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虹の絵の具皿 Author:宮沢 賢治← Back

虹の絵の具皿

 むかし、ある霧(きり)のふかい朝でした。
 王子はみんながちょっといなくなったひまに、玻璃(はり)でたたんだ自分のお室(へや)から、ひょいっと芝生(しばふ)へ飛(と)びおりました。
 そして蜂雀(はちすずめ)のついた青い大きな帽子(ぼうし)を急(いそ)いでかぶって、どんどん向(む)こうへかけ出しました。
「王子さま。王子さま。どちらにいらっしゃいますか。はて、王子さま」
 と、年よりのけらいが、室(へや)の中であっちを向(む)いたりこっちを向(む)いたりして叫(さけ)んでいるようすでした。
 王子は霧(きり)の中で、はあはあ笑(わら)って立ちどまり、ちょっとそっちを向(む)きましたが、またすぐ向(む)き直(なお)って音をたてないように剣(つるぎ)のさやをにぎりながら、どんどんどんどん大臣(だいじん)の家の方へかけました。
 芝生(しばふ)の草はみな朝の霧(きり)をいっぱいに吸(す)って、青く、つめたく見えました。
 大臣(だいじん)の家のくるみの木が、霧(きり)の中から不意(ふい)に黒く大きくあらわれました。
 その木の下で、一人(ひとり)の子供(こども)の影(かげ)が、霧(きり)の向(む)こうのお日様(ひさま)をじっとながめて立っていました。
 王子は声をかけました。
「おおい。お早う。遊(あそ)びに来たよ」
 その小さな影(かげ)はびっくりしたように動いて、王子の方へ走って来ました。それは王子と同じ年の大臣(だいじん)の子でした。
 大臣(だいじん)の子はよろこんで顔をまっかにして、
「王子さま、お早うございます」と申(もう)しました。
 王子が口早にききました。
「お前さっきからここにいたのかい。何してたの」
 大臣(だいじん)の子が答えました。
「お日さまを見ておりました。お日さまは霧(きり)がかからないと、まぶしくて見られません」
「うん。お日様は霧(きり)がかかると、銀(ぎん)の鏡(かがみ)のようだね」
「はい、また、大きな蛋白石(たんぱくせき)の盤(ばん)のようでございます」
「うん。そうだね。僕(ぼく)はあんな大きな蛋白石(たんぱくせき)があるよ。けれどもあんなに光りはしないよ。僕(ぼく)はこんど、もっといいのをさがしに行くんだ。お前もいっしょに行かないか」
 大臣(だいじん)の子はすこしもじもじしました。
 王子はまたすぐ大臣(だいじん)の子にたずねました。
「ね、おい。僕(ぼく)のもってるルビーの壺(つぼ)やなんかより、もっといい宝石(ほうせき)は、どっちへ行ったらあるだろうね」
 大臣(だいじん)の子が申(もう)しました。
「虹(にじ)の脚(あし)もとにルビーの絵(え)の具皿(ぐざら)があるそうです」
 王子が口早に言(い)いました。
「おい、取(と)りに行こうか。行こう」
「今すぐでございますか」
「うん。しかし、ルビーよりは金剛石(こんごうせき)の方がいいよ。僕(ぼく)黄色な金剛石(こんごうせき)のいいのを持ってるよ。そして今度(こんど)はもっといいのを取(と)って来るんだよ。ね、金剛石(こんごうせき)はどこにあるだろうね」
 大臣(だいじん)の子が首(くび)をまげて少し考えてから申(もう)しました。
「金剛石(こんごうせき)は山の頂上(ちょうじょう)にあるでしょう」
 王子はうなずきました。
「うん。そうだろうね。さがしに行こうか。ね。行こうか」
「王さまに申(もう)し上げなくてもようございますか」と大臣(だいじん)の子が目をパチパチさせて心配(しんぱい)そうに申(もう)しました。
 その時うしろの霧(きり)の中から、
「王子さま、王子さま、どこにいらっしゃいますか。王子さま」
 と、年とったけらいの声が聞こえて参(まい)りました。
 王子は大臣(だいじん)の子の手をぐいぐいひっぱりながら、小声で急(いそ)いで言(い)いました。
「さ、行こう。さ、おいで、早く。追(お)いつかれるから」
 大臣(だいじん)の子は決心(けっしん)したように剣(つるぎ)をつるした帯革(おびがわ)を堅(かた)くしめ直(なお)しながらうなずきました。
 そして二人は霧(きり)の中を風よりも早く森の方へ走って行きました。
       *
 二人はどんどん野原の霧(きり)の中を走って行きました。ずうっとうしろの方で、けらいたちの声がまたかすかに聞こえました。
 王子ははあはあ笑(わら)いながら、
「さあ、も少し走ってこう。もう誰(だれ)も追(お)いつきやしないよ」
 大臣(だいじん)の子は小さな樺(かば)の木の下を通るとき、その大きな青い帽子(ぼうし)を落(お)としました。そして、あわててひろってまた一生けん命(めい)に走りました。
 みんなの声ももう聞こえませんでした。そして野原はだんだんのぼりになってきました。
 二人はやっと馳(か)けるのをやめて、いきをせかせかしながら、草をばたりばたりと踏(ふ)んで行きました。
 いつか霧(きり)がすうっとうすくなって、お日さまの光が黄金色(きんいろ)に透(すきとお)ってきました。やがて風が霧(きり)をふっと払(はら)いましたので、露(つゆ)はきらきら光り、きつねのしっぽのような茶色の草穂(くさぼ)は一面(いちめん)波(なみ)を立てました。
 ふと気がつきますと遠くの白樺(しらかば)の木のこちらから、目もさめるような虹(にじ)が空高く光ってたっていました。白樺(しらかば)のみきは燃(も)えるばかりにまっかです。
「そら虹(にじ)だ。早く行ってルビーの皿(さら)を取ろう。早くおいでよ」
 二人はまた走り出しました。けれどもその樺(かば)の木に近づけば近づくほど美しい虹(にじ)はだんだん向(む)こうへ逃(に)げるのでした。そして二人が白樺(しらかば)の木の前まで来たときは、虹(にじ)はもうどこへ行ったか見えませんでした。
「ここから虹(にじ)は立ったんだね。ルビーのお皿(さら)が落(お)ちてないか知らん」
 二人は足でけむりのような茶色の草穂(くさぼ)をかきわけて見ましたが、ルビーの絵(え)の具皿(ぐざら)はそこに落(お)ちていませんでした。
「ね、虹(にじ)は向(む)こうへ逃(に)げるときルビーの皿(さら)もひきずって行ったんだね」
「そうだろうと思います」
「虹(にじ)はいったいどこへ行ったろうね」
「さあ」
「あ、あすこにいる。あすこにいる。あんな遠くにいるんだよ」
 大臣(だいじん)の子はそっちを見ました。まっ黒な森の向(む)こう側(がわ)から、虹(にじ)は空高く大きく夢(ゆめ)の橋(はし)をかけていたのでした。
「森の向(む)こうなんだね。行ってみよう」
「また逃(に)げるでしょう」
「行ってみようよ。ね。行こう」
 二人(ふたり)はまた歩き出しました。そしてもう柏(かしわ)の森まで来ました。
 森の中はまっくらで気味(きみ)が悪いようでした。それでも王子は、ずんずんはいって行きました。小藪(こやぶ)のそばを通るとき、さるとりいばらが緑色(みどりいろ)のたくさんのかぎを出して、王子の着物(きもの)をつかんで引き留(と)めようとしました。はなそうとしてもなかなかはなれませんでした。
 王子はめんどうくさくなったので剣(つるぎ)をぬいていきなり小藪(こやぶ)をばらんと切ってしまいました。
 そして二人はどこまでもどこまでも、むくむくの苔(こけ)やひかげのかずらをふんで森の奥(おく)の方へはいって行きました。
 森の木は重(かさ)なり合ってうす暗(ぐら)いのでしたが、そのほかにどうも空まで暗(くら)くなるらしいのでした。
 それは、森の中に青くさし込(こ)んでいた一本の日光の棒(ぼう)が、ふっと消(き)えてそこらがぼんやりかすんできたのでもわかりました。
 また霧(きり)が出たのです。林の中はまもなくぼんやり白くなってしまいました。もう来た方がどっちかもわからなくなってしまったのです。
 王子はためいきをつきました。
 大臣(だいじん)の子もしきりにあたりを見ましたが、霧(きり)がそこらいっぱいに流(なが)れ、すぐ眼(め)の前の木だけがぼんやりかすんで見えるだけです。二人は困(こま)ってしまって腕(うで)を組んで立ちました。
 すると小さなきれいな声で、誰(だれ)か歌いだしたものがあります。

「ポッシャリ、ポッシャリ、ツイツイ、トン。
 はやしのなかにふる霧(きり)は、
 蟻(あり)のお手玉、三角帽子(さんかくぼうし)の、一寸法師(いっすんぼうし)のちいさなけまり」

 霧(きり)がトントンはね踊(おど)りました。

「ポッシャリ、ポッシャリ、ツイツイ、トン。
 はやしのなかにふる霧(きり)は、
 くぬぎのくろい実(み)、柏(かしわ)の、かたい実(み)のつめたいおちち」

 霧(きり)がポシャポシャ降(ふ)ってきました。そしてしばらくしんとしました。
「誰(だれ)だろう。ね。誰(だれ)だろう。あんなことうたってるのは。二、三人のようだよ」
 二人(ふたり)はまわりをきょろきょろ見ましたが、どこにも誰(だれ)もいませんでした。
 声はだんだん高くなりました。それはじょうずな芝笛(しばぶえ)のように聞こえるのでした。

「ポッシャリ、ポッシャリ、ツイ、ツイ、ツイ。
 はやしのなかにふるきりの、
 つぶはだんだん大きくなり、
 いまはしずくがポタリ」

 霧(きり)がツイツイツイツイ降(ふ)ってきて、あちこちの木からポタリッポタリッと雫(しずく)の音がきこえてきました。

「ポッシャン、ポッシャン、ツイ、ツイ、ツイ。
 はやしのなかにふるきりは、
 いまにこあめにかぁわるぞ、
 木はぁみんな 青外套(あおがいとう)。
 ポッシャン、ポッシャン、ポッシャン、シャン」

 きりはこあめにかわり、ポッシャンポッシャン降(ふ)ってきました。大臣(だいじん)の子は途方(とほう)に暮(く)れたように目をまんまるにしていました。
「誰(だれ)だろう。今のは。雨を降(ふ)らせたんだね」
 大臣(だいじん)の子はぼんやり答えました。
「ええ、王子さま。あなたのきものは草の実(み)でいっぱいですよ」そして王子の黒いびろうどの上着(うわぎ)から、緑色(みどりいろ)のぬすびとはぎの実(み)を一ひらずつとりました。
 王子がにわかに叫(さけ)びました。
「誰(だれ)だ、今歌ったものは、ここへ出ろ」
 するとおどろいたことは、王子たちの青い大きな帽子(ぼうし)に飾(かざ)ってあった二羽(わ)の青びかりの蜂雀(はちすずめ)が、ブルルルブルッと飛(と)んで、二人(ふたり)の前に降(お)りました。そして声をそろえて言(い)いました。
「はい。何かご用でございますか」
「今の歌はお前たちか。なぜこんなに雨をふらせたのだ」
 蜂雀(はちすずめ)はじょうずな芝笛(しばぶえ)のように叫(さけ)びました。
「それは王子さま。私どもの大事(だいじ)のご主人(しゅじん)さま。私どもは空をながめて歌っただけでございます。そらをながめておりますと、きりがあめにかわるかどうかよくわかったのでございます」
「そしてお前らはどうして歌ったり飛(と)んだりしたのだ」
「はい。ここからは私どもの歌ったり飛(と)んだりできる所(ところ)になっているのでございます。ご案内(あんない)いたしましょう」
 雨はポッシャンポッシャン降(ふ)っています。蜂雀(はちすずめ)はそう言(い)いながら、向(む)こうの方へ飛(と)び出しました。せなかや胸(むね)に鋼鉄(こうてつ)のはり金がはいっているせいか飛(と)びようがなんだか少し変(へん)でした。
 王子たちはそのあとをついて行きました。
       *
 にわかにあたりがあかるくなりました。
 今までポシャポシャやっていた雨が急(きゅう)に大粒(おおつぶ)になってざあざあと降(ふ)ってきたのです。
 はちすずめが水の中の青い魚のように、なめらかにぬれて光りながら、二人(ふたり)の頭の上をせわしく飛(と)びめぐって、

ザッ、ザ、ザ、ザザァザ、ザザァザ、ザザァ、
ふらばふれふれ、ひでりあめ、
トパァス、サファイア、ダイアモンド。

 と歌いました。するとあたりの調子(ちょうし)がなんだか急(きゅう)に変(へん)なぐあいになりました。雨があられに変(か)わってパラパラパラパラやってきたのです。
 そして二人(ふたり)はまわりを森にかこまれたきれいな草の丘(おか)の頂上(ちょうじょう)に立っていました。
 ところが二人は全(まった)くおどろいてしまいました。あられと思ったのはみんなダイアモンドやトパァスやサファイアだったのです。おお、その雨がどんなにきらびやかなまぶしいものだったでしょう。
 雨の向(む)こうにはお日さまが、うすい緑色(みどりいろ)のくまを取(と)って、まっ白に光っていましたが、そのこちらで宝石(ほうせき)の雨はあらゆる小さな虹(にじ)をあげました。金剛石(こんごうせき)がはげしくぶっつかり合っては青い燐光(りんこう)を起(おこ)しました。
 その宝石(ほうせき)の雨は、草に落(お)ちてカチンカチンと鳴りました。それは鳴るはずだったのです。りんどうの花は刻(きざ)まれた天河石(アマゾンストン)と、打(う)ち劈(くだ)かれた天河石(アマゾンストン)で組み上がり、その葉(は)はなめらかな硅孔雀石(クリソコラ)でできていました。黄色な草穂(くさぼ)はかがやく猫睛石(キャッツアイ)、いちめんのうめばちそうの花びらはかすかな虹(にじ)を含(ふく)む乳色(ちちいろ)の蛋白石(たんぱくせき)、とうやくの葉(は)は碧玉(へきぎょく)、そのつぼみは紫水晶(アメシスト)の美しいさきを持(も)っていました。そしてそれらの中でいちばん立派(りっぱ)なのは小さな野(の)ばらの木でした。野(の)ばらの枝(えだ)は茶色の琥珀(こはく)や紫(むらさき)がかった霰石(アラゴナイト)でみがきあげられ、その実(み)はまっかなルビーでした。
 もしその丘(おか)をつくる黒土をたずねるならば、それは緑青(ろくしょう)か瑠璃(るり)であったにちがいありません。二人(ふたり)はあきれてぼんやりと光の雨に打(う)たれて立ちました。
 はちすずめがたびたび宝石(ほうせき)に打たれて落(お)ちそうになりながら、やはりせわしくせわしく飛(と)びめぐって、

ザッザザ、ザザァザ、ザザァザザザァ、
降(ふ)らばふれふれひでりあめ
ひかりの雲のたえぬまま。

 と歌いましたので雨の音はひとしお高くなり、そこらはまたひとしきりかがやきわたりました。
 それから、はちすずめは、だんだんゆるやかに飛(と)んで、

ザッザザ、ザザァザ、ザザァザザザァ、
やまばやめやめ、ひでりあめ
そらは みがいた 土耳古玉(トルコだま)。

 と歌いますと、雨がぴたりとやみました。おしまいの二つぶばかりのダイアモンドがそのみがかれた土耳古玉(トルコだま)のそらからきらきらっと光って落(お)ちました。
「ね、このりんどうの花はお父さんの所(ところ)の一等(いっとう)のコップよりも美(うつく)しいんだね。トパァスがいっぱいに盛(も)ってあるよ」
「ええ立派(りっぱ)です」
「うん。僕(ぼく)、このトパァスをはんけちへいっぱい持(も)ってこうか。けれど、トパァスよりはダイアモンドの方がいいかなあ」
 王子ははんけちを出してひろげましたが、あまりいちめんきらきらしているので、もうなんだか拾(ひろ)うのがばかげているような気がしました。
 その時、風が来て、りんどうの花はツァリンとからだを曲(ま)げて、その天河石(アマゾンストン)の花の盃(さかずき)を下の方に向(む)けましたので、トパァスはツァラツァランとこぼれて下のすずらんの葉(は)に落(お)ち、それからきらきらころがって草の底(そこ)の方へもぐって行きました。
 りんどうの花はそれからギギンと鳴って起(お)きあがり、ほっとため息(いき)をして歌いました。

「トパァスのつゆはツァランツァリルリン、
 こぼれてきらめく サング、サンガリン、
 ひかりの丘(おおか)に すみながら
 なぁにがこんなにかなしかろ」

 まっ碧(さお)な空では、はちすずめがツァリル、ツァリル、ツァリルリン、ツァリル、ツァリル、ツァリルリンと鳴いて二人とりんどうの花との上をとびめぐっておりました。
「ほんとうにりんどうの花は何がかなしいんだろうね」王子はトパァスを包(つつ)もうとして、一ぺんひろげたはんけちで顔の汗(あせ)をふきながら言(い)いました。
「さあ私にはわかりません」
「わからないねい。こんなにきれいなんだもの。ね、ごらん、こっちのうめばちそうなどはまるで虹(にじ)のようだよ。むくむく虹(にじ)が湧(わ)いてるようだよ。ああそうだ、ダイアモンドの露(つゆ)が一つぶはいってるんだよ」
 ほんとうにそのうめばちそうは、ぷりりぷりりふるえていましたので、その花の中の一つぶのダイアモンドは、まるで叫(さけ)び出すくらいに橙(だいだい)や緑(みどり)に美(うつく)しくかがやき、うめばちそうの花びらにチカチカ映(うつ)って言(い)いようもなく立派(りっぱ)でした。
 その時ちょうど風が来ましたので、うめばちそうはからだを少し曲(ま)げてパラリとダイアモンドの露(つゆ)をこぼしました。露(つゆ)はちくちくっとおしまいの青光をあげ碧玉(へきぎょく)の葉(は)の底(そこ)に沈(しず)んで行きました。
 うめばちそうはブリリンと起(お)きあがってもう一ぺんサッサッと光りました。金剛石(こんごうせき)の強い光の粉(こな)がまだはなびらに残(のこ)ってでもいたのでしょうか。そして空のはちすずめのめぐりも叫(さけ)びも、にわかにはげしくはげしくなりました。うめばちそうはまるで花びらも萼(がく)もはねとばすばかり高く鋭(するど)く叫(さけ)びました。

「きらめきのゆきき
 ひかりのめぐみ
 にじはゆらぎ
 陽(ひ)は織(お)れど
 かなし。

 青ぞらはふるい
 ひかりはくだけ
 風のきしり
 陽(ひ)は織(お)れど
 かなし」

 野ばらの木が赤い実(み)から水晶(すいしょう)の雫(しずく)をポトポトこぼしながらしずかに歌いました。

「にじはなみだち
 きらめきは織(お)る
 ひかりのおかの
 このさびしさ。

 こおりのそこの
 めくらのさかな
 ひかりのおかの
 このさびしさ。

 たそがれぐもの
 さすらいの鳥
 ひかりのおかの
 このさびしさ」

 この時光の丘(おか)はサラサラサラッと一めんけはいがして草も花もみんなからだをゆすったりかがめたりきらきら宝石(ほうせき)の露(つゆ)をはらいギギンザン、リン、ギギンと起(お)きあがりました。そして声をそろえて空高く叫(さけ)びました。

「十力(じゅうりき)の金剛石(こんごうせき)はきょうも来ず
 めぐみの宝石(いし)はきょうも降(ふ)らず
 十力(じゅうりき)の宝石(いし)の落(お)ちざれば、
 光の丘(おか)も まっくろのよる

 二人(ふたり)は腕(うで)を組んで棒(ぼう)のように立っていましたが王子はやっと気がついたように少しからだをかがめて、
「ね、お前たちは何がそんなにかなしいの」と野ばらの木にたずねました。
 野ばらは赤い光の点々(てんてん)を王子の顔に反射(はんしゃ)させながら、
「今言(い)った通りです。十力(じゅうりき)の金剛石(こんごうせき)がまだ来ないのです」
 王子は向(む)こうの鈴蘭(すずらん)の根(ね)もとからチクチク射(さ)して来る黄金色(きんいろ)の光をまぶしそうに手でさえぎりながら、
「十力(じゅうりき)の金剛石(こんごうせき)ってどんなものだ」とたずねました。
 野(の)ばらがよろこんでからだをゆすりました。
「十力(じゅうりき)の金剛石(こんごうせき)はただの金剛石(こんごうせき)のようにチカチカうるさく光りはしません」
 碧玉(へきぎょく)のすずらんが百の月が集(あつ)まった晩(ばん)のように光りながら向(む)こうから言(い)いました。
「十力(じゅうりき)の金剛石(こんごうせき)はきらめくときもあります。かすかににごることもあります。ほのかにうすびかりする日もあります。あるときは洞穴(どうけつ)のようにまっくらです」
 ひかりしずかな天河石(アマゾンストン)のりんどうも、もうとても踊(おど)りださずにいられないというようにサァン、ツァン、サァン、ツァン、からだをうごかして調子(ちょうし)をとりながら言(い)いました。
「その十力(じゅうりき)の金剛石(こんごうせき)は春の風よりやわらかく、ある時はまるくあるときは卵(たまご)がたです。霧(きり)より小さなつぶにもなれば、そらとつちとをうずめもします」
 まひるの笑(わら)いの虹(にじ)をあげてうめばちそうが言(い)いました。
「それはたちまち百千のつぶにもわかれ、また集(あつ)まって一つにもなります」
 はちすずめのめぐりはあまり速(はや)くてただルルルルルルと鳴るぼんやりした青い光の輪(わ)にしか見えませんでした。
 野(の)ばらがあまり気が立ち過(す)ぎてカチカチしながら叫(さけ)びました。
「十力(じゅうりき)の大宝珠(だいほうじゅ)はある時黒い厩肥(きゅうひ)のしめりの中に埋(う)もれます。それから木や草のからだの中で月光いろにふるい、青白いかすかな脈(みゃく)をうちます。それから人の子供(こども)の苹果(りんご)の頬(ほお)をかがやかします」
 そしてみんながいっしょに叫(さけ)びました。

「十力(じゅうりき)の金剛石(こんごうせき)は今日も来ない。
 その十力(じゅうりき)の金剛石(こんごうせき)はまだ降(ふ)らない。
 おお、あめつちを充(み)てる十力(じゅうりき)のめぐみ
 われらに下れ」

 にわかにはちすずめがキイーンとせなかの鋼鉄(こうてつ)の骨(ほね)もはじけたかと思うばかりするどいさけびをあげました。びっくりしてそちらを見ますと空が生き返(かえ)ったように新しくかがやき、はちすずめはまっすぐに二人(ふたり)の帽子(ぼうし)におりて来ました。はちすずめのあとを追(お)って二つぶの宝石(ほうせき)がスッと光って二人の青い帽子(ぼうし)におち、それから花の間に落(お)ちました。
「来た来た。ああ、とうとう来た。十力(じゅうりき)の金剛石(こんごうせき)がとうとう下った」と花はまるでとびたつばかりかがやいて叫(さけ)びました。
 木も草も花も青ぞらも一度(ど)に高く歌いました。

「ほろびのほのお 湧(わ)きいでて
 つちとひととを つつめども
 こはやすらけき くににして
 ひかりのひとら みちみてり
 ひかりにみてる あめつちは
 …………………」

 急(きゅう)に声がどこか別の世界に行ったらしく聞こえなくなってしまいました。そしていつか十力(じゅうりき)の金剛石(こんごうせき)は丘(おか)いっぱいに下っておりました。そのすべての花も葉(は)も茎(くき)も今はみなめざめるばかり立派(りっぱ)に変わっていました。青いそらからかすかなかすかな楽(がく)のひびき、光の波(なみ)、かんばしく清(きよ)いかおり、すきとおった風のほめことばが丘(おか)いちめんにふりそそぎました。
 なぜならばすずらんの葉(は)は今はほんとうの柔(やわ)らかなうすびかりする緑色(みどりいろ)の草だったのです。
 うめばちそうはすなおな、ほんとうのはなびらをもっていたのです。そして十力(じゅうりき)の金剛石(こんごうせき)は野ばらの赤い実(み)の中のいみじい細胞(さいぼう)の一つ一つにみちわたりました。
 その十力(じゅうりき)の金剛石(こんごうせき)こそは露(つゆ)でした。
 ああ、そしてそして十力(じゅうりき)の金剛石(こんごうせき)は露(つゆ)ばかりではありませんでした。碧(あお)いそら、かがやく太陽(たいよう)、丘(おか)をかけて行く風、花のそのかんばしいはなびらや、しべ、草のしなやかなからだ、すべてこれをのせになう丘(おか)や野原、王子たちのびろうどの上着(うわぎ)や涙(なみだ)にかがやく瞳(ひとみ)、すべてすべて十力(じゅうりき)の金剛石(こんごうせき)でした。あの十力(じゅうりき)の大宝珠(だいほうじゅ)でした。あの十力(じゅうりき)の尊(とうと)い舎利(しゃり)でした。あの十力(じゅうりき)とは誰(だれ)でしょうか。私はやっとその名を聞いただけです。二人(ふたり)もまたその名をやっと聞いただけでした。けれどもこの蒼鷹(あおたか)のように若い二人(ふたり)がつつましく草の上にひざまずき指(ゆび)を膝(ひざ)に組んでいたことはなぜでしょうか。
 さてこの光の底(そこ)のしずかな林の向(む)こうから二人(ふたり)をたずねるけらいたちの声が聞こえて参(まい)りました。
「王子様(さま)王子様(さま)。こちらにおいででございますか。こちらにおいででございますか。王子様(さま)」
 二人(ふたり)は立ちあがりました。
「おおい。ここだよ」と王子は叫(さけ)ぼうとしましたが、その声はかすれていました。二人(ふたり)はかがやく黒い瞳(ひとみ)を、蒼(あお)ぞらから林の方に向(む)けしずかに丘(おか)を下って行きました。
 林の中からけらいたちが出て来てよろこんで笑(わら)ってこっちへ走って参(まい)りました。
 王子も叫(さけ)んで走ろうとしましたが、一本のさるとりいばらがにわかにすこしの青い鉤(かぎ)を出して王子の足に引っかけました。王子はかがんでしずかにそれをはずしました。





底本:「銀河鉄道の夜」角川文庫、角川書店
   1969(昭和44)年7月20日改版初版発行
   1991(平成3)年6月10日改版65版
入力:土屋隆
校正:石橋めぐみ
2007年7月24日作成
青空文庫作成ファイル:
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