(つひ)に見出(みいだ)す事(こと)が出來(でき)なかつたのである、私(わたくし)は幼少(えうせう)の頃(ころ)から、水泳(すいえい)には極(きは)めて達(たつ)して居(を)つたので、容易(ようゐ)に溺(おぼ)れる樣(やう)な氣遣(きづかひ)はない、日出雄少年(ひでをせうねん)を抱(いだ)き一個(いつこ)の浮標(ブイ)を力(ちから)に、一時(ひとゝき)ばかり海中(かいちう)に浸(ひた)つて居(を)つたが、其内(そのうち)に救助(すくひ)を求(もと)むる人(ひと)の聲(こゑ)も聽(きこ)えずなり、其(その)身(み)も弦月丸(げんげつまる)の沈沒(ちんぼつ)した處(ところ)より餘程(よほど)遠(とうざ)かつた樣子(やうす)、不意(ふゐ)に日出雄少年(ひでをせうねん)が『あら黒(くろ)い物(もの)が。』と叫(さけ)ぶので、愕(おどろ)いて頭(つむり)を上(あ)げると、今(いま)しも一個(いつこ)の端艇(たんてい)が前方(ぜんぽう)十四五ヤードの距離(へだゝり)に泛(うか)んで居(を)る、之(これ)は先刻(せんこく)多人數(たにんずう)が乘(の)つた爲(ため)に、轉覆(てんぷく)した中(うち)の一艘(いつさう)であらう。近(ちか)づいて見(み)ると艇中(ていちう)には一個(いつこ)の人影(ひとかげ)もなく、海水(かいすい)は艇(てい)の半(なか)ばを滿(みた)して居(を)るが、何(なに)は兎(と)もあれ天(てん)の助(たすけ)と打(うち)よろこび、少年(せうねん)をば浮標(ブイ)に托(たく)し、私(わたくし)は舷側(げんそく)に附(つ)いて泳(およ)ぎながら、一心(いつしん)に海水(かいすい)を酌出(くみだ)し、曉(あかつき)の頃(ころ)になつて漸(やうや)く水(みづ)も盡(つ)きたので、二人(ふたり)は其(その)中(なか)に入(い)り、今(いま)は何處(いづく)と目的(めあて)もなく、印度洋(インドやう)の唯中(たゞなか)を浪(なみ)のまに/\漂流(たゞよ)つて居(を)るのである。

    第九回 大海原(おほうなばら)の小端艇(せうたんてい)
亞尼(アンニー)の豫言――日出雄少年の夢――印度洋の大潮流――にはか雨――昔の御馳走――巨大な魚群
 恐(おそろ)しき一夜(いちや)は遂(つひ)に明(あ)けた。東(ひがし)の空(そら)が白(しら)んで來(き)て、融々(うらゝか)なる朝日(あさひ)の光(ひかり)が水平線(すいへいせん)の彼方(かなた)から、我等(われら)の上(うへ)を照(てら)して來(く)るのは昨日(きのふ)に變(かは)らぬが、變(かは)り果(は)てたのは二人(ふたり)の境遇(みのうへ)である。昨日(きのふ)までは、弦月丸(げんげつまる)の美麗(びれい)なる船室(キヤビン)に暮(くら)して、目醒(めさ)むると第(だい)一に甲板(かんぱん)に走(はし)り出(で)て、曉天(あかつき)の凉(すゞ)しき風(かぜ)に吹(ふ)かれながら、いと心地(こゝち)よく眺(なが)めた海(うみ)の面(おも)も、今(いま)の身(み)にはたゞ物凄(ものすご)く見(み)ゆるのみである。眼界(がんかい)の達(たつ)する限(かぎ)り煙波(えんぱ)渺茫(べうぼう)たる印度洋(インドやう)中(ちう)に、二人(ふたり)の運命(うんめい)を托(たく)する此(この)小端艇(せうたんてい)には、帆(ほ)も無(な)く、櫂(かひ)も無(な)く、たゞ浪(なみ)のまに/\漂(たゞよ)つて居(を)るばかりである。
今更(いまさら)昨夜(さくや)の事件(こと)を考(かんが)へると全(まつた)く夢(ゆめ)の樣(やう)だ。
『あゝ、何故(なぜ)此樣(こん)な不運(ふうん)に出逢(であ)つたのであらう。』と私(わたくし)は昨夜(さくや)海(うみ)に浸(ひた)つて、全濡(びつしより)になつた儘(まゝ)、黎明(あかつき)の風(かぜ)に寒(さむ)相(さう)に慄(ふる)へて居(を)る、日出雄少年(ひでをせうねん)をば[#「日出雄少年(ひでをせうねん)をば」は底本では「日出雄少年(ひでをせうねん)をは」]膝(ひざ)に抱上(いだきあ)げ、今(いま)しも、太陽(たいやう)が暫時(しばし)浮雲(うきぐも)に隱(かく)れて、何(なに)となく薄淋(うすさび)しくなつた浪(なみ)の面(おも)を眺(なが)めながら、胸(むね)の鏡(かゞみ)に手(て)を措(を)くと、今度(こんど)の航海(かうかい)は初(はじめ)から、不運(ふうん)の神(かみ)が我等(われら)の身(み)に跟尾(つきまと)つて居(を)つた樣(やう)だ。出港(しゆつかう)のみぎり白色檣燈(はくしよくしやうとう)の碎(くだ)けた事(こと)、メシナ海峽(かいきよう)で、一人(ひとり)の船客(せんきやく)が海(うみ)に溺(おぼ)れた事等(ことなど)、恰(あだか)も天(てん)に意(こゝろ)あつて、今回(こんくわい)の危難(きなん)を豫知(よち)せしめた樣(やう)である。イヤ其樣(そん)な無※(ばか)[#「(禾+尤)/上/日」、116-2]な事(こと)もあるまいが、子ープルスの埠頭(はとば)で、亞尼(アンニー)が泣(な)いて語(かた)つた事(こと)は、不思議(ふしぎ)にも的中(てきちう)した。勿論(もちろん)、魔(ま)の日(ひ)魔(ま)の刻(こく)の因縁(いんねん)などは信(しん)ぜられぬが、老女(らうじよ)が最後(さいご)の一言(いちごん)、『弦月丸(げんげつまる)には、珍(めづ)らしく澤山(たくさん)の黄金(わうごん)と眞珠(しんじゆ)とが搭載(とうさい)されて居(ゐ)ます、眞珠(しんじゆ)と黄金(わうごん)とが夥(おびたゞ)しく海上(かいじやう)で[#「海上(かいじやう)で」は底本では「海上(かいじやう)て」]集合(あつまる)と屹度(きつと)恐(おそ)る可(べ)き祟(たゝり)があります。』との豫言(よげん)は、偶然(ぐうぜん)にも其通(そのとう)りになつて、是等(これら)の寳物(たからもの)があつたばかりに、昨夜(さくや)は印度洋(インドやう)の惡魔(あくま)と世(よ)にも恐(おそ)る可(べ)き大海賊(だいかいぞく)の襲撃(しうげき)を蒙(かうむ)り、船(ふね)は沈(しづ)み、夫人(ふじん)は行衞(ゆくえ)を失(うしな)ひ、吾等(われら)も何時(いつ)救(すく)はるゝといふ目的(めあて)もなく、浪(なみ)に揉(も)まるゝ泡沫(うたかた)のあはれ果敢(はかな)き運命(うんめい)とはなつた。斯(か)う考(かんが)へると益々(ます/\)氣(き)が沈(しづ)んで、生(いき)た心地(こゝち)もしなかつた。
此時(このとき)、太陽(たいよう)は雲間(くもま)を洩(も)れて赫々(かく/\)たる光(ひかり)を射出(いゝだ)した。
日出雄少年(ひでをせうねん)は頑是(ぐわんぜ)なき少年(せうねん)の常(つね)とてかゝる境遇(きやうぐう)に落(お)ちても、昨夜(さくや)以來(いらい)の疲勞(つかれ)には堪兼(たへか)ねて、私(わたくし)の膝(ひざ)に凭(もた)れた儘(まゝ)、スヤ/\と眠(ねむ)りかけたが、忽(たちま)ち可憐(かれん)の唇(くちびる)を洩(も)れて夢(ゆめ)の聲(こゑ)
『あゝ、おつかさん/\、貴女(あなた)は私(わたくし)を捨(す)てゝ何處(どこ)へいらつしやるの――オ、オ、子ープルスの街(まち)と富士山(ふじさん)との間(あひだ)に、ま、ま、奇麗(きれい)な橋(はし)が――オヤ、おとつさんが私(わたくし)の名(な)を呼(よ)んでいらつしやるよ。』と少年(せうねん)は、今(いま)は夢(ゆめ)の間(ま)、懷(なつ)かしき父君(ちゝぎみ)母君(はゝぎみ)に出逢(であ)つて居(を)るのである。
あゝ、彼(かれ)が最愛(さいあい)の父(ちゝ)濱島武文(はまじまたけぶみ)は、遙(はるか)なる子ープルスで、今(いま)は如何(いか)なる夢(ゆめ)を結(むす)んで居(を)るだらう、少年(せうねん)が夢(ゆめ)にもかく戀(こ)ひ慕(した)ふ母君(はゝぎみ)の春枝夫人(はるえふじん)は、昨夜(さくや)海(うみ)に落(お)ちて、遂(つひ)に其(その)行方(ゆくかた)を失(うしな)つたが、若(も)し天(てん)に非常(ひじやう)の惠(めぐみ)があるならば萬(まん)に一つ無事(ぶじ)に救(すく)はれぬとも限(かぎ)らぬが、其儘(そのまゝ)海(うみ)の藻屑(もくづ)と消(き)えて、其(その)魂(たましひ)が天(てん)に歸(かへ)つたものならば、此後(このゝち)吾等(われら)は運命(うんめい)よく無事(ぶじ)に助(たす)かる事(こと)があらうとも、日出雄少年(ひでをせうねん)は夢(ゆめ)の他(ほか)は、またと懷(なつ)かしき母君(はゝぎみ)の顏(かほ)を見(み)る事(こと)が出來(でき)ぬであらう、斯(か)う考(かんが)へると、私(わたくし)は無限(むげん)に哀(かな)しくなつて、はふり落(お)つる涙(なみだ)が日出雄少年(ひでをせうねん)の顏(かほ)にかゝると、少年(せうねん)は愕(おどろ)いて目(め)を醒(さま)した。私(わたくし)の涙(なみだ)に曇(くも)る顏(かほ)を見(み)て
『あら、叔父(おぢ)さんは如何(どう)かして。』
私(わたくし)はハツと心付(こゝろづ)いたので、態(わざ)と大聲(おほごゑ)に笑(わら)つて
『なに、日出雄(ひでを)さんが眠(ねむ)つてしまつて、餘(あま)り淋(さび)しいもんだから、大(おほ)きな欠伸(あくび)をしたんだよ。』
少年(せうねん)は瞼(まぶた)をこすりつゝ、悄然(しようぜん)と艇(てい)の中(なか)を見廻(みまわ)した。誰(たれ)でも左樣(さう)だが非常(ひじやう)な變動(へんどう)の後(あと)、暫時(しばし)夢(ゆめ)に落(お)ちて、再(ふたゝ)び醒(めざ)めた時(とき)程(ほど)、心淋(こゝろさび)しいものはないのである。少年(せうねん)齡(よわひ)漸(やうや)く八歳(さい)、此(この)悲境(ひきよう)に落(お)ちて、回顧(くわいこ)してあの優(やさ)しかりし母君(はゝぎみ)の姿(すがた)や、ネープルスで別(わか)れた父君(ちゝぎみ)の事(こと)などを懷(おも)ひ浮(うか)べた時(とき)は、まあどんなに悲(かな)しかつたらう、今(いま)、一片(いつぺん)のパンも一塊(いつくわい)の肉(にく)もなき此(この)みじめな艇中(ていちう)を見廻(みまわ)して、再(ふたゝ)び[#「再(ふたゝ)び」は底本では「再(ふたゝ)ひ」]私(わたくし)の顏(かほ)を眺(なが)めた姿(すがた)は、不憫(ふびん)とも何(なん)とも言(い)はれなかつた。
懷中時計(くわいちうどけい)は海水(かいすい)に濡(ひた)されて、最早(もはや)物(もの)の用(よう)には足(た)らぬが、時(とき)は午前(ごぜん)の十時(じ)と十一時(じ)との間(あひだ)であらう、此時(このとき)不圖(ふと)心付(こゝろづ)くと、今迄(いままで)は、たゞ浪(なみ)のまに/\漂(たゞよ)つて居(を)るとのみ思(おも)つて居(を)つた端艇(たんてい)が、不思議(ふしぎ)にも矢(や)のやうな速力(そくりよく)で、東北(とうほく)の方(ほう)から西南(せいなん)の方(ほう)へと流(なが)れて居(を)るのであつた。((磁石は無いが方角は太陽の位置で分る))私(わたくし)は一時(いちじ)は喫驚(びつくり)したが、よく考(かんが)へると、これは何(なに)も不思議(ふしぎ)でない、今迄(いまゝで)それと心付(こゝろつ)かなかつたのは、縹渺(へうべう)たる大洋(たいやう)の面(めん)で、島(しま)とか舟(ふね)とか比(くら)べて見(み)る物(もの)がなかつたからで、これはよく有(あ)る事(こと)だ。して見(み)ると、我(わ)が端艇(たんてい)は、何時(いつ)の間(ま)にか印度洋(インドやう)で名高(なだか)い大潮流(だいてうりう)に引込(ひきこ)まれたのであらう。私(わたくし)は何(なん)となく望(のぞみ)のある樣(やう)に感(かん)じて來(き)たよ。思(おも)ふに此(この)潮流(てうりう)はラツカデヴ群島(ぐんたう)の方面(ほうめん)から、印度大陸(インドたいりく)の西岸(せいがん)を※(す)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、120-2]ぎて、マダカツスル諸島(しよたう)の附近(ふきん)より、亞弗利加(アフリカ)の南岸(なんがん)に向(むか)つて流(なが)れて行(ゆ)くものに相違(さうゐ)ない、すると其間(そのあひだ)には※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)船(きせん)に見出(みいだ)されるとか、何國(いづく)かの貿易港(みなと)へ漂着(へうちやく)するとか、兎角(とかく)して救助(きゆうじよ)を得(え)られぬ事(こと)もあるまいと考(かんが)へたのである。然(しか)し、世(よ)の中(なか)の萬事(ばんじ)は左樣(さう)幸運(うま)く行(ゆ)くかどうだか。此(この)潮流(てうりう)の指(さ)して行(ゆ)く、亞弗利加(アフリカ)の沿岸(えんがん)及(およ)び南太平洋(みなみたいへいやう)邊(へん)には、隨分(ずいぶん)危險(きけん)な所(ところ)が澤山(たくさん)ある、却(かへつ)て食人國(しよくじんこく)とか、海賊島(かいぞくたう)の方(ほう)へでも押流(おしなが)されて行(い)つたら、夫(それ)こそ大變(たいへん)! 然(しか)し、何(なん)と考(かんが)へたからとて奈何(どう)なるものか。たゞ天命(てんめい)! 天命(てんめい)!
此時(このとき)今迄(いまゝで)は晴朗(うらゝか)であつた大空(おほぞら)[#ルビの「おほぞら」は底本では「おほそら」]は、見(み)る/\内(うち)に西(にし)の方(かた)から曇(くも)つて來(き)て、熱帶地方(ねつたいちほう)で有名(いうめい)な驟雨(にわかあめ)が、車軸(しやぢく)を流(なが)すやうに降(ふ)つて來(き)た。海(うみ)の面(おもて)は瀧壺(たきつぼ)のやうに泡立(あわだ)つて、酷(ひど)いも酷(ひど)くないも、私(わたくし)と少年(せうねん)とは、頭(あたま)を抱(かゝ)へて、艇(てい)の底(そこ)へ踞(うづくま)つてしまつたが、其爲(そのため)に、昨夜(さくや)海水(かいすい)に浸(ひた)されて、今(いま)漸(やうや)く乾(かわ)きかけて居(を)つた衣服(きもの)は、再(ふたゝ)びびつしよりと濡(ぬ)れてしまつた。あゝ天(てん)は何(なん)とて斯(か)く迄(まで)無情(むじやう)なると、私(わたくし)は暫時(しばし)眞黒(まつくろ)な雲(くも)を睨(にら)んで、只更(ひたすら)怨(うら)んだが、然(しか)し後(のち)に考(かんが)へると、世(よ)の中(なか)の萬事(ばんじ)は何(なに)が禍(わざわひ)となり、何(なに)が幸福(こうふく)となるか、其時(そのとき)ばかりでは分(わか)らぬのである。
此(この)驟雨(にわかあめ)があつたばかりに、其後(そのゝち)深(ふか)く天(てん)の恩惠(おんけい)を感謝(かんしや)する時(とき)が來(き)た。
頓(やが)て雨(あめ)が全(まつた)く霽(は)れると共(とも)に、今度(こんど)は赫々(かく/\)たる太陽(たいよう)は、射(い)る如(ごと)く吾等(われら)の上(うへ)を照(てら)して來(き)た。印度洋(インドやう)中(ちう)雨後(うご)の光線(くわうせん)はまた格別(かくべつ)で、私(わたくし)は炒(い)り殺(ころ)されるかと思(おも)つた。其時(そのとき)第(だい)一に堪難(たえがた)く感(かん)じて來(き)たのは渇(かはき)の苦(くるしみ)、茲(こゝ)だ禍(わざわひ)變(へん)じて幸(さひはひ)となると言(い)つたのは、普通(ふつう)ならば、漂流人(へうりうじん)が、第(だい)一に困窮(こんきう)するのは淡水(まみづ)を得(え)られぬ事(こと)で、其爲(そのため)に十中(ちう)八九は斃(たを)れてしまうのだが、吾等(われら)は其(その)難(なん)丈(だ)けは免(まぬ)かれた。先刻(せんこく)瀧(たき)のやうに降注(ふりそゝ)いだ雨水(あめみづ)は、艇底(ていてい)に一面(いちめん)に溜(たま)つて居(を)る、隨分(ずいぶん)生温(なまぬる)い、厭(いや)な味(あぢ)だが[#「味(あぢ)だが」は底本では「味(あぢ)だか」]、其樣事(そんなこと)は云つて居(を)られぬ。兩手(りようて)に掬(すく)つて、牛(うし)のやうに飮(の)んだ。渇(かはき)の止(と)まると共(とも)に次(つぎ)には飢(うゑ)の苦(くるしみ)、あゝ此樣(こん)な事(こと)と知(し)つたら、昨夜(さくや)海中(かいちう)に飛込(とびこ)む時(とき)に、「ビスケツト[#「ビスケツト」は底本では「ピスケツト」]」の一鑵(ひとかん)位(ぐら)いは衣袋(ポツケツト)にして來(く)るのだつたにと、今更(いまさら)悔(くや)んでも仕方(しかた)がない、斯(か)うなると昨夜(さくや)の暖(あたゝか)な「スープ」や、狐色(きつねいろ)の「フライ」や、蒸氣(じようき)のホカ/\と立(た)つて居(を)る「チツキンロース」などが、食道(しよくだう)の邊(へん)にむかついて來(く)る。そればかりか、遠(とほ)い昔(むかし)に、燒肉(ビフステーキ)が少(すこ)し焦(こ)げ※(す)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、122-8]ぎて居(を)るからと怒鳴(どな)つて、肉叉(フオーク)もつけずに犬(いぬ)に喰(く)はせてしまつた一件(いつけん)や、「サンドウイツチ」は職工(しよくにん)の辨當(べんたう)で御坐(ござ)るなどゝ贅澤(ぜいたく)を云(い)つて、※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)車(きしや)の窓(まど)から投出(なげだ)した事(こと)などを懷想(くわいさう)して、つくづくと情(なさけ)なくなつて來(き)た。然(しか)し此(この)日(ひ)は、無論(むろん)空腹(くうふく)の儘(まゝ)に暮(く)れて、夜(よ)は夢(ゆめ)の間(ま)も、始終(しじう)食物(しよくもつ)の事(こと)を夢(ゆめみ)て居(を)るといふ次第(しだい)、翌日(よくじつ)になると苦(くるし)さは又(また)一倍(いちばい)、少年(せうねん)と二人(ふたり)で色(いろ)青(あを)ざめて、顏(かほ)を見合(みあ)はして居(を)るばかり、果(はて)は艇舷(ふなべり)の材木(ざいもく)でも打碎(うちくだ)いて、粉(こ)にして飮(の)まんかとまで、馬鹿(ばか)な考(かんがへ)も起(おこ)つた程(ほど)で、遂(つひ)に日(ひ)は暮(く)れ、船底(ふなぞこ)を枕(まくら)に横(よこたは)つたが、其(その)夜(よ)は空腹(くうふく)の爲(ため)に終夜(しうや)眠(ねむ)る事(こと)が出來(でき)なかつた。
苦(くる)しき夜(よ)は明(あ)けて、太陽(たいよう)はまたもや現(あら)はれて來(き)たが、私(わたくし)は最早(もはや)起直(おきなを)つて朝日(あさひ)の光(ひかり)を拜(はい)する勇氣(ゆうき)も無(な)い、日出雄少年(ひでをせうねん)は先刻(せんこく)より半身(はんしん)を擡(もた)げて、海上(かいじやう)を眺(なが)めて居(を)つたが、此時(このとき)忽(たちま)ち大聲(たいせい)に叫(さけ)んだ。
『巨大(おほき)な魚(さかな)が! 巨大(おほき)な魚(さかな)が!』

    第十回 沙魚(ふか)の水葬(すゐさう)
天の賜――反對潮流――私は黒奴、少年は炭團屋の忰――おや/\變な味になりました――またも斷食
 少年(せうねん)の聲(こゑ)に飛起(とびお)き海上(かいじやう)を眺(なが)めた私(わたくし)は叫(さけ)んだ。
『沙魚(ふか)の領海(りようかい)! 沙魚(ふか)の領海(りようかい)!』
沙魚(ふか)の領海(りようかい)とは隨分(ずゐぶん)奇妙(きめう)な名稱(めいしやう)だが、實際(じつさい)印度洋(インドやう)中(ちう)マルダイブ群島(ぐんとう)から數千里(すせんり)南方(なんほう)に當(あた)つて、斯(かゝ)る塲所(ばしよ)のあるといふ事(こと)は、甞(かつ)て或(ある)地理書(ちりしよ)で讀(よ)んだ事(こと)があるが、今(いま)、吾等(われら)の目撃(もくげき)したのは確(たし)かにそれだ。小(せう)は四五尺(しやく)より大(だい)は二三丈(じよう)位(ぐら)いの數※(すうまん)[#「一/力」、124-5]の沙魚(ふか)が、群(ぐん)をなして我(わが)端艇(たんてい)の周圍(まわり)に押寄(おしよ)せて來(き)たのである。此(この)魚族(ぎよぞく)は、極(きわ)めて性質(せいしつ)の猛惡(まうあく)なもので、一時(いちじ)に斯(か)く押寄(おしよ)せて來(き)たのは、疑(うたがひ)もなく、吾等(われら)を好(よ)き餌物(えもの)と認(みと)めたのであらう。私(わたくし)も其(その)群(ぐん)を見(み)て忽(たちま)ち野心(やしん)が[#「野心(やしん)が」は底本では「野心(やしん)か」]起(おこ)つた。今(いま)かく空腹(くうふく)を感(かん)じて居(を)る塲合(ばあひ)に、あの魚(さかな)を一尾(び)捕(とら)へたらどんなに嬉(うれ)しからうと考(かんが)へたが、網(あみ)も釣道具(つりどうぐ)も無(な)き身(み)のたゞ心(こゝろ)を焦(いらだ)つばかりである。此時(このとき)不意(ふい)に、波間(なみま)から跳(をど)つて、艇中(ていちう)に飛込(とびこ)んだ一尾(いつぴき)の小魚(こざかな)、日出雄少年(ひでをせうねん)は小猫(こねこ)の如(ごと)く身(み)を飜(ひるがへ)して、捕(と)つて押(おさ)へた。『に、逃(にが)しては。』と私(わたくし)も周章(あは)てゝ、其(その)上(うへ)に轉(まろ)びかゝつた。此時(このとき)の嬉(うれ)しさ! 見(み)ると一尺(しやく)位(ぐら)いの鰺(あぢ)で、巨大(きよだい)なる魚群(ぎよぐん)[#ルビの「ぎよぐん」は底本では「ぎよぐく」]に追(お)はれた爲(ため)[#ルビの「ため」は底本では「た」]に、偶然(ぐうぜん)にも艇中(ていちう)に飛込(とびこ)んだのである。天(てん)の賜(たまもの)と私(わたくし)は急(いそ)ぎ取上(とりあ)げた。實(じつ)は、少年(せうねん)と共(とも)に、只(たゞ)一口(ひとくち)に、堪難(たえがた)き空腹(くうふく)を滿(みた)したきは山々(やま/\)だが、待(ま)てよ、今(いま)此(この)小(ちい)さい魚(うを)を、周章(あは)てゝ平(たいら)げたとて何(なに)になる、農夫(のうふ)は如何(いか)に飢(うゑ)ても、一合(いちごう)の麥(むぎ)[#ルビの「むぎ」は底本では「むき」]を食(く)はずに地(ち)に播(ま)いて一年(いちねん)の策(はかりごと)をする、私(わたくし)も此(この)小(ちい)さい魚(うを)を百倍(ばい)にも二百倍(にひやくばい)にもする工夫(くふう)の無(な)いでもない、よし此(この)小鰺(こあぢ)で、あの巨大(おほき)な沙魚(ふか)を釣(つ)つてやらうと考(かんが)へたので、少年(せうねん)に語(かた)ると少年(せうねん)も大賛成(だいさんせい)、勿論(もちろん)釣道具(つりどうぐ)は無(な)いが、幸(さひわひ)にも艇中(ていちう)には端艇(たんてい)を本船(ほんせん)に引揚(ひきあ)げる時(とき)に使用(しよう)する堅固(けんご)なる鐵鎖(てつぐさり)と、それに附屬(ふぞく)して鉤形(つりばりがた)の「Hook(フツク)」が殘(のこ)つて居(を)つたので、それを外(はづ)して、鉤(フツク)に只今(たゞゐま)の小鰺(こあぢ)を貫(つらぬ)いてやをら立上(たちあが)つた。天涯(てんがい)渺茫(べうぼう)たる絶海(ぜつかい)の魚族(ぎよぞく)は、漁夫(ぎよふ)の影(かげ)などは見(み)た事(こと)もないから、釣(つ)れるとか釣(つ)れぬとかの心配(しんぱい)は入(い)らぬ、けれど餘(あま)りに巨大(きよだい)なるは、端艇(たんてい)を覆(くつが)へす懼(おそれ)があるので今(いま)しも右舷(うげん)間近(まぢか)に泳(およ)いで來(き)た三四尺(しやく)の沙魚(ふか)、『此奴(こいつ)を。』と投込(なげこ)む餌(え)の浪(なみ)に沈(しづ)むか沈(しづ)まぬに、私(わたくし)は『やツ。しまつた。』と絶叫(ぜつけう)したよ。海中(かいちう)の魚族(ぎよぞく)にも、優勝劣敗(ゆうしやうれつぱい)の數(すう)は免(まぬ)かれぬと見(み)へ、今(いま)小(ちいさ)い沙魚(ふか)の泳(およ)いで[#「泳(およ)いで」は底本では「泳(およ)いて」]居(を)つた波(なみ)の底(そこ)には、驚(おどろ)く可(べ)き巨大(きよだい)の一尾(び)が居(を)りて、稻妻(いなづま)の如(ごと)く躰(たい)を跳(をど)らして、只(たゞ)一口(くち)に私(わたくし)の釣(つり)ばりを呑(の)んでしまつたのだ。忽(たちま)ち、潮(うしほ)は泡立(あわだ)ち、波(なみ)は逆卷(さかま)いて、其邊(そのへん)海嘯(つなみ)の寄(よ)せた樣(やう)な光景(くわうけい)、私(わたくし)は一生懸命(いつせうけんめい)に鐵鎖(てつさ)を握(にぎ)り詰(つ)めて、此處(こゝ)千番(せんばん)に一番(いちばん)と氣(き)を揉(も)んだ。もとより斯(かゝ)る巨魚(きよぎよ)の暴(あ)れ狂(くる)ふ事(こと)とてとても、引上(ひきあ)げる[#「引上(ひきあ)げる」は底本では「引上(ひきあ)ける」]どころの騷(さわぎ)でない、※(あやま)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、126-10]てば端艇(たんてい)諸共(もろとも)海底(かいてい)に引込(ひきこ)まれんず有樣(ありさま)、けれど此時(このとき)此(この)鐵鎖(くさり)が如何(どう)して放(はな)たれやうぞ、沙魚(ふか)が勝(か)つか、私(わたくし)が負(ま)けるか、釣(つ)れると釣(つ)れぬは生死(せいし)の分(わか)れ目(め)、日出雄少年(ひでをせうねん)は眼(め)をまんまるにして、此(この)凄(すさ)まじき光景(くわうけい)を眺(なが)めて居(を)つたが、可憐(かれん)の姿(すがた)は後(うしろ)から私(わたくし)を抱(いだ)き
『オヽ、危(あぶな)い事(こと)! 危(あぶな)い事(こと)!。』と叫(さけ)ぶ。
『なに、なに、大丈夫(だいじようぶ)! 大丈夫(だいじようぶ)!。』と私(わたくし)は眞赤(まつか)になつて仁王(にわう)の如(ごと)く屹立(つゝた)つた。兎角(とかく)する間(ま)に今迄(いまゝで)は、其邊(そのへん)を縱横(じゆうわう)に暴廻(あれまわ)つて居(を)つた沙魚(ふか)は、其(その)氣味惡(きみわる)き頭(かしら)を南方(みなみのかた)に向(む)けて、恰(あだか)も矢(や)を射(ゐ)るやうに駛(かけ)り出(だ)した。端艇(たんてい)も共(とも)に曳(ひ)かれて、疾風(しつぷう)のやうに駛(はし)るのである。私(わたくし)はいよ/\必死(ひつし)だ。
『さあ、斯(か)うなつたら逃(にが)す事(こと)でないぞ。』と最早(もはや)腹(はら)の空(むな)しい事(こと)も、命(いのち)の危險(あぶない)な事(こと)も、悉皆(すつかり)忘(わす)れてしまつた。兎角(とかく)して約(およそ)三時間(じかん)ばかりは、狂(くる)ひ走(はし)る沙魚(ふか)のために曳(ひ)かれて、いつしか潮(うしほ)の流(ながれ)をも脱(だつ)し、沙魚(ふか)の領海(りようかい)からはすでに十四五海里(かいり)も距(へだた)つたと思(おも)ふ頃(ころ)、流石(さすが)に猛惡(まうあく)なる魚(うを)も遂(つひ)に疲勞(つか)れ斃(たを)れて、其(その)眞白(ましろ)なる腹部(はら)を逆(さかさま)に海面(かいめん)に泛(うか)んだ。ほつと一息(ひといき)、引上(ひきあ)げて見(み)ると、思(おも)つたより巨大(おほき)な魚(うを)で、殆(ほと)んど端艇(たんてい)の二分(にぶん)の一(いち)を塞(ふさ)いでしまつた。
『まあ、醜(みにく)い魚(さかな)です事(こと)。』と少年(せうねん)は氣味惡(きみわる)相(さう)に、其(その)堅固(けんご)なる魚頭(かしら)を叩(たゝ)いて見(み)た。
『はゝゝゝゝ。酷(ひど)い目(め)に逢(あ)つたよ。然(しか)しこれで當分(たうぶん)餓死(うゑじに)する氣遣(きづかひ)はない。』と私(わたくし)は直(たゞ)ちに小刀(ナイフ)を取出(とりだ)した。勿論(もちろん)沙魚(ふか)といふ魚(さかな)は左程(さほど)美味(びみ)なものではないが、此(この)塲合(ばあひ)にはいくら喰(く)つても喰足(くひた)らぬ心地(こゝち)。
『日出雄(ひでを)さん、餘(あんま)りやると胃(ゐ)を損(そん)じますよ。』と氣遣(きづかひ)顏(がほ)の私(わたくし)さへ、其(その)生臭(なまくさ)い肉(にく)を口中(こうちう)充滿(いつぱい)に頬張(ほうば)つて居(を)つたのである。
此(この)大漁獲(だいりよう)があつたので、明日(あす)からは餓死(うゑじに)の心配(しんぱい)はないと思(おも)ふと、人間(にんげん)は正直(せうじき)なもので、其(その)夜(よ)の夢(ゆめ)はいと安(やす)く、朝(あさ)の寢醒(ねざめ)も何時(いつ)になく胸(むね)穩(おだやか)であつた。
其(その)翌日(よくじつ)は、漂流(へうりう)以來(いらい)はじめて少(すこ)し心(こゝろ)が落付(おちつ)いて、例(れい)の雨水(あめみづ)を飮(の)み、沙魚(ふか)の肉(にく)に舌皷(したつゞみ)打(う)ちつゝ、島影(しまかげ)は無(な)きか、※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)船(きせん)の煙(けむり)は見(み)へぬかと始終(しじう)氣(き)を配(くば)る、けれど此(この)日(ひ)は何物(なにもの)も眼(まなこ)を遮(さへぎ)るものとてはなく、其(その)翌日(よくじつ)も、空(むな)しく蒼渺(さうびやう)たる大海原(おほうなばら)の表面(ひやうめん)を眺(なが)むるばかりで、たゞ我(わが)端艇(たんてい)は沙魚(ふか)の爲(ため)に前(まへ)の潮流(てうりう)を引出(ひきい)だされ、今(いま)は却(かへつ)て反對流(はんたいりう)とて、今度(こんど)は西南(せいなん)から東方(とうほう)に向(むか)ひ、マルヂヴエ群島(ぐんとう)の邊(へん)から南方(なんほう)に向(むか)つて走(はし)るなる、一層(いつそう)流勢(ながれ)の速(はや)い潮流(てうりう)に吸込(すひこ)まれて居(を)ると覺(さと)つた時(とき)、思(おも)はず驚愕(おどろき)の聲(こゑ)を發(はつ)した事(こと)と、甞(かつ)て物(もの)の本(ほん)で讀(よ)んだ夥(おびたゞ)しき鯨(くぢら)の群(むれ)を遙(はるか)の海上(かいじやう)に眺(なが)めた事(こと)の他(ほか)は、何(なに)の變(かは)つた事(こと)もない。勿論(もちろん)、今(いま)の境涯(きやうがい)とて决(けつ)して平和(へいわ)な境涯(きやうがい)ではないが、すでに腹(はら)に充分(じゆうぶん)の力(ちから)があるので、※(すぐ)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、129-11]る日(ひ)よりは餘程(よほど)元氣(げんき)もよく、赫々(かく/\)たる熱光(ねつくわう)の下(した)、日出雄少年(ひでをせうねん)は私(わたくし)の顏(かほ)を見詰(みつ)めて『おや/\、叔父(おぢ)さんは何時(いつ)の間(ま)にか、黒奴(くろんぼ)になつてしまつてよ。』と自分(じぶん)の顏(かほ)は自分(じぶん)には見(み)えず、昨日(きのふ)の美少年(びせうねん)も、今(いま)は日(ひ)に燒(や)け、潮風(しほかぜ)に吹(ふ)かれて、恰(あだか)も炭團屋(たどんや)の長男(ちやうなん)のやうになつた事(こと)には氣(き)の付(つ)かぬ無邪氣(むじやき)さ、只更(ひたすら)私(わたくし)の顏(かほ)を指(ゆびさ)し笑(わら)つたなど、苦(くる)しい間(あひだ)にも隨分(ずいぶん)滑※(こつけい)[#「(禾+尤)/上/日」、130-5]な話(はなし)だ。其日(そのひ)も暮(く)れ、翌日(よくじつ)は來(きた)つたが矢張(やはり)水(みづ)や空(そら)なる大洋(たいやう)の面(おもて)には、一點(いつてん)の島影(しまかげ)もなく、※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)船(きせん)の煙(けむり)も見(み)えぬのである。
然(しか)るに茲(こゝ)に一大(いちだい)事件(じけん)が起(おこ)つた。それは他(ほか)でもない、吾等(われら)が生命(せいめい)の綱(つな)と頼(たの)む沙魚(ふか)の肉(にく)がそろ/\腐敗(ふはい)し始(はじ)めた事(こと)である。最初(さいしよ)から多少(たせう)此(この)心配(しんぱい)の無(な)いでもなかつたが、兎(と)に角(かく)、世(よ)に珍(めづ)らしき巨大(きよだい)の魚(うを)の、左樣(さう)容易(ようい)に腐敗(ふはい)する事(こと)もあるまいと油斷(ゆだん)して居(を)つたが、其(その)五日目(いつかめ)の朝(あさ)、私(わたくし)はふとそれと氣付(きづ)いた。然(しか)し今(いま)の塲合(ばあひ)何(なに)も言(い)はずに辛抱(しんばう)して喰(く)つたが、印度洋(インドやう)の炎熱(えんねつ)が、始終(しじう)其上(そのうへ)を燒(や)く樣(やう)に照(てら)して居(を)るのだから堪(たま)らない、其(その)晝食(ちうしよく)の時(とき)、一口(ひとくち)口(くち)にした無邪氣(むじやき)の少年(せうねん)は、忽(たちま)ち其(その)肉(にく)を海上(かいじやう)に吐(は)き出(だ)して、
『おや/\、どうしたんでせう、此(この)魚(さかな)は變(へん)な味(あぢ)になつてよ。』と叫(さけ)んだのは、實(じつ)に心細(こゝろぼそ)い次第(しだい)であつた。
夕方(ゆふがた)になると、最早(もはや)畢世(ひつせい)の勇氣(ゆうき)を振(ふる)つても、とても口(くち)へ入(い)れる心(こゝろ)は出(で)ぬ。さりとて此(この)大事(だいじ)な生命(いのち)の綱(つな)を、むさ/″\海中(かいちう)に投棄(なげす)てるには忍(しの)びず、なるべく艇(てい)の隅(すみ)の方(ほう)へ押遣(おしや)つて、またもや四五日(にち)前(まへ)のあはれな有樣(ありさま)を繰返(くりかへ)して一夜(いちや)を明(あか)したが、翌朝(よくあさ)になると、ほと/\堪(た)えられぬ臭氣(しゆうき)、氣(き)も、魂(たましひ)も、遠(とう)くなる程(ほど)で、最早(もはや)此(この)腐(くさ)つた魚(さかな)とは一刻(いつこく)も同居(どうきよ)し難(がた)く、無限(むげん)の恨(うらみ)を飮(の)んで、少年(せうねん)と二人(ふたり)で、沙魚(ふか)の死骸(しがい)をば海底(かいてい)深(ふか)く葬(ほうむ)つてしまつた。
サア、これからは又々(また/\)斷食(だんじき)、此(この)日(ひ)も空(むな)しく暮(く)れて夜(よ)に入(い)つたが、考(かんが)へると此後(このゝち)吾等(われら)は如何(いか)になる事(こと)やら、絶望(ぜつぼう)と躍氣(やつき)とに終夜(しゆうや)眠(ねむ)らず、翌朝(よくてう)になつて、曉(あかつき)の風(かぜ)はそよ/\と吹(ふ)いて、東(ひがし)の空(そら)は白(しら)んで來(き)たが、最早(もはや)起上(おきあが)る勇氣(ゆうき)もない、『えい、無益(だめ)だ/\、糧食(かて)は盡(つ)き、※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)船(ふね)は見(み)えず、今更(いまさら)たよる島(しま)も無(な)い。』と思(おも)はず叫(さけ)んだが、不圖(ふと)傍(かたわら)に日出雄少年(ひでをせうねん)が安(やす)らかに眠(ねむ)つて居(を)るのに心付(こゝろつ)き、や、詰(つま)らぬ事(こと)をと、急(いそ)ぎ其方(そなた)を見(み)ると少年(せうねん)は、今(いま)の聲(こゑ)に驚(おどろ)き目醒(めざ)め、むつと起(お)きて、半身(はんしん)を端艇(たんてい)の外(そと)へ出(だ)したが、忽(たちま)ち驚(おどろ)き悦(よろこび)の聲(こゑ)で
『島(しま)が! 島(しま)が! 叔父(おぢ)さん、島(しま)が! 島(しま)が!。』
『島(しま)がツ。』と私(わたくし)も蹴鞠(けまり)のやうに跳起(はねお)きて見(み)ると、此時(このとき)天(てん)全(まつた)く明(あ)けて、朝霧(あさぎり)霽(は)れたる海(うみ)の面(おも)、吾(わ)が端艇(たんてい)を去(さ)る事(こと)三海里(さんかいり)ばかりの、南方(なんぽう)に當(あた)つて、椰子(やし)、橄欖(かんらん)の葉(は)は青※(二の字点、1-2-22)(あほ/\)と茂(しげ)つて、磯(いそ)打(う)つ波(なみ)は玉(たま)と散(ち)る邊(へん)、一個(いつこ)の島(しま)が横(よこたは)つて居(を)つた。

    第十一回 無人島(むじんたう)の響(ひゞき)
人の住む島か、魔の棲む島か――あら、あの音は――奇麗な泉――ゴリラの襲來――水兵ヒラリと身を躱した――海軍士官の顏
 此(この)島(しま)は、遠(とほ)くから望(のぞ)むと、恰(あだか)も犢牛(こうし)の横(よこたは)つて居(を)る樣(やう)な形(かたち)で、其(その)面積(めんせき)も餘程(よほど)廣(ひろ)い樣(やう)だ。弦月丸(げんげつまる)の沈沒(ちんぼつ)以來(いらい)十數日間(すうにちかん)は、青(あを)い空(そら)と、青(あを)い波(なみ)の外(ほか)は何(なに)一つも眺(なが)めた事(こと)のない吾等(われら)が、不意(ふい)に此(この)島(しま)を見出(みいだ)した時(とき)の嬉(うれ)しさ、翅(つばさ)あらば飛(と)んでも行(ゆ)きたき心地(こゝち)、けれど悲(かな)しや、心付(こゝろつ)くと吾(わが)端艇(たんてい)には帆(ほ)もなく、櫂(かい)も無(な)い。近(ちか)い樣(やう)でも海上(かいじやう)の三里(り)は容易(ようゐ)でない、無限(むげん)の大海原(おほうなばら)に漂(たゞよ)つて居(を)つた間(あひだ)こそ、島(しま)さへ見出(みいだ)せば、直(たゞ)ちに助(たす)かる樣(やう)に考(かんが)へて居(を)つたが、仲々(なか/\)左樣(さう)は行(ゆ)かぬ。まご/\して居(ゐ)れば再(ふたゝ)び何處(どこ)へ押流(おしなが)されてしまうかも分(わか)らぬ。今(いま)は躊躇(ちうちよ)しては居(を)られぬ塲合(ばあひ)、私(わたくし)は突如(いきなり)眞裸(まつぱだか)になつて海中(かいちう)へ跳込(をどりこ)んだ[#「跳込(をどりこ)んだ」は底本では「跳込(をどりこ)んた」]、隨分(ずいぶん)覺束(おぼつか)ない事(こと)だが、泳(およ)ぎながらに、端艇(たんてい)をだん/″\と島(しま)の方(ほう)へ押(お)して行(ゆ)かんとの考(かんがへ)、艇中(ていちう)からは日出雄少年(ひでをせうねん)、楓(かへで)のやうな手(て)で頻(しき)りに波(なみ)を掻分(かきわ)けて居(を)る、此樣(こんな)事(こと)で、舟(ふね)は動(うご)くか動(うご)かぬか、其(その)遲緩(まぬる)さ。けれど吾等(われら)の勞力(らうりよく)は遂(つひ)に無益(むえき)とならで、漸(やうやく)の事(こと)で島(しま)に着(つ)いたのは、かれこれ小半日(こはんにち)も※(すぎ)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、134-5]てから後(あと)の事(こと)、僅(わづ)か三里(さんり)の波(なみ)の上(うへ)を、六時間(ろくじかん)以上(いじやう)とは甚(はなは)だ遲(おそ)い速力(そくりよく)ではあるが、それでも私(わたくし)は死(し)ぬ程(ほど)辛苦(つら)かつた。
※(すぐ)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、134-7]る十有餘日(いうよにち)の間(あひだ)、よく吾等(われら)の運命(うんめい)を守護(しゆご)して呉(く)れた端艇(たんてい)をば、波打際(なみうちぎわ)にとゞめて此(この)島(しま)に上陸(じやうりく)して見(み)ると、今(いま)は五月(ぐわつ)の中旬(なかば)すぎ、翠(みどり)滴(したゝ)らんばかりなる樹木(じもく)は島(しま)の全面(ぜんめん)を蔽(おほ)ふて、遙(はる)か向(むか)ふは、野(の)やら、山(やま)やら、眼界(がんかい)も屆(とゞ)かぬ有樣(ありさま)。吾等(われら)の上陸(じやうりく)した邊(へん)は自然(しぜん)の儘(まゝ)なる芝原(しばゝら)青々(あをあを)として、其處此處(そここゝ)に、名(な)も知(し)れぬ紅白(こうはく)さま/″\の花(はな)が咲亂(さきみだ)れて、南(みなみ)の風(かぜ)がそよ/\と吹(ふ)くたびに、陸(りく)から海(うみ)までえならぬ香氣(にほひ)を吹(ふ)き送(おく)るなど、たゞさへ神仙(しんせん)遊樂(ゆうらく)の境(きやう)、特(こと)に私共(わたくしども)は、極端(きよくたん)なる苦境(くきやう)から、此(この)極端(きよくたん)なる樂境(らくきやう)に上陸(じやうりく)した事(こと)とて、初(はじ)めは自(みづか)ら夢(ゆめ)でないかと疑(うたが)はるゝばかり。さあ斯(か)うなると今迄(いまゝで)張詰(はりつ)めて居(を)つた氣(き)も幾分(いくぶん)か緩(ゆる)んで來(き)て、疲勞(つかれ)も飢(うえ)も感(かん)じて來(く)る。斯程(かほど)の島(しま)だから、何(なに)か食物(しよくもつ)の無(な)い事(こと)もあるまいと四方(よも)を見渡(みわた)すと、果(はた)して二三町(ちやう)距(へだゝ)つた小高(こだか)い丘(をか)の中腹(なかば)に、一帶(いつたい)の椰子(やし)、バナヽの林(はやし)があつて、甘美(うるは)しき果實(くわじつ)は枝(えだ)も垂折(しを)れんばかりに成熟(せいじゆく)して居(を)る。二人(ふたり)は宙(ちう)飛(と)ぶ如(ごと)く驅付(かけつ)けて、喰(く)ふた喰(く)はぬは言(い)ふ丈(だ)け無益(むえき)、頓(やが)て腹(はら)も充分(じゆうぶん)になると、次(つぎ)に起(おこ)つて來(き)た問題(もんだい)は、一躰(いつたい)此(この)島(しま)は如何(いか)なる島(しま)だらう、見渡(みわた)す處(ところ)、隨分(ずいぶん)巨大(きよだい)な島(しま)の樣(やう)だが、世界輿地圖(せかいよちづ)の表面(ひやうめん)に現(あら)はれて居(を)るものであらうか、矢張(やはり)印度洋(インドやう)中(ちう)の孤島(ことう)だらうか、それともズツト東方(ひがし)に偏(へん)して、ボル子オ群島(ぐんとう)の一つにでも屬(ぞく)して居(を)るのではあるまいか。氣※(きかう)[#「候」の「ユ」に代えて「工」、135-12]の工合(ぐあひ)や、草木(さうもく)の種類(しゆるい)などで觀(み)ると、亞弗利加(アフリカ)の沿岸(えんがん)にも近(ちか)い樣(やう)な氣持(きもち)もする。然(しか)し此樣(こん)な事(こと)は如何(いか)に考(かんが)へたとて分(わか)る筈(はづ)のものでない、それよりは此(この)島(しま)は元來(ぐわんらい)無人島(むじんとう)か、否(いな)かゞ一大(いちだい)問題(もんだい)だ、無人島(むじんとう)ならばそれ/\別(べつ)に覺悟(かくご)する處(ところ)もあるし、よし人(ひと)の住居(すまひ)して居(を)る島(しま)にしても、懼(おそ)る可(べ)き野蠻人(やばんじん)の巣窟(さうくつ)でゞもあればそれこそ一大事(いちだいじ)、早速(さつそく)遁出(にげだ)す工夫(くふう)を廻(めぐ)らさねばならぬ、それを知(し)るには兎(と)も角(かく)も此(この)島(しま)を一周(いつしう)して見(み)なければならぬと考(かんが)へたので、少年(せうねん)と手(て)を携(たづさ)へてそろ/\と歩(あゆ)み出(だ)した。島(しま)の一周(いつしう)といつて、此(この)島(しま)はどの位(くら)い廣(ひろ)いものやら、また道中(だうちう)に如何(いか)なる危險(きけん)があるかも分(わか)らぬが、此處(こゝ)に漠然(ぼんやり)として居(を)つて、島(しま)の素性(すじやう)も分(わか)らず氣味惡(きみわる)く一夜(いちや)を明(あか)すよりは勝(まし)だと考(かんが)へたので、之(これ)より足(あし)の續(つゞ)かん限(かぎ)り日(ひ)の暮(く)るゝ迄(まで)進(すゝ)んで見(み)る積(つも)りだ。
先(ま)づ進行(しんかう)の方向(ほうかう)を定(さだ)めねばと、吾等(われら)は林(はやし)の間(あひだ)を※(す)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、136-12]ぎて丘(をか)の絶頂(いたゞき)に登(のぼ)つた。眺望(てうぼう)すると、北(きた)の一方(いつぽう)は吾等(われら)が渡(わた)つて來(き)た大洋(たいやう)で、水天髣髴(すいてんほうふつ)として其(その)盡(つく)る所(ところ)を知(し)らず、眼下(がんか)に瞰(み)おろす海岸(かいがん)には、今(いま)乘捨(のりす)てゝ來(き)た端艇(たんてい)がゆらり/\と波(なみ)に揉(も)まれて、何時(いつ)の間(ま)に集(あつま)つて來(き)たか、海鳥(かいてう)の一簇(ひとむれ)が物珍(ものめづ)らし相(さう)に其(その)周圍(めぐり)を飛廻(とびまわ)つて居(を)る。東(ひがし)と西(にし)と南(みなみ)の三方(さんぽう)は此(この)島(しま)の全面(ぜんめん)で、見渡(みわた)す限(かぎ)り青々(あを/\)とした森(もり)つゞき、處々(ところ/″\)に山(やま)もある、谷(たに)も見(み)える、また※(「二点しんにょう+向」、第3水準1-92-55)(はる)か/\の先方(むかう)に銀色(ぎんしよく)の一帶(いつたい)の隱見(いんけん)して居(を)るのは、其邊(そのへん)に一流(いちりう)の河(かは)のある事(こと)が分(わか)る。
私(わたくし)は此(この)光景(くわうけい)を見(み)て實(じつ)に失望(しつばう)した、見渡(みわた)した所(ところ)此(この)島(しま)の模樣(もやう)は疑(うたがひ)もなき無人島(むじんとう)! かく全島(ぜんたう)が山(やま)と、森(もり)と、谷(たに)とで蔽(おほ)はれて居(を)つては、今更(いまさら)何處(どこ)へと方向(ほうがく)を定(さだ)める事(こと)も出來(でき)ぬのである、之(これ)からあんな深山幽谷(しんざんいうこく)に進入(しんにふ)するのは、却(かへつ)て危險(きけん)を招(まね)くやうなものだから、島(しま)の探險(たんけん)は一先(ひとま)づ中止(ちうし)して、兎(と)も角(かく)も再(ふたゝ)び海岸(かいがん)に皈(かへ)らんと踵(きびす)を廻(めぐ)らす途端(とたん)、日出雄少年(ひでをせうねん)は急(きふ)に歩(あゆみ)を停(とゞ)めて
『あら、あの音(おと)は?。』と眼(め)を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)(みは)つた。
『音(おと)?。』と私(わたくし)も思(おも)はず立止(たちどま)つて耳(みゝ)を濟(すま)すと、風(かぜ)が傳(も)て來(く)る一種(いつしゆ)の響(ひゞき)。全(まつた)く無人島(むじんたう)と思(おも)ひきや、何處(いづく)ともなく、トン、トン、カン、カン、と恰(あだか)も谷(たに)の底(そこ)の底(そこ)で、鐵(てつ)と鐵(てつ)とが戞合(かちあ)つて居(を)るやうな響(ひゞき)。
『鐵槌(てつつい)の音(おと)!。』と私(わたくし)は小首(こくび)を傾(かたむ)けた。此樣(こん)な孤島(はなれしま)に鍛冶屋(かぢや)などのあらう筈(はづ)はない、一時(いちじ)は心(こゝろ)の迷(まよひ)かと思(おも)つたが、决(けつ)して心(こゝろ)の迷(まよひ)ではなく、寂莫(じやくばく)たる空(そら)にひゞひて、トン、カン、トン、カンと物凄(ものすご)い最早(もはや)疑(うたが)はれぬ。けれど私(わたくし)は心付(こゝろつ)くと、響(ひゞき)の源(みなもと)は决(けつ)して近(ちか)い所(ところ)ではなく、四邊(あたり)がシーンとして居(を)るので斯(か)く鮮(あざや)かに聽(きこ)えるものゝ、少(すくな)くも三四哩(マイル)の距離(へだゝり)は有(あ)るだらう、何(なに)は兎(か)もあれ斯(かゝ)る物音(ものおと)の聽(きこ)ゆる以上(いじやう)は、其處(そこ)に何者(なにもの)かゞ居(を)るに相違(さうゐ)ない、人(ひと)か、魔性(ましやう)か、其樣(そん)な事(こと)は考(かんが)へて居(を)[#ルビの「を」は底本では「をら」]られぬ、兎(と)に角(かく)探險(たんけん)と覺悟(かくご)したので、そろ/\と丘(をか)を下(くだ)つた。丘(をか)を下(くだ)つて耳(みゝ)を澄(すま)すと、響(ひゞき)は何(な)んでも、島(しま)の西南(せいなん)に當(あた)つて一個(ひとつ)の巨大(おほき)な岬(みさき)がある、其(その)岬(みさき)を越(こ)えての彼方(かなた)らしい。
いよ/\探險(たんけん)とは决心(けつしん)したものゝ、實(じつ)は薄(うす)氣味惡(きみわる)い事(こと)で、一體(いつたい)物音(ものおと)の主(ぬし)も分(わか)らず、また行(ゆ)く道(みち)にはどんな災難(さいなん)が生(しやう)ずるかも分(わか)らぬので、私(わたくし)は萬一(まんいち)の塲合(ばあひ)を慮(おもんぱか)つて、例(れい)の端艇(たんてい)をば波打際(なみうちぎわ)にシカと繋止(つなぎと)め、何時(いつ)危險(きけん)に遭遇(さうぐう)して遁(に)げて來(き)ても、一見(いつけん)して其(その)所在(しよざい)が分(わか)るやうに、其處(そこ)には私(わたくし)の白(しろ)シヤツを裂(さ)いて目標(めじるし)を立(た)て、勢(いきほひ)を込(こ)めて少年(せうねん)と共(とも)に發足(ほつそく)した。
海岸(かいがん)に沿(そ)ふて行(ゆ)く事(こと)七八町(ちやう)、岩層(がんそう)の小高(こだか)い丘(をか)がある、其(その)丘(をか)を越(こ)ゆると、今迄(いまゝで)見(み)えた海(うみ)の景色(けしき)も全(まつた)く見(み)えずなつて、波(なみ)の音(おと)も次第(しだい)/\に遠(とう)く/\。
此時(このとき)少年(せうねん)は餘程(よほど)疲勞(つか)れて見(み)えるので、私(わたくし)は肩車(かたぐるま)に乘(の)せて進(すゝ)んだ。誰(だれ)でも左樣(さう)だが、餘(あま)りにシーンとした處(ところ)では、自分(じぶん)の足音(あしおと)さへ物凄(ものすご)い程(ほど)で、とても談話(はなし)などの出來(でき)るものでない。斯(かゝ)る島(しま)の事(こと)とて、路(みち)などのあらう筈(はづ)はなく、熊笹(くまざゝ)の間(あひだ)を掻分(かきわ)けたり、幾百千年(いくひやくせんねん)來(らい)積(つも)り積(つも)つて、恰(あだか)も小山(こやま)のやうになつて居(を)る落葉(おちば)の上(うへ)を踏(ふ)んだり、また南半球(みなみはんきゆう)に特有(とくいう)の黄乳樹(わうにうじゆ)とて、稍(こずえ)にのみ一團(いちだん)の葉(は)があつて、幹(みき)は丁度(ちやうど)天幕(てんまく)の柱(はしら)のやうに、數百間(すうひやくけん)四方(しほう)規則正(きそくたゞ)しく並(なら)んで居(を)る奇妙(きめう)な林(はやし)の下(した)を※(「穴かんむり/兪」、第4水準2-83-17)(くゞ)つたりして、道(みち)の一里半(いちりはん)も歩(あゆ)んだと思(おも)ふ頃(ころ)、一個(いつこ)の泉(いづみ)の傍(そば)へ來(き)た。清(きよ)らかな水(みづ)が滾々(こん/\)と泉(いづ)み流(なが)れて、其邊(そのへん)の草木(くさき)の色(いろ)さへ一段(いちだん)と麗(うる)はしい、此處(こゝ)で一休憩(ひとやすみ)と腰(こし)をおろしたのは、かれこれ午後(ごゝ)の五時(じ)近(ちか)く、不思議(ふしぎ)なる響(ひゞき)は漸(やうや)く近(ちか)くなつた。
日出雄少年(ひでをせうねん)は、其(その)泉(いづみ)の流(ながれ)に美麗(びれい)なる小魚(こざかな)を見出(みいだ)したとて、魚(うを)を追(お)ふに餘念(よねん)なき間(あひだ)、私(わたくし)は唯(と)ある大樹(たいじゆ)の蔭(かげ)に横(よこたは)つたが、いつか睡魔(すいま)に襲(おそ)はれて、夢(ゆめ)となく現(うつゝ)となく、いろ/\の想(おもひ)に包(つゝ)まれて居(を)る時(とき)、不意(ふい)に少年(せうねん)は私(わたくし)の膝(ひざ)に飛皈(とびかへ)つた。『大變(たいへん)よ/\、叔父(おぢ)さん、猛獸(まうじう)が/\。』と私(わたくし)の肩(かた)に手(て)を掛(か)けて搖(ゆ)り醒(さま)す。
『猛獸(まうじう)がツ。』と私(わたくし)は夢(ゆめ)から飛起(とびを)きた。
少年(せうねん)の指(ゆびさ)す方(かた)を眺(なが)めると如何(いか)にも大變(たいへん)! 先刻(せんこく)吾等(われら)の通※(つうくわ)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、141-6]して來(き)た黄乳樹(わうにうじゆ)の林(はやし)の中(あひだ)より、一頭(いつとう)の猛獸(まうじう)が勢(いきほい)鋭(するど)く現(あら)はれて來(き)たのである。
『猛狒(ゴリラ)!。』と私(わたくし)の身(み)の毛(け)は一時(いちじ)に彌立(よだ)つたよ。
世(よ)に獅子(しゝ)が猛烈(まうれつ)だの、狼(おほかみ)が兇惡(きようあく)だのといつて、此(この)猛狒(ゴリラ)ほど恐(おそ)ろしい動物(どうぶつ)はまたとあるまい、動物園(どうぶつゑん)の鐵(てつ)の檻(おり)の中(なか)に居(を)る姿(すがた)でも、一見(いつけん)して戰慄(せんりつ)する程(ほど)の兇相(あくさう)、それが此(この)深林(しんりん)の中(なか)で襲來(しふらい)したのだから堪(たま)らない。私(わたくし)はハツト思(おも)つて一時(いちじ)は遁出(にげだ)さうとしたが、今更(いまさら)遁(に)げたとて何(なん)の甲斐(かひ)があらう、もう絶體絶命(ぜつたいぜつめい)と覺悟(かくご)した時(とき)、猛狒(ゴリラ)はすでに目前(もくぜん)に切迫(せつぱく)した。身長(みのたけ)七尺(しやく)に近(ちか)く、灰色(はいいろ)の毛(け)は針(はり)の如(ごと)く逆立(さかだ)ち、鋭(するど)き爪(つめ)を現(あら)はして、スツと屹立(つゝた)つた有樣(ありさま)は、幾百十年(いくひやくじふねん)の星霜(せいさう)を此(この)深林(しんりん)に棲暮(すみくら)したものやら分(わか)らぬ。猛惡(まうあく)なる猴(さる)の本性(ほんしやう)として、容易(ようゐ)に手(て)を出(だ)さない、恰(あだか)も嘲(あざけ)る如(ごと)く、怒(いか)るが如(ごと)く、其(その)黄色(きいろ)い齒(は)を現(あら)はして、一聲(いつせい)高(たか)く唸(うな)つた時(とき)は、覺悟(かくご)の前(まへ)とはいひ乍(なが)ら、私(わたくし)は頭(あたま)から冷水(ひやみづ)を浴(あ)びた樣(やう)に戰慄(せんりつ)した、けれど今更(いまさら)どうなるものか。私(わたくし)は日出雄少年(ひでをせうねん)を背部(うしろ)に庇護(かば)つて、キツと猛狒(ゴリラ)の瞳孔(ひとみ)を睨(にら)んだ。すべて如何(いか)なる惡獸(あくじゆう)でも、人間(にんげん)の眼光(がんくわう)が鋭(するど)く其(その)面(めん)に注(そゝ)がれて居(を)る間(あひだ)は、决(けつ)して危害(きがい)を加(くわ)へるものでない、其(その)眼(め)の光(ひかり)が次第々々(しだい/\)に衰(おとろ)へて、頓(やが)て茫乎(ぼんやり)とした虚(すき)を窺(うかゞ)つて、只(たゞ)一息(ひといき)に飛掛(とびかゝ)るのが常(つね)だから、私(わたくし)は今(いま)喰殺(くひころ)されるのは覺悟(かくご)の前(まへ)だが、どうせ死(し)ぬなら徒(たゞ)は死(し)なぬぞ、斯(か)く睨合(にらみあ)つて居(を)る間(あひだ)に、先方(せんぱう)に卯(う)の毛(け)の虚(すき)でもあつたなら、機先(きせん)に此方(こなた)から飛掛(とびかゝ)つて、多少(たせう)の痛(いた)さは見(み)せて呉(く)れんと考(かんが)へたので、眼(まなこ)を放(はな)たず睥睨(へいげい)して居(を)る、猛狒(ゴリラ)も益々(ます/\)猛(たけ)く此方(こなた)を窺(うかゞ)つて居(を)る、此(この)九死一生(きうしいつしやう)の分(わか)れ目(め)、不意(ふい)に、實(じつ)に不意(ふい)に、何處(どこ)ともなく一發(いつぱつ)の銃聲(じうせい)。つゞいて又(また)一發(いつぱつ)[#ルビの「いつぱつ」は底本では「いつはつ」]、猛狒(ゴリラ)は思(おも)ひがけなき二發(にはつ)の彈丸(だんぐわん)に射(ゐ)られて、蹴鞠(けまり)のやうに跳上(をどりあが)つた。
吾等(われら)も喫驚(びつくり)して其方(そなた)を振向(ふりむ)くと、此時(このとき)、吾等(われら)の立(た)てる處(ところ)より、大約(およそ)二百ヤード許(ばかり)離(はな)れた森(もり)の中(なか)から、突然(とつぜん)現(あら)はれて來(き)た二個(ふたり)の人(ひと)がある。
『や、や、日本人(につぽんじん)! 日本人(につぽんじん)!。」と少年(せうねん)も私(わたくし)も驚愕(おどろき)と喜悦(よろこび)に絶叫(ぜつけう)したよ。
實(じつ)に夢(ゆめ)ではあるまいか。現(あら)はれ來(きた)つた二個(ふたり)の人(ひと)は紛(まぎら)ふ方(かた)なき日本人(につぽんじん)で、一人(ひとり)[#ルビの「ひとり」は底本では「ひいり」]は色(いろ)の黒々(くろ/″\)とした筋骨(きんこつ)の逞(たく)ましい水兵(すいへい)の姿(すがた)、腰(こし)に大刀(だいたう)を横(よこた)へたるが、キツと此方(こなた)を眺(なが)めた、他(た)の一人(いちにん)は、威風(ゐふう)凛々(りん/\)たる帝國海軍士官(ていこくかいぐんしくわん)の服裝(ふくさう)、二連銃(にれんじう)の銃身(じうしん)を握(にぎ)つて水兵(すいへい)を顧見(かへりみ)ると、水兵(すいへい)は勢(いきほひ)鋭(するど)く五六歩(ぽ)此方(こなた)へ走(はし)り近(ちか)づく、此時(このとき)二發(にはつ)の彈丸(だんぐわん)を喰(くら)つた猛狒(ゴリラ)は吾等(われら)を打捨(うちす)てゝ、奔馬(ほんば)の如(ごと)く馳(は)せ向(むか)ひ、一聲(いつせい)叫(さけ)ぶよと見(み)る間(ま)に、電光(でんくわう)の如(ごと)く水兵(すいへい)の頭上(づじやう)目掛(めが)けて飛掛(とびかゝ)つた。水兵(すいへい)ヒラリと身(み)を躱(かは)すよと見(み)る間(ま)に、腰(こし)の大刀(だいたう)は※手(ぬくて)[#「抜」の「友」に代えて「ノ/友」、144-5]も見(み)せず、猛狒(ゴリラ)の肩先(かたさき)に斬込(きりこ)んだ。猛狒(ゴリラ)怒(いか)つて刀身(たうしん)を双手(もろて)に握(にぎ)ると、水兵(すいへい)は焦(いらだ)つて其(その)胸先(むなさき)を蹴上(けあ)げる、此(この)大奮鬪(だいふんとう)の最中(さいちう)沈着(ちんちやく)なる海軍士官(かいぐんしくわん)は靜(しづ)かに進(すゝ)み寄(よ)つて、二連銃(にれんじう)の筒先(つゝさき)は猛狒(ゴリラ)の心臟(しんぞう)を狙(ねら)ふよと見(み)えしが、忽(たちま)ち聽(きこ)ゆる一發(いつぱつ)の銃聲(じうせい)。七尺(しやく)有餘(いうよ)の猛狒(ゴリラ)は苦鳴(くめい)をあげ、鮮血(せんけつ)を吐(は)いて地上(ちじやう)に斃(たを)れた。私(わたくし)と少年(せうねん)とは夢(ゆめ)に夢見(ゆめみ)る心地(こゝち)。韋駄天(いだてん)の如(ごと)く其(その)傍(かたはら)に走(はし)り寄(よ)つた時(とき)、水兵(すいへい)は猛獸(まうじう)に跨(またが)つて止(とゞ)めの一刀(いつたう)、海軍士官(かいぐんしくわん)は悠然(いうぜん)として此方(こなた)に向(むか)つた。私(わたくし)は餘(あま)りの嬉(うれ)しさに言(げん)もなく、其人(そのひと)の顏(かほ)を瞻(なが)めたが、忽(たちま)ち電氣(でんき)に打(う)たれたかの如(ごと)く愕(おどろ)き叫(さけ)んだよ。
『やあ、貴方(あなた)は櫻木海軍大佐(さくらぎかいぐんたいさ)※(感嘆符疑問符、1-8-78)。』
大佐(たいさ)も愕然(がくぜん)として私(わたくし)の顏(かほ)を見詰(みつ)めたが
『や、貴下(あなた)は――。』と言(い)つた儘(まゝ)、暫時(しばし)言葉(ことば)もなかつたのである。
櫻木海軍大佐(さくらぎかいぐんたいさ)! 々々々。此人(このひと)の名(な)は讀者(どくしや)諸君(しよくん)の御記臆(ごきおく)に存(そん)して居(を)るか否(いな)か。私(わたくし)が子ープルス港(かう)を出港(しゆつかう)のみぎり、圖(はか)らずも注意(ちうゐ)を引(ひ)いた反古(はご)新聞(しんぶん)の不思議(ふしぎ)なる記事(きじ)中(ちゆう)の主人公(しゆじんこう)で、既(すで)に一年半(いちねんはん)以前(いぜん)に或(ある)秘密(ひみつ)を抱(いだ)いて、部下(ぶか)卅七名(めい)の水兵等(すいへいら)と一夜(いちや)奇怪(きくわい)なる帆走船(ほまへせん)に乘(じやう)じて、本國(ほんごく)日本(につぽん)を立去(たちさ)つた人(ひと)、其人(そのひと)に今(いま)や斯(か)かる孤島(はなれじま)の上(うへ)にて會合(くわいごう)するとは、意外(いぐわい)も、意外(いぐわい)も、私(わたくし)は暫時(しばし)五里霧中(ごりむちう)に彷徨(はうくわう)したのである。

    第十二回 海軍(かいぐん)の家(いへ)
南方の無人島――快活な武村兵曹――おぼろな想像――前は絶海の波、後は椰子の林――何處ともなく立去つた
 櫻木海軍大佐(さくらぎかいぐんたいさ)は暫時(しばらく)して口(くち)を開(ひら)いた。
『實(じつ)に意外(ゐぐわい)です、君(きみ)が此樣(こん)な絶島(ぜつとう)へ――。』といひつゝ、染々(しみ/″\)と吾等(われら)兩人(りようにん)の姿(すがた)を打瞻(うちなが)め
『此處(こゝ)は印度洋(インドやう)もズツト南方(なんぽう)に偏(へん)した無人島(むじんとう)で、一番(いちばん)に近(ちか)いマダカツスル群島(ぐんたう)へも一千哩(いつせんマイル)以上(いじやう)、亞細亞大陸(アジアたいりく)や、歐羅巴洲(エウロツパしう)までは、幾千幾百哩(いくせんいくひやくマイル)あるか分(わか)らぬ程(ほど)で、到底(とても)尋常(じんじやう)では人(ひと)の來(く)るべき島(しま)ではありませんが。』といと審(いぶ)かし氣(げ)なる顏(かほ)。
『イヤ、全(まつた)く意外(ゐぐわい)です。』と私(わたくし)は進寄(すゝみよ)つた。斯(かゝ)る塲合(ばあひ)だから、勿論(もちろん)委(くわ)しい事(こと)は語(かた)らぬが、船(ふね)の沈沒(ちんぼつ)から此(この)島(しま)へ漂着(へうちやく)までの大略(あらまし)を告(つ)げると、大佐(たいさ)も始(はじ)めて合點(がつてん)の色(いろ)、
『其樣(そん)な事(こと)だらうとは想(おも)ひました、實(じつ)に酷(ひど)い目(め)にお逢(あひ)になりましたな。』と、今(いま)しも射殺(ゐたを)したる猛狒(ゴリラ)の死骸(しがい)に眼(まなこ)を注(そゝ)いで
『實(じつ)は先刻(せんこく)急(きふ)に思(おも)ひ立(た)つて、此(この)兵曹(へいそう)と共(とも)に遊獵(いうれう)に出(で)たのが、天幸(てんこう)にも君等(きみら)をお助(たす)け申(まう)す事(こと)になつたのです。』と言(い)ひながら、大空(おほぞら)を仰(あほ)ぎ見(み)て。
『いろ/\委(くわ)しい事(こと)を承(うけたまは)りたいが、最早(もはや)暮(く)るゝにも近(ちか)く、此邊(このへん)は猛獸(まうじう)の巣窟(さうくつ)ともいふ可(べ)き處(ところ)ですから、一先(ひとま)づ我(わ)が住家(すみか)へ。』と銃(じう)の筒(つゝ)を擡(もた)げた。私(わたくし)は話(はなし)の序(つひで)に、日出雄少年(ひでをせうねん)の事(こと)をば一寸(ちよつと)語(かた)つたので、大佐(たいさ)は凛(りん)たる眼(まなこ)を少年(せうねん)の面(おもて)に轉(てん)じ
『おゝ、可愛(かあい)らしい兒(こ)ですな。』と親切(しんせつ)に其(その)頭(かしら)を撫(な)でつゝ、吾等(われら)の傍(かたわら)に勇(いさ)ましき面(おもて)して立(た)てる水兵(すいへい)を顧(かへり)み
『これ、武村兵曹(たけむらへいそう)、此(この)少年(せうねん)を撫恤(いたわ)つてあげい。』
言下(げんか)に武村(たけむら)と呼(よ)ばれたる兵曹(へいそう)は、つと進寄(すゝみよ)り威勢(ゐせい)よく少年(せうねん)を抱上(いだきあ)げて
『ほー、可愛(かあい)らしい少年(せうねん)だ、サア私(わたくし)の頭(あたま)へ乘(の)つた/\。』と肩車(かたぐるま)に乘(の)せて、ズン/\と前(さき)へ走(はし)り出(だ)[#ルビの「だ」は底本では「た」]した。
櫻木海軍大佐等(さくらぎかいぐんたいさら)の住(すま)へる家(いへ)までは、此處(こゝ)から一哩(いちマイル)程(ほど)ある相(さう)だ。此時(このとき)ふと心(こゝろ)に思(おも)つたのは、先刻(せんこく)から鐵(てつ)の響(ひゞき)の發(はつ)する處(ところ)は其處(そこ)ではあるまいか、行(ゆ)く道中(みち/\)、大佐(たいさ)はさま/″\の事(こと)を私(わたくし)に問(と)ひかけた。けれど、私(わたくし)は大佐(たいさ)の今(いま)の境遇(きやうぐう)に就(つ)いては、一言(いちげん)も問(とひ)を發(はつ)しなかつた。差當(さしあた)つて尋(たづ)ねる必要(ひつよう)も無(な)く、また容易(ようゐ)ならざる大佐(たいさ)の秘密(ひみつ)をば、輕率(けいそつ)に問(と)ひかけるのは、却(かへつ)て禮(れい)を失(しつ)すると思(おも)つたからで。然(しか)し先夜(せんや)の反古(はご)新聞(しんぶん)の記事(きじ)から推及(すいきふ)して、大佐(たいさ)が今(いま)現(げん)に浮世(うきよ)の外(そと)なる此(この)孤島(はなれじま)に在(あ)る事(こと)、また今(いま)も聽(きこ)ゆる鐵(てつ)の響(ひゞき)などから考(かんが)へ合(あ)はせると朧(おぼろ)ながらもそれと思(おも)ひ當(あた)る節(ふし)の無(な)いでもない。櫻木海軍大佐(さくらぎかいぐんたいさ)は今(いま)[#ルビの「いま」は底本では「いは」]や此(この)島(たう)中(ちゆう)に身(み)を潜(ひそ)めて[#「身(み)を潜(ひそ)めて」は底本では「身(み)をを潜(ひそ)めて」]兼(かね)て企(くわだ)つるといふ、軍事上(ぐんじじやう)の大發明(だいはつめい)に着手(ちやくしゆ)して居(を)るのではあるまいか。讀者(どくしや)諸君(しよくん)も恐(おそ)らく此邊(このへん)の想像(さうぞう)は付(つ)くだらう。
猛狒(ゴリラ)と大奮鬪(だいふんとう)の塲所(ばしよ)から凡(およ)そ七八町(ちやう)も歩(あゆ)んだと思(おも)ふ頃(ころ)、再(ふたゝ)び海(うみ)の見(み)える所(ところ)へ出(で)た。それから、丘陵(をか)二つ越(こ)え、一筋(ひとすぢ)の清流(ながれ)を渡(わた)り、薄暗(うすくら)い大深林(だいしんりん)の間(あひだ)を※(す)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、149-7]ぎ、終(つひ)に眼界(がんかい)の開(ひら)くる所(ところ)、大佐(たいさ)の家(いへ)を眺(なが)めた。
大佐(たいさ)の家(いへ)は、海面(かいめん)より數百尺(すひやくしやく)高(たか)き斷崖(だんがい)の上(うへ)に建(たて)られ、前(まへ)は果(はて)しなき印度洋(インドやう)に面(めん)し、後(うしろ)は美麗(びれい)なる椰子(やし)の林(はやし)に蔽(おほ)はれて居(を)る。勿論(もちろん)、此樣(こん)な絶島(ぜつたう)の事(こと)だから、决(けつ)して立派(りつぱ)な建築(たてもの)ではない、けれど可(か)なり巨大(おほき)な板家(いたや)で、門(もん)には海軍(かいぐん)の家(いへ)と筆太(ふでぶと)に記(しる)され、長(なが)き、不恰好(ぶかくかう)な室(へや)が何個(いくつ)も並(なら)んで見(み)へるのは、部下(ぶか)卅七名(めい)の水兵等(すいへいら)と同居(どうきよ)の爲(ため)だらう。二階(にかい)に稍(や)や體裁(ていさい)よき三個(みつつ)の室(へや)、其(その)一室(ひとま)の窓(まど)に、白(しろ)い窓掛(まどかけ)が風(かぜ)に搖(ゆる)いで居(を)る所(ところ)は、確(たしか)に大佐(たいさ)の居間(ゐま)と思(おも)はるゝ。
吾等(われら)が其(その)家(いへ)に近(ちか)づいた時(とき)、日出雄少年(ひでをせうねん)を肩(かた)にした武村兵曹(たけむらへいそう)は一散(いつさん)に走(はし)つて行(い)つて、快活(くわいくわつ)な聲(こえ)で叫(さけ)んだ。
『サア、皆(みな)の水兵(ものども)出(で)た/\、大佐閣下(たいさかくか)のお皈(かへ)りだよ、それに、珍(めづ)らしい賓人(おきやくさん)と、可愛(かあい)らしい少年(せうねん)とが御坐(ござ)つた、早(はや)く出(で)て御挨拶(ごあいさつ)申(まう)せ/\。』
聲(こえ)に應(おう)じて、家(いへ)に殘(のこ)つて居(を)つた一團(いちだん)の水兵(すいへい)は一同(みな)部室(へや)から飛(と)んで出(で)た。いづれも鬼神(きじん)を挫(ひし)がんばかりなる逞(たく)ましき男(をとこ)が、家(いへ)の前面(ぜんめん)に一列(いちれつ)に並(なら)んで、恭(うやうや)しく敬禮(けいれい)を施(ほどこ)した。武村兵曹(たけむらへいそう)は彼等(かれら)の仲間(なかま)でも羽振(はぶ)りよき男(をとこ)、何(なに)か一言(ひとこと)二言(ふたこと)いふと、勇(いさ)ましき水兵(すいへい)の一團(いちだん)は、等(ひと)しく帽(ぼう)を高(たか)く飛(とば)して、萬歳(ばんざい)を叫(さけ)んだ、彼等(かれら)は其(その)敬愛(けいあい)する櫻木大佐(さくらぎたいさ)の知己(ちき)たる吾等(われら)が、無事(ぶじ)に此(この)島(しま)に上陸(じやうりく)したる事(こと)を祝(しゆく)して呉(く)れるのであらう。大佐(たいさ)は此樣(このさま)を見(み)て微笑(びせう)を泛(うか)べた。
『實(じつ)に感謝(かんしや)に堪(た)えません。』と私(わたくし)は不測(そゞろ)に※(「りっしんべん+喜」、第4水準2-12-73)涙(うれしなみだ)の流(なが)るゝを禁(きん)じ得(え)なかつた。無邪氣(むじやき)なる日出雄少年(ひでをせうねん)は眼(め)をまんまるにして、武村兵曹(たけむらへいそう)の肩上(かた)で躍(をど)ると。快活(くわいくわつ)なる水兵(すいへい)の一群(いちぐん)は其(その)周圍(まわり)を取卷(とりま)いて、『やあ、可愛(かあひ)らしい少年(せうねん)だ、乃公(おれ)にも借(か)せ/\。』と立騷(たちさわ)[#ルビの「たちさわ」は底本では「ちちさわ」]ぐ、櫻木大佐(さくらぎたいさ)は右手(めて)を擧(あ)げて
『これ、水兵(すいへい)、少年(せうねん)は痛(ひど)く疲勞(つかれ)て居(を)る、あまり騷(さわ)いではいかぬ』と打笑(うちえ)みつゝ
『それより急(いそ)ぎ新客(しんきやく)の部室(へや)の仕度(したく)をせよ、部室(へや)は二階(にかい)の第二號室(だいにがうしつ)――余(よ)の讀書室(どくしよしつ)を片付(かたづ)けて――。』と。
斯(か)く命(めい)じ終(をは)つた大佐(たいさ)は、武村兵曹(たけむらへいそう)の肩(かた)から日出雄少年(ひでをせうねん)を抱(いだ)き寄(よ)せ、私(わたくし)に向(むか)つて
『一先(ひとま)づ私(わたくし)の部室(へや)へ。』と前(さき)に立(た)つた。
導(みちび)かるゝまゝに入込(いりこ)んだのは、階上(にかい)の南端(なんたん)の一室(ひとま)で、十疊(じやう)位(ぐら)いの部室(へや)、中央(ちうわう)の床(ゆか)には圓形(えんけい)のテーブルが据(す)へられ、卓上(たくじやう)には、地球儀(ちきゆうぎ)や磁石(じしやく)の類(るゐ)が配置(はいち)され、四邊(あたり)の壁間(かべ)には隙間(すきま)も無(な)く列國(れつこく)地圖(ちづ)の懸(か)けられてあるなど、流石(さすが)に海軍士官(かいぐんしくわん)の居室(ゐま)と見受(みう)けられた。
大佐(たいさ)の好遇(かうぐう)にて、此處(こゝ)で、吾等(われら)は水兵等(すいへいら)が運(はこ)んで來(き)た珈琲(カフヒー)に咽(のど)を霑(うる)ほうし、漂流(へうりう)以來(いらい)大(おほい)に渇望(かつぼう)して居(を)つた葉卷煙葉(はまきたばこ)も充分(じゆうぶん)に喫(す)ひ、また料理方(れうりかた)の水兵(すいへい)の手製(てせい)の由(よし)で、極(きは)めて形(かたち)は不細工(ぶさいく)ではあるが、非常(ひじやう)に甘味(うま)い菓子(くわし)に舌皷(したつゞみ)打(う)ちつゝ、稍(や)や十五分(ふん)も※(すぎ)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、152-10]たと思(おも)ふ頃(ころ)、時計(とけい)は午後(ごご)の六時(ろくじ)を報(ほう)じて、日永(ひなが)の五月(ぐわつ)の空(そら)も、夕陽(ゆふひ)西山(せいざん)に舂(うすつ)くやうになつた。
此時(このとき)大佐(たいさ)は徐(しづ)かに立上(たちあが)り、私(わたくし)に向(むか)ひ
『吾等(われら)は之(これ)より一定(いつてい)の職務(しよくむ)があるので、暫時(しばらく)失敬(しつけい)、君等(きみら)は後(のち)に靜(しづか)に休息(きうそく)し玉(たま)へ、私(わたくし)は八時(じ)※(すぎ)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、153-3]再(ふたゝ)び皈(かへ)つて來(き)て、晩餐(ばんさん)をば共(とも)に致(いた)しませう。』と言(い)ひ殘(のこ)して何處(いづく)ともなく立去(たちさ)つた。
後(あと)へ例(れい)の快活(くわいくわつ)なる武村兵曹(たけむらへいそう)がやつて來(き)て、武骨(ぶこつ)なる姿(すがた)に似(に)ず親切(しんせつ)に、吾等(われら)の海水(かいすい)に染(し)み、天日(てんぴ)に焦(こが)されて、ぼろ/\になつた衣服(ゐふく)の取更(とりか)へやら、洗湯(せんたう)の世話(せわ)やら、日出雄少年(ひでをせうねん)の爲(ため)には、特(こと)に小形(こがた)の「フランネル」の水兵服(すいへいふく)を、裁縫係(さいほうがゝり)の水兵(すいへい)に命(めい)ずるやら、いろ/\取計(とりはか)らつて呉(く)れる、其間(そのま)に、大佐(たいさ)より命令(めいれい)のあつた吾等(われら)の居室(ゐま)の準備(じゆんび)も出來(でき)たので、其處(そこ)に導(みちび)かれ、久々(ひさ/″\)にて寢臺(ねだい)の上(うへ)へ横(よこたは)つた。はじめの間(あひだ)は日出雄少年(ひでをせうねん)も私(わたくし)も互(たがひ)に顏(かほ)を見合(みあは)せては此(この)不思議(ふしぎ)なる幸運(かううん)をよろこび、大佐等(たいさら)の懇切(こんせつ)なる待遇(もてなし)を感謝(かんしや)しつゝ、いろ/\と物語(ものがた)つて居(を)つたが、何時(いつ)か十數日(すうにち)以來(いらい)の烈(はげ)しき疲勞(つかれ)の爲(た)めに、知(し)らず/\深(ふか)き夢(ゆめ)に落(お)ちた。

    第十三回 星影(ほしかげ)がちら/\
歡迎(ウエルカム)――春枝夫人は屹度死にません――此新八が先鋒ぢや――浪の江丸の沈沒――此島もなか/\面白いよ――三年の後
 それから幾時間(いくじかん)眠(ねむ)つたか知(し)らぬが、不意(ふゐ)に私(わたくし)の枕邊(まくらもと)で
『サア、賓客(おきやくさん)、もう暗(くら)くなりましたぜ、大佐閣下(たいさかくか)もひどくお待兼(まちかね)で、それに、夕食(ゆふしよく)の御馳走(ごちさう)も悉皆(すつかり)出來(でき)て、料理方(れうりかた)の浪三(なみざう)めが、鳥(とり)の丸燒(まるやき)が黒焦(くろこげ)になるつて、眼玉(めだま)を白黒(しろくろ)にして居(ゐ)ますぜ。』と大聲(おほごゑ)に搖醒(ゆりさま)すものがあるので、愕(おどろ)いて目(め)を醒(さま)すと、此時(このとき)日(ひ)は全(まつた)く暮(く)れて、部室(へや)の玻璃窓(がらすまど)を透(たう)して、眺(なが)むる海(うみ)の面(おも)には、麗(うる)はしき星影(ほしかげ)がチラ々々と映(うつ)つて居(を)つた。
私(わたくし)を呼醒(よびさま)したのは快活(くわいくわつ)なる武村兵曹(たけむらへいそう)であつた。其(その)右手(めて)に縋(すが)つて、可憐(かれん)なる日出雄少年(ひでをせうねん)はニコ/\しながら
『叔父(おぢ)さん、私(わたくし)はもう顏(かほ)を洗(あら)つて來(き)ましてよ。』と、睡醒(ねざめ)に澁(しぶ)る私(わたくし)の顏(かほ)を仰(あほ)いだ。オヤ/\、少年(せうねん)にまで寢太郎(ねたらう)と見(み)られたかと、私(わたくし)は急(いそ)ぎ清水(しみづ)に顏(かほ)を淨(きよ)め、兵曹(へいそう)の案内(あんない)に從(したが)つて用意(ようゐ)の一室(ひとま)へ來(き)て見(み)ると、食卓(しよくたく)の一端(いつたん)には、櫻木大佐(さくらぎたいさ)は二三の重立(おもだ)つた水兵(すいへい)を相手(あひて)に、談話(はなし)に耽(ふけ)つて居(を)つたが、吾等(われら)の姿(すがた)を見(み)るより、笑(えみ)を此方(こなた)に向(む)け
『武村(たけむら)が、とう/\御安眠(ごあんみん)を妨害(ぼうがい)しましたね。』と、水兵(すいへい)に命(めい)じて二個(にこ)の倚子(ゐす)を近寄(ちかよ)せた。
食卓(テーブル)の對端(むかふ)には、武村兵曹(たけむらへいそう)他(ほか)三名(さんめい)の水兵(すいへい)が行儀(ぎようぎ)よく列(なら)び、此方(こなた)には、日出雄少年(ひでをせうねん)を中(なか)に挿(はさ)んで、大佐(たいさ)と私(わたくし)とが右(みぎ)と左(ひだり)に肩(かた)を並(なら)べて、頓(やが)て晩餐(ばんさん)は始(はじ)まつた。洋燈(らんぷ)の光(ひかり)は煌々(くわう/\)と輝(かゞや)いて、何時(いつ)の間(ま)にか、武骨(ぶこつ)なる水兵等(すいへいら)が、優(やさ)しい心(こゝろ)で飾立(かざりた)てた挿花(さしばな)や、壁間(かべ)に『歡迎(ウエルカム)』と巧妙(たくみ)に作(つく)られた橄欖(かんらん)の緑(みどり)の葉(は)などを、美(うつ)くしく照(てら)して居(を)る。かゝる孤島(はなれじま)の事(こと)だから、御馳走(ごちさう)は無(な)いがと大佐(たいさ)の言譯(いひわけ)だが、それでも、料理方(れうりかた)の水兵(すいへい)が大奮發(だいふんぱつ)の由(よし)で、海鼈(すつぽん)の卵子(たまご)の蒸燒(むしやき)や、牡蠣(かき)の鹽※(「睹のつくり/火」、第3水準1-87-52)(しほに)や、俗名(ぞくめう)「イワガモ」とかいふ此(この)島(しま)に澤山(たくさん)居(を)る鴨(かも)に似(に)て、一層(いつそう)味(あぢ)の輕(かろ)い鳥(とり)の丸燒(まるやき)などはなか/\の御馳走(ごちさう)で、今(いま)の私(わたくし)の身(み)には、世界(せかい)第一(だいいち)のホテルで、世界(せかい)第一(だいいち)の珍味(ちんみ)を供(きよう)せられたよりも百倍(ひやくばい)も※(「りっしんべん+喜」、第4水準2-12-73)(うれ)しく感(かん)じた。晩餐後(ばんさんご)、喫茶(きつちや)がはじまると、櫻木大佐(さくらぎたいさ)をはじめ同席(どうせき)の水兵等(すいへいら)は、ひとしく口(くち)を揃(そろ)へて『御身(おんみ)が此(この)島(しま)へ漂着(へうちやく)の次第(しだい)を悉(くわ)しく物語(ものがた)り玉(たま)へ。』といふので、私(わたくし)は珈琲(カフヒー)を一口(ひとくち)飮(の)んで、徐(おもむ)ろに語(かた)り出(だ)した。
先(ま)づ、私(わたくし)が世界(せかい)漫遊(まんゆう)の目的(もくてき)で、横濱(よこはま)の港(みなと)を出港(ふなで)した事(こと)から、はじめ米國(ベイこく)に渡(わた)り、それより歐羅巴(エウロツパ)諸國(しよこく)を遍歴(へんれき)した次第(しだい)。伊太利(イタリー)の國(くに)子ープルス港(かう)で、圖(はか)らずも昔(むかし)の學友(がくいう)、今(いま)は海外(かいぐわい)貿易商會(ぼうえきしやうくわい)の主人(しゆじん)として、巨萬(きよまん)の富(とみ)を重(かさ)ねて居(を)る濱島武文(はまじまたけぶみ)に邂逅(めぐりあ)ひ、其處(そこ)で、彼(かれ)が妻(つま)なる春枝夫人(はるえふじん)と其(その)愛兒(あいじ)日出雄少年(ひでをせうねん)とに對面(たいめん)なし、不思議(ふしぎ)なる縁(えにし)につながれて、三人(みたり)は日本(につぽん)へ皈(かへ)らんと、弦月丸(げんげつまる)に同船(どうせん)した事(こと)、出帆(しゆつぱん)前(まへ)、亞尼(アンニー)といへる御幣擔(ごへいかつ)ぎの伊太利(イタリー)の老女(らうぢよ)が、船(ふね)の出帆(しゆつぱん)が魔(ま)の日(ひ)魔(ま)の刻(こく)に當(あた)るとて、切(せつ)に其(その)夜(よ)の出發(しゆつぱつ)を止(と)めた事(こと)。怪(あやし)の船(ふね)の双眼鏡(さうがんきやう)一件(いつけん)、印度洋上(インドやうじやう)の大遭難(だいさうなん)の始末(しまつ)、其時(そのとき)春枝夫人(はるえふじん)の殊勝(けなげ)なる振舞(ふるまひ)、さては吾等(われら)三人(みたり)が同時(どうじ)に、弦月丸(げんげつまる)の甲板(かんぱん)から海中(かいちう)に飛込(とびこ)んだのに拘(かゝは)らず、春枝夫人(はるえふじん)のみは行方(ゆくかた)知(し)れずなつた事(こと)、それより漂流中(へうりうちう)いろ/\の艱難(かんなん)を經(へ)て、漸(やうや)く此(この)島(しま)へ漂着(へうちやく)した迄(まで)の有樣(ありさま)を脱漏(おち)もなく語(かた)ると、聽(き)く人(ひと)、或(あるひ)は驚(おどろ)き、或(あるひ)は嘆(たん)じ、武村兵曹(たけむらへいそう)は木像(もくぞう)のやうになつて、眼(め)を巨大(おほき)くして、息(いき)をも吐(つ)かず聽(き)いて居(を)る、其他(そのた)の水兵(すいへい)も同(おな)じ有樣(ありさま)。
語(かた)り終(をは)つた時(とき)、櫻木海軍大佐(さくらぎかいぐんたいさ)は靜(しづ)かに顏(かほ)を上(あ)げた。
『實(じつ)に、君(きみ)の經歴(けいれき)は小説(せうせつ)のやうです。』と言(い)つた儘(まゝ)、暫時(しばし)私(わたくし)の顏(かほ)を瞻(なが)めて居(を)つたが、物語(ものがたり)の中(うち)でも、春枝夫人(はるえふじん)の殊勝(けなげ)なる振舞(ふるまひ)には、少(すく)[#ルビの「すく」は底本では「すな」]なからず心(こゝろ)を動(うご)かした樣子(やうす)。特(こと)に櫻木大佐(さくらぎたいさ)は、春枝夫人(はるえふじん)の令兄(れいけい)なる松島海軍大佐(まつしまかいぐんたいさ)とは、兄弟(きやうだい)も及(およ)ばぬ親密(しんみつ)なる間柄(あひだがら)で、大佐(たいさ)がまだ日本(につぽん)に居(を)つた頃(ころ)は始終(しじう)徃來(わうらい)して、其頃(そのころ)、乙女(おとめ)であつた春枝孃(はるえじやう)とは、幾度(いくたび)も顏(かほ)を合(あは)した事(こと)もある相(さう)で、今(いま)其(その)美(うる)はしく殊勝(けなげ)なる夫人(ふじん)が、印度洋(インドやう)の波間(なみま)に見(み)えずなつたと聞(き)いては、他事(ひとごと)と思(おも)はれぬと、そゞろに哀(あわれ)を催(もよう)したる大佐(たいさ)は、暫時(しばらく)して口(くち)を開(ひら)いた。
『けれど、私(わたくし)は常(つね)に確信(かくしん)して居(ゐ)ます、天(てん)には一種(いつしゆ)の不思議(ふしぎ)なる力(ちから)があつて、身(み)も心(こゝろ)も美(うつ)くしき人(ひと)は、屡々(しば/″\)九死(きゆうし)の塲合(ばあひ)に瀕(ひん)しても、意外(いぐわい)の救助(すくひ)を得(う)る事(こと)のあるものです。』と言(い)ひながら今(いま)しも懷(なつ)かしき母君(はゝぎみ)の噂(うわさ)の出(い)でたるに、逝(ゐ)にし夜(よ)の事(こと)ども懷(おも)ひ起(おこ)して、愁然(しゆうぜん)たる日出雄少年(ひでをせうねん)の頭髮(かしら)を撫(な)でつゝ
『私(わたくし)はどうも春枝夫人(はるえふじん)は、其後(そのゝち)無事(ぶじ)に救(すく)はれた樣(やう)に想(おも)はれる。此樣(こん)な事(こと)を云(い)ふと妙(めう)だが、人(ひと)は[#「人(ひと)は」は底本では「人(ひと)はは」]一種(いつしゆ)の感應(かんおう)があつて、私(わたくし)の如(ごと)きは昔(むかし)からどんな遠方(えんぽう)に離(はな)れて居(を)る人(ひと)でも、『あの人(ひと)は未(ま)だ無事(ぶじ)だな』と思(おも)つて居(を)る人(ひと)に、死(しん)だ例(ためし)はないのです。それで、私(わたくし)は今(いま)、春枝夫人(はるえふじん)が波間(なみま)に沈(しづ)んだと聞(き)いても、どうも不幸(ふこう)なる最後(さいご)を遂(と)げられたとは思(おも)はれない、或(あるひ)は意外(いぐわい)の救助(すくひ)を得(え)て、子ープルスなる良君(をつと)の許(もと)へ皈(かへ)つて、今頃(いまごろ)は却(かへつ)て、君等(きみら)の身(み)の上(うへ)を憂慮(うれひ)て居(を)るかも知(し)れませんよ。』と言葉(ことば)を切(き)つて、淋(さび)し相(さう)に首(くび)項垂(うなだ)れて居(を)る日出雄少年(ひでをせうねん)の項(うなじ)に手(て)を掛(か)け
『それに就(つ)けても、惡(にく)む可(べ)きは海賊船(かいぞくせん)の振舞(ふるまひ)、かゝる惡逆無道(あくぎやくむだう)の船(ふね)は、早晩(はやかれおそかれ)木葉微塵(こつぱみぢん)にして呉(く)れん。』と、明眸(めいぼう)に凛乎(りんこ)たる光(ひかり)を放(はな)つと、聽(き)く日出雄少年(ひでをせうねん)は、プイと躍立(とびた)つて。
『眞個(ほんとう)に/\、海軍(かいぐん)の叔父(おぢ)さんが海賊船(かいぞくせん)を退治(たいぢ)するなら、私(わたくし)は敵(てき)の大將(たいしやう)と勝負(しようぶ)を决(けつ)しようと思(おも)ふんです。』
『其處(そこ)だツ、日本男兒(につぽんだんじ)の魂(たましひ)は――。』と木像(もくぞう)のやうに默(だま)つて居(を)つた武村兵曹(たけむらへいそう)は不意(ふい)に叫(さけ)んだ。
『其時(そのとき)は、此(この)武村新八郎(たけむらしんぱちらう)が先鋒(せんぽう)ぢや/\。』と威勢(いせい)よくテーブルの上(うへ)を叩(たゝ)き廻(まわ)すと、皿(さら)は跳(をど)つて、小刀(ナイフ)は床(ゆか)に落(お)ちた。それから、例(れい)の魔(ま)の日(ひ)魔(ま)の刻(こく)の一件(いつけん)に就(つ)いては、水兵(すいへい)一同(いちどう)は私(わたくし)と同(おな)じ樣(やう)に、無※(ばか)[#「(禾+尤)/上/日」、160-9]な話(はなし)だと笑(わら)つてしまつたが、獨(ひとり)櫻木大佐(さくらぎたいさ)のみは笑(わら)はなかつた。無論(むろん)、縁起的(えんぎてき)には、其樣(そん)な事(こと)は信(しん)ぜられぬが、かの亞尼(アンニー)とかいへる老女(らうぢよ)は、何(なに)かの理由(わけ)で、海賊船(かいぞくせん)が弦月丸(げんげつまる)を狙(ねら)つて居(を)る事(こと)をば、豫(あらかじ)め知(し)つて居(を)つたのかも知(し)れぬ。それが或(ある)事情(じじやう)の爲(た)めに明言(めいげん)する事(こと)も出來(でき)ず、さりとて主家(しゆか)の大難(だいなん)を知(し)らぬ顏(かほ)に打※(うちすぎ)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、161-2]るにも忍(しの)びで、かくは縁起話(えんぎばなし)に托言(かこつ)けて、其(その)夜(よ)の出發(しゆつぱつ)を止(とゞ)めたのかも知(し)れぬ。と語(かた)つた。成程(なるほど)斯(か)う聽(き)いて見(み)れば、私(わたくし)も思(おも)ひ當(あた)る節(ふし)の無(な)いでもない。また、海賊船(かいぞくせん)海蛇丸(かいだまる)の一條(いちじやう)については、席上(せきじやう)いろ/\な話(はなし)があつた。大佐(たいさ)の語(かた)る處(ところ)によると、海賊島(かいぞくたう)云々(うんぬん)の風聞(ふうぶん)も實際(じつさい)の事(こと)で、其(その)海賊(かいぞく)仲間(なかま)と或(ある)強國(きようこく)との間(あひだ)に、一種(いつしゆ)の密約(みつやく)の存(そん)して居(を)る事(こと)も、海事(かいじ)に審(くわ)しき船員(せんゐん)社會(しやくわい)には、殆(ほとん)ど公然(こうぜん)の秘密(ひみつ)となつて居(を)る由(よし)。かゝる惡魔(あくま)はどうしても塵殺(みなごろし)しなければならぬと、水兵等(すいへいら)一同(いちどう)の意氣組(いきぐみ)。
さてまた、弦月丸(げんげつまる)沈沒(ちんぼつ)の間際(まぎわ)に、船長(せんちやう)をはじめ船員(せんゐん)一同(いちどう)の醜態(しゆうたい)は、聽(き)く人(ひと)愕(おどろ)き怒(いか)らざるなく、短氣(たんき)の武村兵曹(たけむらへいそう)は眼(め)を光(ひか)らして
『やあ/\、呆(あき)れた人間(にんげん)共(ども)だ、其樣(そん)な臆病(をくびやう)な船長(せんちやう)なんかは、逃(に)げたとてどうせ六(ろく)な事(こと)はあるまい、波(なみ)でも喰(くら)つて斃死(へたば)つてしまつたらうが、※一(まんいち)[#「一/力」、162-2]生(い)きてゞも居(ゐ)やうものなら、此(この)武村新八(たけむらしんぱち)が承知(しやうち)しねえ、世間(せけん)の見懲(みせしめ)に、一(ひと)ツ横(よこ)ツ腹(ぱら)でも蹴破(けやぶ)つて呉(く)れようかな。』と怒鳴(どな)る。大佐(たいさ)は笑(わら)ひ、水兵等(すいへいら)は腕(うで)を叩(たゝ)き、日出雄少年(ひでをせうねん)と私(わたくし)とは爽快(さわやか)に顏(かほ)を見合(みあ)はした。
斯(かゝ)る物語(ものがたり)に不知不測(しらずしらず)夜(よ)を更(ふか)し、頓(やが)て私(わたくし)の遭難(さうなん)實談(じつだん)も終(をは)ると、櫻木大佐(さくらぎたいさ)は、此時(このとき)稍(や)や面(おもて)を改(あらた)めて私(わたくし)に向(むか)つた。
『今迄(いまゝで)のお話(はなし)で、君(きみ)が此(この)島(しま)へ漂着(へうちやく)の次第(しだい)は分(わか)つたが、さて此後(このゝち)は如何(いか)になさる御决心(ごけつしん)です。』
决心(けつしん)如何(いかん)といふのは、吾等(われら)兩人(りようにん)かゝる絶島(ぜつたう)に漂着(へうちやく)した今(いま)、無理(むり)にも本國(ほんごく)へ皈(かへ)りたいか、又(また)は或(ある)便宜(べんぎ)を得(う)るまで、大佐等(たいさら)と此(この)島(しま)に滯在(たいざい)する覺悟(かくご)があるかとの問(とひ)だと私(わたくし)は考(かんが)へたので、無論(むろん)、一日(いちにち)も速(すみや)かに日本(につぽん)へ皈(かへ)りたいのは山々(やま/\)だが、前後(ぜんご)の事情(じじやう)を察(さつ)すると、今(いま)此人(このひと)に向(むか)つて、其樣(そん)な我儘(わがまゝ)は言(い)はれぬのである。で私(わたくし)は簡單(かんたん)に
『たゞ天命(てんめい)と、大佐閣下(たいさかくか)とに、吾等(われら)の運命(うんめい)を委(ゆだ)ぬるのみです。』と答(こた)へると、大佐(たいさ)は暫時(しばし)小首(こくび)を傾(かたむ)けたが
『然(しか)らば、君等(きみら)は或(ある)時期(とき)まで、此(この)島(しま)に滯在(たいざい)せねばなりません。』と斷乎(だんこ)と言放(いひはな)つた。
私(わたくし)は默(だま)つて點頭(うなづ)いた。
大佐(たいさ)は言(げん)をつゞけ
『實(じつ)に致(いた)し方(かた)が無(な)いのです。勿論(もちろん)君(きみ)が御决心(ごけつしん)で、運命(うんめい)を全(まつた)く天(てん)に任(まか)せて、再(ふたゝ)び小端艇(せうたんてい)で、印度洋(インドやう)の波(なみ)を越(こ)えて、本國(ほんごく)へお皈(かへ)りにならうと仰(お)つしやれば、仕方(しかた)がありませんが、私(わたくし)は决(けつ)して、其樣(そん)な無法(むほふ)な事(こと)を望(のぞ)みません、其他(そのた)の手段(しゆだん)では、到底(とうてい)今日(けふ)や明日(あす)に、此(この)島(しま)を出發(しゆつぱつ)する方法(てだて)もありませんから、止(や)むを得(え)ず、或(ある)時期(とき)までは、吾等(われら)の一行(いつかう)と共(とも)に、此(この)絶島(ぜつたう)に御滯在(ごたいざい)の外(ほか)はありません。』
『それは覺悟(かくご)の前(まへ)です。』と私(わたくし)は答(こた)へて
『たゞ無用(むよう)なる吾等(われら)が、徒(いたづ)らに貴下等(きから)を煩(わずら)はすのを憂(うれ)ふるのみです。』と語(かた)ると、大佐(たいさ)は急(いそ)ぎ其(その)言(げん)を遮(さへぎ)り
『いや/\、私(わたくし)は却(かへつ)て、天外(てんぐわい)※里(ばんり)[#「一/力」、164-6]の此樣(こん)な島(しま)から、何時(いつ)までも、君等(きみら)に故郷(こきよう)の空(そら)を望(のぞ)ませる事(こと)を情(なさけ)なく感(かん)ずるのです。』と嘆息(たんそく)しつゝ
『あゝ、此樣(こん)な時(とき)に、せめて浪(なみ)の江丸(えまる)が無難(ぶなん)であつたらば。』と武村兵曹(たけむらへいそう)の顏(かほ)を見(み)た。
浪(なみ)の江丸(えまる)とは、例(れい)の反古(はご)新聞(しんぶん)に記(しる)されて居(を)つた名(な)で、はじめ、大佐(たいさ)の一行(いつかう)を此(この)島(しま)へ搭(の)せて來(き)た一大(いちだい)帆前船(ほまへせん)、あゝ、あの船(ふね)も、今(いま)は何(なに)かの理由(りいう)で、此(この)海岸(かいがん)にあらずなつたかと、私(わたくし)は窓(まど)の硝子越(がらすご)しに海面(かいめん)を眺(なが)めると、星影(ほしかげ)淡(あわ)き波上(はじやう)には、一二艘(そう)淋(さび)し氣(げ)に泛(うか)んで居(を)る小端艇(せうたんてい)の他(ほか)には、此(この)大海原(おほうなばら)を渡(わた)るとも見(み)ゆべき一艘(いつそう)の船(ふね)もなかつた。
武村兵曹(たけむらへいそう)は腕(うで)を組(く)んで
『さあ、斯(か)うなると惜(を)しい事(こと)をした。浪(なみ)の江丸(えまる)さへ無事(ぶじ)であつたら、私(わたくし)が巧(うま)く舵(かぢ)をとつて、直(す)ぐに日本(につぽん)まで送(おく)つてあげるのだが、此前(このまへ)の大嵐(おほあらし)の晩(ばん)に、とうとう磯(いそ)に打上(うちあ)げられて、めちや/\になつて仕舞(しま)つたから、今更(いまさら)何(なん)といふても仕方(しかた)が無(な)い。』と言(い)ひつゝ少年(せうねん)に向(むか)ひ
『だが、此(この)島(しま)も仲々(なか/\)面白(おもしろ)いよ、魚(さかな)も澤山(たんと)釣(つ)れるし、獅子狩(ししがり)も出來(でき)るし、今(いま)に皈(かへ)りたく無(な)くなるよ。』
大佐(たいさ)は苦笑(くせう)しながら
『誰(たれ)が、此樣(こん)な離(はな)れ島(じま)に永住(えいぢゆう)を望(のぞ)むものか。』とばかり、私(わたくし)に向(むか)ひ
『然(しか)し、何事(なにごと)も天命(てんめい)です。けれど君(きみ)よ、决(けつ)して絶望(ぜつぼう)し玉(たま)ふな。吾等(われら)は何時(いつ)か、非常(ひじやう)の幸福(かうふく)を得(え)て、再(ふたゝ)び芙蓉(ふよう)の峯(みね)を望(のぞ)む事(こと)が出來(でき)ませう――イヤ確信(くわくしん)します、今(いま)より三年(さんねん)の後(のち)は屹度(きつと)其時(そのとき)です。』と言放(いひはな)つて、英風(えいふう)颯々(さつ/\)、逆浪(げきらう)岩(いわ)に碎(くだ)くる海邊(かいへん)の、唯(と)ある方角(ほうがく)を眺(なが)めた。

    第十四回 海底(かいてい)の造船所(ざうせんじよ)
大佐の後姿がチラリと見えた――獅子狩は眞平御免だ――猛犬稻妻秘密の話――屏風岩――物凄い跫音――鐵門の文字
 其(その)翌朝(よくてう)日出雄少年(ひでをせうねん)と私(わたくし)とが目醒(めざ)めたのは八時(じ)※(すぎ)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、166-10]で櫻木海軍大佐(さくらぎかいぐんたいさ)は、武村兵曹(たけむらへいそう)をはじめ一隊(いつたい)の水兵(すいへい)を引卒(ひきつ)れて、何處(いづこ)へか出去(いでさ)つた後(あと)であつた。朝餉(あさげ)を運(はこ)んで來(き)た料理方(れうりかた)の水兵(すいへい)は、大佐(たいさ)が外出(ぐわいしゆつ)の時(とき)の言傳(ことづて)だとて、左(さ)の如(ごと)く語(かた)つた。
『大佐(たいさ)は、今朝(けさ)も定(さだま)れる職務(しよくむ)に參(まゐ)るが、昨夜(さくや)は取紛(とりまぎ)れて語(かた)らず、今朝(こんてう)は猶(な)ほ御睡眠中(ごすいみんちう)なれば、此(この)水兵(すいへい)を以(もつ)て申上(もうしあ)げるが、此(この)住家(すみか)の十町(ちやう)以内(いない)なれば、何處(いづく)へ行(ゆ)かるゝも御自由(ごじいう)なれど、其(その)以外(いぐわい)は、猛獸(まうじう)毒蛇等(どくじやとう)の危害(きがい)極(きわ)めて多(おほ)ければ、决(けつ)して足踏(あしぶ)みし玉(たま)ふな、大佐(たいさ)は夕刻(ゆふこく)に皈(かへ)つて、再(ふたゝ)び御目(おめ)にかゝる可(べ)し。』との注意(ちうゐ)。私(わたくし)も少年(せうねん)も、今猶(いまな)ほ十數日(すうにち)以來(いらい)の疲勞(つかれ)を感(かん)じて居(を)るので、其樣(そんな)に高歩(たかある)きする氣遣(きづかひ)はないが、まして此(この)注意(ちうゐ)があつたので、一層(いつそう)心(こゝろ)を配(くば)り、食後(しよくご)は、日記(につき)を書(か)いたり、少年(せうねん)と二人(ふたり)で、海岸(かいがん)の岩(いわ)の上(うへ)から果(はて)しなき大海原(おほうなばら)を眺(なが)めたり、家(いへ)の後(うしろ)の椰子林(やしばやし)で、無暗(むやみ)に美(うるは)しき果實(くわじつ)を叩(たゝ)き落(おと)したり、または家(いへ)に殘(のこ)つて居(を)つた水兵(すいへい)に案内(あんない)されて、荒磯(あらいそ)のほとりで、海鼈(うみがめ)を釣(つ)つたりして、一日(いちにち)を暮(くら)してしまつた。
夕日(ゆふひ)の沈(しづ)む頃(ころ)、櫻木大佐(さくらぎたいさ)も武村兵曹(たけむらへいそう)も、痛(いた)く疲(つか)れて皈(かへ)つて來(き)たが、終日(しうじつ)延氣(のんき)に遊(あそ)んだ吾等(われら)兩人(りやうにん)の顏(かほ)の、昨日(きのふ)よりは餘程(よほど)勝(すぐ)れて見(み)へるとて、大笑(おほわら)ひであつた。此(この)夜(よ)も夜更(よふけ)まで色々(いろ/\)の快談(くわいだん)。
翌朝(よくあさ)、私(わたくし)はまだ大佐(たいさ)の外出(ぐわいしゆつ)前(まへ)だらうと思(おも)つて、寢床(ねどこ)を離(はな)れたのは六時(ろくじ)頃(ごろ)であつたが、矢張(やはり)大佐等(たいさら)は、今少(いますこ)し前(まへ)に家(いへ)を出(で)たといふ後(のち)、また※(ぬ)[#「抜」の「友」に代えて「ノ/友」、168-6]かつたりと、少年(せうねん)と二人(ふたり)で、二階(にかい)の窓(まど)に倚(よ)つて眺(なが)めると、此時(このとき)、朝霧(あさぎり)霽(は)るゝ海岸(かいがん)の景色(けしき)。此(この)家(いへ)を去(さ)る事(こと)十數町(すうちやう)の彼方(かなた)に、一帶(いつたい)の灣(わん)がある、逆浪(げきらう)白(しろ)く岩(いわ)に激(げき)して居(を)るが、其(その)灣中(わんちう)、岩(いわ)と岩(いわ)とが丁度(ちやうど)屏風(びやうぶ)のやうに立廻(たてまわ)して、自然(しぜん)に坩※(るつぼ)[#「堝」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、168-9]の形(かたち)をなして居(を)る處(ところ)、其處(そこ)に大佐(たいさ)の後姿(うしろすがた)がチラリと見(み)えた。
『あら、海軍(かいぐん)の叔父(おぢ)さんは、あの岩(いわ)の後(うしろ)へ隱(かく)れておしまいになつてよ。』と、日出雄少年(ひでをせうねん)は審(いぶ)かし氣(げ)に私(わたくし)を瞻(なが)めた。私(わたくし)は默然(もくねん)として、猶(なほ)も其處(そこ)を見詰(みつ)めて居(を)ると、暫時(しばらく)して其(その)不思議(ふしぎ)なる岩陰(いわかげ)から、昨日(きのふ)も一昨日(おとゝひ)も聽(き)いた、鐵(てつ)の響(ひゞき)が起(おこ)つて來(き)た。
午前(ごぜん)十時(じ)※(すぎ)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、169-3]になると、武村兵曹(たけむらへいそう)丈(だ)け一人(ひとり)ヒヨツコリと皈(かへ)つて來(き)て
『サア、之(これ)から獅子狩(しゝがり)だ/\。』と勇(いさみ)勸(すゝ)めるのを、私(わたくし)は漸(やうやく)の事(こと)で押止(おしと)めたが、然(しか)らば此(この)島(しま)の御案内(ごあんない)をといふので、それから、山(やま)だの、河(かは)だの、谷(たに)の底(そこ)だの、深林(しんりん)の中(なか)だの、岩石(がんせき)が劍(つるぎ)のやうに削立(つゝた)つて居(を)る荒磯(あらいそ)の邊(へん)だのを、兵曹(へいそう)の元氣(げんき)に任(まか)せて引廻(ひきま)はされたので、酷(ひど)く疲(つか)れてしまつた。此(この)遊歩(いうほ)の間(あひだ)、武村兵曹(たけむらへいそう)の命(めい)ずる儘(まゝ)に、始終(しじゆう)吾等(われら)の前(まへ)になり、後(うしろ)になつて、豫(あらかじ)め猛獸(まうじう)毒蛇(どくじや)の危害(きがい)を防(ふせ)いで呉(く)れた、一頭(いつとう)の猛犬(まうけん)があつた。名(な)は稻妻(いなづま)といつて、櫻木大佐(さくらぎたいさ)の秘藏(ひぞう)の犬(いぬ)の由(よし)、形(かたち)は犢牛(こうし)程(ほど)巨大(おほき)く、毛(け)の眞黒(まつくろ)な、尾(を)のキリヽと卷上(まきあが)つた、非常(ひじやう)に逞(たく)ましき犬(いぬ)で、それが痛(ひど)く日出雄少年(ひでをせうねん)の氣(き)に入(い)つて、始終(しじゆう)『稻妻(いなづま)や/\。』と、一處(いつしよ)になつて走廻(はしりまわ)つて居(を)る内(うち)に、いつか仲(なか)がよくなつて、夕刻(ゆふこく)、家(いへ)に歸(かへ)つた時(とき)も、稻妻(いなづま)は此(この)可憐(かれん)なる少年(せうねん)と戯(たわむ)れつゝ、思(おも)はず二階(にかい)まで驅上(かけあが)つて、武村兵曹(たけむらへいそう)に箒(ほうき)で追出(おひだ)された程(ほど)で、日出雄少年(ひでをせうねん)は此(この)犬(いぬ)の爲(た)めに、晩餐(ばんさん)の美味(おい)しい「ビフステーキ」を、其儘(そのまゝ)窓(まど)から投(な)げてやつてしまつた。
さて、其(その)翌日(よくじつ)になると、日出雄少年(ひでをせうねん)は、稻妻(いなづま)といふ好(よき)朋友(ともだち)が出來(でき)たので、最早(もはや)私(わたくし)の傍(そば)にのみは居(を)らず、朝早(あさはや)くから戸外(こぐわい)に出(い)でゝ、波(なみ)青(あを)く、沙(すな)白(しろ)き海岸(かいがん)の邊(へん)に、犬(いぬ)の脊中(せなか)に跨(またが)つたり、首(くび)に抱着(いだきつ)いたりして、餘念(よねん)もなく戯(たわむ)れて居(を)るので、私(わたくし)は一人(ひとり)室内(しつない)に閉籠(とぢこも)つて、今朝(けさ)大佐(たいさ)から依頼(いらい)された、或(ある)航海學(かうかいがく)の本(ほん)の飜譯(ほんやく)にかゝつて一日(いちにち)を暮(くら)してしまつた。此(この)飜譯(ほんやく)は、仕事(しごと)の餘暇(よか)、水兵等(すいへいら)に教授(けふじゆ)の爲(ため)にと、大佐(たいさ)が餘程(よほど)以前(いぜん)から着手(ちやくしゆ)して居(を)つたので、殘(のこ)り五分(ごぶん)の一(いち)程(ほど)になつて居(を)つたのを、徒然(つれ/″\)なるまゝ、私(わたくし)が無理(むり)に引受(ひきう)けたので、其(その)飜譯(ほんやく)の全(まつた)く終(をは)つた頃(ころ)、大佐(たいさ)は例(れい)の樣(やう)に、夕暮(ゆふぐれ)の海岸(かいがん)を一隊(いつたい)の水兵(すいへい)と共(とも)に歸(かへ)つて來(き)た。
昨夜(さくや)も、一昨夜(いつさくや)も、夕食(ゆふしよく)果(は)てゝ後(のち)は部室(へや)の窓(まど)を開放(あけはな)して、海(うみ)から送(おく)る凉(すゞ)しき風(かぜ)に吹(ふ)かれながら、さま/″\の雜談(ざつだん)に耽(ふけ)るのが例(れい)であつた。今宵(こよひ)もおなじ樣(やう)に、白(しろ)い窓掛(まどかけ)の搖(ゆる)ぐほとりに倚子(ゐす)を並(なら)べた時(とき)、櫻木大佐(さくらぎたいさ)は稍(や)や眞面目(まじめ)に私(わたくし)に向(むか)つて。
『今夜(こんや)は更(あらたま)つて、少(すこ)しお話(はな)し申(もう)す事(こと)がある。』と私(わたくし)の顏(かほ)を凝視(みつ)めた。
更(あらたま)つての話(はなし)とは何事(なにごと)だらうと、私(わたくし)も俄(にわ)かに形(かたち)を改(あらた)めると、大佐(たいさ)は吸殘(すひのこ)りの葉卷(はまき)をば、窓(まど)の彼方(かなた)に投(な)げやりて、靜(しづ)かに口(くち)を開(ひら)いた。
『柳川君(やながはくん)、私(わたくし)は※(すぐ)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、171-12]る日(ひ)黄乳樹(わうにうじゆ)の林(はやし)の邊(へん)で、圖(はか)らずも君等(きみら)の急難(きふなん)をお助(たす)け申(もう)した時(とき)から、左樣(さう)思(おも)つて居(を)つたのです。稀(まれ)にも人(ひと)の來(く)べき筈(はづ)のない此樣(こん)な離(はな)れ島(じま)へ、偶然(ぐうぜん)とはいへ、昔馴染(むかしなじみ)の君(きみ)の見(み)へたのは、全(まつた)く天(てん)の導(みちびき)のやうなもので、之(これ)から數年間(すうねんかん)、同(おな)じ家(いへ)に、同(おな)じ月(つき)を眺(なが)めて暮(くら)すやうな運命(うんめい)になつたのも、何(なに)かの因縁(いんねん)でせう。私(わたくし)に一個(ひとつ)の秘密(ひみつ)がある、此(この)秘密(ひみつ)は私(わたくし)と、私(わたくし)の腹心(ふくしん)の三十七名(めい)の水兵(すいへい)と、帝國海軍(ていこくかいぐん)部内(ぶない)の某々(ぼう/\)有司(いうし)の他(ほか)には、誰(たれ)も知(し)つて居(を)る者(もの)は無(な)いのです、また、决(けつ)して、他(た)に洩(もら)すまじき秘密(ひみつ)ですが、今(いま)斯(か)くなつて同(おな)じ境遇(きやうぐう)に、長(なが)き月日(つきひ)を暮(くら)す間(あひだ)には、何時(いつ)か君等(きみら)の前(まへ)に、其事(そのこと)の表顯(あらはれ)ずには終(をは)るまい。』斯(か)く言(い)ひかけて、大佐(たいさ)は靜(しづ)かに眼(まなこ)をあげ
『君(きみ)も私(わたくし)が何(な)んの爲(ため)に此(この)島(しま)へ來(き)たか、今(いま)や何(なに)を爲(な)しつゝあるやに就(つ)いて、多少(たせう)の御考察(おかんがへ)はあるでせう。』
さてこそ、と、私(わたくし)は片唾(かたづ)を飮(の)んだ。
『朧(おぼろ)ながら、或(ある)想像(さうぞう)を描(えが)いて居(を)ります。』と答(こた)へると、大佐(たいさ)は打點頭(うちうなづ)き
『此(この)秘密(ひみつ)は、實(じつ)に私(わたくし)の生命(せいめい)です。今(いま)は數年(すうねん)の昔(むかし)、君(きみ)は御記臆(ごきをく)ですか、※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)船(きせん)の甲板(かんぱん)で、私(わたくし)が奇妙(きめう)なる詩(し)を吟(ぎん)じ、また、歐洲(をうしう)列國(れつこく)の海軍力(かいぐんりよく)の増加(ぞうか)と、我國(わがくに)の現况(げんけう)とを比較(ひかく)して、富(とみ)の度(ど)より、機械學(きかいがく)の進歩上(しんぽじやう)より、我國(わがくに)は今日(こんにち)の如(ごと)く、啻(たゞ)に數艘(すうそう)の軍艦(ぐんかん)の多(おほ)くなつた位(くらい)や、區々(くゝ)たる軍器(ぐんき)の製造(せいぞう)にも、多(おほ)く彼等(かれら)の後(あと)を摸傚(まね)して居(を)る樣(やう)では、到底(とても)東洋(とうやう)の平和(へいわ)を維持(ゐぢ)し、進(すゝ)んで外交上(ぐわいこうじやう)の一大(いちだい)權力(けんりよく)を握(にぎ)る事(こと)は覺束(おぼつか)ない、一躍(いちやく)して、歐(をう)の上(うへ)に、米(べい)の上(うへ)に、位(くらい)する樣(やう)になるには、茲(こゝ)に一大(いちだい)决心(けつしん)を要(えう)する。即(すなは)ち震天動地(しんてんどうち)の軍事上(ぐんじじやう)の大發明(だいはつめい)をなして、其(その)發明(はつめい)は軍機上(ぐんきじやう)の大秘密(だいひみつ)として、我國(わがくに)にのみ特(ひとり)にあり、他邦(たほう)には到底(とうてい)見(み)るべからず、歐米(をうべい)諸國(しよこく)も之(これ)ある限(かぎ)りは、最早(もはや)日本(につぽん)に向(むか)つて不禮(ぶれい)を加(くわ)ふる可(べ)からずとまで、戰慄(せんりつ)恐懼(きやうく)する程(ほど)の大軍器(だいぐんき)の發明(はつめい)を要(えう)すると申(もう)した事(こと)を、かの時(とき)は、君(きみ)も單(たん)に快哉(くわいさい)と叫(さけ)んだのみ、私(わたくし)も一(いつ)の希望(きぼう)として、深(ふか)く胸(むね)の奧(そこ)に潜(ひそ)めて居(を)つたが、其後(そのご)幾年月(いくねんげつ)の間(あひだ)、苦心(くしん)に苦心(くしん)を重(かさ)ねた結果(けつくわ)、一昨年(いつさくねん)の十一月(ぐわつ)三十日(にち)、私(わたくし)が一艘(いつそう)の大帆走船(だいほまへせん)に、夥(おびたゞ)しき材料(ざいれう)と、卅七名(めい)の腹心(ふくしん)の部下(ぶか)とを搭載(のせ)て、はる/″\日本(につぽん)を去(さ)り、今(いま)や此(この)無人島(むじんとう)に身(み)を潜(ひそ)めて居(を)るのは、全(まつた)く、兼(かね)て企(くわだ)つる、軍事上(ぐんじじやう)の一大(いちだい)發明(はつめい)に着手(ちやくしゆ)して居(を)るのです――。左樣(さよう)、不肖(ふつゝか)ながら、此(この)櫻木(さくらぎ)が畢世(ひつせい)の力(ちから)を盡(つく)して、我(わが)帝國海軍(ていこくかいぐん)の爲(た)めに、前代未聞(ぜんだいみもん)の或(ある)有力(いうりよく)なる軍器(ぐんき)の製造(せいぞう)に着手(ちやくしゆ)して居(を)るのです。』
果然(くわぜん)! 果然(くわぜん)! と私(わたくし)は胸(むね)を跳(をど)らせた。大佐(たいさ)は言(ことば)をつゞけ
『此邊(このへん)の事(こと)は、本國(ほんごく)でも人(ひと)の風評(うわさ)に上(のぼ)り、君(きみ)にも幾分(いくぶん)の御想像(ごさうぞう)は付(つ)いたらうが、果(はた)して如何(いか)なる發明(はつめい)であるかは、其物(そのもの)の全(まつた)く竣成(しゆんせい)する迄(まで)は、誰(たれ)も知(し)つて居(を)る者(もの)はない、私(わたくし)は外國(ぐわいこく)の軍事探偵(ぐんじたんてい)や、其他(そのた)利己心(りこしん)多(おほ)き人々(ひと/″\)の覬覦(きゆ)から、完全(くわんぜん)に其(その)秘密(ひみつ)を保(たも)たんが爲(た)めに、自(みづか)ら此樣(こん)な孤島(はなれじま)に身(み)を忍(しの)ばせて、其(その)製造(せいぞう)をも極(きわ)めて内密(ないみつ)にして居(を)る次第(しだい)だが――。』と言(い)ひかけて、言葉(ことば)に一段(いちだん)の力(ちから)を込(こ)め
『けれど柳川君(やながはくん)よ、君(きみ)は不思議(ふしぎ)にも、天(てん)の導(みちびき)のやうに、我等(われら)の仲間(なかま)に入(い)つて來(き)ました。今(いま)前後(ぜんご)の事情(じじやう)より考(かんが)へ、また君(きみ)の人物(じんぶつ)を信(しん)ずるので、若(も)し、君(きみ)に確固(くわくこ)たる約束(やくそく)があるならば、今日(こんにち)に於(おい)て、此(この)大秘密(だいひみつ)を、君(きみ)に明言(めいげん)して置(お)く事(こと)の、寧(むし)ろ得策(とくさく)なるを信(しん)ずるのです。』
『え、私(わたくし)に、其(その)大秘密(だいひみつ)を――。』と、私(わたくし)は倚子(ゐす)から立上(たちあが)つた。大佐(たいさ)は沈重(ちんちやう)なる聲(こゑ)で
『左樣(さやう)、私(わたくし)は君(きみ)を確信(くわくしん)します、若(も)し君(きみ)は我等(われら)の同志(どうし)の士(し)として、永久(えいきゆう)に此(こ)の秘密(ひみつ)を守(まも)る事(こと)を約束(やくそく)し玉(たま)はゞ、請(こ)ふ誠心(せいしん)より三度(みたび)天(てん)に誓(ちか)はれよ。』
私(わたくし)は猶豫(ゆうよ)もなく、堅(かた)き誓(ちかひ)を立(た)てると、大佐(たいさ)はツト身(み)を起(おこ)して私(わたくし)の手(て)を握(にぎ)り
『誓(ちかひ)は形式(けいしき)です。けれど愛國(あいこく)の情(じやう)深(ふか)き君(きみ)は、※(あやま)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、176-4]つても此(この)秘密(ひみつ)をば、無用(むよう)の人(ひと)に洩(もら)し玉(たま)ふな。』
『斷(だん)じて/\、たとへ此(この)唇(くちびる)が裂(さ)かるゝとも。』と私(わたくし)は斷乎(だんこ)として答(こた)へた。大佐(たいさ)は微笑(びせう)を帶(を)びて私(わたくし)の顏(かほ)を眺(なが)めた。さて其(その)秘密(ひみつ)は如何(いか)なる物(もの)にや、此(この)夜(よ)はたゞ誓(ちかひ)に終(をは)つて、詳密(つまびらか)なる事(こと)は、明日(めうにち)、其(その)秘密(ひみつ)の潜(ひそ)められたる塲所(ばしよ)に於(おい)て、實物(じつぶつ)に就(つい)て、明白(めいはく)に示(しめ)さるゝとの事(こと)、此(この)夜(よ)は其儘(そのまゝ)寢床(ねどこ)に横(よこたは)つたが、いろ/\の想像(さうぞう)に驅(か)られて、深更(しんこう)まで夢(ゆめ)に入(い)る事(こと)が出來(でき)なかつた。
人間(にんげん)は勝手(かつて)なもので、私(わたくし)は前夜(ぜんや)は夜半(やはん)まで眠(ねむ)られなかつたに係(かゝは)らず、翌朝(よくあさ)は暗(くら)い内(うち)から目(め)が醒(さ)めた。五時(じ)三十分(ぷん)頃(ごろ)、櫻木大佐(さくらぎたいさ)は武村兵曹(たけむらへいそう)を伴(ともな)つて、私(わたくし)の部室(へや)の戸(と)を叩(たゝ)いた。之(これ)より其(その)秘密(ひみつ)なる塲所(ばしよ)へ出掛(でか)けるのである。
三人(みたり)は家(いへ)を出(い)で、朝霧(あさぎり)深(ふか)き海岸(かいがん)を北(きた)へと進(すゝ)んだ。武村兵曹(たけむらへいそう)は猛犬(まうけん)の稻妻(いなづま)を從(したが)へて、常(つね)に十歩(じつぽ)ばかり前(さき)へ進(すゝ)むので、私(わたくし)と大佐(たいさ)とは相(あひ)並(なら)んで歩(あゆ)んだが、一言(いちごん)も無(な)い。あゝ、其(その)秘密(ひみつ)なる發明(はつめい)とは何(なん)であらう。有力(いうりよく)なる軍器(ぐんき)と云(い)へば、非常(ひじやう)なる爆發力(ばくはつりよく)を有(いう)する彈丸(だんぐわん)の種類(しゆるい)かしら、それとも、一種(いつしゆ)の魔力(まりよく)を有(いう)する大砲(たいほう)の發明(はつめい)であらうか。イヤ/\、大佐(たいさ)の口吻(くちぶり)では、もつと有力(いうりよく)なる發明(はつめい)であらうと、樣々(さま/″\)の想像(さうぞう)を描(えが)いて居(を)る内(うち)に、遂(つひ)に到着(たうちやく)したのは、昨曉(さくぎよう)、大佐(たいさ)の後影(うしろかげ)をチラリと認(みと)めた灣中(わんちう)の屏風岩(べうぶいわ)の邊(へん)、此處(こゝ)で、第一(だいいち)に不思議(ふしぎ)に感(かん)じたのは、此(この)屏風形(べうぶがた)の岩(いわ)は、遠方(えんぽう)から見(み)ると、只(たゞ)一枚(いちまい)丈(だ)け孤立(こりつ)して居(を)るやうだが、今(いま)、其(その)上(うへ)へ登(のぼ)つて見(み)ると、三方(さんぽう)四方(しほう)に同(おな)じ形(かたち)の岩(いわ)がいくつも重(かさな)り合(あ)つて、丁度(ちやうど)羅馬(ローマ)古代(こだい)の大殿堂(テンプル)の屋根(やね)のやうな形(かたち)をなし、其(その)下(した)は疑(うたがひ)もなき大洞窟(おほほらあな)で、逆浪(ぎやくらう)怒濤(どたう)が隙間(すきま)もなく四邊(しへん)に打寄(うちよ)するに拘(かゝは)らず、洞窟(ほらあな)の中(なか)は極(きわ)めて靜謐(せいひつ)な樣子(やうす)で、吾等(われら)の歩(あゆ)む毎(たび)に、其(その)跫音(あしおと)はボーン、ボーン、と物凄(ものすご)く響(ひゞ)き渡(わた)つた。
屏風岩(べうぶいわ)の上(うへ)を二十ヤードばかり進(すゝ)むと、正面(しやうめん)に壁(かべ)のやうに屹立(つゝた)つたる大巖石(だいがんせき)の中央(ちゆうわう)に、一個(いつこ)の鐵門(てつもん)があつて、其(その)鐵門(てつもん)の前(まへ)には、武裝(ぶさう)せる當番(たうばん)の水兵(すいへい)が嚴肅(げんしゆく)に立(た)つて居(を)つたが、大佐等(たいさら)の姿(すがた)を見(み)るより、恭(うやうや)しく敬禮(けいれい)を獻(さゝ)げた。近(ちか)づいて見(み)ると、鐵門(てつもん)の上部(じやうぶ)には、岩(いわ)に刻(きざ)まれて「秘密(ひみつ)造船所(ざうせんじよ)」の五字(じ)が意味(ゐみ)あり氣(げ)に現(あら)はれて居(を)つた。

    第十五回 電光艇(でんくわうてい)
鼕々たる浪の音――投鎗に似た形――三尖衝角――新式魚形水雷――明鏡に映る海上海底の光景――空氣製造器――鐵舟先生の詩
 武村兵曹(たけむらへいそう)は腰(こし)なる大鍵(おほかぎ)を索(さぐ)つて、鐵門(てつもん)の扉(とびら)と開(ひら)いた。
『此處(こゝ)が秘密(ひみつ)の塲所(ばしよ)の入口(いりくち)です。』と櫻木海軍大佐(さくらぎかいぐんたいさ)は私(わたくし)を顧見(かへりみ)た。此時(このとき)はまだ工事(こうじ)も始(はじ)まらぬと見(み)へ、例(れい)の鐵(てつ)の響(ひゞき)も聽(きこ)えず、中(なか)はシーンとして、凄(すご)い程(ほど)物靜(ものしづ)かだ。私(わたくし)は二人(ふたり)の案内(あんない)に從(したが)つて、鐵門(てつもん)を※(「穴かんむり/兪」、第4水準2-83-17)(くゞ)つたが、はじめ十歩(ぽ)ばかりの間(あひだ)は身(み)を屈(かゞ)めて歩(あゆ)む程(ほど)で、稍(や)や廣(ひろ)くなつたと思(おも)ふと、直(す)ぐ前(まへ)には、岩(いわ)に刻(きざ)んで設(まう)けられた險(けわ)しい階段(かいだん)がある、其(その)階段(かいだん)を降(お)り盡(つく)すと、眞暗(まつくら)になつて、恰(あだか)も墜道(とんねる)のやうに物淋(ものさび)しい道(みち)を、武村兵曹(たけむらへいそう)が即座(そくざ)に點(てん)じた球燈(きゆうとう)の光(ひかり)に照(てら)して、右(みぎ)に折(を)れ、左(ひだり)に轉(てん)じて、凡(およ)そ百四五十ヤードも進(すゝ)むと、岩石(がんぜき)が前(まへ)と後(うしろ)に裂(さ)け離(はな)れて、峽(けう)をなし、其(その)間(あひだ)を潮(うしほ)が矢(や)の如(ごと)く洞外(どうぐわい)から流(なが)れ入(い)り、流(なが)れ去(さ)つて居(を)る。峽上(けいじやう)には一筋(ひとすぢ)の橋(はし)があつて、それを渡(わた)ると又(ま)た鐵(てつ)の扉(とびら)だ。武村兵曹(たけむらへいそう)は前(まへ)と同(おな)じ樣(やう)に其(その)扉(とびら)を押開(おしひら)くと、同時(どうじ)にサツと射込(さしこ)む日(ひ)の光(ひかり)、疑(うたがひ)もない、扉(とびら)の彼方(かなた)は明(あか)るい所(ところ)だ、兵曹(へいそう)はプツと球燈(きゆうとう)を吹消(ふきけ)す、途端(とたん)に、櫻木大佐(さくらぎたいさ)は私(わたくし)に向(むか)ひ
『此處(こゝ)です。』と一言(いちごん)を殘(のこ)して、先(ま)づ鐵門(てつもん)を※(「穴かんむり/兪」、第4水準2-83-17)(くゞ)つた、私(わたくし)もつゞいて其(その)中(なか)に入(い)ると、忽(たちま)ち見(み)る、此處(こゝ)は、四方(しほう)數百(すうひやく)間(けん)の大洞窟(おほほらあな)で、前後左右(ぜんごさゆう)は削(けづ)つた樣(やう)な巖石(がんぜき)に圍(かこ)まれ、上部(じやうぶ)には天窓(てんまど)のやうな、巨大(おほき)な岩(いわ)の裂目(さけめ)があつて、其處(そこ)から太陽(たいやう)の光(ひかり)は不足(ふそく)なく洞中(どうちう)を照(てら)してをるのである。耳(みゝ)を傾(かたむ)けると、何處(いづく)ともなく鼕々(とう/\)と浪(なみ)の音(おと)の聽(きこ)ゆるのは、此(この)削壁(かべ)の外(そと)は、怒濤(どとう)逆卷(さかま)く荒海(あらうみ)で、此處(こゝ)は確(たしか)に海底(かいてい)數十(すうじふ)尺(しやく)の底(そこ)であらう。此塲(このば)の光景(くわうけい)のあまりに天然(てんねん)に奇體(きたい)なので、私(わたくし)は暫時(しばし)、此處(こゝ)は人間(にんげん)の境(きやう)か、それとも、世界(せかい)外(ぐわい)の或(ある)塲所(ばしよ)ではあるまいかと疑(うたが)つた程(ほど)で、更(さら)に心(こゝろ)を落付(おちつ)けて見(み)ると、總(すべ)ての構造(こうざう)は全(まつた)く小造船所(せうざうせんじよ)のやうで、宏大(くわうだい)なる洞窟(どうくつ)の中(なか)は數部(すうぶ)に分(わか)たれ、船渠(せんきよ)、起重機(きじゆうき)、製圖塲等(せいづじやうとう)の整備(せいび)はいふ迄(まで)もなく、錬鐵塲(れんてつじやう)には鎔解爐(ようかいろ)あり、大鐵槌(だいてつゝゐ)あり、鑄物塲(ちゆうぶつじやう)には造型機(ざうけいき)、碎砂機(さいしやき)を具(そな)へ、旋盤塲(せんばんじやう)には縱削機(じゆうせうき)、横削機(わうせうき)、平鉋盤(へいほうばん)、鑽孔機(さんこうき)の配置(はいち)よろしく、製罐塲(せいくわんじやう)には水壓打鋲機(すいあつだべうき)あり、工作塲(こうさくじやう)には屈撓器(くつぎようき)、剪斷機(せんだんき)あり。圓鋸機(ゑんきよき)、帶形鋸機(たいけいきよき)のほとりには、角材(かくざい)、鐵材(てつざい)山(やま)の如(ごと)く、其他(そのほか)、空氣壓搾喞筒(くうきあつさくぽんぷ)、電氣力發機等(でんきりよくはつきとう)の緻密(ちみつ)なる機械(きかい)より、銀鑞(ぎんらう)、白鑞(はくらう)、タール綱(づな)、マニラ綱(づな)、帆(ほ)縫糸(ぬひいと)、撚糸(よりいと)、金剛砂布(こんがうしやふ)、黒鉛(こくゑん)、氣發油(きはつゆう)、白絞油(はくかうゆう)、ラジーン塗具(ぬりぐ)、錆色(さびいろ)塗具(ぬりぐ)、銅板(どうばん)、鐵板(てつぱん)、鋼板(こうばん)、亞鉛塊(あゑんくわい)、ガツタバーカー板(ばん)、エボナイト板(ばん)、硝子板(せうしばん)、硝子管(せうしくわん)、舷窓用(げんそうよう)厚硝子(あつがらす)、螺旋鋲(らせんべう)、鋼※(「金+皎のつくり」、第3水準1-93-13)鋲(こうこうべう)、眞鍮鑄鋲(しんちゆうじゆべう)、石絨衞帶(せきじゆうえいたい)、彈心衞帶等(だんしんえいたいとう)に至(いた)るまで、よくも斯(かゝ)る絶島(ぜつたう)にかく迄(まで)整然(せいぜん)たる凖備(じゆんび)の出來(でき)た事(こと)よと怪(あや)しまるゝばかりで、これ等(ら)の諸(しよ)機械(きかい)諸(しよ)材料(ざいりよう)は、すべて二年(ねん)以前(いぜん)に、櫻木大佐(さくらぎたいさ)が大帆船(だいはんせん)浪(なみ)の江丸(えまる)に搭載(たうさい)して、此(この)島(しま)に運搬(うんぱん)し來(きた)つたもので、今(いま)はそれ/″\適當(てきたう)の位置(いち)に配置(はいち)されて、すでに幾度(いくたび)の作用(さよう)をなした形跡(けいせき)は歴然(れきぜん)と見(み)える。
此時(このとき)忽(たちま)ち私(わたくし)の眼(め)に留(とま)つたのは此(この)不思議(ふしぎ)なる洞中造船所(どうちゆうざうせんじよ)の中央(ちうわう)に位(くらゐ)して、凹凸(おうとつ)の岩(いわ)の形(かたち)が自然(しぜん)に船臺(せんだい)をなしたる處(ところ)、其處(そこ)に今(いま)や工事中(こうじちゆう)の、一種(いつしゆ)異樣(ゐやう)の船體(せんたい)が認(みと)められたのである。
『これが、私(わたくし)の秘密(ひみつ)に製造(せいざう)しつゝある、海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)です。』と、櫻木海軍大佐(さくらぎかいぐんたいさ)は徐(おもむ)ろに右手(ゆんで)を擧(あ)げて、其(その)船體(せんたい)を指(ゆびざ)した。さてこそ、と私(わたくし)は胸(むね)を跳(をど)らしつゝ其(その)船躰(せんたい)を熟視(じゆくし)したが、あゝ、世(よ)に斯(か)くも不思議(ふしぎ)なる、斯(か)くも強堅(きようけん)なる、船艦(せんかん)がまたとあらうか、私(わたくし)は其(その)外形(ぐわいけい)を一見(いつけん)したばかりで、實(じつ)に其(その)船形(せんけい)の巧妙(こうめう)不思議(ふしぎ)なるに愕(おどろ)いたが、更(さら)に大佐(たいさ)に導(みちび)かれて、今(いま)は既(すで)に二年(ねん)有餘(いうよ)の歳月(さいげつ)を費(つひや)して、船體(せんたい)半(なか)ば出來上(できあが)つた海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)の内部(ないぶ)に入(い)り、具(つぶさ)に上甲板(じやうかんぱん)、下甲板(げかんぱん)、「ウオター、ウエー」、「ウ井ング、パツセージ」、二重底(にじゆうそこ)、肋骨材等(ろくこつざいとう)諸般(しよはん)の構造(こうざう)を眺(なが)め、また千變萬化(せんぺんばんくわ)なる百種(ひやくしゆ)の機關(きくわん)の説明(せつめい)を聽(き)いた時(とき)は、殆(ほと)んど之(これ)が人間(にんげん)の業(わざ)かと疑(うたが)はるゝばかりで、吾知(われし)らず驚嘆(きやうたん)の叫聲(さけび)を發(はつ)する事(こと)を禁(きん)じ得(え)なかつた。あゝ、かくも神變(しんぺん)不可思議(ふかしぎ)なる海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)は、今(いま)や此(この)秘密(ひみつ)なる洞中(どうちゆう)の造船所(ざうせんじよ)に於(おい)て、櫻木海軍大佐(さくらぎかいぐんたいさ)の指揮(しき)の下(した)に、夜(よ)を日(ひ)に繼(つ)いで製造(せいざう)されつゝあるのであるが、此(この)猛烈(まうれつ)なる戰艇(せんてい)が、他日(たじつ)首尾(しゆび)よく竣工(しゆんこう)して、我(わが)大日本帝國(だいにつぽんていこく)の海軍(かいぐん)の列(れつ)に加(くわは)つた時(とき)には、果(はた)して如何(いか)なる大影響(だいえいきよう)を世界(せかい)の海軍(かいぐん)に及(およ)ぼすであらうか。私(わたくし)は斷言(だんげん)する、鷲(わし)の如(ごと)く猛(たけ)く、獅子(しゝ)の如(ごと)く勇(いさ)ましき列國(れつこく)の艦隊(かんたい)が百千舳艫(ひやくせんじくろ)を並(なら)べて來(きた)るとも、日章旗(につしようき)の向(むか)ふ處(ところ)、恐(おそ)らくば風靡(ふうび)せざる處(ところ)はあるまいと。
敬愛(けいあい)する讀者(どくしや)諸君(しよくん)よ、私(わたくし)は今(いま)、此(この)驚(おどろ)く可(べ)く懼(おそ)る可(べ)き海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)の構造(こうざう)について、詳(くわ)しき説明(せつめい)を試(こゝろ)みたいのだが、それは櫻木海軍大佐(さくらぎかいぐんたいさ)の大秘密(だいひみつ)に屬(ぞく)するから出來(でき)ぬ。たゞ、其(その)秘密(ひみつ)を侵(おか)さゞる範圍内(はんゐない)に於(おい)て略言(りやくげん)すると、此(この)海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)は全艇(ぜんてい)の長(なが)さ百三十呎(ヒート)六吋(インチ)、幅員(ふくいん)は中部横斷面(ちゆうぶわうだんめん)に於(おい)て二十二呎(ヒート)七吋(インチ)、艇(てい)の形(かたち)は、恰(あだか)も南印度(みなみインド)の蠻人(ばんじん)が、一撃(いちげき)の下(もと)に巨象(きよざう)を斃(たほ)し、猛虎(まうこ)を屠(ほふ)るといふ投鎗(なげやり)の形(かたち)に髣髴(ほうふつ)として、其(その)兩端(りようたん)は一種(いつしゆ)[#ルビの「いつしゆ」は底本では「しつしゆ」]奇妙(きめう)の鋭角(えいかく)をなして居(を)る、此(この)鋭角(えいかく)の度(ど)が、艇(てい)の速力(そくりよく)に關(くわん)して、極(きわ)めて緊要(きんえう)なる特色(とくしよく)の相(さう)である。艇(てい)の上部艇首(じやうぶていしゆ)の方(かた)に位(くらゐ)して、一個(いつこ)の橢圓形(だゑんけい)の觀外塔(くわんぐわいたふ)が設(もう)けられて、塔上(たふじやう)には、一本(いつぽん)の信號檣(しんがうマスト)の他(ほか)には何物(なにもの)も無(な)く、其(その)一端(いつたん)には自動開閉(じどうかいへい)の鐵扉(てつぴ)が設(もう)けられて、艇(てい)の將(まさ)に海底(かいてい)に沈(しづ)まんとするや、其(その)扉(とびら)は自然(しぜん)に閉(と)ぢ、艇(てい)の再(ふたゝ)び海面(かいめん)に浮(うか)ばんとするや、其(その)扉(とびら)は忽然(こつぜん)として自(おのづか)ら開(ひら)くやうになつて居(を)る。艇(てい)の全體(ぜんたい)は盡(こと/\)く金屬(きんぞく)を以(もつ)て構成(こうせい)せられ、觀外塔(くわんぐわいたふ)、上甲板(じやうかんぱん)、兩舷側(りようげんそく)はいふ迄(まで)もなく、舵機室(だきしつ)、發射室(はつしやしつ)、艇員居室等(ていゐんきよしつとう)、すべて一種(いつしゆ)堅強(けんきよう)なる裝甲(さうかう)をもつて保護(ほご)されて居(を)る、此(この)裝甲(さうかう)は現今(げんこん)專(もつぱ)ら行(おこな)はれて居(を)るハーベー式(しき)の堅硬法(けんかうほふ)を施(ほどこ)したる鋼板(こうはん)若(もし)くは白銅鋼板等(はくどうこうばんとう)よりは、數層倍(すうそうばい)の彈力性(だんりよくせい)と抵抗力(ていこうりよく)を有(いう)する或(ある)新式裝甲板(しんしきさうかうばん)にて、櫻木海軍大佐(さくらぎかいぐんたいさ)が幾星霜(いくせいさう)の間(あひだ)、苦心(くしん)に苦心(くしん)を重(かさ)ねた結果(けつくわ)、六種(ろくしゆ)の或(ある)金屬(きんぞく)の合成(がうせい)は、現世紀(げんせいき)に於(お)ける如何(いか)なる種類(しゆるい)の彈丸(だんぐわん)又(また)は水雷等(すいらいとう)をもつて突撃(とつげき)し來(きた)るとも、充分(じゆうぶん)之(これ)に抵抗(ていこう)し得(え)て餘(あま)りありと信(しん)じて、其(その)新式合成裝甲板(しんしきがうせいさうかうばん)を、此(この)海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)の各要部(かくえうぶ)に應用(おうよう)したのである。
此(この)艇(てい)の外形(ぐわいけい)は以上(いじやう)の如(ごと)くであるが、さて海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)が敵艦(てきかん)を轟沈(がうちん)するには、如何(いか)なる方法(てだて)に依(よ)るかといふに、それは二種(にしゆ)の異(ことな)つたる軍器(ぐんき)の作用(さよう)に依(よ)るのである。今(いま)は工事中(こうじちゆう)であるから、明瞭(あきらか)に知(し)る事(こと)は出來(でき)ぬが、其(その)一種(いつしゆ)は艇(てい)の前端(ぜんたん)に裝置(さうち)されたる極(きは)めて強硬(きようこう)なる、また極(きは)めて不思議(ふしぎ)なる「衝角(しやうかく)」一名(いちめい)「敵艦衝破器(てきかんしやうはき)」と呼(よ)ばれたる軍器(ぐんき)で、此(この)衝角(しやうかく)は世(よ)の常(つね)の甲鐵艦(かうてつかん)又(また)は巡洋艦等(じゆんやうかんとう)に裝置(さうち)されたものとは痛(いた)く異(ことな)りて、其(その)形(かたち)は三尖形(さんせんけい)の極(きは)めて鋭利(えいり)なる角度(かくど)を有(いう)し、艇(てい)の前方(ぜんぽう)十七呎(ヒート)以上(いじやう)に突出(とつしゆつ)して、其(その)鋭利(えいり)なる三尖衝角(さんせんしやうかく)は艇内發動機(ていないはつどうき)の作用(さよう)にて、一秒時間(いちびやうじかん)に三百廻轉(くわいてん)の速力(そくりよく)をもつて、絞車(こうしや)の如(ごと)く廻旋(くわいせん)するのであるから、此(この)衝角(しやうかく)の觸(ふ)るゝ所(ところ)、十四吋(インチ)半(はん)以上(いじやう)の裝甲(アーモア)を有(いう)する鐵艦(てつかん)の他(ほか)は、殆(ほと)んど粉韲(ふんさい)せられざるものは有(あ)るまいと思(おも)はるゝ、然(しか)し此(この)三尖衝角(さんせんしやうかく)は、此(この)海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)に左程(さほど)著(いちじ)るしい武器(ぶき)ではない、更(さら)に驚(おどろ)く可(べ)きは、艇(てい)[#ルビの「てい」は底本では「てん」]の兩舷(りようげん)に裝置(さうち)されたる「新式併列旋廻水雷發射機(しんしきへいれつせんくわいすいらいはつしやき)」で、此(この)水雷發射機(すいらいはつしやき)の構造(かうざう)の、如何(いか)に巧妙(こうめう)不可思議(ふかしぎ)なるやは、細密(さいみつ)なる機械製圖等(きかいせいづとう)をもつて説明(せつめい)しなければとても解(わか)らぬが、先(ま)づ此(この)發射管(はつしやくわん)の裝置(さうち)されたる秘密室(ひみつしつ)には、一面(いちめん)の明鏡(めいきやう)があつて、電流(でんりう)の作用(さよう)と、二百三十個(こ)の反射鏡(はんしやきやう)の作用(さよう)とによつて、居(ゐ)ながら海上海底(かいじやうかいてい)の光景(くわうけい)を觀測(くわんそく)する事(こと)を得(う)べく、自動照凖器(じどうせうじゆんき)をもつて潮流(てうりう)の速力(そくりよく)を知(し)り、波動(はどう)の方向(ほうかう)を定(さだ)め、海戰(かいせん)既(すで)に始(はじ)まらは、艇(てい)は逆浪(げきらう)怒濤(どたう)の底(そこ)を電光(でんくわう)の如(ごと)く駛(はし)る、其(その)間(あひだ)に立(た)つて、明鏡(めいきやう)に映(うつ)る海上海底(かいじやうかいてい)の光景(くわうけい)を眺(なが)めつゝ、白晝(はくちう)ならば單(たん)に水雷方位盤(ダイレクター)を動(うご)かすのみ、夜戰(やせん)ならば發火電鑰(はつくわでんやく)を一牽(いつけん)して、白色(はくしよく)、緑色(りよくしよく)の強熱電光(きようねつでんくわう)を射出(しやしつ)し、照星照尺(せうせいせうしやく)を定(さだ)めて、旋廻輪(せんくわいりん)を一轉(いつてん)すると、忽(たちま)ち電鈴(でんれい)鳴(な)り、發射框(はつしやかう)動(うご)いて、一分間(ぷんかん)に七十八個(こ)の魚形水雷(ぎよけいすいらい)は、雨(あめ)の如(ごと)く、霰(あられ)の如(ごと)く發射(はつしや)せらるゝのである。此(この)魚形水雷(ぎよけいすいらい)は、其(その)全長(ぜんちやう)僅(わず)かに二呎(ヒート)三吋(インチ)、最大(さいだい)直徑(ちよくけい)三吋(インチ)に※(す)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、178-12]ぎず、之(これ)を今日(こんにち)の海戰(かいせん)に專(もつぱ)ら行(おこな)はるゝ保氏魚形水雷(ホルランドしぎよけいすいらい)に比(ひ)すると、其(その)大(おほい)さは七分(ぶん)の一にも足(た)らぬが、氣室(きしつ)、浮室(ふしつ)、尾片等(びへんとう)の設備(せつび)整然(せいぜん)として、殊(こと)に其(その)頭部(とうぶ)に裝填(さうてん)せられたる爆發藥(ばくはつやく)は、普通(ふつう)魚形水雷(ぎよけいすいらい)の頭部(とうぶ)綿火藥(めんくわやく)百七十五斤(きん)に相當(さうたう)して、千四百碼(ヤード)の有效距離(いうかうきより)を四十一節(ノツト)の速力(そくりよく)をもつて駛行(しかう)する事(こと)が出來(でき)るのであるから、砲聲(ほうせい)轟々(がう/\)、硝煙(せうえん)朦朧(もうらう)たる海洋(かいやう)の戰(たゝかひ)に、海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)龍(りやう)の如(ごと)く、鯱(しやち)の如(ごと)く、怒濤(どたう)を蹴(け)つて駛走(しさう)しつゝ、明鏡(めいきやう)に映(うつ)る海上(かいじやう)の光景(くわうけい)を展眸(てんばう)して、發射旋廻輪(はつしやせんくわいりん)の一轉(いつてん)又(また)一轉(いつてん)、敵艦右舷(てきかんうげん)に來(きた)れば右舷(うげん)の水雷(すいらい)之(これ)を轟沈(がうちん)し、敵艦左舷(てきかんさげん)に見(み)ゆれば左舷(さげん)の水雷(すいらい)之(これ)を粉韲(ふんさい)するの有樣(ありさま)は、殆(ほと)んど眼(め)にも留(とま)らぬ活景(くわつけい)であらう。
新式水雷發射管(しんしきすいらいはつしやくわん)の構造(かうざう)と、其(その)猛烈(まうれつ)なる作用(さよう)とは略右(ほゞみぎ)の如(ごと)くであるが、更(さら)に海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)の全部(ぜんぶ)を見渡(みわた)すと、艇(てい)は中央(ちゆうわう)の軍機室(ぐんきしつ)より前後(ぜんご)十敷個(すうこ)に區劃(くくわく)されて、海圖室(かいづしつ)もある、操舵室(さうだしつ)もある、探海電燈室(たんかいでんとうしつ)もある。殊(こと)に浮沈室(ふちんしつ)と機關室(きくわんしつ)とは此(この)艇(てい)の最(もつと)も主要(しゆえう)なる部分(ぶゞん)ではあるが、此事(このこと)に就(つ)いては殘念(ざんねん)ながら私(わたくし)の誓(ちかひ)に對(たい)して一言(いちごん)も明言(めいげん)する事(こと)は出來(でき)ぬ。たゞ一寸(ちよつと)洩(もら)して置(お)くが、此(この)艇(てい)百種(ひやくしゆ)の機關(きくわん)の作用(さよう)を宰(つかさど)る動力(どうりよく)は世(よ)の常(つね)の蒸氣力(じようきりよく)でもなく電氣力(でんきりよく)でもなく、現世紀(げんせいき)には未(いま)だ知(し)られざる一種(いつしゆ)の化學的作用(くわがくてきさよう)で、櫻木大佐(さくらぎたいさ)が幾年月(いくねんげつ)の間(あひだ)苦心(くしん)に苦心(くしん)を重(かさ)ねたる結果(けつくわ)、或(ある)秘密(ひみつ)なる十二種(しゆ)の化學藥液(くわがくやくえき)の機密(きみつ)なる分量(ぶんりよう)の化合(くわごう)は、普通(ふつう)の電氣力(でんきりよく)に比(ひ)して、殆(ほと)んど三十倍(ばい)以上(いじやう)の猛烈(まうれつ)なる作用(さよう)を起(おこ)す事(こと)を發見(はつけん)し、其(それ)を此(この)艇(てい)の總(すべて)の機關(きくわん)に適用(てきよう)したので、艇(てい)の進行(しんかう)も、三尖衝角(さんせんしやうかく)の廻旋(くわいせん)も、新式水雷發射機(しんしきすいらいはつしやき)の運轉(うんてん)も、すべて此(この)秘密(ひみつ)なる活動力(くわつどうりよく)によつて支配(しはい)されて居(を)るのである。
以上(いじやう)で、吾(わ)が敬愛(けいあい)する讀者(どくしや)諸君(しよくん)は髣髴(ほうふつ)として、此(この)艇(てい)の構造(かうざう)と其(その)驚(おどろ)くべき戰鬪力(せんとうりよく)について、或(ある)想像(さうざう)を腦裡(こゝろ)に描(えが)かれたであらう。最早(もはや)煩縟(くた/″\)しくいふに及(およ)ばぬ、此(この)不思議(ふしぎ)なる海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)は、今日(こんにち)世界(せかい)萬國(ばんこく)の海軍社會(かいぐんしやくわい)に於(おい)て、互(たがひ)に其(その)改良(かいりよう)と進歩(しんぽ)とを競(きそ)ひつゝある海底潜行艇(かいていせんかうてい)の一種(いつしゆ)である。然(しか)り、海底潜行艇(かいていせんかうてい)の一種(いつしゆ)には相違(さうゐ)ないが、然(しか)し私(わたくし)は單(たん)に此(この)軍艇(ぐんてい)をば潜行艇(せんかうてい)と呼(よ)ぶのみを以(もつ)ては滿足(まんぞく)しない、何(なに)となれば現今(げんこん)歐米諸國(をうべいしよこく)の發明家等(はつめいから)は、毎年(まいねん)のやうに新奇(しんき)なる潜行艇(せんかうてい)を發明(はつめい)したと誇大(こだい)に吹聽(ふいちやう)するものゝ、其(その)多數(おほく)は、「水(みづ)バラスト」とか、横舵(わうだ)、縱舵(じゆうだ)の改良(かいりよう)とか、其他(そのほか)排氣啣筒(はいきぽんぷ)や、浮沈機等(ふちんきとう)に尠少(いさゝか)ばかりの改良(かいりよう)を加(くわ)へたのみで、其(その)動力(どうりよく)は常(つね)に石油發動力(せきゆうはつどうりよく)にあらずば、電氣力(でんきりよく)と定(さだ)まり、艇形(ていけい)は葉卷烟草形(はまきたばこがた)に似(に)て、推進螺旋(スクリユー)の翅(つばさ)の不思議(ふしぎ)に拗(よぢ)れたる有樣(ありさま)など、例(いつ)もシー、エヂスン氏等(しら)の舊套(きゆうとう)を摸傚(もほう)するばかりで、成程(なるほど)海中(かいちう)を潜行(せんかう)するが故(ゆゑ)に潜水艇(せんすいてい)の名(な)は虚僞(うそ)ではないにしても、從來(じゆうらい)の實例(じつれい)では、是等(これら)の潜行艇(せんかうてい)は海水(かいすい)の壓力(あつりよく)の爲(た)めと空氣(くうき)の缺乏(けつぼう)の爲(ため)に海底(かいてい)六呎(フヒート)以下(いか)に沈降(ちんかう)するものは稀(まれ)で、一時間(じかん)以上(いじやう)の潜行(せんかう)を持續(ぢぞく)するものは皆無(かいむ)といふ有樣(ありさま)。されば今世紀(こんせいき)に於(おい)て最(もつと)も進歩(しんぽ)發達(はつたつ)[#ルビの「はつたつ」は底本では「はつだつ」]して居(を)ると稱(せう)せらるゝ佛國(フツこく)シエルブル造船所(ざうせんじよ)の一等潜行艇(いつとうせんかうてい)でも、此(この)二個(にこ)の缺點(けつてん)のある爲(ため)に充分(じゆうぶん)の働作(はたらき)も出來(でき)ず、首尾(しゆび)よく敵艦(てきかん)に接近(せつきん)しながら、屡々(しば/\)速射砲等(そくしやほうとう)をもつて反對(はんたい)に撃沈(げきちん)される程(ほど)で、とても、我(わ)が櫻木海軍大佐(さくらぎかいぐんたいさ)の破天荒(はてんくわう)なる、此(この)海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)とは比較(ひかく)する事(こと)も出來(でき)ぬのである。今(いま)、此(この)新奇(しんき)なる海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)は、艇底(ていてい)に設(まう)けられたる自動浮沈機(じどうふちんき)の作用(さよう)で、海底(かいてい)三十呎(フヒート)乃至(ないし)五十呎(フヒート)迄(まで)の深(ふか)さに沈(しづ)む事(こと)を得(う)べく、空氣(くうき)は、普通(ふつう)の氣蓄器(きちくき)又(また)は空氣壓搾喞筒等(くうきあつさくぽんぷとう)に依(よ)る事(こと)なく、艇(てい)の後端(こうたん)に裝置(さうち)されたる或(ある)緻密(ちみつ)なる機械(きかい)の作用(さよう)にて、大中小(だいちうせう)幾百條(いくひやくでう)とも知(し)れず、兩舷(りようげん)より海中(かいちゆう)に突出(つきだ)されたる、亞鉛管(あゑんくわん)及(および)銅管(どうくわん)を通(つう)じて、海水中(かいすいちゆう)より水素(すいそ)酸素(さんそ)を分析(ぶんせき)して大氣(たいき)[#ルビの「たいき」は底本では「だいき」]筒中(たうちゆう)に導(みちび)き、吸鍔棹(ピストン)に似(に)たる器械(きかい)の上下(じやうか)するに隨(したが)つて、新鮮(しんせん)なる空氣(くうき)は蒸氣(じようき)の如(ごと)く一方(いつぽう)の巨管(きよくわん)から艇内(ていない)に吹出(ふきだ)され、艇内(ていない)の惡分子(あくぶんし)は、排氣喞筒(はいきぽんぷ)によつて始終(しじゆう)艇外(ていぐわい)に排出(はいしゆつ)せられるから、艇(てい)は些(いさゝか)も空氣(くうき)の缺乏(けつぼう)を感(かん)ずる事(こと)なく、十時間(じかん)でも二十時間(じかん)でも、必要(ひつよう)に應(おう)じて海底(かいてい)の潜行(せんかう)を繼續(けいぞく)する事(こと)が出來(でき)るのである。速力(そくりよく)は一時間(いちじかん)に平速力(へいそくりよく)五十六海里(ノツト)、最速力(さいそくりよく)百〇七海里(ノツト)。かくも驚(おどろ)くべき速力(そくりよく)を有(いう)するのは全(まつた)く艇(てい)の形體(けいたい)と、蒸氣力(じようきりよく)よりも電氣力(でんきりよく)よりも數十倍(すうじふばい)強烈(きようれつ)なる動力(どうりよく)による事(こと)は疑(うたがひ)を容(ゐ)れぬが、殊(こと)に艇尾(ていび)兩瑞(りようたん)に裝置(さうち)されたる六枚(ろくまい)の翅(つばさ)を有(いう)する推進螺旋(スクリユー)の不思議(ふしぎ)なる廻轉作用(くわいてんさよう)の與(あづか)つて力(ちから)ある事(こと)を記臆(きおく)して貰(もら)はねばならぬ。
讀者(どくしや)諸君(しよくん)、私(わたくし)は此(この)秘密(ひみつ)なる海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)の構造(かうざう)については、最早(もはや)説明(せつめい)の筆(ふで)を止(と)めるが、今(いま)の世(よ)は愚(おろ)か、後(のち)の世(よ)にも稀(まれ)にも見出(みいだ)し難(がた)き此(この)軍艇(ぐんてい)が他日(たじつ)其(その)船渠(ドツク)を離(はな)れて世界(せかい)の海上(かいじやう)に浮(うか)んだ時(とき)には、果(はた)して如何(いか)なる驚愕(きようがく)と恐怖(けうふ)とを※國(ばんこく)[#「一/力」、193-1]の海軍社會(かいぐんしやくわい)に與(あた)へるであらうか。世(よ)に若(も)し怪物(くわいぶつ)といふ者(もの)があるならば、此(この)軍艇(ぐんてい)こそ確(たしか)に地球(ちきゆう)の表面(ひやうめん)に於(おい)て、最(もつと)も恐(おそ)るべき大怪物(だいくわいぶつ)として、永(なが)く歐米諸國(をうべいしよこく)の海軍社會(かいぐんしやくわい)の記臆(きおく)に留(とゞま)るであらう。私(わたくし)は斷言(だんげん)する、此(この)海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)が一度(ひとたび)逆浪(げきらう)怒濤(どたう)を蹴(け)つて縱横無盡(じゆうわうむじん)、隱見出沒(いんけんしゆつぼつ)の魔力(まりよく)と逞(たくま)しうする時(とき)には、たとへ百(ひやく)の艦隊(かんたい)、千(せん)の大戰鬪艦(だいせんとうかん)が彈丸(だんぐわん)の雨(あめ)を降(ふ)らして對(むか)つたとて、とても此(この)艇(てい)の活動(くわつどう)を妨(さまた)げる事(こと)は出來(でき)ぬのである。少(すこ)し海軍(かいぐん)の事(こと)に通(つう)じた人(ひと)は誰(たれ)でも知(し)つて居(を)る、すでに海水中(かいすいちう)十四呎(フヒート)以下(いか)に沈(しづ)んだる或(ある)物(もの)に向(むか)つては、世界最強力(せかいさいきようりよく)のガツトリング機砲(きほう)でも、カ子ー砲(ほう)でも、些少(させう)の打撃(だげき)をも加(くわ)ふる事(こと)が出來(でき)ぬのである。况(いわ)んや此(この)海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)は、波威(はてい)に沈降(ちんかう)する事(こと)三十呎(フヒート)乃至(ないし)五十呎(フヒート)、其(その)潜行(せんかう)を持續(ぢぞく)し得(う)る時間(じかん)は無制限(むせいげん)であるから、一度(ひとたび)此(この)軍艇(ぐんてい)に睥睨(にら)まれたる軍艦(ぐんかん)は、恰(あだか)も昔物語(むかしがたり)の亞剌比亞(アラビヤ)の沙漠(さばく)の大魔神(だいましん)に魅(みゐ)られたる綿羊(めんよう)のごとく、遁(のが)れんとして遁(のが)るゝ能(あた)はず、鬪(たゝか)はんか、速射砲(そくしやほう)もガツトリング砲(ほう)も到底(とうてい)力(ちから)及(およ)ばぬ海底(かいてい)の此(この)大怪物(だいくわいぶつ)を奈何(いか)せん。此方(こなた)海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)は、我(われ)に敵抗(てきこう)する艦隊(かんたい)ありと知(し)らば、戰鬪凖備(せんとうじゆんび)を整(とゝの)ふる間(ま)も疾(と)しや遲(おそ)しや、敵艦(てきかん)若(も)し非裝甲軍艦(ひさうかうぐんかん)ならば、併列水雷發射機(へいれつすいらいはつしやき)を使用(しよう)する迄(まで)もなく、かの驚(おどろ)くべき三尖衝角(さんせんしやうかく)を絞車(こうしや)の如(ごと)く廻旋(くわいせん)して、一撃(いちげき)突進(とつしん)、敵艦(てきかん)を粉韲(ふんさい)する事(こと)を得可(うべ)く、敵艦(てきかん)若(も)し十四吋(インチ)以上(いじやう)の裝甲軍艦(さうかうぐんかん)ならば、艇(てい)は逆浪(げきらう)怒濤(どたう)の底(そこ)を電光(でんくわう)の如(ごと)く駛航(しかう)しつゝ、鏡(かゞみ)に映(うつ)る敵情(てきじやう)を察(さつ)して、發射廻旋輪(はつしやくわいせんりん)の一轉(いつてん)又(また)一轉(いつてん)右舷(うげん)左舷(さげん)より發射(はつしや)する新式魚形水雷(しんしきぎよけいすいらい)は一分時間(ぷんじかん)に七十八發(ぱつ)。今(いま)三十隻(せき)[#ルビの「せき」は底本では「きせ」]の一等戰鬪艦(いつとうせんとうかん)をもつて組織(そしき)されたる一大(いちだい)艦隊(かんたい)と雖(いへど)も、日(ひ)出(い)でゝ鳥(とり)鳴(な)かぬ内(うち)に、滅盡(めつじん)する事(こと)が出來(でき)るであらう。
あゝ、海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)! 海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)! 此(この)驚(おどろ)くべく、恐(おそ)るべき一(いち)軍艇(ぐんてい)は今(いま)や我(わ)が大日本帝國(だいにつぽんていこく)の海軍(かいぐん)の列(れつ)に加(くわ)はらんが爲(た)めに、此(この)絶島(ぜつたう)の不思議(ふしぎ)なる海底(かいてい)の造船所(ざうせんじよ)内(ない)に於(おい)て、櫻木海軍大佐(さくらぎかいぐんたいさ)の指揮(しき)の下(した)に、秘(ひそ)かに製造(せいざう)[#ルビの「せいざう」は底本では「せいさう」]されつゝあるのである。讀者(どくしや)諸君(しよくん)! 私(わたくし)は此(この)海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)[#ルビの「かいていせんとうてい」は底本では「かていせんとうてい」]が他日(たじつ)首尾(しゆび)よく竣工(しゆんこう)して、翩飜(へんぽん)[#「翩飜(へんぽん)」は底本では「翻飜(へんぽん)」]たる帝國軍艦旗(ていこくぐんかんき)[#ルビの「ていこくぐんかんき」は底本では「ていこぐんかんき」]を艇尾(ていび)に飜(ひるがへ)しつゝ、蒼波(さうは)漫々(まん/\)たる世界(せかい)の海上(かいじやう)に浮(うか)んだ時(とき)、果(はた)して如何(いか)なる戰爭(せんさう)に向(むか)つて第一(だいいち)に使用(しよう)され、また如何(いな)に目醒(めざ)ましき奮鬪(ふんとう)をなすやは多(おほ)く言(い)ふ必要(ひつえう)もあるまいと考(かんが)へる。
さても、私(わたくし)が櫻木海軍大佐(さくらぎかいぐんたいさ)と武村兵曹(たけむらへいそう)の案内(あんない)に從(したが)つて、海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)の縱覽(じゆうらん)を終(をは)つて後(のち)、再(ふたゝ)び艇外(ていぐわい)に出(い)でたのは、かれこれ二時間(にじかん)程(ほど)後(あと)であつた。それより洞中(どうちゆう)の造船所(ぞうせんじよ)内(ない)を殘(のこ)る隈(くま)なく見物(けんぶつ)したが、ふと見(み)ると、洞窟(どうくつ)の一隅(いちぐう)に、岩(いわ)が自然(しぜん)に刳(えぐ)られて、大(だい)なる穴倉(あなぐら)となしたる處(ところ)、其處(そこ)に、嚴重(げんぢう)なる鐵(てつ)の扉(とびら)が設(まう)けられて、扉(とびら)の表面(ひやうめん)には黄色(きいろ)のペンキで「海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)の生命(せいめい)」なる數字(すうじ)が記(しる)されてあつた。
『之(これ)は何(なん)ですか。』と私(わたくし)が問(と)ふと大佐(たいさ)は言葉(ことば)靜(しづ)かに
『此(この)倉庫(さうこ)には前(ぜん)申(まう)した、海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)の動力(どうりよく)の原因(げんいん)となるべき重要(ぢうえう)の化學藥液(くわがくやくえき)が、十二の樽(たる)に滿(みた)されて藏(をさ)められてあるのです。實(じつ)に此(この)藥液(やくえき)の樽(たる)こそ、海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)の生命(せいめい)ともいふべき物(もの)です。』と答(こた)へた。此(この)他(ほか)猶(な)ほ、見(み)もし聞(きゝ)もしたき事(こと)は澤山(たくさん)あつたが、時刻(じこく)は既(すで)に八時(じ)に近(ちか)く、艇(てい)の邊(へん)には既(すで)に夥多(あまた)の水兵(すいへい)が集(あつま)つて來(き)て、最早(もはや)工作(こうさく)の始(はじ)まる模樣(もやう)、且(か)つは、海岸(かいがん)の家(いへ)には、日出雄少年(ひでをせうねん)は只(たゞ)一人(ひとり)で定(さだ)めて淋(さび)しく、待兼(まちかね)て居(を)る事(こと)だらうと、思(おも)つたので、私(わたくし)は大佐(たいさ)に別(わかれ)を告(つ)げて、此處(こゝ)を立去(たちさ)る事(こと)に决(けつ)した。たゞ此(この)秘密造船所(ひみつぞうせんじよ)を出(い)づる前(まへ)に、一言(ひとこと)聽(き)きたきは、海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)の竣成(しゆんせい)の期日(きじつ)と、此(この)艇(てい)の如何(いか)に命名(めいめい)されるかとの點(てん)である。大佐(たいさ)は私(わたくし)の問(とひ)に對(たい)して、悠々(ゆう/\)と鼻髯(びせん)を捻(ひね)りつゝ
『若(も)し不時(ふじ)の天變(てんぺん)が無ければ、今(いま)より二年(にねん)九(く)ヶ月目(げつめ)、即(すなは)ち之(これ)から三度目(さんどめ)の記元節(きげんせつ)を迎(むか)ふる頃(ころ)には、試運轉式(しうんてんしき)を擧行(きよかう)し、引續(ひきつゞ)いて本島(ほんとう)を出發(しゆつぱつ)して、懷(なつ)かしき芙蓉(ふえう)の峯(みね)を望(のぞ)む事(こと)が出來(でき)ませう。』と答(こた)へ、艇(てい)の名(な)に就(つ)いては斯(か)う言(い)つた。
『實(じつ)[#ルビの「じつ」は底本では「じ」]は、電光艇(でんくわうてい)と命名(めいめい)する積(つもり)です。』
電光艇(でんくわうてい)! 電光艇(でんくわうてい)[#ルビの「でんくわうてい」は底本では「でんこくうてい」]! 如何(いか)に其實(そのじつ)に相應(ふさは)しき名(な)よと、私(わたくし)は感嘆(かんたん)すると、大佐(たいさ)は言(ことば)をつゞけ
『此(この)艇名(ていめい)は、我(わ)が敬慕(けいぼ)する山岡鐵舟先生(やまをかてつしうせんせい)の詩(し)より採(と)つたのです。』
『鐵舟先生(てつしうせんせい)の詩(し)?。』と私(わたくし)は小首(こくび)を傾(かたむ)けたが、忽(たちま)ち心付(こゝろづ)いた。
『電光影裏斬春風(でんくわうえいりしゆんぷうをきる)、此(この)詩(し)ですか。』
『それです』と大佐(たいさ)は莞爾(につこ)と打笑(うちえ)みつゝ
『他日(たじつ)我(わ)が海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)が、帝國軍艦旗(ていこくぐんかんき)を飜(ひるがへ)して、千艇※艦(せんていばんかん)[#「一/力」、197-12]の間(あひだ)に立(た)つの時(とき)、願(ねがは)[#ルビの「ねがは」は底本では「ねがほ」]くば其(その)名(な)の如(ごと)く、神速(しんそく)に、且(か)つ猛烈(まうれつ)ならん事(こと)を望(のぞ)むのです。』
此(この)談話(だんわ)が叔(をは)ると、私(わたくし)は大佐(たいさ)に別(わかれ)を告(つ)げ、武村兵曹(たけむらへいそう)に送(おく)られて、前(まへ)の不思議(ふしぎ)なる道(みち)を※(す)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、198-4]ぎて、秘密造船所(ひみつぞうせんじよ)の外(そと)へ出(で)た。

    第十六回 朝日島(あさひじま)
日出雄少年は椰子の木蔭に立つて居つた――國際法――占領の證據――三尖形の記念塔――成程妙案/\――其處だよ
 秘密造船所(ひみつざうせんじよ)を出(いで)た私(わたくし)は、鐵門(てつもん)のほとりで武村兵曹(たけむらへいそう)に別(わか)れ、猛犬(まうけん)の稻妻(いなづま)を從(したが)へて一散走(いつさんばし)り、頓(やが)て海岸(かいがん)の家(いへ)へ皈(かへ)つて見(み)ると、日出雄少年(ひでをせうねん)は只(たゞ)一人(ひとり)で、淋(さび)し相(さう)に門口(かどぐち)の椰子(やし)の樹(き)の木蔭(こかげ)に立(た)つて居(を)つたが、私(わたくし)の姿(すがた)を見(み)るより走(はし)り寄(よ)り
『あゝ、叔父(おぢ)さん、私(わたくし)はどうせうかと思(おも)つたのです、起床(おき)て見(み)ると、叔父(おぢ)さんは居(ゐ)ないし、稻妻(いなづま)も何處(どこ)かへ行(い)つてしまつたんですもの。』と不平顏(ふへいがほ)。
『おゝ、可愛相(かあいさう)に/\。』と私(わたくし)は胸(むね)に抱寄(いだきよ)せた。成程(なるほど)私(わたくし)が今朝(けさ)未明(みめい)に櫻木大佐等(さくらぎたいさら)と共(とも)に家(いへ)を去(さ)つたのは、未(ま)だ少年(せうねん)が安(やす)らかなる夢(ゆめ)を結(むす)んで居(を)つた間(あひだ)で、其後(そのゝち)に目醒(めざ)めた彼(かれ)は、例(いつも)とちがひ私(わたくし)の姿(すがた)も見(み)えず、また最愛(さいあい)の稻妻(いなづま)も居(を)らぬので、定(さだ)めて驚(おどろ)き且(か)つ淋(さび)しく感(かん)じた事(こと)であらうと私(わたくし)は不測(そゞろ)に不憫(ふびん)になり
『あのね、日出雄(ひでを)さん、叔父(おぢ)さんは故意(わざ)と日出雄(ひでを)さんに淋(さび)しい目(め)を見(み)せたのでは無(な)いのだよ。今朝(けさ)行(い)つた處(ところ)は暗(くら)い道(みち)だの危(あぶ)ない橋(はし)だのが澤山(たくさん)あつて、大佐(たいさ)の叔父(おぢ)さんや此(この)叔父(おぢ)さんのやうに、成長(おほき)な人(ひと)でなければ行(ゆ)けない處(ところ)、日出雄(ひでを)さんの樣(やう)に小(ちい)さい人(ひと)[#ルビの「ひと」は底本では「ひど」]が行(ゆ)くと、屹度(きつと)泣(な)きたくなる程(ほど)恐(こわ)い處(ところ)なんだから、默(だま)つて行(い)つたのだよ。』と言(い)ふと、日出雄少年(ひでをせうねん)は眼(め)を擦(こす)つて
『私(わたくし)は、どんな恐(こわ)い處(ところ)でも泣(な)かなくつてよ。』
『泣(な)かない※(感嘆符疑問符、1-8-78) それは強(つよ)い! けれど今(いま)は危(あぶな)いからいけません、追付(おつつ)け成長(おほきく)なつたら、大佐(たいさ)[#ルビの「たいさ」は底本では「たいた」]の叔父(おぢ)さんも喜(よろこ)んで連(つ)れて行(い)つて下(くだ)さるでせう。サ、サ、それよりは稻妻(いなづま)も歸(かへ)つて來(き)たから、例(いつも)の樣(やう)に海濱(うみべ)へでも行(い)つて、面白(おもしろ)く遊(あそ)んでお出(い)で。』といふと日出雄少年(ひでをせうねん)は忽(たちま)ち機嫌(きげん)麗(うる)はしく、今(いま)私(わたくし)の話(はな)した眞暗(まつくら)な道(みち)や、危(あぶな)い橋(はし)の事(こと)について聞(き)きた相(さう)に顏(かほ)を上(あ)げたが、此時(このとき)、丁度(ちやうど)猛犬稻妻(まうけんいなづま)が耳(みゝ)を垂(た)れ尾(を)を掉(ふ)つて、其(その)傍(そば)へ來(き)たので、忽(たちま)ち犬(いぬ)の方(ほう)に氣(き)を取(と)られて
『稻妻(いなづま)! お前(まへ)何處(どこ)へ行(い)つたの、さあ、之(これ)から競走(かけつくら)だよ。』と、私(わたくし)の膝(ひざ)から跳(をど)つて、犬(いぬ)の首輪(くびわ)に手(て)をかけて、一散(いつさん)に磯(いそ)打(う)つ浪(なみ)の方(かた)へ走(はし)り出(だ)した。
私(わたくし)は家(いへ)に歸(かへ)り、それより終日(しゆうじつ)室内(しつない)に閉籠(とぢこも)つて、兼(かね)てより企(くわだ)てゝ居(を)つた此(この)旅行奇譚(りよかうきだん)の、今迄(いまゝで)の部分(ぶゞん)の編輯(へんしう)に着手(ちやくしゆ)して本書(ほんしよ)第三回(だいさんくわい)の「怪(あやし)の船(ふね)」の邊(へん)まで認(したゝ)めかけると、日(ひ)は暮(く)れ、日出雄少年(ひでをせうねん)も稻妻(いなづま)と、一日(いちにち)四方八方(しほうはつぽう)を走(はし)り歩(ある)いた爲(ため)に酷(ひど)く疲(つか)れて歸(かへ)つて來(き)て、私(わたくし)の膝(ひざ)[#ルビの「ひざ」は底本では「ひだ」]に恁(もた)れた儘(まゝ)、二人(ふたり)暮(く)れ行(ゆ)く空(そら)の景色(けしき)を眺(なが)めて居(を)る頃(ころ)、櫻木大佐(さくらぎたいさ)、武村兵曹(たけむらへいそう)、他(ほか)一隊(いつたい)の水兵(すいへい)は今日(けふ)の業(しごと)を終(をは)つて、秘密造船所(ひみつぞうせんじよ)から皈(かへ)つて來(き)た。
例(いつも)の事(こと)だが、此(この)日(ひ)の晩餐(ばんさん)は特(こと)に私(わたくし)の爲(ため)には愉快(ゆくわい)であつたよ。何故(なぜ)となれば昨日(きのふ)までは、如何(いか)に重要(ぢうえう)な事(こと)にしろ、櫻木大佐(さくらぎたいさ)が或(ある)秘密(ひみつ)をば其(その)胸(むね)に疊(たゝ)んで私(わたくし)に語(かた)らぬと思(おも)ふと、多少(たせう)不快(ふくわい)の感(かん)の無(な)いでもなかつたが、今(いま)は秘密造船所(ひみつぞうせんじよ)の事(こと)も、海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)の事(こと)も盡(こと/″\)く分(わか)り、且(か)つは我(わ)が敬愛(けいあい)する大佐(たいさ)は、斯(かゝ)る大秘密(だいひみつ)をも明(あきらか)に洩(もら)す程(ほど)、私(わたくし)を信任(しんにん)して居(を)るかと思(おも)ふと、嬉(うれ)しさは胸(むね)に滿(み)ち溢(あふ)れて、其(その)知遇(ちぐう)を感(かん)ずる事(こと)益々(ます/\)深(ふか)きと共(とも)[#ルビの「とも」は底本では「とき」]に、私(わたくし)の心(こゝろ)を苦(くる)しめるのは、たゞ如何(いか)にして此(この)厚意(かうゐ)に酬(むく)いんかとの一念(いちねん)。たとへ偶然(ぐうぜん)とはいへ、此(この)離(はな)れ島(じま)に漂着(へうちやく)して、斯(か)く大佐(たいさ)の家(いへ)に住(す)み、大佐(たいさ)をはじめ武村兵曹(たけむらへいそう)其他(そのほか)の水兵等(すいへいら)に一方(ひとかた)ならず世話(せわ)になつて居(を)る身(み)は、彼等(かれら)が毎日(まいにち)/\其(その)職務(しよくむ)のために心身(しんしん)を碎(くだ)いて居(を)るのを、徒(いたず)らに手(て)を拱(こまぬ)いて見(み)て居(を)るに忍(しの)びぬ。如何(いか)なる仕事(しごと)でも、私(わたくし)の力(ちから)に叶(かな)ふ相當(さうたう)の義務(ぎむ)を盡(つく)したいと考(かんが)へたので、私(わたくし)は膝(ひざ)を進(すゝ)めた。
『大佐(たいさ)よ、私(わたくし)も既(すで)に此(この)島(しま)の仲間(なかま)となつた今(いま)は、貴下等(あなたがた)の毎日(まいにち)/\の勞苦(らうく)をば、徒(いたず)らに傍觀(ぼうくわん)して居(を)るに忍(しの)びません、何(な)んでもよい。鐵材(てつざい)の運搬役(うんぱんやく)でも、蒸※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)機關(じようききくわん)の石炭(せきたん)焚(た)きでも何(な)んでもよいから、海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)の竣成(しゆんせい)するまで、私(わたくし)を然(しか)るべき役(やく)に遠慮(えんりよ)なく使(つか)つて下(くだ)さい。』と熱心(ねつしん)に語(かた)つたが、大佐(たいさ)は輕(かろ)く點頭(うなづ)くのみで
『ナニ、ナニ、决(けつ)して其樣(そん)な心配(しんぱい)は御無用(ごむよう)です、君(きみ)と日出雄少年(ひでをせうねん)とは此(この)島(しま)の賓客(ひんきやく)であれば、たゞ食(く)つて寢(ね)て、自由(じゆう)な事(こと)をして、電光艇(でんくわうてい)の竣成(しゆんせい)する日(ひ)まで、氣永(きなが)く待(ま)つて居(を)れば夫(そ)れでよいのです。』と微笑(びせう)を帶(お)びて
『海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)の製造(せいぞう)には、極(きわ)めて細密(さいみつ)なる設計(せつけい)が出來(でき)て、一人(ひとり)の不足(ふそく)をも許(ゆる)さぬ代(かは)りに、一人(ひとり)も増加(ぞうか)する必要(ひつえう)がないのです、ちやんと三十三名(めい)の水兵(すいへい)が或(ある)年月(ねんげつ)の間(あひだ)働(はたら)いて、豫定通(よていどう)りに竣功(しゆんこう)する手續(てつゞき)になつて居(をり)ますから、君(きみ)も少年(せうねん)もたゞ遊(あそ)んで居(を)ればよいのです。』といふ。大佐(たいさ)の心(こゝろ)では、吾等(われら)兩人(ふたり)が意外(いぐわい)の椿事(ちんじ)の爲(た)めに、此樣(こん)な孤島(はなれじま)へ漂着(へうちやく)して、之(これ)から或(ある)年月(ねんげつ)の間(あひだ)、飛(と)ぶに羽(はね)なき籠(かご)の鳥(とり)、空(むな)しく故國(ここく)の空(そら)をば眺(なが)めて暮(くら)すやうな運命(うんめい)になつたのをば、寧(むし)ろ不憫(ふびん)と思(おも)つて居(を)るのであらう。けれど私(わたくし)は默(だま)つては居(を)られぬ。
『イヤ、左樣(さう)では無(な)いです、若(も)し秘密造船所(ひみつざうせんじよ)の仕事(しごと)に私(わたくし)の必要(ひつえう)が無(な)いなら、料理方(れうりかた)でもやります/\。』と决然(けつぜん)言放(いひはな)つと、此時(このとき)まで食卓(しよくたく)の一方(いつぽう)に、默(だま)つて私(わたくし)の顏(かほ)を眺(なが)めて居(を)つた武村兵曹(たけむらへいそう)は、突然(とつぜん)顏(かほ)を突出(つきだ)して。
『うむ、恰好事(よいこと)がある/\。』と例(れい)の頓狂聲(とんきようごゑ)
『貴方(あなた)に料理方(れうりかた)だなんて、其樣(そん)な馬鹿(ばか)らしい事(こと)が出來(でき)ますか。』と言(い)ひかけて櫻木大佐(さくらぎたいさ)に眼(まなこ)を轉(てん)じ
『大佐閣下(たいさかくか)、好(かう)機會(きくわい)です、例(れい)の一件(いつけん)、此(この)島(しま)に紀念塔(きねんたう)を建(た)てる事(こと)を依頼(いらい)しては如何(どう)でせう。』
大佐(たいさ)はポンと掌(たなごゝろ)[#ルビの「たなごゝろ」は底本では「たなじゝろ」]を叩(たゝ)いた。
『其事(そのこと)! 余(よ)も丁度(ちやうど)考(かんが)へて居(を)つた處(ところ)だ。』と私(わたくし)に向(むか)ひ
『若(も)し、君(きみ)が強(し)いて或(ある)仕事(しごと)を望(のぞ)み玉(たま)ふならば。』と徐(おもむ)ろに語(かた)り出(だ)す大佐(たいさ)の言(げん)によると。元來(ぐわんらい)此(この)孤島(はなれじま)は前(まへ)にも云(い)ふ樣(やう)に、未(ま)だ、世界輿地圖(せかいよちづ)の表面(ひやうめん)には現(あら)はれて居(を)らない程(ほど)で、櫻木大佐(さくらぎたいさ)の一行(いつかう)が、初(はじ)めて發見(はつけん)した迄(まで)は全(まつた)くの無人島(むじんとう)で、何國(いづこ)の領地(りようち)とも定(さだま)つて居(を)らぬ處(ところ)だから、國際法上(こくさいほふじやう)から言(い)つても「地球上(ちきゆうじやう)に、新(あらた)に發見(はつけん)されたる島(しま)は、其(その)發見者(はつけんしや)が屬(ぞく)する國家(こつか)の支配(しはい)を受(う)く」との原則(げんそく)で、當然(たうぜん)大日本帝國(だいにつぽんていこく)の新(しん)領地(りようち)となるべき處(ところ)である。そこで、大佐(たいさ)は今(いま)より二年(にねん)以前(いぜん)、其(その)一行(いつかう)と共(とも)に此(この)海岸(かいがん)[#ルビの「かいがん」は底本では「がいがん」]に上陸(じやうりく)した時(とき)に、先(ま)づ第一(だいいち)に此(この)島(しま)の名(な)を「朝日島(あさひじま)」と命(めい)じ、永久(えいきゆう)に大日本帝國(だいにつぽんていこく)の領土(りようど)たる可(べ)き事(こと)を宣言(せんげん)し、それより以來(いらい)、朝日(あさひ)輝(かゞや)く日(ひ)の御旗(みはた)は、絶(た)えず海岸(かいがん)の一方(いつぽう)の岬頭(みさき)に飜(ひるがへつ)て居(を)るが、さて熟々(つら/\)と考(かんが)へるに、大佐等(たいさら)が此(この)島(しま)に上陸(じやうりく)したそも/\の目的(もくてき)は、秘密(ひみつ)なる海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)を製造(せいぞう)するが爲(ため)で、艇(てい)の竣成(しゆんせい)と共(とも)に、早晩(さうばん)此處(こゝ)を立去(たちさ)らねばならぬのである[#「立去(たちさ)らねばならぬのである」は底本では「去立(たちさ)らねばならぬのである」]。無論(むろん)、立去(たちさ)つた後(あと)でも、永久(えいきゆう)に日本帝國(につぽんていこく)の領土(りようど)であるべき事(こと)は疑(うたがひ)を容(い)れぬが、茲(こゝ)に頗(すこぶ)る憂慮(ゆうりよ)に堪(た)えぬのは、今(いま)や、眼(まなこ)を放(はな)つて天下(てんか)の形勢(けいせい)を眺(なが)むるに、歐米諸國(をうべいしよこく)は寸尺(すんしやく)の土地(とち)と雖(いへど)も自己(じこ)の領分(りようぶん)となさんと競(きそひ)爭(あらそ)ひ、若(も)し茲(こゝ)に、一個(いつこ)の無人島(むじんとう)でもあつて、些(いさゝ)かにても國家(こつか)の支配權(しはいけん)が完全(くわんぜん)に及(およ)んで居(を)らぬと見(み)るときは最早(もはや)國際法(こくさいほふ)の原則(げんそく)も何(なに)もあつたもので無(な)い、知(し)つても知(し)らぬ顏(かほ)[#ルビの「かほ」は底本では「なほ」]に、先占(せんせん)の人(ひと)が立(た)てたる旗(はた)をば押倒(おしたを)して、自國(じこく)の國旗(こくき)を飜(ひるがへ)し、詰(つま)る所(ところ)は大紛爭(だいもんちやく)を引起(ひきをこ)して、其間(そのあひだ)に多少(たせう)の利益(りえき)を占(し)めんと企(くわだ)てゝ居(を)る、實(じつ)に其(その)狡猾(かうくわつ)なる事(こと)言語(げんご)に絶(ぜつ)する程(ほど)だから、今(いま)櫻木大佐(さくらぎたいさ)は公明正大(こうめいせいだい)に此(この)島(しま)を發見(はつけん)し、名(なづ)けて朝日島(あさひとう)[#ルビの「あさひとう」は底本では「ちさひとう」]と呼(よ)び、之(これ)よりは我(わが)大日本帝國(だいにつぽんていこく)の領地(りようち)である事(こと)を表示(ひやうし)する爲(ため)に、幾本(いくほん)の日章旗(につしようき)を海岸(かいがん)に飜(ひるがへ)して置(お)いても、一朝(いつてう)此處(こゝ)を立去(たちさ)つた後(あと)の事(こと)は、少(すくな)からず氣遣(きづか)はれるのである。無論(むろん)、絶海(ぜつかい)の孤島(ことう)であれば、三年(さんねん)や五年(ごねん)の間(あひだ)に他國(たこく)の侵犯(しんはん)を、蒙(かうむ)るやうな事(こと)はあるまいが、安心(あんしん)のならぬは現(げん)に弦月丸(げんげつまる)の沈沒(ちんぼつ)の結果(けつくわ)、偶然(ぐうぜん)にも此(この)島(しま)に漂着(へうちやく)した吾等(われら)兩人(ふたり)の實例(じつれい)に照(てら)しても、櫻木大佐(さくらぎたいさ)の一行(いつかう)が、功成(こうな)り此處(こゝ)を立去(たちさ)つた後(あと)に、何時(いつ)他國人(たこくじん)が入替(いれかわ)つて、此(この)島(しま)に上陸(じようりく)せまいものでもない、貪慾(どんよく)飽(あ)く事(こと)を知(し)らぬ歐米人(をうべいじん)が、※一(まんいち)[#「一/力」、207-4]にも其後(そのゝち)此處(こゝ)に上陸(じやうりく)したなら夫(それ)こそ大變(たいへん)、何百本(なんびやくぽん)の日章旗(につしようき)が立(た)つて居(を)つたにしろ、其樣(そん)な事(こと)には※(「てへん+勾」、第3水準1-84-72)(かま)はぬ、忽(たちま)ち日章旗(につしようき)は片々(きれ/″\)に引裂(ひきさ)かれて、代(かは)つて獅子(しゝ)や鷲章(わしゞるし)の旗(はた)が、我物顏(わがものがほ)に此(この)島(しま)を占領(せんりよう)する事(こと)であらう。元(もと)より紛議(ふんぎ)も葛藤(かつとう)も恐(おそ)るゝ所(ところ)でない、正理(せいり)は我(われ)にあるのだが、然(しか)し※里(ばんり)[#「一/力」、207-8]の波濤(はたう)を距(へだ)てたる絶島(ぜつとう)に於(おい)て、既(すで)に唯一(ゆいいつ)の確證(くわくしよう)たる可(べ)き日章旗(につしようき)を徹去(てつきよ)されたる後(のち)は、我(われ)に十二分(ぶん)の道理(どうり)があつても、一個(いつこ)の證據(しようこ)なく、天下(てんか)の承認(しようにん)を得(う)る事(こと)は餘程(よほど)困難(こんなん)であらうと思(おも)ふ。
今(いま)は左迄(さまで)に有要(いうえう)とも見(み)えぬ此(この)孤島(はなれじま)も、今(いま)より三十年(ねん)若(もし)くば五十年(ねん)の後(のち)、我(わが)日本(につぽん)が世界(せかい)に大權力(だいけんりよく)を振(ふる)はんとする時(とき)、西方(にしのかた)歐羅巴(エウロツパ)に對(たい)する軍略上(ぐんりやくじやう)、如何(いか)に得易(えやす)からざる要鎭(えうちん)となるかは、追(おつ)て分(わか)る時(とき)もあらう。兎(と)も角(かく)も、决(けつ)して他國(たこく)には渡(わた)すまじき此(この)朝日島(あさひじま)の占領(せんりよう)をば、今(いま)より完全(くわんぜん)に繼續(けいぞく)して、櫻木大佐等(さくらぎたいさら)の立去(たちさ)つた後(あと)と雖(いへど)も、動(うご)かし難(がた)き確證(くわくしよう)を留(とゞ)め、※一(まんいち)[#「一/力」、208-5]他國(たこく)の容嘴(ようし)する塲合(ばあひ)には、一言(いちげん)の下(した)に、大日本帝國(だいにつぽんていこく)の領地(りようち)である事(こと)を明示(めいし)し得(う)る計畫(けいくわく)を立(た)てゝ置(お)かねばならぬ。
斯(か)く語(かた)りかけた櫻木大佐(さくらぎたいさ)は一息(ひといき)つき
『そこで一個(ひとつ)の妙案(めうあん)を考(かんが)へ出(だ)したのです。』と言(い)ひながら、頭(かうべ)を廻(めぐ)らし
『實(じつ)は、此(この)妙案(めうあん)の發明者(はつめいしや)は、武村兵曹(たけむらへいそう)と云(い)つてもよい。』と打笑(うちわら)ひつゝ
『武村兵曹(たけむらへいそう)、悉(くわ)しく汝(おまへ)から語(かた)つてあげい。』
聲(こゑ)に應(おう)じて、快活(くわいくわつ)なる兵曹(へいそう)は進(すゝ)み出(で)た。
『私(わたくし)は喋(しやべ)る事(こと)が下手(へた)だから、分(わか)らなかつたら、何度(なんど)でも聽返(きゝかへ)して下(くだ)さい。』と例(れい)の口調(くちよう)で
『其(その)妙案(めうあん)といふのは斯(か)うなんです。貴下(あなた)も御存(ごぞん)じの通(とう)り、此(この)朝日島(あさひじま)は、此(この)家(いへ)の附近(ふきん)を除(のぞ)いては、到(いた)る處(ところ)皆(みな)危險(きけん)な塲所(ばしよ)で、深山(しんざん)へ十里(り)以上(いじやう)も進(すゝ)んで行(ゆ)くと、天狗(てんぐ)が居(を)るか魔性(ませう)が居(を)るか分(わか)らない、イヤ、正歟(まさか)、其樣(そん)な者(もの)は居(ゐ)まいが、毒蛇(どくじや)や、猛狒(ゴリラ)や、獅子(しゝ)や、虎(とら)の類(るい)が數知(かずし)れず棲(す)んで居(を)つて、私(わたくし)の樣(やう)な無鐵砲(むてつぽう)な人間(にんげん)でも、とても恐(おそ)ろしくつて行(い)けぬ程(ほど)だから、誰人(たれ)だつて足踏(あしふみ)は出來(でき)ませない。そこでね、私(わたくし)の考(かんが)へるには、今(いま)一個(ひとつ)の堅固(けんご)な紀念塔(きねんたふ)を作(こしら)へて、其(その)深山(しんざん)へ持(も)つて行(い)つて建(た)てゝ來(く)るのだ、紀念塔(きねんたう)の表面(ひやうめん)には、ちやんと朝日島(あさひじま)と刻(きざ)んで、此處(こゝ)は日本帝國(につぽんていこく)の領地(りようち)で御坐(ござ)る、何年(なんねん)、何月(なんげつ)、何日(なんにち)、櫻木海軍大佐(さくらぎかいぐんたいさ)之(これ)を發見(はつけん)すと記(しる)して置(お)くのだ。すると、吾等(われら)が此(この)島(しま)を立去(たちさ)つた後(あと)で、外國人(ぐわいこくじん)共(ども)がやつて來(き)ても大丈夫(だいじやうぶ)です。何(なに)、海岸(かいがん)邊(へん)の日(ひ)の丸(まる)の旗(はた)を押倒(おしたを)して、獅子(しゝ)だの、鷲印(わしじるし)の旗(はた)なんか立(た)てた處(ところ)で無益(だめだ)/\。此(この)紀念塔(きねんたふ)の建(た)てられた深山(しんざん)までは、危險(きけん)だから誰(たれ)も行(い)けない、行(い)かなければ其樣(そん)な證據物(しようこぶつ)のある事(こと)は知(し)らないで居(を)る。※一(まんいち)[#「一/力」、210-5]行(い)けば忽(たちま)ち猛獸(まうじう)毒蛇(どくじや)に喰殺(くひころ)されてしもうから、死(し)んだ人間(にんげん)は無(な)いも同然(どうぜん)。そこで、外國人(ぐわいこくじん)が吾等(われら)の立去(たちさ)つた後(あと)で、此(この)島(しま)へ上陸(じやうりく)して、此處(こゝ)は自分(じぶん)が、第一(だいいち)に發見(はつけん)した島(しま)だなんかと、管(くだ)を卷(ま)ひたつて無益(だめ)と申(もう)すのだ。此方(こつち)にはちやんと證據物件(しようこぶつけん)が厶(ござ)る、そんなに八釜(やかま)しく言(い)ふなら、サア來(き)て見(み)なせいと云(い)つて、山奧(やまおく)へ連(つ)れて行(い)つて、其(その)紀念塔(きねんたふ)を見(み)せてやるのだ、どうだい此(この)字(じ)が讀(よ)めぬか「明治(めいじ)何年(なんねん)、何月(なんげつ)、何日(なんにち)、大日本帝國(だいにつぽんていこく)海軍大佐櫻木重雄(かいぐんたいささくらぎしげを)本島(ほんとう)を發見(はつけん)す、今(いま)は大日本帝國(だいにつぽんていこく)の占領地(せんりようち)なり、後(おく)れて此(この)島(しま)に上陸(じやうりく)する者(もの)は、速(すみや)かに旗(はた)を卷(ま)いて立去(たちさ)れ」なんかと記(しる)してあるでせう、奴輩(やつこさん)は喫驚(びつくり)して卒倒(ひつくりかへ)るだらう。其處(そこ)を横面(よこずつぽう)でも張飛(はりとば)して追拂(おつぱ)らつてやるのだ。』
『あはゝゝゝゝ。』と私(わたくし)は聲(こゑ)高(たか)く笑(わら)つた。成程(なるほど)妙案(めうあん)/\。武骨(ぶこつ)な武村兵曹(たけむらへいそう)の考(かんが)へ出(だ)し相(さう)な事(こと)だ。けれど、第一(だいいち)に、其樣(そんな)危險(きけん)な深山(しんざん)へ如何(どう)して紀念塔(きねんたう)を建(た)てるか、外國人(ぐわいこくじん)の行(ゆ)かれぬ程(ほど)危險(きけん)な處(ところ)へは、吾等(われら)だつて行(ゆ)かれぬ筈(はづ)では無(な)いかと、隙(すか)さず一本(いつぽん)切込(きりこ)むと、武村兵曹(たけむらへいそう)ちつとも驚(おどろ)かない。
『其處(そこ)が奇々妙々(きゝめう/\)の發明(はつめい)だよ。』

    第十七回 冐險鐵車(ぼうけんてつしや)
自動の器械――斬頭刄(ギラチン)形の鉞――ポンと小胸を叩いた――威張れません――君が代の國歌――いざ、帝國の萬歳を唱へませう
『其處(そこ)が、奇々妙々(きゝめう/\)の發明(はつめい)だよ。』と武村兵曹(たけむらへいそう)は澄(す)ました顏(かほ)で
『私(わたくし)だつて、其樣(そんな)に無鐵砲(むてつぽう)な事(こと)は言(い)はない、此(この)工夫(くふう)は、大佐閣下(たいさかくか)も仲々(なか/\)巧妙(うまい)と感心(かんしん)なすつたんです。』と意氣(いき)昂然(こうぜん)として
『冐險鐵車(ぼうけんてつしや)――左樣(さやう)自動仕掛(じどうじが)けの鐵檻(てつおり)の車(くるま)を製造(せいぞう)して、其(そ)れに乘(の)つて、山奧(やまおく)へ出掛(でか)けやうといふんです。』
『む、鐵檻(てつおり)の車(くるま)?。』と私(わたくし)は額(ひたい)を叩(たゝ)いた。
武村兵曹(たけむらへいそう)は此時(このとき)大佐(たいさ)の許可(ゆるし)を得(え)て、次(つぎ)の室(へや)から一面(いちめん)の製圖(せいづ)を携(たづさ)へて來(き)て、卓上(たくじやう)に押廣(おしひろ)げ
『これです、自動冐險鐵車(じどうぼうけんてつしや)の設計(せつけい)といふのは――先(ま)づ此(この)鐵檻(てつおり)の車(くるま)の恰形(かくこう)は木牛(もくぎう)に似(に)て、長(なが)さ二十二尺(しやく)、幅員(はゞ)十三尺(じやく)、高(たか)さは木牛形(もくぎうけい)の頭部(とうぶ)に於(おい)て十二尺(しやく)、後端(こうたん)に於(おい)て十尺(しやく)半(はん)、四面(しめん)は其(その)名(な)の如(ごと)く、堅牢(けんらう)なる鐵(てつ)の檻(おり)をもつて圍繞(かこ)まれ、下床(ゆか)は彈力性(だんりよくせい)を有(いう)するクロー鋼板(かうばん)で、上部(じやうぶ)は半面(はんめん)鐵板(てつぱん)に蔽(おほ)はれ、半面(はんめん)鐵檻(てつおり)をもつて作(つく)られ、鐵車(てつしや)は都合(つごう)十二の車輪(くるま)を備(そな)へ、其内(そのうち)六個(こ)は齒輪車(しりんしや)で、此(この)車輪(しやりん)を運轉(うんてん)する動力(どうりよく)は、物理學上(ぶつりがくじやう)の種々(しゆ/″\)なる原則(げんそく)を應用(おうよう)せる、極(きは)めて巧緻(こうち)なる自轉(じてん)の仕組(しくみ)にて、車内(しやない)前部(ぜんぶ)の機械室(きかいしつ)には「ノルデン、インヂン」に髣髴(ほうふつ)たる、非常(ひじやう)に堅牢(けんらう)緻密(ちみつ)なる機械(きかい)の設(まう)けありて、大(だい)、中(ちう)、小(せう)、三十七種(しゆ)の齒輪車(しりんしや)は互(たがひ)に噛合(かみあ)ひ、吸鍔桿(ピストン)、曲肱(クンク)、方位盤(ダイレクター)に似(に)たる諸種(しよしゆ)の器械(きかい)は複雜(ふくざつ)を極(きは)め、恰(あだか)も聯成式(れんせいしき)の蒸氣機關(じようききくわん)を見(み)るやうである。今(いま)一個(いつこ)の人(ひと)あり、車臺(しやだい)に坐(ざ)して、右手(ゆんで)に柄子(とりで)を握(にぎ)つて旋廻輪(せんくわいりん)を廻(まわ)しつゝ、徐々(じよ/\)に足下(そくか)の踏臺(ふみだい)を踏(ふ)むと忽(たちま)ち傍(かたはら)に備(そな)へられたる號鈴器(がうれいき)はリン/\と鳴(な)り出(だ)して、下方(かほう)の軸盤(じゆくばん)の靜(しづ)かに回轉(くわいてん)を始(はじ)むると共(とも)に、其(その)動力(どうりよく)は第一(だいいち)の大齒輪(だいしりん)に及(およ)び、第二(だいに)の齒輪車(しりんしや)に移(うつ)り、同時(どうじ)に吸鍔桿(ピストン)は上下(じやうか)し、曲肱(クンク)の活動(くわつどう)は眼(め)にも留(とま)らず、かくて其(その)動力(どうりよく)が第(だい)三十七番目(ばんめ)の齒輪車(しりんしや)に及(およ)ぶ頃(ころ)には、其(その)廻轉(くわいてん)の速度(そくど)と、實力(じつりよく)とは、非常(ひじやう)に強烈(きようれつ)になつて、殆(ほと)んど四百四十馬力(ばりき)の蒸※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)機關(じようききくわん)に匹敵(ひつてき)し得(う)る由(よし)、此(この)猛烈(まうれつ)なる動力(どうりよく)が、接合桿(せつがふかん)をもつて車外(しやぐわい)十二個(こ)の車輪(しやりん)を動(うご)かし、遂(つひ)に此(この)堅固(けんご)なる鐵檻(てつおり)の車(くるま)は進行(しんかう)を始(はじ)めるのである。勿論(もちろん)かゝる構造(かうざう)で、極(きわ)めて重量(じゆうりよう)のある鐵車(てつしや)の事(こと)だから、速力(そくりよく)の點(てん)に於(おい)ては餘(あま)り迅速(じんそく)には行(ゆ)かぬ、平野(へいや)ならば、一時間(いちじかん)平均(へいきん)五哩(マイル)以上(いじやう)進行(しんかう)する事(こと)が出來(でき)るであらうが、極(ご)く勾配(かうばい)の激(はげ)しい坂道(さかみち)では、辛(からう)じて一時間(じかん)一哩(マイル)位(くらゐ)の速力(そくりよく)に終(をは)る事(こと)もあらう。然(しか)し、此(この)冐險鐵車(ぼうけんてつしや)の特色(とくしよく)は水中(すいちう)の他(ほか)は如何(いか)なる險阻(けんそ)の道(みち)でも進行(しんかう)し得(え)ぬといふ事(こと)はなく、險山(けんざん)を登(のぼ)るには通常(つうじやう)の車輪(しやりん)[#ルビの「しやりん」は底本では「しやり」]の他(ほか)に六個(ろくこ)の強堅(きようけん)なる齒輪車(しりんしや)と、車室(しやしつ)の前方(ぜんぽう)に裝置(さうち)されたる螺旋形(らせんけい)の揚上機(やうじやうき)、及(およ)び後方(こうほう)に設(まう)けられたる遞進機(ていしんき)とを使用(しよう)して、登(のぼ)る山道(やまみち)の大木(たいぼく)巨巖等(きよがんとう)を力(ちから)に、螺旋形(らせんけい)の尖端(せんたん)は先(ま)づ螺釘(らてい)の如(ごと)く前方(ぜんぽう)の大木(たいぼく)に捩(ねぢ)れ込(こ)み、車内(しやない)の揚上機(やうじやうき)の運轉(うんてん)と共(とも)に、其(その)螺旋(らせん)は自然(しぜん)に收縮(しゆうしゆく)して、次第(しだい)/\に鐵車(てつしや)を曳上(ひきあ)げ、遞進機(ていしんき)は螺旋形揚上機(らせんけいやうじやうき)とは反對(はんたい)に、後方(こうほう)の巖石(がんせき)を支臺(さゝへ)として、彈力性(だんりよくせい)の槓桿(こうかん)の伸張(しんちやう)によつて、無二無三(むにむさん)に鐵車(てつしや)を押上(おしあ)げるのである。鐵車(てつしや)深林(しんりん)を行(ゆ)くには、一層(いつそう)巧妙(こうめう)なる器械(きかい)がある、それは鐵車(てつしや)の前方(ぜんぽう)木牛頭(もくぎうとう)の上下(じやうか)より突出(とつしゆつ)して、二十一の輪柄(りんぺい)を有(いう)する四個(しこ)の巨大(きよだい)なる旋廻圓鋸機(せんくわいゑんきよき)と、むかし佛蘭西(フランス)の革命時代(かくめいじだい)に、日(ひ)に一萬三千人(いちまんさんぜんにん)の首(くび)を刎(は)ねたりと呼(よ)ばるゝ、世(よ)にも恐(おそ)るべき斬頭刄(ギラチン)の形(かたち)に髣髴(ほうふつ)たる、八個(はつこ)の鋭利(えいり)なる自轉伐木鉞(じてんばつもくふ)との仕掛(しか)けにて、行道(ゆくて)に塞(ふさ)がる巨木(きよぼく)は幹(みき)より鋸(ひ)き倒(たほ)し、小木(せうぼく)は枝(えだ)諸共(もろとも)に伐(き)り倒(たほ)して猛進(まうしん)[#ルビの「まうしん」は底本では「ほうしん」]するのであるから、如何(いか)なる險山(けんざん)深林(しんりん)に會(くわい)しても、全(まつた)く進行(しんかう)を停止(ていし)せらるゝやうな患(うれひ)はないのである。
鐵檻(てつおり)の車(くるま)の出入口(でいりぐち)は、不思議(ふしぎ)にも車室(しやしつ)の頂上(てうじやう)に設(まう)けられて、鐵梯(てつてい)を傳(つた)つて屋根(やね)から出入(でいり)する樣(やう)になつて居(を)る。それは四面(しめん)の鐵檻(てつおり)の堅牢(けんらう)なる上(うへ)にも堅牢(けんらう)ならん事(こと)を望(のぞ)んで、如何(いか)に力強(ちからつよ)き敵(てき)が襲(おそひ)來(きたつ)ても、决(けつ)して車中(しやちう)の安全(あんぜん)を害(がい)せられぬ爲(ため)の特別(とくべつ)の注意(ちうゐ)である相(さう)な。乘組(のりくみ)の人員(じんゐん)は、五人(ごにん)が定員(てんゐん)で、車内(しやない)には機械室(きかいしつ)の外(ほか)に、二個(にこ)の區劃(くくわく)が設(まう)けられ、一方(いつぽう)は雨露(うろ)を凌(しの)ぐが爲(た)めに厚(あつ)さ玻璃板(はりばん)を以(もつ)て奇麗(きれい)に蔽(おほ)はれ、床上(しやうじやう)には絨壇(じゆうたん)を敷(し)くもよし、毛布(ケツトー)位(ぐら)いで濟(す)ますもよし、其處(そこ)は乘組人(のりくみにん)の御勝手(ごかつて)次第(しだい)、他(た)の區劃(くくわく)は彈藥(だんやく)や飮料(いんれう)や鑵詰(くわんづめ)や乾肉(ほしにく)や其他(そのほか)旅行中(りよかうちう)の必要品(ひつえうひん)を貯(たくわ)へて置(お)く處(ところ)で、固定旅櫃(こていトランク)の形(かたち)をなして居(を)る。
『斯(か)う出來上(できあが)つたら立派(りつぱ)なもんでせう。』と武村兵曹(たけむらへいそう)は鼻(はな)を蠢(うご)めかしつゝ私(わたくし)を眺(なが)めた。
『見事(みごと)! 見事(みごと)! イヤ實(じつ)に驚(おどろ)く可(べ)き大發明(だいはつめい)だよ。』と私(わたくし)は膝(ひざ)の進(すゝ)むを覺(おぼ)えなかつた。兵曹(へいそう)は猶(なほ)も威勢(ゐせい)よく
『ね、此(この)自動鐵檻車(じどうてつおりのくるま)が出來(でき)て見(み)なさい、如何(どん)な危險(きけん)な塲所(ばしよ)だつて平氣(へいき)なもんです、猛狒(ゴリラ)や獅子(しゝ)が行列(ぎようれつ)を立(た)てゝ襲(おそ)つて來(き)た所(ところ)で、此方(こつち)は鐵檻車(てつおりぐるま)の中(なか)から猛獸(まうじう)共(ども)の惡相(あくさう)を目掛(めが)けて、鐵砲玉(てつぽうだま)の御馳走(ごちさう)でもしてやるばかりだ。其處(そこ)で此(この)鐵車(てつしや)に乘(の)つて、朝日島(あさひじま)の名(な)を刻(きざ)んだ紀念塔(きねんたう)を携(たづさ)へて、此處(こゝ)から三十里(り)位(ぐら)いの深山(しんざん)に踏入(ふみい)つて、猛獸(まうじう)毒蛇(どくじや)の眞中(まんなか)へ、其(その)紀念塔(きねんたう)を建(た)てゝ來(く)るのだ、何(な)んと巧妙(うま)い工夫(くふう)ではありませぬか。』とポンと小胸(こむね)を叩(たゝ)いて
『此樣(こん)な工夫(くふう)をやるのだもの、此(この)武村新八(たけむらしんぱち)だつてあんまり馬鹿(ばか)にはなりますまい。』と眼(め)を眞丸(まんまる)にして一同(いちどう)を見廻(みまわ)したが、忽(たちま)ち聲(こゑ)を低(ひく)くして
『だが[#「だが」は底本では「だか」]、あんまり威張(ゐば)れないて、此樣(こん)な車(くるま)を製造(こしらへ)ては如何(どう)でせうと、此處(こゝ)まで工夫(くふう)したのは此(この)私(わたくし)だが、肝心(かんじん)の機械(きかい)の發明(はつめい)は悉皆(みんな)大佐閣下(たいさかつか)だよ。』と苦笑(くせう)したので、櫻木海軍大佐(さくらぎかいぐんたいさ)をはじめ、一座(いちざ)の面々(めん/\)、餘(あま)りの可笑(をか)しさに、一時(いちじ)にドツと笑崩(わらひくづ)るゝ間(あひだ)に、武村兵曹(たけむらへいそう)は平氣(へいき)な顏(かほ)で私(わたくし)に向(むか)ひ
『其處(そこ)で、貴方(あなた)に勸(すゝ)めるのです貴方(あなた)は石炭焚(せきたんた)きだの、料理方(れうりかた)だのつて、其樣(そん)な馬鹿(ばか)な眞似(まね)が出來(でき)るもので無(な)いから、それよりは、此(この)鐵檻車(てつおりぐるま)の製造(せいぞう)にお着手(かゝり)なすつては如何(いかゞ)です、大佐閣下(たいさかつか)も餘程(よほど)前(まへ)から此(この)企(くはだて)はあつたので、すでに製圖(せいづ)まで出來(でき)て居(を)るのだが、海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)の方(ほう)が急(いそ)がしいので、力(ちから)を分(わ)ける事(こと)が出來(でき)ず、何(いづ)れ艇(てい)の竣成(しゆんせい)後(ご)、製造(せいぞう)に着手(かゝ)らうと仰(おつ)しやつて居(い)るのだが、海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)が出來上(できあが)つた上(うへ)は、一日(いちにち)も速(はや)く日本(につぽん)へ歸(かへ)つた方(ほう)がいゝ、それで、なんと、貴方(あなた)はやつて見(み)る御决心(ごけつしん)はありませんか、若(も)し貴方(あなた)が主任者(しゆにんしや)となつて、一生懸命(いつしやうけんめい)にやる積(つもり)なら、私共(わたくしども)も二三人宛(にんづゝ)は休息時間(きうそくじかん)を廢(はい)しても、交(かわ)る/″\行(い)つて働(はたら)きますぞ、すると海底戰鬪艇(かいていせんたうてい)の竣工(しゆんこう)する頃(ころ)には、鐵檻(てつおり)の車(くるま)も出來上(できあが)つて、私共(わたくしども)は直(す)ぐ其(そ)れに乘込(のりこ)んで、深山(しんざん)の奧(おく)へ行(い)つて、立派(りつぱ)に紀念塔(きねんたう)を建(た)てゝ來(く)るのだ。』
『愉快(ゆくわい)々々。』と私(わたくし)は兩手(りようて)を擧(あ)げた。櫻木海軍大佐(さくらぎかいぐんたいさ)は微笑(びせう)を帶(お)びて私(わたくし)に向(むか)ひ
『君(きみ)は進(すゝ)んで、此(この)任務(にんむ)を擔當(たんたう)しますか。』
『やります。』と私(わたくし)は斷言(だんげん)した。
自動冐險鐵車(じどうぼうけんてつしや)! あゝ此(この)前代未聞(ぜんだいみもん)なる鐵車(てつしや)の製造(せいざう)は、隨分(ぜいぶん)容易(ようゐ)な事(こと)ではあるまい。然(しか)し、私(わたくし)も一個(いつこ)の男子(だんし)である。之(これ)から二年(ねん)九ヶ月(げつ)の間(あひだ)、大佐等(たいさら)はかの驚(おどろ)く可(べ)き海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)の工作(こうさく)に着手(ちやくしゆ)して居(を)る間(あひだ)、私(わたくし)の心身(しんしん)を込(こ)めて從事(じうじ)したら、何(な)んの出來(でき)ぬ事(こと)があらう。やるやる見事(みごと)にやつて見(み)せる。
櫻木大佐(さくらぎたいさ)は痛(いた)く打悦(うちよろこ)び、
『君(きみ)に其(その)决心(けつしん)があるなら屹度(きつと)出來(でき)ます、鐵車(てつしや)の製造所(せいぞうしよ)は、我(わ)が秘密造船所(ひみつざうせんじよ)内(ない)の何處(どこ)かに設(まう)け、充分(じゆうぶん)の材料(ざいれう)は私(わたくし)の方(ほう)から供給(けうきう)し、また君(きみ)の助手(たすけて)としては、毎日(まいにち)午前(ごぜん)午後(ごゞ)に交代(かうたい)に、四名宛(めいづゝ)の水兵(すいへい)を遣(つか)はす事(こと)に致(いた)しませう。私(わたくし)も及(およ)ばずながら※事(ばんじ)[#「一/力」、220-8]に就(つ)いて助言(じよげん)を致(いた)しますよ。』といふ。
『斯(か)うなつたら、生命掛(いのちが)けでやります。』と私(わたくし)は腕(うで)を叩(たゝ)いた。
『面白(おもし)ろい/\。』と武村兵曹(たけむらへいそう)は頬鬚(ほうひげ)を撫(な)でた。
日出雄少年(ひでをせうねん)は先刻(せんこく)から、櫻木大佐(さくらぎたいさ)の傍(かたはら)に、行儀(ぎようぎ)よく吾等(われら)の談話(はなし)を聽(き)いて居(を)つたが、幼(いとけな)き心(こゝろ)にも話(はなし)の筋道(すぢみち)はよく分(わか)つたと見(み)へ、此時(このとき)可愛(かあい)らしき眼(め)を此方(こなた)に向(む)け
『あの、叔父(おぢ)さんが、鐵(てつ)の車(くるま)をお製(つくり)になるんなら、私(わたくし)も同一(いつしよ)に働(はたら)かうと思(おも)ふんです。』
『こいつは愈々(いよ/\)面白(おもしろ)くなつて來(き)た。』と武村兵曹(たけむらへいそう)は突如(いきなり)少年(せうねん)を抱上(いだきあ)げた。
櫻木海軍大佐(さくらぎかいぐんたいさ)は打笑(うちえ)[#ルビの「うちえ」は底本では「うみえ」]みながらも、聲(こゑ)爽(さわや)かに
『日出雄少年(ひでをせうねん)は鐵工(てつこう)となるより、立派(りつぱ)な海軍士官(かいぐんしくわん)となる仕度(したく)をせねばならんよ。』と武村兵曹(たけむらへいそう)の膝(ひざ)なる少年(せうねん)の房々(ふさ/″\)した頭髮(かみ)を撫(な)でやりつゝ、私(わたくし)に向(むか)ひ
『兼(かね)て承(うけたまは)る、彼(かれ)の父(ちゝ)なる濱島武文氏(はまじまたけぶみし)と、春枝夫人(はるえふじん)との志(こゝろざし)に代(かは)つて、不肖(ふせう)ながら日出雄少年(ひでをせうねん)の教育(きよういく)の任(にん)をば、之(これ)から此(この)櫻木重雄(さくらぎしげを)が引受(ひきう)けませう。』といふ。
私(わたくし)は此(この)一言(いちごん)で、忽(たちま)ち子ープルスの親友(しんゆう)や、春枝夫人(はるえふじん)の事(こと)を回想(くわいさう)した。日出雄少年(ひでをせうねん)をば眞個(しんこ)の海軍々人(かいぐんぐんじん)の手(て)に委(ゆだ)ねんとせし彼(かれ)の父(ちゝ)の志(こゝろざし)が、今(いま)や意外(いぐわい)の塲所(ばしよ)で、意外(いぐわい)の人(ひと)に依(よつ)て達(たつ)せらるゝ此(この)嬉(うれ)しき運命(うんめい)に、思(おも)はず感謝(かんしや)の涙(なみだ)は兩眼(りようがん)に溢(あふ)れた。暫時(ざんじ)室内(しつない)はシンとなると、此時(このとき)何處(いづく)とも知(し)れず「君(きみ)が代(よ)[#「君(きみ)が代(よ)」は底本では「君(きみ)か代(よ)」]」の唱歌(せうか)が靜(しづ)かなる海濱(かいひん)の風(かぜ)につれて微(かす)かに聽(きこ)える。オヤと思(おも)つて、窓外(まどのそと)を眺(なが)めると、今宵(こよひ)は陰暦(いんれき)の十三夜(や)、月明(つきあきら)かなる青水(せいすい)白沙(はくしや)の海岸(かいがん)には、大佐(たいさ)の部下(ぶか)の水兵等(すいへいら)は、晝間(ひるま)の疲勞(つかれ)を此(この)月(つき)に慰(なぐさ)めんとてや、此處(こゝ)に一羣(ひとむれ)。彼處(かしこ)に一群(ひとむれ)、詩吟(しぎん)するのもある。劍舞(けんぶ)するのもある。中(なか)に一團(いちだん)七八人(にん)の水兵等(すいへいら)は、浪(なみ)に突出(つきだ)されたる磯(いそ)の上(うへ)に睦(むつま)しく輪(わ)をなして、遙(はる)かに故國(こゝく)の天(てん)を望(のぞ)みつゝ、節(ふし)おもしろく君(きみ)が代(よ)の千代八千代(ちよやちよ)の榮(さかえ)を謳歌(おうか)して居(を)るのであつた。
『あゝ、壯快(さうくわい)、壯快(さうくわい)!。』と私(わたくし)は絶叫(ぜつけう)したよ。櫻木海軍大佐(さくらぎかいぐんたいさ)は徐(しづ)かに立上(たちあが)り
『いざ、吾等(われら)も彼處(かしこ)に行(ゆ)いて、共(とも)に大日本帝國(だいにつぽんていこく)の※歳(ばんざい)[#「一/力」、223-3]を唱(とな)へませうか。』
        *    *    *    *
      *    *    *    *
其(その)翌日(よくじつ)から、私(わたくし)は朝(あさ)は東雲(しのゝめ)の薄暗(うすくら)い時分(じぶん)から、夕(ゆふべ)は星影(ほしかげ)の海(うみ)に落(お)つる頃(ころ)まで、眞黒(まつくろ)になつて自動鐵檻車(じどうてつおりのくるま)の製造(せいぞう)に從事(じゆうじ)した。洞中(どうちう)の秘密造船所(ひみつざうせんじよ)の中(なか)では、海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)の方(ほう)でも、私(わたくし)の方(ほう)でも、鎔鐵爐(ようてつろ)、冶金爐等(やきんろとう)から※(「火+稲のつくり」、第4水準2-79-87)々(えん/\)と吹(ふ)き出(だ)す熱火(ねつくわ)の光(ひかり)は魔神(まじん)の紅舌(した)のごとく、互(たがひ)に打(うち)おろす大鐵槌(だいてつつい)の響(ひゞき)は、寂寞(じやくばく)たる洞窟(どうくつ)を鳴動(めいどう)して、朝日島(あさひじま)の海(うみ)の神樣(かみさま)も、定(さだ)めて膽(きも)を潰(つぶ)した事(こと)であらう。

    第十八回 野球競技(ベースボールマツチ)
九種の魔球(カーブ)――無邪氣な紛着――胴上げ――西と東に別れた――獅子の友呼び――手頃の鎗を捻つて――私は殘念です――駄目だんべい
 それから、一年(ねん)、二年(ねん)、三年(ねん)と、月日(つきひ)の車(くるま)は我等(われら)の仕事(しごと)の進行(すゝみ)と同(おな)じ速力(そくりよく)に※去(すぎさ)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、224-5]つて、櫻木海軍大佐(さくらぎかいぐんたいさ)が兼(かね)て豫定(よてい)した通(とう)りに、世(よ)にも驚(おどろ)く可(べ)き海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)も、今(いま)は九分九厘(くぶくりん)まで竣成(しゆんせい)し、いよ/\今(この)二月(にぐわつ)の十一日(にち)、即(すなは)ち大佐等(たいさら)の爲(ため)には此(この)朝日島(あさひじま)に上陸(じようりく)してから五度目(ごたびめ)の――私(わたくし)と日出雄少年(ひでをせうねん)とのためには三度目(さんどめ)の、紀元節(きげんせつ)の祝日(いはひのひ)を迎(むか)ふると共(とも)に、目出度(めでた)き試運轉式(しうんてんしき)を擧行(きよかう)し得(う)る迄(まで)の、歡(よろこ)ばしき運(はこ)びに到(いた)つた頃(ころ)、私(わたくし)の擔任(たんにん)の自動鐵車(じどうてつしや)も全(まつた)く出來上(できあが)つた。
今(いま)になつて回想(かんがへ)ると、三年(ねん)の月日(つきひ)もさて/\速(はや)いものだ。本國(ほんごく)から數千里(すうせんり)距(へだ)たつた此(この)印度洋(インドやう)中(ちう)の孤島(こたう)にあつて、隨分(ずゐぶん)故郷(こきよう)の空(そら)の懷(なつ)かしくなつた事(こと)も度々(たび/\)あつた――昔(むかし)の友人(ともだち)の事(こと)や――品川灣(しながはわん)の朝景色(あさげしき)や――上野淺草(うへのあさくさ)邊(へん)の繁華(にぎやか)な町(まち)の事(こと)や――新橋(しんばし)の停車塲(ステーシヨン)の事(こと)や――回向院(ゑこうゐん)の相撲(すまふ)の事(こと)や――神樂坂(かぐらざか)の縁日(えんにち)の事(こと)や――萬(よろづ)朝報(てうほう)の佛蘭西(フランス)小説(せうせつ)の事(こと)や――錦輝舘(きんきくわん)の政談(せいだん)演説(えんぜつ)の事(こと)や――芝居(しばゐ)の事(こと)や浪花節(なにはぶし)の事(こと)や、それから又(ま)た自分(じぶん)が學校時代(がくかうじだい)によく進撃(しんげき)した藪(やぶ)そばや梅月(ばいげつ)の事(こと)や、其他(そのほか)樣々(さま/″\)な事(こと)を懷想(くわいさう)して、翼(つばさ)あらば飛(と)んでも行(ゆ)きたいまで日本(につぽん)の戀(こひ)しくなつた事(こと)も度々(たび/\)あつたが、然(しか)し比較的(ひかくてき)に※去(くわこ)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、225-7]の三年(ねん)は私(わたくし)の爲(ため)には凌(しの)ぎ易(やす)かつたよ、イヤ、其間(そのあひだ)には隨分(ずゐぶん)、諸君(しよくん)には想像(さうざう)も出來(でき)ない程(ほど)、面白(おもしろ)い事(こと)も澤山(たくさん)あつた。獅子狩(しゝがり)は何(な)んでも十幾遍(いくへん)か催(もよう)されたが例(いつ)も武村兵曹(たけむらへいそう)の大功名(だいこうめう)であつた。また或(ある)時(とき)は海岸(かいがん)の家(いへ)の直(す)ぐ後(うしろ)の森(もり)へ、大鷲(おほわし)が巣(す)を營(いとな)んで居(を)るのを見付(みつ)けて、其(その)卵子(たまご)を捕(と)りに行(い)つて酷(ひど)い目(め)に遭遇(でつくわ)した事(こと)もある。毎日(まいにち)/\晨(あした)に星(ほし)を戴(いたゞ)いて大佐等(たいさら)と共(とも)に家(いへ)を出(い)で、終日(しうじつ)海底(かいてい)の造船所(ざうせんじよ)の中(なか)で汗水(あせみづ)を流(なが)して、夕暮(ゆふぐれ)靜(しづ)かな海岸(かいがん)を歸(かへ)つて來(く)ると、日出雄少年(ひでをせうねん)と猛犬(まうけん)の稻妻(いなづま)とは屹度(きつと)途中(とちう)まで迎(むかへ)に來(き)て居(を)る、それから暑(あつ)い時(とき)には家(いへ)の後(うしろ)を流(なが)れて居(を)る清流(せいりう)で身體(からだ)を清(きよ)め、凉(すゞ)しい時(とき)には留守居(るすゐ)の水兵(すいへい)や日出雄少年(ひでをせうねん)が凖備(ようゐ)して呉(く)れる此(この)孤島(しま)には不相應(ふさうおう)に奇麗(きれい)な浴湯(よくたう)へ入(はい)つて、頓(やが)て樂(たの)しい夕食(ゆふしよく)も終(をは)ると、此邊(このへん)は熱帶國(ねつたいこく)の常(つね)とて、年中(ねんちう)日(ひ)が長(なが)いので、食後(しよくご)一時間(じかん)ばかりは大佐(たいさ)をはじめ一同(いちどう)海邊(かいへん)に出(い)でゝ戸外運動(こぐわいうんどう)に耽(ふけ)るのである。庭球(ローンテニス)もある、「クリツケツト」もある、射的塲(しやてきば)もある、相撲(すまふ)の土俵(どひやう)もある、いづれも櫻木大佐(さくらぎたいさ)が日本(につぽん)を出(い)づる前(まへ)から、かゝる孤島(こたう)の生活中(せいくわつちう)、一同(いちどう)の無聊(むれう)を慰(なぐさ)めんが爲(た)めに凖備(じゆんび)して來(き)た事(こと)とて「テニス、コード」も射的塲(しやてきば)も仲々(なか/\)整頓(せいとん)したものである、然(しか)し、此(この)島(しま)で一番(いちばん)流行(はや)るのは端艇競漕(ボートレース)と野球競技(ベースボール)とであつた。端艇競漕(ボートレース)は本職(ほんしよく)の事(こと)だから流行(はや)るのも無理(むり)は無(な)いが、大事(かんじん)の端艇(ボート)は甞(かつ)て起(おこ)つた大颶風(だいぐふう)の爲(た)めに大半(たいはん)紛失(ふんしつ)[#ルビの「ふんしつ」は底本では「ふんじつ」]してしまつたので、今(いま)殘(のこ)つて居(を)るのは「ギク」一隻(さう)、「カツター」二隻(さう)で、櫂(オール)も餘程(よほど)不揃(ふぞろひ)[#ルビの「ふぞろひ」は底本では「ぶぞろひ」]なので、とても面白(おもしろ)い競漕(きやうそう)などは出來(でき)ない、時々(とき/″\)やつて見(み)たが、「ハンデー」やら其他(そのほか)樣々(さま/″\)の遣繰(やりくり)やらで、いつも無邪氣(むじやき)な紛着(もんちやく)が起(おこ)つて、墨田川(すみだがは)の競漕(きやうそう)の樣(やう)に立派(りつぱ)には行(ゆ)かぬのである。野球(ボール)は其樣(そん)な災難(さいなん)が無(な)いから、毎日(まいにち)/\盛(さか)んなものだ[#「盛(さか)んなものだ」は底本では「盛(さか)んなものた」]、丁度(ちやうど)海岸(かいがん)の家(いへ)から一町(ちやう)程(ほど)離(はな)れて、不思議(ふしぎ)な程(ほど)平坦(たいらか)な芝原(しばはら)の「ゲラウンド」があるので、其處(そこ)で「アウト」「ストライキ」の聲(こゑ)は夕暮(ゆふぐれ)の空(そら)に響(ひゞ)いて、審判者(アンパイヤー)の上衣(うはぎ)の一人(ひとり)黒(くろ)いのも目立(めだ)つて見(み)える。櫻木大佐(さくらぎたいさ)は今年(ことし)三十三歳(さい)、身(み)は海軍大佐(かいぐんたいさ)であるが、日本人(につぽんじん)には珍(めづ)らしい迄(まで)かゝる遊戯(スポルト)を嗜好(すきこの)んで、また仲々(なか/\)達者(たつしや)である、昔(むかし)は投手(ピツチ)の大撰手(チヤンピオン)として、雄名(ゆうめい)其(その)仲間(なかま)には隱(かく)れもなかつた相(さう)な、今(いま)も其(その)面影(おもかげ)が殘(のこ)つて、此(この)朝日島(あさひたう)中(ちう)、武村兵曹(たけむらへいそう)と私(わたくし)とを除(のぞ)いたら其(その)次(つぎ)の撰手(チヤンピオン)と云(い)つてもよからう、私(わたくし)は世界(せかい)漫遊(まんゆう)以來(いらい)久(ひさ)しく「ボール」を手(て)にせぬから餘程(よほど)技倆(ぎりよう)も落(お)ちたらうが、それでも遊撃手(シヨルトストツプ)の位置(ゐち)に立(た)たせたら本國(ほんごく)横濱(よこはま)のアマチユーア倶樂部(くらぶ)の先生(せんせい)方(がた)には負(ま)けぬ積(つもり)で御坐(ござ)る。武村兵曹(たけむらへいそう)の技倆(ぎりよう)はまた格別(かくべつ)で、何處(どこ)で練習(れんしう)したものか、鐵(てつ)の樣(やう)な腕(うで)から九種(こゝのつ)の魔球(カーブ)を捻(ひね)り出(だ)す[#「捻(ひね)り出(だ)す」は底本では「捻(ひね)り出(だ)ず」]工合(ぐあひ)は悽(すさ)まじいもので、兵曹(へいそう)を投手(ピツチ)にすると敵手(あひて)になる組(くみ)はなく、また打棒(バツト)が折(を)れて/\堪(たま)らぬので、此頃(このごろ)では大概(たいがい)左翼(レフト)の方(ほう)へ廻(まは)して居(を)るが、先生(せんせい)其處(そこ)からウンと力(ちから)を込(こ)めて熱球(ダイレクト)を投(な)げると、其(その)球(たま)がブーンと捻(うな)り聲(ごゑ)を放(はな)つて飛(と)んで來(く)る有樣(ありさま)、イヤ其(その)球(たま)が頭(あたま)へでも當(あた)つたら、此世(このよ)の見收(みをさ)めだと思(おも)ふと、氣味(きみ)が惡(わる)くて仲々(なか/\)手(て)も出(だ)せない程(ほど)である。大佐等(たいさら)一行(いつかう)が此(この)島(しま)へ來(き)たのは私(わたくし)より餘程(よほど)前(まへ)で、其(その)留守中(るすちう)、米國軍艦(べいこくぐんかん)「オリンピヤ」號(がう)が横濱(よこはま)へやつて來(き)て、音(おと)に名高(なだか)き、チヤーチの熱球(ねつきゆう)、魔球(まきゆう)が、我國(わがくに)野球界(やきゆうかい)の覇王(はわう)ともいふ可(べ)き第(だい)一高等學校(かうとうがくかう)の撰手(せんしゆ)を打破(うちやぶ)つた事(こと)は、私(わたくし)が此(この)島(しま)へ漂着(へうちやく)する半年(はんとし)程(ほど)前(まへ)、英國(えいこく)倫敦(ろんどん)でちらと耳(みゝ)にした、之(こ)れはもう今(いま)から三四年(ねん)も前(まへ)の事(こと)だが、實(じつ)に殘念(ざんねん)な次第(しだい)である。其後(そのゝち)一高軍(いつかうぐん)は物(もの)の見事(みごと)に復讎(ふくしゆう)を遂(と)げたであらうが、若(も)し未(いま)だならば私(わたくし)は竊(ひそ)かに希望(きぼう)して居(を)るのである、他日(たじつ)我等(われら)が此(この)孤島(こたう)を去(さ)つて日本(につぽん)へ歸(かへ)つた後(のち)、武村兵曹(たけむらへいそう)若(も)し軍艦(ぐんかん)に乘(じやう)じ、又(また)は大佐(たいさ)の電光艇(でんくわうてい)と共(とも)に世界(せかい)の各港(かくかう)を廻(めぐ)り、一度(ひとたび)北亞米利加(きたアメリカ)の沿岸(えんがん)に到(いた)つたならば、晩香坡(ヴワンクーバー)の南街公園(サウサルンストレートパーク)に於(おい)て、若(もし)くば黄金門(ゴルデンゲート)の光(ひかり)輝(かゞや)く桑港(サンフランシスコ)の廣野(ひろば)に於(おい)て――何處(いづく)にてもよし、其處(そこ)に米艦(べいかん)「オリンピヤ」號(がう)の投錨(とうべう)せるを見(み)ば、此方(こなた)武村兵曹(たけむらへいそう)を投手(ピツチ)として、彼方(かなた)音(おと)に名高(なだか)きチヤーチの一軍(いちぐん)と華々(はな/″\)しき勝敗(しようはい)を决(けつ)せんことを。敵(てき)は米國軍艦(べいこくぐんかん)、我(われ)は帝國軍艦(ていこくぐんかん)、水雷(すいらい)砲火(ほうくわ)ならぬ陸上(りくじやう)の運動(うんどう)をもつて互(たがひ)に挑(いど)み鬪(たゝか)ふも亦(ま)た一興(いつきよう)であらうと思(おも)ふ。
日出雄少年(ひでをせうねん)は如何(いか)に! 少年(せうねん)も亦(ま)た我等(われら)の遊(あそび)仲間(なかま)である。何時(いつ)でも第(だい)一に其(その)運動塲(うんどうじやう)に驅(か)けて行(ゆ)くのは彼(かれ)だ、其(その)身體(しんたい)の敏捷(びんしやう)に動(うご)く事(こと)とどんな痛(いた)い目(め)にも痛(いた)い顏(かほ)をせぬ事(こと)と、それから極(ご)く記臆力(きおくりよく)が強(つよ)く、規則(ルール)[#ルビの「ルール」は底本では「レール」]などは直(す)ぐ覺(おぼ)えてしまうので、武村兵曹(たけむらへいそう)は此(この)兒(こ)將來(しやうらい)は非常(ひじやう)に有望(いうぼう)な撰手(せんしゆ)であると語(かた)つたが啻(たゞ)に野球(やきゆう)ばかりではなく彼(かれ)は※去(くわこ)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、230-6]三年(ねん)の間(あひだ)、櫻木海軍大佐(さくらぎかいぐんたいさ)の嚴肅(げんしゆく)なる、且(か)つ慈悲(じひ)深(ふか)き手(て)に親(した)しく薫陶(くんとう)された事(こと)とて、今年(ことし)十二歳(さい)の少年(せうねん)には珍(めづ)らしき迄(まで)に大人似(おとなび)て、氣象(きしよう)の凛々(りゝ)しい、擧動(きよどう)の沈着(ちんちやく)な、まるで、小櫻木大佐(せうさくらぎたいさ)を茲(こゝ)に見(み)るやうな、雄壯(をゝ)しき少年(せうねん)とはなつた。少年(せうねん)は端艇(たんてい)、野球等(やきゆうとう)の他(ほか)、暇(ひま)があると石(いし)を投(な)げる、樹(き)に登(のぼ)る、猛犬稻妻(まうけんいなづま)を曳(ひき)つれて野山(のやま)を驅(か)けめぐる、其爲(そのため)に體格(たいかく)は非常(ひじやう)に見事(みごと)に發達(はつたつ)して、以前(いぜん)には人形(にんぎよう)のやうに奇麗(きれい)であつた顏(かほ)の、今(いま)は少(すこ)しく色(いろ)淺黒(あさぐろ)くなつて、それに口元(くちもと)キリ、と締(しま)り、眼(め)のパツチリとした樣子(やうす)は、何(なに)とも云(い)へず勇(いさ)ましい姿(すがた)、此後(このゝち)機會(きくわい)が來(き)て、彼(かれ)が父君(ちゝぎみ)なる濱島武文(はまじまたけぶみ)に再會(さいくわい)した時(とき)、父(ちゝ)は如何(いか)に驚(おどろ)くだらう。またかの天女(てんによ)の如(ごと)き春枝夫人(はるえふじん)が、萬一(まんいち)にも無事(ぶじ)であつて、此(この)勇(いさ)ましい姿(すがた)を見(み)たならば、どんなに驚(おどろ)き悦(よろこ)ぶ事(こと)であらう。
今(いま)や本島(ほんとう)の主人公(しゆじんこう)なる櫻木海軍大佐(さくらぎかいぐんたいさ)の健康(けんこう)は言(い)ふ迄(まで)もなく、此頃(このごろ)では殆(ほとん)ど終日(しうじつ)終夜(しうや)を、秘密造船所(ひみつぞうせんじよ)の中(なか)で送(おく)つて居(を)る。武村兵曹(たけむらへいそう)は相變(あひかは)らず淡白(たんぱく)[#ルビの「たんぱく」は底本では「たぱく」]で、慓輕(へうきん)で、其他(そのほか)三十有餘名(いうよめい)の水兵等(すいへいら)も一同(いちどう)元氣(げんき)よく、大(だい)なる希望(きぼう)の日(ひ)を待望(まちのぞ)みつゝ、勤勉(きんべん)に働(はたら)いて居(を)る。
かゝる喜(よろこ)ばしき境遇(きやうぐう)の間(あひだ)に、首尾(しゆび)よく竣成(しゆんせい)した自動鐵檻車(じどうてつおりぐるま)は、終(つひ)に洞中(どうちう)の工作塲(こうさくば)を出(で)た。例(れい)の屏風岩(べうぶいは)の上(うへ)から直(たゞ)ちに運轉(うんてん)を試(こゝろ)みて見(み)ると最良(さいりよう)の結果(けつくわ)で、號鈴(がうれい)リン/\と鳴(な)りひゞき、不思議(ふしぎ)なる機關(きくわん)の活溌(くわつぱつ)なる運轉(うんてん)に從(したが)つて十二個(こ)の外車輪(ぐわいしやりん)が、岩(いは)を噛(か)み、泥(どろ)を蹴(け)つて疾走(しつさう)する有樣(ありさま)は、吾(われ)ながら見事(みごと)に思(おも)はるゝばかり、暫時(しばし)喝采(かつさい)の聲(こゑ)は止(や)まなかつた。忽(たちま)ち何人(だれ)の發聲(おんど)にや、一團(いちだん)の水兵等(すいへいら)はバラ/\と私(わたくし)の周圍(めぐり)に走寄(はしりよ)つて『鐵車(てつしや)萬歳(ばんざい)々々々々。』と私(わたくし)の胴上(どうあ)げを始(はじ)めた。萬歳(ばんざい)は難有(ありがた)いが、鬼(おに)とも組(く)まんず荒男(あらくれをとこ)が、前後左右(ぜんごさゆう)からヤンヤヤンヤと揉上(もみあ)げるので、其(その)苦(くる)しさ、私(わたくし)は呼吸(いき)が止(と)まるかと思(おも)つた。
斯(か)うなると、一刻(いつこく)も眤(じつ)として居(を)られぬのは武村兵曹(たけむらへいそう)である。腕拱(うでこまぬ)いて、一心(いつしん)に鐵檻車(てつおりぐるま)の運轉(うんてん)を瞻(なが)めて居(を)つたが、忽(たちま)ち大聲(たいせい)に
『やあ、うまい/\、でも[#「でも」は底本では「ても」]よく動(うご)くわい、もう遲々(ぐず/\)しては居(を)られない。』と急(きふ)に走(はし)つて行(い)つて、此時(このとき)既(すで)に出來上(できあが)つて居(を)つた紀念塔(きねんたふ)を引擔(ひつかつ)いで來(き)た。塔(たう)は高(たか)さ三尺(じやく)五寸(すん)、三尖方形(さんせんほうけい)の大理石(だいりせき)で、其(その)滑(なめらか)なる表面(ひやうめん)には「大日本帝國新領地朝日島(だいにつぽんていこくしんりようちあさひとう)」なる十一字(じ)が深(ふか)く刻(きざ)まれて、塔(たふ)の裏面(うら)には、發見(はつけん)の時日(じじつ)と、發見者(はつけんしや)櫻木海軍大佐(さくらぎかいぐんたいさ)の名(な)とが、明(あきらか)に記銘(しる)されて居(を)るのだ。塔(たう)を擔(かつ)いで來(き)た武村兵曹(たけむらへいそう)は息(いき)を切(き)らしながら大佐(たいさ)に向(むか)ひ
『大佐閣下(たいさかつか)、鐵車(てつしや)も見事(みごと)に出來(でき)ましたれば、善(ぜん)は急(いそ)げで今(いま)から直(す)ぐと紀念塔(きねんたふ)を建(た)てに出發(しゆつぱつ)しては如何(どう)でせう、すると氣(き)も晴々(はれ/″\)しますから。』
大佐(たいさ)は滿面(まんめん)に笑(えみ)を堪(たゝ)へつゝ
『無論(むろん)躊躇(ちうちよ)する必要(ひつえう)はない、我(わ)が海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)も、今日(けふ)から十日目(かめ)の紀元節(きげんせつ)の當日(たうじつ)には、試運轉式(しうんてんしき)を行(おこな)ひ、其後(そのゝち)一週間(いつしゆうかん)以内(いない)には、總(すべ)ての凖備(じゆんび)を終(をは)つて、本島(ほんとう)を出發(しゆつぱつ)する豫定(よてい)だから、紀念塔(きねんたう)の建立(けんりつ)も其(その)以前(いぜん)に終(をは)らねば――。』と言(い)ひかけて私(わたくし)に向(むか)ひ
『其處(そこ)で、明日(あす)午前(ごぜん)六時(ろくじ)を以(もつ)て、鐵檻車(てつおりぐるま)の出發(しゆつぱつ)の時刻(じこく)と定(さだ)めませう、之(これ)から三十里(り)の深山(しんざん)に達(たつ)するに、鐵車(てつしや)の平均速力(へいきんそくりよく)が一時間(じかん)に二里(り)半(はん)として、往途(ゆき)に二日(ふつか)、建塔(けんたう)の爲(た)めに一日(にち)、歸途(きと)二日(ふつか)、都合(つごふ)五日目(いつかめ)には、鐵車(てつしや)再(ふたゝ)び此處(こゝ)へ皈(かへ)つて、共(とも)に萬歳(ばんざい)を唱(とな)へる事(こと)が出來(でき)ませう。』
『あゝ。明朝(あすのあさ)まで待(ま)つのですか。』と武村兵曹(たけむらへいそう)は口(くち)をむくつかせたが、忽(たちま)ちポンと掌(たなごゝろ)を叩(たゝ)いて
『おゝ、それも左樣(さう)だ、私(わたくし)の考通(かんがへどう)りにも行(い)かないな、之(これ)から糧食(かて)を積入(つみい)れたり、飮料水(のみゝづ)の用意(ようゐ)をしたりして居(を)ると、矢張(やはり)出發(しゆつぱつ)は明朝(あすのあさ)になるわい。』と獨言(ひとりご)つ、此(この)男(をとこ)例(いつ)もながら慓輕(へうきん)な事(こと)よ。
鐵車(てつしや)が、いよ/\永久紀念塔(えいきゆうきねんたふ)を深山(しんざん)の頂(いたゞき)に建(た)てんが爲(た)めに、此處(こゝ)を出發(しゆつぱつ)するのは明朝(めうてう)午前(ごぜん)六時(ろくじ)と定(さだま)つたが、櫻木海軍大佐(さくらぎかいぐんたいさ)は、海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)の運轉式(うんてんしき)も間近(まぢか)に迫(せま)つて居(を)るので、一日(いちにち)も此塲(このば)を立去(たちさ)る事(こと)叶(かな)はねば、そこで私(わたくし)と、日出雄少年(ひでをせうねん)と、武村兵曹(たけむらへいそう)と、他(た)に二名(にめい)の水兵(すいへい)とが、鐵車(てつしや)に乘組(のりく)む事(こと)になつた。猛犬稻妻(まうけんいなづま)も日出雄少年(ひでをせうねん)の懇望(こんもう)で、此(この)冐險旅行(ぼうけんりよかう)に隨(したが)ふ事(こと)になつた。
それより、鐵車(てつしや)に紀念塔(きねんたふ)を積入(つみい)れ、小銃(せうじう)、彈藥(だんやく)、飮料水(いんりようすい)、糧食等(りようしよくなど)の用意(ようゐ)に日(ひ)を暮(くら)して、さて其(その)翌日(よくじつ)となると、吾等(われら)撰任(せんにん)されたる五名(ごめい)は未明(みめい)に起床(おきい)でゝ鐵車(てつしや)へ乘組(のりく)んだ。頓(やが)て鐵車(てつしや)は勢(いきほひ)よく進行(しんかう)を始(はじ)めると、櫻木大佐(さくらぎたいさ)をはじめ三十餘名(よめい)の水兵(すいへい)共(ども)は歡呼(くわんこ)を擧(あ)げて、十數町(すうちやう)の間(あひだ)吾等(われら)の首途(かどで)を見送(みおく)つて呉(く)れたが、遂(つひ)に、唯(と)ある丘陵(をか)の麓(ふもと)で別(わかれ)を告(つ)げ、吾等(われら)は東(ひがし)へ、彼等(かれら)は西(にし)へ、其(その)丘(をか)の中腹(ちうふく)にて、櫻木大佐等(さくらぎたいさら)が手巾(ハンカチーフ)を振(ふ)り、帽子(ぼうし)を動(うご)かして居(を)る姿(すがた)も、頓(やが)て椰子(やし)や橄欖(かんらん)の葉(は)がくれに見(み)えずなると、それから鐵車(てつしや)は全速力(ぜんそくりよく)に、野(の)と云(い)はず山(やま)と云(い)はず突進(つきすゝ)む、神變(しんぺん)不思議(ふしぎ)なる自動鐵車(じどうてつしや)の構造(こうぞう)は、今更(いまさら)管々(くだ/″\)しく述立(のべた)てる必要(ひつえう)もあるまい、森林(しんりん)を行(ゆ)く時(とき)は、旋廻圓鋸機(せんくわいえんきよき)と、自動鉞(じどうまさかり)との作用(さよう)で、路(みち)を切開(きりひら)き、山(やま)を登(のぼ)るには、六個(ろくこ)の齒輪車(しりんしや)と揚上機(やうじやうき)、遞進機(ていしんき)の働(はたらき)で、地(ち)を噛(か)み、石(いし)を碎(くだ)いて進行(しんかう)するのだ。大約(おほよそ)道(みち)の四五里(しごり)も進(すゝ)んだと思(おも)ふ處(ところ)から山(やま)は益々(ます/\)深(ふか)くなり、路(みち)はだん/\と險阻(けんそ)[#ルビの「けんそ」は底本では「けそ」]になつたが、元氣(げんき)なる武村兵曹(たけむらへいそう)は、何(な)んでも日沒(ひぐれ)までには二十里(り)以上(いじやう)を進(すゝ)まねばならぬと勇(いさ)み立(た)つ。
山(やま)に入(い)ると、直(たゞ)ちに猛獸(まうじう)毒蛇(どくじや)の襲撃(しふげき)に出逢(であ)ふだらうとは兼(かね)ての覺悟(かくご)であつたが、此時(このとき)まで其樣(そん)な模樣(もやう)は少(すこ)しも見(み)えなかつた。四隣(しりん)は氣味(きみ)の惡(わる)い程(ほど)物靜(ものしづか)で、たゞ車輪(しやりん)の輾(きし)る音(おと)と、折(をり)ふし寂寞(じやくばく)とした森林(しんりん)の中(なか)から、啄木鳥(たくぽくてう)がコト/\と、樹(き)の幹(みき)を叩(たゝ)く音(おと)とが際立(きわだ)つて聽(きこ)ゆるのみであつたが、鐵車(てつしや)は進(すゝ)み進(すゝ)んで、今(いま)や唯(と)ある深林(しんりん)の邊(へん)に差掛(さしかゝ)つた時(とき)、日出雄少年(ひでをせうねん)[#ルビの「ひでをせうねん」は底本では「びでをせうねん」]は急(きふ)に私(わたくし)の袖(そで)を引(ひ)いた。
『獅子(しゝ)が/\。』
『獅子(しゝ)が? 何處(どこ)に?。』と一同(いちどう)は屹(きつ)となつて、其(その)指(ゆびさ)す方(かた)を眺(なが)めると、果(はた)して百(ひやく)ヤード許(ばかり)離(はな)れたる日當(ひあた)りのよき草(くさ)の上(うへ)に、一頭(いつとう)の巨大(きよだい)なる雄獅子(をじゝ)が横(よこたは)つて居(を)つたが、鐵車(てつしや)の響(ひゞき)に忽(たちま)ちムツクと起上(おきあが)り、一聲(いつせい)高(たか)く吼(ほ)えた。
『獅子(しゝ)の友呼(ともよ)び!。』と一名(いちめい)の水兵(すいへい)は※(「口+耳」、第3水準1-14-94)(さゝや)いた。成程(なるほど)遠雷(えんらい)の如(ごと)き叫聲(さけびごゑ)が野山(のやま)に響渡(ひゞきわた)ると、忽(たちま)に其處(そこ)の森(もり)からも、彼處(かしこ)の岩陰(いはかげ)からも三頭(さんとう)五頭(ごとう)と猛獸(まうじう)は群(ぐん)をなして現(あら)はれて來(き)た。獅子(しゝ)、虎(とら)、猛狒等(ゴリラなど)いづれも此(この)不思議(ふしぎ)なる鐵檻(てつおり)の車(くるま)に一時(いちじ)は喫驚(びつくり)したのであらう、容易(ようゐ)に手(て)を出(いだ)さない。
日出雄少年(ひでをせうねん)は壯快(さうくわい)なる聲(こゑ)を擧(あ)げて
『叔父(をぢ)さん/\、獅子(しゝ)なんかの方(ほう)では、屹度(きつと)私共(わたくしども)を怪物(ばけもの)だと思(おも)つて居(ゐ)るんでせうよ。』と叫(さけ)んだが全(まつた)く左樣(さう)かも知(し)れぬ 暫時(しばし)は其處此處(そここゝ)の木(こ)の間(ま)かくれに、脊(せ)を高(たか)くし、牙(きば)を鳴(な)らして此方(こなた)を睨(にら)んで居(を)つたが、それも僅(わづ)かの間(あひだ)で、獅子(しゝ)は百獸(ひやくじう)の王(わう)と呼(よ)ばるゝ程(ほど)あつて、極(きわ)めて猛勇(まうゆう)なる動物(どうぶつ)で、此時(このとき)一聲(いつせい)高(たか)く叫(さけ)んで、三頭(さんとう)四頭(しとう)鬣(たてがみ)を鳴(な)らして鐵車(てつしや)に飛掛(とびかゝ)つて來(き)た。鐵車(てつしや)は其樣(そん)な事(こと)ではビクともしない、反對(はんたい)に獸(じう)を彈飛(はじきとば)すと、百獸(ひやくじう)の王樣(わうさま)も團子(だんご)のやうに草(くさ)の上(うへ)を七顛八倒(しちてんばつたう)。吾等(われら)一同(いちどう)はドツと笑(わら)つた。虎(とら)は比較的(ひかくてき)愚(おろか)な動物(どうぶつ)で、憤然(ふんぜん)身(み)を躍(をど)らして、鐵車(てつしや)の前方(ぜんぽう)から飛付(とびつ)いたから堪(たま)らない、恐(おそ)る可(べ)き旋廻圓鋸機(せんくわいえんきよき)のために、四肢(しゝ)や、腹部(ふくぶ)を引裂(ひきさ)かれて、苦鳴(くめい)をあげて打斃(うちたを)れた。最(もつと)も狡猾(こうくわつ)なるは猛狒(ゴリラ)である。古木(こぼく)の樣(やう)な醜(みにく)き腕(うで)を延(のば)して、鐵車(てつしや)の檻(おり)を引握(ひきつか)み、力任(ちからまか)せに車(くるま)を引倒(ひきたほ)さんとするのである。猛犬稻妻(まうけんいなづま)は猛然(まうぜん)として其(その)手(て)に噛(か)み付(つ)いた。
『此奴(こやつ)、生意氣(なまいき)!。』と水兵(すいへい)は叫(さけ)んだ。
『それ發射(はつしや)!。』と私(わたくし)が叫(さけ)ぶ瞬間(しゆんかん)、日出雄少年(ひでをせうねん)は隙(すか)さず三發(さんぱつ)まで小銃(せうじう)を發射(はつしや)したが、猛狒(ゴリラ)は平氣(へいき)だ。武村兵曹(たけむらへいそう)大(おほい)に怒(いか)つて
『此(この)畜類(ちくるゐ)、まだ往生(わうじやう)しないか。』と、手頃(てごろ)の鎗(やり)を捻(ひね)つて其(その)心臟(しんぞう)を貫(つらぬ)くと、流石(さすが)の猛獸(まうじう)も堪(たま)らない、雷(いかづち)の如(ごと)く唸(うな)つて、背部(うしろ)へドツと倒(たを)れた。
『愉快(ゆくわい)々々、世界一(せかいいち)の王樣(わうさま)だつて、此樣(こん)な面白(おもしろ)い目(め)は見(み)られるものでない。』と水兵(すいへい)共(ども)は雀躍(じやくやく)した。日出雄少年(ひでをせうねん)は猛狒(ゴリラ)の死骸(しがい)を流盻(ながしめ)に見(み)やりて
『それでも、私(わたくし)は殘念(ざんねん)です、猛狒(ゴリラ)は私(わたくし)の鐵砲(てつぽう)では死(し)にませんもの。』と不平顏(ふへいがほ)。
『何(なに)、左樣(さう)でない、此(この)獸(じう)は泥土(どろ)と、松脂(まつやに)とで、毛皮(けがわ)を鐵(てつ)のやうに固(かた)めて居(を)るのだから、小銃(せうじう)の彈丸(たま)位(ぐらい)では容易(ようゐ)に貫(つらぬ)く事(こと)が出來(でき)ないのさ。』と私(わたくし)は慰(なぐさ)めた。
此(この)大騷動(だいさうどう)の後(のち)は、猛獸(まうじう)も我等(われら)の手並(てなみ)を恐(おそ)れてか、容易(ようゐ)に近(ちか)づかない、それでも此處(こゝ)を立去(たちさ)るではなく、四五間(しごけん)を距(へだ)てゝ遠卷(とほまき)に鐵檻(てつおり)の車(くるま)を取圍(とりま)きつゝ、猛然(まうぜん)と吼(ほ)えて居(を)る。慓輕(へうきん)なる武村兵曹(たけむらへいそう)は大口(おほぐち)開(あ)いてカラ/\と笑(わら)ひ
『ヤイ、ヤイ、畜類(ちくるい)、其樣(そんな)に吾等(おいら)の肉(にく)が美味(うま)相(さう)に見(み)えるのか。』とつか/\鐵檻(てつおり)の近(ちか)くに進(すゝ)み寄(よ)り
『それ此(この)拳骨(げんこつ)でも喰(くら)へ。』と大膽(だいたん)にも鐵拳(てつけん)を車外(しやぐわい)に突出(つきだ)し、猛獸(まうじう)怒(いか)つて飛付(とびつ)いて來(く)る途端(とたん)ヒヨイと其(その)手(て)を引込(ひきこ)まして
『だ、だ、駄目(だめ)だんべい。』

    第十九回 猛獸隊(まうじうたい)
自然の殿堂――爆裂彈――エンヤ/\の掛聲――片足の靴――好事魔多し――砂滑りの谷、一名死の谷――深夜の猛獸――かゞり火
 暫時(しばらく)して、吾等(われら)はまた奇妙(きめう)なものを見(み)た。それは此(この)深山(しんざん)に棲(す)んで居(を)る白頭猿(はくとうえん)と呼(よ)ばるゝ、極(きわ)めて狡猾(こうくわつ)な猴(さる)の一種(いつしゆ)で、一群(いちぐん)凡(およ)そ三十疋(ぴき)ばかりが、數頭(すうとう)の巨大(きよだい)な象(ぞう)の背(せ)に跨(またが)つて、丁度(ちやうど)アラビヤの大沙漠(だいさばく)を旅行(りよかう)する隊商(たいしやう)のやうに、彼方(かなた)の山背(やまかげ)からぞろ/\と現(あら)はれて來(き)たが、我(わ)が鐵車(てつしや)を見(み)るや否(いな)や非常(ひじやう)に驚愕(おどろ)いて、奇聲(きせい)を放(はな)つて、向(むか)ふの深林(しんりん)の中(なか)へと逃(に)げ失(う)せた。かくて當日(このひ)は、二十里(り)近(ちか)く進(すゝ)んで日(ひ)が暮(く)れたので、夜(よる)は鐵車(てつしや)をば一(いち)大樹(だいじゆ)の下蔭(したかげ)に停(とゞ)めて、終夜(しうや)篝火(かゞりび)を焚(た)き、二人(ふたり)宛(づゝ)交代(こうたい)に眠(ねむ)る積(つもり)であつたが、怒(いか)り叫(さけ)ぶ猛獸(まうじう)の聲(こゑ)に妨(さまた)げられて、安(やす)らかな夢(ゆめ)を結(むす)んだ者(もの)は一人(ひとり)も無(な)かつた。翌朝(よくあさ)は薄暗(うすくら)い内(うち)から此處(こゝ)を出發(しゆつぱつ)した。初(はじめ)の間(あひだ)は矢張(やはり)昨日(きのふ)と同(おなじ)く、數百頭(すうひやくとう)の猛獸(まうじう)は隊(たい)をなして、鐵車(てつしや)の前後(ぜんご)に隨(したが)つて追撃(ついげき)して來(き)たが、其中(そのうち)には疲勞(つかれ)のために逃去(にげさ)つたのもあらう、また吾等(われら)が絶(た)えず發射(はつしや)する彈丸(だんぐわん)のために、傷(きづゝ)き斃(たを)れたのも少(すくな)くない樣子(やうす)で、此(この)日(ひ)も既(すで)に十二三里(り)許(ばかり)進(すゝ)みて、海岸(かいがん)なる櫻木大佐(さくらぎたいさ)の住家(すみか)からは、確(たし)かに三十里(り)以上(いじやう)距(へだゝ)つたと思(おも)はるゝ一(ある)高山(かうざん)の絶頂(ぜつてう)に達(たつ)した時(とき)には、其(その)數(かず)も餘程(よほど)減(げん)じて、まだ執念深(しゆうねんぶか)く鐵車(てつしや)の四邊(あたり)を徘徊(はいくわい)して居(を)るのは、二十頭(とう)許(ばかり)の雄獅子(をじゝ)と、三頭(さんとう)の巨大(きよだい)なる猛狒(ゴリラ)とのみであつた。
此(この)高山(かうざん)は、風景(ふうけい)極(きわ)めて美(うる)はしく、吾等(われら)の達(たつ)したる頂(いたゞき)は、三方(さんぽう)巖石(がんせき)が削立(せうりつ)して、自然(しぜん)に殿堂(でんどう)の形(かたち)をなし、かゝる紀念塔(きねんたふ)を建(た)つるには恰好(かつこう)の地形(ちけい)だから、遂(つひ)に此處(こゝ)に鐵車(てつしや)を停(とゞ)めた。時(とき)は午後(ごゞ)二時(じ)四十五分(ふん)、今(いま)から紀念塔(きねんたふ)を建立(けんりつ)するのである。
『用意(ようゐ)!。』と武村兵曹(たけむらへいそう)が叫(さけ)ぶと、二名(にめい)の水兵(すいへい)は車中(しやちう)の大旅櫃(だいトランク)の中(なか)から、一個(いつこ)の黒色(こくしよく)の函(はこ)を引出(ひきだ)して來(き)た。此(この)函(はこ)の中(なか)には、數(すう)十個(こ)の爆裂彈(ばくれつだん)が入(はい)つて居(を)るのである。
爆裂彈(ばくれつだん)! 何(なん)の爲(ため)に? と讀者(どくしや)諸君(しよくん)は審(いぶか)るであらうが、之(これ)には大(おほい)に考慮(かんがへ)のある事(こと)である、今(いま)、其(その)目的地(もくてきち)に達(たつ)し、いざ建塔(けんたふ)といふ塲合(ばあひ)に、斯(か)く獅子(しゝ)や猛狒(ゴリラ)が、一頭(いつとう)でも、二頭(にとう)でも、其邊(そのへん)に徘徊(はいくわい)して居(を)つては、到底(とても)車外(しやぐわい)に出(い)でゝ其(その)仕事(しごと)にかゝる事(こと)が出來(でき)ない、そこで、此(この)爆裂彈(ばくれつだん)を飛(と)ばして、該獸等(かれら)を斃(たを)し且(か)つ追拂(おひはら)ひ、其間(そのあひだ)に首尾(しゆび)よくやつて退(の)けやうといふ企(くわだて)だ。そこで用意(ようゐ)が整(とゝな)ふと、吾等(われら)は手(て)に/\一個(いつこ)宛(づゝ)の爆裂彈(ばくれつだん)を携(たづさ)へて立上(たちあが)つた。兼(かね)て用意(ようゐ)の鳥(とり)の肉(にく)を、十斤(きん)ばかり鐵檻(てつおり)の間(あひだ)から投出(なげだ)すと、食(しよく)に飢(う)ゑたる猛獸(まうじう)は、眞黒(まつくろ)になつて其(その)上(うへ)に集(あつま)る。
それといふ合圖(あひづ)の下(した)に、一、二、三、同時(どうじ)に五個(ごゝ)の爆裂彈(ばくれつだん)は風(かぜ)を切(き)つて落下(らつか)した。忽(たちま)ち山岳(さんがく)[#ルビの「さんがく」は底本では「さくがく」]鳴動(めいどう)し、黒烟(こくゑん)朦朧(もうろう)と立昇(たちのぼ)る、其(その)黒烟(こくゑん)の絶間(たえま)に眺(なが)めると、猛狒(ゴリラ)は三頭(さんとう)共(とも)微塵(みじん)になつて碎(くだ)け死(し)んだ、獅子(しゝ)も大半(たいはん)は打斃(うちたを)れた、途端(とたん)に水兵(すいへい)が
『あれ/\、あの醜態(ざま)よう。』と指(ゆびざ)す彼方(かなた)を見渡(みわた)すと、生殘(いきのこ)つたる獅子(しゝ)の一團(いちだん)は、雲(くも)を霞(かすみ)と深林(しんりん)の中(なか)へ逃失(にげう)せた。
『それ、此(この)間(ま)に。』と武村兵曹(たけむらへいそう)は紀念塔(きねんたふ)を擔(かつ)いで走(はし)り出(で)たので、一同(いちどう)も續(つゞ)いて車外(しやぐわい)に跳(をど)り出(い)で、日出雄少年(ひでをせうねん)は見張(みはり)の役(やく)、私(わたくし)は地(つち)を掘(ほ)る、水兵(すいへい)は石(いし)を轉(まろ)ばす、武村兵曹(たけむらへいそう)は無暗(むやみ)に叫(さけ)ぶ、エンヤ/\の懸聲(かけごゑ)と共(とも)に、束(つか)の間(ま)に塔(たふ)の建立(けんりつ)は成就(じようじゆ)した。實(じつ)に此(この)間(あひだ)、時(とき)を費(つひや)す事(こと)十分(ぷん)か、十五分(ふん)、人間(にんげん)も一生懸命(いつせうけんめい)になると、隨分(ずいぶん)力量(ちから)の出(で)るものだよ。
紀念塔(きねんたふ)の建立(けんりつ)は終(をは)つて、吾等(われら)は五六歩(ぽ)退(しりぞ)いて眺(なが)めると、麗(うる)はしき大理石(だいりせき)の塔(たふ)の表面(ひやうめん)には、鮮明(あざやか)に『大日本帝國新領地朝日島(だいにつぽんていこくしんりようちあさひたう)』。あゝ之(こ)れで安心(あんしん)々々、一同(いちどう)は帽(ぼう)を脱(だつ)して大日本帝國(だいにつぽんていこく)の萬歳(ばんざい)を三呼(さんこ)した。
此時(このとき)、車中(しやちう)に殘(のこ)して置(お)いた猛犬稻妻(まうけんいなづま)が急(きふ)に吼立(ほえた)てるので、頭(かしら)を廻(めぐ)らすと、今(いま)しも爐裂彈(ばくれつだん)で逃出(にげだ)したる獅子(しゝ)の一群(いちぐん)が、今度(こんど)は非常(ひじやう)な勢(いきほひ)で、彼方(かなた)の森(もり)から驀直(まつしぐら)に襲撃(しふげき)して來(き)たのである。『それツ。』と一聲(いつせい)吾等(われら)は周章狼狽(あわてふためい)て鐵檻(てつおり)の車(くるま)の中(なか)へ逃込(にげこ)んだが、危機一髮(きゝいつぱつ)、最後(さいご)に逃込(にげこ)んだ武村兵曹(たけむらへいそう)はまだ其(その)半身(はんしん)が車外(しやぐわい)にあるのに、殆(ほと)んど同時(どうじ)に飛付(とびつ)いて來(き)た雄獅子(をじゝ)のために、ズボンは滅茶苦茶(めちやくちや)に引裂(ひきさ)かれ、片足(かたあし)の靴(くつ)は無殘(むざん)に噛取(かみと)られて、命(いのち)から/″\車中(しやちう)に轉(まろ)び込(こ)んだ。つゞいて飛込(とびこ)まんとする獅子(しゝ)を目掛(めが)けて、私(わたくし)は一發(いつぱつ)ドガン、水兵(すいへい)は手鎗(てやり)て突飛(つきと)ばす、日出雄少年(ひでをせうねん)は素早(すばや)く身(み)を跳(をど)らして、入口(いりくち)の扉(とびら)をピシヤン。
『おつ魂消(たまぎ)えた/\、危(あぶ)なく生命(いのち)を棒(ぼう)に振(ふ)る處(ところ)だつた。』と流石(さすが)の武村兵曹(たけむらへいそう)も膽(きも)をつぶして、靴(くつ)無(な)き片足(かたあし)を撫(な)でゝ見(み)たが、足(あし)は幸福(さひはひ)にも御無事(ごぶじ)であつた。
既(すで)に塔(たふ)の建立(けんりつ)も終(をは)つたので、最早(もはや)歸途(きと)に向(むか)ふ一方(いつぽう)である。往復(わうふく)五日(いつか)の豫定(よてい)が、其(その)二日目(ふつかめ)には首尾(しゆび)よく歸終(きろ)に就(つ)くやうになつたのは、非常(ひじやう)な幸運(こううん)である。此(この)幸運(こううん)に乘(じやう)じて、吾等(われら)は温順(すなほ)に昨日(きのふ)の道(みち)を皈(かへ)つたならば、明日(めうにち)の今頃(いまごろ)には再(ふたゝ)び海岸(かいがん)の櫻木大佐(さくらぎたいさ)の家(いへ)に達(たつ)し、此(この)旅行(りよかう)も恙(つゝが)なく終(をは)るのであるが、人間(にんげん)は兎角(とかく)いろ/\な冐險(ぼうけん)がやつて見(み)たい者(もの)だ。
好事魔(こうじま)多(おほ)しとはよく人(ひと)の言(い)ふ處(ところ)で、私(わたくし)も其(その)理屈(りくつ)を知(し)らぬではないが、人間(にんげん)の一生(いつせう)に此樣(こん)な旅行(りよかう)は、二度(にど)も三度(さんど)もある事(こと)でない、其上(そのうへ)大佐(たいさ)と約束(やくそく)の五日目(いつかめ)までは、未(ま)た三日(みつか)の間(ひま)がある、そこで、此(この)深山(しんざん)を少(すこ)しばかり迂回(うくわい)して皈(かへ)つたとて、左程(さほど)遲(おそ)くもなるまい、また極(きわ)めて趣味(しゆみ)ある事(こと)だらうと考(かんが)へたので、私(わたくし)は發議(はつぎ)した。
『どうだ、最早(もはや)皈途(きと)に向(むか)ふのだが、之(これ)から少(すこ)し道(みち)を變(へん)じて進(すゝ)んでは、舊(ふる)き道(みち)を皈(かへ)るより、新(あたら)しい方面(ほうめん)から皈(かへ)つたら、またいろ/\珍奇(めづらし)い事(こと)も多(おほ)からう。』と話(はな)しかけると、好奇(ものずき)の武村兵曹(たけむらへいそう)は一も二もなく賛成(さんせい)だ。
『私(わたくし)も今(いま)、左樣(さう)考(かんが)へて居(を)つた處(ところ)だ、大佐閣下(たいさかくか)だつて私共(わたくしども)が、其樣(そんな)に早(はや)く歸(かへ)らうとは思(おも)つて居(ゐ)なさるまいし、それにね、約束(やくそく)の五日目(いつかめ)の晩(ばん)には、海岸(かいがん)の家(いへ)では、水兵(すいへい)共(ども)が澤山(たくさん)の御馳走(ごちさう)を作(こしら)へて待(ま)つて居(ゐ)る筈(はづ)だから、其(その)以前(いぜん)にヒヨツコリと皈(かへ)つては興(けう)が無(な)い、行(ゆ)く可(べ)し/\。』と勇(いさ)み立(た)つ。二名(にめい)の水兵(すいへい)も日出雄少年(ひでをせうねん)も大賛成(だいさんせい)なので、直(たゞ)ちに相談(さうだん)は纏(まとま)つたが、さて何處(いづれ)の方面(ほうめん)へと見渡(みわた)すと、此處(こゝ)を去(さ)る事(こと)數里(すうり)の西方(せいほう)に一個(いつこ)の高山(かうざん)がある、火山脉(くわざんみやく)の一(ひと)つと見(み)え、山(やま)の半腹(はんぷく)以上(いじやう)は赤色(せきしよく)の燒石(やけいし)の物凄(ものすご)い樣(やう)に削立(せうりつ)して居(を)るが、麓(ふもと)は限(かぎ)りもなき大深林(だいしんりん)で、深林(しんりん)の中央(ちうわう)を横斷(わうだん)して、大河(たいか)滔々(とう/\)と流(なが)れて居(を)る樣子(やうす)、其邊(そのへん)を進行(しんかう)したら隨分(ずいぶん)奇(く)しき出來事(できごと)もあらうと思(おも)つたので、直(たゞ)ちに水兵(すいへい)に命(めい)じて、鐵車(てつしや)を其(その)方向(ほうかう)に進(すゝ)めた、猛獸(まうじう)は矢張(やはり)其處此處(そここゝ)に隱見(いんけん)して居(を)るのである。
時(とき)は午後(ごゞ)の六時(ろくじ)間近(まぢか)で、夕陽(ゆふひ)は西山(せいざん)に臼(うすつ)いて居(を)る。隨分(ずいぶん)無謀(むぼう)な事(こと)だ、今頃(いまごろ)から斯(かゝ)る深林(しんりん)に向(むか)つて探險(たんけん)するのは、けれど興(けう)に乘(じやう)じたる吾等(われら)の眼中(がんちう)には、向(むか)ふ處(ところ)敵(てき)なしといふ勢(いきほひ)で、二三里(り)進(すゝ)んで、其(その)深林(しんりん)の漸(やうや)く間近(まぢか)になつた時分(じぶん)日(ひ)は全(まつた)く暮(く)れた。すると、鎌(かま)のやうな新月(しんげつ)が物凄(ものすご)く下界(げかい)を照(てら)して來(き)たが、勿論(もちろん)道(みち)の案内(しるべ)となる程(ほど)明(あか)るくはない、加(くわ)ふるに此邊(このへん)は道(みち)いよ/\險(けわ)しく、尖(とが)つた岩角(いはかど)、蟠(わだかま)る樹(き)の根(ね)は無限(むげん)に行方(ゆくて)に横(よこたは)つて居(を)るので、鐵車(てつしや)の進歩(すゝみ)も兎角(とかく)思(おも)はしくない、運轉係(うんてんがゝり)の水兵(すいへい)も、此時(このとき)餘程(よほど)疲勞(つか)れて見(み)えたので、私(わたくし)は考(かんが)へた、人間(にんげん)の精力(ちから)には限(かぎり)がある、今(いま)からかゝる深林(しんりん)に突進(とつしん)するのは、少(すこ)し無謀(むぼう)には※(す)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、249-2]ぎはせぬかと氣付(きづ)いたので、寧(むし)ろ此邊(このへん)に一泊(いつぱく)せんと、此事(このこと)を武村兵曹(たけむらへいそう)に語(かた)ると、武村兵曹(たけむらへいそう)は仲々(なか/\)聽(き)かない
『今(いま)から其樣(そんな)に弱(よわ)つては駄目(だめ)だ、何(な)んでも今夜(こんや)はあの深林(しんりん)の眞中(まんなか)で夜(よ)を明(あか)す覺悟(かくご)だ。』と元氣(げんき)よく言放(いひはな)つて立上(たちあが)り、疲(つか)れたる水兵(すいへい)に代(かわ)つて鐵車(てつしや)の運轉(うんてん)を始(はじ)めた。鐵車(てつしや)は再(ふたゝ)び猛烈(まうれつ)なる勢(いきほひ)をもつて木(き)の根(ね)を噛(か)み、岩石(がんせき)を碎(くだ)いて突進(とつしん)する。あゝ好漢(かうかん)、此(この)男(をとこ)は實(じつ)に壯快(さうくわい)な男兒(だんじ)だが、惜(をし)むらくば少(すこ)しく無鐵砲(むてつぽう)に※(す)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、249-8]ぎるので、萬一(まんいち)の※失(あやまち)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、249-8]が無(な)ければよいがと思(おも)ふ途端(とたん)、忽(たちま)ち
『しまつたツ。』と一聲(いつせい)、私(わたくし)も、日出雄少年(ひでをせうねん)も、水兵(すいへい)も稻妻(いなづま)も、一度(いちど)にドツと前(まへ)の方(ほう)へ打倒(うちたを)れて、運轉臺(うんてんだい)から眞逆(まつさかさま)に跳(は)ね落(おと)された武村兵曹(たけむらへいそう)が『南無三(なむさん)、大變(たいへん)!。』と叫(さけ)んで飛起(とびお)きた時(とき)は、無殘(むざん)や、鐵車(てつしや)は、擂盆(すりばち)[#「擂盆(すりばち)」は底本では「※(「木+雷」、第4水準2-15-62)盆(すりばち)」]のやうな形(かたち)をした巨大(おほき)な穴(あな)の中(なか)へ陷落(かんらく)して居(を)つた。
漸(やうやく)の事(こと)で起上(おきあが)つた水兵(すいへい)は、新月(しんげつ)の微(かすか)なる光(ひかり)に其(その)穴(あな)を眺(なが)めたが忽(たちま)ち絶叫(ぜつけう)した。
『砂(すな)すべりの谷(たに)! 砂(すな)すべりの谷(たに)!。』
讀者(どくしや)諸君(しよくん)は或(あるひ)は御存(ごぞん)じだらう、亞弗利加(アフリカ)の内地(ないち)や、又(また)は印度洋(インドやう)中(ちう)の或(ある)島(しま)には、かゝる塲所(ばしよ)のある事(こと)はよく冐險旅行記等(ぼうけんりよかうきなど)に書(か)いてあるが、此(この)「砂(すな)すべりの谷(たに)」程(ほど)世(よ)に恐(おそ)る可(べ)き所(ところ)は多(おほ)くあるまい、砂(すな)すべりの谷(たに)、一名(いちめい)を死(し)の谷(たに)と呼(よ)ばるゝ程(ほど)で、一度(いちど)此(この)穴(あな)の中(なか)へ陷落(かんらく)したるものは、到底(とうてい)免(の)がれ出(で)る事(こと)は出來(でき)ないのである。此(この)穴(あな)は外見(ぐわいけん)は左迄(さまで)巨大(きよだい)なものではない。廣(ひろ)さは直徑(さしわたし)三十ヤード位(ぐらい)、深(ふか)さは僅(わず)か一丈(じやう)にも足(た)らぬ程(ほど)だから、鐵檻車(てつおりのくるま)の屋根(やね)へ上(のぼ)つたら、或(あるひ)は穴(あな)の外(そと)へ飛出(とびだ)す事(こと)も出來(でき)るやうだが、前(まへ)にも云(い)つた樣(やう)に擂盆(すりばち)の形(かたち)をなした穴(あな)の四邊(しへん)は實(じつ)に細微(さいび)なる砂(すな)で、此(この)砂(すな)は啻(たゞ)に細微(さいび)なるばかりではなく、一種(いつしゆ)不可思議(ふかしぎ)の粘着力(ねんちやくりよく)を有(いう)して居(を)るので、此處(こゝ)に陷落(かんらく)した者(もの)は掻(か)き上(あが)らうとしては滑(すべ)り落(お)ち、滑(すべ)り落(お)ちては砂(すな)に纒(まと)はれ、其内(そのうち)に手足(てあし)の自由(じゆう)を失(うしな)つて、遂(つひ)に非業(ひごふ)の最後(さいご)を遂(と)げるのである。だから吾等(われら)が海岸(かいがん)の家(いへ)を出發(しゆつぱつ)する時(とき)も、櫻木大佐(さくらぎたいさ)は繰返(くりかへ)して『砂(すな)すべりの谷(たに)を注意(ちうゐ)せよ。』と言(い)はれたが、吾等(われら)は遂(つひ)に※(あやま)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、251-6]つて、此(この)恐(おそ)る可(べ)き死(し)の谷(たに)へ陷込(おちこ)んだのである。
『あゝ、大變(たいへん)な事(こと)をやつてしまつた。』と武村兵曹(たけむらへいそう)は自分(じぶん)の失策(しくじり)に切齒(はがみ)した。
我(わ)が鐵車(てつしや)は、險山(けんざん)深林(しんりん)何處(いづく)でも活動(くわつどう)自在(じざい)だが、此(この)砂(すな)すべりの谷(たに)だけでは如何(どう)する事(こと)も出來(でき)ぬのである、萬一(まんいち)を期(き)して、非常(ひじやう)な力(ちから)で、幾度(いくたび)か車輪(しやりん)を廻轉(くわいてん)して見(み)たが全(まつた)く無效(むだ)だ。砂(すな)に喰止(くひと)まる事(こと)の出來(でき)ぬ齒輪車(はぐるま)は、一尺(いつしやく)進(すゝ)んではズル/″\、二三尺(じやく)掻上(かきあが)つてはズル/″\。其内(そのうち)に車輪(しやりん)も次第(しだい)々々に砂(すな)に埋(う)もれて、最早(もはや)一寸(いつすん)も動(うご)かなくなつた。
『絶體絶命(ぜつたいぜつめい)!。』と一同(いちどう)は嘆息(たんそく)した。之(これ)が普通(ふつう)の塲所(ばしよ)なら、かゝる死地(しち)に落(お)ちても、鐵車(てつしや)をば此處(こゝ)に打棄(うちす)てゝ、其(その)身(み)だけ免(まぬが)れ出(で)る工夫(くふう)の無(な)いでもないが、千山(せんざん)萬峰(ばんぽう)の奧深(おくふか)く、數十里(すうじふり)四方(しほう)は全(まつた)く猛獸(まうじう)毒蛇(どくじや)の巣窟(さうくつ)で、既(すで)に此時(このとき)數十(すうじふ)の獅子(しゝ)、猛狒(ゴリラ)の類(るい)は此(この)穴(あな)の周圍(しうゐ)に牙(きば)を鳴(なら)し、爪(つめ)を磨(みが)いて居(を)るのだから、一寸(ちよつと)でも鐵檻車(てつおりくるま)の外(そと)へ出(で)たら最後(さいご)、直(たゞ)ちに無殘(むざん)の死(し)を遂(と)げてしまうのだ。イヤ出(で)なくても、人(ひと)の弱點(じやくてん)に乘(じやう)ずる事(こと)の早(はや)い猛狒(ゴリラ)は、忽(たちま)ち彼方(かなた)の崖(がけ)から此方(こなた)の鐵車(てつしや)の屋根(やね)に飛移(とびうつ)つて、鐵檻(てつおり)の間(あひだ)から猿臂(えんび)を延(のば)して、吾等(われら)を握(つか)み出(だ)さんず氣色(けしき)、吾等(われら)は一生懸命(いつせうけんめい)に小銃(せうじう)を發射(はつしや)したり、手鎗(てやり)を廻(まわ)したりして、辛(からう)じて其(その)危害(きがい)を防(ふせ)いで居(を)るが、それも何時(いつ)まで續(つゞ)く事(こと)か、夜(よ)が更(ふ)けるに從(したが)つて、猛獸(まうじう)の勢(いきほひ)は益々(ます/\)激烈(げきれつ)になつて來(き)た、かゝる時(とき)には盛(さか)んに火(ひ)を焚(た)くに限(かぎ)ると、それから用意(ようゐ)の篝火(かゞりび)をどん/″\燃(もや)して、絶(た)えず小銃(せうじう)を發射(はつしや)し、また時々(とき/″\)爆裂彈(ばくれつだん)の殘(のこ)れるを投飛(なげとば)しなどして、漸(やうや)く一夜(いちや)を明(あか)したが、夜(よ)が明(あ)けたとて仕方(しかた)がない、朝日(あさひ)はうら/\と昇(のぼ)つて、東(ひがし)の方(ほう)の赤裸(あかはだか)の山(やま)の頂(いたゞき)から吾等(われら)の顏(かほ)を照(てら)したが、一同(いちどう)生(い)きた顏色(がんしよく)は無(な)かつた。日出雄少年(ひでをせうねん)も二名(にめい)の水兵(すいへい)も默(もく)して一言(いちげん)なく、稻妻(いなづま)は終夜(よもすがら)吠(ほ)え通(とう)しに吠(ほ)えたので餘程(よほど)疲(つか)れたと見(み)え、私(わたくし)の傍(かたわら)に横(よこたは)つて居(を)る。ひとり默(だま)つて居(を)られぬのは武村兵曹(たけむらへいそう)である、彼(かれ)は自分(じぶん)の失策(しくじり)から此樣(こん)な事(こと)になつたので堪(たま)らない
『あゝ、馬鹿(ばか)な事(こと)をした/\。私(わたくし)の失策(しくじり)で、貴方(あなた)や日出雄少年(ひでをせうねん)を殺(ころ)したとなつては大佐閣下(たいさかくか)に言譯(いひわけ)がない、此(この)お詫(わ)びには成(な)るか、成(な)らぬか、一(ひと)つ命懸(いのちが)けで猛獸(まうじう)共(ども)を追拂(おつぱら)つて見(み)るのだ。』と决死(けつし)の色(いろ)で、車外(しやぐわい)へ飛出(とびだ)さうとする。
『無謀(ばか)な事(こと)をするな。』と私(わたくし)は嚴然(げんぜん)として
『武村兵曹(たけむらへいそう)、お前(まへ)に鬼神(きじん)の勇(ゆう)があればとて、あの澤山(たくさん)の猛獸(まうじう)と鬪(たゝか)つて何(なに)になる。』と矢庭(やにわ)に彼(かれ)の肩先(かたさき)を握(つか)んで後(うしろ)へ引戻(ひきもど)した。此時(このとき)猛犬稻妻(まうけんいなづま)は、一聲(いつせい)銃(するど)く唸(うな)つて立上(たちあが)つた。
『此處(こゝ)に唯(た)だ一策(いつさく)があるよ。』と私(わたくし)は一同(いちどう)に向(むか)つたのである。
『一策(いちさく)とは。』と一同(いちどう)は顏(かほ)を上(あ)げた。
『他(ほか)でもない、櫻木海軍大佐(さくらぎかいぐんたいさ)に此(この)急難(きふなん)を報知(ほうち)して救助(たすけ)を求(もと)めるのだ。』
『大佐(たいさ)に救助(たすけ)を※(疑問符感嘆符、1-8-77)。』と一同(いちどう)は不審顏(ふしんがほ)。
成程(なるほど)、此處(こゝ)から大佐等(たいさら)の住(すま)へる海岸(かいがん)の家(いへ)までは三十里(り)以上(いじやう)、飛(と)ぶ鳥(とり)でもなければ通(かよ)はれぬ此(この)難山(なんざん)を、如何(いか)にして目下(もつか)の急難(きふなん)を報知(ほうち)するかと審(いぶか)るのであらう。
私(わたくし)は决然(けつぜん)として言(い)つた。
『猛犬稻妻(まうけんいなづま)を使者(ししや)として。』

    第二十回 猛犬(まうけん)の使者(ししや)
山又山を越えて三十里――一封の書面――あの世でか、此世でか、――此犬尋常でない――眞黒になつて其後を追ふた――水樽は空になつた
 西暦(せいれき)一千八百六十六年(ねん)の墺普戰爭(オーフツせんさう)に、敵(てき)の重圍(じゆうゐ)に陷(おちい)つたる墺太利軍(オースタリーぐん)の一(いち)偵察隊(ていさつたい)は、敵(てき)の眼(まなこ)を晦(くら)まさんがため、密書(みつしよ)をば軍用犬(ぐんようけん)の首輪(くびわ)に附(ふ)して、其(その)本陣(ほんじん)に送皈(おくりかへ)したといふ逸話(いつわ)がある。近世(きんせい)では、犬(いぬ)の使命(しめい)といふ事(こと)は左迄(さまで)珍奇(ちんき)な事(こと)ではないが、それと之(これ)とは餘程(よほど)塲合(ばあひ)も異(ちが)つて居(を)るので、二名(にめい)の水兵(すいへい)は危(あや)ぶみ、武村兵曹(たけむらへいそう)は腕(うで)を拱(こまぬ)いた儘(まゝ)、眤(じつ)と稻妻(いなづま)の面(おもて)を眺(なが)めた。日出雄少年(ひでをせうねん)は憂色(うれひ)を含(ふく)んで
『それでは、稻妻(いなづま)は私共(わたくしども)と別(わか)れて、單獨(ひとり)で、此(この)淋(さび)しい、恐(おそ)ろしい山(やま)を越(こ)えて、大佐(たいさ)の叔父(おぢ)さんの家(いへ)へお使者(つかひ)に行(ゆ)くのですか。私(わたくし)は何(な)んだか心配(しんぱい)なんです、稻妻(いなづま)がいくら強(つよ)くつたつて、あの澤山(たくさん)な猛獸(まうじう)の中(なか)を、無事(ぶじ)に海岸(かいがん)[#ルビの「かいがん」は底本では「がいがん」]の家(いへ)へ歸(かへ)る事(こと)が出來(でき)ませうか。』と進(すゝ)まぬ顏(かほ)に首(くび)を頂垂(うなだ)れた。如何(いか)にも其(その)憂慮(うれひ)は道理(もつとも)である。私(わたくし)も實(じつ)は、此(この)使命(しめい)の十中(ちう)八九までは遂(と)げらるゝ事(こと)の難(かた)きを知(し)つて居(を)る、また、三年(さんねん)以來(いらい)馴(な)れ親(した)しんで、殆(ほと)んど畜類(ちくるい)とは思(おも)はれぬ迄(まで)愛(あい)らしく思(おも)ふ此(この)稻妻(いなづま)に、些(いさゝ)かでも辛苦(しんく)は見(み)せたくないのだが、今(いま)は實(じつ)に非常(ひじやう)の塲合(ばあひ)である、非常(ひじやう)の塲合(ばあひ)には非常(ひじやう)の决心(けつしん)を要(えう)するので、若(も)し躊躇(ちうちよ)して居(を)れば、吾等(われら)一同(いちどう)はみす/\知(し)る人(ひと)も無(な)き此(この)山中(さんちう)の、草葉(くさば)の露(つゆ)と消(き)えてしまはねばならぬのであるから成敗(せいばい)は元(もと)より豫期(よき)し難(がた)いが、出來得(できう)る丈(だ)けの手段(しゆだん)は盡(つく)さねばならぬと考(かんが)へたので、遂(つひ)に意(ゐ)を决(けつ)して、吾等(われら)は此(この)急難(きふなん)をば[#「急難(きふなん)をば」は底本では「急難(きふなん)をは」]、三十里(り)彼方(かなた)なる櫻木大佐(さくらぎたいさ)の許(もと)に報(ほう)ぜんがため、涙(なみだ)を揮(ふる)つて猛犬稻妻(まうけんいなづま)をば、此(この)恐(おそ)ろしき山中(さんちう)に使者(ししや)せしむる事(こと)となつた。私(わたくし)は直(たゞ)ちに鉛筆(えんぴつ)をとつて一書(いつしよ)を認(したゝ)めた。書面(しよめん)の文句(もんく)は斯(か)うである。
櫻木海軍大佐(さくらぎかいぐんたいさ)よ、世(よ)に禍(わざはひ)といふものなくば、此(この)書面(しよめん)の達(たつ)せん頃(ころ)には、吾等(われら)は再(ふたゝ)び貴下(きか)の面前(めんぜん)に立(た)つ可(べ)き筈(はづ)なりしを、今(いま)かゝる文使者(ふづかひ)を送(おく)る事(こと)の、歡(よろこ)ばしき運命(うんめい)にあらぬをば察(さつ)し玉(たま)ふ可(べ)し。貴下(きか)の委任(いにん)を受(う)けたる紀念塔(きねんたふ)の建立(けんりつ)は、首尾(しゆび)よく成就(じやうじゆ)したれども、其(その)歸途(きと)、吾等(われら)は自(みづか)ら招(まね)きたる禍(わざはひ)によりて、貴下(きか)が住(すま)へる海岸(かいがん)より、東方(とうほう)大約(おほよそ)三十里(り)の山中(さんちう)にて、恐(おそ)る可(べ)き砂(すな)すべりの谷(たに)に陷落(かんらく)せり、砂(すな)すべりの谷(たに)は實(じつ)に死(し)の谷(たに)と呼(よ)ばるゝ如(ごと)く、吾等(われら)は最早(もはや)一寸(いつすん)も動(うご)く事(こと)能(あた)はず、加(くわ)ふるに、猛獸(まうじう)の襲撃(しふげき)は益々(ます/\)甚(はなはだ)しく、此(この)鐵檻車(てつおりのくるま)をも危(あやう)くせんとす。今(いま)は死(し)を待(ま)つばかりなり。即(すなは)ち難(なん)を貴下(きか)の許(もと)に報(ほう)ず、稻妻(いなづま)幸(さひはひ)に死(し)せずして、貴下(きか)に此(この)書(しよ)を呈(てい)するを得(え)ば、大佐(たいさ)よ、乞(こ)ふ策(はかりごと)を廻(めぐ)らして吾等(われら)の急難(きふなん)を救(すく)ひ玉(たま)へ。
と、斯(か)く認(したゝ)めて筆(ふで)を止(と)めると、日出雄少年(ひでをせうねん)は沈(しづ)める聲(こゑ)に
『あゝ、大佐(たいさ)の叔父(おぢ)さんは、私共(わたくしども)が今日歸(けふかへ)るか、明日(あす)歸(かへ)るかと待(ま)つていらつしやる處(ところ)へ、此樣(こん)な手紙(てがみ)が行(い)つたら、どんなにか喫驚(びつくり)なさる事(こと)でせう。』と、いふと武村兵曹(たけむらへいそう)は小首(こくび)を捻(ひね)つて
『そこで、私(わたくし)の心配(しんぱい)するのは、義侠(をとこぎ)な大佐閣下(たいさかつか)は、吾等(われら)の大難(だいなん)を助(たす)けやうとして、御自身(ごじしん)に危險(きけん)をお招(まね)きになる樣(やう)な事(こと)はあるまいか。』
『其樣(そん)な事(こと)があつては濟(す)まぬね。』と私(わたくし)は直(たゞ)ちに文(ふみ)を續(つゞ)けた。
然(さ)れど、大佐(たいさ)よ、吾等(われら)は今(いま)の塲合(ばあひ)に於(おい)て、九死(きゆうし)に一生(いつしやう)をも得難(えがた)き事(こと)をば疾(と)くに覺悟(かくご)せり。今(いま)、海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)の成敗(せいばい)を一身(いつしん)に擔(にな)へる貴下(きか)の身命(しんめい)は、吾等(われら)の身命(しんめい)に比(ひ)して、幾十倍(いくじふばい)日本帝國(につぽんていこく)の爲(ため)に愛惜(あいせき)すべきものなり。故(ゆゑ)に貴下(きか)が、吾等(われら)を救(すく)はんとて、強(し)いて危險(きけん)を冐(おか)すが如(ごと)きは、吾等(われら)の深(ふか)く憂(うれ)ふる處(ところ)なり。盖(けだ)し、日本(につぽん)の臣民(しんみん)は如何(いか)なる塲合(ばあひ)に於(おい)ても、其(その)身(み)を思(おも)ふよりも、國(くに)を思(おも)ふ事(こと)大(だい)なれば、若(も)し救(すく)ふに良策(りようさく)なくば、乞(こ)ふ、大義(たいぎ)の爲(ため)に吾等(われら)を見捨(みす)て玉(たま)へ、吾等(われら)も亦(ま)た運命(うんめい)に安(やす)んじて、骨(ほね)を此(この)山中(さんちう)に埋(うづ)めん。
と、猶(な)ほ數行(すうぎやう)を書(か)き加(くわ)へて
若(も)し、吾等(われら)が不幸(ふかう)にして、此(この)深山(しんざん)の露(つゆ)と消(き)えもせば、他日(たじつ)貴下(きか)が、海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)の壯麗(さうれい)なる甲板(かんぱん)より、仰(あほ)[#ルビの「あほ」は底本では「おほ」]いで芙蓉(ふえう)の峯(みね)を望(のぞ)み見(み)ん時(とき)、乞(こ)ふ吾等(われら)五名(ごめい)の者(もの)に代(かわ)りて、只(たゞ)一聲(いつせい)、大日本帝國(だいにつぽんていこく)の萬歳(ばんざい)を唱(とな)へよ、吾等(われら)も亦(ま)た幽冥(いうめい)より其(その)聲(こゑ)に和(わ)せん。
斯(か)く認(したゝ)め終(をは)りし書面(しよめん)をば幾重(いくえ)にも疊(たゝ)み込(こ)み、稻妻(いなづま)の首輪(くびわ)に堅(かた)く結(むす)び着(つ)けた。犬(いぬ)は仰(あほ)いで私(わたくし)の顏(かほ)を眺(なが)めたので、私(わたくし)は其(その)眞黒(まつくろ)なる毛(け)をば撫(な)でながら、人間(にんげん)に物語(ものがた)るが如(ごと)く
『これ、稻妻(いなづま)、汝(おまへ)は世(よ)に勝(すぐ)れたる犬(いぬ)だから、總(すべ)ての事情(じじやう)がよく分(わか)つて居(を)るだらう、よく忍耐(しんぼう)して、大佐(たいさ)の家(いへ)に達(たつ)して呉(く)れ。』と、いふと、稻妻(いなづま)は恰(あだか)も私(わたくし)の言(げん)を解(げ)し得(え)た如(ごと)く、凛然(りんぜん)として尾(を)を掉(ふ)つた。日出雄少年(ひでをせうねん)は暗涙(あんるゐ)を浮(うか)べて
『私(わたくし)は本當(ほんたう)にお前(まへ)と別(わか)れるのが、悲(かな)しいよ、けれど運命(うんめい)だから仕方(しかた)が無(な)いのだよ、それでねえ、お前(まへ)が幸(さひはひ)に、大佐(たいさ)の叔父(おぢ)さんの家(いへ)に安着(あんちやく)して、萬一(まんいち)にも私共(わたくしども)の生命(いのち)が助(たす)かつた事(こと)なら、再(ふたゝ)び、あの景色(けしき)のよい海岸(かいがん)の砂(すな)の上(うへ)で、面白(おもしろ)く遊(あそ)ぶ事(こと)が出來(でき)ませう。若(も)し運惡(うんわる)く、お前(まへ)が途中(とちう)で死(し)んでしまつたなら、私(わたくし)も追付(おつゝ)け彼世(あのよ)で、お前(まへ)の顏(かほ)を見(み)るやうになりませうよ。』と、云(い)ふのは、既(すで)にそれと覺悟(かくご)を定(さだ)めて居(を)るのであらう、流石(さすが)に猛(たけ)き武村兵曹(たけむらへいそう)も聲(こゑ)を曇(くも)らせ
『あゝ、皆(みな)私(わたくし)が惡(わる)いのだ、私(わたくし)の失策(しくじ)つたばかりに、一同(みんな)に此樣(こん)な憂目(うきめ)を見(み)せる事(こと)か。』と深(ふか)く嘆息(たんそく)したが、忽(たちま)ち心(こゝろ)を取直(とりなほ)した樣子(やうす)で
『いや/\、女(をんな)見(み)たやうな事(こと)は言(い)ふまい。』と態(わざ)と元氣(げんき)よく、犬(いぬ)の首輪(くびわ)をポンと叩(たゝ)いて
『これ、稻妻(いなづま)、しつかりやれよ。』と屹(きつ)と其(その)面(おもて)を見詰(みつ)めた。
此時(このとき)、二名(にめい)の水兵(すいへい)は、私(わたくし)の命(めい)に從(したが)つて、犬(いぬ)を抱(いだ)いて、鐵階(てつかい)を登(のぼ)つた、鐵檻(てつおり)の車(くるま)の上(うへ)からは前(まへ)にもいふ樣(やう)に、砂(すな)すべりの谷(たに)の外(そと)へ飛出(とびで)る事(こと)の出來(でき)るのである。車外(しやぐわい)の猛獸(まうじう)は、見(み)る/\内(うち)に氣色(けしき)が變(かわ)つて來(き)た。隙(すき)を覗(うかゞ)つたる水兵(すいへい)は、サツと出口(でぐち)の扉(とびら)を排(ひら)くと、途端(とたん)、稻妻(いなづま)は、猛然(まうぜん)身(み)を跳(をど)らして、彼方(かなた)の岸(きし)へ跳上(をどりあが)る。待設(まちまう)けたる獅子(しゝ)數頭(すうとう)は、電光石火(でんくわうせきくわ)の如(ごと)く其(その)上(うへ)へ飛掛(とびかゝ)つた。五秒(べう)、十秒(べう)は大叫喚(だいけうくわん)、あはや、稻妻(いなづま)は喰伏(くひふ)せられたと思(おも)つたが、此(この)犬(いぬ)尋常(じんじやう)でない、忽(たちま)ちむつくと跳(は)ね起(お)きて、折(をり)[#ルビの「をり」は底本では「ぞり」]から跳(をど)り掛(かゝ)る一頭(いつとう)の雄獅(をじゝ)の咽元(のどもと)に噛付(くひつ)いて、一振(ひとふ)り振(ふ)るよと見(み)へたが、如何(いか)なる隙(すき)をや見出(みいだ)しけん、彼方(かなた)に向(むか)つて韋駄天走(ゐだてんばし)り、獅子(しゝ)の一群(いちぐん)も眞黒(まつくろ)になつて其(その)後(あと)を追掛(おひか)けた。見(み)る/\内(うち)に其(その)形(かたち)は一團(いちだん)となつて、深林(しんりん)の中(なか)に見(み)えずなつた。稻妻(いなづま)は果(はた)してよく此(この)大使命(だいしめい)を果(はた)す事(こと)が出來(でき)るであらうか。考(かんが)へて見(み)ると隨分(ずゐぶん)覺束(おぼつか)ない事(こと)だが、夫(それ)でも一縷(いちる)の望(のぞみ)の繋(つなが)る樣(やう)にも感(かん)じて、吾等(われら)は如何(いか)にもして生命(いのち)のあらん限(かぎ)り、櫻木大佐(さくらぎたいさ)の援助(たすけ)を待(ま)つ積(つも)りだ。
非常(ひじやう)な困難(こんなん)の間(あひだ)に、三日(みつか)は※去(すぎさ)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、262-9]つたが、大佐(たいさ)からは何(なん)の音沙汰(おとさた)も無(な)かつた、また、左樣(さう)容易(たやす)くあるべき筈(はづ)もなく、四日(よつか)と※(す)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、262-10]ぎ、五日(いつか)と※(す)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、262-10]ぎ、六日(むいか)と※(す)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、262-11]ぎ、其(その)七日目(なぬかめ)まで此(この)恐(おそ)ろしき山中(さんちゆう)に、日(ひ)を暮(くら)したが、救助(たすけ)の人(ひと)は見(み)えなかつた。鐵車(てつしや)の嚴重(げんぢゆう)なる事(こと)と、彈藥(だんやく)を夥(おびたゞ)しく用意(ようゐ)して來(き)た事(こと)とで、今日(こんにち)まで猛獸(まうじう)の害(がい)を免(まぬ)かれて居(を)るが、其内(そのうち)に困難(こんなん)を感(かん)じて來(き)たのは、糧食(りようしよく)と飮料水(いんれうすい)との缺乏(けつぼう)とである、すでに昨日(きのふ)から、糧食箱(りようしよくばこ)の中(なか)には一片(いつぺん)の蒸餅(ビスケツト)も無(な)くなつた。水樽(みづだる)は空(から)になつて鐵車内(てつしやない)の一隅(いちぐう)に横(よこたは)つた。一同(いちどう)は最早(もはや)絶望(ぜつばう)の極(きよく)に達(たつ)したのである。此(この)日(ひ)は食(く)はず、飮(の)まずに日(ひ)を暮(くら)して、苦(くる)しき一夜(いちや)は、一睡(いつすい)の夢(ゆめ)をも結(むす)ばず[#「結(むす)ばず」は底本では「結(むす)ばす」]翌朝(よくあさ)を迎(むか)へたが、まだ何(な)んの音沙汰(おとさた)も無(な)い、眺(なが)めると空(そら)には雲(くも)低(ひく)く飛(と)び、山(やま)又(また)山(やま)の彼方此處(あちこち)には、猛獸(まうじう)の※聲(さけびごゑ)[#「口+斗」、263-7]いよ/\悽(すさ)まじく、吾等(われら)の運命(うんめい)も最早(もはや)是迄(これまで)と覺悟(かくご)をしたのである。

    第二十一回 空中(くうちう)の救(すく)ひ
何者にか愕いた樣子――誰かの半身が現はれて――八日前の晩――三百反の白絹――お祝の拳骨――稻妻と少年と武村兵曹
 指(ゆび)を屈(くつ)して見(み)ると、當日(たうじつ)は吾等(われら)が海岸(かいがん)の家(いへ)を去(さ)つてから、丁度(ちやうど)九日目(こゝぬかめ)で、兼(かね)て海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)の試運轉式(しうんてんしき)の日(ひ)と定(さだ)められたる紀元節(きげんせつ)の前日(ぜんじつ)である。若(も)し此樣(こん)な禍(わざはひ)が起(おこ)らなかつたなら、今頃(いまごろ)は既(すで)に大佐(たいさ)の家(いへ)に歸(かへ)つて居(を)つて、あの景色(けしき)の美(うる)はしい海岸(かいがん)の邊(へん)で、如何(いか)に愉快(ゆくわい)な日(ひ)を迎(むか)へて居(を)るだらうと考(かんが)へると、何故(なぜ)紀念塔(きねんたふ)の建立(けんりつ)を終(をは)つた時(とき)に素直(すなほ)に元(もと)來(き)た道(みち)を皈(かへ)らなかつたらうと、今更(いまさら)後悔(こうくわい)に堪(た)えぬのである。
『あゝ、今迄(いまゝで)何(なん)の音沙汰(おとさた)も無(な)いのは、稻妻(いなづま)も途中(とちう)で死(し)んでしまつたのでせう。』と、日出雄少年(ひでをせうねん)は悄然(せうぜん)として、武村兵曹(たけむらへいそう)の顏(かほ)を眺(なが)めた。
『イヤ、イヤ、稻妻(いなづま)は尋常一樣(じんじやういちやう)の犬(いぬ)[#「犬(いぬ)」は底本では「大(いぬ)」]でないから、屹度(きつと)無事(ぶじ)に海岸(かいがん)へは達(たつ)したらうが、然(しか)し、吾等(われら)の災難(さいなん)は非常(ひじやう)な事(こと)だから、大佐閣下(たいさかくか)でも容易(ようゐ)には救(すく)ひ出(だ)す策(さく)がなくつて、考慮(かんがへ)て居(ゐ)なさるのだらう。まあ/\、失望(しつぼう)しないで、生命限(いのちかぎ)り待(ま)つ事(こと)だ。』と、武村兵曹(たけむらへいそう)は態(わざ)と元氣(げんき)よく言放(いひはな)つて、日出雄少年(ひでをせうねん)の首筋(くびすぢ)を抱(いだ)いた。二名(にめい)の水兵(すいへい)は淋(さび)し氣(げ)に顏(かほ)を見合(みあは)せた。
實(じつ)に、世(よ)の中(なか)には人間(にんげん)の力(ちから)に及(およ)ぶ事(こと)と、及(およ)ばぬ事(こと)とがある。人間(にんげん)の力(ちから)に及(およ)ぶ事(こと)なら、あの智惠(ちゑ)逞(たく)ましき櫻木大佐(さくらぎたいさ)に不能(できぬ)といふ事(こと)はあるまいが、今日(けふ)まで、何(なん)の音沙汰(おとさた)の無(な)く打※(うちす)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、265-4]ぎて居(を)るのを見(み)ると、たとへ、猛犬稻妻(まうけんいなづま)は無事(ぶじ)に使命(しめい)と果(はた)したにしろ、吾等(われ/\)を此(この)危難(きなん)から救(すく)ひ出(いだ)す事(こと)は、大佐(たいさ)の智惠(ちゑ)でも迚(とて)も及(およ)ばぬのであらうと、私(わたくし)は深(ふか)く心(こゝろ)に决(けつ)したが、今(いま)の塲合(ばあひ)だから何(なに)も言(い)はない。
此時(このとき)不意(ふゐ)に、車外(しやぐわい)の猛獸(まうじう)の群(むれ)は何者(なにもの)にか愕(おどろ)いた樣子(やうす)で、一時(いちじ)に空(そら)に向(むか)つて唸(うな)り出(だ)した。途端(とたん)、何處(いづく)ともなく、微(かす)かに一發(いつぱつ)の銃聲(じうせい)!
一同(いちどう)は飛立(とびた)つて、四方(しほう)を見廻(みまわ)したが、何(なに)も見(み)えない。偖(さて)は心(こゝろ)の迷(まよひ)であつたらうかと、互(たがひ)に顏(かほ)を見合(みあは)す時(とき)、またも一發(いつぱつ)ドガン! ふと、大空(おほぞら)[#ルビの「おほぞら」は底本では「おほそら」]を仰(あほ)いだ武村兵曹(たけむらへいそう)は、破鐘(われがね)のやうに叫(さけ)んだ。
『輕氣球(けいききゆう)! 輕氣球(けいききゆう)!。』
見(み)ると、太陽(たいやう)がキラ/\と輝(かゞや)いて居(を)る東(ひがし)の方(ほう)の、赤裸(あかはだか)の山(やま)の頂(いたゞき)を斜(なゝめ)に掠(かす)めて、一個(いつこ)の大輕氣球(だいけいききゆう)が風(かぜ)のまに/\此方(こなた)に向(むか)つて飛(と)んで來(き)た。
『やア、大佐(たいさ)の叔父(おぢ)さんが、風船(ふうせん)で救(たす)けに來(き)たんだよ/\。』と日出雄少年(ひでをせうねん)は雀躍(じやくやく)した。
『早(はや)く、早(はや)く、先方(むかう)では吾等(われら)を搜索(さうさく)して居(を)るのだ、早(はや)く、此方(こなた)の所在(ありか)を知(し)らせろツ。』と、私(わたくし)が叫(さけ)ぶ聲(こゑ)の下(した)に、武村兵曹(たけむらへいそう)と二名(にめい)の水兵(すいへい)とは、此時(このとき)數個(すうこ)殘(のこ)つて居(を)つた爆裂彈(ばくれつだん)を一時(いちじ)に投(な)げ出(だ)した。山(やま)も、谷(たに)も、一時(いちじ)に顛倒(てんたう)する樣(やう)な響(ひゞき)と共(とも)に、黒煙(こくえん)パツと立昇(たちのぼ)る。猛獸羣(まうじうぐん)は不意(ふゐ)に驚(おどろ)いて、周章狼狽(あわてふためい)て逃(に)げ失(う)せる。輕氣球(けいききゆう)の上(うへ)では、忽(たちま)ち吾等(われら)の所在(ありか)を見出(みいだ)したと見(み)へ、搖藍(ゆれかご)の中(なか)から誰人(たれ)かの半身(はんしん)が現(あら)はれて、白(しろ)い手巾(ハンカチーフ)が、右(みぎ)と、左(ひだり)にフーラ/\と動(うご)いた。
頓(やが)て氣球(ききゆう)はだん/\と接近(せつきん)して、丁度(ちやうど)鐵車(てつしや)の直(すぐ)上(うへ)五十呎(フヒート)ばかりになると、空中(くうちう)から大聲(たいせい)で
『一同(いちどう)無事(ぶじ)か。』と叫(さけ)んだのは、懷(なつ)かしや、櫻木海軍大佐(さくらぎかいぐんたいさ)の聲(こゑ)、同時(どうじ)に、今(いま)一人(ひとり)乘組(のりく)んで居(を)つた馴染(なじみ)の顏(かほ)の水兵(すいへい)が、機敏(きびん)に碇綱(いかりづな)を投(な)げると、それが巧(うま)く鐵檻車(てつおりくるま)の一端(いつたん)に止(とま)つたので、『それツ。』といふ聲(こゑ)諸共(もろとも)、吾等(われら)は鐵車(てつしや)の扉(とびら)を跳(は)ね除(の)け、猿(ましら)の如(ごと)く綱(つな)を傳(つた)つて昇(のぼ)り出(だ)した。丁度(ちやうど)此時(このとき)、一度(いちど)逃去(にげさ)つたる猛獸(まうじう)は、再(ふたゝ)び其處此處(そここゝ)の森林(もり)から現(あら)はれて來(き)たが、つる/\と空中(くうちう)に、昇(のぼ)つて行(ゆ)く吾等(われら)の姿(すがた)を見(み)て、一種(いつしゆ)異樣(ゐやう)に咆哮(ほうかう)した。遂(つひ)に、吾等(われら)五人(ごにん)は安全(あんぜん)に、輕氣球(けいきゝゆう)へ達(たつ)した。大佐(たいさ)の顏(かほ)を見(み)るより日出雄少年(ひでをせうねん)は
『叔父(おぢ)さん、稻妻(いなづま)は、稻妻(いなづま)は――。』
大佐(たいさ)は笑(わら)つて
『無事(ぶじ)だよ、無事(ぶじ)だよ。』
私(わたくし)と二名(にめい)の水兵(すいへい)とは、餘(あま)りの※(「りっしんべん+喜」、第4水準2-12-73)(うれ)しさに一言(いちごん)も無(な)かつた。武村兵曹(たけむらへいそう)は何(なに)より前(さき)に自分(じぶん)の大失策(おほしくじり)を白状(はくじやう)して、頻(しき)りに頭(あたま)を掻(か)いた。此時(このとき)如何(いか)に※(「りっしんべん+喜」、第4水準2-12-73)(うれ)しく、また、如何(いか)なる談話(だんわ)のあつたかは只(たゞ)諸君(しよくん)の想像(さうぞう)に任(まか)せるが、茲(こゝ)に一言(ひとこと)記(しる)して置(お)かねばならぬのは、此(この)大輕氣球(だいけいききゆう)[#ルビの「だいけいききゆう」は底本では「だいけいきゆう」]の事(こと)である。
櫻木大佐(さくらぎたいさ)の話(はな)す處(ところ)によると、此(この)日(ひ)から丁度(ちやうど)八日(やうか)前(まへ)の晩(ばん)(即(すなは)ち吾等(われら)が犬(いぬ)の使者(ししや)を送(おく)つた其日(そのひ)の夜(よる)である。)猛犬稻妻(まうけんいなづま)が數(すう)ヶ所(しよ)の傷(きづ)を負(お)ひ、血(ち)に染(し)みて歸(かへ)つて來(き)たので、初(はじ)めて吾等(われら)の大難(だいなん)が分(わか)り、それより海岸(かいがん)の家(いへ)は沸(わ)くが如(ごと)き騷(さわ)ぎで、種々(しゆ/″\)評議(ひやうぎ)の結果(けつくわ)、此(この)危急(ききふ)を救(すく)ふには、輕氣球(けいきゝゆう)を飛(と)ばすより他(ほか)に策(さく)は無(な)いといふ事(こと)に定(さだま)つたが、氣球(ききゆう)[#ルビの「ききゆう」は底本では「きゆう」]を作(つく)る事(こと)は容易(ようゐ)な業(わざ)ではない、幸(さひはひ)にも、材料(ざいれう)は甞(かつ)て、浪(なみ)の江丸(えまる)で本島(ほんたう)に運(はこ)んで來(き)た諸(しよ)品(ひん)の内(うち)にあつたので直(たゞ)ちに着手(ちやくしゆ)したが、其爲(そのため)に少(すく)なからぬ勞力(ほねをり)と、諸種(しよしゆ)の重要(ぢゆうえう)なる藥品等(やくひんとう)を費(つひや)したは勿論(もちろん)、海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)の内部(ないぶ)各室(かくしつ)の裝飾用(さうしよくよう)にと、遙(は)る/″\本國(ほんごく)から携(たづさ)へて來(き)た三百餘反(よたん)の白絹(しろぎぬ)をば、悉皆(すつかり)使用(しよう)してしまつた相(さう)だ。此事(このこと)を語(かた)つて櫻木大佐(さくらぎたいさ)は笑(わら)ひながら
『諸君(しよくん)は好奇心(こうきしん)から禍(わざはひ)を招(まね)いた罰(ばつ)として、海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)の竣成(しゆんせい)した曉(あかつき)にも、裝飾(かざり)の無(な)い船室(せんしつ)に辛房(しんぼう)せねばなりませんよ。』
一同(いちどう)はたゞ頭(あたま)を掻(か)くのみ
『はい、はい、どんな事(こと)でも/\。』と、答(こた)へたが、夫(それ)に就(つ)けても氣遣(きづか)はしきは海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)の工事(こうじ)の、吾等(われら)が斯(かゝ)る騷動(さわぎ)を引起(ひきおこ)した爲(ため)に、痛(いた)く妨(さまた)げられたのではあるまいかと、私(わたくし)は口籠(くちごも)りながら問(と)ひかけると、大佐(たいさ)は悠々(いう/\)として
『いや、豫定通(よていどう)り、明日(めうにち)が試運轉式(しうんてんしき)で、それより一週間(いつしゆうかん)以内(いない)には、本島(ほんたう)を出發(しゆつぱつ)する事(こと)が出來(でき)ませう。』と言(い)ひつゝ、日出雄少年(ひでをせうねん)に向(むか)つて
『少年(せうねん)よ、待(まち)に待(ま)つたる富士山(ふじさん)を見(み)るのも遠(とほ)い事(こと)ではないよ。』
一同(いちどう)は意外(ゐぐわい)の喜悦(よろこび)に顏(かほ)を見合(みあ)はした。武村兵曹(たけむらへいそう)は我(われ)を忘(わす)れて大聲(おほごゑ)に
『ほー、えれい勢(いきほひ)だ、一方(いつぽう)では輕氣球(けいきゝゆう)を作(こしら)へながら、海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)も豫定通(よていどう)りに竣成(しゆんせい)したとなると、吾等(われら)が馬鹿(ばか)を見(み)て居(を)つた間(あひだ)に、大佐閣下(たいさかくか)も、其(その)餘(よ)の水兵(すいへい)共(ども)も、寢(ね)ないで働(はたら)いた譯(わけ)だな。』
大佐(たいさ)は微笑(びせう)と共(とも)に
『武村兵曹(たけむらへいそう)、お前(まへ)の失策(しくさく)の爲(た)めに、八日間(やうかかん)一睡(いつすい)もしないで働(はたら)いた水兵(すいへい)もあつたよ。』
兵曹(へいそう)は頭(あたま)を垂(た)れた、私(わたくし)も耳(みゝ)が痛(いた)かつた。話(はなし)の間(あひだ)に、輕氣球(けいきゝゆう)は、かの恐(おそ)ろしき山(やま)と森(もり)と谷(たに)と、又(ま)た惜(をし)む可(べ)き――然(さ)れど今(いま)は要(えう)なき鐵檻車(てつおりぐるま)とを後(あと)にして、風(かぜ)のまに/\空中(くうちう)を飛行(ひかう)して、其日(そのひ)午後(ごゞ)三時(じ)四十分(ぷん)項(ごろ)、吾等(われら)は再(ふたゝ)び、懷(なつ)かしき海岸(かいがん)の景色(けしき)を夢(ゆめ)のやうに見(み)おろした時(とき)、海岸(かいがん)に殘(のこ)れる水兵等(すいへいら)も吾等(われら)と認(みと)めたと覺(お)ぼしく、屏風岩(べうぶいわ)の上(うへ)から、大佐(たいさ)の家(いへ)から、手(て)に/\帽(ぼう)を振(ふ)り、手巾(ハンカチーフ)を振廻(ふりまわ)しつゝ、氣球(きゝゆう)の降(くだ)ると見(み)えし海濱(うみべ)を指(さ)して、蟻(あり)のやうに集(あつま)つて來(く)る。其(その)眞先(まつさき)に砂塵(すなけむり)を蹴立(けた)てゝ、驅(かけ)つて來(く)るのはまさしく猛犬稻妻(まうけんいなづま)!
遂(つひ)に、吾等(われら)は、大佐(たいさ)の家(いへ)から四五町(ちやう)距(へだゝ)つた海岸(かいがん)に降下(かうか)した。勢(いきほひ)よき水兵等(すいへいら)の歡呼(くわんこ)に迎(むか)へられて、輕氣球(けいききゆう)[#ルビの「けいききゆう」は底本では「けいきゆう」]を出(で)ると、日出雄少年(ひでをせうねん)は、第一(だいいち)に稻妻(いなづま)の首輪(くびわ)に抱着(だきつ)いた。二名(にめい)の水兵(すいへい)は仲間(なかま)の一群(ひとむれ)に追廻(おひま)はされて、※(「りっしんべん+喜」、第4水準2-12-73)々(きゝ)と叫(さけ)びながら逃廻(にげまわ)つた。それは「命拾(いのちひろ)ひのお祝(いわひ)」に、拳骨(げんこつ)が一(ひと)つ宛(づゝ)振舞(ふるま)はれるので『之(これ)は堪(たま)らぬ』と逃(に)げ出(だ)す次第(しだい)だ。勿論(もちろん)戯謔(じやうだん)だが隨分(ずいぶん)迷惑(めいわく)な事(こと)だ。大佐(たいさ)は笑(わら)ひながら徐(しづ)かに歩(あゆ)み出(だ)すと、一同(いちどう)は吾等(われら)の前後左右(ぜんごさゆう)を取卷(とりま)いて、家路(いへぢ)に迎(むか)ふ。途中(とちう)、武村兵曹(たけむらへいそう)は大得意(だいとくい)で、ヤンヤ/\の喝釆(かつさい)の眞中(まんなか)に立(た)つて、手(て)を振(ふ)り口沫(こうまつ)を飛(とば)して、今回(こんくわい)の冐險譚(ぼうけんだん)をはじめた。此(この)男(をとこ)は正直(せうじき)だから、猛狒(ゴリラ)退治(たいぢ)の手柄話(てがらばなし)は勿論(もちろん)、自分(じぶん)の大失策(おほしくじり)をも、人一倍(ひといちばい)の大聲(おほごゑ)でやツて退(の)けた。
かくて、吾等(われら)は大暴風雨(だいぼうふうう)の後(のち)に、晴朗(うらゝか)な天氣(てんき)を見(み)るやうに、非常(ひじやう)の喜(よろこ)びを以(もつ)て大佐(たいさ)の家(いへ)に着(つ)いた。それから、吾等(われら)が命拾(いのちひろ)ひのお祝(いわ)ひやら、明日(あす)の凖備(じゆんび)やらで大騷(おほさわ)ぎ。

    第二十二回 海(うみ)の禍(わざはひ)
孤島の紀元節――海軍大佐の盛裝――海岸の夜會――少年の劍舞――人間の幸福を嫉む惡魔の手――海底の地滑り――電光艇の夜間信號
 二月(ぐわつ)十一日(にち)、待(まち)に待(まつ)つたる紀元節(きげんせつ)の當日(たうじつ)とはなつた。前夜(ぜんや)は、夜半(やはん)まで大騷(おほさわ)ぎをやつたが、なか/\今日(けふ)は朝寢(あさね)どころではない。拂曉(ふつげう)に目醒(めさ)めて、海岸(かいがん)へ飛出(とびだ)して見(み)ると、櫻木海軍大佐(さくらぎかいぐんたいさ)、日出雄少年(ひでをせうねん)武村兵曹等(たけむらへいそうら)は既(すで)に浪打際(なみうちぎわ)を逍遙(せうえふ)しながら、いづれも喜色滿面(きしよくまんめん)だ。大海原(おほうなばら)の東(ひがし)の極(きわみ)から、うら/\と昇(のぼ)つて來(く)る旭(あさひ)の光(ひかり)も、今日(けふ)は格別(かくべつ)に麗(うる)はしい樣(やう)だ。あの日(ひ)の出(い)づる邊(へん)、我(わが)故國(ここく)では今頃(いまごろ)は定(さだ)めて、都大路(みやこおほぢ)の繁華(はんくわ)なる處(ところ)より、深山(みやま)の奧(をく)の杣(そま)の伏屋(ふせや)に到(いた)るまで、家々(いへ/\)戸々(こゝ)に日(ひ)の丸(まる)の國旗(こくき)を飜(ひるがへ)して、御國(みくに)の榮(さかえ)を祝(いわ)つて居(を)る事(こと)であらう。吾等(われら)遠(とう)く印度洋(インドやう)の此(この)孤島(はなれじま)に距(へだゝ)つて居(を)つても、※(「公の右上の欠けたもの」、第4水準2-1-10)※(「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2-94-57)(どう)して此(この)日(ひ)を祝(いわ)はずに居(を)られやう、去年(きよねん)も、一昨年(おとゞし)も、當日(たうじつ)は終日(しうじつ)業(げふ)を休(やす)んで、心(こゝろ)ばかりの祝意(しゆくゐ)を表(ひやう)したが、今年(ことし)の今日(けふ)といふ今日(けふ)は、啻(たゞ)に本國(ほんごく)の大祭日(たいさいじつ)ばかりではない、吾等(われら)の爲(ため)には、終世(しうせい)の紀念(きねん)ともなる可(べ)き、海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)の首尾(しゆび)よく竣成(しゆんせい)して、初(はじ)めて海(うみ)に浮(うか)び出(で)る當日(たうじつ)であれば、其(その)目出度(めでた)さも亦(ま)た格別(かくべつ)である。昨夜(さくや)以來(いらい)我(わが)朝日島(あさひじま)の海岸(かいがん)は、手(て)の及(およ)ぶ限(かぎ)り裝飾(さうしよく)された。大佐(たいさ)の家(いへ)は隙間(すきま)もなく日(ひ)の丸(まる)の國旗(こくき)に取卷(とりま)かれて、其(その)正面(せうめん)には、見事(みごと)な緑門(アーチ)も出來(でき)た。荒浪(あらなみ)の※(「革+堂」、第3水準1-93-80)々(どう/\)と打寄(うちよ)する岬(みさき)の一端(いつたん)には、高(たか)き旗竿(はたざほ)が立(た)てられて、一夜作(いちやづく)りの世界(せかい)※國(ばんこく)[#「一/力」、274-4]の旗(はた)は、其(その)竿頭(かんとう)から三方(さんぽう)に引(ひ)かれた綱(つな)に結(むす)ばれて、翩々(へんぺん)と風(かぜ)に靡(なび)く、其(その)頂上(てつぺん)には我(わ)が譽(ほまれ)ある日章旗(につしようき)は、恰(あだか)も列國(れつこく)を眼下(がんか)に瞰(み)おろすが如(ごと)く、勢(いきほひ)よく飜(ひるがへ)つて居(を)る。海濱(かいひん)の其處此處(そここゝ)には、毛布(ケツト)や、帆布(ほぬの)や、其他(そのほか)樣々(さま/″\)の武器等(ぶきとう)を應用(おうよう)して出來(でき)た、富士山(ふじさん)の摸形(もけい)だの、二見(ふたみ)ヶ浦(うら)の夕景色(ゆふげしき)だの、加藤清正(かとうきよまさ)の虎退治(とらたいぢ)の人形(にんぎよう)だのが、奇麗(きれい)な砂(すな)の上(うへ)にズラリと並(なら)んだ。また彼方(かなた)では、一團(いちだん)の水兵(すいへい)がワイ/\と騷(さわ)いで居(を)るので、何事(なにごと)ぞと眺(なが)めると、其處(そこ)は小高(こだか)い丘(をか)の麓(ふもと)で、椰子(やし)や橄欖(かんらん)の葉(は)が青々(あほ/\)と茂(しげ)り、四邊(あたり)の風景(けしき)も一際(ひときわ)美(うる)はしいので、今夜(こんや)は此處(こゝ)に陣屋(ぢんや)を構(かま)へて、大祝賀會(だいしゆくがくわい)を催(もよう)すとの事(こと)、其(その)仕度(したく)に帆木綿(ほもめん)や、檣(ほばしら)の古(ふる)いのや、倚子(いす)や、テーブルを擔(かつ)ぎ出(だ)して、大騷(おほさわ)ぎの最中(さいちう)。
頓(やが)て海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)が、いよ/\秘密造船所(ひみつざうせんじよ)を出(い)づる可(べ)き筈(はづ)の午前(ごぜん)九時(くじ)になると、一發(いつぱつ)の砲聲(ほうせい)が轟(とゞろ)いた。それと同時(どうじ)に、一旦(いつたん)家(いへ)に歸(かへ)つた櫻木海軍大佐(さくらぎかいぐんたいさ)は、金(きん)モールの光(ひかり)燦爛(さんらん)たる海軍大佐(かいぐんたいさ)の盛裝(せいさう)で、一隊(いつたい)の水兵(すいへい)を指揮(しき)して、屏風岩(べうぶいわ)の下(した)なる秘密造船所(ひみつざうせんじよ)の中(なか)へと進入(すゝみい)つた。私(わたくし)と、日出雄少年(ひでをせうねん)と、他(ほか)に一群(いちぐん)の水兵(すいへい)とは、陸(りく)に留(とゞま)つて、其(その)試運轉(しうんてん)の光景(くわうけい)を眺(なが)めつゝ、花火(はなび)を揚(あ)げ、旗(はた)を振(ふ)り、大喝采(だいかつさい)をやる積(つも)りだ。
九時(じ)三十分(ぷん)、第二(だいに)の砲聲(ほうせい)と共(とも)に、我(わ)が驚(おどろ)く可(べ)き海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)は遂(つひ)に海中(かいちう)に進水(しんすい)した。艇長(ていちやう)百三十呎(フヒート)、全面(ぜんめん)雪白(せつはく)の電光艇(でんくわうてい)が、靜(しづ)かに[#「靜(しづ)かに」は底本では「靜(しづ)がに」]波上(はじやう)に泛(うか)んだ時(とき)の勇(いさ)ましさ、櫻木海軍大佐(さくらぎかいぐんたいさ)は軍刀(ぐんたう)をかざして觀外塔上(くわんぐわいたふじやう)に立(た)ち、一聲(いつせい)[#ルビの「いつせい」は底本では「いつせん」]叫(さけ)ぶ號令(がうれい)の下(した)に、艇(てい)は流星(りうせい)の如(ごと)く疾走(しつさう)した、第二(だいに)の號令(がうれい)と共(とも)に、甲板(かんぱん)は自然(しぜん)に閉(と)ぢ、水煙(すいゑん)空(そら)に飛(と)ぶよと見(み)えし、艇(てい)は忽然(こつぜん)波底(はてい)に沈(しづ)み、沈(しづ)んでは浮(うか)び、浮(うか)んでは沈(しづ)み、右(みぎ)に、左(ひだり)に、前(まへ)に、後(うしろ)に、神出鬼沒(しんしゆつきぼつ)の活動(くわつどう)は、げにや天魔(てんま)の業(わざ)かと疑(うたが)はるゝ、折(をり)から遙(はる)かの沖(おき)に當(あた)つて、小山(こやま)の如(ごと)き數頭(すうとう)の鯨群(くじらのむれ)は、潮(うしほ)を吹(ふ)いて游(およ)いで來(き)た。物(もの)の數(かず)にも足(た)らぬ海獸(かいじう)なれど、あれを敵國(てきこく)の艦隊(かんたい)に譬(たと)ふれば如何(いか)にと、電光艇(でんくわうてい)は矢庭(やにわ)に三尖衝角(さんせんしようかく)を運轉(うんてん)して、疾風(しつぷう)電雷(でんらい)の如(ごと)く突進(とつしん)すれば、あはれ、海(うみ)の王(わう)なる巨鯨(きよげい)の五頭(ごとう)七頭(しちとう)は微塵(みぢん)となつて、浪(なみ)を血汐(ちしほ)に染(そ)めた。更(さら)に新式魚形水雷(しんしきぎよけいすいらい)の實力(じつりよく)如何(いか)にと、艇(てい)は海底(かいてい)を龍(りよう)の如(ごと)[#ルビの「ごと」は底本では「ごく」]く疾走(しつさう)しつゝ洋上(やうじやう)の巨巖(きよがん)[#「巨巖(きよがん)」は底本では「巨嚴(きよがん)」]目掛(めが)けて射出(ゐいだ)す一發(いつぱつ)二發(にはつ)、巨巖(きよがん)碎(くだ)け飛(と)んで、破片(はへん)波(なみ)に跳(をど)つた。忽(たちま)ち電光艇(でんくわうてい)の甲板(かんぱん)には歡呼(くわんこ)の聲(こゑ)が起(おこ)つた。それと同時(どうじ)に、吾等(われら)陸上(りくじやう)の一同(いちどう)は萬歳(ばんざい)を叫(さけ)ぶ、花火(はなび)を揚(あ)げる、旗(はた)を振(ふ)る、日出雄少年(ひでをせうねん)は夢中(むちう)になつて、猛犬稻妻(まうけんいなづま)と共(とも)に、飛鳥(ひちやう)の如(ごと)く海岸(かいがん)の砂(すな)を蹴立(けた)てゝ奔走(ほんさう)した。實(じつ)に此(この)島(しま)在(あ)つて以來(いらい)の大盛况(だいせいけう)※[#感嘆符三つ、277-1]
兎角(とかく)する程(ほど)に、海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)は[#「海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)は」は底本では「海底戰國艇(かいていせんとうてい)は」]試運轉(しうんてん)を終(をは)り、櫻木海軍大佐(さくらぎかいぐんたいさ)は再(ふたゝ)び一隊(いつたい)を指揮(しき)して上陸(じやうりく)した。電光艇(でんくわうてい)は恰(あだか)も勇士(ゆうし)の憩(いこ)うが如(ごと)く、海岸(かいがん)間近(まぢか)く停泊(ていはく)して居(を)る。
さて夫(それ)よりは、紀元節(きげんせつ)の祝賀(しゆくが)と、此(この)大(おほい)なる成功(せいこう)の祝(いわひ)とで沸(わ)くが如(ごと)き騷(さわ)ぎ、夜(よる)になると、兼(かね)て設(まう)けられたる海岸(かいがん)の陣屋(ぢんや)で大祝賀會(だいしゆくがくわい)が始(はじ)まつた。其塲(そのば)の盛况(せいけう)は筆(ふで)にも言葉(ことば)にも盡(つく)されない。茶番(ちやばん)をやる水兵(すいへい)もある、軍樂(ぐんがく)を奏(そう)する仲間(なかま)もある、武村兵曹(たけむらへいそう)は得意(とくい)に、薩摩琵琶(さつまびわ)『河中島(かはなかじま)』の一段(いちだん)を語(かた)つた。此(この)男(をとこ)に、此樣(こん)な隱(かく)し藝(げい)があらうとは今日(けふ)まで氣付(きづ)かなかつた。特(こと)に櫻木海軍大佐(さくらぎかいぐんたいさ)の朗々(らう/\)たる詩吟(しぎん)につれて、何時(いつ)覺(おぼ)えたか、日出雄少年(ひでをせうねん)の勇(いさ)ましき劍舞(けんぶ)は當夜(たうや)の華(はな)で、私(わたくし)が無藝(むげい)のために、只更(ひたすら)頭(あたま)を掻(か)いたのと共(とも)に、大拍手(だいはくしゆ)大喝釆(だいかつさい)であつた。
かくて、此(この)會(くわい)の全(まつた)く終(をは)つたのは夜(よる)の十一時(じ)※(すぎ)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、278-1]であつた。櫻木大佐(さくらぎたいさ)は、すでに海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)も海上(かいじやう)に浮(うか)んだので、其(その)甲板(かんぱん)を守(まも)らんが爲(た)めに、武村兵曹(たけむらへいそう)をはじめ一隊(いつたい)の水兵(すいへい)を引卒(いんそつ)して艇中(ていちう)に赴(おもむ)いた。殘(のこ)り一群(いちぐん)の水兵(すいへい)と、私(わたくし)と、日出雄少年(ひでをせうねん)とは、未(ま)だ艇(てい)に乘組(のりく)む必要(ひつえう)も無(な)いので、再(ふたゝ)び海岸(かいがん)の家(いへ)へ歸(かへ)つたのである。
誰(だれ)でも左樣(さう)だが、非常(ひじやう)に※(「りっしんべん+喜」、第4水準2-12-73)(うれ)しい時(とき)にはとても睡眠(すいみん)などの出來(でき)るものでない。で、家(いへ)に歸(かへ)つたる吾等(われら)の仲間(なかま)は、それからまた一室(ひとま)に集(あつま)つて、種々(しゆ/″\)の雜談(ざうだん)に耽(ふけ)つた。※(「窗/心」、第3水準1-89-54)(まど)の硝子越(がらすご)しに海上(かいじやう)を眺(なが)めると、電光艇(でんくわうてい)は星(ほし)の光(ひかり)を浴(あ)びて悠然(いうぜん)と波上(はじやう)に浮(うか)んで居(を)る、あゝ此(この)艇(てい)もかく竣成(しゆんせい)した以上(いじやう)は、今(いま)から一週間(いつしゆうかん)か、十日(か)以内(いない)には、萬端(ばんたん)の凖備(じゆんび)を終(をは)つて、此(この)島(しま)を出發(しゆつぱつ)する事(こと)が出來(でき)るであらう。此(この)島(しま)を出發(しゆつぱつ)したらもう締(しめ)たものだ、一時間(いちじかん)百海里(ひやくかいり)前後(ぜんご)の大速力(だいそくりよく)は、印度洋(インドやう)を横切(よこぎ)り、支那海(シナかい)を※(す)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、278-12]ぎ、懷(なつ)かしき日本海(につぽんかい)の波上(はじやう)より、仰(あほ)いで芙蓉(ふえう)の峰(みね)を拜(はい)する事(こと)も遠(とほ)い事(こと)ではあるまい。無邪氣(むじやき)なる水兵等(すいへいら)の想像(さうぞう)するが如(ごと)く、其時(そのとき)の光景(くわうけい)はまあどんなであらう。電光艇(でんくわうてい)の評判(ひやうばん)、櫻木大佐(さくらぎたいさ)の榮譽(ほまれ)、各自(めい/\)の胸(むね)にある種々(しゆ/″\)の樂(たのし)み、それ等(ら)は管々(くだ/\)しく言(い)ふに及(およ)ばぬ。一度(いちど)死(し)んだと思(おも)はれた日出雄少年(ひでをせうねん)と、私(わたくし)とが、無事(ぶじ)に此(この)譽(ほまれ)ある電光艇(でんくわうてい)と共(とも)に世(よ)に現(あら)はれて來(き)たと聞(き)いたなら、ネープルスに在(あ)る濱島武文(はまじまたけぶみ)――若(も)しまた春枝夫人(はるえふじん)が此世(このよ)にあるものならば、如何(いか)に驚(おどろ)き且(か)つ喜(よろこ)ぶ事(こと)であらう。斯(か)う考(かんが)へると、實(じつ)に愉快(ゆくわい)で/\堪(たま)らぬ、今(いま)や吾等(われら)の眼(まなこ)には、たゞ希望(きぼう)の光(ひかり)の輝(かゞや)くのみで、誰(たれ)か人間(にんげん)の幸福(さひはひ)を嫉(ねた)む惡魔(あくま)の手(て)が、斯(かゝ)る時(とき)――かゝる間際(まぎは)に兎角(とかく)大厄難(だいやくなん)を誘起(ひきおこ)すものであるなどゝ心付(こゝろづ)く者(もの)があらう。
然(しか)るに、人間(にんげん)の萬事(ばんじ)は、實(じつ)に意外(いぐわい)の又(また)意外(いぐわい)、此(この)喜悦(よろこび)の最中(さいちう)に非常(ひじやう)な事變(じへん)が起(おこ)つた。
刻(こく)は、草木(くさき)も眠(ねむ)る、一時(いちじ)と二時(にじ)との間(あひだ)、談話(だんわ)暫時(しばし)途絶(とだ)えた時(とき)、ふと、耳(みゝ)を澄(すま)すと、何處(いづこ)ともなく轟々(ごう/\)と、恰(あだか)も遠雷(えんらい)の轟(とゞろ)くが如(ごと)き響(ひゞき)、同時(どうじ)に戸外(こぐわい)では、猛犬稻妻(まうけんいなづま)がけたゝましく吠立(ほえた)てるので、吾等(われら)は驚(おどろ)いて立上(たちあが)る、途端(とたん)もあらせず! 響(ひゞき)は忽(たちま)ち海上(かいじやう)に當(あた)つて、天軸(てんじく)一時(いちじ)に碎(くだ)け飛(と)ぶが如(ごと)く、一陣(いちぢん)の潮風(ていふう)は波(なみ)の飛沫(とばしり)と共(とも)に、サツと室内(しつない)に吹付(ふきつ)けた。
『大海嘯(おほつなみ)! 大海嘯(おほつなみ)!。』と一同(いちどう)は絶叫(ぜつけう)したよ。
周章狼狽(あわてふためき)戸外(こぐわい)に飛出(とびだ)して見(み)ると、今迄(いまゝで)は北斗七星(ほくとしちせい)の爛々(らん/\)と輝(かゞや)いて居(を)つた空(そら)は、一面(いちめん)に墨(すみ)を流(なが)せる如(ごと)く、限(かぎ)りなき海洋(かいやう)の表面(ひやうめん)は怒濤(どたう)澎湃(ぼうはい)、水煙(すいえん)天(てん)に漲(みなぎ)つて居(を)る。
此(この)海嘯(つなみ)は後(のち)に分(わか)つたが、印度洋(インドやう)中(ちう)マルダイ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)島(たう)附近(ふきん)の海底(かいてい)の地滑(ちすべ)りに原因(げんいん)して、亞弗利加(アフリカ)の沿岸(えんがん)から、亞剌比亞(アラビヤ)地方(ちほう)へかけて、非常(ひじやう)な損害(そんがい)を與(あた)へた相(さう)だが、其(その)餘波(よは)が此(この)孤島(はなれじま)まで押寄(おしよ)せて來(き)たのである。
兎(と)に角(かく)非常(ひじやう)な騷動(さうどう)!
幸福(さひはひ)にも吾等(われら)の家(いへ)は、斷崖(だんがい)の絶頂(ぜつてう)に建(た)てられて居(を)つたので、此(この)恐(おそ)る可(べ)き惡魔(あくま)の犧牲(ぎせい)となる事(こと)丈(だ)けは免(まぬ)かれた。けれど、それと同時(どうじ)に、第一(だいいち)に吾等(われら)の胸(むね)を打(う)つたのは、櫻木大佐等(さくらぎたいさら)の乘込(のりこ)める海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)の安否(あんぴ)である。天(てん)は暗(くら)い、地(ち)も暗(くら)い、海(うみ)の面(おもて)は激浪(げきらう)逆卷(さかま)き、水煙(すいゑん)跳(をど)つて、咫尺(しせき)も辨(べん)ぜぬ有樣(ありさま)、私(わたくし)は氣(き)も氣(き)でなく、直(たゞ)ちに球燈(きゆうとう)を點(てん)じて驅(か)け出(だ)すと、日出雄少年(ひでをせうねん)も水兵等(すいへいら)も齊(ひと)しく手(て)に/\松明(たいまつ)をかざして、斷崖(だんがい)の尖端(せんたん)に立(た)ち、聲(こゑ)を限(かぎ)りに叫(さけ)びつゝ火光(くわくわう)を縱横(じゆうわう)に振廻(ふりまわ)した。吾等(われら)の叫聲(さけびごゑ)は忽(たちま)ち怒濤(どたう)の響(ひゞき)に打消(うちけ)されてしまつたが、只(たゞ)見(み)る、黒暗々(こくあん/\)たる遙(はる)か/\の沖(おき)に當(あた)つて、一點(いつてん)の燈光(とうくわう)ピカリ/\。
まさしく、海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)よりの夜間信號(やかんしんがう)!
其(その)信號(しんがう)に曰(いは)く
 電光艇(でんくわうてい)は無事(ぶじ)なり! 電光艇(でんくわうてい)は無事(ぶじ)なり!

    第二十三回 十二の樽(たる)
海底戰鬪艇の生命――人煙の稀な橄欖島――鐵の扉は微塵――天上から地獄の底――其樣な無謀な事は出來ません――無念の涙
 大海嘯(おほつなみ)後(ご)の光景(くわうけい)は、實(じつ)に慘憺(さんたん)たるものであつた。
翌朝(よくてう)になつて見(み)ると、海潮(かいてう)は殆(ほとん)ど平常(へいじやう)に復(ふく)したが、見渡(みわた)す限(かぎ)り、海岸(かいがん)は、濁浪(だくらう)怒濤(どたう)の爲(ため)に荒(あら)されて、昨日(きのふ)美(うる)はしく飾立(かざりた)てゝあつた砂上(しやじやう)の清正(きよまさ)の人形(にんぎよう)も、二見(ふたみ)ヶ浦(うら)の模形(もけい)も、椰子林(やしばやし)の陣屋(ぢんや)も、何處(いづく)へ押流(おしなが)されたか影(かげ)も形(かたち)もなく、秘密造船所(ひみつざうせんじよ)も一時(いちじ)は全(まつた)く海水(かいすい)に浸(ひた)されたと見(み)えて、水面(すいめん)から餘程(よほど)高(たか)い屏風岩(べうぶいわ)の尖頭(せんとう)にも、醜(みにく)き海草(かいさう)の殘(のこ)されて、其(その)海草(かいさう)から滴(したゝ)り落(お)つる水玉(みづたま)に、朝日(あさひ)の光(ひかり)の異樣(ゐやう)に反射(はんしや)して居(を)るなど、實(じつ)に荒凉(くわうりよう)たる有樣(ありさま)であつた。
此時(このとき)、電光艇(でんくわうてい)は遙(はる)かの沖(おき)から海岸(かいがん)に近(ちかづ)き來(きた)り、櫻木海軍大佐(さくらぎかいぐんたいさ)は、無事(ぶじ)に一隊(いつたい)の水兵(すいへい)と共(とも)に上陸(じやうりく)して來(き)たので、陸上(りくじやう)の一同(いちどう)は直(たゞ)ちに其處(そこ)に驅付(かけつ)けた。吾等(われら)の爲(ため)には、海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)が無事(ぶじ)であつた事(こと)が何(な)より※(「りっしんべん+喜」、第4水準2-12-73)(うれ)しい。
私(わたくし)は滿面(まんめん)に笑(えみ)を湛(たゝ)えて大佐(たいさ)の手(て)を握(にぎ)り、かゝる災難(さいなん)の間(あひだ)にも互(たがひ)の身(み)の無事(ぶじ)なりし事(こと)をよろこび、さて
『昨夜(さくや)、海上(かいじやう)の光景(くわうけい)はどんなでしたか。』と言(い)ひながら、しげ/\と大佐(たいさ)の顏(かほ)を眺(なが)めたが、實(じつ)に驚(おどろ)いた。日頃(ひごろ)沈着(ちんちやく)で、何事(なにごと)にも動顛(どうてん)した事(こと)のない大佐(たいさ)の面(おもて)には、此時(このとき)何故(なにゆゑ)か、心痛(しんつう)極(きはま)りなき色(いろ)が見(み)えたのである。大佐(たいさ)ばかりでない、快活(くわいくわつ)なる武村兵曹(たけむらへいそう)も、其他(そのた)の水兵等(すいへいら)も、電光艇(でんくわうてい)より上陸(じやうりく)した一同(いちどう)は、悉(こと/″\)く色蒼(いろあほ)ざめ、頭(かうべ)を垂(た)れて、何事(なにごと)をか深(ふか)く考(かんが)へて居(を)る樣子(やうす)。
私(わたくし)は胸(むね)うたれて、急(いそ)ぎ問(と)ひかけた。
『何(なに)か變(かは)つた事(こと)でも起(おこ)りましたか、若(も)しや、昨夜(さくや)の海嘯(つなみ)のために、海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)に破損(はそん)でも生(せう)じたのではありませんか。』
『否(いや)。』と大佐(たいさ)は靜(しづ)かに顏(かほ)を上(あ)げた。
『電光艇(でんくわうてい)の船體(せんたい)には、何(なに)も異状(ゐじやう)はありませんが――。』といひながら、眤(じつ)と私(わたくし)の顏(かほ)を眺(なが)めて
『然(しか)し、昨夜(さくや)の海嘯(つなみ)は、吾等(われら)一同(いちどう)を希望(きぼう)の天上(てんじやう)より、絶望(ぜつぼう)の谷底(たにそこ)へ蹴落(けおと)したと思(おも)はれます。』
『な、な、何故(なぜ)ですか。』と、陸(りく)の仲間(なかま)は一時(いちじ)に顏色(がんしよく)を變(か)へたのである。大佐(たいさ)は、直(たゞ)ちに此(この)問(とひ)には答(こた)へんとはせで、頭(かうべ)を廻(めぐ)らして、彼方(かなた)なる屏風岩(べうぶいわ)の方(ほう)を眺(なが)めたが、沈欝(ちんうつ)なる調子(ちようし)で
『君(きみ)は今朝(こんてう)になつて、秘密造船所(ひみつざうせんじよ)[#「秘密造船所(ひみつざうせんじよ)」は底本では「秘密船造所(ひみつざうせんじよ)」]の内部(ないぶ)を檢査(けんさ)しましたか。』
『いや、未(ま)だです。』と私(わたくし)は答(こた)へた。若(も)し、大海嘯(おほつなみ)が今(いま)から二三日(にち)以前(いぜん)の事(こと)で、海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)が未(ま)だ船渠(ドツク)を出(で)ぬ内(うち)なら、第一(だいいち)に警戒(けいかい)すべき塲所(ばしよ)は其處(そこ)だが、今(いま)は、左迄(さま)で急(いそ)いで、檢査(けんさ)する必要(ひつえう)も無(な)いと考(かんが)へたのである。然(しか)るに、大佐(たいさ)の言葉(ことば)と、其(その)顏色(かほいろ)とで察(さつ)すると、其(その)心痛(しんつう)の源(みなもと)は何(な)んでも其處(そこ)に起(おこ)つたらしい、私(わたくし)は急(いそ)ぎ言(げん)をつゞけた。
『未(ま)だ實見(じつけん)はしませんが、御覽(ごらん)の通(とう)り、海面(かいめん)から餘程(よほど)高(たか)いあの屏風岩(べうぶいわ)の尖頭(せんとう)にも、海草(かいさう)が打上(うちあ)げられた程(ほど)ですから、秘密造船所(ひみつざうせんじよ)の内部(ないぶ)は無論(むろん)海潮(かいてう)の浸入(しんにう)のために、大損害(だいそんがい)を蒙(かうむ)つた事(こと)でせう、それが何(なに)か憂(うれ)ふ可(べ)き事(こと)の原因(げんゐん)となるのですか。』
『無論(むろん)です。』と大佐(たいさ)は胸(むね)に手(て)を措(お)いて
『君(きみ)は忘(わす)れましたか、秘密造船所(ひみつざうせんじよ)の中(なか)には、未(ま)だ海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)の生命(せいめい)の殘(のこ)されて居(を)つた事(こと)を。』
『海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)[#「海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)」は底本では「海底戰艇鬪(かいていせんとうてい)」]の生命(せいめい)とは。』と、私(わたくし)は審(いぶか)つた。
『十二の樽(たる)です。君(きみ)も御存(ごぞん)じの如(ごと)く、海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)の總(すべ)ての機關(きくわん)は、秘密(ひみつ)なる十二種(しゆ)の化學藥液(くわがくやくえき)の作用(さよう)で活動(くわつどう)するのでせう、其(その)活動(くわつどう)の根源(もと)となる可(べ)き藥液(やくえき)は、盡(ことごと)く十二の樽(たる)に密封(みつぷう)されて、造船所(ざうせんじよ)内(ない)の一部(いちぶ)に貯藏(ちよぞう)されてあつたのだが、あゝ、昨夜(さくや)の大海嘯(おほつなみ)では其(その)一個(いつこ)も無事(ぶじ)では居(を)るまい、イヤ、决(けつ)して無事(ぶじ)で居(を)る筈(はづ)はありません。』
『え、え、え。』と、初(はじ)めて此事(このこと)に氣付(きづ)いた吾等(われら)一同(どう)は、殆(ほとん)ど卒倒(そつたう)するばかりに愕(おどろ)いた。大佐(たいさ)は深(ふか)き嘆息(ためいき)を洩(もら)して
『恐(おそ)らく私(わたくし)の想像(さうぞう)は誤(あやま)るまい、實(じつ)に天(てん)の禍(わざはひ)は人間(にんげん)の力(ちから)の及(およ)ぶ處(ところ)ではないが、今更(いまさら)斯(かゝ)る災難(さいなん)に遭(あ)ふとは、實(じつ)に無情(なさけな)い次第(しだい)です。今(いま)、十二の樽(たる)が盡(ことごと)く流失(りうしつ)したものならば、海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)の神變(しんぺん)不思議(ふしぎ)の力(ちから)も、最早(もはや)活用(くわつよう)するに道(みち)が無(な)いのです。丁度(ちやうど)普通(ふつう)の蒸※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)船(じようきせん)に石炭(せきたん)の缺乏(けつぼう)したと同(おな)じ事(こと)で、波上(はじやう)に停止(ていし)したまゝ、朽果(くちは)つるの他(ほか)はありません。勿論(もちろん)、電光艇(でんくわうてい)には試運轉式(しうんてんしき)の時(とき)に積入(つみい)れた發動藥液(はつどうやくえき)が、今(いま)も多少(たせう)は殘(のこ)つて居(を)るが、艇(てい)に殘(のこ)つて居(を)る丈(だ)けでは、一千海里(かいり)以上(いじやう)を進航(しんこう)するに足(た)らぬ程(ほど)で、本島(ほんとう)から一千海里(かいり)といへば此處(こゝ)から一番(いちばん)に近(ちか)いあの人煙(じんゑん)の稀(まれ)なるマルダイ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)群島(ぐんたう)の一(ひと)つ橄欖島(かんらんたう)の附近(ふきん)までは到達(たうたつ)する事(こと)は出來(でき)ませうが、橄欖島(かんらんたう)へ達(たつ)した所(ところ)で何(なん)にもならない、却(かへつ)て其處(そこ)で、全然(ぜんぜん)進退(しんたい)の自由(じゆう)を失(うしな)つたら夫(それ)こそ大變(たいへん)、自(みづか)ら進(すゝ)んで奇禍(きくわ)を招(まね)くやうなものです。橄欖島(かんらんたう)は荒凉(くわうりやう)たる島(しま)、とても其(その)種(しゆ)の發動藥液(はつどうやくえき)を得(う)る事(こと)は出來(でき)ず、其他(そのた)の諸島(しよたう)、又(また)は大陸(たいりく)に通信(つうしん)して、供給(きようきふ)を仰(あほ)ぐといふ事(こと)も、决(けつ)して出來(でき)る事(こと)では無(な)いのです。加(くわ)ふるに橄欖島(かんらんたう)の附近(ふきん)には、始終(しじう)有名(いうめい)なる海賊船(かいぞくせん)が横行(わうかう)し、また屡々(しば/\)、歐洲(をうしう)諸國(しよこく)の軍艦(ぐんかん)も巡航(じゆんかう)して來(き)ますから、其邊(そのへん)に我(わ)が海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)が機關(きくわん)の活動(くわつどう)を失(うしな)つて、空(むな)しく波上(はじやう)に漾(たゞよ)つて居(を)るのは無謀(むぼう)此上(このうへ)もない事(こと)です。彼等(かれら)は日本帝國(につぽんていこく)の爲(ため)に、今(いま)や斯(かゝ)る戰艇(せんてい)が竣成(しゆんせい)したと知(し)つたら、决(けつ)して默(もく)しては居(を)りません、必定(ひつぜう)、全力(ぜんりよく)を盡(つく)して、掠奪(りやくだつ)に着手(ちやくしゆ)しませうが、其時(そのとき)、動(うご)いては天下(てんか)無敵(むてき)の此(この)電光艇(でんくわうてい)も、其(その)活動力(くわつどうりよく)を失(うしな)つて居(を)る間(あひだ)は、如何(いかん)ともする事(こと)が出來(でき)ません、吾等(われら)は潔(いさぎ)よく其處(そこ)に身命(しんめい)を抛(なげう)つ事(こと)は露惜(つゆをし)まぬが、其爲(そのため)に、海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)が遂(つひ)に彼等(かれら)の手(て)に掠奪(りやくだつ)されて御覽(ごらん)なさい、吾等(われら)が幾年月(いくねんげつ)の苦心慘憺(くしんさんたん)も水(みづ)の泡(あわ)、否(いや)、我(わ)が親愛(しんあい)なる日本帝國(につぽんていこく)[#ルビの「につぽんていこく」は底本では「ほつぽんていこく」]の爲(ため)に、計畫(けいくわく)した事(こと)が、却(かへつ)て敵(てき)に利刀(りたう)を與(あた)へる事(こと)になります。其樣(そのやう)な事(こと)が如何(どう)して出來(でき)ませう。然(さ)れば百計(ひやくけい)盡(つき)た塲合(ばあひ)には、たとへ海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)と共(とも)に永久(えいきゆう)に此(この)孤島(はなれじま)に朽果(くちは)つるとも、無謀(むぼう)に本島(ほんたう)を出發(しゆつぱつ)する事(こと)は出來(でき)ません。君(きみ)よ左樣(さう)でせう。で、今(いま)私(わたくし)の想像(さうぞう)するが如(ごと)く秘密造船所(ひみつざうせんじよ)が全(まつた)く海水(かいすい)の爲(た)めに破壞(はくわい)されて、十二の樽(たる)が其(その)一個(いつこ)でも流失(りうしつ)したものならば、吾等(われら)は最早(もはや)本島(ほんたう)から一尺(いつしやく)も外(そと)へ出(で)る事(こと)は出來(でき)ないのです、左樣(さやう)、吾等(われら)が無上(むじやう)の樂(たのしみ)とせる懷(なつ)かしの日本(につぽん)へ歸(かへ)る可(べ)き希望(きぼう)も、全(まつた)く奪去(うばひさ)られたといふものです。』
『嗟呼(あゝ)。』と叫(さけ)んだ儘(まゝ)、私(わたくし)も日出雄少年(ひでをせうねん)も其他(そのた)の水兵等(すいへいら)も茫然自失(ぼうぜんじしつ)した。
昨夜(さくや)の大海嘯(おほつなみ)の悽(すさ)まじき光景(くわうけい)では、其(その)十二の樽(たる)の最早(もはや)一個(いつこ)も殘(のこ)つて居(を)らぬ事(こと)は分(わか)つて居(を)るが、それでも、萬(まん)に一(いち)もと思(おも)つて、吾等(われら)は心(こゝろ)も空(そら)に洞中(どうちう)の秘密造船所(ひみつざうせんじよ)の内部(ないぶ)に驅付(かけつ)けて見(み)たが、不幸(ふこう)にして大佐(たいさ)の言(ことば)は誤(あやま)らなかつた。塲内(じやうない)の光景(くわうけい)は實(じつ)に慘憺(さんたん)たるもので、濁浪(だくらう)怒濤(どたう)は一方(いつぽう)の岩壁(いわかべ)を突破(つきやぶ)つて、奔流(ほんりう)の如(ごと)く其處(そこ)から浸入(しんにふ)したものと見(み)へ、其(その)直(す)ぐ側(そば)の、兼(かね)て發動藥液(はつどうやくえき)の貯藏(ちよぞう)せられて居(を)つた小倉庫(せうさうこ)の鐵(てつ)の扉(とびら)は微塵(みぢん)に碎(くだ)かれて、十二の樽(たる)は何處(いづく)へ押流(おしなが)されたものか、影(かげ)も形(かたち)も無(な)かつた。
大佐(たいさ)は撫然(ぶぜん)として天(てん)を仰(あほ)ぐのみ、一同(いちどう)の顏色(がんしよく)は益々(ます/\)青(あを)くなつた。
あゝ、天上(てんじやう)から地獄(ぢごく)の底(そこ)へ蹴落(けおと)されたとて、人間(にんげん)は斯(か)く迄(まで)失望(しつぼう)するものではあるまい。
一同(いちどう)は詮方(せんかた)なく海岸(かいがん)の家(いへ)に皈(かへ)つたが、全(まつた)く火(ひ)の消(き)えた後(あと)のやうに、淋(さび)しく心細(こゝろぼそ)い光景(くわうけい)。櫻木大佐(さくらぎたいさ)は默然(もくねん)として深(ふか)く考(かんがへ)に沈(しづ)んだ。武村兵曹(たけむらへいそう)は眼中(がんちう)に無念(むねん)の涙(なみだ)を浮(うか)べて、今(いま)も猶(な)ほ多少(たせう)仇浪(あだなみ)の立騷(たちさわ)いで居(を)る海面(かいめん)を睨(にら)んで居(を)る。日出雄少年(ひでをせうねん)はいと/\悲(かな)し相(さう)に
『あゝ、また日本(につぽん)へ皈(かへ)る事(こと)が出來(でき)なくなつたんですか。』と空(むな)しく東(ひがし)の空(そら)を望(のぞ)む、其(その)心(こゝろ)の中(なか)はまあどんなであらう。三十有餘名(いうよめい)の、日頃(ひごろ)は鬼(おに)とも組(く)まん水兵等(すいへいら)も、今(いま)は全(まつた)く無言(むごん)に、此處(こゝ)に一團(いちだん)、彼處(かしこ)に一團(いちだん)、互(たがひ)に顏(かほ)を見合(みあ)はすばかりで、其中(そのうち)に二三名(めい)は、萬一(まんいち)にも十二の樽(たる)の中(うち)一つでも、二つでも、海濱(かいひん)に流(なが)れ寄(よ)る事(こと)もやと、甲斐(かひ)/″\しく巡視(じゆんし)に出(で)かけたが、無論(むろん)宛(あて)になる事(こと)では無(な)い。

    第二十四回 輕氣球(けいききゆう)の飛行(ひかう)
絶島の鬼とならねばならぬ――非常手段――私が參ります――無言のわかれ――心で泣いたよ――住馴れた朝日島は遠く/\
 私(わたくし)はつく/″\と考(かんが)へたが、今度(こんど)といふ今度(こんど)こそは、とても免(のが)れぬ天(てん)の禍(わざはひ)であらう。櫻木大佐(さくらぎたいさ)の言(げん)の如(ごと)く、無謀(むぼう)に本島(ほんたう)を離(はな)るゝ事(こと)が出來(でき)ぬものとすれば、他(ほか)に何(なん)の策(さく)も無(な)い。電光艇(でんくわうてい)の活動(くわつどう)の原因(げんゐん)となるべき十二種(しゆ)の藥液(やくえき)は、何時(いつ)までかゝつても、此樣(こん)な孤島(はなれじま)では製造(せいざう)の出來(でき)るものでなく、また、他(た)から供給(きようきふ)を仰(あほ)ぐ事(こと)も恊(かな)はねば、吾等(われら)は爾後(このゝち)十年(ねん)生存(ながらへ)るか、二十年(ねん)生存(ながらへ)るか知(し)れぬが、朝夕(あさゆふ)、世界無比(せかいむひ)の海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)を目前(もくぜん)に眺(なが)めつゝも、終(つひ)には、此(この)絶島(ぜつたう)の鬼(おに)とならねばならぬのである。
斯(か)う考(かんが)へると、無限(むげん)に悲哀(かなし)くなつて、たゞ茫然(ぼうぜん)と故國(こゝく)の空(そら)を望(のぞ)んで、そゞろに暗涙(あんるい)を浮(うか)べて居(を)る時(とき)、今迄(いまゝで)默然(もくねん)と深(ふか)き考慮(かんがへ)に沈(しづ)んで居(を)つた櫻木大佐(さくらぎたいさ)は、突然(とつぜん)顏(かほ)を上(あ)げた。彼(かれ)は遂(つひ)に非常手段(ひじやうしゆだん)を案(あん)じ出(いだ)したのである。
大佐(たいさ)は、决然(けつぜん)たる顏色(がんしよく)を以(もつ)て口(くち)を開(ひら)いた。
『今(いま)、此(この)厄難(やくなん)に際(さい)して、吾等(われら)の採(と)る可(べ)き道(みち)は只(たゞ)二つある、其(その)一つは、何事(なにごと)も天運(てんうん)と諦(あきら)めて、電光艇(でんくわうてい)と共(とも)に此(この)孤島(はなれじま)に朽果(くちは)てる事(こと)――然(しか)しそれは何人(なんぴと)も望(のぞ)む處(ところ)ではありますまい――他(た)の一策(いつさく)は他(ほか)でも無(な)い、實(じつ)に非常(ひじやう)の手段(しゆだん)ではあるが、※日(くわじつ)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、293-1]、自動鐵車(じどうてつしや)が砂(すな)すべりの谷(たに)に陷落(かんらく)した時(とき)、君等(きみら)を救(すく)はんが爲(ため)に製作(せいさく)した大輕氣球(だいけいきゝゆう)が、今(いま)も猶(な)ほ殘(のこ)つて居(を)る。其(その)輕氣球(けいきゝゆう)を飛揚(ひやう)して、誰(だれ)か一二名(めい)、印度(インド)のコロンボ市(し)か其他(そのた)の大陸地方(たいりくちほう)の都邑(とゆう)に達(たつ)し、其處(そこ)で、電光艇(でんくわうてい)が要(えう)する十二種(しゆ)の藥液(やくえき)を買整(かひとゝの)へ、其處(そこ)から一千海里(かいり)離(はな)れて大陸(たいりく)と本島(ほんたう)との丁度(ちやうど)中間(ちうかん)に横(よこた)はれる橄欖島(かんらんたう)まで竊(ひそか)に船(ふね)に艤裝(ぎさう)して、十二の藥液(やくえき)を運送(うんさう)して來(き)たならば、此方(こなた)でも海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)には、未(ま)だ多少(たせう)の發動藥液(はつどうやくえき)が殘(のこ)つて居(を)るから、其(その)運送船(うんさうせん)が丁度(ちやうど)橄欖島(かんらんたう)に到着(たうちやく)する頃(ころ)、我(わ)が電光艇(でんくわうてい)も亦(ま)た本島(ほんたう)を出發(しゆつぱつ)して、二船(にせん)其(その)島(しま)に會合(くわいがふ)し、凖備(じゆんび)の藥液(やくえき)をば電光艇(でんくわうてい)に轉載(てんさい)して、それより日本(につぽん)に歸(かへ)らんとの計畫(けいくわく)です。勿論(もちろん)、事(こと)の成敗(せいばい)は豫期(よき)し難(がた)いが、萬一(まんいち)氣球(ききゆう)が空中(くうちう)に破裂(はれつ)するとか、其他(そのた)の異變(ゐへん)の爲(ため)に、使命(しめい)を果(はた)す事(こと)が出來(でき)なければ夫迄(それまで)の事(こと)、此方(こなた)電光艇(でんくわうてい)は、約束(やくそく)の日(ひ)に本島(ほんたう)を發(はつ)し、橄欖島(かんらんたう)に赴(おもむ)いて、數日(すうじつ)待(ま)つても、來(く)る可(べ)き船(ふね)の來(こ)ぬ塲合(ばあひ)には、それを以(もつ)て輕氣球(けいきゝゆう)の運命(うんめい)を卜(ぼく)し、自(みづから)も亦(ま)た天運(てんうん)の盡(つき)と諦(あきら)めて、其時(そのとき)は最後(さいご)の手段(しゆだん)、乃(すなは)ち海賊船(かいぞくせん)とか其他(そのた)強暴(きようぼう)なる外國(ぐわいこく)の軍艦等(ぐんかんとう)に、海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)の秘密(ひみつ)を覺(さと)られぬが爲(ため)に、自(みづか)ら爆發藥(ばくはつやく)を以(もつ)て艇體(ていたい)を破壞(はくわい)して、潔(いさぎ)よく千尋(ちひろ)の海底(かいてい)に沈(しづ)まんとの覺悟(かくご)。實(じつ)に非常(ひじやう)の手段(しゆだん)ではあるが、今(いま)の塲合(ばあひ)に於(おい)て、目的(もくてき)もなく、希望(きぼう)もなく漸(やうや)く竣成(しゆんせい)せし海底戰鬪艇(かいていせんたうてい)を目前(もくぜん)に瞻(なが)めつゝ、空(むな)しく此(この)孤島(はなれじま)に朽果(くちは)てんよりは、寧(むし)ろ吾等(われら)の採(と)る可(べ)き道(みち)は是(これ)であらう。』と、語(かた)り終(をは)つて、大佐(たいさ)は、决心(けつしん)の色(いろ)動(うご)かし難(がた)く吾等(われら)一同(いちどう)を見(み)た。無論(むろん)大佐(たいさ)の言(げん)に異議(ゐぎ)を挾(はさ)むものゝあらう筈(はづ)は無(な)く、遂(つひ)に此事(このこと)は確定(くわくてい)したが、さて、輕氣球(けいきゝゆう)に乘(の)つて、此(この)大使命(だいしめい)を果(はた)さんものは誰(たれ)ぞといふ段(だん)になつて、勇壯(ゆうさう)なる水兵等(すいへいら)は、吾先(われさき)にと[#「吾先(われさき)にと」は底本では「吾先(われさき)とに」]其(その)任(にん)に當(あた)らんと競(きそ)ひ立(た)つたが、大佐(たいさ)は思(おも)ふ所(ところ)ある如(ごと)く容易(ようゐ)に許(ゆる)さない。實(じつ)に、此(この)大使命(だいしめい)は重大(ぢゆうだい)な事(こと)である。氣球(きゝゆう)がいよ/\大陸(たいりく)の都邑(とゆう)に降下(かうか)して後(のち)、秘密藥品(ひみつやくひん)の買收(ばいしう)から、竊(ひそ)かに船(ふね)に艤裝(ぎさう)して、橄欖島(かんらんたう)へ赴(おもむ)く迄(まで)の間(あひだ)の駈引(かけひき)は尋常(じんじやう)な事(こと)で無(な)い、私(わたくし)は早(はや)くも櫻木大佐(さくらぎたいさ)の心(こゝろ)を讀(よ)み得(え)たので、自(みづか)ら進(すゝ)み出(で)た。
『此(この)大使命(だいしめい)には不肖(ふせう)ながら私(わたくし)が當(あた)りませう。』といふと大佐(たいさ)は大(おほい)に喜(よろこ)び
『實(じつ)は其(その)お言葉(ことば)を待(ま)つて居(を)つたのです。此(この)任務(にんむ)は、單(たん)に勇氣(ゆうき)と、膽力(たんりよく)とのみでは出來(でき)ません。氣球(きゝゆう)の降下(かうか)する處(ところ)は無論(むろん)異邦(ゐほう)の地(ち)、外國語(ぐわいこくご)、其他(そのた)の便宜上(べんぎじやう)、君(きみ)に依頼(ゐらい)するより他(ほか)は無(な)かつたのです。』と左右(さゆう)を顧見(かへりみ)て
『そこで、今(いま)一人(ひとり)助手(じよしゆ)として誰(だれ)か。』
『私(わたくし)が參(まい)ります。』と例(れい)の武村兵曹(たけむらへいそう)は勇躍(ゆうやく)して進(すゝ)み出(で)た。大佐(たいさ)眼(まなこ)を定(さだ)めて眤(じつ)と兵曹(へいそう)の顏(かほ)を眺(なが)め
『汝(なんぢ)、此度(このたび)の使命(しめい)の成敗(せいばい)は、我(わ)が海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)が、日本帝國(につぽんていこく)の守護(まもり)として、世(よ)に現出(げんしゆつ)する事(こと)が出來(でき)るか、否(いな)かの分(わか)れ目(め)であるぞ。極(きは)めて機敏(きびん)に、極(きは)めて愼重(しんちよう)なれ。』
兵曹(へいそう)言(ことば)はなく、涙(なみだ)[#ルビの「なみだ」は底本では「なんだ」]を垂(た)れて大佐(たいさ)の顏(かほ)を見返(みかへ)した。
斯(か)く大使命(だいしめい)の役(やく)も私(わたくし)と武村兵曹(たけむらへいそう)とに定(さだ)まると、本島(ほんたう)に殘(のこ)る櫻木大佐等(さくらぎたいさら)と吾等(われら)兩人(りようにん)との間(あひだ)には、極(きは)めて細密(さいみつ)なる打合(うちあは)せを要(えう)するのである。其(その)打合(うちあは)せは斯(か)うであつた。今日(けふ)は二月(ぐわつ)の十二日(にち)、風(かぜ)の方向(ほうかう)は極(きわ)めて順當(じゆんたう)であるから、本日(ほんじつ)輕氣球(けいきゝゆう)が此(この)島(しま)を出發(しゆつぱつ)すれば、印度洋(インドやう)の大空(おほそら)を横斷(わうだん)して、來(きた)る十六日(にち)か十七日(にち)には、大陸(たいりく)で一番(いちばん)に近(ちか)い印度國(インドこく)コロンボ市(し)の附近(ふきん)に降下(かうか)する事(こと)が出來(でき)るであらう。其處(そこ)で秘密藥品(ひみつやくひん)の買入(かひい)れや、船舶(せんぱく)の雇入(やとひい)れに五日間(いつかかん)を費(ついや)すとして吾等(われら)が橄欖島(かんらんたう)に赴(おもむ)く事(こと)の出來(でき)るのは、本月(ほんげつ)の廿四日(か)から廿七八日(にち)迄(まで)の間(あひだ)と豫定(よてい)せらるゝから、櫻木大佐等(さくらぎたいさら)は二十四日(か)の夜半(やはん)に電光艇(でんくわうてい)に乘(じやう)じて、本島(ほんたう)を離(はな)れ、其(その)翌日(よくじつ)の拂曉(ふつぎよう)には、橄欖島(かんらんたう)の島蔭(しまかげ)に到着(たうちやく)する約束(やくそく)。そこで、何方(どちら)でも、早(はや)く橄欖島(かんらんたう)に到着(たうちやく)した方(ほう)は、向(むか)ふ一週間(いつしゆうかん)の間(あひだ)、其(その)島(しま)の附近(ふきん)で待合(まちあ)はせ、一週間(いつしゆうかん)※(すぎ)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、297-5]て後(のち)も他(た)の一方(いつぽう)が見(み)えぬ時(とき)には、最早(もはや)運命(うんめい)の盡(つき)と覺悟(かくご)を定(さだ)める筈(はづ)であつた。
此(この)打合(うちあは)せが終(をは)ると、大佐(たいさ)の命令(めいれい)で、輕氣球(けいきゝゆう)は海岸(かいがん)の砂上(しやじやう)に引出(ひきいだ)され、水素瓦斯(すいそがす)は充分(じふぶん)に滿(み)たされ、數日分(すうじつぶん)の食料(しよくれう)と、飮料水(いんれうすい)と、藥品(やくひん)の買入(かひい)れや、船舶(せんぱく)の雇入(やとひい)れの爲(た)めに費(つひや)す可(べ)き、巨額(きよがく)の金銀貨(きんぎんくわ)の積込(つみこ)みも終(をは)ると、私(わたくし)と武村兵曹(たけむらへいそう)とは身輕(みがる)に旅裝(たびじたく)を整(とゝの)へて搖籃(ゆれかご)の中(なか)へと乘込(のりこ)んだ。あゝ、之(これ)が一生(いつしやう)の別(わか)れとなるかも分(わか)らぬ。櫻木大佐(さくらぎたいさ)も、日出雄少年(ひでをせうねん)も、默(だま)つて吾等(われら)兩人(りやうにん)の顏(かほ)を眺(なが)め、力(ちから)を込(こ)めて吾等(われら)の手(て)を握(にぎ)つた。一隊(いつたい)三十有餘名(いうよめい)の三年(さんねん)以來(いらい)の馴染(なじみ)の水兵等(すいへいら)は、別(わかれ)を惜(をし)まんとて、輕氣球(けいきゝゆう)の周圍(ぐるり)を取卷(とりま)いたが、誰(たれ)も一言(いちごん)も發(はつ)する者(もの)が無(な)い、中(なか)には感慨(かんがい)極(きはま)つて、涙(なみだ)を流(なが)した者(もの)もあつた。私(わたくし)も武村兵曹(たけむらへいそう)も實(じつ)に心(こゝろ)で泣(な)いたよ。此時(このとき)、吾等(われら)一同(いちどう)の沈默(ちんもく)は、千萬言(せんまんげん)よりも深(ふか)い意味(ゐみ)を有(いう)して居(を)るのであつた。
兎角(とかく)する程(ほど)に結(むす)びの綱(つな)は解(と)かれて、吾等(われら)兩人(りやうにん)を乘(の)せたる輕氣球(けいきゝゆう)は、遂(つひ)に勢(いきほひ)よく昇騰(しようたう)をはじめた。櫻木大佐等(さくらぎたいさら)は一齊(いつせい)にハンカチーフを振(ふ)つた。武村兵曹(たけむらへいそう)と私(わたくし)とは、帽(ぼう)を脱(だつ)して下方(した)を瞻(なが)めたが、風(かぜ)は南(みなみ)から北(きた)へと、吾(わ)が輕氣球(けいきゝゆう)は、三千數(すう)百尺(しやく)の大空(たいくう)を、次第(しだい)/\に大陸(たいりく)の方(ほう)へと、やがて、住(す)み馴(な)れし朝日島(あさひじま)も、蒼渺(さうべう)たる水平線上(すいへいせんじやう)に豆(まめ)のやうになつて消(き)え去(さ)つた。

    第二十五回 白色巡洋艦(はくしよくじゆんやうかん)
大陸の影――矢の如く空中を飛走した――ポツンと白い物――海鳥の群――「ガーフ」の軍艦旗――や、や、あの旗は! あの艦は!
 朝日島(あさひじま)を去(さ)つてから、三日(みつか)は何事(なにごと)もなく※去(すぎさ)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、299-4]つた。吾等(われら)兩人(りやうにん)を乘(の)せたる輕氣球(けいきゝゆう)は、印度洋(インドやう)の天空(てんくう)を横切(よこぎ)つて、北(きた)へ/\と二千哩(にせんマイル)以上(いじやう)も、櫻木大佐等(さくらぎたいさら)の家(いへ)から離(はな)れたと思(おも)はるゝ頃(ころ)、遙(はる)か/\の天(てん)の一角(いつかく)に、雲(くも)か、煙(けぶり)のやうに、大陸(たいりく)の影(かげ)が認(みと)められた。私(わたくし)と武村兵曹(たけむらへいそう)とは眼(め)[#ルビの「め」は底本では「み」]を見合(みあ)はせて、はじめてホツと一息(ひといき)ついた。あの大陸(たいりく)は、疑(うたがひ)も無(な)き印度(インド)の大陸(たいりく)であらう。すると、今(いま)から三四時間(じかん)の後(のち)には、目的(もくてき)のコロンボ市(し)の附近(ふきん)に降下(かうか)して、櫻木大佐(さくらぎたいさ)より委任(いにん)されたる、此度(このたび)の大役(たいやく)をも首尾(しゆび)よく果(はた)す事(こと)が出來(でき)るであらうと、互(たがひ)に喜悦(きえつ)の眉(まゆ)を展(ひら)く時(とき)しも、又々(また/\)一大(いちだい)異變(ゐへん)が起(おこ)つた。それは他(ほか)でも無(な)い、今迄(いまゝで)は恰(あだか)も天(てん)の恩惠(おんけい)の如(ごと)く、極(きは)めて順當(じゆんたう)に、南(みなみ)から北(きた)へと、吾(わ)が輕氣球(けいきゝゆう)をだん/″\陸地(りくち)の方(ほう)へ吹(ふ)き送(おく)つて居(を)つた風(かぜ)が、此時(このとき)、俄然(がぜん)として、東(ひがし)から西(にし)へと變(かは)つた事(こと)である。はじめ朝日島(あさひじま)を出(い)づる時(とき)、櫻木大佐(さくらぎたいさ)は天文(てんもん)を觀測(くわんそく)して、多分(たぶん)此(この)三四日(か)の間(あひだ)は、風位(ふうゐ)に激變(げきへん)は無(な)からうと言(い)はれたが、天(てん)の仕業(しわざ)程(ほど)豫知(よち)し難(がた)いものはない。此(この)東風(ひがしかぜ)が吹(ふ)いて來(き)た爲(ため)に、吾(わ)が輕氣球(けいきゝゆう)は、忽(たちま)ち進行(しんかう)の方向(ほうかう)を變(へん)じて、今度(こんど)は、陸(りく)の方面(ほうめん)[#ルビの「ほうめん」は底本では「ほんめん」]から斜(なゝめ)に、海洋(かいやう)の方(ほう)へと吹(ふ)きやられた。私(わたくし)と武村兵曹(たけむらへいそう)とは今迄(いまゝで)の喜悦(よろこび)も何處(どこ)へやら、驚愕(おどろき)と憂慮(うれひ)とのために、全(まつた)く顏色(がんしよく)を失(うしな)つた。今一息(いまひといき)といふ間際(まぎわ)になつて、此(この)異變(ゐへん)は何事(なにごと)であらう。あゝ、天(てん)は飽迄(あくまで)我等(われら)に祟(たゝ)るのかと、心(こゝろ)を焦立(いらだ)て、身(み)を藻掻(もが)いたが、如何(いかん)とも詮方(せんかた)が無(な)い。見(み)る/\内(うち)に、大陸(たいりく)の影(かげ)も名殘(なご)りなく、眼界(がんかい)の外(そと)に消(き)え失(う)せてしまうと、其内(そのうち)に風(かぜ)はだん/\烈(はげ)しくなつて來(き)て、はては印度洋(インドやう)で、著名(なだい)の颶風(タイフン)と變(かは)つてしまつた。下界(げかい)を見(み)ると眼(まなこ)も眩(くら)むばかりで、限(かぎ)りなき大洋(たいやう)の面(めん)には、波瀾(はらん)激浪(げきらう)立騷(たちさわ)ぎ、數萬(すまん)の白龍(はくりよう)の一時(いちじ)に跳(をど)るがやうで、ヒユー、ヒユーと帛(きぬ)を裂(さ)くが如(ごと)き風(かぜ)の聲(こゑ)と共(とも)に、千切(ちぎ)つた樣(やう)な白雲(はくうん)は眼前(がんぜん)を掠(かす)めて飛(と)ぶ、實(じつ)に悽愴(せいさう)極(きはま)りなき光景(くわうけい)。勿論(もちろん)、旋風(つむじかぜ)の常(つね)とて一定(いつてい)の方向(ほうかう)はなく、西(にし)に、東(ひがし)に、南(みなみ)に、北(きた)に、輕氣球(けいきゝゆう)は恰(あだか)も鵞毛(がもう)のごとく、天空(てんくう)に舞(ま)ひ揚(あが)り、舞(ま)ひ降(さが)り、マルダイヴ群島(ぐんたう)の上(うへ)を斜(なゝめ)に飛(と)び、ラツカダイヴ諸島(しよたう)の空(そら)を流星(りうせい)の如(ごと)く驅(かけ)つて、それから何處(いづく)へ、如何(いか)に行(ゆ)くものやら、四晝夜(しちうや)の間(あひだ)は全(まつた)く夢中(むちう)に空中(くうちう)を飛走(ひさう)したが、其(その)五日目(いつかめ)の午前(ごぜん)になつて、風(かぜ)も漸(やうや)くをさまり、氣球(きゝゆう)の動搖(どうえう)も靜(しづ)まつたので、吾等(われら)ははじめて再生(さいせい)の思(おもひ)をなし。恐(おそ)[#ルビの「おそ」は底本では「おる」]る/\搖籃(ゆれかご)から半身(はんしん)を現(あら)はして下界(げかい)を見(み)ると、今(いま)は何處(いづこ)の空(そら)に吹流(ふきなが)されたものやら、西(にし)も東(ひがし)も方角(ほうがく)さへ分(わか)らぬ程(ほど)だが、身(み)は矢張(やはり)渺々(べう/\)たる大海原(おほうなばら)の天空(てんくう)に飛揚(ひやう)して居(を)るのであつた。此處(こゝ)は地球上(ちきゆうじやう)の何(いづ)れの邊(へん)に當(あた)つて居(を)るだらうと、二人(ふたり)は首(くび)を捻(ひね)つて見(み)たが少(すこ)しも分(わか)らない。武村兵曹(たけむらへいそう)の考(かんがへ)では。最早(もはや)亞弗利加大陸(アフリカたいりく)を横斷(わうだん)して、ずつと西(にし)の方(ほう)に吹(ふ)き飛(と)ばされて、今(いま)、下邊(かへん)に見(み)ゆる大海(おほうみ)は、大西洋(たいせいやう)に[#「大西洋(たいせいやう)に」は底本では「太西洋(たいせいやう)に」]相違(さうゐ)はあるまい。と言(い)つたが、私(わたくし)はどうも左樣(さう)とは信(しん)じられなかつた。數日(すうじつ)以來(いらい)の風(かぜ)は、隨分(ずいぶん)悽(すさ)まじいものであつたが、颶風(タイフン)の常(つね)として、吾(わ)が輕氣球(けいきゝゆう)は幾度(いくたび)も同(おな)じ空(そら)に吹(ふ)き廻(まわ)されて居(を)つた樣(やう)だから、左迄(さまで)遠方(ゑんぽう)へ飛(と)ぶ氣遣(きづかひ)はない、私(わたくし)の考(かんがへ)では、下方(した)に見(み)ゆるのは矢張(やはり)印度洋(インドやう)の波(なみ)で、事(こと)によつたらマダカツスル島(じま)の西方(せいほう)か、アデン灣(わん)の沖(おき)か、兎(と)に角(かく)歐羅巴(エウロツパ)邊(へん)の沿岸(えんがん)には、左程(さほど)遠(とほ)い所(ところ)ではあるまいと思(おも)はれた。
然(しか)し、今(いま)は其樣(そん)な事(こと)を悠長(いうちやう)に考(かんが)へて居(を)るべき塲合(ばあひ)でない。此時(このとき)の心痛(しんつう)は實(じつ)に非常(ひじやう)であつた。櫻木大佐(さくらぎたいさ)との約束(やくそく)の日(ひ)は既(すで)に切迫(せつぱく)して居(を)る。指(ゆび)を屈(くつ)して見(み)ると、吾等(われら)が豫定通(よていどう)りに印度國(インドこく)コロンボ市(し)の附近(ふきん)に降下(かうか)して、秘密藥品(ひみつやくひん)を買整(かひとゝの)へ、船(ふね)に艤裝(ぎさう)して橄欖島(かんらんたう)へ到着(たうちやく)す可(べ)き筈(はづ)の二十五日(にち)迄(まで)には、最早(もはや)六日(むいか)を餘(あま)すのみで。約束(やくそく)の日(ひ)には、櫻木大佐(さくらぎたいさ)は日出雄少年等(ひでをせうねんら)と共(とも)に、海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)に乘(じやう)じて朝日島(あさひじま)を離(はな)れ、竊(ひそ)かに橄欖島(かんらんたう)に到(いた)りて、吾等(われら)兩人(りようにん)の應援(おうゑん)を、今日(けふ)か、明日(あす)かと、待(ま)ち暮(くら)す事(こと)であらうが。今(いま)の吾等(われら)の境遇(きやうぐう)では、果(はた)して其(その)大任(たいにん)を果(はた)す事(こと)が出來(でき)るであらうか。見渡(みわた)す限(かぎ)り雲煙(うんゑん)渺茫(べうぼう)たる大空(おほぞら)[#ルビの「おほぞら」は底本では「おはぞら」]に漂蕩(へうたう)して、西(にし)も、東(ひがし)も定(さだ)めなき今(いま)、何時(いつ)大陸(たいりく)に達(たつ)して、何時(いつ)橄欖島(かんらんたう)に赴(おもむ)き得(う)べしといふ目的(あて)もなければ、其内(そのうち)に豫定(よてい)の廿五日(にち)も※(す)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、303-9]ぎ、其後(そのご)の一週間(いつしゆうかん)も空(むな)しく※去(すぎさ)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、303-10]つたならば、櫻木大佐(さくらぎたいさ)も終(つひ)には覺悟(かくご)を定(さだ)めて、稀世(きせい)の海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)と共(とも)に、海(うみ)の藻屑(もくづ)と消(き)えてしまう事(こと)であらう。嗚呼(あゝ)、大事切迫(だいじせつぱく)/\と、私(わたくし)は武村兵曹(たけむらへいそう)と顏(かほ)を見合(みあ)はしたる儘(まゝ)、身體(しんたい)の置塲(おきば)も知(し)らぬ程(ほど)心(こゝろ)を惱(なや)まして居(を)る、時(とき)しも忽(たちま)ち見(み)る、遙(はる)か/\の水平線上(すいへいせんじやう)に薄雲(うすぐも)の如(ごと)き煙(けむり)先(ま)づ現(あら)はれ、つゞゐて鳥(とり)か船(ふね)か見(み)え分(わ)かぬ程(ほど)、一點(いつてん)ポツンと白(しろ)い影(かげ)、それが段々(だん/″\)と近(ちか)づいて來(く)るとそは一艘(いつそう)の白色巡洋艦(はくしよくじゆんやうかん)であつた。後檣縱帆架(ガーフ)に飜(ひるがへ)る旗(はた)は、まだ朦乎(ぼんやり)として、何國(いづこ)の軍艦(ぐんかん)とも分(わか)らぬが、今(いま)や、團々(だん/\)たる黒煙(こくゑん)を吐(は)きつゝ、波(なみ)を蹴立(けた)てゝ吾(わ)が輕氣球(けいきゝゆう)の飛揚(ひやう)せる方角(ほうがく)へ進航(しんかう)して來(く)るのであつた。此時(このとき)私(わたくし)は急(きふ)に一策(いつさく)を案(あん)じた。今(いま)吾等(われら)は、重大(ぢゆうだい)の使命(しめい)を帶(お)びながら、何時(いつ)大陸(たいりく)へ着(つ)くといふ目的(あて)も無(な)く、此儘(このまゝ)に空中(くうちう)に漂蕩(へうたう)して居(を)つて、其間(そのあひだ)に空(むな)しく豫定(よてい)の期日(きじつ)を經※(けいくわ)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、304-9]してしまつた事(こと)ならば、後悔(こうくわい)臍(ほぞ)を噛(か)むとも及(およ)ぶまい。幸(さひは)ひ、彼處(あれ)に見(み)ゆる白色巡洋艦(はくしよくじゆんやうかん)、あれは何國(いづこ)の軍艦(ぐんかん)で、何處(どこ)から何處(どこ)へ指(さ)しての航海中(かうかいちう)かは分(わか)らぬが、一應(いちおう)かの船(ふね)の助(たす)けを求(もと)めては如何(どう)だらう。勿論(もちろん)、吾等(われら)が空中旅行(くうちうりよかう)の目的(もくてき)と、櫻木大佐(さくらぎたいさ)の海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)の秘密(ひみつ)とは、輕々(かろ/″\)しく外國船(ぐわいこくせん)などに覺(さと)られてはならぬが、それは臨機應變(りんきおうへん)に何(なに)とか言脱(いひのが)れの工夫(くふう)の無(な)いでも無(な)い。兎(と)も角(かく)も、目下(もつか)の急(きふ)丈(だ)けを、かの軍艦(ぐんかん)に助(たす)けられて、何處(いづこ)でもよい、最近(さいきん)の大陸地方(たいりくちほう)に送(おく)り屆(とゞ)けて貰(もら)つたならば、其後(そのゝち)は必死(ひつし)に奔走(ほんさう)して、如何(どう)にかして、豫定(よてい)の期日(きじつ)までに約束(やくそく)の凖備(じゆんび)を整(とゝの)へて、櫻木大佐等(さくらぎたいさら)が待(ま)てる橄欖島(かんらんたう)に到着(たうちやく)する事(こと)の出來(でき)ぬでもあるまい。
斯(か)う考(かんが)へたので、急(いそ)ぎ武村兵曹(たけむらへいそう)に談合(だんがふ)すると、兵曹(へいそう)も無論(むろん)不同意(ふどうゐ)はなく、直(たゞ)ちに白(しろ)い手巾(ハンカチーフ)を振廻(ふりまわ)して、救難(きゆうなん)の信號(しんがう)をすると、彼方(かなた)の白色巡洋艦(はくしよくじゆんやうかん)でも、吾等(われら)の輕氣球(けいきゝゆう)を認(みと)めたと見(み)え、其(その)前甲板(ぜんかんぱん)に白(しろ)と赤(あか)との旗(はた)が、上下(うへした)にヒラ/\と動(うご)くやうに見(み)えた。此(この)途端(とたん)! 武村兵曹(たけむらへいそう)は、忽(たちま)ち何者(なにもの)をか見出(みいだ)したと見(み)へ、割(わ)れるやうな聲(こゑ)で叫(さけ)んだ。
『大變(たいへん)! 大變(たいへん)! 大變(たいへん)だア』
私(わたくし)も愕然(がくぜん)として振向(ふりむ)くと、今迄(いまゝで)は白色巡洋艦(はくしよくじゆんやうかん)の一方(いつぽう)に氣(き)を取(と)られて、少(すこ)しも心付(こゝろづ)かなかつたが、只(たゞ)見(み)る、西方(せいほう)の空(そら)一面(いちめん)に「ダンブロー鳥(てう)」とて、印度洋(インドやう)に特産(とくさん)の海鳥(かいてう)――其(その)形(かたち)は鷲(わし)に似(に)て嘴(くちばし)鋭(するど)く、爪長(つめなが)く、大(おほき)[#ルビの「おほき」は底本では「おほい」]さは七尺(しやく)乃至(ないし)一丈(じやう)二三尺(じやく)位(ぐら)いの巨鳥(きよてう)が、天日(てんじつ)も暗(くら)くなる迄(まで)夥(おびたゞ)しく群(ぐん)をなして、吾(わ)が輕氣球(けいきゝゆう)を[#「輕氣球(けいきゝゆう)を」は底本では「輕氣珠(けいきゝゆう)を」]目懸(めが)けて、襲(おそ)つて來(き)たのである。吾等(われら)兩人(りやうにん)は非常(ひじやう)に喫驚(きつきよう)した。此(この)種(しゆ)の海鳥(かいてう)は、元來(ぐわんらい)左迄(さまで)に性質(せいしつ)の猛惡(まうあく)なもので無(な)いから、此方(こなた)さへ落付(おちつ)いて居(を)れば、或(あるひ)は無難(ぶなん)に免(まぬが)れる事(こと)が出來(でき)たかも知(し)れぬが、不意(ふい)の事(こと)とて、心(しん)から顛倒(てんだう)して居(を)つたので、其樣(そん)な事(こと)を考(かんが)へ出(だ)す暇(いとま)もない、急(いそ)ぎ追(お)ひ拂(はら)ふ積(つも)りで、一發(いつぱつ)小銃(せうじう)を發射(はつしや)したのが※失(あやまり)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、306-10]であつた。彈丸(だんぐわん)は物(もの)の見事(みごと)に其(その)一羽(いちは)を斃(たを)したが、同時(どうじ)に他(た)の鳥群(てうぐん)は、吾等(われら)に敵對(てきたい)の色(いろ)があると看(み)て取(と)つたから堪(たま)らない。三羽(さんば)四羽(しは)憤怒(ふんぬ)の皷翼(はゞたき)と共(とも)に矢(や)の如(ごと)く氣球(きゝゆう)に飛掛(とびか)かる、あつといふ間(ま)に、氣球(きゝゆう)は忽(たちま)ち其(その)鋭(するど)き嘴(くちばし)に突破(つきやぶ)られた。其時(そのとき)、先刻(せんこく)の白色巡洋艦(はくしよくじゆんやうかん)は既(すで)に吾(わ)が輕氣球(けいきゝゆう)を去(さ)る事(こと)一海里(かいり)許(ばかり)の海上(かいじやう)に進(すゝ)んで來(き)たので船(ふね)の全體(ぜんたい)も手(て)に取(と)る如(ごと)く見(み)える、今(いま)しも、ふと其(その)「ガーフ」の軍艦旗(ぐんかんき)を認(みと)めた武村兵曹(たけむらへいそう)は
『や、や、あの旗(はた)は、あの艦(ふね)は。』とばかり、焦眉(せうび)の急(きふ)も忘(わす)れて跳(をど)り立(た)つ、私(わたくし)も急(いそ)ぎ其(その)方(ほう)に眼(まなこ)を轉(てん)ぜんとしたが、時(とき)既(すで)に遲(おそ)かつた。
「ガンブロー鳥(てう)」に突破(つきやぶ)られたる輕氣球(けいきゝゆう)は、水素瓦斯(すいそぐわす)の洩(も)るゝ音(おと)と共(とも)に、キリヽ/\と天空(てんくう)を舞(ま)ひ降(くだ)つて、『あはや』といふ間(ま)に、大洋(たいやう)の眞唯中(まつたゞなか)へ落込(おちこ)んだのである。

    第二十六回 顏(かほ)と顏(かほ)と顏(かほ)
帝國軍艦旗――虎髯大尉、本名轟大尉――端艇諸共引揚げられた――全速力――賣れた顏――誰かに似た顏――懷かしき顏
 輕氣球(けいきゝゆう)と共(とも)に、海洋(かいやう)の唯中(たゞなか)に落込(おちこ)んだ吾等(われら)兩人(りやうにん)は、一時(いちじ)は數(すう)十尺(しやく)深(ふか)く海底(かいてい)に沈(しづ)んだが、幸(さひはひ)にも、落下(らくか)の速力(そくりよく)の割合(わりあひ)に緩慢(くわんまん)であつた爲(ため)と、また浪(なみ)に氣球(きゝゆう)が抵杭(ていかう)した爲(ため)に、絶息(ぜつそく)する程(ほど)でもなく、再(ふたゝ)び海面(かいめん)に浮(うか)び出(い)でゝ、命(いのち)を限(かぎ)りに泳(およ)いで居(を)ると、暫(しばら)くして、彼方(かなた)の波上(はじやう)から、人(ひと)の呼聲(よびごゑ)と、櫂(オール)の音(ね)とが近(ちか)づいて來(き)て、吾等(われら)兩人(りやうにん)は遂(つひ)に情(なさけ)ある一艘(いつそう)の端艇(たんてい)に救(すく)ひ上(あ)げられたのである。今(いま)、端艇(たんてい)を出(いだ)して、吾等(われら)の九死一生(きゆうしいつしやう)の難(なん)を救(すく)つて呉(く)れたのは、疑(うたがひ)もない、先刻(せんこく)の白色巡洋艦(はくしよくじゆんやうかん)である。
端艇(たんてい)に引上(ひきあ)げられた武村兵曹(たけむらへいそう)は、此時(このとき)忽(たちま)ち叫(さけ)んだ。
『おー。矢張(やつぱり)左樣(さう)だつた! あの巡洋艦(じゆんやうかん)のガーフの旗(はた)は、我(わ)が帝國(ていこく)の軍艦旗(ぐんかんき)であつた※[#感嘆符三つ、309-2]。』と、彼(かれ)は、今(いま)しも、輕氣球(けいきゝゆう)から墮落(ついらく)の瞬間(しゆんかん)に、ちらりと認(みと)めた同(おな)じ模樣(もやう)の海軍旗(かいぐんき)を、此(この)端艇(たんてい)の艇頭(トツプ)に見出(みいだ)したのである。
私(わたくし)も艇中(ていちう)の一同(いちどう)を見(み)て、實(じつ)に驚(おどろ)き飛立(とびた)つたよ。
『や! 帝國軍人(ていこくぐんじん)! 日本海軍々人(につぽんかいぐんぐんじん)!。』と叫(さけ)びつゝ、頭(かうべ)を廻(めぐ)らすと、此(この)端艇(たんてい)を去(さ)ること程遠(ほどとほ)からぬ洋上(やうじやう)には、先刻(せんこく)の白色巡洋艦(はくしよくじゆんやうかん)は小山(こやま)の如(ごと)き浪(なみ)に漂蕩(へうたう)しつゝ、其(その)後檣縱帆架(ガーフ)と船尾(せんび)とには、旭(あさひ)輝(かゞや)く大日本帝國(だいにつぽんていこく)の軍艦旗(ぐんかんき)は翩飜(へんぽん)と南風(なんぷう)に飜(ひるがへ)つて居(を)つた。
端艇(たんてい)の右舷(うげん)左舷(さげん)に櫂(オール)を握(にぎ)り詰(つ)めたる水兵等(すいへいら)も、吾等(われら)兩人(りようにん)の顏(かほ)を見(み)て、一齊(いつせい)に驚(おどろき)と不審(いぶかり)の眼(まなこ)を見張(みは)つた。艇尾(ていび)には色(いろ)淺黒(あさぐろ)く[#「色(いろ)淺黒(あさぐろ)く」は底本では「黒(いろ)淺黒(あさぐろ)く」]、虎髯(こぜん)を海風(かいふう)に吹(ふ)かせたる雄風(ゆうふう)堂々(どう/″\)たる海軍大尉(かいぐんたいゐ)あり、舵柄(だへい)を握(にぎ)れる身(み)を延(のば)して、『やゝ、貴下等(きから)も日本人(につぽんじん)ではないか。』とばかり、私(わたくし)と武村兵曹(たけむらへいそう)の面(おもて)を見詰(みつ)めたが、西(にし)も東(ひがし)も果(はて)しなき大洋(たいやう)の面(めん)では、荒浪(あらなみ)騷(さわ)ぎ、艇(てい)跳(をど)つて、とても仔細(こま)かい話(はなし)などは出來(でき)ない、かく言(い)ふ間(ま)も巨濤(おほなみ)は、舷(げん)に碎(くだ)けて艇(てい)覆(くつがへ)らんとす、大尉(たいゐ)舵(ラタ)をば右方(うほう)に廻(まは)し、『進(すゝめ)!。』の一聲(いつせい)。端艇(たんてい)は忽(たちま)ち艇頭(ていとう)を右(みぎ)に轉(てん)じて、十二の「オール」の波(なみ)を切(き)る音(おと)と共(とも)に、本艦(ほんかん)指(さ)して矢(や)のやうに進(すゝ)んだ。
私(わたくし)と武村兵曹(たけむらへいそう)とは夢(ゆめ)に夢見(ゆめみ)る心地(こゝち)。自分(じぶん)が濡鼠(ぬれねずみ)の樣(やう)になつて居(を)る事(こと)も、少(すく)なからず潮水(しほみづ)を飮(の)んで腹(はら)が苦(くる)しくなつて居(を)る事(こと)も忘(わす)れて、胸(むね)は驚(おどろき)と悦(よろこび)に、跳(をど)りつゝ、眤(じつ)と眺(なが)むる前方(かなた)の海上(かいじやう)、「ガーフ」に懷(なつ)かしき我(わ)が帝國(ていこく)の軍艦旗(ぐんかんき)を飜(ひるがへ)せるかの白色(はくしよく)の巡洋艦(じゆんやうかん)は、此邊(このへん)海底(かいてい)深(ふか)くして、錨(いかり)を投(たう)ずることも叶(かな)はねば、恰(あだか)も小山(こやま)の動搖(ゆる)ぐが如(ごと)く、右(みぎ)に左(ひだり)に漂蕩(へうたう)して居(を)る。此(この)軍艦(ふね)、排水(はいすい)噸數(とんすう)二千七百ばかり、二本(にほん)烟筒(ゑんとう)の極(きは)めて壯麗(さうれい)なる裝甲巡洋艦(さうかうじゆんやうかん)である。今(いま)しも波浪(なみ)に揉(も)まれて、此方(こなた)に廻(まは)りし其(その)艦尾(かんび)には、赫々(かく/\)たる日輪(にちりん)に照(てら)されて「日の出」の三字(じ)が鮮(あざや)かに讀(よ)まれた。軍艦(ぐんかん)日(ひ)の出(で)! 軍艦(ぐんかん)日(ひ)の出(で)! と私(わたくし)は何故(なぜ)ともなく二度(ど)三度(ど)口(くち)の中(うち)で繰返(くりかへ)す内(うち)に、端艇(たんてい)はだん/\と本艦(ほんかん)に近(ちか)くなる。軍艦(ぐんかん)「日(ひ)の出(で)」の甲板(かんぱん)では、後部艦橋(こうぶかんけう)のほとりより軍艦旗(ぐんかんき)飜(ひるがへ)る船尾(せんび)に到(いた)るまで、多(おほ)くの乘組(のりくみ)は、列(れつ)を正(たゞ)して、我(わが)端艇(たんてい)の歸艦(きかん)を迎(むか)へて居(を)る。
頓(やが)て本艦(ほんかん)の間際(まぎは)になつたが、海(うみ)は盤水(ばんすい)を動(うご)かすがごとく、二千七百餘(よ)噸(とん)の巨艦(きよかん)ゆらり/\と高(たか)く、低(ひく)く、我(わ)が端艇(たんてい)は秋(あき)の木(こ)の葉(は)のごとく波浪(なみ)に跳(をど)つて、迚(とて)も左舷々梯(さげんげんてい)に寄着(よりつ)く事(こと)が出來(でき)ない。水煙(すいゑん)は飛(と)ぶ、逆浪(さかなみ)は打込(うちこ)む、見上(みあ)ぐる舷門(げんもん)の邊(ほとり)、「ブルワーク」のほとり、士官(しくわん)、水兵(すいへい)頻(しき)りに叫(さけ)んで、我(わ)が艇尾(ていび)の大尉(たいゐ)は舵(ラタ)の柄(え)を碎(くだ)けんばかりに握(にぎ)り詰(つ)めて、奈落(ならく)に落(お)ち、天空(てんくう)に舞(ま)ひ、艇(てい)は幾度(いくたび)か艦(かん)の水線甲帶(すいせんかうたい)に碎(くだ)けんとしたが、漸(やうや)くの事(こと)で起重機(きぢゆうき)をもつて、我等(われら)十餘人(よにん)の乘(の)れるまゝ端艇(たんてい)が「日(ひ)の出(で)」の甲板(かんぱん)に引揚(ひきあ)げられた時(とき)には、はじめてホツと一息(ひといき)ついたよ。本艦(ほんかん)は一令(いちれい)の下(した)に推進螺旋(スクルー)波(なみ)を蹴(け)つて進航(しんかう)を始(はじ)めた。規律(きりつ)正(たゞ)しき軍艦(ぐんかん)の甲板(かんぱん)、かゝる活劇(さわぎ)の間(あひだ)でも决(けつ)して其(その)態度(たいど)を亂(みだ)す樣(やう)な事(こと)はない。
『輕氣球(けいきゝゆう)が天空(てんくう)より落(お)ちた。本艦(ほんかん)より端艇(たんてい)を下(おろ)した。救(すく)ひ上(あ)げたる二個(ふたり)の人(ひと)は日本人(につぽんじん)である。一人(ひとり)は冐險家(ぼうけんか)らしい年少(ねんせう)の紳士(ゼントルマン)、他(た)の一人(ひとり)は我(わ)が海軍(かいぐん)の兵曹(へいそう)である。いぶかしや、何故(なにゆゑ)ぞ。』と、此(この)噂(うはさ)は早(はや)くも軍艦(ぐんかん)「日(ひ)の出(で)」の全體(ぜんたい)に傳(つたは)つたが、誰(た)れも其(その)本分(ほんぶん)を忘(わす)れて「どれ、どんな男(をとこ)だ」などゝ、我等(われら)の側(そば)に飛(と)んで來(く)る樣(やう)な不規律(ふきりつ)な事(こと)は少(すこ)しも無(な)く。機關兵(きくわんへい)は機關室(きくわんしつ)を護(まも)り、信號兵(しんがうへい)は戰鬪樓(せんとうらう)に立(た)ち、一等(とう)、二等(とう)、三等(とう)水兵等(すいへいら)は士官(しくわん)の指揮(しき)の下(した)に、今(いま)引揚(ひきあ)げた端艇(たんてい)を收(をさ)めつゝ。たゞ公務(こうむ)の餘暇(よか)ある一團(いちだん)の士官(しくわん)水兵等(すいへいら)が吾等(われら)を唯(と)ある船室(せんしつ)に導(みちび)き、濡(ぬ)れたる衣服(きもの)を脱(ぬ)がせ、新(あたら)しき衣服(ゐふく)を與(あた)へ、中(なか)にも機轉(きてん)よき一士官(しくわん)は興奮(こうふん)の爲(ため)にと、急(いそ)ぎ「ブランデー」の一杯(ぱい)をさへ惠(めぐ)んで呉(く)れた。實(じつ)に其(その)軍律(ぐんりつ)の嚴然(げんぜん)たるは今更(いまさら)ながら感嘆(かんたん)の他(ほか)は無(な)いのである。
此時(このとき)、前(さき)に端艇(たんてい)を指揮(しき)して、吾等(われら)兩人(りやうにん)を救(すく)ひ上(あ)げて呉(く)れた、勇(いさ)ましき虎髯大尉(こぜんたいゐ)は、武村兵曹(たけむらへいそう)も私(わたくし)も漸(やうや)く平常(へいじやう)に復(ふく)した顏色(かほいろ)を見(み)て、ツト身(み)を進(すゝ)めた、微笑(びせう)を浮(うか)べながら
『兩君(りようくん)! 君等(きみら)の幸運(かううん)を祝(しゆく)します。』と言(い)つたまゝ、頭(かうべ)を廻(めぐ)らして左右(さいう)を顧見(かへりみ)た時(とき)、忽(たちま)ち、艦(かん)の後部艦橋(こうぶかんけう)を降(くだ)つて、歩調(ほちよう)ゆたかに吾等(われら)の方(かた)に歩(あゆ)んで來(き)た一個(いつこ)の海軍大佐(かいぐんたいさ)があつた。風采(ふうさい)端然(たんぜん)、威風(ゐふう)凛々(りん/\)、言(い)ふ迄(まで)もない、本艦(ほんかん)の艦長(かんちやう)である。
艦長(かんちやう)は既(すで)に虎髯大尉(こぜんたいゐ)よりの報告(ほうこく)によつて、輕氣球(けいきゝゆう)と共(とも)に落下(らくか)した吾等(われら)の二人(ふたり)の日本人(につぽんじん)である事(こと)も、一人(ひとり)は冐險家(ぼうけんか)らしい紳士(しんし)風(ふう)で、他(た)の一人(ひとり)は同(おな)じ海軍(かいぐん)の兵曹(へいそう)である事(こと)も知(しつ)て居(を)つたと見(み)え、今(いま)、吾等(われら)の前(まへ)に立(た)つて、武村兵曹(たけむらへいそう)と私(わたくし)との顏(かほ)を眺(なが)めたが、左迄(さまで)驚(おどろ)く色(いろ)がない、目禮(もくれい)をもつて傍(かたはら)の倚子(ゐす)に腰(こし)打(う)ち掛(か)け、鼻髯(びぜん)を捻(ひね)つて靜(しづ)かに此方(こなた)に向直(むきなを)つた。
兵曹(へいそう)と私(わたくし)とは、恭(うや/\)しく敬禮(けいれい)を施(ほどこ)しつゝ、ふと、其人(そのひと)の顏(かほ)を眺(なが)めたが、あゝ、此(この)艦長(かんちやう)の眼元(めもと)――其(その)口元(くちもと)――私(わたくし)が甞(かつ)て記臆(きおく)せし、誰人(たれ)かの懷(なつ)かしい顏(かほ)に、よくも/\似(に)て居(を)る事(こと)と思(おも)つたが、咄嗟(とつさ)の急(きふ)には思(おも)ひ浮(うか)ばなかつた。何(なに)は兎(と)もあれ、今(いま)、かく心(こゝろ)が落付(おちつ)いて見(み)ると、今度(こんど)吾等(われら)が此(この)大危難(だいきなん)をば、同(おな)じ日本人(につぽんじん)の――しかも忠勇(ちうゆう)義烈(ぎれつ)なる帝國海軍々人(ていこくかいぐんぐんじん)の手(て)によつて救(すく)はれたのは、實(じつ)に吾等(われら)兩人(りようにん)の幸福(こうふく)のみではない、天(てん)は今(いま)やかの朝日島(あさひたう)に苦(くるし)める櫻木海軍大佐(さくらぎかいぐんたいさ)の誠忠(せいちう)をば遂(つひ)に見捨(みす)てなかつたかと、兩人(ふたり)は不測(そゞろ)に感涙(かんるい)の流(なが)るゝ樣(やう)に覺(おぼ)えて、私(わたくし)は垂頭(うつむ)き、武村兵曹(たけむらへいそう)は顏(かほ)を横向(よこむ)けると、此時(このとき)吾等(われら)の傍(かたはら)に、何(なに)か艦長(かんちやう)の命(めい)を聽(き)かんとて、姿勢(しせい)を正(たゞ)して立(た)てる三四名(めい)の水兵(すいへい)は、先刻(せんこく)より熱心(ねつしん)に武村兵曹(たけむらへいそう)の顏(かほ)を見詰(みつ)めて居(を)つたが、其(その)中(うち)の一名(いちめい)、一歩(いつぽ)進(すゝ)み出(い)でゝ、恭(うや/\)しく虎髯大尉(こぜんたいゐ)と艦長(かんちやう)とに向(むか)ひ、意味(いみ)あり氣(げ)に
『閣下(かくか)、私(わたくし)は此(この)兵曹(へいそう)に一言(いちごん)話(はな)したう厶(ござ)ります。』と言(い)ふ。
『よろしい。』と艦長(かんちやう)の許可(ゆるし)を得(え)て、水兵(すいへい)はやをら武村兵曹(たけむらへいそう)に眼(まなこ)を轉(てん)じ
『久濶(ひさし)や、兵曹(へいそう)、足下(おまへ)は本國(ほんごく)で名高(なだか)い櫻木海軍大佐閣下(さくらぎかいぐんたいさかくか)の部下(ぶか)の武村兵曹(たけむらへいそう)ではないか。』と問(と)ひかけた。武村兵曹(たけむらへいそう)と云(い)へば快活(くわいくわつ)な事(こと)と、それから砲術(ほうじゆつ)に巧(たくみ)な事(こと)と、また腕力(わんりよく)の馬鹿(ばか)に強(つよ)い事(こと)とで、日本海軍(につぽんかいぐん)の水兵仲間(すいへいなかま)には少(すく)なからず顏(かほ)の賣(う)れて居(を)つた男(をとこ)なので、今(いま)や圖(はか)らずも、天涯(てんがい)萬里(ばんり)の此(この)帝國軍艦(ていこくぐんかん)の艦上(かんじやう)にて、昔馴染(むかしなじみ)の水兵等(すいへいら)に對面(たいめん)したものと見(み)える。
兵曹(へいそう)驚(おどろ)いて眼(め)を見張(みは)り
『おゝ、乃公(おれ)は如何(いか)にも櫻木大佐閣下(さくらぎたいさかくか)の部下(ぶか)なる武村新八郎(たけむらしんぱちらう)だ。』と言(い)ひながら、額(ひたひ)を叩(たゝ)いて
『濟(す)まない、すつかり忘(わす)れた、足下(おまへ)は誰(だれ)だつたかな。』
『前(もと)の高雄艦長(たかをかんちやう)、今(いま)は軍艦(ぐんかん)「日(ひ)の出(で)」の艦長(かんちやう)、松島海軍大佐閣下(かいぐんたいさかくか)の部下(ぶか)の信號兵(しんがうへい)だよ。』と、水兵(すいへい)は膝(ひざ)を進(すゝ)ませ
『今(いま)、松島海軍大佐閣下(まつしまかいぐんたいさかくか)は、英國(エイこく)テームス河口(かこう)の造船所(ざうせんじよ)から、新造軍艦(しんざうぐんかん)「日(ひ)の出(で)」の廻航中(くわいかうちう)で、本艦(ほんかん)は昨曉(さくげう)アデン海口(かいこう)を出(い)で、今(いま)しも此印度洋を進航(しんかう)して來(く)ると、丁度(ちやうど)輕氣球(けいきゝゆう)が天上(てんじやう)から落(お)ちて來(き)たので、急(いそ)ぎ助(たす)けて見(み)たら足下等(そくから)だ、實(じつ)に不思議(ふしぎ)な縁(ゑん)ではないか。』と語(かた)り終(をは)つて一歩(いつぽ)退(しりぞ)いた。
此(この)一言(いちごん)! 心(こゝろ)なき人(ひと)が聽(き)いたら何(なん)でもなからうが、私(わたくし)と武村兵曹(たけむらへいそう)とは思(おも)はず顏(かほ)を見合(みあ)はして莞爾(につこ)としたよ。
先(ま)づ第一(だいいち)の喜悦(よろこび)は、先刻(せんこく)輕氣球(けいきゝゆう)の上(うへ)で疑(うたが)つた樣(やう)に、今(いま)の今(いま)まで、我等(われら)が泛(うか)べる此(この)太洋(たいやう)は、大西洋(たいせいやう)か[#「大西洋(たいせいやう)か」は底本では「太西洋(たいせいやう)か」]、はたアラビアン海(かい)かも分(わか)らなかつたのが、只今(たゞいま)の水兵(すいへい)の言(ことば)で、矢張(やはり)私(わたくし)の想(おも)つた通(どう)り、此(この)洋(うみ)は、我等(われら)兩人(りようにん)が目指(めざ)すコロンボ市(し)にも、また櫻木海軍大佐等(さくらぎかいぐんたいさら)と再會(さいくわい)すべき筈(はづ)の橄欖島(かんらんたう)にも左迄(さま)では遠(とほ)くない印度洋(インドやう)中(ちう)であつた事(こと)と。今一(いまひと)[#ルビの「いまひと」は底本では「いまいと」]つ、私(わたくし)は松島海軍大佐(かいぐんたいさ)なる姓名(せいめい)を耳(みゝ)にして、忽(たちま)ち小膝(こひざ)をポンと叩(たゝ)いたよ。讀者(どくしや)諸君(しよくん)! 松島海軍大佐(まつしまかいぐんたいさ)とは誰(たれ)であらう?
私(わたくし)は未(ま)だ此(この)大佐(たいさ)とは甞(かつ)て面會(めんくわい)した事(こと)は無(な)いが、兼(かね)て聞(き)く櫻木海軍大佐(さくらぎかいぐんたいさ)とは無二(むに)の親友(しんいう)で、また、私(わたくし)の爲(ため)には終世(しゆうせい)忘(わす)るゝ事(こと)の出來(でき)ない、かの春枝夫人(はるえふじん)の令兄(れいけい)――日出雄少年(ひでをせうねん)の爲(ため)には叔父君(おぢぎみ)に當(あた)つて居(を)る人(ひと)。今(いま)から足掛(あしか)け四年(ねん)以前(いぜん)に、私(わたくし)の親友(しんゆう)濱島武文(はまじまたけぶみ)の妻(つま)なる春枝夫人(はるえふじん)が、本國(ほんごく)の令兄(れいけい)松島海軍大佐(まつしまかいぐんたいさ)の病床(やまひ)を訪(と)はんが爲(た)めに、其(その)良君(をつと)と別(わか)れ、愛兒(あいじ)日出雄少年(ひでをせうねん)を伴(ともな)ふて、伊太利(イタリー)の國(くに)子ープルス港(かう)を發(はつ)し、私(わたくし)と同(おな)じ※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)船(ふね)で、はる/″\日本(につぽん)へ歸國(きこく)の途中(とちう)、暗黒(あんこく)なる印度洋(インドやう)の眞中(たゞなか)で恐(おそ)る可(べ)き海賊船(かいぞくせん)の襲撃(しふげき)に遭(あ)ひ、不運(ふうん)なる弦月丸(げんげつまる)の沈沒(ちんぼつ)と共(とも)に、夫人(ふじん)の生死(せいし)は未(ま)だ私(わたくし)には分(わか)らぬ次第(しだい)だが、一時(いちじ)は病(やまひ)の爲(た)めに待命中(たいめいちう)と聞(き)いた其(その)大佐(たいさ)が、今(いま)は却(かへつ)て健康(すこやか)に、此(この)新(あたら)しき軍艦(ぐんかん)「日(ひ)の出(で)」の廻航中(くわいかうちう)とか――さては、と私(わたくし)は忽(たちま)ち思(おも)ひ當(あた)つたのでわる。先刻(せんこく)一目(ひとめ)見(み)て直(す)ぐ誰人(たれ)かに似(に)て居(を)ると想(おも)つたのは其(その)筈(はづ)よ、誰(たれ)あらう、此(この)日(ひ)の出(で)艦長(かんちやう)こそ、春枝夫人(はるえふじん)の令兄(れいけい)、日出雄少年(ひでをせうねん)の叔父君(おぢぎみ)なる松島海軍大佐(まつしまかいぐんたいさ)であつたのかと。そゞろに床(ゆか)しく、懷(なつ)かしく、眼(まなこ)を揚(あ)げて、目前(もくぜん)に端然(たんぜん)たる松島大佐(まつしまたいさ)の面(おもて)を瞻(なが)めると、松島大佐(まつしまたいさ)も意味(ゐみ)あり氣(げ)に、私(わたくし)と武村兵曹(たけむらへいそう)の顏(かほ)とを見(み)くらべたが、例(れい)の虎髯大尉(こぜんたいゐ)と一寸(ちよいと)顏(かほ)を見合(みあ)はせて、言葉(ことば)靜(しづ)かに問(と)ひかけた。先(ま)づ私(わたくし)に向(むか)ひ
『貴君(きくん)、今(いま)本艦(ほんかん)水兵(すいへい)と貴君(きくん)の同伴者(どうはんしや)なる武村兵曹(たけむらへいそう)との談話(だんわ)によると、貴君等(きくんら)は、我(わ)が最(もつと)も親密(しんみつ)なる海軍大佐櫻木重雄君(かいぐんたいささくらぎしげをくん)と縁故(えんこ)の人(ひと)の樣(やう)に思(おも)はれるが、果(はた)して左樣(さう)ですか。』といひかけ、頷(うな)づく私(わたくし)の顏(かほ)を打守(うちまも)りて、屹(きつ)と面(おもて)を改(あら)ため
『實(じつ)は先刻(せんこく)貴君等(きくんら)が不思議(ふしぎ)にも大輕氣球(だいけいきゝゆう)と共(とも)に此(この)印度洋(インドやう)の波上(はじやう)に落下(らくか)したと聞(き)いた時(とき)から、私(わたくし)は心(こゝろ)に或(ある)想像(さうざう)を描(えが)いて居(を)るのです。想像(さうざう)とは他(ほか)でもない、貴君等(きくんら)が果(はた)して我(わ)が親愛(しんあい)なる櫻木君(さくらぎくん)と縁故(えんこ)の人(ひと)ならば、今度(こんど)此(この)不思議(ふしぎ)なる出來事(できごと)も、或(あるひ)は櫻木大佐(さくらぎたいさ)の運命(うんめい)に或(ある)關係(くわんけい)を有(いう)して居(を)るのではあるまいかと。私(わたくし)は櫻木君(さくらぎくん)の大望(たいまう)をばよく知(し)つて居(を)ります。また、彼(かれ)が、人(ひと)の知(し)らない此(この)印度洋(インドやう)中(ちう)の一(いつ)孤島(こたう)に、三十有餘名(いうよめい)の水兵(すいへい)と共(とも)に、身(み)を潜(ひそ)めて居(を)る次第(しだい)をもよく存(ぞん)じて居(を)ります。五年(ごねん)前(まへ)、彼(かれ)が横須賀(よこすか)の軍港(ぐんかう)に於(おい)て永(なが)き袂別(わかれ)を私(わたくし)に告(つ)ぐる時(とき)、彼(かれ)は决然(けつぜん)たる顏色(がんしよく)を以(もつ)て言(い)つたです「今(いま)より五年(ねん)の後(のち)には、必(かなら)ず一大(いちだい)功績(こうせき)を立(た)てゝ、君(きみ)に再會(さいくわい)する事(こと)が出來(でき)るだらう」と。それから五年(ねん)の星霜(せいさう)は※去(すぎさ)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、320-8]つたが、未(ま)だ彼(かれ)の消息(せうそく)は少(すこ)しも聞(きこ)えません、其間(そのあひだ)、私(わたくし)は一日(いちにち)でも彼(かれ)の健康(けんこう)と、彼(かれ)の大事業(だいじげふ)の成功(せいこう)とを祈(いの)らぬ時(とき)はないのです。あゝ、櫻木君(さくらぎくん)は遂(つひ)に其(その)大目的(だいもくてき)を達(たつ)しましたらうか。彼(かれ)が潜心苦慮(せんしんくりよ)せる大軍器(だいぐんき)は遂(つひ)に首尾(しゆび)よく竣成(しゆんせい)しましたらうか。』と言(い)ひながら、聲(こゑ)を沈(しづ)まし
『けれど、私(わたくし)は今(いま)、時(とき)ならぬ輕氣球(けいきゝゆう)を此(この)印度洋上(インドやうじやう)に認(みと)め、特(こと)に其(その)乘組人(のりくみにん)の一人(ひとり)は櫻木大佐(さくらぎたいさ)の片腕(かたうで)と言(い)はれた武村兵曹(たけむらへいそう)であつたので想(かんが)へると、今(いま)や孤島(こたう)の櫻木君(さくらぎくん)の身邊(しんぺん)には、何(なに)か非常(ひじやう)の異變(ゐへん)が起(おこ)つて、其爲(そのため)に貴君等(きくんら)兩人(りやうにん)は大佐(たいさ)と袂別(わかれ)を告(つ)げ、一大(だい)使命(しめい)を帶(お)びて此(この)空中(くうちう)を飛行(ひかう)して來(き)たのではありませんか。』と眤(じつ)と吾等(われら)兩人(りようにん)を見詰(みつ)めた。
『其事(そのこと)! 實(じつ)に御明察(ごめいさつ)の通(とう)りです。』と私(わたくし)はツト身(み)を進(すゝ)めた。武村兵曹(たけむらへいそう)は胸(むね)をうつて
『艦長閣下(かんちやうかくか)、實(じつ)に容易(ようゐ)ならぬ事變(じへん)は我(わ)が大佐閣下(たいさかくか)の上(うへ)に起(おこ)りました。』と、それより、兵曹(へいそう)と私(わたくし)とは迭代(かたみがはり)に、櫻木海軍大佐(さくらぎかいぐんたいさ)の海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)の事(こと)、其(その)大成功(だいせいこう)の實情(ありさま)、及(およ)び二月(ぐわつ)十一日(にち)の夜半(やはん)、大佐(たいさ)功(こう)成(な)り將(まさ)に朝日島(あさひじま)を出發(しゆつぱつ)せんとする瞬時(わづか)前(まへ)、震天動地(しんてんどうち)の大海嘯(おほつなみ)の爲(ため)に、秘密造船所(ひみつざうせんじよ)の倉庫(さうこ)碎(くだ)けて、十二の樽(たる)の流失(りうしつ)した事(こと)から、遂(つひ)に今回(こんくわい)の大使命(だいしめい)に立到(たちいた)つた迄(まで)の大略(あらまし)を述(の)べ
『大佐閣下(たいさかくか)よ、されば吾等(われら)兩名(りようめい)は今(いま)より急(いそ)ぎ印度國(インドこく)コロンボの港(みなと)に到(いた)り、十二種(しゆ)の秘密藥液(ひみつやくえき)を凖備(とゝの)へて、本月(ほんげつ)二十五日(にち)拂曉(ふつげう)までには、電光艇(でんくわうてい)が待合(まちあ)はすべき筈(はづ)の橄欖島(かんらんたう)まで赴(おもむ)かねばなりません。』と語(かた)り終(をは)ると、聽(き)く水兵等(すいへいら)は驚嘆(きやうたん)の顏(かほ)を見合(みあ)はせ、勇烈(ゆうれつ)なる虎髯大尉(こぜんたいゐ)は、歡(よろこ)び且(か)つ愕(おどろ)きの叫聲(さけび)をもつて倚子(ゐす)より起(た)ちて、松島海軍大佐(まつしまかいぐんたいさ)の面(おもて)を見(み)ると、松島大佐(まつしまたいさ)は握(にぎ)れる軍刀(ぐんたう)の※(つか)[#「革+巴」、322-7]の碎(くだ)くるをも覺(おぼ)えぬまで、滿足(まんぞく)と熱心(ねつしん)との色(いろ)をもつて、屹(きつ)と面(おもて)を揚(あ)げ
『快(くわい)なる哉(かな)、櫻木君(さくらぎくん)の海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)は遂(つひ)に竣工(しゆんこう)しましたか。』と、暫時(しばし)は言(げん)もなく、東天(とうてん)の一方(いつぽう)を眺(なが)めたが、忽(たちま)ち腕拱(うでこま)ぬき
『して、櫻木君(さくらぎくん)の一行(いつかう)は意外(ゐぐわい)の天變(てんぺん)のために、來(きた)る二十五日(にち)拂曉(ふつげう)、橄欖島(かんらんたう)の附近(ふきん)にて貴下等(きから)の應援(おうえん)を待(ま)つのですか、よろしい、斯(か)く承(うけたま)はる以上(いじやう)は最早(もはや)憂慮(いうりよ)するには及(およ)びません。日本帝國(につぽんていこく)のため、帝國海軍(ていこくかいぐん)のため、また櫻木大佐(さくらぎたいさ)の光譽(くわうよ)のために、我等(われら)は全力(ぜんりよく)を盡(つく)して電光艇(でんくわうてい)の應援(おうえん)に赴(おもむ)きませう。』と立(た)つて傍(かたはら)なる卓上(たくじやう)に一面(いちめん)の海圖(かいづ)を押擴(おしひろ)げ、具(つぶ)さに緯度(ゐど)を計(はか)りつゝ
『此處(こゝ)から最(もつと)も便宜(べんぎ)なる、また最(もつと)も近(ちか)き貿易港(ぼうえきかう)は矢張(やはり)印度國(インドこく)コロンボの港(みなと)で、海上(かいじやう)大約(おほよそ)千二百哩(マイル)、それより橄欖島(かんらんたう)までは千五百哩(マイル)弱(じやく)、されば、本艦(ほんかん)は明後晩(めうごばん)コロンボに錨(いかり)を投(とう)じ、電光艇(でんくわうてい)に必要(ひつえう)なる十二の秘密藥液(ひみつやくえき)を凖備(じゆんび)して、直(たゞ)ちに暗號電報(あんがうでんぽう)をもつて本國(ほんごく)政府(せいふ)の許可(きよか)を受(う)け、全速力(ぜんそくりよく)をもつて橄欖島(かんらんたう)へ向(むか)ふ事(こと)が出來(でき)ます、さらば!。』とばかり側(かたばら)の虎髯大尉(こぜんたいゐ)に向(むか)ひ、
『轟大尉(とゞろきたいゐ)! 本艦(ほんかん)全速力(ぜんそくりよく)、方向(ほうかう)は矢張(やはり)コロンボ港(かう)、右(みぎ)號令(がうれい)を傳(つた)へて下(くだ)さい※[#感嘆符三つ、323-12]。』
虎髯大尉(こぜんたいゐ)、本名(ほんめい)は轟大尉(とゞろきたいゐ)であつた。『諾(だく)。』と應(こた)えたまゝ、身(み)を飜(ひるが)へして前甲板(ぜんかんぱん)の方(かた)へ走(はし)り去(さ)つた。
松島大佐(まつしまたいさ)は再(ふたゝ)び海圖(かいづ)の面(めん)に向(むか)つた。
此時(このとき)中部甲板(ちうぶかんぱん)には、午前(ごぜん)十一時(じ)を報(ほう)ずる六點鐘(ろくてんしやう)、カヽン! カヽン! カヽン! カヽン! カヽン! カヽン!
武村兵曹(たけむらへいそう)と私(わたくし)とは、實(じつ)に双肩(さうけん)の重荷(おもに)を降(おろ)した樣(やう)な心地(こゝち)がしたのである。實(じつ)に、※(「りっしんべん+喜」、第4水準2-12-73)(うれ)しい、※(「りっしんべん+喜」、第4水準2-12-73)(うれ)しい、※(「りっしんべん+喜」、第4水準2-12-73)(うれ)しい。
此(この)※(「りっしんべん+喜」、第4水準2-12-73)(うれ)しい時(とき)――すでに我(わ)が大使命(だいしめい)をば語(かた)り終(をは)つたる今(いま)、一個人(わたくし)の事(こと)ではあるが、私(わたくし)は松島海軍大佐(まつしまかいぐんたいさ)に向(むか)つて、問(と)ひもし、語(かた)りもしたき事(こと)は澤山(たくさん)ある。大佐(たいさ)の令妹(れいまい)春枝夫人(はるえふじん)の安否(あんぴ)――其(その)良君(をつと)濱島武文(はまじまたけぶみ)の消息(せうそく)――それより前(さき)に私(わたくし)から語(かた)らねばならぬのは(大佐(たいさ)は屹度(きつと)死(し)んだと思(おも)つて居(を)るだらう)※去(くわこ)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、324-12]三年(ねん)の間(あひだ)、私(わたくし)と共(とも)に朝日島(あさひじま)の月(つき)を眺(なが)めて、今(いま)も猶(な)ほ健康(すこやか)で居(を)る彼(かれ)の娚(をい)なる日出雄少年(ひでをせうねん)の消息(せうそく)である。
私(わたくし)は幾度(いくたび)か口(くち)を開(ひら)きかけたが、此時(このとき)大佐(たいさ)の顏色(がんしよく)は、私(わたくし)が突然(にはか)に此事(このこと)を言(い)ひ出(だ)し兼(か)ねた程(ほど)、海圖(かいづ)に向(むか)つて熱心(ねつしん)に、頓(やが)て櫻木大佐(さくらぎたいさ)と、其(その)海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)のに會(あひ)合(あ)ふべき筈(はづ)の、橄欖島(かんらんたう)附近(ふきん)の地勢(ちせい)、海深等(かいしんとう)を調(しら)ぶるに餘念(よねん)もなかつた。
暫時(ざんじ)、船室(せんしつ)内(ない)は寂(しん)となる。
室外(しつぐわい)には舷(げん)に碎(くだ)くる浪(なみ)の音(おと)、檣頭(しやうとう)に走(はし)る風(かぜ)の聲(こゑ)、艦橋(ブリツヂ)に響(ひゞ)く士官(しくわん)の號令(がうれい)。
私(わたくし)は何氣(なにげ)なく倚子(ゐす)より離(はな)れて、檣樓(しやうらう)に、露砲塔(ろほうたふ)に、戰鬪樓(せんとうらう)に、士官(しくわん)水兵(すいへい)の活動(はたらき)目醒(めざ)ましき甲板(かんぱん)を眺(なが)めたが、忽(たちま)ち電氣(でんき)に打(う)たれし如(ごと)く躍上(をどりあが)つたよ。今(いま)しも、後部甲板(こうぶかんぱん)昇降口(しやうかうぐち)より現(あら)はれて、一群(いちぐん)の肩章(けんしやう)に波(なみ)を打(う)たせたる年少(ねんせう)士官等(しくわんら)と語(かた)りながら、徐(しづ)かに此方(こなた)に來(き)かゝる二個(ふたり)の人(ひと)――軍艦々上(ぐんかん/\じやう)には珍(めづ)らしき平服(へいふく)の姿(すがた)、一個(ひとり)は威風堂々(ゐふうどう/\)たる肥滿(ひまん)の紳士(しんし)、他(た)の一個(ひとり)は天女(てんによ)の如(ごと)き絶世(ぜつせ)の佳人(かじん)! 誰(たれ)か知(し)らん、此(この)二人(ふたり)は、四年(ねん)以前(いぜん)にネープルスで別(わか)れた濱島武文(はまじまたけぶみ)と、今(いま)は此世(このよ)に亡(な)き人(ひと)とのみ思(おも)つて居(を)つた彼(かれ)の妻(つま)――松島大佐(まつしまたいさ)の令妹(れいまい)――日出雄少年(ひでをせうねん)の母君(はゝぎみ)なる春枝夫人(はるえふじん)であつた。
急(いそ)ぎ眼(め)を押拭(おしぬぐ)つて見(み)たが、矢張(やはり)其人(そのひと)※[#感嘆符三つ、326-6]
私(わたくし)は狂喜(きやうき)のあまり、唐突(いきなり)武村兵曹(たけむらへいそう)の首(くび)を捻(ね)ぢ向(む)けて
『兵曹(へいそう)! あれを見(み)よ/\、濱島君(はまじまくん)に、春枝夫人(はるえふじん)!。』と叫(さけ)ぶと、不意(ふゐ)に愕(おどろ)いたる武村兵曹(たけむらへいそう)は
『ど、ど、ど、何處(どこ)に! どの人(ひと)が?。』と伸上(のびあが)る。
側面(そくめん)の卓上(たくじやう)にあつて、此(この)有樣(ありさま)を認(みと)めたる松島海軍大佐(まつしまかいぐんたいさ)は不審(ふしん)の眉(まゆ)を揚(あ)げ
『いぶかしや、貴君(きくん)は何人(なにびと)なれば[#「何人(なにびと)なれば」は底本では「何人(なにびと)なれは」]、濱島武文(はまじまたけぶみ)と春枝(はるえ)とを御在(ごぞん)じですか。』
私(わたくし)はツト身(み)を乘(の)り出(だ)した
『私(わたくし)こそ、四年(よねん)前(まへ)に、春枝夫人(はるえふじん)と弦月丸(げんげつまる)の沈沒(ちんぼつ)に別(わか)れた柳川(やながは)です。』
松島海軍大佐(まつしまかいぐんたいさ)の端然(たんぜん)たる顏色(がんしよく)は微(かすか)に動(うご)いて
『では、貴君(きくん)は、若(も)しや我(わ)が娚(おい)日出雄少年(ひでをせうねん)の安否(あんぴ)を――。』と言(い)ひかけて、急(いそ)ぎ艦尾(かんび)なる濱島武文(はまじまたけぶみ)と春枝夫人(はるえふじん)とに眸(ひとみ)を移(うつ)すと、彼方(かなた)の二人(ふたり)も忽(たちま)ち私(わたくし)の姿(すがた)を見付(みつ)けた。春枝夫人(はるえふじん)の美(うる)はしき顏(かほ)は『あら。』とばつかり、其(その)良君(おつと)を顧見(かへりみ)る。私(わたくし)は彼方(かなた)へ! 彼方(かなた)は此方(こなた)へ! 轉(まろ)ぶがごとく※[#感嘆符三つ、327-11]

    第二十七回 艦長室(かんちやうしつ)
鼻髯を捻つた――夢では[#「夢では」は底本では「夢でば」]ありますまいか――私は何より※(「りっしんべん+喜」、第4水準2-12-73)しい――大分色は黒くなりましたよ、はい――今度は貴女の順番――四年前の話
 日(ひ)は高(たか)く、風(かぜ)は清(すゞ)しき軍艦(ぐんかん)「日(ひ)の出(で)」の艦上(かんじやう)、縱帆架(ガーフ)には帝國軍艦旗(ていこくぐんかんき)舞(ま)ひ、「ブルワーク」の邊(ほとり)には克砲(クルツプほう)、俄砲(ガツトリングほう)、四十七粍(ミリ)速射砲(そくしやほう)、砲門(ほうもん)をならべ、遠(とほ)く一碧(いつぺき)の水天(すいてん)を望(のぞ)み、近(ちか)く破浪(はらう)の音(おと)を聽(き)きつゝ、絶(たえ)て久(ひさ)しき顏(かほ)と顏(かほ)とは艦長室(かんちやうしつ)の美(うる)はしき長倚子(ながゐす)に倚(よ)つて向(むか)ひ合(あ)つた。
濱島武文(はまじまたけぶみ)は言葉(ことば)もなく私(わたくし)の手(て)を握(にぎ)つた。
春枝夫人(はるえふじん)は
『あゝ、柳川(やながは)さん、妾(わたくし)は、貴方(あなた)と此世(このよ)で御目(おめ)に掛(か)からうとは――。』と言(い)つたまゝ、其(その)美(うる)はしき顏(かほ)は私(わたくし)の身邊(しんぺん)を見廻(みまは)した。
武村兵曹(たけむらへいそう)は私(わたくし)の横側(よこて)で五里霧中(ごりむちう)の顏(かほ)。
艦長松島海軍大佐(かんちやうまつしまかいぐんたいさ)は春枝夫人(はるえふじん)の言(げん)をば奪(うば)ふがごとく私(わたくし)に向(むか)ひ
『して、日出雄少年(ひでをせうねん)[#ルビの「ひでをせうねん」は底本では「びでをせうねん」]は――安全(あんぜん)ですか――それとも――。』
私(わたくし)は欣然(きんぜん)として叫(さけ)んだ。
『おゝ、松島海軍大佐(まつしまかいぐんたいさ)よ、濱島武文君(はまじまたけぶみくん)よ、春枝夫人(はるえふじん)よ、貴方等(あなたがた)の喜悦(よろこび)にまで、少年(せうねん)は無事(ぶじ)です、無事(ぶじ)です※[#感嘆符三つ、329-6]。』
松島大佐(まつしまたいさ)と濱島武文(はまじまたけぶみ)とは言(い)ひ合(あ)はした樣(やう)に喜色(えみ)を浮(うか)べて鼻髯(びぜん)を捻(ひね)つた。春枝夫人(はるえふじん)は流石(さすが)に女性(によしよう)の常(つね)
『あゝ、夢(ゆめ)ではありますまいか、之(これ)が夢(ゆめ)でなかつたら、どんなに嬉(うれ)しいんでせう。』と、止(とゞ)め兼(かね)たる喜悦(よろこび)の涙(なみだ)をソツと紅絹(くれない)の手巾(ハンカチーフ)に押拭(おしぬぐ)ふ。
『夢(ゆめ)ぢやありませんとも/\。』と武骨(ぶこつ)なる武村兵曹(たけむらへいそう)は、此時(このとき)ヒヨツコリと顏(かほ)を突出(つきだ)した。
『貴夫人(きふじん)! 何(な)んで夢(ゆめ)だなんぞと仰(お)つしやる。あの可憐(かれん)なる日出雄少年(ひでをせうねん)は、今(いま)は我(わ)が敬愛(けいあい)する櫻木海軍大佐閣下(さくらぎかいぐんたいさかくか)と共(とも)に朝日島(あさひじま)に元氣(げんき)よく、今頃(いまごろ)は屹度(きつと)、例(れい)の可愛(かあい)らしい樣子(やうす)で、水兵(すいへい)共(ども)や、愛犬(あいけん)の稻妻(いなづま)なんかと、海岸(かいがん)の岩(いわ)の上(うへ)から、遙(はる)かに日本(につぽん)の空(そら)を眺(なが)めて、早(はや)く孤島(こたう)を出發(しゆつぱつ)して、一日(いちにち)も速(すみや)かに貴方等(あなたがた)に再會(さいくわい)したいと待望(まちのぞ)んで居(を)る事(こと)でせう。』と叫(さけ)ぶ。
『貴方(あなた)は――。』と二人(ふたり)の眼(まなこ)は懷(なつ)かし相(さう)に武村兵曹(たけむらへいそう)の上(うへ)に轉(てん)じた。
『此人(このひと)は武村兵曹(たけむらへいそう)とて、吾等(われら)が三年(さんねん)の間(あひだ)孤島(こたう)の生活中(せいくわつちう)、日出雄少年(ひでをせうねん)とは極(きは)めて仲(なか)のよかつた一人(ひとり)です。』と私(わたくし)は彼(かれ)を二人(ふたり)に紹介(ひきあは)せて、それより武村兵曹(たけむらへいそう)と私(わたくし)とは交(かは)る/″\、朝日島(あさひじま)へ漂流(へうりう)の次第(しだい)、稀世(きせい)の海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)の事(こと)、孤島(こたう)生活中(せいくわつちう)の有樣(ありさま)、それから四年(よねん)以前(いぜん)には、穉氣(あどけ)なく母君(はゝぎみ)と別(わか)れたりし日出雄少年(ひでをせうねん)の今(いま)は大(おほ)きくなりて、三年(さんねん)の間(あひだ)、智勇(ちゆう)絶倫(ぜつりん)の櫻木海軍大佐(さくらぎかいぐんたいさ)の愛育(あいいく)の下(した)に、何(なに)から何(なに)まで、父君(ちゝぎみ)が甞(かつ)て望(のぞ)める如(ごと)き海軍々人(かいぐんぐんじん)風(ふう)[#ルビの「ふう」は底本では「ぶう」]の男兒(をのこ)となりて、毎日(まいにち)/\賢(かし)こく、勇(いさ)ましく、日(ひ)を送(おく)つて居(を)る有樣(ありさま)をば目(め)に見(み)る如(ごと)くに語(かた)り、大佐(たいさ)よ、濱島君(はまじまくん)よ、春枝夫人(はるえふじん)よ、されば吾等(われら)は今(いま)や天運(てんうん)開(ひら)けて、遠(とほ)からず非常(ひじやう)の喜(よろこ)びに會(くわい)する時(とき)を待(ま)つばかりです。と語(かた)り終(をは)ると、聽(き)く三人(みたり)は或(あるひ)は驚(おどろ)き或(あるひ)はよろこび。大佐(たいさ)は相變(あひかは)らず鼻髯(びぜん)を捻(ひね)りつゝ。豪壯(がうさう)なる濱島武文(はまじまたけぶみ)は胸(むね)を叩(たゝ)いて
『私(わたくし)は何(なに)よりも嬉(うれ)しい。弦月丸(げんげつまる)の沈沒(ちんぼつ)は、日出雄(ひでを)の爲(ため)には、寧(むし)ろ幸福(かうふく)であつたかも知(し)れません。今(いま)彼(かれ)が當世(たうせい)に隱(かく)れも無(な)き、櫻木海軍大佐(さくらぎかいぐんたいさ)から、斯(か)くも懇篤(こんとく)なる薫陶(くんとう)を受(う)けて生長(せいちやう)した事(こと)は、世界(せかい)第一(だいいち)の學校(がくかう)を卒業(そつげふ)したよりも、私(わたくし)の爲(ため)には※(「りっしんべん+喜」、第4水準2-12-73)(うれ)しいです。』
春枝夫人(はるえふじん)は包(つゝ)み兼(か)ねたる喜悦(よろこび)の聲(こゑ)で
『皆樣(みなさま)は、其樣(そんな)にあの兒(こ)を可愛(かあい)がつて下(くだ)さつたのですか。妾(わたくし)は何(なん)と御禮(おれい)の言葉(ことば)もございません[#「ございません」は底本では「こざいません」]。』と雪(ゆき)のやうなる頬(ほう)に微※(えくぼ)[#「渦」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、332-3]の波(なみ)を湛(たゝ)えて
『そして、あの兒(こ)はもう其樣(そんな)に大(おほ)きくなりまして。』
『大(おほ)きくなりました段(だん)か。近々(きん/\)に橄欖島(かんらんたう)でお逢(あ)ひになつたら、そりや喫驚(びつくり)なさる』とまた兵曹(へいそう)が飛(と)び出(だ)した。
『あら。』
『そればかりか、少年(せうねん)の活溌(くわつぱつ)な事(こと)ツたら話(はなし)になりませんよ。獅子狩(しゝがり)もやります、相撲(すまふ)も取(と)ります。弱(よわ)い水兵(すいへい)なんかは負(ま)かされます。』と彼(かれ)は至極(しごく)眞面目(まじめ)に
『然(しか)し、其代(そのかは)り、大分(だいぶん)色(いろ)は黒(くろ)くなりましたよ。はい。』
『おほゝゝゝ。』と春枝夫人(はるえふじん)は半顏(はんがん)を蔽(おほ)ふて
『其樣(そんな)に黒(くろ)くなりましたの、まア。』
『イヤ、中黒(ちうぐろ)です。』と滑※(こつけい)[#「(禾+尤)/上/日」、333-3]なる兵曹(へいそう)の一言(いちごん)に、大佐(たいさ)も、濱島(はまじま)も、私(わたくし)も大聲(おほごゑ)に笑(わら)ひ崩(くづ)るゝ時(とき)、春枝夫人(はるえふじん)の優(やさ)しい眼(め)は、遙(はる)か/\の南(みなみ)の方(ほう)の水(みづ)と空(そら)とを懷(なつ)かし相(さう)に眺(なが)めて居(を)つた。
其時(そのとき)私(わたくし)は膝(ひざ)を進(すゝ)めて
『今迄(いまゝで)は吾等(われら)の經歴(けいれき)をのみ語(かた)つたが、サア今度(こんど)は、貴方等(あなたがた)のお答(こたへ)の順番(じゆんばん)ですよ。』と先(ま)づ春枝夫人(はるえふじん)に向(むか)ひ
『夫人(おくさん)! 先刻(せんこく)貴女(あなた)も左樣(さう)仰(お)つしやいましたねえ。私(わたくし)も眞個(ほんたう)に、此世(このよ)でまた貴女(あなた)にお目(め)にかゝらうとは思(おも)ひ設(まう)けませんでした、實(じつ)に不思議(ふしぎ)ですよ、一體(いつたい)あの時(とき)は如何(どう)して御助命(おたすかり)になりました。』と口(くち)を切(き)つて
『回想(くわいさう)すれば今(いま)から四年(ねん)前(まへ)、私(わたくし)が日出雄少年(ひでをせうねん)を抱(いだ)いて、弦月丸(げんげつまる)の沈沒(ちんぼつ)と共(とも)に、海中(かいちう)に飛込(とびこ)んだ時(とき)、二度(にど)、三度(さんど)、貴女(あなた)のお名(な)をお呼(よ)び申(もう)したが、聽(きこ)ゆるものは、風(かぜ)の音(おと)と、浪(なみ)の響(ひゞき)ばかり、イヤ、只(たゞ)一度(いちど)、微(かす)かに/\、お答(こたへ)のあつた樣(やう)にも思(おも)はれたが、それも心(こゝろ)の迷(まよひ)と信(しん)じて、其後(そのゝち)朝日島(あさひじま)に漂着(へうちやく)して、或(ある)時(とき)、櫻木大佐(さくらぎたいさ)に此事(このこと)を語(かた)つた時(とき)、大佐(たいさ)は貴女(あなた)の運命(うんめい)を卜(ぼく)して、夫人(ふじん)は屹度(きつと)無事(ぶじ)であらうと言(い)はれたに拘(かゝは)らず、日出雄少年(ひでをせうねん)も、私(わたくし)も、最早(もはや)貴女(あなた)とは、現世(このよ)でお目(め)に掛(かゝ)る事(こと)は出來(でき)まいとばかり斷念(だんねん)して居(を)りましたに。』
春枝夫人(はるえふじん)は、四年(よねん)以前(いぜん)の恐(おそ)ろしき夜(よ)の光景(くわうけい)を回想(くわいさう)して
『あゝ、あの時(とき)は、眞個(ほんたう)に物凄(ものすご)う御坐(ござ)いましたねえ。轟然(がうぜん)たる響(ひゞき)と共(とも)に、弦月丸(げんげつまる)は沈沒(ちんぼつ)して、妾(わたくし)は一時(いちじ)は逆卷(さかま)く波間(なみま)に數(すう)十尺(しやく)深(ふか)く沈(しづ)みましたが、再(ふたゝ)び海面(かいめん)に浮(うか)び上(あが)つた時(とき)、丁度(ちやうど)貴方(あなた)のお聲(こゑ)で、私(わたくし)の名(な)をお呼(よ)びになるのが聽(きこ)えました。私(わたくし)は、一たび、二たび、お答(こた)へ申(まう)しましたが、四邊(あたり)は眞(しん)の闇(やみ)で、何處(どこ)とも分(わか)らず、其儘(そのまゝ)永(なが)いお別(わか)れになりました。幸(さひは)ひ、沈沒(ちんぼつ)の間際(まぎわ)に、貴方(あなた)が投(な)げて下(くだ)さつた浮標(うき)にすがつて、浪(なみ)のまに/\漂(たゞよ)つて居(を)る内(うち)、其(その)翌朝(よくあさ)になつて見(み)ると、漫々(まん/\)たる大海原(おほうなばら)の遙(はる)か彼方(かなた)に、昨夜(さくや)の海賊船(かいぞくせん)らしい一艘(いつそう)の船(ふね)が、頻(しき)りに潜水器(せんすいき)を沈(しづ)めて居(を)るのが見(み)えましたが、其時(そのとき)、丁度(ちやうど)通(とう)りかゝつた英國(エイこく)の郵便船(いうびんせん)に救(すく)はれて、廻(めぐ)りめぐつて、再(ふたゝ)びネープルスの家(いへ)へ皈(かへ)つたのは、夫(それ)から一月(ひとつき)程(ほど)※(すぎ)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、335-8]ての事(こと)でした。』
夫人(ふじん)は一息(ひといき)つきて
『妾(わたくし)が子ープルスの家(いへ)へ歸(かへ)つて、涙(なみだ)ながらに良人(をつと)の濱島(はまじま)に再會(さいくわい)した時(とき)には、弦月丸(げんげつまる)の沈沒(ちんぼつ)の噂(うわさ)は大層(たいそう)でした。何事(なにごと)も天命(てんめい)と諦(あきら)めても、本當(ほんたう)に悲(かな)しう御坐(ござ)んしたよ。いろ/\の噂(うわさ)を聞(き)くにつけ、最早(もはや)貴方(あなた)も、日出雄(ひでを)も、全(まつた)く世(よ)に亡(な)き人(ひと)とのみ思(おも)ひ定(さだ)め、また、一方(いつぽう)には、本國(ほんごく)の兄(あに)の病(やまひ)を思(おも)ひ煩(わずら)つて居(を)りましたが、幸(さひは)ひ、兄(あに)の病(やまひ)はだん/″\と快方(くわいほう)の由(よし)、其後(そのご)の便船(びんせん)で通知(つうち)が參(まい)りましたので、其(その)方(ほう)は漸(やうや)く胸(むね)撫(な)でおろし、日本(につぽん)へ皈(かへ)る事(こと)も其儘(そのまゝ)思(おも)ひ止(とゞま)つたのです。それから四年※(よねんす)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、336-4]ぎての今(いま)、圖(はか)らずも貴方(あなた)に再會(さいくわい)して、いろ/\のお話(はなし)を伺(うかゞ)つて見(み)ると、まるで夢(ゆめ)のやうで、霖雨(ながあめ)の後(のち)に天日(てんじつ)を拜(はい)するよりも嬉(うれ)しく、たゞ/\天(てん)に感謝(かんしや)するの他(ほか)はありません。はい、兄(あに)の病氣(びやうき)は、妾(わたくし)が子ープルスに歸(かへ)つてから、三月(みつき)程(ほど)※(すぎ)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、336-8]て、名殘(なごり)なく全快(ぜんくわい)して、今(いま)は人一倍(ひといちばい)に健全(すこやか)に、英國(エイこく)から新造軍艦(しんざうぐんかん)の廻航中(くわいかうちう)、此(この)「日(ひ)の出(で)」に乘(の)つて居(を)る事(こと)は貴方(あなた)も御覽(ごらん)の通(とう)りです。』と語(かた)り終(をは)つて令兄(れいけい)なる大佐(たいさ)と良君(をつと)武文(たけぶみ)との顏(かほ)を婉然(にこやか)に見(み)た。

    第二十八回 紀念軍艦(きねんぐんかん)
帝國軍艦「日の出」――此虎髯が御話申す――テームス造船所の製造――「明石」に髣髴たる巡洋艦――人間萬事天意のまゝ
 松島海軍大佐(まつしまかいぐんたいさ)は相(あひ)も變(かは)らず鼻髯(びぜん)を捻(ひね)りつゝ、面白相(おもしろさう)に我等(われら)の談話(だんわ)を聽(き)いて居(を)る。
濱島武文(はまじまたけぶみ)は春枝夫人(はるえふじん)に次(つ)いで口(くち)を開(ひら)いた。
『春枝(はるえ)は大分(だいぶん)愚痴(ぐち)が出(で)ます。女(をんな)はあれだからいかんです。はゝゝゝゝ。けれど私(わたくし)も、弦月丸(げんげつまる)の沈沒(ちんぼつ)を耳(みゝ)にした時(とき)には實(じつ)に愕(おどろ)きました。春枝(はるえ)丈(だ)けは其後(そのご)無事(ぶじ)に皈(かへ)つて來(き)たものゝ、君(きみ)の行衞(ゆくゑ)は知(し)れず、私(わたくし)が兼(かね)てより、有爲(りつぱ)な帝國海軍々人(ていこくかいぐんぐんじん)に養成(やうせい)して、國(くに)に獻(さゝ)げんと心(こゝろ)に樂(たの)しんで居(を)つた日出雄(ひでを)は、君(きみ)と共(とも)に、印度洋(インドやう)の藻屑(もくづ)と消(き)えてしまつたと斷念(だんねん)した時(とき)には、實(じつ)に泣(な)くより辛(つら)かつたです。』といひ掛(か)けて、彼(かれ)は忽(たちま)ち聲(こゑ)高(たか)く笑(わら)ひ
『ほー。私(わたくし)まで愚痴(ぐち)が出(で)た。イヤ、愚痴(ぐち)でない。實際(じつさい)失望落膽(しつぼうらくたん)したです。其頃(そのころ)歐羅巴(エウロツパ)の諸(しよ)新聞(しんぶん)は筆(ふで)を揃(そろ)へて、弦月丸(げんげつまる)の遭難(さうなん)を詳報(しやうほう)し、かの臆病(をくびやう)なる船長等(せんちやうら)の振舞(ふるまひ)をば痛(いた)く攻撃(こうげき)すると共(とも)に『日本人(につぽんじん)の魂(たましひ)。』なんかと標題(みだし)を置(お)いて、君等(きみら)の其時(そのとき)の擧動(ふるまひ)を賞讃(しようさん)するのを見(み)るにつけても、實(じつ)に斷膓(だんちやう)の念(ねん)に堪(た)えなかつたです――何(なに)、あの卑劣(ひれつ)なる船長等(せんちやうら)は如何(どう)したと問(と)はるゝか。左樣(さやう)さ、一旦(いつたん)は無事(ぶじ)に本國(ほんごく)へ歸(かへ)つて來(き)たが、法律(ほふりつ)と、社會(しやくわい)の制裁(せいさい)とは許(ゆる)さない、嚴罰(げんばつ)を蒙(かうむ)つて、酷(ひど)い目(め)に逢(あ)つて、何處(いづく)へか失奔(しつぽん)してしまいましたよ。』
『愉快(ゆくわい)だ! 愉快(ゆくわい)だ!。』と武村兵曹(たけむらへいそう)は不意(ふゐ)に叫(さけ)んだ。
私(わたくし)は失笑(しつせう)しながら問(とひ)をつゞけて
『濱島君(はまじまくん)、して、其後(そのゝち)、君(きみ)も、夫人(おくさん)も、引續(ひきつゞ)いてネープルス港(かう)にのみお在留(いで)でしたか。今(いま)また此(この)軍艦(ぐんかん)[#ルビの「ぐんかん」は底本では「ぐんがん」]に便乘(びんじよう)して日本(につぽん)へお歸國(かへり)になるのは如何(どう)いう次第(しだい)です。』と胸(むね)に手(て)を置(お)いて
『ちと想像(さうぞう)に※(すぎ)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、339-3]るかも知(し)れないが、私(わたくし)は先刻(せんこく)から考(かんが)へて居(を)つたのです。今(いま)此(この)新造巡洋艦(しんざうじゆんやうかん)に君(きみ)の愛兒(あいじ)日出雄少年(ひでをせうねん)の名(な)と何(なに)かの因縁(ゐんねん)ある如(ごと)く「日(ひ)の出(で)」と命名(めいめい)されて居(を)るのは何(なに)か深(ふか)い仔細(しさい)のあるではありませんか。』
『其事(そのこと)は此(この)虎髯(ひげ)がお話(はなし)申(もう)すのが順當(じゆんたう)でせう。』と不意(ふゐ)に室内(しつない)へ飛込(とびこ)んで來(き)たのは、例(れい)の磊落(らいらく)なる虎髯大尉(こぜんたいゐ)、本名(ほんめい)轟大尉(とゞろきたいゐ)であつた。先(ま)づ艦長松島大佐(かんちやうまつしまたいさ)に向(むか)つて、何事(なにごと)をか二言(ふたこと)、三言(みこと)、公務(こうむ)の報告(ほうこく)を終(をは)つて後(のち)、私(わたくし)の方(ほう)に向直(むきなを)つた。快活(くわいくわつ)な調子(ちようし)で
『貴君(きくん)! 此(この)新造巡洋艦(しんざうじゆんやうかん)に「日(ひ)の出(で)」と命名(めいめい)されたのは全(まつた)く君(きみ)の想像(さうざう)の如(ごと)く日出雄少年(ひでをせうねん)の紀念(きねん)の爲(ため)と云(い)つてもよいのです。左樣(さう)ばかりではお釋(わか)りになるまい、濱島氏(はまじまし)は君(きみ)も御存(ごぞん)じの通(とう)り、日出雄少年(ひでをせうねん)をば有爲(りつぱ)な海軍々人(かいぐん/″\じん)に養成(やうせい)して、日本帝國(につぽんていこく)の干城(まもり)にと、兼(かね)ての志望(こゝろざし)であつたのが、弦月丸(げんげつまる)の沈沒(ちんぼつ)と共(とも)に、全(まつた)く水泡(すいほう)に歸(き)したと思(おも)はれたので、今(いま)は、其(その)愛兒(あいじ)をば國(くに)に獻(さゝ)ぐる事(こと)の出來(でき)ぬ代(かは)りに、せめては一艘(いつそう)の軍艦(ぐんかん)を獻納(けんなう)して、國(くに)に盡(つく)す日頃(ひごろ)の志(こゝろざし)を遂(と)げんものと、其(その)財産(ざいさん)の一半(いつぱん)を割(さ)き、三年(さんねん)の日月(じつげつ)を經(へ)て、英國(エイこく)テームス造船所(ざうせんじよ)で竣成(しゆんせい)したのが、此(この)軍艦(ぐんかん)「日(ひ)の出(で)」です。此(この)軍艦(ぐんかん)は最新式(さいしんしき)の三等(とう)巡洋艦(じゆんやうかん)で、排水量(はいすいりよう)二千八百噸(とん)、速力(そくりよく)二十三節(ノツト)、帝國軍艦(ていこくぐんかん)「明石(あかし)」に髣髴(ほうふつ)たる艦(ふね)だが、もつと速力(そくりよく)は速(はや)い、防禦甲板(ぼうぎよかんぱん)は平坦部(へいたんぶ)二十粍(ミリ)、傾斜部(けいしやぶ)五十三粍(ミリ)、砲門(ほうもん)は八吋(インチ)速射砲(そくしやほう)二門(もん)、十二珊(サンチ)速射砲(そくしやほう)六門(もん)、四十七粍(ミリ)速射砲(そくしやほう)十二門(もん)、機關砲(きくわんほう)四門(もん)あるです。日本政府(につぽんせいふ)は快(こゝろよ)く濱島氏(はまじまし)の志(こゝろざし)を容(ゐ)れ、我(わ)が海軍部内(かいぐんぶない)では、特別(とくべつ)の詮議(せんぎ)があつて、直(たゞ)ちに松島大佐閣下(まつしまたいさかくか)が回航委員長(くわいかうゐゐんちやう)の任(にん)に當(あた)る事(こと)となり、今(いま)や大佐(たいさ)は本艦々長(ほんかん/\ちやう)の資格(しかく)をもつて日本(につぽん)へ廻航中(くわいかうちう)、濱島氏夫妻(はまじましふさい)は、此(この)軍艦(ぐんかん)の獻納者(けんなうしや)であれば、本艦(ほんかん)引渡(ひきわた)しの儀式(ぎしき)の爲(ため)と、一(ひと)つには、最早(もはや)異境(ゐきやう)の空(そら)も飽果(あきは)てたれば之(これ)よりは、山(やま)美(うる)はしく、水(みづ)清(きよ)き日本(につぽん)に歸(かへ)らんと、子ープルス港(かう)から本艦(ほんかん)に便乘(びんじやう)した次第(しだい)です。』と語(かた)りかけて、轟大尉(とゞろきたいゐ)は虎髯(こぜん)を逆(ぎやく)に捩(ねじ)りつゝ
『軍艦(ぐんかん)日(ひ)の出(で)! 此(この)名(な)は確(たし)かに、日出雄少年(ひでをせうねん)の名(な)と或(ある)關係(くわんけい)を有(も)つて居(を)ると信(しん)じます。然(しか)し、濱島氏(はまじまし)は决(けつ)して虚名(きよめい)を貪(むさぼ)る人(ひと)でない、此(この)名(な)は彼(かれ)が求(もと)めた名(な)では無(な)いのです、すべて本國(はんごく)政府(せいふ)の任意(にんゐ)に定(さだ)めた事(こと)で、軍艦命名式(ぐんかんめいめいしき)の嚴肅(げんしゆく)なる順序(じゆんじよ)を經(へ)て下(くだ)されたのが「日(ひ)の出(で)」の三字(じ)です。けれど私(わたくし)は、此(この)名(な)と日出雄少年(ひでをせうねん)の名(な)との符合(ふがふ)をば、决(けつ)して偶然(ぐうぜん)の事(こと)とは思(おも)ひません。』
『無論(むろん)偶然(ぐうぜん)の符合(ふがふ)ではありますまい。』と私(わたくし)は感嘆(かんたん)の叫(さけび)を禁(きん)じ得(え)なかつた。武村兵曹(たけむらへいそう)は前額(ぜんがく)を撫(な)でゝ
『やあ、だん/″\と目出度(めでた)い事(こと)が集(あつま)つて來(き)ますな。新造軍艦(しんざうぐんかん)は獻納(けんなう)される、海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)は現(あら)はれて來(く)る、日本海軍(につぽんかいぐん)益々(ます/\)榮(さか)え――。』と快活(くわいくわつ)なる面(おもて)を擧(あ)げてニコと笑(わら)ふ。松島海軍大佐(まつしまかいぐんたいさ)も微笑(びせう)を帶(お)びて
『洵(まこと)に兵曹(へいそう)の言(げん)の如(ごと)く日本海軍(につぽんかいぐん)の爲(ため)に慶賀(けいが)すべき事(こと)である。今(いま)や遠(とほ)からず橄欖島(かんらんたう)のほとりで櫻木大佐(さくらぎたいさ)に對面(たいめん)し、それより本艦(ほんかん)「日(ひ)の出(で)」と櫻木大佐(さくらぎたいさ)の電光艇(でんくわうてい)とが舳艫(じくろ)相(あひ)並(なら)んで颯々(さつ/\)たる海風(かいふう)に帝國軍艦旗(ていこくぐんかんき)を飜(ひるが)へしつゝ頓(やが)て、帝國(ていこく)の軍港(ぐんかう)へと到着(たうちやく)した時(とき)には如何(いか)に壯烈(さうれつ)に且(か)つ愉快(ゆくわい)なる事(こと)だらう。』
轟大尉(とゞろきたいゐ)は双手(さうしゆ)を擧(あ)げて快哉(くわいさい)を叫(さけ)んだ。濱島武文(はまじまたけぶみ)は腕(うで)をさすつて
『實(じつ)に人間(にんげん)の萬事(ばんじ)は天意(てんゐ)の儘(まゝ)である。めぐり廻(めぐ)つて何事(なにごと)が幸福(かうふく)となるかも分(わか)らぬ。私(わたくし)は今(いま)やまた軍艦(ぐんかん)日(ひ)の出(で)のみならず一度(いちど)喪(うしな)つたと思(おも)つた日出雄(ひでを)をも國(くに)に獻(さゝ)ぐる事(こと)の出來(でき)るやうになつた事(こと)を感謝(かんしや)します。』と限(かぎ)りなき滿足(まんぞく)の色(いろ)を以(もつ)て夫人(ふじん)を顧見(かへりみ)た。
あゝ、人間(にんげん)の萬事(ばんじ)は實(じつ)に天意(てんゐ)の儘(まゝ)だと、私(わたくし)も深(ふか)く心(こゝろ)に感(かん)ずると共(とも)に、忽(たちま)ち回想(くわいさう)した一事(いちじ)がある。それは他(ほか)でもない、忘(わす)れもせぬ四年(よねん)以前(いぜん)の事(こと)、春枝夫人(はるえふじん)と、日出雄少年(ひでをせうねん)と、私(わたくし)との三人(みたり)が、子ープルス港(かう)の波止塲(はとば)を去(さ)らんとした時(とき)、濱島家(はまじまけ)の召使(めしつかひ)で、常時(そのころ)日出雄少年(ひでをせうねん)の保姆(うば)であつた亞尼(アンニー)とて、伊太利(イタリー)生(うま)れの年老(としおい)たる女(をんな)が、其(その)夜(よ)の出帆(しゆつぱん)をとゞめんとて、頻(しき)りに、魔(ま)の日(ひ)だの、魔(ま)の刻(こく)だの、黄金(わうごん)や眞珠(しんじゆ)の祟(たゝ)りだのと、色々(いろ/\)奇怪(きくわい)なる言(ことば)を繰返(くりかへ)した事(こと)がある、無論(むろん)、其時(そのとき)は無※(ばか)[#「(禾+尤)/上/日」、343-10]な事(こと)と笑(わら)ひ、また實際(じつさい)無※(ばか)[#「(禾+尤)/上/日」、343-10]な事(こと)には相違(さうゐ)ないのだが、それが偶然(ぐうぜん)にも符合(ふがふ)して、今(いま)になつて考(かんが)へると、恰(あだか)も※去(くわこ)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、343-11]の樣々(さま/″\)なる厄難(やくなん)の前兆(ぜんてう)であつたかの如(ごと)く、甞(かつ)て朝日島(あさひじま)の生活中(せいくわつちう)、櫻木大佐(さくらぎたいさ)に此事(このこと)を語(かた)つた時(とき)、思慮(しりよ)深(ふか)き大佐(たいさ)すら小首(こくび)を傾(かたむ)けた程(ほど)で、私(わたくし)の胸(むね)には、始終(しじう)附(つ)いて離(はな)れぬ疑問(ぎもん)であつたので、今(いま)機會(きくわい)を得(え)て
『何(なに)か此事(このこと)に就(つ)いてお心當(こゝろあた)りはありませぬか。』と春枝夫人(はるえふじん)に問(と)ひかけた。

    第二十九回 薩摩琵琶(さつまびは)
春枝夫人の物語――不屆な悴――風清き甲板――國船の曲――腕押し脛押と參りませう――道塲破りめ――奇怪の少尉
 春枝夫人(はるえふじん)は清(すゞ)しき眉(まゆ)を揚(あ)げ
『あゝ其事(そのこと)! 貴方(あなた)はよく覺(おぼ)えていらつしやいましたねえ。亞尼(アンニー)は眞個(ほんとう)に妙(めう)な事(こと)をと、其(その)時分(じぶん)は少(すこ)しも心(こゝろ)に留(と)めませんでしたが、後(のち)にそれと思(おも)ひ當(あた)りましたよ。全(まつた)く根(ね)なし言(ごと)ではありませんかつたの、それは斯(か)うなんです。』と、そよと吹(ふ)く海風(かいふう)に、鬢(びん)のほつれ毛(げ)を拂(はら)はせながら
『魔(ま)の日(ひ)、魔(ま)の刻(こく)とか申(もう)しましたねえ。其(その)夜(よ)に出帆(しゆつぱん)した弦月丸(げんげつまる)は、不思議(ふしぎ)にも、豫言(よげん)の通(とう)りに印度洋(インドやう)の沖(おき)に沈沒(ちんぼつ)して、妾(わたくし)が英國(エイこく)郵便船(ゆうびんせん)に救(すく)はれて、再(ふたゝ)び子ープルスの家(いへ)に歸(かへ)つた時(とき)には、亞尼(アンニー)の姿(すがた)は既(すで)に見(み)えませんでした。いろ/\探索(たんさく)して見(み)ましたが、誰(だれ)も行衞(ゆくゑ)を知(し)つて居(を)る人(ひと)はありません。本當(ほんたう)に奇妙(きめう)な事(こと)だと思(おも)つて居(を)ると、或(ある)日(ひ)の事(こと)、ウルピノ山中(さんちう)とて、子ープルスの街(まち)からは餘程(よほど)離(はな)れた寒村(かんそん)の、浮世(うきよ)の外(そと)の尼寺(あまでら)から、一通(いつつう)の書状(てがみ)が屆(とゞ)きました、疑(うたがひ)もなき亞尼(アンニー)の手跡(しゆせき)で、はじめて仔細(しさい)が分(わか)りましたよ。』
『ど、ど、どんな書面(しよめん)で――。』と私(わたくし)と武村兵曹(たけむらへいそう)とは身(み)を乘出(のりだ)した。
夫人(ふじん)は明眸(めいぼう)に露(つゆ)を帶(お)びて
『可愛相(かあいさう)にねえ貴方(あなた)。其(その)書面(しよめん)によると亞尼(アンニー)は、弦月丸(げんげつまる)の沈沒(ちんぼつ)を聞(き)いて、私共(わたくしども)に濟(す)まぬと尼(あま)になつたのですよ。其(その)事柄(ことがら)は一塲(いちじやう)の悲劇(トラジデー)です。亞尼(アンニー)に一人(ひとり)の息子(むすこ)があつて、極(ご)く放蕩(ほうたう)無頼(ぶらい)な男(をとこ)で、十幾年(いくねん)か前(まへ)に家出(いへで)をして、行衞不明(ゆくゑふめい)になつたといふ事(こと)は兼(かね)て聞(き)いて居(を)りましたが、亞尼(アンニー)は、それをば常(つね)に口僻(くちぐせ)のやうに、斯(か)う言(い)つて居(を)りました「私(わたくし)の忰(せがれ)は私(わたくし)の言(い)ふ事(こと)を容(き)かずに、十月(じふぐわつ)の祟(たゝり)の日(ひ)に家出(いへで)をしたばかりに、海蛇(うみへび)に捕(と)られてしまひました。」と。海蛇(うみへび)に捕(と)られたとは、眞(しん)に妙(めう)な事(こと)だと思(おも)つて居(を)りましたが、それがよく隱語(いんご)を使(つか)ふ伊太利人(イタリーじん)の僻(くせ)で、其(その)書面(しよめん)ではじめて分(わか)りましたよ。其(その)息子(むすこ)が海蛇(うみへび)に捕(と)られたといふのは、生命(いのち)の事(こと)ではなく、實(じつ)は、印度洋(インドやう)の惡魔(あくま)と世(よ)に隱(かく)れもなき海賊船(かいぞくせん)の仲間(なかま)に入(い)り、血(ち)をすゝつて、海蛇丸(まる)とかいへる海賊船(かいぞくせん)の水夫(すいふ)となつたのだ相(さう)です。其爲(そのため)に亞尼(アンニー)は一人(ひとり)淋(さび)しく家(いへ)に殘(のこ)されて、遂(つひ)に私(わたくし)の家(いへ)に奉公(ほうこう)に出(で)る樣(やう)になつたのですが、御存(ごぞん)じの通(とう)り、極(ご)く正直(しやうじき)な女(をんな)ですから、私共(わたくしども)も目(め)をかけて使(つか)つて居(を)る内(うち)、丁度(ちやうど)私共(わたくしども)が子ープルス港(かう)を出發(しゆつぱつ)するといふ前(まへ)の前(まへ)の晩(ばん)です。亞尼(アンニー)は鳥渡(ちよつと)使(つか)ひに出(で)ました時(とき)、波止塲(はとば)のほとりで圖(はか)らずも、絶(たえ)て久(ひさ)しき其(その)子(こ)に出會(であ)つたのです。いくら惡人(あくにん)でも、親子(おやこ)の情(じやう)はまた格別(かくべつ)と見(み)へ、正直(しやうじき)なる亞尼(アンニー)は「一寸(ちよつと)お出(い)で。」と其(その)子(こ)をば、其邊(そのへん)の小(ちい)さい料理屋(れうりや)へ連(つ)れて行(い)つて、自分(じぶん)の貧(さび)しい財嚢(さいふ)を傾(かたむ)けて、息子(むすこ)の嗜好(すき)な色々(いろ/\)の物(もの)を御馳走(ごちさう)して「さて、忰(せがれ)や、お前(まへ)は此頃(このごろ)はどうしておいでだえ。矢張(やはり)惡(わる)い業(しわざ)を改(あらた)めませんのかえ。」と涙(なみだ)ながらに諫(いさ)めかけると、息子(むすこ)は平氣(へいき)なものです「また始(はじ)まつたよ。おつかさん、お前(まへ)は相變(あひかは)らず馬鹿正直(ばかしやうじき)だねえ、其樣(そん)なけち/\した事(こと)で此世(このよ)が渡(わた)れるかえ。」と大酒(おほざけ)飮(の)んで、醉(ゑ)ふたまきれに「乃公(おれ)なんかは近(ちか)い内(うち)に大仕事(おほしごと)があるのだ、其(その)仕事(しごと)の爲(ため)に今(いま)此(この)港(みなと)へ來(き)て、明後晩(めうごばん)にはまた此處(こゝ)を出發(しゆつぱつ)するのだが、其(その)一件(いつけん)さへ首尾(しゆび)よく行(い)けば、百(ひやく)や二百(にひやく)の目腐(めくさ)れ金(がね)はお前(まへ)にもあげるよ。内秘(ないしよ)/\。」なんかと、思(おも)はず知(し)らず口走(くちばし)つたのでせう。之(これ)を聽(き)いた亞尼(アンニー)ははつと愕(おどろ)いたのです。其頃(そのころ)弦月丸(げんげつまる)が、今迄(いままで)に無(な)い程(ほど)澤山(たくさん)の、黄金(わうごん)と眞珠(しんじゆ)とを搭載(たふさい)して、ネープルス港(かう)を出發(しゆつぱつ)して、東洋(とうやう)に向(むか)ふといふのは評判(ひやうばん)でしたが、誰(たれ)も世(よ)に恐(おそ)る可(べ)き海蛇丸(かいだまる)が、竊(ひそ)かに其(その)舷側(そば)に停泊(ていはく)して、樣子(やうす)を窺(うかゞ)つて居(を)るとは氣付(きづ)いた人(ひと)はありませんかつたが、今(いま)現(げん)に海賊(かいぞく)仲間(なかま)の其(その)息子(むすこ)が此(この)港(みなと)に居(を)る事(こと)と、今(いま)の話(はなし)の樣子(やうす)で、朧(おぼろ)ながらも其(そ)れと覺(さと)つた亞尼(アンニー)の驚愕(おどろき)はまアどんなでしたらう。私共(わたくしども)の乘組(のりく)む筈(はづ)の弦月丸(げんげつまる)と、同(おな)じ日(ひ)、同(おな)じ刻(こく)に、ネープルス港(かう)を出發(しゆつぱつ)する海蛇丸(かいだまる)の目的(もくてき)は云(い)ふ迄(まで)もありません。其(その)息子(むすこ)が大仕事(おほしごと)と云(い)つたのはまさしく弦月丸(げんげつまる)を襲撃(しふげき)して、其(その)貨財(くわざい)を掠奪(りやくだつ)する目的(もくてき)だなと心付(こゝろづ)いた時(とき)、彼女(かのぢよ)は切(せつ)に其(その)非行(ひかう)を諫(いさ)めた相(さう)ですが、素(もと)より思(おも)ひ止(とゞ)まらう筈(はづ)はなく、其(その)暴惡(ぼうあく)なる息子(むすこ)は、斯(か)く推察(すいさつ)された上(うへ)はと、急(きふ)に語勢(ことばつき)荒々(あら/\)しく「おつかさん、左樣(さう)覺(さと)られたからは百年目(ひやくねんめ)、若(も)し此(この)一件(いつけん)を他人(たにん)に洩(もら)すものならば、乃公(おれ)の笠(かさ)の臺(だい)の飛(と)ぶは知(し)れた事(こと)、左樣(さう)なれば破(やぶ)れかぶれ、お前(まへ)の御主人(ごしゆじん)の家(いへ)だつて用捨(ようしや)はない、火(ひ)でもかけて、一人(ひとり)も生(い)かしては置(お)かないぞ。」と鬼(おに)のやうになつて、威迫(おど)したんでせう。亞尼(アンニー)は心(こゝろ)も心(こゝろ)でなく、急(いそ)ぎ私共(わたくしども)の家(いへ)へ歸(かへ)つて來(き)たものゝ、如何(どう)する事(こと)も出來(でき)ません、明瞭(あからさま)に言(い)へば、其(その)子(こ)の首(くび)の飛(と)ぶばかりではなく、私共(わたくしども)の一家(いつか)にも、何處(どこ)からか恐(おそ)ろしい復讐(あだうち)が來(く)るものと信(しん)じて、千々(ちゞ)に心(こゝろ)を碎(くだ)いた揚句(あげく)、遂(つひ)にあんな妙(めう)な事(こと)に托(たく)して、私共(わたくしども)の弦月丸(げんげつまる)に乘組(のりく)む事(こと)を留(と)めやうと企(くわだ)てたのです。けれど、誰(だれ)だつて信(しん)ぜられませんはねえ。船(ふね)の出發(しゆつぱつ)が魔(ま)の日(ひ)魔(ま)の刻(こく)だなんて。あゝ亞尼(アンニー)がまた妙(めう)な事(こと)をと、少(すこ)しも心(こゝろ)に止(と)めずに出帆(しゆつぱん)したのが、あんな災難(さいなん)の原因(げんゐん)となつたのです。それで、亞尼(アンニー)は、いよ/\弦月丸(げんげつまる)が沈沒(ちんぼつ)したと聞(き)いた時(とき)、身(み)も世(よ)にあられず、私共(わたくしども)に濟(す)まぬといふ一念(いちねん)と、其(その)息子(むすこ)の悔悟(くわいご)とを祈(いの)るが爲(ため)に、浮世(うきよ)の外(そと)の尼寺(あまでら)に身(み)を隱(かく)したのです。で、亞尼(アンニー)は、今(いま)は、眞如(しんによ)の月影(つきかげ)清(きよ)き、ウルピノ山中(さんちう)の草(くさ)の庵(いほり)に、罪(つみ)もけがれもなく、此世(このよ)を送(おく)つて居(を)る事(こと)でせうが、あの惡(にく)むべき息子(むすこ)の海賊(かいぞく)は、矢張(やはり)印度洋(インドやう)の浪(なみ)を枕(まくら)に、不義(ふぎ)非道(ひだう)の業(しわざ)を逞(たくま)しうして居(を)る事(こと)でせう。』と、語(かた)り終(をは)つて、春枝夫人(はるえふじん)は明眸(めいぼう)一轉(いつてん)※(「二点しんにょう+向」、第3水準1-92-55)(はる)かの空(そら)を仰(あほ)いだ。
私(わたくし)は思(おも)はず膝(ひざ)を叩(たゝ)いた。短慮(たんりよ)一徹(いつてつ)の武村兵曹(たけむらへいそう)は腕(うで)を鳴(なら)して、漫々(まん/\)たる海洋(かいやう)を睨(にら)み廻(まわ)しつゝ
『此處(こゝ)は所(ところ)も印度洋(インドやう)、其(その)不屆(ふとゞき)な小忰(こせがれ)めは何處(どこ)に居(を)る。』と艦上(かんじやう)の速射砲(そくしやほう)に眼(め)を注(そゝ)いで
『今(いま)は無上(むじやう)に愉快(ゆくわい)な時(とき)だぞ、今(いま)一層(いつそう)の望(のぞ)みには、新(あらた)に鑄(きた)へた此(この)速射砲(そくしやほう)で、彼奴等(きやつら)惡(に)つくき海賊(かいぞく)共(ども)を鏖殺(みなごろし)にして呉(く)れんに。』
『ヒヤ/\、壯快(さうくわい)! 壯快(さうくわい)!。』と轟大尉(とゞろきたいゐ)は掌(て)を鳴(なら)した。艦長松島海軍大佐(かんちやうまつしまかいぐんたいさ)、濱島武文(はまじまたけぶみ)、其他(そのた)同席(どうせき)の二三士官等(しくわんら)は、凛々(りゝ)たる面(おもて)に微笑(びせう)を浮(うか)べて、互(たがひ)に顏(かほ)を見合(みあは)す時(とき)、軍艦(ぐんかん)「日(ひ)の出(で)」の右舷(うげん)左舷(さげん)には、潮(うしほ)の花(はな)は玉(たま)と亂(みだ)れて、艦(かん)の速力(そくりよく)は飛(と)ぶが樣(やう)であつた。
それより、私(わたくし)と武村兵曹(たけむらへいそう)とは、艦中(かんちう)の一同(いちどう)から筆(ふで)にも言(ことば)にも盡(つく)されぬ優待(いうたい)を受(う)けて、印度洋(インドやう)の波濤(はたう)を蹴(け)つて、コロンボの港(みなと)へと進(すゝ)んで行(ゆ)く。日(ひ)うらゝかに、風(かぜ)清(きよ)き甲板(かんぱん)で、大佐(たいさ)や、濱島(はまじま)や、春枝夫人(はるえふじん)や、轟大尉(とゞろきたいゐ)や、其他(そのた)乘組(のりくみ)の士官(しくわん)水兵等(すいへいら)を相手(あひて)に、私(わたくし)の小説(せうせつ)にも似(に)たる經歴談(けいれきだん)は、印度洋(インドやう)の波(なみ)のごとく連綿(れんめん)として盡(つ)くる時(とき)もなかつた。ずつと以前(いぜん)に溯(さかのぼ)つて、弦月丸(げんげつまる)の沈沒(ちんぼつ)當時(たうじ)の實况(じつけう)。小端艇(せうたんてい)で漂流中(へうりうちう)のさま/″\の辛苦(しんく)。驟雨(にわかあめ)の事(こと)。沙魚(ふか)釣(つ)りの奇談(きだん)。腐(くさ)つた魚肉(さかな)に日出雄少年(ひでをせうねん)が鼻(はな)を摘(つま)んだ話(はなし)。それから朝日島(あさひじま)に漂着(へうちやく)して、椰子(やし)の果實(み)の美味(うま)かつた事(こと)。猛狒(ゴリラ)の襲撃(しふげき)一件(いつけん)。櫻木海軍大佐(さくらぎかいぐんたいさ)との奇遇(きぐう)。鐵(てつ)の響(ひゞき)と屏風岩(べうぶいわ)の奇異(きゐ)。猛犬稻妻(まうけんいなづま)の世(よ)にも稀(まれ)なる犬(いぬ)なる事(こと)。大佐(たいさ)や少年(せうねん)や其他(そのほか)三十有餘名(いうよめい)の水兵等(すいへいら)が趣味(しゆみ)ある日常(にちじやう)の生活(せいくわつ)のさま/″\、晨(あした)には星(ほし)を戴(いたゞ)いて起(お)き、夕(ゆふべ)には月(つき)を踏(ふ)んで歸(かへ)る、其(その)職務(しよくむ)の餘暇(よか)には、睦(むつ)まじき茶話會(ちやわくわい)、面白(おもしろ)き端艇競漕(たんていきようそう)、野球競技等(やきゆうきようぎとう)の物語(ものがたり)は、如何(いか)に彼等(かれら)を驚(おどろ)かしめ笑(わら)はしめ樂(たの)しましめたらう。特(こと)に朝日島(あさひじま)紀念塔(きねんたふ)設立(せつりつ)の顛末(てんまつ)――あの異樣(ゐやう)なる自動冐險車(じどうぼうけんしや)が、縱横無盡(じうわうむじん)に[#「縱横無盡(じうわうむじん)に」は底本では「樅横無盡(じうわうむじん)に」]、深山(しんざん)大澤(たいたく)の間(あひだ)を猛進(まうしん)したる其時(そのとき)の活劇(くわつげき)。猛獸(まうじう)毒蛇(どくじや)との大奮鬪(だいふんとう)。武村兵曹(たけむらへいそう)の片足(かたあし)の危(あぶ)なかつた事(こと)。好奇心(かうきしん)から砂(すな)すべりの谷(たに)へ顛落(てんらく)して、九死一生(きうしいつしやう)になつた事(こと)。日出雄少年(ひでをせうねん)と猛犬稻妻(まうけんいなづま)との別(わか)れの一段(いちだん)。禿頭山(はげやま)の彼方(かなた)から、大輕氣球(だいけいききゆう)がふうら/\と舞(ま)ひ降(くだ)つて來(き)た事(こと)。さては、紀元節(きげんせつ)の當日(たうじつ)の盛(さかん)なる光景(くわうけい)、つゞいて、電光艇(でんくわうてい)試運轉式(しうんてんしき)の夜(よ)の大異變(だいゐへん)から、今回(こんくわい)の使命(しめい)に立到(たちいた)つた迄(まで)の奇譚(きだん)は、始終(しじう)彼等(かれら)をヤンヤと言(い)はせて、吾等(われら)孤島(こたう)の生活中(せいくわつちう)は、いつも滑※(こつけい)[#「(禾+尤)/上/日」、353-5]と失策(しつさく)との本家本元(ほんけほんもと)で――今(いま)は私(わたくし)の傍(そば)に、威勢(ゐせい)よく話(はなし)の相槌(あひづち)を打(う)つて居(を)る武村兵曹(たけむらへいそう)は、幾度(いくたび)か軍艦(ぐんかん)日(ひ)の出(で)の水兵等(すいへいら)に、背中(せなか)叩(たゝ)かれ、手(て)を叩(たゝ)かれて、艦中(かんちう)第一(だいいち)の愛敬者(あいけふもの)とはなつた。
武村兵曹(たけむらへいそう)は今(いま)は私(わたくし)と同(おな)じやうに、此(この)軍艦(ぐんかん)の賓客(ひんきやく)ではあるが、彼(かれ)は軍艦(ふね)を家(いへ)とする水兵(すいへい)の身(み)――水兵(すいへい)の中(うち)にも氣象(きしやう)勝(すぐ)れ、特(こと)に砲術(ほうじゆつ)、航海術(かうかいじゆつ)には際立(きはだ)つて巧妙(たくみ)な男(をとこ)なので、かく軍艦(ぐんかん)に乘組(のりく)んでは一刻(いつこく)も默念(じつ)とはして居(を)られぬ、かつは艦長松島海軍大佐(かんちやうまつしまかいぐんたいさ)を始(はじ)め軍艦(ぐんかん)「日(ひ)の出(で)」の全員(ぜんゐん)が、自分(じぶん)の最(もつと)も敬愛(けいあい)する櫻木大佐(さくらぎたいさ)のために誠心(まごゝろ)から盡力(じんりよく)して呉(く)れるのが、心(こゝろ)から※(「りっしんべん+喜」、第4水準2-12-73)(うれ)しく、難有(ありがた)く、せめて報恩(ほうおん)の萬分(まんぶん)の一(いち)には、此(この)軍艦(ぐんかん)の水兵等(すいへいら)と同(おな)じ樣(やう)に働(はたら)きたいと、頻(しき)りに心(こゝろ)を焦立(いらだ)てたが、海軍(かいぐん)の軍律(ぐんりつ)は嚴(げん)として動(うご)かす可(べ)からず、本艦(ほんかん)在役(ざいえき)の軍人(ぐんじん)ならねば檣樓(しやうらう)に昇(のぼ)る事(こと)も叶(かな)はず、機關室(きくわんしつ)に働(はたら)く事(こと)も能(あた)はず、詮方無(せんかたな)きまゝ、立(た)つて見(み)つ、居(ゐ)て見(み)つ、艦首(かんしゆ)から縹渺(へうべう)たる太洋(たいやう)の波濤(なみ)を眺(なが)めたり、「ブルワーク」の邊(ほとり)から縱帆架(ガーフ)に飜(ひるがへ)る帝國軍艦旗(ていこくぐんかんき)を仰(あほ)いで見(み)たり、機關砲(きくわんほう)を覗(のぞ)いて見(み)たり、果(は)ては無聊(ぶれう)に堪(た)え兼(か)ねて頻(しき)りに腕(うで)をさすつて居(ゐ)たが、其内(そのうち)に夕刻(ゆふこく)にもなると、此(この)時刻(じこく)は航海中(かうかいちう)、軍艦乘組員(ぐんかんのりくみゐん)の最(もつと)も樂(たの)しき時(とき)、公務(こうむ)の餘暇(よか)ある夥多(あまた)の士官(しくわん)水兵(すいへい)は、空(そら)高(たか)く、浪(なみ)青(あを)き後部甲板(こうぶかんぱん)に集(あつま)つて、最(もつと)も自由(じゆう)に、最(もつと)も快活(くわいくわつ)に、詩(し)を吟(ぎん)ずるもある、劍(けん)を舞(ま)はすもある。武村兵曹(たけむらへいそう)も其(その)仲間(なかま)に入(い)つて、頻(しき)りに愉快(ゆくわい)だ/\と騷(さは)いで居(を)つたが、何時(いつ)何處(どこ)から聞知(きゝつけ)たものか、例(れい)の轟大尉(とゞろきたいゐ)の虎髯(とらひげ)はぬつと進(すゝ)み出(で)て
『これ、武村兵曹(たけむらへいそう)、足下(おまへ)はなか/\薩摩琵琶(さつまびは)が巧(うま)い相(さう)な、一曲(いつきよく)やらんか、やる! よし來(き)た。』と傍(かたはら)の水兵(すいへい)に命(めい)じて、自分(じぶん)兼(かね)て御持參(ごぢさん)の琵琶(びは)を取寄(とりよ)せた。年少(ねんせう)士官(しくわん)、老功(らうこう)水兵等(すいへいら)は『これは面白(おもしろ)い。』と十五珊(サンチ)速射砲(そくしやほう)のほとり、後部艦橋(こうぶかんけう)の下(もと)に耳(みゝ)を濟(す)ます、兵曹(へいそう)、此處(こゝ)ぞと琵琶(びは)おつ取(と)り、翩飜(へんぽん)と飄(ひるがへ)る艦尾(かんび)帝國軍艦旗(ていこくぐんかんき)の下(した)に膝(ひざ)を組(く)んで、シヤシヤン、シヤラ/\と彈(ひ)き出(だ)す琵琶(びは)の曲(きよく)、聲(こゑ)張上(はりあ)げて
「雲(くも)に聳(そび)ゆる高山(たかやま)も。登(のぼ)らばなどか越(こ)へざらむ。空(そら)をひたせる海原(うなばら)も。渡(わた)らば終(つひ)に渡(わた)るべし。我(わが)蜻蛉洲(あきつしま)は茜(あかね)さす。東(ひがし)の海(うみ)の離(はな)れ島(じま)。例(たと)へば海(うみ)の只中(たゞなか)に。浮(うか)べる船(ふね)にさも似(に)たり――。」と、高(たか)き調(しらべ)は荒鷲(あらわし)の、風(かぜ)を搏(たゝ)いて飛(と)ぶごとく、低(ひく)き調(しらべ)は溪水(たにみづ)の、岩(いは)に堰(せ)かれて泣(な)く如(ごと)く、檣頭(しやうとう)を走(はし)る印度洋(インドやう)の風(かぜ)、舷(げん)に碎(くだ)くる波(なみ)の音(おと)に和(わ)して、本艦々上(ほんかんかんじやう)、暫時(しばし)は鳴(なり)も止(や)まなかつた。
琵琶(びは)の調(しら)べが終(をは)ると、虎髯大尉(こぜんたいゐ)は忽(たちま)ち大拍手(だいはくしゆ)をした。
『うまい/\、本物(ほんもの)ぢや、よし、よし、あんまり安賣(やすうり)をすな。』とばかり身(み)を跳(をど)らして
『兵曹(へいそう)、どうぢや一番(いちばん)腕押(うでおし)は――。』と鐵(てつ)の樣(やう)な腕(うで)を突出(つきだ)した。虎髯大尉(こぜんたいゐ)の腕押(うでおし)と來(き)たら有名(いうめい)なものである。けれど武村兵曹(たけむらへいそう)はちつとも知(し)らない、自分(じぶん)も大(だい)の力自慢(ちからじまん)。
『よろしい、參(まい)りませう。』と琵琶(びは)投(な)げ捨(す)てゝ、一番(いちばん)鬪(たゝか)つたが、忽(たちま)ちウンと捩(ねぢ)り倒(たを)された。
『弱(よは)いなア。』と大尉(たいゐ)は大(おほい)に笑(わら)ふ。
『ど、ど、如何(どう)したんだらう、こ、此(この)武村(たけむら)をお負(ま)かしなすつたな、『どれもう一番(いちばん)――。』と鬪(たゝか)つたが、また負(まけ)た。
『こんな筈(はづ)ではないのだが。』と腕(うで)を摩(さす)つて見(み)たが、迚(とて)も叶(かな)ひ相(さう)もない。きよろ/\しながら四方(しほう)を見廻(みま)はすと、「日(ひ)の出(で)」の士官(しくわん)水兵等(すいへいら)はくす/\笑(わら)つて居(を)る、濱島武文(はまじまたけぶみ)はから/\笑(わら)つて居(を)る、春枝夫人(はるえふじん)は手巾(ハンカチーフ)の影(かげ)からそつと笑(わら)つて居(を)る。
『殘念(ざんねん)だな、よし。』と武村兵曹(たけむらへいそう)は忽(たちま)ち毛脛(けずね)を突出(つきだ)した。
『大尉閣下(たいゐかくか)、御禮(おれい)に一番(いちばん)脛押(すねおし)と參(まい)りませう。』
『脛押(すねおし)か。』と轟大尉(とゞろきたいゐ)は顏(かほ)を顰(しか)めたが、負(ま)けぬ氣(き)の大尉(たいゐ)、何程(なにほど)の事(こと)やあらんと同(おな)じく毛脛(けずね)を現(あら)はして、一押(ひとおし)押(お)したが、『あ痛(い)た、たゝゝゝ。』と後(うしろ)へ飛退(とびの)[#ルビの「とびの」は底本では「どびの」]いて
『これは痛(いた)い、武村(たけむら)の脛(すね)には出刄庖丁(でばほうちやう)が這入(はい)つて居(を)るぞ。』
『そ、そんなに強(つよ)いのですか。』と彌次馬(やじうま)の士官(しくわん)水兵(すいへい)は吾(われ)も/\とやつて來(き)たが、成程(なるほど)武村(たけむら)の脛(すね)は馬鹿(ばか)に堅(かた)い、皆(みな)一撃(いちげき)の下(もと)に押倒(おしたを)されて、痛(いた)い/\と引退(ひきさが)る。武村兵曹(たけむらへいそう)は些(いさ)さか得意(とくゐ)の色(いろ)を浮(うか)べて鼻(はな)を蠢(うご)めかしたが、軍艦(ぐんかん)「日(ひ)の出(で)」の甲板(かんぱん)には未(ま)だ仲々(なか/\)豪傑(がうけつ)が居(を)る。
『武村(たけむら)、怪(け)しからんな、我(わが)軍艦(ぐんかん)「日(ひ)の出(で)」の道塲破(だうじやうやぶ)りをやつたな、よし、乃公(おれ)が相手(あひて)にならう。』と突然(とつぜん)大檣(だいしやう)の影(かげ)から現(あら)はれて來(き)たのは、色(いろ)の黒々(くろ/″\)とした、筋骨(きんこつ)の逞(たく)ましい年少(ねんせう)少尉(せうゐ)、此人(このひと)は海軍兵學校(かいぐんへいがくかう)の生活中(せいくわつちう)、大食黨(たいしよくたう)の巨魁(おやだま)で、肺量(はいりやう)五千二百、握力(あくりよく)七十八、竿飛(さをとび)は一丈(じやう)三尺(じやく)まで飛(と)んで、徒競走(フートレース)六百ヤードを八十六秒(びやう)に走(はし)つたといふ男(をとこ)、三年(ねん)の在學中(ざいがくちう)、常(つね)に分隊(ぶんたい)の第(だい)一番(ばん)漕手(さうしゆ)として、漕力(さうりよく)天下無比(てんかむひ)と云(い)はれた腕前(うでまへ)。
『そら來(こ)い!。』とばかり、ヒタと武村兵曹(たけむらへいそう)の所謂(いはゆる)出刄庖丁(でばほうちやう)の入(はい)つて居(を)る脛(すね)に己(おの)が鐵(てつ)の脛(すね)を合(あは)せて、双方(さうほう)眞赤(まつか)になつてエンヤ/\と押合(おしあ)つたが勝負(しようぶ)が付(つ)かない、甲板(かんぱん)の一同(いちどう)は面白(おもしろ)がつてヤンヤ/\と騷(さわ)ぐ
『もう廢(よ)せ/\、足(あし)が折(を)れるぞ/\。』と虎髯大尉(こぜんたいゐ)は二人(ふたり)の周圍(めぐり)をぐる/\廻(まは)つて、結局(とう/\)引分(ひきわけ)になつた。
艦橋(かんけう)よりは艦長松島海軍大佐(かんちやうまつしまかいぐんたいさ)、例(れい)によつて例(れい)の如(ごと)く鼻髯(びぜん)を捻(ひね)りつゝ、微笑(びせう)を浮(うか)べて眺(なが)めて居(を)つた。

    第三十回 月夜(げつや)の大海戰(だいかいせん)
印度國コロンボの港――滿艦の電光――戰鬪喇叭――惡魔印の海賊旗――大軍刀をブン/\と振廻した――大佐來! 電光艇來! 朝日輝く印度洋
 かくて、軍艦(ぐんかん)「日(ひ)の出(で)」は、其(その)翌々晩(よく/\ばん)は豫定通(よていどう)りに、印度大陸(インドたいりく)の西岸(せいがん)コロンボの港(みなと)に寄港(きかう)して、艦長松島海軍大佐(かんちやうまつしまかいぐんたいさ)と、私(わたくし)と、武村兵曹(たけむらへいそう)とは、椰子(やし)や芭蕉(ばせう)の林(はやし)は低(ひく)く海岸(かいがん)を蔽(おほ)ひ、波止塲(はとば)のほとりから段々(だん/″\)と高(たか)く、電燈(でんとう)の光(ひかり)は白晝(まひる)を欺(あざむ)かんばかりなる市街(しがい)に上陸(じやうりく)して、竊(ひそ)かに櫻木海軍大佐(さくらぎかいぐんたいさ)より委任(ゐにん)を受(う)けたる、電光艇(でんくわうてい)用(よう)の秘密藥品(ひみつやくひん)を買整(かひとゝの)へ、十二の樽(たる)に密封(みつぷう)して、今(いま)は特更(ことさら)に船(ふね)を艤裝(ぎさう)する必要(ひつえう)もなく、直(たゞ)ちに軍艦(ぐんかん)「日(ひ)の出(で)」に搭載(たふさい)して、同時(どうじ)に暗號電報(あんがうでんぽう)をもつて、松島海軍大佐(まつしまかいぐんたいさ)は本國(ほんごく)政府(せいふ)よりの許可(きよか)を受(う)け、來(きた)る二十五日(にち)拂曉(ふつげう)に海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)と相(あひ)會(あ)ふ可(べ)き筈(はづ)の橄欖島(かんらんたう)の方向(ほうかう)を指(さ)して進航(しんかう)した。
コロンボ港(かう)から橄欖島(かんらんたう)まで大約(おほよそ)一千五百海里(かいり)。明(あ)[#ルビの「あ」は底本では「あけ」]けては、日(ひ)麗(うら)らかなる甲板(かんぱん)に、帝國軍艦旗(ていこくぐんかんき)翩飜(へんぽん)たるを仰(あほ)ぎ見(み)ては、日(ひ)ならず智勇(ちゆう)兼備(けんび)の兩(りよう)海軍大佐(かいぐんたいさ)が新(あたら)しき軍艦(ぐんかん)「日(ひ)の出(で)」と、新(あたら)しき電光艇(でんくわうてい)との甲板(かんぱん)にて、波(なみ)を距(へだ)てゝ相(あひ)會(くわい)し、それより二隻(にせき)[#ルビの「にせき」は底本では「たせき」]相(あひ)並(なら)んで、海原(うなばら)遠(とう)く幾千里(いくせんり)、頓(やが)て、芙蓉(ふえう)の峯(みね)の朝日(あさひ)影(かげ)を望(のぞ)み見(み)る迄(まで)の、壯快(さうくわい)なる想像(さうぞう)を胸(むね)に描(えが)き、暮(く)れては、海風(かいふう)穩(おだや)かなる艦橋(かんけう)のほとり、濱島武文(はまじまたけぶみ)や春枝夫人等(はるえふじんら)と相(あひ)語(かた)つて、日出雄少年(ひでをせうねん)の愛(あい)らしき姿(すがた)を待兼(まちか)ねつゝ。四晝夜(しちうや)の航海(かうかい)は恙(つゝが)なく※(す)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、361-1]ぎて、右舷(うげん)左舷(さげん)に寄(よ)せては返(かへ)す波(なみ)の音(おと)と共(とも)に、刻一刻(こくいつこく)に近(ちか)づき來(きた)る喜劇(きげき)に向(むか)つて、橄欖島(かんらんたう)と覺(お)ぼしき島影(しまかげ)を、雲煙(うんゑん)渺茫(べうぼう)たる邊(へん)に認(みと)めたのは、日(ひ)は二月(ぐわつ)の二十五日(にち)、刻(こく)は萬籟(ばんらい)寂(せき)たる午前(ごぜん)の二時(じ)と三時(じ)との間(あひだ)。下弦(げゞん)の月(つき)は皓々(かう/\)と冴(さ)え渡(わた)りて、金蛇(きんだ)走(はし)らす浪(なみ)の上(うへ)には、たゞ本艦(ほんかん)の蒸※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)機關(じようききくわん)の響(ひゞき)のみぞ悽(すさ)まじかつた。
軍艦(ぐんかん)「日(ひ)の出(で)」の艦中(かんちう)には一人(ひとり)も眠(ね)むる者(もの)は無(な)かつた。艦橋(かんけう)には艦長松島海軍大佐(かんちやうまつしまかいぐんたいさ)をはじめとし、一團(いちだん)の將校(しやうかう)は月(つき)に燦爛(さんらん)たる肩章(けんしやう)に波(なみ)を打(う)たせて、隻手(せきし)に握(にぎ)る双眼鏡(さうがんきやう)は絶(た)えず海上(かいじやう)を眺(なが)めて居(を)る。甲板(かんぱん)の其處此處(そここゝ)には水兵(すいへい)の一群(いちぐん)二群(にぐん)、ひそ/\と語(かた)るもあり、樂(たの)し氣(げ)に笑(わら)ふもあり。武村兵曹(たけむらへいそう)は兩眼(りやうがん)をまん丸(まる)にして
『サア、いよ/\橄欖島(かんらんたう)も近(ちか)づいて來(き)たぞ。大佐閣下(たいさかくか)の海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)はすでにあの島影(しまかげ)に來(き)て居(を)るであらうか、それとも未(ま)だ朝日島(あさひじま)を出發(しゆつぱつ)せぬのかしら、えい、待遠(まちどう)や/\。』と、手(て)の舞(ま)ひ、足(あし)の踏(ふ)む處(ところ)も知(し)らぬ有樣(ありさま)。濱島武文(はまじまたけぶみ)は艦尾(かんび)の巨砲(きよほう)に凭(もた)れて悠々(いう/\)と美髯(びぜん)を捻(ひね)りつゝ。春枝夫人(はるえふじん)の笑顏(えがほ)は天女(てんによ)の美(うる)はしきよりも美(うる)はしく、仰(あほ)ぐ御空(みそら)には行(ゆ)く雲(くも)も歩(あゆみ)をとゞめ、浪(なみ)に鳴(な)く鳥(とり)も吾等(われら)を讃美(さんび)するかと疑(うたが)はるゝ。此(この)快絶(くわいぜつ)の時(とき)、忽(たちま)ち舷門(げんもん)のほとりに尋常(たゞ)ならぬ警戒(けいかい)の聲(こゑ)が聽(きこ)えた。艦中(かんちう)の一同(いちどう)はヒタと鳴(なり)を靜(しづ)めたのである。只(たゞ)見(み)る本艦(ほんかん)を去(さ)る事(こと)三海里(さんかいり)餘(よ)、橄欖島(かんらんたう)と覺(おぼ)しき島(しま)の北方(ほつぽう)に當(あた)つて、毒龍(どくりよう)蟠(わだかま)るが如(ごと)き二個(にこ)の島嶼(たうしよ)がある。其(その)島陰(しまかげ)から忽然(こつぜん)として一點(いつてん)の光(ひかり)が[#「光(ひかり)が」は底本では「光(ひかり)か」]ピカリツ。つゞいて一點(いつてん)又(また)一點(いつてん)、都合(つがふ)七隻(しちせき)の奇怪(きくわい)なる船(ふね)は前檣(ぜんしやう)高(たか)く球燈(きゆうとう)を掲(かゝ)げて、長蛇(ちやうだ)の列(れつ)をなして現(あら)はれて來(き)た。月(つき)は隈(くま)ない、其(その)眞先(まつさき)に黒烟(こくゑん)を吐(は)いて進(すゝ)んで來(く)るのは、二本(にほん)烟筒(ゑんとう)に二本(にほん)檣(マスト)! 見忘(みわす)れもせぬ四年(ねん)前(まへ)のそれ※[#感嘆符三つ、362-11]
『海蛇丸(かいだまる)來(きたる)! 海蛇丸(かいだまる)來(きたる)!。』と私(わたくし)が絶叫(ぜつけう)した時(とき)、虎髯大尉(こぜんたいゐ)は身(み)を翻(ひるが)へして戰鬪樓(せんとうらう)の方(かた)へ走(はし)り去(さ)つた。
唯(たゞ)見(み)る、海蛇丸(かいだまる)の船首(せんしゆ)よりは、閃々(せん/\)と流(なが)るゝ流星(りうせい)の如(ごと)き爆發信號(ばくはつしんがう)が揚(あが)つた、此(この)信號(しんがう)は他船(たせん)の注意(ちうゐ)を喚起(くわんき)する夜間信號(やかんしんがう)、彼(か)[#ルビの「か」は底本では「が」]れ大膽不敵(だいたんふてき)なる海賊船(かいぞくせん)は、今(いま)や何故(なにゆゑ)か其(その)信號(しんがう)を揚(あ)げて、我(わ)が帝國軍艦(ていこくぐんかん)の視線(しせん)を惹(ひ)かんとして居(を)るのである。
我(わ)が艦上(かんじやう)の視線(しせん)は果(はた)して一同(いちどう)其(その)方(ほう)へ向(むか)つた。
一度(ひとたび)戰鬪樓(せんとうらう)の方(ほう)へ走(はし)り去(さ)つた虎髯大尉(こぜんたいゐ)は此時(このとき)再(ふたゝ)び私(わたくし)の傍(そば)へ歸(かへ)つて來(き)たが大聲(おほごゑ)に
『奇怪(きくわい)な船(ふね)! 奇怪(きくわい)な船(ふね)! あの船(ふね)は我(わが)軍艦(ぐんかん)に向(むか)つて、何(なに)か信號(しんがう)を試(こゝろ)みんとして居(を)る。』と叫(さけ)んだ。實(じつ)に前後(ぜんご)の形勢(けいせい)と、かの七隻(せき)の船(ふね)の有樣(ありさま)とで見(み)ると、今(いま)や海蛇丸(かいだまる)は明(あきらか)に何事(なにごと)をか我(わが)軍艦(ぐんかん)に向(むか)つて信號(しんがう)を試(こゝろ)みる積(つもり)だらう。けれど私(わたくし)は審(いぶ)かつた。今日(こんにち)世界(せかい)の海上(かいじやう)に於(おい)ては、晝間(ちゆうかん)の萬國信號(ばんこくしんがう)はあるが、夜間信號(やかんしんがう)は、各國(かくこく)の海軍(かいぐん)に於(おい)て、各自(めい/\)に秘密(ひみつ)なる信號(しんがう)を有(いう)する他(ほか)、難破信號(なんぱしんがう)とか、今(いま)海蛇丸(かいだまる)の揚(あ)げた爆發信號(ばくはつしんがう)のやうな、極(きは)めて重大(ぢゆうだい)なるまた單純(たんじゆん)なるものを除(のぞ)いては、萬國(ばんこく)共通(けうつう)のものは無(な)いのである。然(さ)れば奇怪(きくわい)の船(ふね)、我(われ)に信號(しんがう)を試(こゝろ)みんとならば、果(はた)して如何(いか)なる手段(しゆだん)をか取(と)ると瞻(なが)めて居(を)ると、忽(たちま)ち見(み)る、海蛇丸(かいだまる)の、檣上(しやうじやう)、檣下(しやうげ)、船首(せんしゆ)、船尾(せんび)、右舷(うげん)、左舷(さげん)に閃々(せん/\)たる電燈(でんとう)輝(かゞや)き出(い)でゝ、滿船(まんせん)を照(てら)す其(その)光(ひかり)は白晝(はくちう)を欺(あざむ)かんばかり、其(その)光(ひかり)の下(した)に一個(いつこ)の異樣(ゐやう)なる人影(ひとかげ)現(あら)はれて、忽(たちま)ち檣桁(しやうかう)高(たか)く信號旗(しんがうき)が上(あが)つた。
心憎(こゝろに)くや、奇怪(きくわい)の船(ふね)は、晝間信號(ちうかんしんがう)を電燈(でんとう)の光(ひかり)に應用(おうよう)せんとするのである。
三角(かく)、四角(かく)、さま/″\の模樣(もやう)の信號旗(しんがうき)は風(かぜ)に動(うご)いて
「其(その)軍艦(ぐんかん)止(とゞ)まれ! 其(その)軍艦(ぐんかん)止(とゞ)まれ※[#感嘆符三つ、364-12]。」と示(しめ)す。
我(わが)日(ひ)の出(で)艦長松島海軍大佐(かんちやうまつしまかいぐんたいさ)は、一令(いちれい)を發(はつ)して滿艦(まんかん)に電光(でんくわう)を輝(かゞや)かした。
一等(とう)信號兵(しんがうへい)は指揮(しき)の下(した)に信號檣下(しんがうしやうか)に立(た)つた。
「奇怪(きくわい)の船(ふね)! 汝(なんぢ)は何者(なにもの)ぞ。」と我(わ)が信號旗(しんがうき)上(あが)る。
ヒラ/\と動(うご)く彼方(かなた)の信號(しんがう)
「我(われ)こそは音(おと)に名高(なだか)き印度洋(インドやう)の大海賊船(だいかいぞくせん)なり、汝(なんぢ)の新造軍艦(しんざうぐんかん)を奪(うば)はんとて此處(こゝ)に待(ま)つこと久矣(ひさし)、速(すみやか)に白旗(はくき)を立(た)てゝ其(その)軍艦(ぐんかん)を引渡(ひきわた)さば可(よし)、若(も)し躊躇(ちうちよ)するに於(おい)ては、我(われ)に七隻(せき)の堅艦(けんかん)あり、一撃(いちげき)の下(もと)に汝(なんぢ)の艦(ふね)を粉韲(ふんさい)すべきぞ。」と見(み)る/\内(うち)に長蛇(ちやうだ)の船列(せんれつ)は横形(わうけい)の列(れつ)に變(へん)じて、七隻(せき)の海賊船(かいぞくせん)の甲板(かんぱん)には月光(げつくわう)に反射(はんしや)して、劍戟(けんげき)の晃(きらめ)くさへ見(み)ゆ、本艦(ほんかん)の士官(しくわん)水兵(すいへい)は一時(いちじ)に憤激(ふんげき)の眉(まゆ)を揚(あ)げた、中(なか)にも年少(ねんせう)士官等(しくわんら)は早(は)や軍刀(ぐんたう)[#ルビの「ぐんたう」は底本では「ぐくたう」]の※(つか)[#「革+巴」、365-11]を握(にぎ)り詰(つ)めて、艦長(かんちやう)の號令(がうれい)を待(ま)つ、舷門(げんもん)の邊(ほとり)、砲門(ほうもん)の邊(ほとり)、慓悍(へうかん)無双(ぶさう)の水兵等(すいへいら)は腕(うで)を摩(さす)つて居(を)る。濱島(はまじま)は冷然(れいぜん)と笑(わら)ひ、春枝夫人(はるえふじん)は默然(もくねん)とした。
我(わ)が勇(いさ)ましき武村兵曹(たけむらへいそう)は怒髮(どはつ)天空(てんくう)を衝(つ)き
『えい、ふざけたり/\、海賊(かいぞく)共(ども)、眼(め)に物(もの)見(み)せて呉(く)れんづ。』と矢庭(やには)に左舷(さげん)八吋(インチ)速射砲(そくしやほう)の方(ほう)へ馳(は)せたが、忽(たちま)ち心付(こゝろづ)いた、夫(そ)れ海軍々律(かいぐんぐんりつ)は嚴(げん)として泰山(たいざん)の如(ごと)し、たとへ非凡(ひぼん)の手腕(しゆわん)ありとも艦員(かんゐん)ならぬものが砲(ほう)を動(うご)かし、銃(じう)を發(はな)つ事(こと)は出來(でき)ないのである。兵曹(へいそう)無念(むねん)の切齒(はがみ)をなし、
『えい、殘念(ざんねん)だ/\、此樣(こん)な時(とき)、本艦(ほんかん)の水兵(すいへい)が羨(うらや)ましい。』と叫(さけ)んだまゝ、空拳(くうけん)を振(ふ)つて本艦々頭(ほんかんかんとう)に仁王立(にわうだち)、轟大尉(とゞろきたいゐ)は虎髯(こぜん)逆立(さかだ)ち眦(まなじり)裂(さ)けて、右手(ゆんで)に握(にぎ)る十二珊(サンチ)砲(ほう)の撃發機(げきはつき)は唯(た)だ艦長(かんちやう)の一令(いちれい)を待(ま)つばかり。
艦長松島海軍大佐(かんちやうまつしまかいぐんたいさ)は此時(このとき)ちつとも騷(さは)がず[#「騷(さは)がず」は底本では「騷(さは)がす」]、平然(へいぜん)として指揮(しき)する信號(しんがう)の言(ことば)、信號兵(しんがうへい)は命(めい)を奉(ほう)じて信號旗(しんがうき)を高(たか)く掲(かゝ)げた。
「愚(おろか)なり、海賊(かいぞく)! 我(わが)縱帆架(ガーフ)に飜(ひるがへ)る大日本帝國軍艦旗(だいにつぽんていこくぐんかんき)を見(み)ずや。」と。忽(たちま)ち海蛇丸(かいだまる)滿船(まんせん)の電燈(でんとう)はパツと消(き)えた。同時(どうじ)に七隻(せき)の海賊船(かいぞくせん)は黒煙(こくゑん)團々(だん/\)、怒濤(どとう)を蹴(け)つて此方(こなた)に猛進(まうしん)し來(きた)る。轟然(ごうぜん)一發(いつぱつ)の彈丸(だんぐわん)は悲鳴(ひめい)をあげて、我(わ)が前檣(ぜんしやう)を掠(かす)め去(さ)つた。大佐(たいさ)一顧(いつこ)軍刀(ぐんたう)の鞘(さや)を拂(はら)つて、屹(きつ)と屹立(つゝた)つ司令塔上(しれいたうじやう)、一令(れい)忽(たちま)ち高(たか)く、本艦々上(ほんかんかんじやう)戰鬪喇叭(せんとうらつぱ)鳴(な)る、士官(しくわん)の肩章(けんしやう)閃(きら)めく、水兵(すいへい)其(その)配置(はいち)に就(つ)く、此時(このとき)、既(すで)に早(はや)し、既(すで)に遲(おそ)し、海賊船(かいぞくせん)から打出(うちだ)す彈丸(だんぐわん)は雨(あめ)か、霰(あられ)か。本艦(ほんかん)之(これ)に應(おう)じて先(ま)づ手始(てはじめ)には八吋(インチ)速射砲(そくしやほう)つゞいて打出(うちだ)す機關砲(きくわんほう)。月(つき)は慘(さん)たり、月下(げつか)の海上(かいじやう)に砲火(ほうくわ)迸(とばし)り、硝煙(せうゑん)朦朧(もうらう)と立昇(たちのぼ)る光景(くわうけい)は、昔(むかし)がたりのタラント灣(わん)の夜戰(やせん)もかくやと想(おも)はるゝばかり。士官(しくわん)水兵(すいへい)の勇(いさ)ましき働(はたら)きぶりは言(い)ふ迄(まで)もない。よし戰鬪員(せんとうゐん)にあらずとも如何(いか)でか手(て)を拱(こまぬ)いて居(を)らるべきぞと、濱島(はまじま)も、私(わたくし)も、重(おも)き上衣(うわぎ)を跳(は)ね脱(の)けて、彈丸(だんぐわん)硝藥(せうやく)を運(はこ)ぶに急(いそが)はしく。武村兵曹(たけむらへいそう)は大軍刀(おほだち)ブン/\と振(ふ)り廻(まわ)し海賊船(かいぞくせん)若(も)し近寄(ちかよ)らば吾(われ)から其(その)甲板(かんぱん)に飛移(とびうつ)らんばかりの勢(いきほ)ひ。春枝夫人(はるえふじん)の嬋娟(せんけん)たる姿(すがた)は喩(たと)へば電雷(でんらい)風雨(ふうう)の空(そら)に櫻花(わうくわ)一瓣(いちべん)のひら/\と舞(ま)ふが如(ごと)く、一兵(いつぺい)時(とき)に傷(きづゝ)き倒(たを)れたるを介抱(かいほう)せんとて、優(やさ)しく抱(いだ)き上(あ)げたる彼女(かのぢよ)の雪(ゆき)の腕(かひな)には、帝國軍人(ていこくぐんじん)の鮮血(せんけつ)の滾々(こん/\)と迸(とばし)りかゝるのも見(み)えた。
海戰(かいせん)は午前(ごぜん)二時(じ)三十分(ぷん)に始(はじま)つて、東雲(しのゝめ)の頃(ころ)まで終(をは)らなかつた。此方(こなた)は忠勇(ちうゆう)義烈(ぎれつ)の日本軍艦(につぽんぐんかん)なり、敵(てき)は世界(せかい)に隱(かく)れなき印度洋(インドやう)の大海賊(だいかいぞく)。海賊船(かいぞくせん)は此時(このとき)砲戰(ほうせん)もどかしとや思(おも)ひけん、中(なか)にも目立(めだ)つ三隻(さんせき)四隻(しせき)は一度(いちど)に船首(せんしゆ)を揃(そろ)へて、疾風(しつぷう)迅雷(じんらい)と突喚(とつくわん)し來(きた)る、劍戟(けんげき)の光(ひかり)晃(きらめ)く其(その)甲板(かんぱん)には、衝突(しやうとつ)と共(とも)に本艦(ほんかん)に乘移(のりうつ)らんず海賊(かいぞく)共(ども)の身構(みがまへ)。えい、ものものしや、我(わ)が神聖(しんせい)なる甲板(かんぱん)は、如何(いか)でか汝等(なんぢら)如(ごと)き汚(けが)れたる海賊(かいぞく)の血汐(ちしほ)に染(そ)むべきぞ。と我(わ)が艦(かん)ます/\奮(ふる)ふ。硝煙(せうゑん)は暗(くら)く海(うみ)を蔽(おほ)ひ、萬雷(ばんらい)一時(いちじ)に落(お)つるに異(ことな)らず。艦長松島海軍大佐(かんちやうまつしまかいぐんたいさ)の號令(がうれい)はいよ/\澄渡(すみわた)つて司令塔(しれいたふ)に高(たか)く、舵樓(だらう)には神變(しんぺん)[#ルビの「しんぺん」は底本では「しんぺ」]不可思議(ふかしぎ)の手腕(しゆわん)あり。二千八百噸(とん)の巡洋艦(じゆんやうかん)操縱(さうじゆう)自在(じざい)。敵船(てきせん)右(みぎ)より襲(おそ)へば右舷(うげん)の速射砲(そくしやほう)之(これ)を追(お)ひ、賊船(ぞくせん)左(ひだり)より來(きた)れば左舷(さげん)の機關砲(きくわんほう)之(これ)を撃(う)つ。追(お)へども撃(う)てども敵(てき)も強者(さるもの)、再(ふたゝ)び寄(よ)する七隻(しちせき)の堅艦(けんかん)、怒濤(どたう)は逆卷(さかま)き、風(かぜ)荒(あ)れて、血汐(ちしほ)に染(そ)みたる海賊(かいぞく)の旗風(はたかぜ)いよ/\鋭(するど)く、猛(たけ)く、此(この)戰(たゝかひ)何時(いつ)果(は)つ可(べ)しとも覺(おぼ)えざりし時(とき)。忽(たちま)ち見(み)る! 東雲(しのゝめ)の、遙(はる)か/\の海上(かいじやう)より、水煙(すいゑん)を揚(あ)げ、怒濤(どとう)を蹴(け)つて、驀直(まつしぐら)に駛(か)け來(く)る一艘(いつそう)の長艇(ちやうてい)あり、やゝ近(ちか)づいて見(み)ると、其(その)艇尾(ていび)には、曉風(げふふう)に飜(ひるがへ)る帝國軍艦旗(ていこくぐんかんき)! 見(み)るより、私(わたくし)は右舷(うげん)から左舷(さげん)に躍(をど)つて
『大佐(たいさ)來(きた)! 大佐(たいさ)來(きた)る! 櫻木大佐(さくらぎたいさ)の電光艇(でんくわうてい)來(きた)る※[#感嘆符三つ、369-12]。』と叫(さけ)ぶ響(ひゞき)は砲聲(ほうせい)の絶間(たえま)、全艦(ぜんかん)に鳴(な)り渡(わた)ると、軍艦(ぐんかん)「日(ひ)の出(で)」の士官(しくわん)水兵(すいへい)一時(いちじ)に動搖(どよ)めき。此時(このとき)艦頭(かんとう)に立(た)てる武村兵曹(たけむらへいそう)は、右鬢(うびん)に微傷(びしやう)を受(う)けて、流(なが)るゝ血汐(ちしほ)の兩眼(りようがん)に入(い)るを、拳(こぶし)に拂(はら)つて、キツと見渡(みわた)す海(うみ)の面(おも)、電光(でんくわう)の如(ごと)く近(ちか)づき來(きた)つた海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)は、本艦(ほんかん)を去(さ)る事(こと)約(やく)一千米突(いつせんメートル)――忽然(こつぜん)波間(はかん)に沈(しづ)んだと思(おも)ふ間(ま)も疾(と)しや遲(おそ)しや、唯(たゞ)見(み)る本艦(ほんかん)前方(ぜんぽう)の海上(かいじやう)、忽(たちま)ち起(おこ)る大叫喚(だいけうくわん)。瞻(なが)むれば一隻(せき)の海賊船(かいぞくせん)は轟然(ごうぜん)たる響(ひゞき)諸共(もろとも)に、船底(せんてい)微塵(みぢん)に碎(くだ)け、潮煙(てうゑん)飛(と)んで千尋(ちひろ)の波底(はてい)に沈(しづ)み去(さ)つた、つゞいて起(おこ)る大紛擾(だいふんじやう)、一艘(いつそう)は船尾(せんび)逆立(さかだ)ち船頭(せんとう)沈(しづ)んで、惡魔印(あくまじるし)の海賊旗(かいぞくき)は、二度(にど)、三度(さんど)、浪(なみ)を叩(たゝ)くよと見(み)る間(ま)に影(かげ)も形(かたち)も。
『それ、櫻木大佐(さくらぎたいさ)來(きたる)! 電光艇(でんくわうてい)の應援(おうえん)ぞ! おくれて彼方(かなた)の水兵(すいへい)に笑(わら)はれな、進(すゝ)め/\。』の號令(がうれい)の下(した)に、軍艦(ぐんかん)「日(ひ)の出(で)」の士官(しくわん)水兵(すいへい)は勇氣(ゆうき)百倍(ひやくばい)、息(いき)をもつかせず發射(はつしや)する彈丸(だんぐわん)は、氷山(へうざん)[#ルビの「へうざん」は底本では「へざん」]碎(くだ)けて玉(たま)と飛散(とびち)る如(ごと)く、すでに度(ど)を失(うしな)つて、四途路筋斗(しどろもどろ)の海賊船(かいぞくせん)に、命中(あた)るも/\、本艦々尾(ほんかんかんび)の八吋(インチ)速射砲(そくしやほう)は、忽(たちま)ち一隻(いつせき)を撃沈(げきちん)し、同時(どうじ)に打出(うちだ)す十二珊(サンチ)砲(ほう)の榴彈(りうだん)は、之(こ)れぞ虎髯大尉(こぜんたいゐ)の大勳功(だいくんこう)! 今(いま)しも死物狂(しにものぐる)ひに、本艦(ほんかん)目掛(めが)けて、突貫(とつくわん)し來(きた)る一船(いつせん)の彈藥庫(だんやくこ)に命中(めいちう)して、船中(せんちう)、船外(せんぐわい)、猛火(まうくわ)※(「火+稲のつくり」、第4水準2-79-87)々(えん/\)舵(かぢ)は微塵(みじん)に碎(くだ)けて、船(ふね)獨樂(こま)の如(ごと)く廻(まわ)る、海底(かいてい)よりは海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)、さしつたりと電光石火(でんくわうせきくわ)の勢(いきほ)ひ、げにもや電光(でんくわう)影裡(えいり)春風(しゆんぷう)を斬(き)るごとく、形(かたち)は見(み)えねど三尖衝角(さんせんしやうかく)の回旋(めぐ)る處(ところ)、敵船(てきせん)微塵(みじん)に碎(くだ)け、新式魚形水雷(しんしきぎよけいすいらい)の駛(はし)るところ白龍(はくりよう)天(てん)に跳(をど)る、殘(のこ)る賊船(ぞくせん)早(は)や三隻(せき)、すでに一隻(せき)は右舷(うげん)より左舷(さげん)に、他(た)の一隻(せき)は左舷(さげん)より右舷(うげん)に、見(み)る間(ま)に甲板(かんぱん)傾(かたむ)き、濤(なみ)打上(うちあ)げて、驚(おどろ)き狂(くる)ふ海賊(かいぞく)共(ども)は、大砲(たいほう)小銃(せうじう)諸共(もろとも)[#ルビの「もろとも」は底本では「もろとき」]に、雪崩(なだれ)の如(ごと)く海(うみ)に落(お)つ。今(いま)は早(は)や殘(のこ)る賊船(ぞくせん)只(たゞ)一隻(せき)! 之(こ)れぞ二本(にほん)煙筒(ゑんとう)に二本(にほん)檣(マスト)の海蛇丸(かいだまる)! 海蛇丸(かいだまる)は最早(もはや)叶(かな)はじとや思(おも)ひけん、旗(はた)を卷(ま)き、黒煙(こくゑん)團々(だん/\)橄欖島(かんらんたう)の方向(ほうかう)へ逃(に)げて[#「逃(に)げて」は底本では「北(に)げて」]行(ゆ)くを、海底戰鬪艇(かいていせんとうてい)今(いま)は波(なみ)に沈(しづ)む迄(まで)もなく、奔龍(ほんりう)の如(ごと)くに波上(はじやう)を追(お)ふ、本艦(ほんかん)鳴(なり)を[#「鳴(なり)を」は底本では「嗚(なり)を」]靜(しづ)むる十秒(べう)二十秒(べう)。其(その)鋭利(えいり)なる三尖衝角(さんせんしやうかく)は空(そら)に閃(きらめ)く電光(いなづま)の如(ごと)く賊船(ぞくせん)の右舷(うげん)に霹靂萬雷(へきれきばんらい)の響(ひゞき)あり、極惡無道(ごくあくむだう)の海蛇丸(かいだまる)は遂(つひ)に水煙(すいゑん)を揚(あ)げて海底(かいてい)に沒(ぼつ)し去(さ)つた。
此時(このとき)夜(よ)は全(まつた)く明(あ)けて碧瑠璃(へきるり)のやうな東(ひがし)の空(そら)からは、爛々(らん/\)たる旭日(あさひ)が昇(のぼ)つて來(き)た。我(わが)艦長松島海軍大佐(かんちやうまつしまかいぐんたいさ)は、流(なが)るゝ汗(あせ)を押拭(おしぬぐ)ひつゝ、滿顏(まんがん)に微笑(びせう)を湛(たゝ)えて一顧(いつこ)すると、忽(たちま)ち起(おこ)る「君(きみ)が代(よ)」の軍樂(ぐんがく)、妙(たえ)に勇(いさ)ましき其(その)ひゞきは、印度洋(インドやう)の波(なみ)も躍(をど)らんばかり、我(わが)軍艦(ぐんかん)「日(ひ)の出(で)」の士官(しくわん)水兵(すいへい)は、舷門(げんもん)より、檣樓(しやうらう)より、戰鬪樓(せんとうらう)より、双手(て)を擧(あ)げ、旗(はた)を振(ふ)り、歡呼(くわんこ)をあげて、勇(いさ)み、歡(よろこ)び、をとり立(た)つ、濱島武文(はまじまたけぶみ)、春枝夫人(はるえふじん)は餘(あま)りの※(「りっしんべん+喜」、第4水準2-12-73)(うれ)しさに聲(こゑ)もなく、虎髯大尉(こぜんたいゐ)、武村兵曹(たけむらへいそう)、一人(ひとり)は右鬢(うびん)に、一人(ひとり)は左鬢(さびん)に、微(かす)かな傷(きづ)に白(しろ)鉢卷(はちまき)、私(わたくし)は雀躍(こをどり)しながら、倶(とも)に眺(なが)むる黎明(れいめい)の印度洋(インドやう)、波上(はじやう)を亘(わた)る清(すゞ)しい風(かぜ)は、一陣(いちじん)又(また)一陣(いちじん)と吹(ふき)來(きた)つて、今(いま)しも、海蛇丸(かいだまる)を粉韲(ふんさい)したる電光艇(でんくわうてい)は、此時(このとき)徐(しづ)かに艇頭(ていとう)を廻(めぐ)らして此方(こなた)に近(ちか)づいて來(き)たが、あゝ、其(その)光譽(ほまれ)ある觀外塔上(くわんぐわいたふじやう)を見(み)よ※[#感嘆符三つ、373-3] 色(いろ)の黒(くろ)い、筋骨(きんこつ)の逞(たく)ましい、三十餘名(よめい)の慓悍(へうかん)無双(ぶさう)なる水兵(すいへい)を後(うしろ)に從(したが)へて、雄風(ゆうふう)凛々(りん/\)たる櫻木海軍大佐(さくらぎかいぐんたいさ)は、籠手(こて)を翳(かざ)して我(わが)軍艦(ぐんかん)「日(ひ)の出(で)」の甲板(かんぱん)を眺(なが)めて居(を)る。其(その)傍(かたはら)には、日出雄少年(ひでをせうねん)は、例(れい)の水兵(すいへい)姿(すがた)で、左手(ひだり)は猛犬(まうけん)「稻妻(いなづま)」の首輪(くびわ)を捕(とら)へ、右手(ゆんで)は翩飜(へんぽん)と海風(かいふう)に飜(ひるが)へる帝國軍艦旗(ていこくぐんかんき)を抱(いだ)いて、その愛(あい)らしい、勇(いさ)ましい顏(かほ)は、莞爾(につこ)と此方(こなた)を仰(あほ)いで居(を)つたよ。
       ――――~~~~~~~~――――
 讀者(どくしや)諸君(しよくん)!
 白雲(はくうん)は低(ひく)く飛(と)び、狂瀾(きやうらん)天(てん)に跳(をど)る印度洋上(インドやうじやう)、世界(せかい)の大惡魔(だいあくま)と世(よ)に隱(かく)れなき七隻(せき)の大海賊船(だいかいぞくせん)をば、木葉微塵(こつぱみぢん)に粉韲(うちくだ)いたる我(わが)帝國軍艦(ていこくぐんかん)「日(ひ)の出(で)」と、神出鬼沒(しんしゆつきぼつ)の電光艇(でんくわうてい)とは、今(いま)や舷(げん)をならべて、本國(ほんごく)指(さ)して歸航(きかう)の途中(とちう)である。昨夜(さくや)新嘉坡(シンガポール)發(はつ)、一片(ぺん)の長文(ちやうぶん)電報(でんぽう)は、日本(につぽん)の海軍省(かいぐんせう)に到達(たうたつ)した筈(はづ)であるが、二隻(さう)は去(さ)る金曜日(きんえうび)をもつて、印度大陸(インドたいりく)の尖端(せんたん)コモリンの岬(みさき)を廻(めぐ)り錫崙島(セイロンたう)の沖(をき)を※(す)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、374-5]ぎ、殘月(ざんげつ)淡(あは)きベンガル灣頭(わんとう)、行會(ゆきあ)ふ英(エイ)、佛(フツ)、獨(ドク)、露艦(ロかん)の敬禮(けいれい)に向(むか)つて謝意(しやゐ)を表(ひやう)しつゝ、大小(だいせう)ニコバル島(たう)とサラン島(たう)とを右舷(うげん)と左舷(さげん)とに眺(なが)めて、西(にし)と東(ひがし)との分(わか)れ道(ぢ)なるマラツカ海峽(かいけう)をもいつしか夢(ゆめ)の間(ま)に※(す)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、374-8]ぎ、今(いま)は支那海(シナかい)の波濤(はたう)を蹴(け)つて進航(しんかう)して居(を)るから、よし此後(このゝち)浪(なみ)高(たか)くとも、風(かぜ)荒(あら)くとも、二船(せん)が諸君(しよくん)の面前(めんぜん)に現(あら)はれるのは最早(もは)や遠(とほ)い事(こと)ではあるまいと思(おも)ふ。
其時(そのとき)は無論(むろん)、新聞(しんぶん)の號外(がうぐわい)によつて、市井(しせい)の評判(へうばん)によつて、如何(いか)なる山間(さんかん)僻地(へきち)の諸君(しよくん)と雖(いへど)も更(さら)に新(あたら)しき、更(さら)に歡(よろこ)ふ可(べ)き事(こと)を耳(みゝ)にせらるゝであらうが、私(わたくし)は殊(こと)に望(のぞ)む! 西(にし)、玄海灘(げんかいなだ)の邊(ほとり)より、馬關海峽(ばくわんかいけう)を※(す)[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、375-2]き、瀬戸内海(せとないかい)に入(い)り、夫(それ)より紀伊海峽(きいかいけう)を出(い)でゝ潮崎(うしほざき)を廻(めぐ)り、遠江灘(とほとほみなだ)、駿河灣(するがわん)、相模灘(さがみなだ)の沿岸(えんがん)に沿(そ)ふて、凡(およ)そ波濤(はたう)の打(う)つところ、凡(およ)そ船舶(せんぱく)の横(よこた)はる處(ところ)、海岸(かいがん)に近(ちか)く家(いへ)を有(いう)せらるゝ諸君(しよくん)は、必(かなら)ず朝夕(てうせき)の餘暇(よか)には、二階(にかい)の窓(まど)より、家外(かぐわい)の小丘(せうきう)より、また海濱(かいひん)の埠頭(はとば)より、籠手(こて)を翳(かざ)して遙(はる)かなる海上(かいじやう)を觀望(くわんぼう)せられん事(こと)を。若(も)し、水天(すいてん)一碧(いつぺき)の地平線上(ちへいせんじやう)、團々(だん/\)たる黒烟(こくゑん)先(ま)づ見(み)え、つゞゐて白色(はくしよく)の新式巡洋艦(しんしきじゆんやうかん)現(あら)はれ、それと共(とも)に、龍(りよう)の如(ごと)[#ルビの「ごと」は底本では「ごか」]く、鯱(しやち)の如(ごと)き怪艇(くわいてい)の水煙(すいゑん)を蹴(け)つて此方(こなた)に向(むか)ふを見(み)ば、請(こ)ふ、旗(はた)ある人(ひと)は旗(はた)を振(ふ)り、喇叭(らつぱ)ある人(ひと)は喇叭(らつぱ)を吹奏(なら)し、何物(なに)も無(な)き人(ひと)は双手(もろて)を擧(あ)げて、聲(こゑ)を限(かぎ)りに帝國萬歳(ていこくばんざい)! 帝國海軍萬歳(ていこくかいぐんばんざい)を連呼(れんこ)せられよ、だん/″\と近(ちか)づく二隻(そう)の甲板(かんぱん)、巡洋艦(じゆんやうかん)の縱帆架(ガーフ)に、怪艇(くわいてい)の艇尾(ていび)に、帝國軍艦旗(ていこくぐんかんき)の翩飜(へんぽん)と飜(ひるが)へるを見(み)ば、更(さら)に其時(そのとき)は、軍艦(ぐんかん)「日(ひ)の出(で)」の萬歳(ばんざい)と、電光艇(でんくわうてい)の萬歳(ばんざい)とを三呼(さんこ)せられよ。電光艇(でんくわうてい)の觀外塔(くわんぐわいたふ)には、櫻木海軍大佐(さくらぎかいぐんたいさ)、武村兵曹(たけむらへいそう)、日出雄少年(ひでをせうねん)、他(ほか)三十餘名(よめい)の慓悍無双(へうかんぶさう)なる水兵(すいへい)あり。軍艦(ぐんかん)「日(ひ)の出(で)」の甲板(かんぱん)には、艦長松島海軍大佐(かんちやうまつしまかいぐんたいさ)、虎髯大尉(こぜんたいゐ)轟鐵夫君(とゞろきてつをくん)、濱島武文(はまじまたけぶみ)、春枝夫人(はるえふじん)、及(およ)び二百餘人(にひやくよにん)の乘組(のりくみ)あり。いづれも手(て)に/\双眼鏡(さうがんきやう)を携(たづさ)へ、白巾(ハンカチーフ)を振(ふ)り、喜色(えみ)を湛(たゝ)えて、諸君(しよくん)の好意(かうゐ)を謝(しや)する事(こと)であらう。其(そ)の時(とき)は、私(わたくし)は、屹度(きつと)、軍艦(ぐんかん)「日(ひ)の出(で)」の艦尾(かんび)の方(かた)、八吋(インチ)速射砲(そくしやほう)の横(よこ)たはる邊(へん)、若(もし)くば水面(すいめん)高(たか)き舷門(げんもん)のほとりに立(た)つて――恭(うや/\)しく――右手(めて)に高(たか)く兜形(ヘルメツトがた)の帽子(ぼうし)を揚(あ)げて、今(いま)一度(いちど)、諸君(しよくん)と共(とも)に大日本帝國萬歳(だいにつぽんていこくばんざい)! 帝國海軍萬歳(ていこくかいぐんばんざい)! を三呼(さんこ)しませう。(軍艦「日の出」の甲板にて)

(海島冐劍奇譚)海底軍艦終





底本:「海島冐檢奇譚 海底軍艦」名著復刻日本児童文学館、ほるぷ出版
   1975(昭和50)年10月発行
底本の親本:「海島冐劍奇譚 海底軍艦」文武堂
   1900(明治33)年11月15日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「変体仮名し」は、「志」をくずした形です。
※文中の「~~~~」は底本では繋がった波線です。
※「艦の16かく目の「一」が「丶」」は「デザイン差」と見て「艦」で入力しました。
※「覽の10かく目の「一」が「丶」」は「デザイン差」と見て「覽」で入力しまいた。
※「「褒」の「保」に代えて「丑」」は「デザイン差」と見て「衰」で入力します。
※ルビ抜けは底本通りにしました。
※底本には数多くの印刷不鮮明な箇所や誤植が疑われる箇所、仮名遣いの混在がありますが、底本通りとしました。
※なお「ゝ」「ヽ」「ゞ」「ヾ」は印刷不鮮明のため底本どおりではなく、「ゝゞ」はひらがな繰り返し記号、「ヽヾ」はカタカナ繰り返し記号として入力しました。
入力:H.KoBaYaShi
校正:川山隆
2008年6月2日作成
2009年8月31日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



●表記について
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  • この作品には、JIS X 0213にない、以下の文字が用いられています。(数字は、底本中の出現「ページ-行」数。)これらの文字は本文内では「※[#…]」の形で示しました。


  • 変体仮名し    はしがき-14、はしがき-20
    「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」    6-5、25-2、41-4、42-1、47-3、56-7、58-1、60-3、60-4、60-7、60-9、66-7、71-12、73-5、97-4、99-2、99-3、99-9、120-2、122-8、126-10、129-11、134-5、134-7、136-12、141-6、149-7、152-10、153-3、161-2、166-10、169-3、171-12、176-4、178-12、198-4、224-5、225-7、230-6、249-2、249-8、249-8、251-6、262-9、262-10、262-10、262-11、265-4、278-1、278-12、293-1、297-5、299-4、303-9、303-10、304-9、306-10、320-8、324-12、335-8、336-4、336-8、339-3、343-11、361-1、374-5、374-8、375-2
    「口+斗」    8-11、8-11、32-5、53-6、263-7
    「(禾+尤)/上/日」    22-10、62-10、74-7、74-7、79-6、79-7、85-11、92-4、116-2、130-5、160-9、333-3、343-10、343-10、353-5
    「渦」の「咼」に代えて「咼の左右対称」    46-5、332-3
    感嘆符三つ    49-9、50-8、50-10、52-6、52-9、53-2、73-10、75-1、75-11、76-8、81-11、95-12、95-12、96-6、98-2、99-6、100-10、101-6、277-1、309-2、323-12、326-6、327-11、329-6、362-11、364-12、369-12、373-3
    「候」の「ユ」に代えて「工」    58-3、72-6、135-12
    「抜」の「友」に代えて「ノ/友」    63-8、70-4、144-5、168-6
    「一/力」    88-10、124-5、162-2、164-6、193-1、197-12、207-4、207-8、208-5、210-5、220-8、223-3、274-4
    「薔」の「回」に代えて「面から一、二画目をとったもの」    110-1
    「堝」の「咼」に代えて「咼の左右対称」    168-9
    「革+巴」    322-7、365-11
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